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2006年、硫黄島。地中から発見された数百通もの手紙。それは、61年前にこの島で戦った男たちが家族に宛てて書き残したものだった。届くことのなかった手紙に、彼らは何を託したのか。 戦況が悪化の一途をたどる1944年6月、日本軍の最重要拠点である硫黄島に新たな指揮官、栗林忠道中将が降り立った。 硫黄の臭気が立ち込め、食べ物も飲み水も満足にない過酷な灼熱の島で掘り進められる地下要塞。このトンネルこそが、圧倒的なアメリカの兵力を迎え撃つ栗林の秘策だった。最後の最後まで生き延びて、本土にいる家族のために一日でも長く島を守り抜けー。「死ぬな」と命じる栗林の指揮のもと、5日で終わると思われた硫黄島の戦いは36日間にも及ぶ歴史的な激戦となる。 61年振りに届く彼らからの手紙。そのひとりひとりの素顔から、硫黄島の心が明かされて行く。
クリント・イーストウッド監督が多くの人から愛される理由がわかったような気がします。
「お国のために」「死なないで帰るのは恥」という理不尽な“常識”をこれだけ忠実に描けるなんて。。アメリカ人には絶対に理解できない。そんな自分の中の先入観が崩れてきました。
もちろん文献などで大変勉強されたのでしょうが、それ以上に彼はきっと素晴らしい感受性の持ち主なのだと思いました。
それはこの映画を描くにあたり、敢えて興行的には大きな不利になる日本語で製作したという勇気にも顕著に現れている気がします。日本人の感情をよく掌握していると思いました。
キャストでは、堂々たる演技を見せた渡辺謙はもちろんですが、加瀬亮の上手さは突出していたように思います。二宮くんものびのびと演じてはいたけれど、どう見ても現代のやんちゃな若者。。もう少し当時の若者の言葉遣いなど勉強して臨んでほしかった。それに比べると、彼の傍らにいた野崎役の松崎悠希の演技は際立っていたように思います。
本作は、『SAYURI』で感じたようなジレンマを感じません。イーストウッドの凄さを改めて感じた一本です。
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色んな方がいらっしゃると思いますが、私はDISCASのレビューは他の映画サイトと違って、私のような素人でも素人なりに感じたままに書ける自由さを感じて、書き始めました。(ネットの書き込み自体が初めてです。ミクシーなんかも私にはすごく怖いものに感じてしまって。。)
1本の映画に対して全員が100%同じ評価や解釈をすることはないし、正解もないんだと思います。と同時に、自分と似た感覚の方はいても、100%同じではないし。。逆にいたら怖いし。。
色んな方がいて、自分と違う見方も参考になるし、自分と同じだとちょっと嬉しくなるし。。それがこのサイトの醍醐味というか。。少なくとも私はそう思っています。
あまり上手く言えませんが、ここからレビュアーの方が減ってしまうのはすごく寂しいです。。この声が届くかわかりませんが、私のように楽しみにしている人がいることを知っていただきたくて、書きました。。また戻ってレビュー書いてくださると信じてます。
感情がゆさぶられる部分と、だからこそ感じる違和感が、見終わったあとの疲労感になるような作品です。
クリント・イーストウッドは「硫黄島の星条旗」を映画化するにあたって、膨大な資料を読み、
「これは、両面からの視点による二部作にしなければ表現しきれない」
と感じ「父親達の星条旗」とともに「硫黄島からの手紙」を製作することを決めたそうです。
事実上の敗戦国である日本。当時の戦況から考えても、生きて帰ることはあり得ないだろうと思われる硫黄島に派兵される若者達。彼らは何を思い、何を感じ、行動していったのか?
本来ならば、この作品は日本人が作ってしかるべきなのではないかと思ってしまいました。
戦時下という異常な状況下でなければ、もしかしたらとても良い友人になれていたかも知れない、面識のない人間を、敵国の兵士であるというだけで、出会った瞬間に撃たなければならない。そうしなければ自分が撃たれて、死ぬ・・・。ロサンゼルスの名誉市民であったバロン西に対して、米兵が
「あなたは我々の友です。出てきて下さい」
と呼びかけます。旧知の仲であれば、銃を向け、撃ち殺すことに人間は当然逡巡するのです。冷静に考えれば、さっき撃ち殺した米兵も自分と同じように、国に帰れば家族がいて、皆に愛されているはずです。それがわからないほど戦争は、それに関わる人間の精神を蝕んでいくのです。
圧倒的な武力を誇るアメリカが攻め入ってきたとき、おそらくは、皆死を覚悟していたことでしょう。その中で、ひたすら生き抜くことを忘れない、人間であることを忘れないでいたいと思った人々の寂寞の念が痛いほど胸に突き刺さるようでした。
よくできた作品であることに間違いはないのですが、「父親たちの星条旗」に比べるとスケールダウンしているような印象は否めません。ポール・ハギスの原案ながら、アイリス・ヤマシタという日系の女性が脚本を担当したせいかもしれません。静かながら、強烈なメッセージを突きつけた「父親」に比べると、お涙ちょうだいになってしまった部分が見え隠れします。
栗林中将を演じる渡辺謙は、もうすでに風格すら漂わせるハリウッドスターですが、二宮和也がふわふわした印象で(事実、役の中でも立ち位置の定まらない、はっきりしない男なので、ある意味正しいのですが)弱いなと感じました。彼は倉本組で鍛えられ、いい役者になりつつあるとは思うのですが、吉岡秀隆の二番煎じというか、まだ芯が入っていないのでしょうか。(先日、ドラマグランプリの主演男優賞を獲得しました。TVタイプなのかもしれません)
硫黄島で戦い(何のために?)死んでいった若者達。家族への思いを書きつづりながら、届かなかった手紙・・。61年ぶりに届く手紙には、どんな思いが込められているのでしょう。
石原東京都知事が、この作品の撮影のために硫黄島の使用を許可したことに快哉!日本でこういう作品ができないモノでしょうか?
私は2部構成の「父親たちの星条旗」は奇跡に近い作品と絶賛した。もう一方の本作も大いに期待したが、見た後で意外に冷めてる自分に気が付いた。それは私が日本人だからともう一度気がついたが、それはある種の違和感が本作に有るからだ。例えば劇中で話す言葉が現代用語とか、使われてる食器が陶器製とか(当時はアルマイトが正しい)日本兵がネックレスしてるなど、ディティールが練り込まれてない気がした。いや、そんな事は些細な事と百も承知で世紀の駄作「パール・ハーバー」と本作が月とスッポンだとは十分は理解してる。
。でも敢て言いたい、この作品が米国の限界だと。本作が素晴らしい作品で、恐らく皆さんのレビューも賞賛の嵐で有ろう事は想像に難くない。しかし、私は敢て別の視点でレビューしたい。それは、本作は「本来」日本の映画会社が制作して然るべき内容だからだ。我が国はこの戦いでは敗戦国であり、それを戦勝国のアメリカが日本人に阿る形で制作された本作を見て、私は素直に涙できない。そもそも本作の舞台の「硫黄島」が地図上で何処に有るかも分からない日本人が大多数で有ると思うが、それは決して戦後の教育だけのせいでは無いと思う。勿論、制作したWarnerやClint Eastwood監督を批判や揶揄してる訳では無い点はご理解頂きたい。
もう一つのスッキリしない理由、それは日本では硫黄島以上に悲惨な激戦地が有る。そう、沖縄での地上戦だ。もし本作の舞台が沖縄だったら、私達は手放しで映画を観る気になるだろうか?。硫黄島の日本側の戦死者は凡そ20,000人。沖縄の戦死者は120,000人以上(うち住民は90,000人以上)なのだ。本作が反戦をテーマにするのであれば、沖縄戦こそ死者の数から言っても相応しいと思うのだが、本作の舞台は硫黄島。それは米国側からすれば無理からぬ事かもしれない。なぜなら、第2次世界大戦に於いて一般市民の虐殺を公然と肯定し、その容赦ない殺戮こそが米国のグローバル・スタンダード、それは現代のイラクの内戦でも何ら変わりない。そんな米国の卑しい部分を抉り出す事は、エンターテイメントの映画では更に難しい・・・。その意味でも対極の「父親たちの星条旗」は傑作だと思う。
つまり、アメリカ側から見ても、日本側から見ても、双方がお互いに納得できるギリギリの戦争映画の接点が「硫黄島」だったのではと思う。硫黄島には民間人が居ない事で(映画の設定では)リアルな戦闘シーンが存分に描けるし、戦争つまり人が死ぬ事を描いてる以上はある程度の描写は必要不可欠だからだ。本作は栗林中将をヒーローに仕立てた描写を敢て「削ぐ」事で、戦争のアイロニーとは何かを痛烈に描いてる、その視点は「父親たちの星条旗」と何ら変わりない。しかも日本軍が奮闘した史実に残る有名なシーンの数々を全くと言っていい程、本作は描いてない。それはまるで川中島の合戦が無い風林火山の様だ。それでいて日本軍の暗部もしっかり描くスタンスは、本作が決して「涙の感動ドラマ」でも無く、「スカッと爽やか」な戦争映画でも無い、Clint Eastwood監督らしいCoolな視点が秀逸だと思う。そして本作も「反戦映画」の体を成しながら、プロパガンダな語り口とは無縁のジャスティスな視線が素晴らしい作品に仕上がった極めて稀なケースだと思う。
本作は日本人と言うフィルターを通して、監督が伝えたいテーマを雄弁に、しかし淡々と語る、その「大人の」語り口が米国でも評価されたのだと思う。謙さんの演技は由に及ばず素晴らしいが、本作のテーマも鑑賞後にじっくりと味わって欲しい。そしてイラクの内戦状態の最中に制作された本作のアナザー・サイド「父親たちの星条旗」も是非観て頂きたい。その上で戦没者の霊に黙祷を捧げると共に「これから先」私達に何が出来るのか、と監督は日米の双方の国民に問うてるのだ。その意味でも「男たちの大和」で満足してる私達日本人は、今一度猛省しなければと思う。
監督が心血注いで制作し自国を非難した「父親たちの星条旗」は、談合の巣窟(笑)Oscarから完全に無視された。それでも監督は満足だろう。次は我々日本人が監督の労に応えるべきだ。私は謙さんが日本各地の学校で「硫黄島」について講演したのは、決して映画の宣伝が目的では無いと思うし、この映画は人を動かす「なにか」を日米両国民は感じ取っているのだ、と心の底から思うし今でも考えさせられる名作だ。
この2部作で監督は「父親たちの星条旗」をアメリカ国民に見せる事で改めて現在の政治プレゼンスに対して猛省を促したと言える。そして、我々日本人は戦後が未だ終ってない事を監督から教えてもらった。斯様に日米のシンパシーの違いを、お互いの国民同士が感じあう、映画を用いた極めて秀逸な世論喚起だと思う。Clint Eastwood監督、次は貴方が大統領に成るべきでは?。