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1969年、トリノ。9歳の少年マッシモは、不可解な状況で突然、母親を亡くしてしまう。数日後、マッシモは父親に連れられて、司祭の元へ行き、母は天国に行ったのだと説明を受ける。しかし、彼はその説明を受け入れることができず、拭いされない喪失感に苛まれるのだった。1990年、マッシモはジャーナリストの仕事に就いていた。母親を突然に失った出来事は、今でも彼の心を苦しめている。両親が暮らした家を売ることになり、その準備をする中で過去を思い出し、マッシモは再び悩み始めるのだった。そして、女医のエリーザとの運命的な出会いを通じて、傷ついた少年時代に向き合っていく─。
母の死因を30年以上理解していなかった(それを知って事実と向かい合うことで再生を図るというのが物語のオチ)というのは、いくらなんでも無理がある。と言うか、死因が自殺だったことを理解した上で、なぜ母は愛すべき自分を捨てて自ら死を選んでしまったのか、その母の意思と無力な自分との葛藤で30年以上悩んだという設定の方が、よほど納得できるストーリーだと思う。最終番に至るまでのストーリーそのものは、どの場面もよく練られていて印象的。だからこそ、余計に死因の理解(無理解)が大きな意味を持つという設定に違和感大。各場面の美しさと、思春期の主人公や女優陣の頑張り&ルックスが好感度高いので、星は甘め。「甘き人生」だしね。
。さて「3つの心」で はじけたジャコ爺 こちらはシリアスか
ツィストを踊る 仲良しママと僕 ポップミュージックの甘き なのか
唐突に訪れる 最愛のママの死! 母の死を否認する僕ちゃん
ママの死の原因は? 狂気のテーマへの回帰か?
奇妙な幻影 怪人ベルファゴール お前は誰だ 無表情なTV好きの家政婦は
当然 ママの代役は出来ない どうゆう展開なのかなあ 子供の成長はごく
自然で みんな似ている 大人の主人公もおっさん顔ながら面影ありね
あら エマ ドゥヴォス客演か こちらはロック 音楽が物語に寄り添う
サッカーは普通に好きになって 新聞記者か何かになっている主人公
90年代に入って 南妙法蓮華経w 小銭こそが実態と嘯く大富豪の自死
音楽はいよいよテクノトランスへ そう来なくちゃ 舞台はサラエボへ
ここはいささか わざと臭い
この原作本ありの それは微妙だね イーストウッドも そこに逃げてるし
物語の細部の熟練のうまさで魅せるわけよね まあ面白いけど 今作は
狂気のテーマを ちらりとほのめかしながら メランコリーへと退行して
いる ま ジャコ爺も年なのよ 灰汁の強い事はやらないよ
母 : ああ 麗しいデスタンス つねに遠のいてゆく風景 (吉田一穂)
もうひとつの「ブレードランナー2049」なのね
イタリアの巨匠マルコ・ベロッキオ監督最新作。
母親の死を30年間、引きずる男が、遂に死の真相を自ら向き合い
乗り越え歩み出す文芸作品です。
1969年トリノ。9歳のマッシモは突然母親の死を告げられる。
・・・・彼には決して受け入れられないことだった。
1996年サラエボ。ジャーナリストとして取材する彼は、一つの光景を
心に刻む。それは殺されたイスラム教徒の母親の側で無心にテレビゲームに興ずる少年。しかしその光景には演出がある。
死体の側にわざわざ少年の椅子を近づけて一つのフレームに収めるという加工がなされている。
このワンシーンは皮肉なことにこの映画では、唯一血の通った衝撃を与えるのだから・・・。
そして場所はローマへ移動する。
サラエボから帰り、心の整理のつかないマッシモ(30代半ば)は、
戦争後遺症か?パニック障害を起こす。
そして医師のエリーザに処置してもらい、心が通う心地良さを感じる。
1999年、父親も亡くなり、母親の遺品を整理するマッシモは、
叔母を呼び出し遂に母親の死の真相を聞き出す。
真相に触れるマッシモ。
そこまでに30年の月日が必要だったとは?
母親の死とはかくも少年にとって乗り越える事の困難な重いもの。
そしてエリーザの言葉。
マッシモは、遂に解放される。
有名なイタリアのベストセラー小説だそうです。