狩人の夜の画像・ジャケット写真

狩人の夜 / ロバート・ミッチャム

全体の平均評価点:(5点満点)

21

全体の平均評価点:

予告編を検索

DVD

旧作

ジャンル :

「狩人の夜」 の解説・あらすじ・ストーリー

DVD

旧作

解説・ストーリー

ある死刑囚から、銀行を襲って手に入れた1万ドルを子供たちに託した事を聴いたハリーは、出所するや福音伝道師を装って未亡人と子供たちの住む町へ向かう。そして言葉巧みに未亡人に取り入り、結婚してしまう。彼の凶暴な正体を知り、母までも殺された幼い兄妹はふたりだけで逃亡を企てる。小舟に乗って川を下る兄妹はやがて身寄りのない子供たちの面倒を見ているクーパー夫人の家にたどり着くが、そこにもハリーは迫っていた……。

「狩人の夜」 の作品情報

作品情報

製作年:

1955年

製作国:

アメリカ

原題:

THE NIGHT OF THE HUNTER

「狩人の夜」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ

関連作品

関連作品

情炎の女サロメ

白い砂

ザ・ヤクザ

何という行き方!

ユーザーレビュー:21件

入力内容に誤りがあります。

内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。

  • 入力内容に誤りがあります。

この作品に関するあなたの感想や意見を書いてみませんか?

1〜 5件 / 全21件

黒い賛美歌が流れる、美しい悪夢

投稿日:2013/01/15 レビュアー:ぴよさん

(ネタバレあり)
 この映画、古き善きアメリカの人々と風景を映しながら、実はそれらのどこかが歪んで
いる、というところが怖い。正しく神の道を説く伝道師と、信心深く善良な人々。だが彼らは
それぞれに道を踏み外しているのだ。意識するしないの差はあれど。

 ロバート・ミッチャム扮する伝道師は、まるで神託であるかのように、殺人を犯し続けている。
女性を騙すことも自然なら、目的の為の殺人も当然の権利のように思っている。その証左に、
彼は子羊らを追い詰めながら、「歌う」。 最初それは、ただのからかいの歌に聞こえる。
だが、まるで自分の存在を知らしめるように歌い続ける姿に、それが彼にとっての賛美歌だと
分かり、震撼する。
 
 彼は伝道師を騙るうちに、自分だけの神を、心に宿してしまったのだ。それは殺しの神である。
なぜかことごとく女たちにはそれが分からないが、一人、少年だけがそれを察している。少年は、
父が罪を犯した事実を強烈なトラウマとする。それは癒えようの無い傷だった。柔らかな心を深く
傷つけ、少年特有の硬い殻で覆ってしまった。殻はその硬さゆえ、人の心を跳ね返す。跳ね返し
ながら、ソナーのように感じているのだ。「これは、自分を傷つけるものか、どうか」と。
切ない防衛本能だ。


 子供達の逃避行は、まるで黒い童話のようだ。原題『THE NIGHT OF THE HUNTER』の通り、
夜にハンティングされる子供が観る悪夢だ。夢かうつつか、判然としない。眠ろうとすると、黒い地平
から追跡者の賛美歌が聞こえてくる。これは実際の風景で無く、子供の悪夢の中の光景なのかも
しれない。それは少年の精神世界のように、原初的で、純粋で、残酷な美しさを見せる。
 しかし追い詰められた家には、少年の硬い殻と「共振」し得る老女が居た。彼女は真の賛美歌を
歌い、悪と対峙する。ライフルを胸に抱きながら歌い、神の意志を叩きつけるのだ。 

 公開時、聖女ギッシュにライフルとは、なんと不謹慎なという声が上がったらしい。だが、ライフルは
道具に過ぎない。彼女は、その聖なる信念で狩人と闘ったのだ。それはライフルよりも揺るぎなく、
強い力だった。

 ラストで善良なる市民が一転、「悪魔を吊るせ」と声を上げる。そのシュプレヒコールは、悪の賛美歌
と、どこか通底している。 聖女と子供らは、それに与しない。既に善は為されたのだから。


(ykk1976さんの映画会・第28回レビュー)





このレビューは気に入りましたか? 14人の会員が気に入ったと投稿しています

僕の素晴らしい映画 その98

投稿日:2011/12/30 レビュアー:よふかし

 アッテンボローの『マジック』のときに「サイコホラーの嚆矢」というようなことを書いて、あとで言葉足らずだったかなあと反省したことがあります。自分の同時代的な印象として、70年代から80年代はサイコホラー(とその名称)が市民権を得たように量産された、そのさきがけのような、というニュアンスでした。ラングやヒチコックの傑作を持ち出すまでもなく、さまざまな傑作が既に作られていたわけですが、エンタメの範疇で一般化する前のサイコホラーはどこか特殊な映画という位置づけをされていたように思えます。カルト映画なんてくくりに入れられてしまうことも少なくなかったでしょう。
 この『狩人の夜』は、名優チャールズ・ロートンが唯一監督した作品で、モノクロのサイコホラーの、美しい傑作です。羊の皮をかぶった狼、実体は悪そのもののような殺人鬼(ロバート・ミッチャム)があまりにも恐く、全米で公開禁止になったといういわくつきの作品。
 かつて深夜テレビで偶然観て、後半、幼い兄妹が殺人鬼(ロバート・ミッチャム)の手から逃れようと小さなボートで川を下るシーンの悪夢的な美しさに魅入りました。水面のゆったりとした反射、地平線に浮かぶ馬に乗った殺人鬼のシルエット。いかにも作り物めいた、現実感のどこか希薄なセット撮影が実に効果的で、まるで恐い絵本、というのがぴったり。
 プロットは幼い兄妹の逃避行を境に後半で大きく変わり、孤児を育てるきっぷのいいリリアン・ギッシュが登場してからはまるで第二部のようです。ギッシュは当時何歳か、きりりとライフル銃をかまえる姿が実に美しい。
 映画の語りとしては、あまりこなれていないところもあって、妙に荘重な母親(シェリー・ウィンタース)殺しの場面であるとか、妙に表現主義的指向が強かったりとか、やけに大きな音楽の入れ方とか、ギクシャクしている感じもありますが、そこは実は二の次でよいのです。この映画が僕の脳に刻む独特なイマジネーションの数々は、あまりにも強いインパクトを持っています。そのこなれていない筆致もまた、この映画の魅力と解するべきなのでしょう。80点。
(その99は『エル スール』です)

このレビューは気に入りましたか? 10人の会員が気に入ったと投稿しています

忍耐の末に恒星(異次元の世界)があった

投稿日:2013/01/15 レビュアー:ギャンブラー

(ykk1976さんの映画会)
単純な考えかもしれないが、主人公パウエル(ロバート・ミッチャム)は宇宙の闇。
クーパーおばさんは太陽、子供たちはその惑星。
二人の子供は宇宙船(小舟)に乗って父親との約束を守るという、ただそれだけのために、ひたすら
パウエルの手を逃れるべく、地球以外の恒星(クーパーおばさん)目指して進む(結果論ですが)
そこには今までにない異次元の世界があった。
大きな視点から見れば素晴らしいロバート・ミッチャムの演技と二人の子供の対比で
進むストーリー
オープニングでいきなり父親が銀行強盗で二人を殺して一万ドル持って子供の前に現れる
シーンはまるで、ベートーヴェンのシンフォニー5番のタ・タ・タ・ターンと言う運命の始まりを予感する。
実際に子供たちが地下室から逃げて、逃げてそれでも、パウエルが必死に追いかけてきて
藪の中を凄い形相で追いかけてくるシーン、そして間一髪舟で逃れるシーンでは管弦楽の音楽が流れてました。
私はこの場面が第二楽章と思う。
そして執拗に追ってくるパウエル、忍耐を重ねて舟で逃げる子供たち、これは第三楽章。
そして最後にクーパーおばさんに助けられクリスマスの日に贈り物を与え合うシーンは
まさに、忍耐の末に歓喜ありのような、第四楽章。
振り返るとシンフォニーを聴いている様でした。

このレビューは気に入りましたか? 8人の会員が気に入ったと投稿しています

罪の亡霊に追われて ネタバレ

投稿日:2013/03/03 レビュアー:ポッシュ

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

レビューを表示する

 1955年の作品だが、もっと古い雰囲気を感じさせる(思い出していたのはサイレント期のフリッツ・ラング)不思議な味わいの恐怖譚だ。
既に素晴らしいレビューがいくつも並んでいるので屋上屋を架すのは止めにしたいところだが、こういう「含み」のある多義的な作品は語りがいがあるので、気付いた点だけ。

 神の道を説きながら殺人を重ねるハリー・パウエル(ロバート・ミッチャム)は忌むべき偽預言者であるが、実は市井の人々の心性と根幹のところでは相通じている。だから人々は彼の説教に歓喜するのだ。パウエルが、自分の妻となった女を壇上に立たせ狂ったように懺悔させると、信者たちはみな恍惚となって神を誉めたたえる。自分よりも罪深い者の存在によって己の無辜(むこ)を保障しようとするのか。そしてパウエルの正体が暴かれると今度は彼をつるし上げろと声をあげる。自分たちは常に「正義」の側に立っていると確信している、人間の愚かしさと弱さに胸が痛む。でも、だからと言って宗教が悪いとは思わない。信仰がともすれば狂信となり得るとしても、それは人間の側の罪であって教義の瑕疵ではないハズ。

 パウエルは刑務所で出会った死刑囚から大金の存在を知り、自分が収監されたことも「神の思し召し」と感謝の祈りを捧げる。この男の「信仰」は神を自分の僕(しもべ)としているのだ。運命が自分に都合よく奉仕してくれるよう采配するのが神の役割と思っている。そもそも「お前の宗派はなんだ?」と問われたときに「自分で決めた宗派だ」と言っているくらいだから、すでにしてキリスト教ではなく「自分教」なのだが、実はこれは人間存在に普遍の罪性なのかもしれない。自分の利己的な意思と神から与えられた理性を正しく見分けるなんて、一体誰に出来ようか。この映画が問いかける正邪の在り様は一筋縄ではいかない。本当に怖いのはこのように自らの心に潜む「闇」を見せつけられることであって、殺人鬼に追いかけられることではない気がする。まぁ、この感じ方は個人的な問題なのかもしれないが(汗)。

 パウエルの魔の手から逃げ出した子供たちは、舟で川を下りクーパー夫人(リリアン・ギッシュ)に拾われる。彼女こそは真摯に聖書の教えに従う信仰者だった。彼女の語る聖書物語に少年は心を惹かれる。モーセが小舟に乗せられて王女に拾われる旧約聖書の出エジプト記に、自分の姿を重ね合わせる少年。そして彼は「王様たちの話をして」とせがむ。「王様は一人よ」「ううん、2人って言った」・・・何気ない会話だが、ここに深い意味があると思った。銀行強盗で人を殺し大金を奪った父親に、少年は盗んだ金を預けられる。「誰にも渡すな」と言い置いて死んでいった父。この時から少年は父親の罪を背負うことになってしまった。殺人鬼に脅され自分の命と引き換えになってもお金を守ろうとしたこの子は、ずっと父親の亡霊に追いかけられていたのだ。人を殺し金を盗む、パウエルと父親は同じ罪びと。その影に常におびえて少年は安らかに眠ることも出来なかった。彼の自由な子供らしい心を支配していた王様は2人いたのだ。だから、最後にパウエルが警官に組み伏せられたとき、少年は「やめて!」と泣き叫ぶ。目の前で警察につかまった父親の姿と、犯罪者パウエルの姿がぴったり重なり合い、「お金は返すよ、パパ」と札束をパウエルの体にたたきつける。こんな汚れた金のために自分がどれだけ辛い思いをさせられたか。とても痛ましいシーンだが、ここでようやく彼は罪の意識から解放されたのだと思う。

 クーパー夫人は言う、「弱者には厳しい時代だ」と。でも「神様は子供に忍耐強さをくださる。子供は一番強い人間です」とキッパリ言いのける。少年には未来がある。きっと強く生き延びるのだろう。クリスマスに夫人から懐中時計をもらった少年は、世界を正しく測るための道具を手に入れた。それは、真の信仰心とともに人生の揺るぎない基準となり得るであろう、夫人からの素晴らしいプレゼントだ。

このレビューは気に入りましたか? 7人の会員が気に入ったと投稿しています

恐ろしいのは 奴 だけじゃない。

投稿日:2013/01/15 レビュアー:ロキュータス

ロバート・ミッチャムが両手の指に入れ墨しているLOVEとHATEの写真は見たことがあるので、ああ、この作品かと思いましたが、作品については全然知りませんでした。
公開当時批評的にも興業的にも散々だったことも、また後年再評価されてカルト映画となったこと、どちらも想像に難くない問題作であり、傑作ですね。
今回、観る機会ができて、映画会に参加していてよかったと思います。

(以下かなりネタばれあり)

公開当時、映画がアメリカ本国で受け入れられなかった理由について、ウィキペディアでは他に話題作が多かったとか、カラーのシネマスコープの時代に白黒映画だったからではないか、などと推測していますが、それは違うでしょう。

主役が人格異常なサイコであり、さらに偽牧師で聖書の文言をしきりに口にする。
それだけでもかなりアメリカの観客の神経を逆撫でしているのに、邪悪な犯人にも、被害者や正義の側にもキリスト教が血肉にまで根をおろしていて、狂信的なところが通底しています。

5年後に公開される『 サイコ 』ではノーマン・ベイツの異常さに対して、正常な一般人が対置されますが、本作は殺人鬼以外もどこか奇妙でヤバイ。
ミッチャム演じる男は、ヌード劇場に入りながら、女性への憎悪をつのらせる。
シェリーー・ウィンタース演じる母親は、セックスへの欲求があらわでありながら、そのことを指摘されると後ろめたさを感じる。
穢れた行為と嫌悪し、自らの罪をざんげをするや、宗教的な恍惚に浸る。 ルビーという少女も男には興味津津だが、街の少年よりもミッチャムに魅せられている。
どちらもピューリタン的なセックス観に抑圧され屈折した性への欲求ですね。

子どもたちも無垢な存在ではなく、大事な秘密というのは、父親が強盗殺人して盗んだ金のありか。  

少年が助けを求めにいく老人は、何も悪いことをしていないのに、自分が疑われると恐れおののいてしまう。

「善良な」隣人スプーン夫妻は、聖書の言葉を口にする偽牧師の男に惹かれて、簡単に信用するが、彼の正体を知るや、縛り首にすることに熱狂する。

ロバート・ミッチャムが歌う賛美歌をリリアン・ギッシュが引き取って歌うシーンはこの映画の白眉で、邪悪と正義の両者に通底するものをもっともよく表しています。
THE HUNTER(狩人)とはロバート・ミッチャムのことを指すと思っていいのでしょうか。 悪魔を銃で撃退したリリアン・ギッシュを指すのでしょうか。

このアメリカ社会の描写が、観客の拒絶反応を起こし、各地で上映禁止になった理由でしょう。

男が河の中まで追いかけてくる恐ろしさ。 悔しさに叫ぶおぞましさ。
子どもたちが船に乗って河を下っていくシーン、男が馬に乗って追いかけてくるシルエットの美しさ。
殺された母親の死体も、犠牲者ではなくて天に召された者のように美しく、悪魔的描写。
少年がりんごをプレゼントに選ぶのは、イヴが蛇にそそのかされてアダムに食べさせた果実だからでしょうか。

宗教的な説話のようでもあり、美しくも悪夢の世界でもある傑作でした。

( ykk1976さんの映画会 第28回のレビュー )

このレビューは気に入りましたか? 7人の会員が気に入ったと投稿しています

1〜 5件 / 全21件

狩人の夜

ユーザーレビュー

入力内容に誤りがあります。

内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。

  • 入力内容に誤りがあります。

ユーザーレビュー:21件

黒い賛美歌が流れる、美しい悪夢

投稿日

2013/01/15

レビュアー

ぴよさん

(ネタバレあり)
 この映画、古き善きアメリカの人々と風景を映しながら、実はそれらのどこかが歪んで
いる、というところが怖い。正しく神の道を説く伝道師と、信心深く善良な人々。だが彼らは
それぞれに道を踏み外しているのだ。意識するしないの差はあれど。

 ロバート・ミッチャム扮する伝道師は、まるで神託であるかのように、殺人を犯し続けている。
女性を騙すことも自然なら、目的の為の殺人も当然の権利のように思っている。その証左に、
彼は子羊らを追い詰めながら、「歌う」。 最初それは、ただのからかいの歌に聞こえる。
だが、まるで自分の存在を知らしめるように歌い続ける姿に、それが彼にとっての賛美歌だと
分かり、震撼する。
 
 彼は伝道師を騙るうちに、自分だけの神を、心に宿してしまったのだ。それは殺しの神である。
なぜかことごとく女たちにはそれが分からないが、一人、少年だけがそれを察している。少年は、
父が罪を犯した事実を強烈なトラウマとする。それは癒えようの無い傷だった。柔らかな心を深く
傷つけ、少年特有の硬い殻で覆ってしまった。殻はその硬さゆえ、人の心を跳ね返す。跳ね返し
ながら、ソナーのように感じているのだ。「これは、自分を傷つけるものか、どうか」と。
切ない防衛本能だ。


 子供達の逃避行は、まるで黒い童話のようだ。原題『THE NIGHT OF THE HUNTER』の通り、
夜にハンティングされる子供が観る悪夢だ。夢かうつつか、判然としない。眠ろうとすると、黒い地平
から追跡者の賛美歌が聞こえてくる。これは実際の風景で無く、子供の悪夢の中の光景なのかも
しれない。それは少年の精神世界のように、原初的で、純粋で、残酷な美しさを見せる。
 しかし追い詰められた家には、少年の硬い殻と「共振」し得る老女が居た。彼女は真の賛美歌を
歌い、悪と対峙する。ライフルを胸に抱きながら歌い、神の意志を叩きつけるのだ。 

 公開時、聖女ギッシュにライフルとは、なんと不謹慎なという声が上がったらしい。だが、ライフルは
道具に過ぎない。彼女は、その聖なる信念で狩人と闘ったのだ。それはライフルよりも揺るぎなく、
強い力だった。

 ラストで善良なる市民が一転、「悪魔を吊るせ」と声を上げる。そのシュプレヒコールは、悪の賛美歌
と、どこか通底している。 聖女と子供らは、それに与しない。既に善は為されたのだから。


(ykk1976さんの映画会・第28回レビュー)





僕の素晴らしい映画 その98

投稿日

2011/12/30

レビュアー

よふかし

 アッテンボローの『マジック』のときに「サイコホラーの嚆矢」というようなことを書いて、あとで言葉足らずだったかなあと反省したことがあります。自分の同時代的な印象として、70年代から80年代はサイコホラー(とその名称)が市民権を得たように量産された、そのさきがけのような、というニュアンスでした。ラングやヒチコックの傑作を持ち出すまでもなく、さまざまな傑作が既に作られていたわけですが、エンタメの範疇で一般化する前のサイコホラーはどこか特殊な映画という位置づけをされていたように思えます。カルト映画なんてくくりに入れられてしまうことも少なくなかったでしょう。
 この『狩人の夜』は、名優チャールズ・ロートンが唯一監督した作品で、モノクロのサイコホラーの、美しい傑作です。羊の皮をかぶった狼、実体は悪そのもののような殺人鬼(ロバート・ミッチャム)があまりにも恐く、全米で公開禁止になったといういわくつきの作品。
 かつて深夜テレビで偶然観て、後半、幼い兄妹が殺人鬼(ロバート・ミッチャム)の手から逃れようと小さなボートで川を下るシーンの悪夢的な美しさに魅入りました。水面のゆったりとした反射、地平線に浮かぶ馬に乗った殺人鬼のシルエット。いかにも作り物めいた、現実感のどこか希薄なセット撮影が実に効果的で、まるで恐い絵本、というのがぴったり。
 プロットは幼い兄妹の逃避行を境に後半で大きく変わり、孤児を育てるきっぷのいいリリアン・ギッシュが登場してからはまるで第二部のようです。ギッシュは当時何歳か、きりりとライフル銃をかまえる姿が実に美しい。
 映画の語りとしては、あまりこなれていないところもあって、妙に荘重な母親(シェリー・ウィンタース)殺しの場面であるとか、妙に表現主義的指向が強かったりとか、やけに大きな音楽の入れ方とか、ギクシャクしている感じもありますが、そこは実は二の次でよいのです。この映画が僕の脳に刻む独特なイマジネーションの数々は、あまりにも強いインパクトを持っています。そのこなれていない筆致もまた、この映画の魅力と解するべきなのでしょう。80点。
(その99は『エル スール』です)

忍耐の末に恒星(異次元の世界)があった

投稿日

2013/01/15

レビュアー

ギャンブラー

(ykk1976さんの映画会)
単純な考えかもしれないが、主人公パウエル(ロバート・ミッチャム)は宇宙の闇。
クーパーおばさんは太陽、子供たちはその惑星。
二人の子供は宇宙船(小舟)に乗って父親との約束を守るという、ただそれだけのために、ひたすら
パウエルの手を逃れるべく、地球以外の恒星(クーパーおばさん)目指して進む(結果論ですが)
そこには今までにない異次元の世界があった。
大きな視点から見れば素晴らしいロバート・ミッチャムの演技と二人の子供の対比で
進むストーリー
オープニングでいきなり父親が銀行強盗で二人を殺して一万ドル持って子供の前に現れる
シーンはまるで、ベートーヴェンのシンフォニー5番のタ・タ・タ・ターンと言う運命の始まりを予感する。
実際に子供たちが地下室から逃げて、逃げてそれでも、パウエルが必死に追いかけてきて
藪の中を凄い形相で追いかけてくるシーン、そして間一髪舟で逃れるシーンでは管弦楽の音楽が流れてました。
私はこの場面が第二楽章と思う。
そして執拗に追ってくるパウエル、忍耐を重ねて舟で逃げる子供たち、これは第三楽章。
そして最後にクーパーおばさんに助けられクリスマスの日に贈り物を与え合うシーンは
まさに、忍耐の末に歓喜ありのような、第四楽章。
振り返るとシンフォニーを聴いている様でした。

罪の亡霊に追われて

投稿日

2013/03/03

レビュアー

ポッシュ

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

レビューを表示する

 1955年の作品だが、もっと古い雰囲気を感じさせる(思い出していたのはサイレント期のフリッツ・ラング)不思議な味わいの恐怖譚だ。
既に素晴らしいレビューがいくつも並んでいるので屋上屋を架すのは止めにしたいところだが、こういう「含み」のある多義的な作品は語りがいがあるので、気付いた点だけ。

 神の道を説きながら殺人を重ねるハリー・パウエル(ロバート・ミッチャム)は忌むべき偽預言者であるが、実は市井の人々の心性と根幹のところでは相通じている。だから人々は彼の説教に歓喜するのだ。パウエルが、自分の妻となった女を壇上に立たせ狂ったように懺悔させると、信者たちはみな恍惚となって神を誉めたたえる。自分よりも罪深い者の存在によって己の無辜(むこ)を保障しようとするのか。そしてパウエルの正体が暴かれると今度は彼をつるし上げろと声をあげる。自分たちは常に「正義」の側に立っていると確信している、人間の愚かしさと弱さに胸が痛む。でも、だからと言って宗教が悪いとは思わない。信仰がともすれば狂信となり得るとしても、それは人間の側の罪であって教義の瑕疵ではないハズ。

 パウエルは刑務所で出会った死刑囚から大金の存在を知り、自分が収監されたことも「神の思し召し」と感謝の祈りを捧げる。この男の「信仰」は神を自分の僕(しもべ)としているのだ。運命が自分に都合よく奉仕してくれるよう采配するのが神の役割と思っている。そもそも「お前の宗派はなんだ?」と問われたときに「自分で決めた宗派だ」と言っているくらいだから、すでにしてキリスト教ではなく「自分教」なのだが、実はこれは人間存在に普遍の罪性なのかもしれない。自分の利己的な意思と神から与えられた理性を正しく見分けるなんて、一体誰に出来ようか。この映画が問いかける正邪の在り様は一筋縄ではいかない。本当に怖いのはこのように自らの心に潜む「闇」を見せつけられることであって、殺人鬼に追いかけられることではない気がする。まぁ、この感じ方は個人的な問題なのかもしれないが(汗)。

 パウエルの魔の手から逃げ出した子供たちは、舟で川を下りクーパー夫人(リリアン・ギッシュ)に拾われる。彼女こそは真摯に聖書の教えに従う信仰者だった。彼女の語る聖書物語に少年は心を惹かれる。モーセが小舟に乗せられて王女に拾われる旧約聖書の出エジプト記に、自分の姿を重ね合わせる少年。そして彼は「王様たちの話をして」とせがむ。「王様は一人よ」「ううん、2人って言った」・・・何気ない会話だが、ここに深い意味があると思った。銀行強盗で人を殺し大金を奪った父親に、少年は盗んだ金を預けられる。「誰にも渡すな」と言い置いて死んでいった父。この時から少年は父親の罪を背負うことになってしまった。殺人鬼に脅され自分の命と引き換えになってもお金を守ろうとしたこの子は、ずっと父親の亡霊に追いかけられていたのだ。人を殺し金を盗む、パウエルと父親は同じ罪びと。その影に常におびえて少年は安らかに眠ることも出来なかった。彼の自由な子供らしい心を支配していた王様は2人いたのだ。だから、最後にパウエルが警官に組み伏せられたとき、少年は「やめて!」と泣き叫ぶ。目の前で警察につかまった父親の姿と、犯罪者パウエルの姿がぴったり重なり合い、「お金は返すよ、パパ」と札束をパウエルの体にたたきつける。こんな汚れた金のために自分がどれだけ辛い思いをさせられたか。とても痛ましいシーンだが、ここでようやく彼は罪の意識から解放されたのだと思う。

 クーパー夫人は言う、「弱者には厳しい時代だ」と。でも「神様は子供に忍耐強さをくださる。子供は一番強い人間です」とキッパリ言いのける。少年には未来がある。きっと強く生き延びるのだろう。クリスマスに夫人から懐中時計をもらった少年は、世界を正しく測るための道具を手に入れた。それは、真の信仰心とともに人生の揺るぎない基準となり得るであろう、夫人からの素晴らしいプレゼントだ。

恐ろしいのは 奴 だけじゃない。

投稿日

2013/01/15

レビュアー

ロキュータス

ロバート・ミッチャムが両手の指に入れ墨しているLOVEとHATEの写真は見たことがあるので、ああ、この作品かと思いましたが、作品については全然知りませんでした。
公開当時批評的にも興業的にも散々だったことも、また後年再評価されてカルト映画となったこと、どちらも想像に難くない問題作であり、傑作ですね。
今回、観る機会ができて、映画会に参加していてよかったと思います。

(以下かなりネタばれあり)

公開当時、映画がアメリカ本国で受け入れられなかった理由について、ウィキペディアでは他に話題作が多かったとか、カラーのシネマスコープの時代に白黒映画だったからではないか、などと推測していますが、それは違うでしょう。

主役が人格異常なサイコであり、さらに偽牧師で聖書の文言をしきりに口にする。
それだけでもかなりアメリカの観客の神経を逆撫でしているのに、邪悪な犯人にも、被害者や正義の側にもキリスト教が血肉にまで根をおろしていて、狂信的なところが通底しています。

5年後に公開される『 サイコ 』ではノーマン・ベイツの異常さに対して、正常な一般人が対置されますが、本作は殺人鬼以外もどこか奇妙でヤバイ。
ミッチャム演じる男は、ヌード劇場に入りながら、女性への憎悪をつのらせる。
シェリーー・ウィンタース演じる母親は、セックスへの欲求があらわでありながら、そのことを指摘されると後ろめたさを感じる。
穢れた行為と嫌悪し、自らの罪をざんげをするや、宗教的な恍惚に浸る。 ルビーという少女も男には興味津津だが、街の少年よりもミッチャムに魅せられている。
どちらもピューリタン的なセックス観に抑圧され屈折した性への欲求ですね。

子どもたちも無垢な存在ではなく、大事な秘密というのは、父親が強盗殺人して盗んだ金のありか。  

少年が助けを求めにいく老人は、何も悪いことをしていないのに、自分が疑われると恐れおののいてしまう。

「善良な」隣人スプーン夫妻は、聖書の言葉を口にする偽牧師の男に惹かれて、簡単に信用するが、彼の正体を知るや、縛り首にすることに熱狂する。

ロバート・ミッチャムが歌う賛美歌をリリアン・ギッシュが引き取って歌うシーンはこの映画の白眉で、邪悪と正義の両者に通底するものをもっともよく表しています。
THE HUNTER(狩人)とはロバート・ミッチャムのことを指すと思っていいのでしょうか。 悪魔を銃で撃退したリリアン・ギッシュを指すのでしょうか。

このアメリカ社会の描写が、観客の拒絶反応を起こし、各地で上映禁止になった理由でしょう。

男が河の中まで追いかけてくる恐ろしさ。 悔しさに叫ぶおぞましさ。
子どもたちが船に乗って河を下っていくシーン、男が馬に乗って追いかけてくるシルエットの美しさ。
殺された母親の死体も、犠牲者ではなくて天に召された者のように美しく、悪魔的描写。
少年がりんごをプレゼントに選ぶのは、イヴが蛇にそそのかされてアダムに食べさせた果実だからでしょうか。

宗教的な説話のようでもあり、美しくも悪夢の世界でもある傑作でした。

( ykk1976さんの映画会 第28回のレビュー )

1〜 5件 / 全21件