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家族、仕事に恵まれた歯科医アランは、ある日大学時代のルームメイトのチャーリーと偶然ニューヨークの街で再会する。学生の頃とあまりにも変貌した友人の姿に、愕然とするアラン。チャーリーは、あの“9.11”の飛行機事故で家族を亡くし、一人心を閉ざしていたのだ。アランはチャーリーの心を開こうと努力するが…。
9・11後のNYを舞台に、親友同士の心の交流を綴ったヒューマンドラマ。
もちろん9・11で妻と娘を失い、傷ついた男の喪失の話ですが、と同時に当たり前すぎて分からなくなってしまっている、人間同士の繋がり、人間一人では生きていけないんだと改めて教えてくれる話でもあると思います。
家族も皆元気で、歯科医という仕事も充実、さらに患者にまでモテてしまうというぐらい全てにおいて充実しているはずなのに、何故か自分の居場所を見つけ出すことの出来ないアラン(ドン・チードル)。むしろチャーリー(アダム・サンドラー)の自由な生活を羨むほど、自分でも気が付かなかった孤独、チャーリーにとってはちょっと贅沢な悩みですが、気付いた孤独と向かい合いながら、時にはそっと傍にいるだけで同じ時を過ごすことで心の支えになるんだという事を丁寧に描いています。
学生時代の親友を何とか助けようと模索しながら友情を発揮する物語は、過剰な演出もなく、押し付けがましくないので、かえって深い哀しみや痛みが静かに伝わってきます。
いつものコミカルな演技を封印したアダム・サンドラーは一見の価値ありですよ。
アダム・サンドラー演じる、チャーリーはあの9.11で妻子を失い、生ける屍状態、
一方、ドン・チードル演じるアランは仕事も家族も恵まれた状態。この2人がNY
で偶然に再会し、再び友情を育んでいくという話。
とにかく深く深くなによりも深い悲しみを背負っている男。当たり前のように周り
は早く立ち直れと、セラピーを受けろと勧める。当然と言えば当然だ。だけど、
その人たちが思うよりも彼の悲しみは深すぎた。彼は思い出したくないとは言っ
ていたが忘れたいわけではないのだ、NYを離れることもなく家族で住んでいた
家に住み続け、台所のリフォームを続け、人に聞かれることを拒み続けていただ
けだ。自分で向き合えるようになるまで。ひたすら繰り返していたわけだ。アラン
の存在がそのスピードを少しだけ早くしたのは紛れもない事実で、アランと仲の
いい精神科医の女医もひとやくかっている。ありきたりの対応するこれ以外の
人たちには心を開こうとするわけなどない。
そういう私もこの深い悲しみは到底わかることはなくただ彼の行動や発言に、
なるほど、そうだったのかと気づかされるたびに心が痛くなった。変な話だが私
はそこまで映画にいれこまないタチだ。いつもどこかで冷めて観ている。だけど
この作品は本当に素晴らしい、完全に入り込めた。いや、引きづりこまれたと言
ったほうが適切かもしれない。本当の悲しみを表現しきった映画がこれまでどれ
だけあっただろうか、秀作、紛れもない秀作だ。もちろん、ドン・チードルの演技も
あいかわらずの良さではあるが、アダム・サンドラーが凄すぎる。彼の作品はい
くつも観ているが、ここまでの役者だとは思わなかった。
エンディングもハッピーになり過ぎないところがまた素晴らしく、チャーリーの中
で何かが動き始め、何かが溶け始めたのは明らかで彼にはこれで十分だろう。
あとは時間の問題だろうから。私は「最近観た映画で何かいい作品あった?」
と聞かれたら間違いなく答えるだろう「再会の街で」と。
これはドラマとしては、かなりの良作だと思いますね。
。9.11で妻と三人の娘(あ、あとプードルも)を亡くした元歯科医・チャーリー・・・と言うと、思いっきりあざといような印象を受ける設定ですが、決して単なるお涙頂戴物語にはしていません。
アダム・サンドラーと言えば、「もしも昨日が選べたら」(この邦題、なんとかならんですかね)が印象に残りますけど、よくは知りませんが基本的にコメディの人でしょ?日本の役者や芸人もそうですけど、笑いをコントロール出来る人ってやはりスゴイのです。
演技で、人を笑わせることができれば、泣かせることなんか児戯に等しいのでしょう。
愛するものすべてを理不尽な事件によって失い、人とのコミュニケーションを拒むことによって、辛い経験を思い出さないようにする、なんとも切なく苦しい役柄を見事に演じきってますよね。ボブ・ディランに見えちゃいますけど(笑)
ドン・チードルもやはり良いのです。「ホテル・ルワンダ」で感動をもらった時から好きな俳優であるのですが、この作品でも流石の演技力です。
家族に囲まれて、歯科医という仕事でもそれなりに成功。地位も名誉もお金もありながら、そこに何とも言えない息苦しさを感じているアランという複雑な役どころをうま~く見せてくれます。この役をデンゼル・ワシントンあたりがやると、きっとイヤミに思えてしまうでしょうね(って、デンゼルも好きなんですよ~)
彼は、黒人でありながら成功者であったり、富裕層であるという役柄をやりますけど、そういう顔なんでしょうか?私には黒人は(いや、白人も)皆、同じ様な顔に見えるのですが、「高貴な黒人顔」みたいなものがあるんですかね?
大学時代、ルームメイトだったそんな二人が再会した・・と言うストーリーですが、どっちがいいんでしょう。やっぱり、息苦しくても家族がいる方がいいですよね。今、ぎくしゃくしていても、やり直せる、元に戻せる可能性はありますからね。チャーリーには、その可能性すら無いのですから。
まあ、絶望感、喪失感、孤独感・・どれを取っても他人が肩代わりすることは出来ませんけどね。
どちらも普通とは言えない二人が、再会することによってお互いを癒し、わずかながら希望を見いだしていく、ちょっとひねくれ気味のバディ・ムービーなのでしょうね。
チャーリーの家族が9.11に犠牲者であるという設定は、ある意味プロパガンダ的な臭いがして、正直好きでは無いのです。
ぴぐぽぐさんのように、
>普通に事故で、ということじゃダメですか?
と言うのは、けっこう多くの人が思うでしょうし、私もそう思ったのです。
けれど、チャーリーがあそこまで精神を崩壊させざるを得ないと言う意味では、必然性がないわけではないのですね。
仮にチャーリーの家族が交通事故で亡くなったとすれば、加害者が存在することが考えられます。そうすると、当然その加害者に対する怒りなどが生まれます。自爆事故で加害者がいないとすれば、それはもう諦めるしか無くなります。
ところが9.11の犠牲者というのは、誰に怒りをぶつければいいのか、誰を恨めばいいのか、はなはだ曖昧なんですね。ビン・ラディンなのか、アル・カイダなのか、彼らに言わせればそう言う行動を起こす原因を作ったアメリカという国なのか・・。
そして、ハイジャックされた飛行機に乗っていたとすれば、その遺体は、良くて酷い損傷、悪くすれば遺体の一部すら見つからないことも考えられます。通常の事故であれば、ある程度の損傷はあっても、別れを告げることは出来るのに対し、9.11の被害者だとそれも出来ません。諦めきれない思いばかりが残る事件だからこその葛藤が、チャーリーにのしかかり、それでも生きていくためには、自分自身の心のチャンネルを別の所、と言うか仮想現実に持っていくしか無かったという描写に繋がるのだと思います。
号泣というところまでは行きませんでしたが、じわーっと来て、様々なことを考えさせる、よくできたドラマです。ラストの方は、家族のあり方を再度見直そうという、まあありきたりな展開になってしまってますが、これ以上捻りを入れると更に長くなってしまうので(これでも長いと思います)仕方ないのかも知れません。
しかし、後味の悪い作品ではありませんし、機会があればご覧になることをお薦めします。