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我々の物語は、太宰治の小品【葉桜と魔笛】を原案に、理想を象り加速度的に連想される登場人物たちの精神作用を示すものだ。未成熟なまま不治の病を抱える少女、和歌子。小説家への夢を持ちながら少女を懸命に介護する姉、登史子。和歌子を慕い恋文を送る詩人志望の青年M・T。そして青年の友人たち。登史子からの日記形式のファンレターから取材し【葉桜と魔笛】を創作する太宰。かれらは凸所である舞台世界において独立し、さらなる空想を広げ、すれ違い、打ち解け、崩壊し、やがて物語の定型的必然を無効化するであろう。イエスとユダの役割は存在意味において聖書上、完全に交換可能であるという。聖書を熟読していた太宰治はなにを思うか。純粋なる思考で創作をすること、社会に徳目した生活に対し背を向けてしまうこと。【晩年・人間失格】で太宰みずから予告した自死をやがて受け入れたこと。また同様に、聖書にある預言の通り、イエスがユダに投げかけた『裏切りの預言』をユダは受け入れ実行し主を裏切ったこと。「かならず人のそしりはまぬかれない」。それは避けることかなわぬ寄せる大浪だったのか。なぜ受け入れるのか。ユダはイエスがその裏切りを、奇蹟を得、乗り切るのだと信じ、試したのか。上記の物語と我々の物語とは根を同一にして<和歌子>と<青年M・T>あるいは<登史子>と<太宰>の役割は凸所の狭間において、不可能性のパラドックス をくぐり抜け完全に交換可能である。そして<青年M・T>の凸所での存在は凹所である<和歌子>の『美のイデア』を象った夢である。我々の物語に構築するロマン的世界は、凸所にある現実との拮抗状態に置かれ、原則的に<和歌子>と<青年M・T>との絶対的な合一を目指している。だが <和歌子>の夢は、彼女自身の死の観念によって地上的なものに頽落させるのだ。それは『美のイデア』という豪華な晩餐が、テーブルを傾けるだけですべて、 こぼれ落ちてしまうように、儚い。<和歌子>と<青年M・T>、そして<登史子>と<太宰>。このような純粋思考の人間が喜び、苦しみ、行き詰まることほどの、人生の完成はない。※観劇三昧提供作品