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ミロスラヴ・スラボシュピツキー監督が全編手話のみで描いたウクライナ映画。ろうあ者の寄宿学校に入学したセルゲイは、入学早々犯罪や売春などを行う組織・族(トライブ)の洗礼を受ける。やがて彼は、組織の中で頭角を現していくが…。※R18+
製作年: |
2014年 |
---|---|
製作国: |
ウクライナ |
原題: |
PLEMYA/THE TRIBE |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
132分 | オリジナル:ドルビーデジタル5.1ch | |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
R-18 | VPBU22414 | 2015年11月25日 |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
12枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
132分
字幕:
音声:
オリジナル:ドルビーデジタル5.1ch
レイティング:
R-18
記番:
VPBU22414
レンタル開始日:
2015年11月25日
在庫枚数
12枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
0人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
132分 | オリジナル:ドルビーデジタル5.1ch | |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
R-18 | VPBU22414 | 2015年11月25日 |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
12枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
132分
字幕:
音声:
オリジナル:ドルビーデジタル5.1ch
レイティング:
R-18
記番:
VPBU22414
レンタル開始日:
2015年11月25日
在庫枚数
12枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
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ろうあ者の寄宿学校が舞台で、交わされる言葉は手話のみ。
かつその手話に一切の字幕をつけないという斬新な手法で、カンヌなどの国際映画祭でも評価されたというウクライナ映画。
字幕がないので、登場人物の会話の内容は全く理解できません。
ネットやパンフをみると、登場人物の名前や場所がウクライナだということがわかるのだけど、
それもこの映画を観るだけでははっきりとはわからない。
そんな状況なので、細かいところまで内容が把握できている自信がないけど、こんな話です。
「主人公の少年が入学したろうあ学校は、暴力、犯罪がはびこる場所だった。
ふたりの女子生徒は夜な夜な宿舎を抜け出し、売春に精を出していたが、
彼女たちの送迎をまかされるようになった少年は、片方の少女と恋仲に。
次第に強まる少女への執着。そして破滅的なラストへ向かう。」
さて、私が観たのは60席くらいの小さな劇場で、10人くらいしか観てなかったのだけど、
私の後方に座っていた二人連れがなんだかうるさい。
話声ではなく、ものを食べる音、飲み物のカップを置く音などが大きい。
気になって後ろを見てみると、ふたりが手話で会話してるではないか。
そっか、自分たちの出してる音が聞こえないんだ。
それを見て、はたと疑問がわきました。
この映画は耳の聞こえない人たちが住む世界を描いているはずなんだけど、
果たして字幕を消すことでそれが表現できてるんだろうか?
音はそのままで字幕を消したって、それはあくまで耳の聞こえる者の目でみた世界でしかないし、
これなら外国語の映画を字幕なしで観るのと全く変わらない。
耳の聞こえない人たちの世界を表現したいなら、字幕ではなくて音を消すべきじゃないだろうか。
主人公が彼女とセックスしてても、隣のベッドにいる子が全く気づかないで寝てるのも、
ラストに主人公が残虐な方法で仲間を殺していってるのに、誰も気づかないのも、
彼らには聞こえないから。
でも、音をいれてるから私たちは「なんで気づかないの?」と思ってしまうんだよね。
この一見斬新に見える手法の珍しさで評価されたんだろうけど、内容はありがちな暴力&犯罪映画。
堕胎のシーンをあれほど長くかつ詳細に撮る必要はあったのか?正視に耐えがたかったです。
このレビューは気に入りましたか? 5人の会員が気に入ったと投稿しています
全編、手話での会話で吹き替え、字幕なしという新しい手法(と言っていいのかな?)が
やはり奏効しているのでしょうね。
映画の中の世界は決して「静か」ではなく、激しい言葉のやり取り(手話)が
交わされているにも関わらず、観客は「静寂」の中に置かれるので、
たぶん、「温度差」が生じているんだと思う。
字幕がないのでセリフから想起される感覚もシャットアウトされて、
登場人物らはヒートアップしているのに置いてきぼりになる。
で、気づくと、物語はとんでもない悲劇へと転がっている。
このラスト数分の緊迫感とリズム、衝撃には息を飲みました。
映像表現によって何らかのインパクトを与えられる事が映画体験の一つの「快楽」、
・・・と言っていいなら、こういう作品もアリかもしれない。
んー、でも、自分は苦手かなぁ。
思い出したのはギャスパー・ノエの「アレックス」(2002)で、
あれも2度と観たくない作品の一つ(苦笑)。
余りにも衝動的かつ容赦のない暴力の在り様と、その切り取り方がちょっと似てる気がした。
このレビューは気に入りましたか? 4人の会員が気に入ったと投稿しています
題名が示すように ある集団の物語 ヴィットゲンシュタインは動物
は何故 話さないかとの問いに 彼等は単に話さないのだと答える
わけだが この映画はまるで 鳥のような動物の生態学のように
撮られている 手を羽ばたかせる事 歩き走る事 群れる事 人間なので
着替えをする事などが執拗に描写される
冒頭の道路の過剰な騒音は ジャックタチ「トライフィック」の
音響設計に影響されているだろうか 言葉と字幕が無ければ当然
音と動作がクローズアップされる 説明はないので 僕は画面の隅々
まで 見てしまう
ところで日本における 無声映画とゆう言い方はおかしいわけで
無音映画でしょう トライブこそ無声映画w サイレントとはそもそも
音が無いハンディを逆手に取って 個性的な演出による芸術表現と
して構造化されているわけで ここに単調なピアノなど入れると
それは異物としてぶつかり 構造を破壊してしまうわけだ その事を
トライブは見せつけてしまうわけだが しかし人が実際に会話を
しているわけで 構造はサイレンととも全く違ってズレが生じている
これがトライブの肝な訳で 実験なのですね 大変 刺激的なインパクト
を持った作品で 画面の強度は二時間引っ張ったよ 面白かったね
ラストは なるほど音が聴こえない恐怖を迎えて終わるだろう
このレビューは気に入りましたか? 2人の会員が気に入ったと投稿しています
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本作に興味を持ったのは言葉のない世界、いわゆる音がないという普通に考えたら非日常性なところと、ジャケットにあるセックスシーンだ。
観ると全編が手話による会話で、健聴者にしてみればなにを話しているのか分からない。パントマイムとは違うらしいので、どうやら聴覚障害者の物語という、それ以上でも以下でもないという印象を持った。
それにしても暴力や売春など不良グループなのか、登場する人物はみな荒れ狂っている。キャッチコピーに純愛などと謳っていたが、動物の奔放さに近いのではないだろうか。
音の言語を持たない意思疎通が、はたしてどこまで微細な感情を伝えられるのだろうか。本作を観るかぎりでは非常に感情の起伏だけが突出している感じで、それが音を介しない手話に起因するものだとは、考えすぎであろうか。
しかし本作によって聴覚障害者に対して、あまり良い印象を持たれないのではないかと変に危惧してしまう。それは苦手なバイオレンスものであることと、手話に対してのコミュニケーション理解が希薄なせいかもしれない。
本作はろう者による物語という衝撃性に誘われて観たものの、内容の荒々しさの方が目立ってしまい、音のないコミュニケーションの可能性に興味があったわたしとしては、ある意味分かりやすすぎる面で期待外れな映画だった。作ったもの勝ちというような映画ではないだろうか。★★☆
このレビューは気に入りましたか? 2人の会員が気に入ったと投稿しています
どうせ頭でっかちのお澄まし映画だろうと思って観に行くと……ただならぬパッションに衝撃を受ける。フィリベールの『音のない世界で』でも手話による豊潤な言葉の世界を感じたが、本作の激烈なやり取りに更に圧倒される。性と暴力の物語は普通だが、なんだ何も健常者と変わらないじゃないか、などと思っていると、実は潜在する差別意識が炙り出される恐ろしい映画である。80点。
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ザ・トライブ
入力内容に誤りがあります。
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ユーザーレビュー:6件
投稿日
2015/11/12
レビュアー
パープルローズ※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
ろうあ者の寄宿学校が舞台で、交わされる言葉は手話のみ。
かつその手話に一切の字幕をつけないという斬新な手法で、カンヌなどの国際映画祭でも評価されたというウクライナ映画。
字幕がないので、登場人物の会話の内容は全く理解できません。
ネットやパンフをみると、登場人物の名前や場所がウクライナだということがわかるのだけど、
それもこの映画を観るだけでははっきりとはわからない。
そんな状況なので、細かいところまで内容が把握できている自信がないけど、こんな話です。
「主人公の少年が入学したろうあ学校は、暴力、犯罪がはびこる場所だった。
ふたりの女子生徒は夜な夜な宿舎を抜け出し、売春に精を出していたが、
彼女たちの送迎をまかされるようになった少年は、片方の少女と恋仲に。
次第に強まる少女への執着。そして破滅的なラストへ向かう。」
さて、私が観たのは60席くらいの小さな劇場で、10人くらいしか観てなかったのだけど、
私の後方に座っていた二人連れがなんだかうるさい。
話声ではなく、ものを食べる音、飲み物のカップを置く音などが大きい。
気になって後ろを見てみると、ふたりが手話で会話してるではないか。
そっか、自分たちの出してる音が聞こえないんだ。
それを見て、はたと疑問がわきました。
この映画は耳の聞こえない人たちが住む世界を描いているはずなんだけど、
果たして字幕を消すことでそれが表現できてるんだろうか?
音はそのままで字幕を消したって、それはあくまで耳の聞こえる者の目でみた世界でしかないし、
これなら外国語の映画を字幕なしで観るのと全く変わらない。
耳の聞こえない人たちの世界を表現したいなら、字幕ではなくて音を消すべきじゃないだろうか。
主人公が彼女とセックスしてても、隣のベッドにいる子が全く気づかないで寝てるのも、
ラストに主人公が残虐な方法で仲間を殺していってるのに、誰も気づかないのも、
彼らには聞こえないから。
でも、音をいれてるから私たちは「なんで気づかないの?」と思ってしまうんだよね。
この一見斬新に見える手法の珍しさで評価されたんだろうけど、内容はありがちな暴力&犯罪映画。
堕胎のシーンをあれほど長くかつ詳細に撮る必要はあったのか?正視に耐えがたかったです。
投稿日
2016/04/10
レビュアー
ポッシュ全編、手話での会話で吹き替え、字幕なしという新しい手法(と言っていいのかな?)が
やはり奏効しているのでしょうね。
映画の中の世界は決して「静か」ではなく、激しい言葉のやり取り(手話)が
交わされているにも関わらず、観客は「静寂」の中に置かれるので、
たぶん、「温度差」が生じているんだと思う。
字幕がないのでセリフから想起される感覚もシャットアウトされて、
登場人物らはヒートアップしているのに置いてきぼりになる。
で、気づくと、物語はとんでもない悲劇へと転がっている。
このラスト数分の緊迫感とリズム、衝撃には息を飲みました。
映像表現によって何らかのインパクトを与えられる事が映画体験の一つの「快楽」、
・・・と言っていいなら、こういう作品もアリかもしれない。
んー、でも、自分は苦手かなぁ。
思い出したのはギャスパー・ノエの「アレックス」(2002)で、
あれも2度と観たくない作品の一つ(苦笑)。
余りにも衝動的かつ容赦のない暴力の在り様と、その切り取り方がちょっと似てる気がした。
投稿日
2016/10/22
レビュアー
裸足のラヴァース題名が示すように ある集団の物語 ヴィットゲンシュタインは動物
は何故 話さないかとの問いに 彼等は単に話さないのだと答える
わけだが この映画はまるで 鳥のような動物の生態学のように
撮られている 手を羽ばたかせる事 歩き走る事 群れる事 人間なので
着替えをする事などが執拗に描写される
冒頭の道路の過剰な騒音は ジャックタチ「トライフィック」の
音響設計に影響されているだろうか 言葉と字幕が無ければ当然
音と動作がクローズアップされる 説明はないので 僕は画面の隅々
まで 見てしまう
ところで日本における 無声映画とゆう言い方はおかしいわけで
無音映画でしょう トライブこそ無声映画w サイレントとはそもそも
音が無いハンディを逆手に取って 個性的な演出による芸術表現と
して構造化されているわけで ここに単調なピアノなど入れると
それは異物としてぶつかり 構造を破壊してしまうわけだ その事を
トライブは見せつけてしまうわけだが しかし人が実際に会話を
しているわけで 構造はサイレンととも全く違ってズレが生じている
これがトライブの肝な訳で 実験なのですね 大変 刺激的なインパクト
を持った作品で 画面の強度は二時間引っ張ったよ 面白かったね
ラストは なるほど音が聴こえない恐怖を迎えて終わるだろう
投稿日
2016/02/24
レビュアー
bell※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
本作に興味を持ったのは言葉のない世界、いわゆる音がないという普通に考えたら非日常性なところと、ジャケットにあるセックスシーンだ。
観ると全編が手話による会話で、健聴者にしてみればなにを話しているのか分からない。パントマイムとは違うらしいので、どうやら聴覚障害者の物語という、それ以上でも以下でもないという印象を持った。
それにしても暴力や売春など不良グループなのか、登場する人物はみな荒れ狂っている。キャッチコピーに純愛などと謳っていたが、動物の奔放さに近いのではないだろうか。
音の言語を持たない意思疎通が、はたしてどこまで微細な感情を伝えられるのだろうか。本作を観るかぎりでは非常に感情の起伏だけが突出している感じで、それが音を介しない手話に起因するものだとは、考えすぎであろうか。
しかし本作によって聴覚障害者に対して、あまり良い印象を持たれないのではないかと変に危惧してしまう。それは苦手なバイオレンスものであることと、手話に対してのコミュニケーション理解が希薄なせいかもしれない。
本作はろう者による物語という衝撃性に誘われて観たものの、内容の荒々しさの方が目立ってしまい、音のないコミュニケーションの可能性に興味があったわたしとしては、ある意味分かりやすすぎる面で期待外れな映画だった。作ったもの勝ちというような映画ではないだろうか。★★☆
投稿日
2015/12/27
レビュアー
よふかしどうせ頭でっかちのお澄まし映画だろうと思って観に行くと……ただならぬパッションに衝撃を受ける。フィリベールの『音のない世界で』でも手話による豊潤な言葉の世界を感じたが、本作の激烈なやり取りに更に圧倒される。性と暴力の物語は普通だが、なんだ何も健常者と変わらないじゃないか、などと思っていると、実は潜在する差別意識が炙り出される恐ろしい映画である。80点。