モラン神父 / ジャン・ポール・ベルモンド
モラン神父
/ジャン・ピエール・メルヴィル
平均評価点:
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全体の平均評価点: (5点満点)
(6)
解説・ストーリー
『サムライ』のジャン=ピエール・メルヴィル監督が、ジャン=ポール・ベルモンド主演で描いた恋愛ドラマ。第二次世界大戦下、アルプスの村に逃げ込んだコミュニストの闘志・バルニーは、小さな教会の若い神父・モランと出会い次第に惹かれていく。 JAN:4933672238838
『サムライ』のジャン=ピエール・メルヴィル監督が、ジャン=ポール・ベルモンド主演で描いた恋愛ドラマ。第二次世界大戦下、アルプスの村に逃げ込んだコミュニストの闘志・バルニーは、小さな教会の若い神父・モランと出会い次第に惹かれていく。 JAN:4933672238838
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「モラン神父」 の解説・あらすじ・ストーリー
解説・ストーリー
『サムライ』のジャン=ピエール・メルヴィル監督が、ジャン=ポール・ベルモンド主演で描いた恋愛ドラマ。第二次世界大戦下、アルプスの村に逃げ込んだコミュニストの闘志・バルニーは、小さな教会の若い神父・モランと出会い次第に惹かれていく。 JAN:4933672238838
「モラン神父」 の作品情報
「モラン神父」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
モラン神父の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
128分 |
日本語 |
1:ドルビーデジタル/モノラル/フランス語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
IVCF5444 |
2011年11月15日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
6枚
|
0人
|
0人
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モラン神父の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
128分 |
日本語 |
1:ドルビーデジタル/モノラル/フランス語
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レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
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IVCF5444 |
2011年11月15日
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在庫枚数 |
1位登録者: |
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ユーザーレビュー:6件
“柔肌の熱き血潮に触れもみで・・・
悲しからずや道を説く君” 確かに表面上、これ程ピタリとくる短歌もない。道を説くのはモラン神父。
その日、バルニーは気まぐれに、ふらりと教会に足を踏み入れた。
カール・マルクスの言葉を借りて「宗教はアヘン(麻薬)ね」と告解室にて
いきなり初対面のモラン神父を挑発するバルニーの目をジッと見つめながら
若いモラン神父は「信仰とは何か・・・他人の格言などによらず自分で考えてみるように」
と冷静に応じ、宗教を心の拠にするのではなく、悔い改める機会と見なさい。
懺悔することで罪と苦しみが流されると説く。
そして、本を貸すから司祭館の自分の部屋へいらっしゃいと誘う。
宗教を翻弄してやろうとしたバルニーの思惑はモラン神父のユーモアとロジックに徐々に崩れていく。
二人の心の対話が物語を形成する。フランスが枢軸国の手に堕ち5年の経過がここに凝縮されているのだが
その変遷がバルニー自身を動機づけていくようでもあるがある時、人の評価によってバルニーがモラン神父を
俄に異性として意識する件は重要だろう。
禁欲に支配された銃後の世界で、戦争未亡人であるバルニーが同年代のモラン神父に議論を吹きかけつつ
果敢にアタック!するわけだが「神の存在を証明する必要はない、愛を証明できないのと同じだ、
信仰にすがりたいというのは現実逃避に過ぎない」と、モラン神父は神に仕えた身であるからして
バルニーの挑発をさらりとかわしてみせるのである。
そこでモラン神父の内なる葛藤を汲み、バルニーの言動の発露を汲み取れば何か時代への内省、
(クルーゾーの「密告」的な)劇中の時代背景がむしろ物語の本質を語るような難しさがある。
モラン神父を若いジャン・ポール・ベルモンドが、バルニーは「24時間の情事」のエマニュエル・リヴァ、
また、バルニーの娘役で「シベールの日曜日」のパトリシア・ゴッジが顔を出している。
撮影はアンリ・ドカエ。
メルヴィルは「いぬ」の直前に、こういう作品を撮っていたというのが感慨深い。
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神へ身を捧げた者の「現世の愛」
(1961年製作・フランス)ジャン=ピエール・メルヴィル監督
ジャン・ポール・ベルモンド、28歳時の作品で『勝手にしやがれ』の2年後にあたる。
後のアクション映画やコメディ映画での大活躍を先に観賞した者からすれば、
え、神父の役?と意外なのだが、これが、実にスッキリお見事に「モラン神父様」
なのである。
もっとも、宗教的対話が軸とは言え、それほど固苦しい内容ではない。
無宗教の女性バルニーに、
「神は存在するのですか?」と問われ、
「神は存在するのではなく、神それ自体が存在です」(ますますわからん・・)
モラン神父は、テキトーな紙に、鼻くそみたいな丸点を描き、次にはその周囲を饅頭みたいな円でグルリと囲む。(あなたはコレです。神の中にアナタはいます。)
究極のシンプルな説明、物事を削ぎ落としていけばつまりそうなるのかもしれないと、
内心、ウチの坊主でも書けるわ・・と考えた自分を深く恥じた。
さて、舞台は、第二次世界大戦下のフランスのアルプス地方の田舎町。
戦争で夫を亡くし、子供一人を育てているバルニーは、教会の告解に出かけ、
モラン神父と出会い、信仰に関する本など借り、毎週、神父と信仰について語り合う事になる。
(その間、バルニーの会社での出来事や、占領下の生活なども描かれるが拙レビューでは
省略します)
神父室だか図書室だか不明だが、二人きりの部屋に相手はジャンポール・ベルモンド!
28歳、瞳は温かく、神への愛を語る誠実なしゃべり、
これは当然、オンナならば、惚れちまいますがな!!がな・・・がな・・。
そう、これは報われぬ愛に苦しむバルニーと、そうと知りつつ神父としての道を進む
モランのお話なのです!
ベルモンドははじめこの役が不満だったようです。(ちゅく様紹介のサイト「LE CERCLE ROUGE」の記事より)
しかし、この心理的葛藤を表現する経験を得た事で、後の出演映画に大きなプラスになったのではないでしょうか。役者としての潜在的魅力を引き出したメルヴィル監督も
素晴らしいと思います。
もはや、ガマンの限界のバルニー、神の話はそっちのけで(私の気持ち)を話すバルニーにモランは薪割りのナタを、マキにブッ刺してその場を出てゆく。
(ここはモランだって辛いのに、刺激しないでくれと言いたかったと思う)
またある日、そっとモランの手を触ろうとするバルニーに、モランは忍者の如く、
瞬殺で飛び退く・・(いくら何でも女性は傷つくよね)
しかし、手を許したら次は腕、次は上半身・・となるのではないかと、
もしかしたら自分も誘惑と戦うモランは、寝床の中で考えていたかもしれないのです。
(ここは私の想像です)「もし、肉の誘いがあったら、電撃で阻止しよう、そうしよう、
主よ、間違った選択をさせないで下さい、良き助け手になりますように。アーメン」
多くを語らないメルヴィル監督。
別れの場面はステキだ(ステキなのか?)余韻がある。
モラン「ではまた」
バルニー「またはあるの?」(一縷の希望に目が輝く)
モランの答えは、(シリアスな)本編にてお楽しみ下さい。ありがとうございました。
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書き直します 「モラン神父」
先回、「このモラン神父」のレヴューを、「影の軍隊」と間違って書いてしまった大ばか者です。
もう一度、この映画を見ながら、書き直します。
この映画の時代、舞台について、調べながら記してみます。
このレヴューを書くにあたり、ジャン・ピエール・メルヴィル監督に関する、国内最高のサイト「LE CERCLE ROUGE」http://melville.nomaki.jp/
を参考にさせていただくことを明記させていただきます。(以下、引用は、「 」★で示させていただきます。)
また、このサイトから多くの示唆、情報、同感を得たことに感謝します。
この映画の主人公は、ジャン・ポールベルモンド演じる「モラン神父」、若い彼の教区にいる、信仰を失った寡婦「バルニー」(エマニュエル・リヴァ)です。
時代は、ドイツ占領下のフランスで、当時、パリの直下南部、フランス中央部にあるヴィシーという郡部に、ドイツの傀儡政権がつくられました。
ド・ゴールはイギリスから本国に、ラジオで「抵抗」を鼓舞していた。1940年〜1944年の期間であるのですが、私には、もっと細かく特定できません。
場所は、「フランスのアルプス地方の田舎町」(★)という、マサヤさんの「LE CERCLE ROUGE」の情報から、また、このDVD(IVC版)の「作品解説」で、この映画の舞台は、ドイツでなくイタリアの占領下であったという情報があります。
ドイツに近い、中東部のアルザス・ロレーヌ地方ではなく、もっと南。
フランス南部のアルプス山脈の山岳地帯……モンブランがあり、南にはイタリア、北はフランスがあり、フランス側。
20世紀のイタリアには、ハンニバルのような機動力も士気もなく、フランス側は手薄であったでしょう。
フランス北部には、まだ先ですが、アメリカ・イギリスによる上陸作戦も準備されていた。
モンブランの登山起点は……シャモニーです。
「モラン神父」「バルニー」がいた村は、そこからかなり離れた山間の、ドイツ軍の精査の及ばない、辺鄙な場所だったのでしょう。
時代はわかりません。
DNDの「作品解説」には、「バルニー」は、「戦禍に夫を亡くし、小さな娘を抱えながらレジスタンス引導に参加する」ひとという記述がありました。
1943年から1944年、もっと言えば、こんなストーリーが成り立つのは、1943年のムッソリーニ失脚の直前の春のころだったもしれません。
カトリックの若い神父も、ベルモンドが演じると、かなりアクションが出るか、と危惧していました。
彼は、知的な演技者であり、この少し過激な神父を演じ、一線を越えてはいないでしょう、たぶん。
最近、「愛 アムール」で注目された、女優エマニュエル・リヴァ(【1927〜】は、このとき美しいです。
「ヒロシマ・モナムール」(「二十四時間の情事」A・レネ監督【1922〜2014】)で、岡田英次(【1920〜1995】)と共演しましたが、彼女は、その撮影で訪れたときの広島を写真に撮りました。被爆から復興する前の広島です。2008年、彼女の撮った写真が、広島、東京で展示されました。
すこし傍を歩きましたが、この「モラン神父」は、会話を主体にした映画です。
神父は彼女を救おうとするが、自分の教義問答を越える悲劇を彼女が抱えていることを知る。
彼女は、誰かに自分の進む道を示唆してほしいが、それは神ではない。
ふたりは、ひとりの男と、ひとりの女として出会わざるを得なかった。
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メルヴィルが描くベルモンドの異色な作品。
ギャング、フィルムノワール系の作品で絶対の人気を持つジャン・ピエール・メルヴィルがいつもと違う題材を取り上げた珍しい作品。内省的な題材・地味な内容故にリアルタイムでは日本では未公開になったんだと思う作品だが後年、ミニシアター隆盛の時代になったせいだと思うが日の目を見たのは嬉しい。メルヴィルが描く冷めた視点で描く、ベルモンド演じる神父に恋してしまった女性主人公の苦悩と、それに常にクールに対応するベルモンドの、ありきたりの神父でない、ちょっとやさぐれ感のあるところが如何にもメルヴィル風だ。メルヴィルとは、ベルモンド本来のキャラを生かしたギャング物「いぬ」とは異なる珍しい役柄で新たな彼の魅力を生した。しかしどんな題材でも画面から漂う独特の静寂なクールさが漂うメルヴィルさが滲み出るのは、撮影がメルヴィルの盟友であり「死刑台のエレベーター」「大人は判ってくれない」「いとこ同志」と名作ばかりの職人アンリ・ドカエの手腕が大きい。特にその映像美の手腕が遺憾なく発揮されたのはアラン・ドロンとメルヴィルが初めて組んだ「サムライ」だと思う。極端にセリフの少ないこの作品が映像に頼る比重の重さは特に強い。この設定にアラン・ドロンの男前、寡黙でクールなイメージとメルヴィルが心酔する侍の武士道精神を合致させて傑作になった。ジョン・ウーやタランティーノがメルヴィルに心酔するのが彼等の作風を観ているとよく判る。余談だが先日亡くなったベルモンドの追悼記事をキネ旬で読んだ。その中で彼の死去を悼んで母国フランスで国民追悼式が営まれ、その様子がテレビ、ネットで生中継された事を知った。これは過去に特別な業績を残した人物に対し、政府が主催となって執り行うそうで、マクロン大統領は「彼は国の宝だった。」と述べたそうだ。日本人はイケメン好きなので当時絶対的にアラン・ドロン支持ばかりだったが本国では愛嬌があって人間味のある彼に絶大な人気があったのをひしひしと感じる。近年漸く彼の魅力が日本でも再注目され始め「ジャン・ポール・ベルモンド傑作選」と称して特集上映が2回行われている。このリバイバル上映の仕掛け人という江戸木純という人物のインタビュー記事が上記のキネ旬に載っていて彼は第1回目公開の際にベルモンド本人に伝え、彼が大入りの連絡に大いに喜んでくれたそうだ。ベルモンドだって日本では当時ドロンの方がダントツ人気なのはおそらく知っていただろうから嬉しかったろうね。日本でもあなたの作品を好きな人間は大勢いるんだという事を知って貰って良かった。この追悼記事には日本のSFアクション漫画「コブラ」の作者、寺沢武一のインタビューも載っていて、余りに有名だがこの主人公はベルモンドをモデルにしている。彼のベルモンド愛をインタビューで強く感じたのだが、特に印象深い作品を聞かれて「ラ・スクムーン」と答えてくれたのが嬉しい。全く同感なのだ。「白いマフラーのポスターが好きでね。」なのだそうだ。最後にこの追悼特集で、未見だが晩年、再びドロンと共演したパトリス・ルコントの「ハーフ・ア・チャンス」でもう60代半ばだったのにまだ、おそらく「恐怖に襲われた街」みたいにヘリコプターからの宙吊りをスタント無しでやったそうで、このシーンでドロンがヘリコプターを操縦してベルモンドがロープで宙吊りになったまま上がってきてヘリの機内に顔を出しながらのセリフが「おい、言っとくけど、これが最後だぞ。」・・・最高だ。更に余談だが、アカデミー賞を勝ち取った「ドライブ・マイ・カー」チームに対する祝意を書きたい。こんなに外国の人々から共感好評を得られる作品て、日本映画では早々ないと思う。特に西島秀俊について今朝の朝日新聞によると、彼がデビューした1990年代初め、主な活動の場はテレビドラマで「あすなろ白書」で注目を集めたとある。トレンディー路線を歩むかに思われたが彼がこだわったのは当時低迷していた映画だった。当時のテレビドラマのプロデューサーは「映画を選ぶと聞いて驚いた。」と述べている。彼がバックボーンに映画を選ぶ程、好きなんだという事が今回初めて分かり、今までそれほど特に彼に注目していた訳では無かったのが見方を変えた。今回の授賞式中継で壇上にプレゼンターのサミェル・ジャクソン、両脇でつるっぱげのトラボルタとサーマンが「パルプ・フィクション」のダンス・コンテストで向かい合って踊るシーンを彼等自らパロって踊り出すと場内が大受けで一瞬、客席の西島が大笑いしているショットが映って面白かった。「多分、タランティーノ好きなんだろうな。」と思う。これを機に彼がハリウッド、又は他の外国の映画界からお呼びが掛かる事を願っている。
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ニコール・ミレルの眉。
ジャンポール・ベルモンドの新しい部分を見ることができたのと、登場する教会の
建物が建築物としてすごく興味深い作りになっていて、その部分はよかったものの
全体として何を伝えたいのかがわたしにはよく分からず、ぼんやりとした印象しか残らず。
神父、ということなのでカトリックで、神父の身分は婚姻が許されないキリスト教の宗派の中でも
戒律が古めかしく厳しい宗派。
時代はドイツナチスが台頭してきた第二次世界大戦頃で、舞台はフランスで
ムッソリーニ時代のイタリアに占領されてる街だと分かる。
エマニュエル・リバ演じるバルニーはユダヤ系。
小さな娘を育てながら大学教授の元で論文の検索をするシングルマザーだ。
当時の女性の仕事としては良い待遇の仕事で、教養のある自立した女性なのだと思う。
教授もユダヤ系で、職場にもユダヤ系の同僚がいるがユダヤ人であることを冗談にして
笑える空気で風通しの良い職場だった。
それがナチスの勢力が強くなり、ユダヤ人への締め付けが目についてひどくなっていき、
職場内も街も、バルニー自身も不穏な空気に押し込まれていく。
そんな弱った状況でなんとなく入った教会の告解室。
名前から、この神父はブルジョワじゃなく、貧しい出よね、
とモラン神父の扉を開く。
ここから、無宗教で自尊心が強く独立して母として社会人として生きてきたバルニーの心が
ざわつきだす。
ジャンポール・ベルモンドの雑で大らかで無鉄砲な男臭さが大好きで、
彼が出ている映画という理由で借りた。
「勝手にしやがれ」より前の映画なのかな、と思いきや後の映画。
あのイメージが強烈で、自然で彼の個性がいかんなく発揮されていて、恐らく本人も
演じていて気持ちよかったのではないだろうかと想像する。
ところが、それとは真逆のイメージの役。
手も足も口も封じ込められたような窮屈さを感じたのではと思う。
後で他の方のレビューに、最初に演技したベルモンドにメルヴィル監督は
そんな演技じゃないだろ!
みたいな感じで激怒したそうだ。
その激怒後、ベルモンドの演技は変化したという。
実際、モラン神父はとても控え目で感情の起伏も感じられない。
そのモラン神父と対話を続けるうちに、バルニーはどんどん神父に惹かれていき、
信仰心を覚え、神父を男性として意識して悶々とする。
神父はそっけないのだけど、唯一疑問に残るのは何度もバルニーや彼女以外の
彼に好意を寄せている女性にわざと司祭服の袖をバサッと当てる行為。
あれは、最後まで、どういうつもりなのか、偶然なのか、意図してなのかよく分からなかった。
物語は至ってシンプルで、幕引きもシンプル。
ただ、見終わったあと、何にも残らなかった。
これ、カンヌで受賞してるのよね。
一応宗教史とか世界史とか色々勉強しているつもりなんだけど、
無宗教の日本人のわたしには理解できないということなのだろうか。
あとほんとに個人の好みの問題だけど、主人公を演じたエマニュエル・リバの雰囲気が
全く好みではなくて、役上の性格も可愛げがなくて共感できず。
ほんの一瞬登場した、上司役のニコール・ミレルには釘付けに。
すっごい存在感で、あのヘンテコな極度に弓形な極細眉はなんやねん!
と思いながらもすっごい好き!
とうっとり。
他に出てる映画ないかと調べるとゴダールにちょっと出てる。
でもこの映画の5年くらい後には引退していて、そこもまたミステリアスで良い。
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ユーザーレビュー
“柔肌の熱き血潮に触れもみで・・・
投稿日
2012/09/21
レビュアー
コリンスキー
悲しからずや道を説く君” 確かに表面上、これ程ピタリとくる短歌もない。道を説くのはモラン神父。
その日、バルニーは気まぐれに、ふらりと教会に足を踏み入れた。
カール・マルクスの言葉を借りて「宗教はアヘン(麻薬)ね」と告解室にて
いきなり初対面のモラン神父を挑発するバルニーの目をジッと見つめながら
若いモラン神父は「信仰とは何か・・・他人の格言などによらず自分で考えてみるように」
と冷静に応じ、宗教を心の拠にするのではなく、悔い改める機会と見なさい。
懺悔することで罪と苦しみが流されると説く。
そして、本を貸すから司祭館の自分の部屋へいらっしゃいと誘う。
宗教を翻弄してやろうとしたバルニーの思惑はモラン神父のユーモアとロジックに徐々に崩れていく。
二人の心の対話が物語を形成する。フランスが枢軸国の手に堕ち5年の経過がここに凝縮されているのだが
その変遷がバルニー自身を動機づけていくようでもあるがある時、人の評価によってバルニーがモラン神父を
俄に異性として意識する件は重要だろう。
禁欲に支配された銃後の世界で、戦争未亡人であるバルニーが同年代のモラン神父に議論を吹きかけつつ
果敢にアタック!するわけだが「神の存在を証明する必要はない、愛を証明できないのと同じだ、
信仰にすがりたいというのは現実逃避に過ぎない」と、モラン神父は神に仕えた身であるからして
バルニーの挑発をさらりとかわしてみせるのである。
そこでモラン神父の内なる葛藤を汲み、バルニーの言動の発露を汲み取れば何か時代への内省、
(クルーゾーの「密告」的な)劇中の時代背景がむしろ物語の本質を語るような難しさがある。
モラン神父を若いジャン・ポール・ベルモンドが、バルニーは「24時間の情事」のエマニュエル・リヴァ、
また、バルニーの娘役で「シベールの日曜日」のパトリシア・ゴッジが顔を出している。
撮影はアンリ・ドカエ。
メルヴィルは「いぬ」の直前に、こういう作品を撮っていたというのが感慨深い。
神へ身を捧げた者の「現世の愛」
投稿日
2021/10/05
レビュアー
くまげらの森
(1961年製作・フランス)ジャン=ピエール・メルヴィル監督
ジャン・ポール・ベルモンド、28歳時の作品で『勝手にしやがれ』の2年後にあたる。
後のアクション映画やコメディ映画での大活躍を先に観賞した者からすれば、
え、神父の役?と意外なのだが、これが、実にスッキリお見事に「モラン神父様」
なのである。
もっとも、宗教的対話が軸とは言え、それほど固苦しい内容ではない。
無宗教の女性バルニーに、
「神は存在するのですか?」と問われ、
「神は存在するのではなく、神それ自体が存在です」(ますますわからん・・)
モラン神父は、テキトーな紙に、鼻くそみたいな丸点を描き、次にはその周囲を饅頭みたいな円でグルリと囲む。(あなたはコレです。神の中にアナタはいます。)
究極のシンプルな説明、物事を削ぎ落としていけばつまりそうなるのかもしれないと、
内心、ウチの坊主でも書けるわ・・と考えた自分を深く恥じた。
さて、舞台は、第二次世界大戦下のフランスのアルプス地方の田舎町。
戦争で夫を亡くし、子供一人を育てているバルニーは、教会の告解に出かけ、
モラン神父と出会い、信仰に関する本など借り、毎週、神父と信仰について語り合う事になる。
(その間、バルニーの会社での出来事や、占領下の生活なども描かれるが拙レビューでは
省略します)
神父室だか図書室だか不明だが、二人きりの部屋に相手はジャンポール・ベルモンド!
28歳、瞳は温かく、神への愛を語る誠実なしゃべり、
これは当然、オンナならば、惚れちまいますがな!!がな・・・がな・・。
そう、これは報われぬ愛に苦しむバルニーと、そうと知りつつ神父としての道を進む
モランのお話なのです!
ベルモンドははじめこの役が不満だったようです。(ちゅく様紹介のサイト「LE CERCLE ROUGE」の記事より)
しかし、この心理的葛藤を表現する経験を得た事で、後の出演映画に大きなプラスになったのではないでしょうか。役者としての潜在的魅力を引き出したメルヴィル監督も
素晴らしいと思います。
もはや、ガマンの限界のバルニー、神の話はそっちのけで(私の気持ち)を話すバルニーにモランは薪割りのナタを、マキにブッ刺してその場を出てゆく。
(ここはモランだって辛いのに、刺激しないでくれと言いたかったと思う)
またある日、そっとモランの手を触ろうとするバルニーに、モランは忍者の如く、
瞬殺で飛び退く・・(いくら何でも女性は傷つくよね)
しかし、手を許したら次は腕、次は上半身・・となるのではないかと、
もしかしたら自分も誘惑と戦うモランは、寝床の中で考えていたかもしれないのです。
(ここは私の想像です)「もし、肉の誘いがあったら、電撃で阻止しよう、そうしよう、
主よ、間違った選択をさせないで下さい、良き助け手になりますように。アーメン」
多くを語らないメルヴィル監督。
別れの場面はステキだ(ステキなのか?)余韻がある。
モラン「ではまた」
バルニー「またはあるの?」(一縷の希望に目が輝く)
モランの答えは、(シリアスな)本編にてお楽しみ下さい。ありがとうございました。
書き直します 「モラン神父」
投稿日
2014/03/21
レビュアー
ちゅく
先回、「このモラン神父」のレヴューを、「影の軍隊」と間違って書いてしまった大ばか者です。
もう一度、この映画を見ながら、書き直します。
この映画の時代、舞台について、調べながら記してみます。
このレヴューを書くにあたり、ジャン・ピエール・メルヴィル監督に関する、国内最高のサイト「LE CERCLE ROUGE」http://melville.nomaki.jp/
を参考にさせていただくことを明記させていただきます。(以下、引用は、「 」★で示させていただきます。)
また、このサイトから多くの示唆、情報、同感を得たことに感謝します。
この映画の主人公は、ジャン・ポールベルモンド演じる「モラン神父」、若い彼の教区にいる、信仰を失った寡婦「バルニー」(エマニュエル・リヴァ)です。
時代は、ドイツ占領下のフランスで、当時、パリの直下南部、フランス中央部にあるヴィシーという郡部に、ドイツの傀儡政権がつくられました。
ド・ゴールはイギリスから本国に、ラジオで「抵抗」を鼓舞していた。1940年〜1944年の期間であるのですが、私には、もっと細かく特定できません。
場所は、「フランスのアルプス地方の田舎町」(★)という、マサヤさんの「LE CERCLE ROUGE」の情報から、また、このDVD(IVC版)の「作品解説」で、この映画の舞台は、ドイツでなくイタリアの占領下であったという情報があります。
ドイツに近い、中東部のアルザス・ロレーヌ地方ではなく、もっと南。
フランス南部のアルプス山脈の山岳地帯……モンブランがあり、南にはイタリア、北はフランスがあり、フランス側。
20世紀のイタリアには、ハンニバルのような機動力も士気もなく、フランス側は手薄であったでしょう。
フランス北部には、まだ先ですが、アメリカ・イギリスによる上陸作戦も準備されていた。
モンブランの登山起点は……シャモニーです。
「モラン神父」「バルニー」がいた村は、そこからかなり離れた山間の、ドイツ軍の精査の及ばない、辺鄙な場所だったのでしょう。
時代はわかりません。
DNDの「作品解説」には、「バルニー」は、「戦禍に夫を亡くし、小さな娘を抱えながらレジスタンス引導に参加する」ひとという記述がありました。
1943年から1944年、もっと言えば、こんなストーリーが成り立つのは、1943年のムッソリーニ失脚の直前の春のころだったもしれません。
カトリックの若い神父も、ベルモンドが演じると、かなりアクションが出るか、と危惧していました。
彼は、知的な演技者であり、この少し過激な神父を演じ、一線を越えてはいないでしょう、たぶん。
最近、「愛 アムール」で注目された、女優エマニュエル・リヴァ(【1927〜】は、このとき美しいです。
「ヒロシマ・モナムール」(「二十四時間の情事」A・レネ監督【1922〜2014】)で、岡田英次(【1920〜1995】)と共演しましたが、彼女は、その撮影で訪れたときの広島を写真に撮りました。被爆から復興する前の広島です。2008年、彼女の撮った写真が、広島、東京で展示されました。
すこし傍を歩きましたが、この「モラン神父」は、会話を主体にした映画です。
神父は彼女を救おうとするが、自分の教義問答を越える悲劇を彼女が抱えていることを知る。
彼女は、誰かに自分の進む道を示唆してほしいが、それは神ではない。
ふたりは、ひとりの男と、ひとりの女として出会わざるを得なかった。
メルヴィルが描くベルモンドの異色な作品。
投稿日
2022/03/29
レビュアー
CCR
ギャング、フィルムノワール系の作品で絶対の人気を持つジャン・ピエール・メルヴィルがいつもと違う題材を取り上げた珍しい作品。内省的な題材・地味な内容故にリアルタイムでは日本では未公開になったんだと思う作品だが後年、ミニシアター隆盛の時代になったせいだと思うが日の目を見たのは嬉しい。メルヴィルが描く冷めた視点で描く、ベルモンド演じる神父に恋してしまった女性主人公の苦悩と、それに常にクールに対応するベルモンドの、ありきたりの神父でない、ちょっとやさぐれ感のあるところが如何にもメルヴィル風だ。メルヴィルとは、ベルモンド本来のキャラを生かしたギャング物「いぬ」とは異なる珍しい役柄で新たな彼の魅力を生した。しかしどんな題材でも画面から漂う独特の静寂なクールさが漂うメルヴィルさが滲み出るのは、撮影がメルヴィルの盟友であり「死刑台のエレベーター」「大人は判ってくれない」「いとこ同志」と名作ばかりの職人アンリ・ドカエの手腕が大きい。特にその映像美の手腕が遺憾なく発揮されたのはアラン・ドロンとメルヴィルが初めて組んだ「サムライ」だと思う。極端にセリフの少ないこの作品が映像に頼る比重の重さは特に強い。この設定にアラン・ドロンの男前、寡黙でクールなイメージとメルヴィルが心酔する侍の武士道精神を合致させて傑作になった。ジョン・ウーやタランティーノがメルヴィルに心酔するのが彼等の作風を観ているとよく判る。余談だが先日亡くなったベルモンドの追悼記事をキネ旬で読んだ。その中で彼の死去を悼んで母国フランスで国民追悼式が営まれ、その様子がテレビ、ネットで生中継された事を知った。これは過去に特別な業績を残した人物に対し、政府が主催となって執り行うそうで、マクロン大統領は「彼は国の宝だった。」と述べたそうだ。日本人はイケメン好きなので当時絶対的にアラン・ドロン支持ばかりだったが本国では愛嬌があって人間味のある彼に絶大な人気があったのをひしひしと感じる。近年漸く彼の魅力が日本でも再注目され始め「ジャン・ポール・ベルモンド傑作選」と称して特集上映が2回行われている。このリバイバル上映の仕掛け人という江戸木純という人物のインタビュー記事が上記のキネ旬に載っていて彼は第1回目公開の際にベルモンド本人に伝え、彼が大入りの連絡に大いに喜んでくれたそうだ。ベルモンドだって日本では当時ドロンの方がダントツ人気なのはおそらく知っていただろうから嬉しかったろうね。日本でもあなたの作品を好きな人間は大勢いるんだという事を知って貰って良かった。この追悼記事には日本のSFアクション漫画「コブラ」の作者、寺沢武一のインタビューも載っていて、余りに有名だがこの主人公はベルモンドをモデルにしている。彼のベルモンド愛をインタビューで強く感じたのだが、特に印象深い作品を聞かれて「ラ・スクムーン」と答えてくれたのが嬉しい。全く同感なのだ。「白いマフラーのポスターが好きでね。」なのだそうだ。最後にこの追悼特集で、未見だが晩年、再びドロンと共演したパトリス・ルコントの「ハーフ・ア・チャンス」でもう60代半ばだったのにまだ、おそらく「恐怖に襲われた街」みたいにヘリコプターからの宙吊りをスタント無しでやったそうで、このシーンでドロンがヘリコプターを操縦してベルモンドがロープで宙吊りになったまま上がってきてヘリの機内に顔を出しながらのセリフが「おい、言っとくけど、これが最後だぞ。」・・・最高だ。更に余談だが、アカデミー賞を勝ち取った「ドライブ・マイ・カー」チームに対する祝意を書きたい。こんなに外国の人々から共感好評を得られる作品て、日本映画では早々ないと思う。特に西島秀俊について今朝の朝日新聞によると、彼がデビューした1990年代初め、主な活動の場はテレビドラマで「あすなろ白書」で注目を集めたとある。トレンディー路線を歩むかに思われたが彼がこだわったのは当時低迷していた映画だった。当時のテレビドラマのプロデューサーは「映画を選ぶと聞いて驚いた。」と述べている。彼がバックボーンに映画を選ぶ程、好きなんだという事が今回初めて分かり、今までそれほど特に彼に注目していた訳では無かったのが見方を変えた。今回の授賞式中継で壇上にプレゼンターのサミェル・ジャクソン、両脇でつるっぱげのトラボルタとサーマンが「パルプ・フィクション」のダンス・コンテストで向かい合って踊るシーンを彼等自らパロって踊り出すと場内が大受けで一瞬、客席の西島が大笑いしているショットが映って面白かった。「多分、タランティーノ好きなんだろうな。」と思う。これを機に彼がハリウッド、又は他の外国の映画界からお呼びが掛かる事を願っている。
ニコール・ミレルの眉。
投稿日
2021/11/16
レビュアー
真
ジャンポール・ベルモンドの新しい部分を見ることができたのと、登場する教会の
建物が建築物としてすごく興味深い作りになっていて、その部分はよかったものの
全体として何を伝えたいのかがわたしにはよく分からず、ぼんやりとした印象しか残らず。
神父、ということなのでカトリックで、神父の身分は婚姻が許されないキリスト教の宗派の中でも
戒律が古めかしく厳しい宗派。
時代はドイツナチスが台頭してきた第二次世界大戦頃で、舞台はフランスで
ムッソリーニ時代のイタリアに占領されてる街だと分かる。
エマニュエル・リバ演じるバルニーはユダヤ系。
小さな娘を育てながら大学教授の元で論文の検索をするシングルマザーだ。
当時の女性の仕事としては良い待遇の仕事で、教養のある自立した女性なのだと思う。
教授もユダヤ系で、職場にもユダヤ系の同僚がいるがユダヤ人であることを冗談にして
笑える空気で風通しの良い職場だった。
それがナチスの勢力が強くなり、ユダヤ人への締め付けが目についてひどくなっていき、
職場内も街も、バルニー自身も不穏な空気に押し込まれていく。
そんな弱った状況でなんとなく入った教会の告解室。
名前から、この神父はブルジョワじゃなく、貧しい出よね、
とモラン神父の扉を開く。
ここから、無宗教で自尊心が強く独立して母として社会人として生きてきたバルニーの心が
ざわつきだす。
ジャンポール・ベルモンドの雑で大らかで無鉄砲な男臭さが大好きで、
彼が出ている映画という理由で借りた。
「勝手にしやがれ」より前の映画なのかな、と思いきや後の映画。
あのイメージが強烈で、自然で彼の個性がいかんなく発揮されていて、恐らく本人も
演じていて気持ちよかったのではないだろうかと想像する。
ところが、それとは真逆のイメージの役。
手も足も口も封じ込められたような窮屈さを感じたのではと思う。
後で他の方のレビューに、最初に演技したベルモンドにメルヴィル監督は
そんな演技じゃないだろ!
みたいな感じで激怒したそうだ。
その激怒後、ベルモンドの演技は変化したという。
実際、モラン神父はとても控え目で感情の起伏も感じられない。
そのモラン神父と対話を続けるうちに、バルニーはどんどん神父に惹かれていき、
信仰心を覚え、神父を男性として意識して悶々とする。
神父はそっけないのだけど、唯一疑問に残るのは何度もバルニーや彼女以外の
彼に好意を寄せている女性にわざと司祭服の袖をバサッと当てる行為。
あれは、最後まで、どういうつもりなのか、偶然なのか、意図してなのかよく分からなかった。
物語は至ってシンプルで、幕引きもシンプル。
ただ、見終わったあと、何にも残らなかった。
これ、カンヌで受賞してるのよね。
一応宗教史とか世界史とか色々勉強しているつもりなんだけど、
無宗教の日本人のわたしには理解できないということなのだろうか。
あとほんとに個人の好みの問題だけど、主人公を演じたエマニュエル・リバの雰囲気が
全く好みではなくて、役上の性格も可愛げがなくて共感できず。
ほんの一瞬登場した、上司役のニコール・ミレルには釘付けに。
すっごい存在感で、あのヘンテコな極度に弓形な極細眉はなんやねん!
と思いながらもすっごい好き!
とうっとり。
他に出てる映画ないかと調べるとゴダールにちょっと出てる。
でもこの映画の5年くらい後には引退していて、そこもまたミステリアスで良い。
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モラン神父