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戦国武将・織田信長の妹・お市と武将・浅井長政の長女・茶々。浅井長政が織田信長に攻め滅ぼされた後、母と二人の妹たちと織田信長の重臣・柴田勝家の元に身を寄せた茶々だが、羽柴秀吉に攻められ、母は勝家と共に自害。秀吉の囚われ人として暮らす三姉妹だったが、妹たちは嫁ぎ、残された茶々は昔から彼女のことを見初めていた秀吉の側室となる。茶々にとって秀吉は両親を死に追いやった憎き仇で復讐の意を決していたが、無邪気なまでに自分のことを愛する彼の心情に触れ、その世継ぎを生むのだった。やがて秀吉は死に、天下の趨勢は徳川家に有利になるが、茶々は世継ぎである秀頼と小督の娘・千姫を結婚させ、徳川との関係を深めることに成功する。だが、それから10年後。ついに兵を挙げた徳川の大軍は豊臣の牙城・大阪城を包囲するが、茶々と秀頼は徹底抗戦を挑むのであった・・・
SEX回数の多い男性は、精子の密度も希薄になる一方、人間の生態系が危機に瀕していると躯は感じ、遺伝学的にもより強固なX染色体を多く持つ女児が生まれる割合が増すとのこと。
なるほど、世継ぎが欲しくて毎夜毎夜、側室との“まぐわい”を重ねていた秀吉に、女児が多かったのも頷けるのですが、ならばなぜに淀殿(茶々)だけが、二度も男児を孕むことができたのか・・・。
そこに、愛人説、ひいては『秀頼の実父は石田三成説』が生まれてもきたりするんですよね。
実際の秀頼は、今で言う可成りのメタボリック症候群で、見た目は“うつけ者(愚か者)”であった反面、実際は可成りの“切れ者(賢者)”であったとのこと。だからこそ徳川の世(幕府)を盤石にせしめんとする家康にとっては、自らの目の黒いうちに、何としてでも葬っておきたい強敵でした。
ために、家康に二度の大阪城責めまでさせたという歴史が語るように、その秀頼を育て上げた淀殿(茶々)も、可成りの教育者であり、才媛であったと推測されます。
そのような女性の伝記が、こんな安っぽい内容で終わっているのが、どうにも解せません。
今回の映画『茶々 天涯の貴妃(おんな)』の脚本は、高田宏治さん。
そう、古くはあの五社英雄監督による、夏目雅子主演作 『鬼龍院花子の生涯』にて、「舐めたら、舐めたらいかんぜよ!」の名台詞を産み出し、ふた昔前なら、粋な女を描かせたら右に出る者がいないほどの名脚本家だったのですが、今回は正に駄作に終わっています。
時代劇を幾つも書き上げている“慣れ”が産んだ“新たな探求のない小手先の知識による執筆”が、悪かったような気がします。
更に許せないのは、主演の茶々を演じた和央ようかの演技とメイク。
少女時代から、晩年まで、終始殆ど変わりないのは、元宝塚スターの意地と見栄!?『女優』として評価されたいのなら、そんな昔の栄誉など、捨てて役柄に専念して下さい!
秀吉のバックアップがなくなった幼少期から、家康が恐れるまでに秀頼を育て上げた女の顔に、皺の一本や二本、シミの三つや四つがないわけが、ないじゃないですか!!
子育てとは、そんな生易しいものではありません!しかも群雄割拠の戦国時代に“君主”を育てようとしたのですから!!
この映画の出来を一言で言えば、CGや制作費には金をかけても、台本に入念に気を遣わなかった凡庸な監督が演出した『完全なる二時間ドラマ』。
和央ようか以外のキャスティングでさえ、惨憺たるもの。
後片付けが下手な主婦に、料理上手が居ないように、キャスティングが下手な監督に、良い映画が作れた試しがございません。
第一、これほどの波瀾万丈な人生を生き抜いた女の一生を、二時間で演出しようとするならば、どうしても内容が希薄にならざるを得ません。どこか一時代に絞り、もっともっと人間、そして女としての茶々の苦しみと心情、女性が共感できる新たな母親像を、描いて欲しかったと思います。
このレビューにはネタバレ情報が含まれてまっせ。作品をまだご覧になってへん方は読まん方が賢明でっせ(笑)。
「茶々」・・歴史好きの人であれば興味を持たない人はいない戦国時代、激動の人生を送った悲劇のヒロインである。それが映画になると聞いただけでこの作品を観たくなった。時代劇映画では取り扱われにくいキャラクター(時代劇に役としては度々登場するが主役というのはこれまでなかったと思う)やから主役として映画が作られると聞いたときはほんま嬉しかったし期待したんやけど・・。まず、作品を観て最初に思うのは「豪華絢爛」ということ。これは衣装しかり、甲冑しかり、セットしかりでいやでも豪華絢爛と感じてしまうようになってるんやけど、制作費が10億もかかっているのも納得やね。せやけど、その10億全く無駄にしたなぁって感じの作品に仕上がってるんですわ(泣)。豪華絢爛やけど中身がないねん。映画のタイトルは「茶々」なんやから茶々さんの人生を重厚に描かへんかったら誰もこんな作品観まへんやろ。監督の才能がないのか、脚本家の出来が悪いのか、個人的には監督の責任やと僕は思うてるんやけどね。脚本家は実績ある人やし、脚本を映像として具現化するのは監督の役目やから監督のイメージが悪すぎたということなんやろ、きっと。もう正直、「駄作」のレッテル貼らさせてもらいますわ。久々の大金使った駄作ですわ。最近の日本の時代劇映画はなんやまともなのがなさ過ぎると思うねんけどそう思うのは僕だけやろか?海外で作られた架空の日本時代劇の方が遙かに出来映えがいいなんてどないなってんねんって感じやわ。言わずと知れた映画「ラストサムライ」のことや。あんな重厚な時代劇を今の日本で作れないなんてなんか寂しいもん感じてまうなぁ~(泣)。これから日本の時代劇ってどないなっていくんやろ、ほんま心配ですわ。
さて、この作品で豪華絢爛さを感じた後に襲われるのが「ミスキャストやないのん?」という疑問です。まぁ、みんながみんなそう思うとは限らへんけど、僕はそうやった。まず主役茶々さんを演じた和央ようか。彼女宝塚出身らしいけど、その台詞回しから言われんでもすぐにわかる。しかも男役やってた人やっていうのがすぐにわかる。宝塚のことはあまり詳しくないけど、宝塚時代はスターさんやったんやろね、きっと。でも茶々さんいうのは誰でも知ってるように絶世の美女と歌われている人なんよ。何で男役やってた人がそんな役出来んねんな。普通に考えてだけでもおかしいってわかるやんか。誰やキャスティング担当したんは?気品と気の強さはさすがに男役だっただけあってうまく出せてたと思うけど、演技とその存在感が希薄で話しになりませんわ。宝塚の演技とちゃうんでっせ。宝塚の演技そのまんまやん。これには幻滅ですわ。これやったらまだ天海祐希の方が遙かにましでっせ。大地真央なら完璧や。経験不足は理解出来るけど完全なミスキャストと言わざるを得まへんな。主役がこれやから他のキャスティングも出鱈目で話しになってへん。織田信長役の松方弘樹、豊臣秀吉役の渡部篤郎、徳川家康役の中村獅童、はつ役の富田靖子、まったくキャスティングのバランスがとれてへんやんか。これじゃ、それぞれの演技のうまい俳優がそれぞれのシーンで力を発揮してしまうため、益々主役の経験不足が目立ってしまうやん。このキャスティングやと主役の和央ようかをフォローできるキャストになってないし、それが致命的となってしもてる。もう少し主役が経験不足だということを加味したキャスティングにしないと作品の主題がぼけてしまうやろ?だからこの作品を観たとき中身がなく薄っぺらだという感じを受けるんや。演技で光ってたんは小督(おごう)役の寺島しのぶと大蔵卿の局役の高島礼子ぐらいや。でもこの二人が目立ったらあかんねん。主役を喰ってしもてるんや。監督にはそれがわからんらしい。監督の才能疑うわ。
茶々さんの激動の人生に於ける人間ドラマを本来なら描かなあかんはずのこの作品やのに、必要ない所にお金と労力を使っているシーンがあんねん。それは大阪城爆破シーン。「これは怪獣映画か?こんなシーンいらんやん、大阪城は炎上したんやで!」と思わせるような違和感ありすぎるシーンは観るものを完全に引かせてしまう。秀頼が自刃せず出陣したり、淀さんが甲冑着て馬にまたがったり、あり得へんことだらけや。やりすぎやと思うし、必要ないやろ?茶々さんの人生描かなあかんねんで?どう考えてもおかしいし、監督の才能疑ってしまうわ。他にもおかしなシーンがぎょうさんあるんやけど、歴史の解釈は人によって違うしそれは理解しているつもりやけど、ここまでひどいと頭にきてまうわ。もうえぇ~かげんにしぃ~って感じやわ。
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本作は何度かテレビコマーシャルを横目で見た程度しか事前知識が無い状態で劇場で観たのだが、でもその分返って白紙状態で作品に臨むことができた。先入見がなかったせいか、始まってからしばらくの間、そう主人公である茶々(淀の方)の主人である豊臣秀吉が死去するまではオーソドックスに作られたなかなか悪くない作品だと感じていた。正統的に作られているからと言って誉めるのもどうかという気がしないでもないが、映画の原則を脳裏に入れていない落第未満の作品が余りに多いから、それだけでも及第点を上げたい気持ちになってしまう。
。がしかし、物語がいよいよ佳境に入る後半部分、すなわち茶々が秀吉の手厚い保護から解き放たれ戦国の世に自身で立ち向かわざるを得なくなってからは「悪くない」と言う前言をいとも簡単に取り下げ、一時でもそんな気持ちになってしまったことを取り消したくなるようなものになっていった。
前半部分は茶々がまだ信長の妹である「お市の方」と浅井長政(あざいながまさ)との間に生まれた三人娘の長女である頃から秀吉の死去直前まで描かれているのだが、数十年の出来事を一時間余りに描いているため間延びする余裕など無くとてもスピーディかつタイトに描かれている。さらには事実や事件の列挙を足早に描く方法ではなく、監督もしくは脚本家がキーとなると考えたエピソードに絞って描写しているため慌ただしさも余り感じない。その分史実とは違う部分や、重要とされる事件の選択に歴史的な観点からは疑問を感じないではなかったが、これは映画なのだからそんなことは全く問題にはならない。
一方後半部分は秀吉の死後に家康が台頭し、大阪冬の陣・夏の陣までの、前半に比べて短い時間の物語であるにもかかわらず、選び出されたエピソードは前半よりも更に少なく、間延び感が一層感じられてしまうような作りになっている。茶々の苦悩を中心とした(だらしのない)ドラマ部分が多いことにもよるのだが、本作のクライマックス(と監督が考えたであろう)大阪夏の陣(?)における無駄な戦闘シーンがこれでもかと続くことが作品が弛緩している最大の理由だろう。冬の陣と夏の陣とを意図的に混同しているのは時間的な制約から致し方ないと言えないことも無いのだが、その分場違いな殺陣のシーンや爆発シーンをふんだんに盛り込んでいるのだから言い訳などあったものではない。
監督である橋本一は劇場パンフレットのインタビューにおいて、「ただ天守閣がメラメラと燃え落ちていくだけでは今の映画として映像的に面白くない。それよりは茶々側が火薬を仕掛けて導火線を張りめぐらし、天守閣を爆発してしまうほうが、迫力がある」と、二千万円も掛けて作ったという大阪城の天守閣のミニチュアを爆発させるチンケで空虚極まりないシーンについて自画自賛しているが、テレビドラマ出身(『御宿かわせみ』がデビュー作)の底の浅さを痛感させられた。「映像的に面白くない」とか「迫力がある」などという言葉を易々と吐く人間に映画などを撮らせてはいけないのだ。