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人生に迷いながら、単調な日々を送っていた美佐子(水崎綾女)は、とある仕事をきっかけに、弱視の天才カメラマン・雅哉(永瀬正敏)と出逢う。美佐子は雅哉の無愛想な態度に苛立ちながらも、彼が撮影した夕日の写真に心を突き動かされ、いつかこの場所に連れて行って欲しいと願うのだった。命よりも大事なカメラを前にしながら、次第に視力を奪われてゆく雅哉。彼の内面を見つめるうちに、美佐子の中の何かが変わりはじめる。
「映画音声ガイド」という仕事が、この映画の「影の主題」です。
ほとんど視力を失ったカメラマン中森雅哉(永瀬正敏)と、音声ガイドの仕事に就いた若い女性、尾崎美佐子(水崎綾女)のラブストーリーと言うより、もっと深い「人間の支え合い」を描いた作品だと思います。
映画を視覚障害者の方たちは「音だけで映画を観る」訳です。
私も一度目は普通に「音声ガイド無し」で観ました。
そして二度目は「音声ガイド付き」で観てみました。
ガイドを聞いて、見落としたところがあったのです。
中森が転倒してカメラを奪われるシーンに、中森は犯人の足元の赤いスニーカーを見ていたのですね。
そして転倒した路に広がっていた白いものは「吐瀉物」だった。
気が付きませんでしたね。
そのように「音声ガイド」は意外にも見落とした所、風景描写なども詳しいのです。
永瀬さんの演技は本当に素晴らしい。
諦め、焦燥、怒り、甘えそして「信じられる人」を得た安らぎ・・・
人間としての確かな「自信」までもが、細やかに伝わってきました。
しかし暗い見えない人の視点から、ボヤけたり、暗転したりしてるところと、天に向かってスックと伸びる杉の木の美しさや、夕陽そして海や砂浜の光景との落差・・・それが健常者の見えている世界が、
視力障害者の方には見えない・・・と言う現実をあからさまに伝えているのです。
いくら言葉で情景や色の質感、手触りを伝えても、どこかもどかしい、
物足りない、伝えきれない。
この映画は、もう一つ「音声ガイド」を付ける映画、つまり映画の中に「もう一つの映画」があるのですね。
藤竜也が演じる妻を介護する老人の映画です。
「音声ガイド」に比重を置くあまりなのか、中森雅哉と尾崎美佐子の
ドラマに、凄く胸打たれたか?感動したか?と聞かれたら、そこまでの
感動には至らない自分がいました。
感興を妨げているのは、ドキュメンタリータッチのせいなのかも知れません。
美佐子が仕事として携わる音声ガイド。
作品のありのままを伝える事に、総力を尽くすやりがいの持てる仕事。
彼女の視覚に届く光の映像、作品を余すところなく聴覚に聞き入れやすく、
創造の世界へと導こうとする思い。
彼女にとって私生活、現実の世界が光の反映による視覚が彼女を現実逃避に
漂わせている。
彼女が創り上げる仕事、反対に私生活を受け入れる事に疲れ現実逃避にはまる
対比が見事に描かれていると思います。
カメラマンが失う光が映し出すもの、生きる意味を失う事なのかも知れません。
それでも生きてゆくのです、映画作品の音声ガイドに協力している人々のように。
誰かが誰かの役に立っていける。
親子でも、友達でも、恋人でも、知らずに知らないものどうしでも。
光はひかり、光が映し出すものは視覚に訴えますが、その他の感覚が光として新たに
再認識させてくれるのでしょう。
この作品を観て、私が感じたこの作品への想いでした。
映画の音声ガイドをやっている主人公が、かつて天才カメラマンと言われた男が視力を失い「光」を失っていく中、主人公も変わっていく話。
。主人公の仕事が映画の音声ガイドというもので、その仕事自体の面白さもあって見ていて楽しかったです。バリアフリー上映とかで流れる音声ガイドがここまで推敲に推敲を重ねて作られているんだということを知ることができました。
音声ガイドの仕事をしている主人公は母親との関係も描かれて、生き方に光を求めて。カメラマンは文字通り物理的な光が失われていく。主人公に対してストレートに批判の言葉を投げてくるカメラマンも不安に襲われていって…。
視覚障害者の方たちが目で見るのではなく心で映画を見るということを教えてくれて、道に迷うことはあっても光は見つけることができるのだと見終わって心が洗われる映画でした。