私は確信するの画像・ジャケット写真

私は確信する / マリナ・フォイス

全体の平均評価点:(5点満点)

11

全体の平均評価点:

予告編を検索

DVD

準新作

ジャンル :

「私は確信する」 の解説・あらすじ・ストーリー

DVD

準新作

解説・ストーリー

フランスで大きな注目を集めた実在の未解決事件をめぐる裁判を基にした法廷サスペンス。失踪した妻の殺害容疑で大学教授が裁判にかけられる中、ふとしたきっかけからシングルマザーのヒロインが、彼の無罪を信じて敏腕弁護士と二人三脚で真実に迫ろうと奔走する裁判の行方をスリリングに描き出す。主演はマリナ・フォイスとオリヴィエ・グルメ。監督は本作が長編デビューとなるアントワーヌ・ランボー。フランス、トゥールーズ。ある日、人妻のスザンヌ・ヴィギエが忽然と姿を消し、やがて夫のジャックが殺人の容疑で逮捕される。第一審では確たる証拠がなく無罪となるも、検察は控訴し、第二審が始まろうとしていた。そんな中、シングルマザーのノラは、息子の家庭教師がジャックの娘だったことがきっかけで彼の力になりたいと立ち上がるのだったが…。 JAN:4941565120269

「私は確信する」 の作品情報

作品情報

製作年:

2018年

製作国:

フランス

原題:

UNE INTIME CONVICTION/CONVICTION

「私は確信する」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ

関連作品

関連作品

リード・マイ・リップス

タイム・オブ・ザ・ウルフ

戦場のブラックボード

少年と自転車

ユーザーレビュー:11件

入力内容に誤りがあります。

内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。

  • 入力内容に誤りがあります。

この作品に関するあなたの感想や意見を書いてみませんか?

1〜 5件 / 全11件

確たる証拠もなしに「犯人」を作り出す恐ろしさ

投稿日:2021/08/06 レビュアー:くまげらの森

(2018年制作・フランス、ベルギー)
2000年2月、フランスのトゥールーズで3人の子どもを持つ女性スザンヌ・ヴィギエが
忽然と姿を消した。(スザンヌ・ヴィギエ事件)
やがて、夫ジャックが殺人の容疑で逮捕されたが、動機もなく、遺体もなく、証拠もない状況で釈放。
だが2009年、再び殺害容疑で審議が始まった。第一審では無罪が言い渡されるが、検察は控訴し、第二審が始まろうとしていた。

シングルマザーのノラ(マリナ・フォイス)は、レストランで働くシェフ。
息子の家庭教師がジャックの娘だった縁から、仕事の傍ら、弁護士アシスタントを引き受け、250時間にも及ぶ通話記録を丹念に分析してゆくのであるが、その過程でノラは、
ある人物の関与を確信する。
裁判資料に膨大な時間が取られ、ノラはシェフの仕事をクビになる。
息子との約束も忘れてしまい、ギクシャクしてしまう。
(というかそれほど没頭する母親を不安になる息子)
車に忘れたデータをとりに行き、慌てて交通事故にあってしまうノラ。
それでも、ジャックの無実を証明したいノラを揺り動かすものは「正義感」という一言で
言い切ってよいのだろうか。
人間として、裁きを受ける人間に自分が出来る事の重大さの意味を考えさせる作品である。

また、通話記録から明らかになるある人物を警察も検察も把握しているはずなのに、
なぜジャックを犯人にしたいのであろうか。
そこには『冤罪を生む穴だらけのフランスの司法システム』の問題があろう。
(正確な事実や評価する材料はもちろん私にはないのであるが、本作のランボー監督の主張のひとつではある。)

興味本位で無責任なマスコミの報道により、先入観や思い込みでいっぱいになってしまう
人々の誤りを正してゆくのが司法というものではないか。
モレッティ弁護士(オリヴィエ・グルメ)の最終弁論は力強く、説得力に満ちている。
だが、それすらも(真犯人をあげる事ではなく)、ジャックの無罪を勝ち取る事に専念する。
かすかに、不消化感が残るラストではある。
だが熱気と緊迫感漂う面白い法廷劇であった。

このレビューは気に入りましたか? 8人の会員が気に入ったと投稿しています

誰もが正義を求めている

投稿日:2021/09/09 レビュアー:hinakksk

 だからこそ行き過ぎになりやすく危険なのだ。この映画に描かれたヴィギエ事件ほど、思い込みによる根拠のない確信や過熱した報道、見込み捜査や情実裁判の危険性を示している典型的な事例は稀なのではないだろうか。正義を求めるあまり正義の本質が忘れ去られ、そのための安全弁である「疑わしきは罰せず」という鉄則や「推定無罪」の原則がないがしろにされてしまった。はっきりしているのは失踪したという事実だけで、死体も発見されていないのだから、殺人事件であるかどうかすら疑わしいのだ。

 2000年2月、3人の子どものいる、すでに夫婦関係の破綻したヴィギエ夫妻の妻スザンヌが、こつ然と失踪する。大学教授の夫ジャックに殺人の嫌疑がかかり逮捕されるが、証拠不十分で、すぐに釈放される。ところがそれから9年後、ジャックは殺人容疑で再逮捕され、一審裁判では9人の陪審員が無罪の評決を出すも、検察は異例にも控訴する。被告側が弁護士を変更して二審に備えるところから、映画は始まる。事件からすでに10年が経過している。

 確たる動機もなく、遺体も発見されず、決め手になる証拠も不十分で、警察や検察がなぜここまで執拗にジャックが犯人だと決めつけるのかが分からない。9年後に再逮捕したということは、何か確証があってのことだと思われるが、それは明らかにされず、検察が控訴に至る一審裁判の争点が何であったのかも不明という状況。ジャックが大学でヒッチコックの映画を事例に「完全犯罪」について講義したからというのが、理由のひとつであるらしいことには失笑を禁じ得ない。これでは、極端な場合、ミステリー好きの関係者は全員疑わしいとなってしまう。

 ジャックの娘クレマンスと親しいノラの熱心な依頼で弁護を担当することになった敏腕弁護士デュポン=モレッティは、警察も検察も予審判事も調べようとはしなかった250時間に及ぶ関係者の通話記録の情報に基づいて、検察側証人の証言の矛盾や嘘を追求していく。シングルマザーであるノラはシェフとして働きながら、専門家でもないのにその膨大な通話記録を精査し整理する作業を引き受け、献身的にその役目に打ち込む。やがて、息子のこともシェフの仕事も疎かになるほどその作業に没頭して、失踪した妻スザンヌの愛人であったデュランデこそが真犯人だと確信するようになる。

 ところがモレッティは、ノラの確信について、検察同様何の法的根拠もない仮説を提示したに過ぎない、疑惑は単なる可能性に過ぎないのだと鋭く指摘する。正義を求めるあまり、ノラもまた警察や検察やメディアと同じ陥穽に陥ってしまったのだ。事実に基づくとされるこの映画で、ノラという虚構の主要人物を登場させたことは、誰しも正義を求めるあまり、疑わしいというだけで確たる根拠も証拠もなく犯人だと決めつけてしまう過ちを犯す危険性があると、警告しているのかもしれない。父親のせいで子どもたちの人生を台無しにするぞと脅迫してジャックに自白を強要した卑劣な警視のような愚かなことを、どんな人も繰り返すべきではない、と。

このレビューは気に入りましたか? 6人の会員が気に入ったと投稿しています

フランスには【一事不再理】の法律は、ないらしい!

投稿日:2022/01/22 レビュアー:アーモンド

2018年(フランス/ベルギー合作)監督:アントワーヌ・ランボー
日本なら刑事事件で一度無罪の出た被告はもう二度の同じ事件では裁かれることはない。
不服が有れば民事として、新たに争うしかないのだ。
死体も見つからないのに、10年も犯人扱いされた夫のジャックが心底気の毒になる映画でした。
この事件はフランス法曹界を揺るがす不祥事ですね。
マスコミが騒げばたとえ証拠がなくても事件化する。
世論に法曹界がおもねった事例。

少し捻くれた見方になりますが、ノラは実在の人物ではなく、この映画で便宜的に創作された
キャラクターです。
シングルマザーでシェフのノラが、ここまでのめり込む過程に、無理があると言うか、
冷静に考えて、有名弁護士が無報酬で、捜査テープの解析を素人に委ねる。
この辺りで、私は冷めて行きました。
息子を世話を放り投げて、息子のSOS電話も無視。
映画ではその熱意がこの映画に熱気と迫力を与えているのですが、
たしかにノラ役のマリナ・フォイスは熱演でした。
弁護士役のオリビエ・グルメも皮肉で良かった。

実際の「ヴィギエ事件」は、映画では一年目の判決で無罪が出て、
10年目に検察の控訴で第二審が開かれたとありますが、
実際は第一審が9年目に開かれて、無罪。
(この9年間ってなに?被告には地獄ですね)
検察が控訴して翌年(10年目)に控訴審が開かれた。
その控訴審の審議にノラがモレッティ弁護士の私設協力者として、
八面六臂の頑張りを見せる。
この頑張りが共感を呼ぶ訳です。
それにしても法学部教授の夫が、これほど無力とは、
全く信じ難い設定!!
この映画は根底からミステリーの法則、法廷裁判映画の条件を満たしていない。

たやすく騙されてはいけませんね。

このレビューは気に入りましたか? 3人の会員が気に入ったと投稿しています

大きな物語

投稿日:2022/01/16 レビュアー:icy

面白かった。いいテンポ。いい演技。過剰感はないが適度に感情を揺さぶられる。
大きな物語が消えて久しい。文化、伝統、宗教などに裏打ちされたある種の規範。それに基づく教養、倫理と人生観。それは過去のものになってしまった。インターネットで見つかる安直な情報を回答することで教養を失って倫理観に照らすことなく軽い判断を連発し、そのくせ寄って立つものがないから不安になって金と快楽が人生の目的となる時代。
そんな時代の事件では警察の初期捜査がいい加減で偏見に基づいた安直な仮説(夫が犯人である殺人事件)が独り歩きし、それを拡散する輩と無批判にそれに乗っかっる人々、そしてマスコミが安っぽいミステリーという小さな物語を増幅する。司法もどれだけ真剣にこの事件を思考するのか、甚だ心もとない。
250時間に及ぶ通話記録という証拠物件を洗ったのは主人公の女性であり、警察でも司法でもない。大きな物語を捨てきれない女性の奮闘は実を結ぶのか。司法という本来は最も冒しがたいはずの領域でも予断はできない。
この物語の弁護士、法務大臣に抜擢されたらしいですな。流石はフランス。大人な国だ。この映画についての英語の情報はほとんど見当たらない。今のアメリカはこの手の話には興味ないということか。

このレビューは気に入りましたか? 2人の会員が気に入ったと投稿しています

クレーム・ブリュレをバーナーで

投稿日:2021/12/07 レビュアー:ちゅく

炙る「ノラ」は、「ヴィギエ」家の通い料理人。彼女はシングル・マザーで、息子の家庭教師を「ヴィギエ」夫妻の長女「クレマンス」に頼んでいた。

2000年、「ヴィギエ」家で、妻「スザンヌ」が失踪し、夫「ジャック」が疑われるが、証拠不十分で起訴されなかった。9年後、彼は拘留された。フランスの「重罪院」は一審で無罪と裁定したが、検察は控訴した。この映画は二審から始まる。
主人公「ノラ」は、「ジャック」の無罪を、なぜか「確信」、彼を弁護する「エリック・デュポン=モレッティ」(オリヴィエ・グルメ)のスタッフになった。
「ノラ」は何故「ジャック・ヴィギエ」の「無罪」を「確信」するかが主題。

【1】「スザンヌ」には、愛人「オリヴィエ・デュラント」がいた。
「ノラ」はそれを盗み聴きしていた。二人に口論があった。「デュラント」は裁判で、自分に有利な証人を集め、検察に流す。「ノラ」は彼に不利な情報を弁護士に流す。
【2】陪審員制度の問題(フランス「重罪院」の場合。そして、日本も同じです。)
一審と二審で、裁判官3名と陪審員9名を、別の人間にするのは簡単。が、陪審員は、原
告側とも被告側とも、「全く利害関係があってはいけない」。これは理想的な幻想。だから
最終裁定権が裁判官にある。それは日本と同じです。裁判官が、厳正な裁きができるかと
いうと、彼らも「神」ではないでしょう。
裁判とは、駆け引きの世界です。「法」とは何か──それを鑑賞者に改めて質問することが、本作の主題であったと思います。
「スザンヌ」の遺体が見つからず、DNAなどの遺物が犯罪の証拠として確定されない以上、どちらの立場に立ってもいけないのです。

このレビューは気に入りましたか? 2人の会員が気に入ったと投稿しています

1〜 5件 / 全11件

私は確信する

ユーザーレビュー

入力内容に誤りがあります。

内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。

  • 入力内容に誤りがあります。

ユーザーレビュー:11件

確たる証拠もなしに「犯人」を作り出す恐ろしさ

投稿日

2021/08/06

レビュアー

くまげらの森

(2018年制作・フランス、ベルギー)
2000年2月、フランスのトゥールーズで3人の子どもを持つ女性スザンヌ・ヴィギエが
忽然と姿を消した。(スザンヌ・ヴィギエ事件)
やがて、夫ジャックが殺人の容疑で逮捕されたが、動機もなく、遺体もなく、証拠もない状況で釈放。
だが2009年、再び殺害容疑で審議が始まった。第一審では無罪が言い渡されるが、検察は控訴し、第二審が始まろうとしていた。

シングルマザーのノラ(マリナ・フォイス)は、レストランで働くシェフ。
息子の家庭教師がジャックの娘だった縁から、仕事の傍ら、弁護士アシスタントを引き受け、250時間にも及ぶ通話記録を丹念に分析してゆくのであるが、その過程でノラは、
ある人物の関与を確信する。
裁判資料に膨大な時間が取られ、ノラはシェフの仕事をクビになる。
息子との約束も忘れてしまい、ギクシャクしてしまう。
(というかそれほど没頭する母親を不安になる息子)
車に忘れたデータをとりに行き、慌てて交通事故にあってしまうノラ。
それでも、ジャックの無実を証明したいノラを揺り動かすものは「正義感」という一言で
言い切ってよいのだろうか。
人間として、裁きを受ける人間に自分が出来る事の重大さの意味を考えさせる作品である。

また、通話記録から明らかになるある人物を警察も検察も把握しているはずなのに、
なぜジャックを犯人にしたいのであろうか。
そこには『冤罪を生む穴だらけのフランスの司法システム』の問題があろう。
(正確な事実や評価する材料はもちろん私にはないのであるが、本作のランボー監督の主張のひとつではある。)

興味本位で無責任なマスコミの報道により、先入観や思い込みでいっぱいになってしまう
人々の誤りを正してゆくのが司法というものではないか。
モレッティ弁護士(オリヴィエ・グルメ)の最終弁論は力強く、説得力に満ちている。
だが、それすらも(真犯人をあげる事ではなく)、ジャックの無罪を勝ち取る事に専念する。
かすかに、不消化感が残るラストではある。
だが熱気と緊迫感漂う面白い法廷劇であった。

誰もが正義を求めている

投稿日

2021/09/09

レビュアー

hinakksk

 だからこそ行き過ぎになりやすく危険なのだ。この映画に描かれたヴィギエ事件ほど、思い込みによる根拠のない確信や過熱した報道、見込み捜査や情実裁判の危険性を示している典型的な事例は稀なのではないだろうか。正義を求めるあまり正義の本質が忘れ去られ、そのための安全弁である「疑わしきは罰せず」という鉄則や「推定無罪」の原則がないがしろにされてしまった。はっきりしているのは失踪したという事実だけで、死体も発見されていないのだから、殺人事件であるかどうかすら疑わしいのだ。

 2000年2月、3人の子どものいる、すでに夫婦関係の破綻したヴィギエ夫妻の妻スザンヌが、こつ然と失踪する。大学教授の夫ジャックに殺人の嫌疑がかかり逮捕されるが、証拠不十分で、すぐに釈放される。ところがそれから9年後、ジャックは殺人容疑で再逮捕され、一審裁判では9人の陪審員が無罪の評決を出すも、検察は異例にも控訴する。被告側が弁護士を変更して二審に備えるところから、映画は始まる。事件からすでに10年が経過している。

 確たる動機もなく、遺体も発見されず、決め手になる証拠も不十分で、警察や検察がなぜここまで執拗にジャックが犯人だと決めつけるのかが分からない。9年後に再逮捕したということは、何か確証があってのことだと思われるが、それは明らかにされず、検察が控訴に至る一審裁判の争点が何であったのかも不明という状況。ジャックが大学でヒッチコックの映画を事例に「完全犯罪」について講義したからというのが、理由のひとつであるらしいことには失笑を禁じ得ない。これでは、極端な場合、ミステリー好きの関係者は全員疑わしいとなってしまう。

 ジャックの娘クレマンスと親しいノラの熱心な依頼で弁護を担当することになった敏腕弁護士デュポン=モレッティは、警察も検察も予審判事も調べようとはしなかった250時間に及ぶ関係者の通話記録の情報に基づいて、検察側証人の証言の矛盾や嘘を追求していく。シングルマザーであるノラはシェフとして働きながら、専門家でもないのにその膨大な通話記録を精査し整理する作業を引き受け、献身的にその役目に打ち込む。やがて、息子のこともシェフの仕事も疎かになるほどその作業に没頭して、失踪した妻スザンヌの愛人であったデュランデこそが真犯人だと確信するようになる。

 ところがモレッティは、ノラの確信について、検察同様何の法的根拠もない仮説を提示したに過ぎない、疑惑は単なる可能性に過ぎないのだと鋭く指摘する。正義を求めるあまり、ノラもまた警察や検察やメディアと同じ陥穽に陥ってしまったのだ。事実に基づくとされるこの映画で、ノラという虚構の主要人物を登場させたことは、誰しも正義を求めるあまり、疑わしいというだけで確たる根拠も証拠もなく犯人だと決めつけてしまう過ちを犯す危険性があると、警告しているのかもしれない。父親のせいで子どもたちの人生を台無しにするぞと脅迫してジャックに自白を強要した卑劣な警視のような愚かなことを、どんな人も繰り返すべきではない、と。

フランスには【一事不再理】の法律は、ないらしい!

投稿日

2022/01/22

レビュアー

アーモンド

2018年(フランス/ベルギー合作)監督:アントワーヌ・ランボー
日本なら刑事事件で一度無罪の出た被告はもう二度の同じ事件では裁かれることはない。
不服が有れば民事として、新たに争うしかないのだ。
死体も見つからないのに、10年も犯人扱いされた夫のジャックが心底気の毒になる映画でした。
この事件はフランス法曹界を揺るがす不祥事ですね。
マスコミが騒げばたとえ証拠がなくても事件化する。
世論に法曹界がおもねった事例。

少し捻くれた見方になりますが、ノラは実在の人物ではなく、この映画で便宜的に創作された
キャラクターです。
シングルマザーでシェフのノラが、ここまでのめり込む過程に、無理があると言うか、
冷静に考えて、有名弁護士が無報酬で、捜査テープの解析を素人に委ねる。
この辺りで、私は冷めて行きました。
息子を世話を放り投げて、息子のSOS電話も無視。
映画ではその熱意がこの映画に熱気と迫力を与えているのですが、
たしかにノラ役のマリナ・フォイスは熱演でした。
弁護士役のオリビエ・グルメも皮肉で良かった。

実際の「ヴィギエ事件」は、映画では一年目の判決で無罪が出て、
10年目に検察の控訴で第二審が開かれたとありますが、
実際は第一審が9年目に開かれて、無罪。
(この9年間ってなに?被告には地獄ですね)
検察が控訴して翌年(10年目)に控訴審が開かれた。
その控訴審の審議にノラがモレッティ弁護士の私設協力者として、
八面六臂の頑張りを見せる。
この頑張りが共感を呼ぶ訳です。
それにしても法学部教授の夫が、これほど無力とは、
全く信じ難い設定!!
この映画は根底からミステリーの法則、法廷裁判映画の条件を満たしていない。

たやすく騙されてはいけませんね。

大きな物語

投稿日

2022/01/16

レビュアー

icy

面白かった。いいテンポ。いい演技。過剰感はないが適度に感情を揺さぶられる。
大きな物語が消えて久しい。文化、伝統、宗教などに裏打ちされたある種の規範。それに基づく教養、倫理と人生観。それは過去のものになってしまった。インターネットで見つかる安直な情報を回答することで教養を失って倫理観に照らすことなく軽い判断を連発し、そのくせ寄って立つものがないから不安になって金と快楽が人生の目的となる時代。
そんな時代の事件では警察の初期捜査がいい加減で偏見に基づいた安直な仮説(夫が犯人である殺人事件)が独り歩きし、それを拡散する輩と無批判にそれに乗っかっる人々、そしてマスコミが安っぽいミステリーという小さな物語を増幅する。司法もどれだけ真剣にこの事件を思考するのか、甚だ心もとない。
250時間に及ぶ通話記録という証拠物件を洗ったのは主人公の女性であり、警察でも司法でもない。大きな物語を捨てきれない女性の奮闘は実を結ぶのか。司法という本来は最も冒しがたいはずの領域でも予断はできない。
この物語の弁護士、法務大臣に抜擢されたらしいですな。流石はフランス。大人な国だ。この映画についての英語の情報はほとんど見当たらない。今のアメリカはこの手の話には興味ないということか。

クレーム・ブリュレをバーナーで

投稿日

2021/12/07

レビュアー

ちゅく

炙る「ノラ」は、「ヴィギエ」家の通い料理人。彼女はシングル・マザーで、息子の家庭教師を「ヴィギエ」夫妻の長女「クレマンス」に頼んでいた。

2000年、「ヴィギエ」家で、妻「スザンヌ」が失踪し、夫「ジャック」が疑われるが、証拠不十分で起訴されなかった。9年後、彼は拘留された。フランスの「重罪院」は一審で無罪と裁定したが、検察は控訴した。この映画は二審から始まる。
主人公「ノラ」は、「ジャック」の無罪を、なぜか「確信」、彼を弁護する「エリック・デュポン=モレッティ」(オリヴィエ・グルメ)のスタッフになった。
「ノラ」は何故「ジャック・ヴィギエ」の「無罪」を「確信」するかが主題。

【1】「スザンヌ」には、愛人「オリヴィエ・デュラント」がいた。
「ノラ」はそれを盗み聴きしていた。二人に口論があった。「デュラント」は裁判で、自分に有利な証人を集め、検察に流す。「ノラ」は彼に不利な情報を弁護士に流す。
【2】陪審員制度の問題(フランス「重罪院」の場合。そして、日本も同じです。)
一審と二審で、裁判官3名と陪審員9名を、別の人間にするのは簡単。が、陪審員は、原
告側とも被告側とも、「全く利害関係があってはいけない」。これは理想的な幻想。だから
最終裁定権が裁判官にある。それは日本と同じです。裁判官が、厳正な裁きができるかと
いうと、彼らも「神」ではないでしょう。
裁判とは、駆け引きの世界です。「法」とは何か──それを鑑賞者に改めて質問することが、本作の主題であったと思います。
「スザンヌ」の遺体が見つからず、DNAなどの遺物が犯罪の証拠として確定されない以上、どちらの立場に立ってもいけないのです。

1〜 5件 / 全11件