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エドワードは彼が語るお伽話で有名になった人物。未来を予見する魔女のこと、一緒に旅をした巨人のこと、人を襲う森とその先にある美しい町のこと。彼が語る「人生のストーリー」に誰もが楽しく、幸せな気分になった。しかし、一人息子のウィルはそんな父の話が嫌いだった。長い間すれ違う父と子。そんなある日患っていたエドワードの容態が悪化し、実家に戻ったウィルに、残された時間があとわずかだと告げられるー。
『シザーハンズ』のテイストを思い出させてくれる映画でした。
私はティム・バートンの映画の中では『シザーハンズ』がいちばん好きなのですが、そのテイストがよみがえってきて、なんだか嬉しくなりました。
『シザーハンズ』の、ファンタジックだけれども、人間のつらさや悲しさという、リアルな部分もあるというところが、
この映画にも踏襲されている感じでしたね。
『シザーハンズ』の場合は、その中心となる人物が男女。
で、今回は父と息子。
親子の絆をこのようなカタチで描いた映画は、少なくとも私にとって初めてで、心があったかくなって、すごく感動しました。
この作品の中で父親が語るおとぎ話は、実際の話に誇張をプラスしたもの。
嘘八百はダメだけれど、こういうふうに面白い話を子どもに聞かせることって大切なんだなあって教えられた気がします。
子どもの心を豊かにするためのファンタジー、それを自分のエピソードと交えて話してくれるお父さんの存在って、ほんとにうらやましい!
ラストは、私も涙がポロリ。
あんなお父さんみたいにはなれないと思うけれど、遊び心や空想を忘れない母親として、私も子どもに接していこうと思いました。
父親のほら話が信じられず、父親と疎遠になってしまった息子。でも、そのほら話の素敵なことといったら。巨人、魔女(ヘレナ・ボナム・カーターがみごとに変身しています。)、サーカス、一面の水仙畑でのプロポーズなどなど。どうぞ、ティム・バートンの世界をご堪能ください。
そして、息子といっしょにほら話を信じられるようになったとき、熱い涙が流れます。
映画館で観たときには、ファンタジックな部分にばかり気をとられていましたが、結局これはどんなふうに死んでいきたいかという話なのかもしれないと今回思いました。これの前にみたのが「みなさん、さようなら」だったせいかもしれませんが、「みなさん・・・・」の方はけっこう現実的な死の話。私はこちらのファンタジックな死のほうが好きですね。
ユアン・マクレガーは久々のはまり役だと思います。前にスマステで稲垣吾郎が「ジョニー・デップならよかったのに」なんていってたけど、ばかだね。ジョニーだったらぶちこわしだ。
冒頭のCGの水中の“BIG FISH”の主観移動のシーン。銀色ルアーに“しゃれこうべ”が映っています。(レビュアさんのHNでは無いですよ)もうその時点から私の頭の中ではこの“しゃれこうべ”がこの映画にとってどんな意味があるのだろうかと気になって、最近まれに見る集中力で映画に見入りました。角度的には少し不自然な感はあるものの、ルアーに映りこむ可能性のあるものはやはり主観移動している主“BIG FISH”だろうと思いますので、タイトルにもなっている“BIG FISH”は“死”への暗示、すなわちこの映画は“死”を扱ったものだということを冒頭のシーンで述べているのでしょう。ティム・バートン流の死への執着が感じられるところです。らしいと言えば、父親の回想の中で登場する人物も巨人、獣人、結合双生児など異形のキャラクターがこの映画でも登場します。ただいつものようにブラックなファンタジーかと言うとそうでは無く、表面上はかなり明るめのファンタジーに仕上がっています。
最近無意味な“狂言まわし”の登場で鼻白む映画が多かったのですが、この映画は実に巧みに現在の会話と父の回想物語をシームレスに繋いでいます。父親のモノローグとして語り始められる回想と言うファンタジーの世界と現実の世界が、父親という“狂言まわし”のもとで一連の流れとして移り変わり、しかも決して観客に時系列での混乱を招くことがありません。その手法は見事です。
以前からティム・バートンはCGをはじめとするVFXなどの使い方に難があるのかなと思っていたのですが、逆にその下手さがこの映画では強みになっていた様に思います。ファンタジーな回想シーンでは必然的にCGなどを多用せざる得ない訳ですが、リアルでないVFXがファンタジー感をうまく醸し出していました。
ティム・バートンらしからぬ(失礼)誰が見ても愉しめるファンタジー映画。特に会話の無くなった父と息子で見るといいかもしれませんよ。