マグダラのマリア

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マグダラのマリア / ホアキン・フェニックス

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「マグダラのマリア」 の解説・あらすじ・ストーリー

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「マグダラのマリア」 の作品情報

作品情報

製作年: 2018年
原題: MARY MAGDALENE

「マグダラのマリア」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ

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ザ・マスター

第九軍団のワシ

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ユーザーレビュー:7件

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1〜 5件 / 全7件

《ナザレのイエスと、マグダラのマリア》の壮大な叙事詩

投稿日:2018/12/26 レビュアー:カマンベール

2018年(イギリス/アメリカ/オーストラリア)

とても平易で分かりやすいです。
ナザレのイエス(ホアキン・フェニックス)が各地で布教を行い、エルサレムまで辿り着き、処刑されるまでを、ザックリと、分かりやすく
見せてくれます。

マグダラのマリア(ルーニー・マーラー)の驚くほどの透明感のある美しさに、魅了される映画でした。

そしてイエス役のホアキン・フェニックスの修行僧そのものの
重厚な存在感も圧倒的でした。

ふたりの演技を観るだけでも満足な映画です。
誇張や大袈裟な台詞は皆無です。

静かなBGMに、裏寂れた景観(エルサレムの石造りの建築物は見事)。

それにただ身体を委ねて、見入り、感じるだけです。

《退屈》と感じる人も多いと思います。

マグダラのマリアとナザレのイエスが結婚していたという説。
(事実、マリアはイエスの説教を聞くと、家族を捨てて、イエスの後を追って行きます。恋愛感情はあったと思います)

マグダラのマリアの娼婦説も根強いそうです。
(12人の使徒と寝食を共にして、男の中に女一人、そのように見られるのも当然ですが、この映画のマリアは純潔です)

脚本はややもすると抽象的で、キリストを裏切った《ユダ》でさえ、
好人物に描かれています。
物足りないし、食い足りない、表面的、情緒的と反論されても仕方ないでしょう。

ルーニー・マーラーのあまりの美しさ、汚れのなさ。
ホアキンのストイックな風貌。
この二つで、満足でした。

この映画をキッカケに、ホアキン・フェニックスとルーニー・マーラーにロマンスが生まれたそうですよ。

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テンポはない。眠くなる。けどそう悪くもない。 ネタバレ

投稿日:2019/10/04 レビュアー:勇光

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

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映像が美しい。麻の布の色を基調としたような全体的にベージュがかった色合いの映像でわたしの好みの雰囲気だった。内容は淡々としたもので、イエスの復活にも奇蹟というような雰囲気はなく、マグダラのマリアの幻覚だったような描き方だった。これ見よがしに聖書の記述を訴えるところがなく、マグダラのマリアが娼婦ではなかったという点とイエスの教えを伝道する使徒だったというところを強調しているだけで、それ以外のことはほとんど語っていない。実際問題としてそれ以外のことは今となってはわからないようだ。イエスの子を産んだという説についても虚実が明らかでないためかこの映画では採用されていなかった。

尚、実際のイエスがどのような人物だったのかわからないが、この映画のような人物だったとしたら今日のキリスト教は存在していないだろう。ホントに奇蹟を起こして見せ、大勢の者の目に見えるような形で復活したか、もしくは、もっと滑舌がよくてペラカラしゃべりまくり、ときどき大声を出して人々を震撼させるような人物だったか、もしくは大勢の兵士をかかえた革命家のような男でローマやユダヤの権力者を脅かす男だったか・・・なんにしても非凡でだれもが驚くようなことをする人物だったろう。でなければ、その死後に残された使徒と呼ばれる者たちの中に大天才がいて、実像を何百倍にも膨らませて人々に語る才能を持ち、大ボラを吹きまくって信者を集めまくった・・ということであろう。
ホアキンがなんでイエスの役をやったのかよくわからないが、「グラディエーター」で自己中な権力者の役をやったので、なんとかイメージを変えたいのだろう。イエスの役をやるにはちょっと太りすぎていたし、聖人のイメージもあまりなかったが、なんとかうまくまとめたという感じはあった。
ルーニーは着飾って人前にでるような役はやりたくない・・というようなことをどこかで語っていたから、こういう役をやりたかったのだろう。これもうまくまとめていたが、イエスの復活がマグダラのマリアの幻覚だったとするならば、その幻覚を見た本人には熱狂的に大ボラを吹きまくる雰囲気が欲しかったと思う。

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美しいマリア、ホアキンのイエス

投稿日:2019/02/16 レビュアー:Yohey

マグダラのマリアを演じるルーニー・マーラさん、とっても美しい。マリアは本当、こんな方だったんだろうな、と思いながら見ました。そして、一方のホアキンのイエスは、なんだか新興宗教の教祖みたいです。我々が思い描くイエスのイメージとしてはちょっと違うけど、当時にとっては新興宗教なのだから、こんな感じだったのかな、と思いつつ見ました。

まあ、宗教のなんたるかが分かってない日本人にとっては、そんなに面白くないストーリーでした。一応、みんなが知っている話のまんまではなく、ペトロが黒人だったり、ユダの裏切りは必然であったりと色々加えていますけどね。そういった部分、どういう批評があったんだろうか、とそういったことに興味を持ちました。

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さらっとしつつ興味深い

投稿日:2019/01/08 レビュアー:inui

原作・元ネタのどこを削り何を膨らませるか、というのは映画化においてあって当たり前ですが、本作はジーザスもの(といっていいのか)にあってしかるべきもの化していたエピソードが色々削られ、結構斬新なアプローチだと思います。特にユダの描写。
師の言行録的な側面がほぼないので、キリスト教を何となくしか知らない私には突飛さ不可解さに「???」となる場面が少なく、割と心穏やかに見られました。既存作品が詰め込みすぎとすると本作はスカスカに感じるほど。伝えたいことを絞り込んでる印象。
ストーリー・演出的に起伏があまりない感じでしたが、変に劇的にしていないのはよかったと思います。
映画として面白いかと言われると面白くはない気がするのですが、さらっとした感じゆえに染みる作品かもしれません。

特典映像「キャスト」「演出について」(合計4分半程度)

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マグダラのマリアはイエスの妻だった?

投稿日:2019/01/06 レビュアー:哲郎

マグダラのマリアを主人公にしたイエス物語というのは、これが初めての製作になるでしょうね。
福音書のエピソードを映画化したこれまでの有名作品とちがって、二千年前の史実性に気を配った人物設定など新鮮でした。とくにシモン(ペトロ)とアンデレの兄弟がアフリカ系の人になっていることに驚きと意外性をもったわけだけど、年齢はもちろんのこと各使徒のパーソナリティーやプロフィールはほとんどわかっていないわけだから、これもありでしょう。
イスラエルは交易の要衝地で、大国に席捲された経験がいく度もあるわけだから、エジプト人とかアフリカ側からも人が流れて来てるだろうし、アラブ人はもとより小アジアやギリシャ方面からも来ており、実際多民族混交だったんでしょうねぇ。

さて、作品はイエスの公生涯に付き添ったマグダラのマリアの軌跡(もちろん創作)をたどるだけでなく、イエスと弟子たちとの関係、弟子たちの思惑なども浮き彫りにし、イエス運動が単に布教活動だけであったわけではなく、社会改革であり、革命的行動の要素があったことを描いています。
進行上、マリア、イエス、ペトロ、ユダの四人を物語の主要な位置に置き、彼らの言動を通してグループ内での弟子それぞれの立場の違い、イエスの信仰に対する理解の違いを表しており、グループがイエスを中心とした厳格で強固な信仰集団というわけでもなかったことが窺われます。
イスカリオテのユダのキャラクターは特異でしたね。まあ、二千年前なら珍しくは無かったかもしれないけど、今の感覚なら必ず狂信者と思われる。しかも、イエスを官憲に売った理由が、イエスの究極の奇跡を見たかったからという倒錯した妄信によるものとなっている。

ところで、ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』で知られるようになったが、「マグダラのマリアはイエスの妻だった」という説がある。
私はこの説を支持している。イエスの信仰グループに近侍した女性たちは少なくなかったようだが、もし描かれたとおりマリアが直弟子たちとともに伝道の旅をしていたなら、一人の女性が無事にそこにいられる理由は一つである。それはその人が教祖の妻(もしくは妻同様の存在)であるということだ。しかも、二人の間には子があったという説も私はありうると思っている。
物語の前後にマリアが水中を浮遊する自分を夢想する影像がある。それを、幼い頃兄たちと湖で遊んだ頃の記憶だと彼女はイエスに語っている。
マリアが感じた“神の国”のイメージかもしれないが、最初のそのシーンの後にすぐ家族の出産の場面が置かれたことを深く考えると、もしかしたら湖水を羊水とも重ねて、新しい命(二人の子)のはじまりを示唆したものかもしれない。

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マグダラのマリア

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《ナザレのイエスと、マグダラのマリア》の壮大な叙事詩

投稿日

2018/12/26

レビュアー

カマンベール

2018年(イギリス/アメリカ/オーストラリア)

とても平易で分かりやすいです。
ナザレのイエス(ホアキン・フェニックス)が各地で布教を行い、エルサレムまで辿り着き、処刑されるまでを、ザックリと、分かりやすく
見せてくれます。

マグダラのマリア(ルーニー・マーラー)の驚くほどの透明感のある美しさに、魅了される映画でした。

そしてイエス役のホアキン・フェニックスの修行僧そのものの
重厚な存在感も圧倒的でした。

ふたりの演技を観るだけでも満足な映画です。
誇張や大袈裟な台詞は皆無です。

静かなBGMに、裏寂れた景観(エルサレムの石造りの建築物は見事)。

それにただ身体を委ねて、見入り、感じるだけです。

《退屈》と感じる人も多いと思います。

マグダラのマリアとナザレのイエスが結婚していたという説。
(事実、マリアはイエスの説教を聞くと、家族を捨てて、イエスの後を追って行きます。恋愛感情はあったと思います)

マグダラのマリアの娼婦説も根強いそうです。
(12人の使徒と寝食を共にして、男の中に女一人、そのように見られるのも当然ですが、この映画のマリアは純潔です)

脚本はややもすると抽象的で、キリストを裏切った《ユダ》でさえ、
好人物に描かれています。
物足りないし、食い足りない、表面的、情緒的と反論されても仕方ないでしょう。

ルーニー・マーラーのあまりの美しさ、汚れのなさ。
ホアキンのストイックな風貌。
この二つで、満足でした。

この映画をキッカケに、ホアキン・フェニックスとルーニー・マーラーにロマンスが生まれたそうですよ。

テンポはない。眠くなる。けどそう悪くもない。

投稿日

2019/10/04

レビュアー

勇光

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映像が美しい。麻の布の色を基調としたような全体的にベージュがかった色合いの映像でわたしの好みの雰囲気だった。内容は淡々としたもので、イエスの復活にも奇蹟というような雰囲気はなく、マグダラのマリアの幻覚だったような描き方だった。これ見よがしに聖書の記述を訴えるところがなく、マグダラのマリアが娼婦ではなかったという点とイエスの教えを伝道する使徒だったというところを強調しているだけで、それ以外のことはほとんど語っていない。実際問題としてそれ以外のことは今となってはわからないようだ。イエスの子を産んだという説についても虚実が明らかでないためかこの映画では採用されていなかった。

尚、実際のイエスがどのような人物だったのかわからないが、この映画のような人物だったとしたら今日のキリスト教は存在していないだろう。ホントに奇蹟を起こして見せ、大勢の者の目に見えるような形で復活したか、もしくは、もっと滑舌がよくてペラカラしゃべりまくり、ときどき大声を出して人々を震撼させるような人物だったか、もしくは大勢の兵士をかかえた革命家のような男でローマやユダヤの権力者を脅かす男だったか・・・なんにしても非凡でだれもが驚くようなことをする人物だったろう。でなければ、その死後に残された使徒と呼ばれる者たちの中に大天才がいて、実像を何百倍にも膨らませて人々に語る才能を持ち、大ボラを吹きまくって信者を集めまくった・・ということであろう。
ホアキンがなんでイエスの役をやったのかよくわからないが、「グラディエーター」で自己中な権力者の役をやったので、なんとかイメージを変えたいのだろう。イエスの役をやるにはちょっと太りすぎていたし、聖人のイメージもあまりなかったが、なんとかうまくまとめたという感じはあった。
ルーニーは着飾って人前にでるような役はやりたくない・・というようなことをどこかで語っていたから、こういう役をやりたかったのだろう。これもうまくまとめていたが、イエスの復活がマグダラのマリアの幻覚だったとするならば、その幻覚を見た本人には熱狂的に大ボラを吹きまくる雰囲気が欲しかったと思う。

美しいマリア、ホアキンのイエス

投稿日

2019/02/16

レビュアー

Yohey

マグダラのマリアを演じるルーニー・マーラさん、とっても美しい。マリアは本当、こんな方だったんだろうな、と思いながら見ました。そして、一方のホアキンのイエスは、なんだか新興宗教の教祖みたいです。我々が思い描くイエスのイメージとしてはちょっと違うけど、当時にとっては新興宗教なのだから、こんな感じだったのかな、と思いつつ見ました。

まあ、宗教のなんたるかが分かってない日本人にとっては、そんなに面白くないストーリーでした。一応、みんなが知っている話のまんまではなく、ペトロが黒人だったり、ユダの裏切りは必然であったりと色々加えていますけどね。そういった部分、どういう批評があったんだろうか、とそういったことに興味を持ちました。

さらっとしつつ興味深い

投稿日

2019/01/08

レビュアー

inui

原作・元ネタのどこを削り何を膨らませるか、というのは映画化においてあって当たり前ですが、本作はジーザスもの(といっていいのか)にあってしかるべきもの化していたエピソードが色々削られ、結構斬新なアプローチだと思います。特にユダの描写。
師の言行録的な側面がほぼないので、キリスト教を何となくしか知らない私には突飛さ不可解さに「???」となる場面が少なく、割と心穏やかに見られました。既存作品が詰め込みすぎとすると本作はスカスカに感じるほど。伝えたいことを絞り込んでる印象。
ストーリー・演出的に起伏があまりない感じでしたが、変に劇的にしていないのはよかったと思います。
映画として面白いかと言われると面白くはない気がするのですが、さらっとした感じゆえに染みる作品かもしれません。

特典映像「キャスト」「演出について」(合計4分半程度)

マグダラのマリアはイエスの妻だった?

投稿日

2019/01/06

レビュアー

哲郎

マグダラのマリアを主人公にしたイエス物語というのは、これが初めての製作になるでしょうね。
福音書のエピソードを映画化したこれまでの有名作品とちがって、二千年前の史実性に気を配った人物設定など新鮮でした。とくにシモン(ペトロ)とアンデレの兄弟がアフリカ系の人になっていることに驚きと意外性をもったわけだけど、年齢はもちろんのこと各使徒のパーソナリティーやプロフィールはほとんどわかっていないわけだから、これもありでしょう。
イスラエルは交易の要衝地で、大国に席捲された経験がいく度もあるわけだから、エジプト人とかアフリカ側からも人が流れて来てるだろうし、アラブ人はもとより小アジアやギリシャ方面からも来ており、実際多民族混交だったんでしょうねぇ。

さて、作品はイエスの公生涯に付き添ったマグダラのマリアの軌跡(もちろん創作)をたどるだけでなく、イエスと弟子たちとの関係、弟子たちの思惑なども浮き彫りにし、イエス運動が単に布教活動だけであったわけではなく、社会改革であり、革命的行動の要素があったことを描いています。
進行上、マリア、イエス、ペトロ、ユダの四人を物語の主要な位置に置き、彼らの言動を通してグループ内での弟子それぞれの立場の違い、イエスの信仰に対する理解の違いを表しており、グループがイエスを中心とした厳格で強固な信仰集団というわけでもなかったことが窺われます。
イスカリオテのユダのキャラクターは特異でしたね。まあ、二千年前なら珍しくは無かったかもしれないけど、今の感覚なら必ず狂信者と思われる。しかも、イエスを官憲に売った理由が、イエスの究極の奇跡を見たかったからという倒錯した妄信によるものとなっている。

ところで、ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』で知られるようになったが、「マグダラのマリアはイエスの妻だった」という説がある。
私はこの説を支持している。イエスの信仰グループに近侍した女性たちは少なくなかったようだが、もし描かれたとおりマリアが直弟子たちとともに伝道の旅をしていたなら、一人の女性が無事にそこにいられる理由は一つである。それはその人が教祖の妻(もしくは妻同様の存在)であるということだ。しかも、二人の間には子があったという説も私はありうると思っている。
物語の前後にマリアが水中を浮遊する自分を夢想する影像がある。それを、幼い頃兄たちと湖で遊んだ頃の記憶だと彼女はイエスに語っている。
マリアが感じた“神の国”のイメージかもしれないが、最初のそのシーンの後にすぐ家族の出産の場面が置かれたことを深く考えると、もしかしたら湖水を羊水とも重ねて、新しい命(二人の子)のはじまりを示唆したものかもしれない。

1〜 5件 / 全7件