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平穏な日常生活を送っていた家庭に、長男の事故死、続いて次男の自殺未遂という事件が起こる。この出来事を契機に愛情と信頼によって固く結ばれていたはずの一家が、激しく揺り動かされ、目にみえない緊張が家の中を支配していく。そして、それぞれに苦悩を抱えた3人の関係は、しだいに噛み合わない歯車のようにぎくしゃくとしたものとなっていく。
気になっていた映画だったので 十数年ぶりにあらためて見て
絶句した! 何を言いたいのか うまくまとまらない
愛情表現が下手な母親!彼女も同じように育てられたのだろう
彼女も言っていたように 「息子を嫌う母親なんかいない」
ただ 相性とか 好き嫌いはあるから そう見えるかも…
それでも 家族が何とかやっていけるのは 根底に”愛情”が
あるからだと 映画の終わりに わかった
夫のことばに耳を貸さない妻の我が儘は 一見自立した強い
女性のように見えて 実は 自己中心の自己愛の変形でしか
ない そのことに 夫は気付いてしまった
妻が愛していたのは 長男のバックだけだと いや 彼女自身
だったのではないかと
彼女は 彼の地位と生活とそれにまつわるものを愛していたが
彼のことを愛していなかったのではないかと
夫の告白に反論しない妻! 何故?
彼女が赦せないのは ”嫌いな自分”と その自分に似ている
コーンであり その彼をかばい 彼を愛する夫をも赦せないと
いうのか?
「家族なら 悲しさ 苦しさを分かち合い 絆を深めていこう」と
願っている夫にとって 全く話の通じない妻は まるで”異性人”
のように見えたのかもしれない
妻は 「私を変えようとしないで!」と 怒ったくらいだから
一緒に努力していこうなんて気は全くないのだろう
いやなものから逃げ出すだけの妻であり 母の部分を捨てて
しまった ”可哀想な女性”なのだ
以前 この映画を見てショックだったことは たくさんあるが
私自身が学習したのは 「自分を一番愛してる」ということ!
その現実がわかった上で 自分の嫌いなところもひっくるめて
好きになれなければ 「ほかの誰かを愛せないのではないか」
ということ! だった
彼女も苦しんでいたのだと想う
コーンをどうしても赦せない自分がいる… どうしてなのか?
彼女にもわからない でも もう限界がきてしまった!
”親の愛こそは 無償の愛” に間違いはない
でも やっぱり 「自分が一番可愛い」 のも事実!
そして 子供のために命をかけて全てを投げ出せるのも事実!
そういう場面に遭遇したことのない 未熟な母親である私が
えらそうに語る資格はないが 結局 人間はひとりで生きて
行かなくちゃならず だからこそ 「誰かに愛されたい」し
「誰かを愛したい」 そう 言いたかった
その相手は 夫や妻 親や子であり きょうだいや親戚や
友だちや 隣人であり 全然知らないひとかもしれないが…
私にも一人 息子がいる 「私は彼を ちゃんと愛せていただ
ろうか?」 それは 絶えず頭の片隅にぶら下がっている!
私にとって 息子という異性は理解困難で ”厄介な存在”に
しばしば思えたから…
名作。脚本は私の大好きなアルヴィン・サージェント。アカデミー脚本賞取りました。
原作があるんだけど、『人間を描く』アルヴィン・サージェントのペンは強力だ。いつも「どうしてここまで人間というものを分かっているのか?」と感嘆する。
主人公は普通の家族だ。タイトルはその意味だ。これらの人々を分析してそれぞれの弱い点、至らぬ点を指摘するのは簡単だ。しかしそんなことをするためにこの映画があるのではない。この主人公たちは普通の人々なのだ。すなわち、我々なのである。そして、この映画は、一人の不在(死)が残された人々の日常にどんなに強く影を落とし、その行動や考え方にどれほど影響を与えるかを描き、我々はどこまで彼らの姿を想像しどこまで理解してやることができるのか、と我々を試しているのだ。
父親がコンラッドに気を使いすぎて父親でなくなってしまっている事や、母親が事故をなかったもののように考え振舞うのを批難するだけではこの映画を観た意味が無い。そういう人を理解し、必要なときにどのように手助けできるかを自問するのがこの映画の意味なのである。なぜなら、これは普通の人々に起こっている事だからだ。我々にいつ起こってもおかしくない事柄だからだ。
アルヴィン・サージェントの人物描写はいつもどおり丁寧だ。ひとりひとりが際立っている。それぞれの人が画面に映っていないときにどんなことをしているか、想像できてしまう。それでもカレンが自殺してしまうことは想像できなかった。それはもしかしたらコンラッドのショックを我々に体験させるためにわざと予兆を描かなかったのかもしれない。
私はこのママがアカデミー賞を獲らなかったことが不満だ。いやな役を本当にうまく演じている。
「リトルミスサンシャイン(2006)」を観ても分かるように、今のアメリカの家庭は壊れている。それを今から28年前に、家庭の再生をテーマにした映画を作った人々がいたということは、驚きを通り越して深く感動する。時がたっても色褪せない名作だと思う。
「普通の人々」って題名と、ロバートレッドフォードの監督お手並み拝見、更に1980年の賞を総なめしている点が気になって、いつか借りようと期を狙ってました。
。点数にすると70点。
原作、脚色と脚本アルヴィン・サージェント は素晴らしいと思いました。
映画全体に漂う、家族愛の不確実さ。
普通ならくどく書き込んでしまうところを、「ぐっと押えて」
表現しています。
監督のロバートレッドフォードも米国を代表する俳優でありながら、脚本に忠実に撮りあげた姿勢は評価できると思いますが。
話は、一見幸せそうな家族が、兄弟の兄を事故でなくし、弟は自殺未遂を企て、それが元に家族の「絆」が崩壊していく様を描いてます。「普通の人が普通でなくなるとき」がテーマです。
以下苦言です。
2460カメラアングルが悪すぎます。いや、普通すぎるのかもしれません。最後のカットなど、クレーンアップで良いのかなぁ?
2461脚本の唯一のミス。弟より泳ぎの上手い兄の溺死の表現の仕方です。無理と弟を助けるために手を離した・・・というなら、映像表現が足りない。力尽きて・・・というなら、脚本を根底から変えて、「泳ぎの上手いのは弟であり、兄は勤勉な優等生」という括りにする方が、スムースでは無いでしょうか。
2462「ああ、こういう母親いますね」では映画ではあり得ません。(少なくとも私はそう思っています)母親の苦悩を、「現実からの逃避」という括りにしているのでしょうが、「ヒステリックな」女性を描いているだけでは?
2463精神科医がもう少し、深く関わって欲しかった。
2464余りにもオーソドックスな撮り方なので、「普通」な人々ではなく、「普通の映画」になってしまいました。
以上、ちょっと辛口ですが、映画の基本は押えてあります。
日本で言えば、山田太一風の脚本です。