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桑畑兆吉(仲代達矢)は、舞台、映画にと、役者として半世紀以上のキャリアを積み、さらに俳優養成所を主宰する大スターだった。芝居を愛し続けた、かつてのスターも、今や認知症の疑いがあり、長女・由紀子(原田美枝子)とその夫であり、兆吉の弟子だった行男(阿部 寛)、そして、由紀子と愛人関係にある謎の運転手(小林 薫)に裏切られ、高級老人ホームへと送り込まれる。遺書を書かされた挙句にだ。しかし、ある日、兆吉はその施設を脱走する。なにかに導かれるように、あてもなく海辺を歩き続ける。シルクのパジャマ姿にコートを羽織り、スーツケースをひきずって-。兆吉は彷徨い歩くなかで、妻とは別の女に産ませた娘、伸子(黒木 華)と突然の再会を果たす。兆吉には、私生児を産んだ伸子を許せず、家から追い出した過去があった。伸子に「リア王」の最愛の娘・コーディーリアの幻影を見た兆吉。兆吉の身にも「リア王」の狂気が乗り移る。かつての記憶が溢れ出したとき、兆吉の心に人生最後の輝きが宿る-。
前回レビューして以来、またまた、この映画について考えていました。俳優陣はとても豪華なのに、一体何が私には不満だったのだろうか、すごく気になったのです。
例えば、主人公が束の間正気に戻って、海辺でリア王を演じる場面、映画らしくフラッシュバックで、満席の劇場で実際に演じている場面を重ねてはどうかと思うのです。すると過去の栄光と現在の境遇とが視覚的に際立って、リア王の末路とも重なり、より悲劇的に感じたかもしれないと思うのです。低予算で作りました感が否めない映画も、少しはゴージャスに感じられたかも。映画なのだから、言葉よりももっと映像で語るべきかと。だからといって、パジャマ姿で歩き回るだけでは退屈です。
もっとも、この映画のねらいは、全然違うところにあるのかもしれないですが…。
表現のジャンルを間違ったのではないだろうか。舞台劇なら、仲代達矢の存在感と演技力で、ある程度成功したかもしれないが、アクションのほとんどない、長々と独白の続く台詞劇なぞ、映画では退屈なだけだ。映画向きの素材だとはとても思えない。
認知症の親を設備の整った施設に入所させることを、親を捨てたなどと安易に言ってほしくない。簡単に抜け出して、彷徨い歩くのは、施設の責任ではないのだろうか。この状況で、登場人物をほぼ家族だけに限定して互いに非難し合うのは、映画としては不自然だ。それに普通なら玄関前に置き去りにしたりはしないだろう。
リアの悲劇を際立たせるのは、コーディリアの清廉さと勇敢さなのだが、伸子ではその魅力がない。自立する覚悟も、子どもを育てる覚悟もなく出産して、自分を追い出した異母姉夫婦が悪いとなじるのは、筋違いというものだ。確かに姉たちは決して優しいとは言えないが、自分自身も計画性がなく無責任だったとは思わないのだろうか。
『リア王』の偉大なる遺産を、思い付きで借用しないでほしい。とても情けない。