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ロバート・ネビル(ウィル・スミス)は優れた科学者だが、彼でさえ、その恐ろしいウイルスを食い止めるすべを知らなかった。それは誰にも封じることができず、治すこともかなわず、しかも、人間が作り出したウイルスだった。なぜか免疫があったネビルは、荒れ果てたニューヨークであるいは世界でただ1人生き残っている。この3年間、彼は毎日几帳面に無線でメッセージを流し続け、必死にほかの生存者を捜してきた。だが、確かに彼は“1人”ではなかった。ウイルスに侵され、変異した人間たちが闇に潜み、彼を見つめていたのだ。ネビルのあらゆる行動を監視し、彼が致命的なミスを犯すのを待っている。ネビルを駆りたてているのは唯一残った使命 おそらく人類最後にして最大の希望の実現を果たすことだった。それは、彼自身の免疫のある血液を使ってウイルスの影響を改善する方法を見つけること。しかし、彼には圧倒的多数の敵が迫り、時間は刻々となくなっていく・・・。(掲載のジャケット写真はDVDのものです)
無人の街と化したニューヨークで、愛犬を唯一の友として圧倒的な孤独と戦いながら日々を送る男の姿をある意味淡々と描いた「前半」は、その驚異的な映像を含め、文句のつけようのないほどすばらしい出来で、この部分だけで見る価値は十分にあると思う。
世界がこうなってしまうまでの経過をフラッシュバック的に織り込む見せ方もうまい。
1952年に書かれた原作小説にはない現代風のアレンジ、例えばレンタル店のマネキンを相手にした会話(このマネキンは、次の展開につながる場面でも効果的に使われている)や、戦闘機の翼の上でのゴルフスウィング、後半のDVDを見るシーンなども、主人公の孤独感を演出するのに大きな効果を上げていると思う。
マシスンの原作は、今読んでも全く古さを感じさせないみずみずしさにあふれた傑作で、未読の方はぜひ御一読を。そして、もしも終盤の展開がマシスンの原作に忠実であったならば、この映画は後世に名を残す傑作となったはず。本当に惜しい。
莫大な金をかけて作った作品の制作費を回収するためには、一部の高い評価より、より多くの観客を楽しませることを優先しなければならない、と製作サイドが判断したのかどうかは知らないが、安易な結末の大量生産は、長い目で見ればそれこそ映画の衰退につながっていくのではないだろうか。
優れた小説は何度も映画化される。今回3度目の映画化にして初めて原作と同じタイトルがつけられた。しかし残念ながらこの映画はその名に値しない。「I am legend」は彼自身の口から発せられるべきセリフで、そうでなければ意味をなさない。優れた小説は何度も映画化される。いつか真のレジェンドが描かれることを期待したい。
かみさんが、
「どうしても観たい」
と言うので、平日の昼間に(子供は連れていけないので、学校に行ってる間に)観に行きました。
まあ、ウィル・スミスはほとんどセリフのない中(他に人間がいないからね~)頑張っていたとは思いますが、期待したほどではなかったですね。
ヴィンセント・プライス主演の「地球最後の男」の方が、ネヴィルと吸血鬼(ゾンビではなく、吸血ウィルスに感染すると吸血鬼になります。ゾンビと違って生前の記憶や、コミュニケーション能力があります)の関わり合いに、心の葛藤や駆け引きがあって(女吸血鬼は、ネヴィルを誘惑しようとしますしね)緊迫感がありました。
この吸血鬼が、後のゾンビ映画誕生の大きなヒントになったとロメロ監督も言っていたそうです。
「オメガマン」はチャールトン・ヘストンが英雄となるヒーロー映画のような体裁で、オリジナルに比べると、勘違いリメイクだと思います。
本作は、その勘違いリメイクのエンディングを踏襲してしまっているようで、ちょっと違うんじゃないかなと思うのです。
多くの方がおっしゃっていますけど、マシスンが「I am legend」に意味を持たせたのは、原作と同じように作った「吸血鬼(地球最後の男」のエンディングがあってこそなのです。本作のエンディングではJUCEさんご指摘の通り、He was legend にしかなりませんよね。
本作で飛び上がるくらいビックリするのは、ゾンビの動きが速い速い!オリジナルや「オメガマン」はもちろん、ロメロの「ゾンビ」シリーズのゾンビ達は、手をかざしながらゆっくりと行進してくるので、こちらが逃げ方を間違えなければ、捕まる可能性は低いという安心感がありました。ところが本作のダーク・シーカーは無茶苦茶動きが速いのです。
怖いと言うよりビックリすると言う表現の方が適当でしょう。
ゾンビのリメイク「ドーン・オボ・ザ・デッド」ではゾンビが走ったりしていて、ロメロ監督に、
「ゾンビが走るのは、どうも気に入らない」
と言わせたのですが、そんなもんじゃないのです。
本作で見ものというか、心の琴線に触れるのは、ネヴィルとサムの絡みくらいですかね・・・・。ダーク・シーカーのリーダーは、ネヴィルのトラップを模倣するくらいですから、理性も知性も残っているのではないかと思うのですが、そこでネヴィルとコミュニケーションがあったりはしません。ちょっと期待したんですけどね。彼は自分の妻か恋人を取り戻そうとしているようにも思えましたし。
原作のプロットを改変して、良くなればいいけれど、これは改悪ですよね。
レンタルDVDで観るのなら、それなりに楽しめますけど、同時期に公開していた「28週後」の方が、明らかによく出来てました。
映画館の前の方に座ってしまい、冒頭のカーアクションシーンで画面酔いして死にそうでしたが、なんとか頑張って最後まで鑑賞。なのであまり当てにならないレビューかも知れませんのであしからずです
まず観終わった後はタイトルにツッコミを入れたくなると思います。(えっ私だけ?)。
「アイ・アム」では無く「ヒー・ワズ」だろうと。しかしこれは映画を観た後原作を読んで何故「アイ・アム」なのかが良く分かりました。原作ではこのタイトルで非常にキレイに落ちているんです。この映画その他にも???な部分があるのですが、全て原作を中途半端に引きずっているために、その残滓だけが残り分かり難くなってしまっているようです。ダークシーカーの生態も微妙でしたね。
特に「アイ・アム・レジェンド」の言葉に繋がる重要な後半の設定を原作と変えてしまったことは失敗では無いでしょうか。もし変えるのならタイトルも考えないと。原作もその設定があってこそ奥深いものになっているのですが、確かにハリウッドでは受け入れられにくいラストです。ただ日本ではそのラストの方がウケがいいでしょう。
それなりにお金をかけて作っているんですが、どうも全体的に薄っぺらい印象です。特に原作を読んでしまうとその傾向は強くなります。前半は良いんです。緊迫感のある滑り出し。主人公とともに先の読めないスリリングさ。しかし後半が上記のような理由もあって次第に失速して行き、何だかありきたりな感じに落ちていってしまう。かなり残念な映画です。
そういえば原作の巻末の資料には面白い記述もあります。この作品の映画化の歴史。それとリドリー・スコット監督、アーノルド・シュワルツネッガー主演で企画が進められていたなどの話にも触れられていました。制作費が高額なために断念したそうですが、結局ウィル・スミス版も実際のニューヨークの町の一角を一定時間借り切って長期間撮影したためにかなり高額の制作費になってしまったそうです。それならリドリー・スコット版を見たかったですね。
なんだか原作の宣伝をしているみたいになってしまいましたが、原作面白いですよ。