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その日、フィロミナは50年間隠し続けてきた秘密を娘のジェーンに打ち明けた。1952年、アイルランド。10代で未婚のまま妊娠したフィロミナは家を追い出され、修道院に入れられる。そこでフィロミナは男の子を出産するが、彼が3歳になったある日、修道院は金銭と引き換えに息子を養子に出してしまう。以後50年間、我が子のことを想いつづけた母のために、元エリート記者マーティンは息子捜しを助けることに。全く住む世界の違う2人の旅が始まる―。
1950年代のアイルランド。たった1度のセックスで妊娠してしまったフィロミナは、修道院送りになり出産。
息子と会えるわずかな時間を楽しみに、過酷な労働に耐えていたが、彼女の知らない間に息子は養子に出されてしまう。
50年後、フィロミナ(ジュディ・デンチ)は、職を失ったばかりのジャーナリスト、マーティン(スティーブ・クーガン)の助けを得て、
息子を探すために渡米する。そこで彼女を待ち受けていたものとは・・・。
「事実は小説より奇なり」とは本当なんだなとつくづく思いました。こんなことが本当にあったとは!
アイルランドの修道院といえば、やはり「マグダレンの祈り」を思い出しますが、
この映画でもたくさんの若い未婚女性たちが修道院に収容されて、
「誘惑に負け、快楽に溺れた」罪をつぐなうため、きつい労働をさせられています。
まずなによりも胸を打たれたのは、フィロミナの息子を思う気持ちです。
彼女は50年間、胸の中で息子が成長した姿を思い描き続けてきた。
探し当てた息子がゲイだったということを知らされても、フィロミナは全く驚かないのですが、その理由を聞かれて
「あの子はとても繊細なところがあったから、そうだろうと思っていた。」
1日のうちたった1時間しかないわが子との時間を、ほんとうに慈しんでいたのでしょう。
そんな彼女を見てると、とてもせつなくなってしまいました。
翻って自分の子育てはどうだったのかと思うと恥ずかしくなります。
フィロミナとマーティンのやり取りがとてもユーモラスなのもよかった。
知識や理論で頭でっかちなマーティンに対して、教育のレベルは低いが純朴で暖かなフィロミナ。
フィロミナが読んだ本(ハーレークィーン系?)の話を延々とするシーンや、
「息子がこうなってたら??」と話すところは、シリアスな内容の映画なのにくすくす笑ってしまいました。
そして終盤の展開は邦題から想像するような涙の感動ものでは全くなく、
宗教ってなんなのか?人が人を赦すってどういうことなのか?と考えさせられました。
親の了解もなく子供を売り飛ばし、証拠書類を焼却してしまった修道院。
普通なら絶対に許せないと思うだろうのに、フィロミナは決して修道院を悪く言いません。
それは幼いころから受けてきた宗教教育の賜物なのですが、それは果たして正しいことなんでしょうか?
「快楽におぼれた罪は決して赦されない。」とシスターは言いますが、純潔を神に捧げることがそんなに偉いことなんでしょうか?
パンフによれば、ご本人もカソリックから一時離れた時期もあったそうですので、
きっとかなりの葛藤があったのだろうなと思います。
フィロミナの息子とともに、養子に出された女性が少しも幸せそうではなかったのですが、
一体どんな人生だったのでしょう。原作を読んでみたいなと思いました。
ハートウォーミングでのどかなストーリーを予想していたので、思った以上に社会派的な映画で驚いた。しかも実話。
決して直接的にではないが、カトリック教会や政界、ジャーナリズムといったエスタブリッシュメントの偽善に対して皮肉たっぷりだ。
そういった周囲の虚飾と、誰を恨むことなく50年にわたってひたすらに別れた息子のことを想い続けるフィロミナの素朴な純粋さとが対照的だ。
教育を受ける機会に恵まれなかった敬虔で天真爛漫な老婦人と、高学歴で教養があり一流メディアの敏腕記者でありながら挫折して無神論で皮肉屋のマーティンとの意外性たっぷりな迷コンビぶりも面白い。重い主題を簡潔に軽くコミカルに描いていて、むしろスマートだ。最後のロスクレアでの衝撃的な結末がより一層胸に迫る。
カトリック教会の信仰の裏側にある悪意に満ちた欺瞞は許しがたい。神の御名のもとに罰として人に苦痛を与え続けて平然としている赦しのない信仰とはいったい何なのだろう。
1952年、アイルランド。18歳で未婚の母となったフィロメナは親から強制的に修道院に入れられ、3歳になった息子のアンソニーはアメリカに養子に出されてしまう。それから50年後、イギリスで娘のジェーンとともに暮らしていたフィロメナは、手離した父親違いの息子の存在をジェーンに明かす。ジェーンが偶然知り合ったジャーナリストのマーティン・シックススミス(スティーヴ・クーガン)と共に息子探しの旅に出たフィロメナ(ジュディ・デンチ)は、アメリカの地で思いもよらぬ事実を知ることになります。
題名からして、センチメンタルな映画のように思えましたが、当時の修道院の、暗部に切り込んだシリアスな内容を糾弾するような社会派映画として描かれることもなく、純真な少女のまま年を経たような信心深いフィロミナと、彼女の息子探しを手伝ってキャリアを挽回しようとする、元エリート記者のマーティンという、対照的なふたりの掛け合いが英国流ユーモアを挟みながら笑いを誘います。
ジュディ・デンチは「007」のM役がイメージに付いていましたが、飄々としていて、可愛らしく幅広い演技を見せてもらいました。
息子アンソニーの行方を追ううちに、過酷な事実とサスペンス的な要素も加わって、引き込まれました。
そして、彼らが辿り着く地はショッキングでした。事実が明らかになるにつれて、彼女のぶれない姿が素敵です。
本来憎むべき人物に対してフィロミナは怒りを抑えて接します。
ラストのフィロミナの選択は、あまりに気高く、慈愛に満ちています。それを赦すフィロミナはキリスト教者を超えて、人間愛の理想型ですね。
圧倒されるほどの寛大さと同時に、とても身近にも感じさせる存在です。
田舎主婦と元エリート記者の掛け合いに笑い、過酷な事実と母の愛に胸を突かれました。