鏡 / マルガリータ・テレホワ
鏡
/アンドレイ・タルコフスキー
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全体の平均評価点: (5点満点)
(6)
解説・ストーリー
A・タルコフスキーの作品は様々な映像の断片がコラージュされたようなものばかりである。この「鏡」もまたそうであり、彼の自伝的要素を持つというが、解るような解らないような……。でもその数々の映像はどれもこれもかっこ良く、戦争の記録フィルムらしきものも出てくる。物語などの存在は忘れてただひたすら映像の中で泳ぐような感覚で、なんとも美しい一本だ。 JAN:4933672242477
A・タルコフスキーの作品は様々な映像の断片がコラージュされたようなものばかりである。この「鏡」もまたそうであり、彼の自伝的要素を持つというが、解るような解らないような……。でもその数々の映像はどれもこれもかっこ良く、戦争の記録フィルムらしきものも出てくる。物語などの存在は忘れてただひたすら映像の中で泳ぐような感覚で、なんとも美しい一本だ。 JAN:4933672242477
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「鏡」 の解説・あらすじ・ストーリー
解説・ストーリー
A・タルコフスキーの作品は様々な映像の断片がコラージュされたようなものばかりである。この「鏡」もまたそうであり、彼の自伝的要素を持つというが、解るような解らないような……。でもその数々の映像はどれもこれもかっこ良く、戦争の記録フィルムらしきものも出てくる。物語などの存在は忘れてただひたすら映像の中で泳ぐような感覚で、なんとも美しい一本だ。 JAN:4933672242477
「鏡」 の作品情報
「鏡」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
鏡 DVD HDマスターの詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
106分 |
|
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
IVCF5585 |
2015年06月10日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
7枚
|
2人
|
3人
|
鏡 DVD HDマスターの詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
106分 |
|
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
IVCF5585 |
2015年06月10日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
7枚
|
2人
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ユーザーレビュー:6件
”新作”
投稿日:2015/06/22
レビュアー:まみもぉ
ようやく続々とレンタル開始。”新作”の赤文字が嬉しい。
『サクリファイス』から遡って再見してみた。
映画に興味なかった遠い遠い昔、タルコフスキー作品に夢中になってしまったワタシが愛おしく思い出されました。
なかったらよかった偶然の出会いダントツの一等賞は今も変わりないけど。
観て思った。やっぱり映画じゃない。彼が描いてるのは詩画。映像でなく詩像。
それが、そこがよかった。真に美しい。
とどまらず滴り落ち続ける水の水滴の一滴がイコール、一コマ。それが流れる。
映画の魅力は動いているからなんだと再確認した。
年齢重なった今なら『サクリファイス』が一番、しっくり浸れるかなと思ってたのだけど、
一番は変わらず『鏡』でした。冒頭のマルガリータ・テレオワの”美”は極まってる。
そこへ風が来る。
言葉を詩篇を葉に変えて揺らし、こちらへ伝えてくる。それは本では紙面ではできない。
画面、スクリーンがあってこそ。
観ながら、このまま昇天したくなった。
大好きな洗髪と鶏のシーンは何度観ても恐い。
恐ろしくて、でも、ゾクゾクでなくワクワクしてくる。その感触が初見から好きだった。
『ダーク・ナイト』のジョーカーに会ってからそのわけがなんとなく解った。
自分の中のアクマ応援欲求がうずくんだと。
今はかなりそのワクワク度UPしていて、生きてるうちに思い残すことなく...
...などと屁理屈の加勢のまま行動してしまいそうで、理性を盾に踏ん張らねばと思った。
タルコフスキー作品。ご覧になったことがないのでしたら、レンタルされている8作品中でおすすめは『僕の村は戦場だった』です。
そして『ストーカー』...。
なによりこれら「新作」に寄せられたレビューがどれも素晴らしい。
ディスカスさんから離れずくっついててよかったと思いました。ぜひ、いっしょに鑑賞してほしいです。
このレビューは気に入りましたか?
14人の会員が気に入ったと投稿しています
無意識の「時間」と、哲学された「とき」の違い
「鏡」(1975)
この映画は、タルコフスキー監督にとって、特別な作品です。
いろいろな意味で。
@ この作品で、タルコフスキーの「映像のポエジア」がはっきりした。
ストーリーではなく、今見ている像と音を発見するためのものであること。
映画は映像であるが、遙かに「時間」との関係が深い。
母が髪を洗う場面。
空中浮遊、落下、浮揚。
家の前から見下ろす草原を渡る風。下がっていく。上がってくる。
そこを登ってくる、黒い小さな男。
美しい母の解体・懐胎。
家の火事。乏しい水。
走り去る馬。
シャガールの絵のようである。
絵にあるのは、物差し、時計で測れる数値ではない。
タルコフスキーには、進化した(ベルグソンのように哲学された)時間がある。
時間というものは、計測できないのである。個別の時間は、「とき」という人格なのだ。空間を含む記憶が「とき」なのだ。
A 彼が、ソ連で映画を作れなくなる原因になった。
問題視されたのは、この「鏡」の私小説的な部分ではなく、物語の崩壊であるとする。
当時のソ連の検疫は優秀な批評家であったといえるだろう。
この映画を「批判」したのは、ソ連の映画作家の守旧派であったろうが、嫉妬もあったろう。
B 映画の手法の再構築と実験
この映画は、構造をもっている。
5楽章形式の交響曲のようである。(交響曲は4楽章であるが)
脚本、フィルム、撮影(カット割り、カメラの動き)
音(音楽がない映画、音響だけの映画)。
知り得る限り、すべてのことを試しているようだ。
ソ連という国は広い国家であったが、こんなことがあったということを
しっかり書いていると思う。
いろいろな映像フィルムを使って、多角的に書こうとしている。
ソ連そのものを描こうとしたら、ソ連の矛盾に達せざるを得ないところまで行った。
これは、ソ連最高の芸術映画ではなかろうか。
ショスタコービッチ(1906〜1971)の問題。世代は異なる。
彼は、プロパガンダ作曲家でもないし、民族音楽家でもないし、ソ連の作曲家でもな。
かれは、最後に、「ミケランジェロの詩による組曲」を書いた、正真正銘の現代音楽家であった。
ショスタコービッチはソ連に留まり、タルコフスキーは出た。
しかし、二人とも、ロシアの芸術家であったことは間違いないのである。
このレビューは気に入りましたか?
5人の会員が気に入ったと投稿しています
映像の悪魔的な魔術師
ハッとする映像に満ちている。
マリアが髪を洗って顔を挙げると、高い天井の漆喰がハラハラと剥げ落ちてくる。
懐妊したマリアが宙に浮かぶシーン。
一人二役(母親と妻役は同一)(少年時代の作者とイグナートも同じ俳優)
カラーとモノクロが渾然と混じり、
唐突に原爆のキノコ雲、毛沢東、ヒトラーの死に顔。
プラハの春・・・ニュース映像が流される。
そして、
アンドレア・タルコフスキーの声で『自作の詩』の朗読が、
何回も何回も、行われる。
個人的には、回想の少年兵時代の銃撃訓練のエピソードが面白かった。
少年のヒネクレようが、そして、教官と手榴弾のエピソード・・・
私は、どうしようもなくリアリストなので・・・こういうのが好みです。
鏡とは?
心の深層を魔術的手法で、鏡に映る像のように再現する→これがタルコフスキーの映画の基本・・・であるとか?
突然切り替わるイメージが面白く、観る度に、新しい発見が、あるのでしょう!
このレビューは気に入りましたか?
4人の会員が気に入ったと投稿しています
哲学された時間 「インターステラ―」を回想しつつ
時間は、まっすぐ直進していくものではなく、変転していくものです。
時間というものを、少し考えると、空間にも存在することが、わかるでしょう。
空間は、決して、空洞なものではない。
僕らが、今ある。と思っているのは、3次元の空間と言われている。
そこに、「確か」なものは、ない。
時間の一滴も、空間の一秒も、確かではない。
空間が「不確か」と思うのは、僕らが一方で信仰している、「時間」教の宗旨からの妄想にすぎない。「
「時間」という概念も、腕時計や携帯を放棄すれば、空間との関係が近しくなり、祖語に気づくだろう。
時間というものを、よく考えているな、と思ったのは、クリストファー・ノーラン監督。
「メメント」という映画。
「インターステラ―」という映画。
砂だらけの農家に、書斎があり、そこから本が落ちるのです。
それは、オルガンの鍵盤が鳴るように、落ちるのです。
昔、今、リルケという詩人の「秋」という作品を思っている。
「この手も落ちる」
その落下を受け止める手があるのだ、という詩を、彼は書くのですが、
これは、縦の時間です。
リルケが落ちる、と言った「手」を、過ぎると言ってもよいではないか?
「落ちる」も「過ぎる」も、人間がいかに、「空間的」にしか「ものを考えない」ことの証明であるでしょう。
「インターステラ―」では、6次元の発想が出てきます。
時間を飛び越え、空間を飛び越え、しかし、父も娘も、、神になりたい、わけでは、決してないのす。
これは、宗教ではない。
二人が会うための、ドラマなのです。
タルコフスキー監督の「鏡」を見ていると、ノーラン監督の「インターステラ―」を見ていた。
知の行き着くオーロラのような、ものかもしれない。
時間が、棒のように、まっすぐ伸びれば、宇宙は、すでに無いでしょう。
空間が、絨毯のように、ひらべったく敷き延べられば、宇宙は、すでに無いでしょう。
こういうことを、考えるのは、幸福なのです。
今、自分のいる「場所」や「時間」が、人間によって規定されたものとは、全く違うものごとであれば、
不安よりも、それは、面白いことではないでしょうか?
僕らは、棒のような、一方通行の時間に縛られている。
あるいは、落としたグラスが割れたまま永続するという固定観念を疑うこともしない。
このパソコンをキーボードをたたく指さえ、今、まっすぐに消える。
このレビューは気に入りましたか?
3人の会員が気に入ったと投稿しています
今 タマネギの芯
昨日、夜中に眼が醒めて。
夢のなかで考えていたことが、美味だったので、起きて、「淡路島のタマネギ・スープ」を飲みました。
この顆粒は、濃縮されていて、不自然だ。
甘いが、塩辛い。
生のタマネギを、もっと美味しく料理にしたい。
刻むでしょ、炒めるでしょ。
「あっ」
「フライパンに油ひいてないやん」
これが第一の夢。
第二の夢は、玉ねぎの芯に生まれたら、ということでした。
自分は、すぐ取り除かれ、排水溝に流れ、鼠くんに食われ、本望だが、
「痛いよ」の「よ」で、ハッと覚醒。
第三の夢は、点というゼロ次元が、現実にはあり得ないという夢でした。
円錐があります。
底が円で、頂点が点です。
数学の問題集で、この3次元の円錐の体積を求めよ、というのは、あります。
底円の直径と、推の高さで、正円錐は立ちます。
しかし、現実には、頂点の「点」も、底の「円」も、「線」も存在しません。
数理論上では、数値(底円の直径、円錐の高さ)を入力すれば、PCの画面では、成り立つ。
そこで、シュミレーションを行う。
それは、仕方がないことです。
円錐のデータを、3Dプリンターに送ります。
それを手に取ると、純粋な円錐ではないです。
どんな材質でも、点(ゼロ)は、物質的に存在しないのです。
今、僕の目の前に、「B5」サイズのコピーー用紙が1枚あります。
これは、2次元のものではなく、紙の厚み(0.0002ミリ)がありますので、3次元です。
しかも、正確な立方体ではない。
ということは、数学は、現実には、存在しないことになりましょう。
数学的に計測する時間も、空間も、僕らが実人生を生きることにおいて、一つの基準にはなるだろうが、
信仰するに足らぬものであることが分かるでしょう。
次に、「富」「貯蓄」という感覚です。
これも、全く、信仰の対象にならないことは、明らかです。
なぜなら、僕らは、突然、死ぬからです。
そして、「縛られない」という言葉にも、誤謬(あやかし)があります。
時間も、空間も、不確かですが、そうであるから、ひとりひとりの「現在」があります。
現在は、「刹那」ではありません。
「思い出」も「悔恨」も「恨み」も、「今」です。
僕らは、今しか生きられない。
過去も、未来も、僕らには保証されていない。
このレビューは気に入りましたか?
2人の会員が気に入ったと投稿しています
ユーザーレビュー
”新作”
投稿日
2015/06/22
レビュアー
まみもぉ
ようやく続々とレンタル開始。”新作”の赤文字が嬉しい。
『サクリファイス』から遡って再見してみた。
映画に興味なかった遠い遠い昔、タルコフスキー作品に夢中になってしまったワタシが愛おしく思い出されました。
なかったらよかった偶然の出会いダントツの一等賞は今も変わりないけど。
観て思った。やっぱり映画じゃない。彼が描いてるのは詩画。映像でなく詩像。
それが、そこがよかった。真に美しい。
とどまらず滴り落ち続ける水の水滴の一滴がイコール、一コマ。それが流れる。
映画の魅力は動いているからなんだと再確認した。
年齢重なった今なら『サクリファイス』が一番、しっくり浸れるかなと思ってたのだけど、
一番は変わらず『鏡』でした。冒頭のマルガリータ・テレオワの”美”は極まってる。
そこへ風が来る。
言葉を詩篇を葉に変えて揺らし、こちらへ伝えてくる。それは本では紙面ではできない。
画面、スクリーンがあってこそ。
観ながら、このまま昇天したくなった。
大好きな洗髪と鶏のシーンは何度観ても恐い。
恐ろしくて、でも、ゾクゾクでなくワクワクしてくる。その感触が初見から好きだった。
『ダーク・ナイト』のジョーカーに会ってからそのわけがなんとなく解った。
自分の中のアクマ応援欲求がうずくんだと。
今はかなりそのワクワク度UPしていて、生きてるうちに思い残すことなく...
...などと屁理屈の加勢のまま行動してしまいそうで、理性を盾に踏ん張らねばと思った。
タルコフスキー作品。ご覧になったことがないのでしたら、レンタルされている8作品中でおすすめは『僕の村は戦場だった』です。
そして『ストーカー』...。
なによりこれら「新作」に寄せられたレビューがどれも素晴らしい。
ディスカスさんから離れずくっついててよかったと思いました。ぜひ、いっしょに鑑賞してほしいです。
無意識の「時間」と、哲学された「とき」の違い
投稿日
2015/05/03
レビュアー
ちゅく
「鏡」(1975)
この映画は、タルコフスキー監督にとって、特別な作品です。
いろいろな意味で。
@ この作品で、タルコフスキーの「映像のポエジア」がはっきりした。
ストーリーではなく、今見ている像と音を発見するためのものであること。
映画は映像であるが、遙かに「時間」との関係が深い。
母が髪を洗う場面。
空中浮遊、落下、浮揚。
家の前から見下ろす草原を渡る風。下がっていく。上がってくる。
そこを登ってくる、黒い小さな男。
美しい母の解体・懐胎。
家の火事。乏しい水。
走り去る馬。
シャガールの絵のようである。
絵にあるのは、物差し、時計で測れる数値ではない。
タルコフスキーには、進化した(ベルグソンのように哲学された)時間がある。
時間というものは、計測できないのである。個別の時間は、「とき」という人格なのだ。空間を含む記憶が「とき」なのだ。
A 彼が、ソ連で映画を作れなくなる原因になった。
問題視されたのは、この「鏡」の私小説的な部分ではなく、物語の崩壊であるとする。
当時のソ連の検疫は優秀な批評家であったといえるだろう。
この映画を「批判」したのは、ソ連の映画作家の守旧派であったろうが、嫉妬もあったろう。
B 映画の手法の再構築と実験
この映画は、構造をもっている。
5楽章形式の交響曲のようである。(交響曲は4楽章であるが)
脚本、フィルム、撮影(カット割り、カメラの動き)
音(音楽がない映画、音響だけの映画)。
知り得る限り、すべてのことを試しているようだ。
ソ連という国は広い国家であったが、こんなことがあったということを
しっかり書いていると思う。
いろいろな映像フィルムを使って、多角的に書こうとしている。
ソ連そのものを描こうとしたら、ソ連の矛盾に達せざるを得ないところまで行った。
これは、ソ連最高の芸術映画ではなかろうか。
ショスタコービッチ(1906〜1971)の問題。世代は異なる。
彼は、プロパガンダ作曲家でもないし、民族音楽家でもないし、ソ連の作曲家でもな。
かれは、最後に、「ミケランジェロの詩による組曲」を書いた、正真正銘の現代音楽家であった。
ショスタコービッチはソ連に留まり、タルコフスキーは出た。
しかし、二人とも、ロシアの芸術家であったことは間違いないのである。
映像の悪魔的な魔術師
投稿日
2015/10/20
レビュアー
カマンベール
ハッとする映像に満ちている。
マリアが髪を洗って顔を挙げると、高い天井の漆喰がハラハラと剥げ落ちてくる。
懐妊したマリアが宙に浮かぶシーン。
一人二役(母親と妻役は同一)(少年時代の作者とイグナートも同じ俳優)
カラーとモノクロが渾然と混じり、
唐突に原爆のキノコ雲、毛沢東、ヒトラーの死に顔。
プラハの春・・・ニュース映像が流される。
そして、
アンドレア・タルコフスキーの声で『自作の詩』の朗読が、
何回も何回も、行われる。
個人的には、回想の少年兵時代の銃撃訓練のエピソードが面白かった。
少年のヒネクレようが、そして、教官と手榴弾のエピソード・・・
私は、どうしようもなくリアリストなので・・・こういうのが好みです。
鏡とは?
心の深層を魔術的手法で、鏡に映る像のように再現する→これがタルコフスキーの映画の基本・・・であるとか?
突然切り替わるイメージが面白く、観る度に、新しい発見が、あるのでしょう!
哲学された時間 「インターステラ―」を回想しつつ
投稿日
2015/05/19
レビュアー
ちゅく
時間は、まっすぐ直進していくものではなく、変転していくものです。
時間というものを、少し考えると、空間にも存在することが、わかるでしょう。
空間は、決して、空洞なものではない。
僕らが、今ある。と思っているのは、3次元の空間と言われている。
そこに、「確か」なものは、ない。
時間の一滴も、空間の一秒も、確かではない。
空間が「不確か」と思うのは、僕らが一方で信仰している、「時間」教の宗旨からの妄想にすぎない。「
「時間」という概念も、腕時計や携帯を放棄すれば、空間との関係が近しくなり、祖語に気づくだろう。
時間というものを、よく考えているな、と思ったのは、クリストファー・ノーラン監督。
「メメント」という映画。
「インターステラ―」という映画。
砂だらけの農家に、書斎があり、そこから本が落ちるのです。
それは、オルガンの鍵盤が鳴るように、落ちるのです。
昔、今、リルケという詩人の「秋」という作品を思っている。
「この手も落ちる」
その落下を受け止める手があるのだ、という詩を、彼は書くのですが、
これは、縦の時間です。
リルケが落ちる、と言った「手」を、過ぎると言ってもよいではないか?
「落ちる」も「過ぎる」も、人間がいかに、「空間的」にしか「ものを考えない」ことの証明であるでしょう。
「インターステラ―」では、6次元の発想が出てきます。
時間を飛び越え、空間を飛び越え、しかし、父も娘も、、神になりたい、わけでは、決してないのす。
これは、宗教ではない。
二人が会うための、ドラマなのです。
タルコフスキー監督の「鏡」を見ていると、ノーラン監督の「インターステラ―」を見ていた。
知の行き着くオーロラのような、ものかもしれない。
時間が、棒のように、まっすぐ伸びれば、宇宙は、すでに無いでしょう。
空間が、絨毯のように、ひらべったく敷き延べられば、宇宙は、すでに無いでしょう。
こういうことを、考えるのは、幸福なのです。
今、自分のいる「場所」や「時間」が、人間によって規定されたものとは、全く違うものごとであれば、
不安よりも、それは、面白いことではないでしょうか?
僕らは、棒のような、一方通行の時間に縛られている。
あるいは、落としたグラスが割れたまま永続するという固定観念を疑うこともしない。
このパソコンをキーボードをたたく指さえ、今、まっすぐに消える。
今 タマネギの芯
投稿日
2015/09/19
レビュアー
ちゅく
昨日、夜中に眼が醒めて。
夢のなかで考えていたことが、美味だったので、起きて、「淡路島のタマネギ・スープ」を飲みました。
この顆粒は、濃縮されていて、不自然だ。
甘いが、塩辛い。
生のタマネギを、もっと美味しく料理にしたい。
刻むでしょ、炒めるでしょ。
「あっ」
「フライパンに油ひいてないやん」
これが第一の夢。
第二の夢は、玉ねぎの芯に生まれたら、ということでした。
自分は、すぐ取り除かれ、排水溝に流れ、鼠くんに食われ、本望だが、
「痛いよ」の「よ」で、ハッと覚醒。
第三の夢は、点というゼロ次元が、現実にはあり得ないという夢でした。
円錐があります。
底が円で、頂点が点です。
数学の問題集で、この3次元の円錐の体積を求めよ、というのは、あります。
底円の直径と、推の高さで、正円錐は立ちます。
しかし、現実には、頂点の「点」も、底の「円」も、「線」も存在しません。
数理論上では、数値(底円の直径、円錐の高さ)を入力すれば、PCの画面では、成り立つ。
そこで、シュミレーションを行う。
それは、仕方がないことです。
円錐のデータを、3Dプリンターに送ります。
それを手に取ると、純粋な円錐ではないです。
どんな材質でも、点(ゼロ)は、物質的に存在しないのです。
今、僕の目の前に、「B5」サイズのコピーー用紙が1枚あります。
これは、2次元のものではなく、紙の厚み(0.0002ミリ)がありますので、3次元です。
しかも、正確な立方体ではない。
ということは、数学は、現実には、存在しないことになりましょう。
数学的に計測する時間も、空間も、僕らが実人生を生きることにおいて、一つの基準にはなるだろうが、
信仰するに足らぬものであることが分かるでしょう。
次に、「富」「貯蓄」という感覚です。
これも、全く、信仰の対象にならないことは、明らかです。
なぜなら、僕らは、突然、死ぬからです。
そして、「縛られない」という言葉にも、誤謬(あやかし)があります。
時間も、空間も、不確かですが、そうであるから、ひとりひとりの「現在」があります。
現在は、「刹那」ではありません。
「思い出」も「悔恨」も「恨み」も、「今」です。
僕らは、今しか生きられない。
過去も、未来も、僕らには保証されていない。
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