さや侍

さや侍の画像・ジャケット写真
さや侍 / 野見隆明
全体の平均評価点:
(5点満点)
累計評価件数:

54

  • DVD
ジャンル:

「さや侍」 の解説・あらすじ・ストーリー

一日一芸で三十日間かけて笑わせることができれば、無罪放免。できなければ、切腹。鞘しか持たない侍・野見勘十郎と娘・たえの命を懸けた戦いの幕が開く。

「さや侍」 の作品情報

製作年: 2011年
製作国: 日本

「さや侍」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ

さや侍の詳細

  • 旧作
収録時間: 字幕: 音声:
103分 1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/日本語
2:ドルビーデジタル/2.0chステレオ/日本語
レイティング: 記番: レンタル開始日:
YRBR90488 2011年11月05日
在庫枚数 1位登録者: 2位登録者:
36枚 7人 3人

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ユーザーレビュー:54件

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1〜 5件 / 全54件

映画と観客に歩み寄ることは、映画と観客をバカにすることではない

投稿日:2011/09/25 レビュアー:KASPAR

『大日本人』も『しんぼる』も個人的にはかなり好きなんで、松本人志監督の『さや侍』を観てきました(°∀°)b

うん、まぁ、最後の10分だけっすな、最後の10分はまぁまぁやけど、最後の10分以外は、まぁヒドイですな〜

前半の80分が必要である意味がわからないwww
80分掛けてるのに、ラストの10分に上手く繋がってないwww

松本監督は、「わかりやすい映画を目指した」ってゆーてたけど、全然わからないwww
松本監督は、わかりやすさを単純化とか説明することと、勘違いしてるフシがあるので、映画がスカスカすぎて意味がわからないwww

(娯楽)映画に於ける解り易くする作業っつーのは、映画を複雑化することであって、
ワンカットの中にあるの情報量を増やすことで、観客が意識せずとも理解できてしまってる状況を作り出すことなんよね((φ(・д・。)

単純化や説明で、映画が解りやすくなるという考え方は、(娯楽)映画と観客に歩み寄ることではなくて、映画と観客をバカにしてるだけなんすよね。。。

ああ、なんか書いててイヤになってきた・・・

松本監督は、(娯楽)映画(とそれを観ている観客)をバカにしてるフシがあるのがタチが悪いよな〜
観客はそんなにバカじゃないよ!

映画の枠に囚われない前2作は、その姿勢が好きやったけど、普通の映画を撮ろうとしてる本作はその姿勢からしてキライやな〜
普通の映画やったら、本職の監督さんの方がオモロイに決まってるやん!

映画らしい見た目をしてるので、前2作より好きな方もいてるでしょうが、個人的にはオススメできないっすね。

個人的満足度 49点! オススメ度 49点!

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笑っていない我々が、あの若殿なのだ。

投稿日:2011/11/10 レビュアー:ぴよさん

 (大いにネタバレ&勝手解釈。 未見の方は絶対読まないで下さい)


 これはまるで、日本喜劇概論の教科書だ。“三十日の業”は完全な独り芸から始まる。
まずは隠し芸レベルの個人芸。一応練習し始めてからは、牢番という「作家」が付く。
城外での芸に切り代わってからは、観客の空気も読みながらの舞台芸。娘がMC兼、前説
も兼ね、場を温める。大仕掛けの人間大砲やロデオマシーンは、TVのバラエティ向きの芸。
首落ちの芸では、テンドン(同じネタを重ねる)が試される。
 ネタを重ねる度に傷だらけになってゆく姿は、自主規制で過激なお笑い番組が許されな
くなった閉塞感への抗議にも見える。

 ただ、最初は笑えないネタで、それが段々面白く進化してゆけばいいのだが、ネタの
レベルではなく観客の盛り上がりに頼った脚本は疑問。(個人的には最初の頃の地面に
埋まるネタが好きだったけど)もちろんこれも、今のバラエティが芸自体よりも“煽り”
に頼っていることへのアイロニーかもしれないが。

 そもそも三十日の業のネタはどれも、本気で笑わせにきているネタとは思えない。
形骸的だし、あまりにベタ過ぎる。まさか高須光聖・板尾創路・倉本美津留の作家陣と
共に、松本が本気で考えてのネタでは無いはずだ。だとしたら狙いは何だろう?

 笑わせる若殿が、痛覚までも失っているという描写を観て、その「答え」が分る。
つまり「若殿=私たち観客」という構図なのだ。私達はテレビ的な物による刺激に慣れ、
笑いも怒りも、そして他人や自らの痛みにさえも鈍感になってしまった。テレビが映し
出すものは、たとえ作り手が何年かけて作ったものであろうが、一瞬で消費され「新鮮
で無い、つまらないモノ」に変えられてしまう。それは、致し方ないことと分りながら
続けなければならない運命(サダメ)のお笑い芸人たち。

 ただ、芸人は命をかけてでも若殿(=観客)を笑わせようとするもの…ということを
表すには、やはり本気度が足りなかった。本当に命が奪われるかもしれないという
切迫感が無いので、その程度の覚悟でやっているのかと思ってしまうのだ。

 野見勘十郎は最後の芸で、プロデューサーも、観客も裏切ってみせた。侍としての
矜持=「予想されるオチはしてやらん」というお笑い芸人・松本人志の矜持なのだろう。
 しかしそれが、笑いと正反対なのでは、伝わらない矜持じゃないかとも思ってしまう。
やはり裏切りながらも笑わせる、一世一代のアイディアをひねり出すべきだった。

 辞世の句がブルースへ移行する演出はおもしろかった。元・野狐禅の竹原ピストル
による歌の使い方は、『座頭市』で“下駄ップ”を見せられた時の驚きに近い。これは
北野武への、アンサーソングなのかもしれない。この映画で唯一、新しい試みだった。
 カメラは、武のキタノブルーに対して、イエローがかった画面を作っており、独自の
雰囲気作りには成功している。やはり問題は編集と、細かい脚本の作り込みか。

 『大日本人』では、強烈な素材の光で生まれる、孤独な芸人の影を描いた。
『しんぼる』では生命・文明の進化自体そんな真面目なもんじゃないと嘲ってみせた。
 この『さや侍』では「笑い」そのものを描きながら、「実はお笑いなんて、そんなに
笑えるもんじゃない」と逆説的・自虐的であるようにも見える。

「血は美しかったですか?首は上を向いていましたか?」…もしかすると、松本人志は
笑いを追求するあまり、笑いそのものから離れて行こうとしてるのかもしれない。

 野見の墓を通り過ぎる松本の姿が、それを象徴しているかのようだ。





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砂漠に金平糖の花が咲いている。

投稿日:2011/09/29 レビュアー:イヌごはん

松本人志の映画を語る時、感情だけでおもしろい、おもしろくないと語ってしまうと映画には一過言あるシネフィルの方々からおしかりを受けてしまいます。
いわゆる松本は基本がなっていない。もしくは映画になっていない。さらに教養がない松本に映画は無理だなどと言う声までも。
松本人志の映画を褒めようものなら、映画というものがわかってない素人の戯れ言という言葉まで聞こえてきます。うーん。

で、結論として「さや侍」。またしても傑作です。ごめんなさい。
というのも前回の「しんぼる」にいたく感銘を受けてしまった自分はその年の邦画ベスト1にディアドクターや愛のむき出しを押さえて選んでしまってるからです。

しんぼるのレビューの時も感情論でなくできるだけ映画を分析する形の感想を提示させていただきましたので
さや侍のどこがすぐれているのかを語らせていただきたいと思います。

まずはテクニカルな面から。
今回、初めて撮影に近藤龍人を起用しました。結果からいうと大成功ですね。冒頭の追われて走るシーンと最後のたえが呆然と歩いているシーン。美しいです。
彼は海炭市叙景やマイバックページのような湿度のある重厚な絵も撮れる力量もあるんですけどこの映画ではすごく渇いた明るい絵を提示してます。
これは松本人志がTV畑出身というのも大きいと思います。
映画作家、特に日本の映画作家でこれだけ湿度のない、渇いた、さらにポップな絵を撮れる映画作家はいませんね。
なぜならば人物やその性格や心情まで裏取り込んで画面に投影することがデフォルトだと考えている人が多いからです。
松本人志が作り出す画面にそんなものはありません。というより本人はそんなものは全く興味ないと思います。
松本人志が重要視しているのはその人物が置かれているシュチュエーションです。そしてそのシュチュエーションにふさわしいアイコンともいえるもの。その配置。
他のものはいさぎいいぐらいに切り捨てています。これはまさしくTV的ですしほかの映画作家は持ち得ないものです。

この映画でいうと國村準演じる殿様が野見の芸を見ながら食べるカラフルな金平糖です。まさに無機質な砂漠(城内)に咲いた花のごとく。
冒頭から出てくる野見を狙った殺し屋3人組はあくまで町人を代表するポップなアイコンという役割です。カラフルな着物が色を添えています。。

野見とたえがアイデアを練る納屋での二人の位置関係。絶妙です。
たえとの距離感。デスコミュニケーションを仕切りをはさんだ上と下という人物の配置で表しています。

続いて人物描写について。
野見が刀を捨てたのは女房を亡くした悲しみと自分へのふがいなさだというのは見て取れますが、最後まで野見は受け身です。
門番の二人やたえに言われるがままに笑わせる芸を披露していくのですがあまりにも不器用なその振る舞いと一生懸命さに心を打たれてしまうのです。
たしかに人を笑わせる芸とは言えないかも知れない。でも実直で不器用で自分の気持ちもはっきり言えない
ダメ親父でダメな侍が見せた必死の思いはたえにも伝わっていきます。
外に出て大掛かりなセットで町の人々の前で芸を披露するくだりがとても好きですね。大砲。花火。風車。これもポップなアイコンとして印象に残ります。

最後に野見とたえに急展開がおとずれるのですが
正直言ってはずかしながら号泣でしたね。
これはまんまと松本人志の術中にはまったとも言えますが、やはり野見とたえの立ち位置とお互いを思いやる気持ちの変化。
妻への思いと喪失感から娘を思う気持ちへとシフトした父親としての思い。

そして竹原ピストルの歌へと。

松本人志は大日本人もしんぼるもさや侍もテーマは全くぶれてなくてむしろ自分は頑なまでにコンセプチャルな作家だと思っています。
世の中から疎外されたりはみだしてしまってる滑稽で憎めない人物を外側から笑いながら見つめながらもも愛おしく思う気持ち。

松本と今回起用された野見さんとのつながりがまさしくそれをあらわしていますよね。
自分はそれほど熱心に松本人志のコントを見てた人間ではないんですけど
松本人志の映画はすごく心に残るしおもしろいんですよ。ビジュアルの提示の仕方。人との距離の取り方。渇き方。
本当に他にはいない映像作家だと本気で思っています。

ということでしんぼるにひき続き、さや侍を今年の邦画ベストワンに押したいと思います。

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一生懸命な人を見るのが好きですか?

投稿日:2011/11/14 レビュアー:飛べない魔女

汚らしい野見さんのクソ真面目な演技(?)がいいじゃぁないですか。
確かにあまり笑えない行ばかりではありますが、どんなことにも一生懸命に取り組む姿に、
胸が熱くなるじゃぁないですかぁ。
何事も懸命になっている人は応援したくなるものです。
そして最後は、まっちゃんの思惑通り、まんまとホロリとさせられちまったわけです。

30日の行とは考えましたなぁ。
笑わない人を笑わす行ほど、難しいことはないかもしれません。
芸人ならともかく、普通のお侍さんですからね。
この人、いったい何をやらかして捕まるはめになったのか、今ひとつ不明ではあるんですけど・・
娘のたえの厳しい批判にも耐えて、30日の行をこなして、選んだ道はただひとつ。
あっぱれ男、野見勘十郎!
ラストの妙な歌にも酔いしれてしまったワタシです。
ああ、単純なわたし・・
(毎日毎日あんな大仕掛け、いつ誰が造ったんだよ!!ってな突っ込みもありますがね(;^_^A)

賛否両論、酷評も多い中、私はこの作品指示致します!

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史上最凶!?のシンデレラおっさん

投稿日:2011/09/26 レビュアー:パンケーキレンズ

今回は監督業だけに専念した、松っちゃんの映画第3弾

とりあえず、主役演じた(!?)野見さん
厳密には、演じてるんじゃなくて、(何も知らずに)やらされてるっていうので
それを知ってるからこそ、小ネタのオンパレードを初めて笑えるっていうか・・・
メガネ光ってるだけで、吹き出してしまうもんね♪
確かに、松っちゃん自身がやるよりも野見さんの方が、この作品に関しては面白いな
とは思いましたが

コレ、究極の素人いじり♪

そして、触れないわけにはいかないラストは
よかったですョ
涙も出ました

ただ、段差注意!
なんだろうか、この落差は(チンさむw)

松っちゃんの特別な思い入れはひしひし伝わってきましたよ
(手紙読んだ)竹原ピストルさんに対する強い気持ちとか
こどもを持つようになった心境とか
ただちょっと突然すぎる・・・かな・・・

笑いこんもりのご飯の上に、涙をぶっ掛けた丼のような
そんな印象でした。

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