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言葉の分からない空港で足止めされた男。1ヶ月目ーー仕事をみつけ、2ヶ月目ーー友人を作り、3ヶ月目ーー恋に落ちた。そして9ヶ月目ーーニューヨークに来た理由が明かされる…… ニューヨークJFK国際空港に降り立った東欧のクラコウジア人、ビクター・ナボルスキー。彼の祖国はクーデターによって事実上消滅し、パスポートも無効になってしまったため、帰国することも、アメリカに入国することも禁止されてしまう。行き場を失い、宛のない空港ターミナルでの生活を始めるが、彼はかけがえのない、果たすべきひとつの約束を抱えていた。
これも、歯医者で途中まで見て続きが気になって借りた1本。
祖国クラコウジアの戦争勃発、そのなんとも絶妙なタイミングで
JFK空港に降り立った男ビクターは、
入国不可、帰国も不可、パスポート没収で、
空港で足止めを食らうハメに。
こういう状況では実際どうなるのか知りませんが、
この映画では、特に米国が手を差し伸べる様子はなく、
ビクターは先の見えない空港生活に突入。
当局の対応待ちか、戦争終結を待つか・・・・。
・・・と状況的には悲惨なんですが、
トムハンクスのとぼけた演技と、
空港の人々のドタバタ&ハートフルエピソード、
CAアメリア(ゼタジョーンズ)との恋の行方も交えて、
くすっと笑えて、終わってみれば
地味なのに2時間があっという間でした。
序盤は英語の喋れないビクターと空港職員の
「かみあっていない会話」がかなり笑える半面、
こういうときに英語が出来ないと、ホント苦労するね・・・
と思った次第です。
そんなビクターですが、事情が事情だけに
空港の人にも顔が知れ、
朴訥でとぼけたキャラもあいまって、
徐々に人と仲良くなっていく様子がいいです。
英語も最初は全然ダメだったのに、
途中からはダメなりにノリで会話が成り立っている(笑
しまいには、アメリアを口説いている。
ああいう、度胸とノリだけで意思疎通が出来てしまう人、
実際にいますしね。
むしろ、それが大切だったりもします。
NYにやってきた理由が最後に明かされますが、
これまた純粋なキャラならではの理由で、
「そこまでするなら、行っといで!」と背中を押したくなります。
唯一の疑問は
クレジットカードは使えないのか?でした。
(必死に小銭を稼いでいたし、こっそり空港の仕事のお手伝いでもお金を少しもらっていたようなので)
ということで、良かったです♪
見るのが躊躇われていました。いや~とても面白かったですよ。しっかと、笑わせてもらえたし、ほろ~りと、心打つシーンもあって、なかなかなヒューマンドラマの仕上がりになっていました。見てよかったと、満足してます。お話の展開は、想像どうり。それでも、飽きさせない所が、S・スピルバーグ監督。色々突っ込み所満載ながら、空港そのものが、人類の坩堝であるアメリカそのものであり、今のアメリカの混乱までも感じさせます。ラストの展開には、ま~こんなもんかと、納得。この作品で、K・ゼタ=ジョーンズ、こんなに柔らかな、優しい演技もするんだな!と、驚きと共に感心しました。とってもカワイク見えて、びっくり。
10年ほど前に、仏映画で『パリ空港の人々』J・ロシュフォール主演作を見ましたが、設定やヒューマンドラマな仕上がりなど、驚く程似ています。お国柄の違いで、描き方は異なりますが、正直、びっくりする位。見比べてみるのも、面白いかも。
政変で自国の政府が消滅してしまい、自分の国に帰ることもアメリカに入国することもできず、JFK空港の中で暮らすことになってしまったビクター。彼が空港ターミナルで出会う様々な人たち、そして様々なできごと。登場人物のひとりひとり、おこった事件のひとつひとつについて、いくらでも語ることができそうな映画です。
911テロ以降、外国から入国しようとする人たちに対してとても厳しくなってしまったアメリカに対する、スピルバーグ監督の皮肉がこめられているのでしょう。けれども、アメリカでこの作品がそれほどうけなかったのは、アメリカ人の想像力の欠如だと思います。全く言葉が通じない環境に放り出されてしまったらどうなるのか、自分の言葉(英語)が世界中で通じてしまう彼らに、それを想像するのは難しいことなのでしょう。
スタンリー・トウッチ演じる空港警備主任が、まさにアメリカ人の代表です。相手が英語がしゃべれないことがわかっていても、ひたすら英語でしゃべり続け、相手が理解してくれたものと信じ込む。自分の都合で、主人公のビクターを逃がそうとしたり、絶対逃がすまいとしたり。空港で働く人たちがそれぞれいろいろな事情を抱えていることなど、彼には全く関係のないことなのです。
ビクターは父親との約束を果たすため、合法的にアメリカに入国することにこだわります。また、その約束を果たしたあとは、なんの未練もなく自分の愛する国に帰っていきます。この辺が私にはいまひとつピンとこなかったのですが、これも想像力の欠如と言えるかもしれません。家族関係が希薄になってしまった日本では、ただ父親との約束を果たすというそのためだけにここまでできるのか理解しにくいし(単に私と父との関係が希薄だったというだけなのかもしれませんが)、また政変に見舞われたこともない日本にいると、自分の国がそこにあるということはあたりまえのことで、愛国心が薄れるのも当然です。このへんはユダヤ人のスピルバーグ監督だからこその設定だったように思います。ビクターが暮らした67ゲート、1967年というのはイスラエルにとって非常に大事な節目の年なのだそうです。
ひげをはやしたディエゴ・ルナはちょっといやでした。おじさんにならないでね。