春の序曲

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　ディアナ・ダービン？　『オーケストラの少女』は昔ＮＨＫで観たなあ……でもあんまり好みじゃないなあ……と期待せずに観始めたら、とても面白い映画でした。深夜に観始めて途中でやめられなくなり、寝不足です。
　ミュージカルというよりは、随所でダービンが伸び伸びしたソプラノを聴かせてくれる、軽いオペレッタ風のロマンチック・コメディです。ポップス、ロシア民謡、オペラ「トゥーランドット」のアリア、曲もバラエティに富んでいます。最初は優等生的な歌い方で、幼な過ぎるというか、あまり面白みがないと思えたのですが、次第に彼女の歌に表情が見えてくるような気がして引き込まれました。
　フランク・ボーゼージの演出は柔らかく、確かです。有名作曲家のメイドとしてもぐりこんだダービンを近隣の執事連中がみんな好きになってしまい、どこへ行くにもぞろぞろとついていくあたりはとても可笑しい。お金持ちとその使用人、それぞれの世界が明確に別れていて、高級マンションの入り口も別々であったり、細部で笑わせてくれますし、ひとり両方の世界を行き来するダービンに軽やかな魅力が生まれます。
『オーケストラの少女』のころは１５、６歳くらい。この映画の時は２１、２歳くらいでしょうか。どこへいっても男女問わず人を惹きつける、美しく可憐な娘という役どころ。懐かしいアイドル女優という意識で観ていたところ、相手役フランチョット・トーンをうっとりと見つめるまなざしの魅力にびっくりしてしまいました。健康的で憂いのない、その分深みがなく思えた彼女の目に、ふいに「恋」が浮かぶのです。まるで瞳にはキラキラ輝く星が入っているよう。そういう瞬間にほのかに湧き上がるエロティシズムがあって、このダービンの魅力は、そう単純ではないと思いました。あえて言えば、「萌え」の感覚に近いのかもしれません（？）。
　相手役のトーンが作曲家の役どころのわりに演奏も歌もなしで、ちょっと弱いかなと思うのですが、仮にアステアやケーリー・グラントを置いてみてもなんだかしっくりこないのです。トーンの弱さが、この映画の場合はかえっていいのかもしれません。それは、手前に走ってくるダービンだけをカメラは追い続け、ついにトーンは後頭部でしか映し出されないという見事な終幕でも感じられます。75点。

　1943年制作の古いモノクロ映画で、残念ながら画質はよくありません。ロマンティックで素敵な邦題が付けられていますが、例によって原題は、「彼の執事の妹」と、その通りなんだけど、実に素っ気ない。ミュージカル映画というよりも、主演のディアナ・ダービン嬢（そう呼びたくなる可憐さです）の美しいソプラノを聴かせるための映画で、強いて言うなら、コメディ色の強い、ロマンスはおまけ程度のロマンティックコメディ。

　冒頭で「この物語は現代のおとぎ話です」と断り書きがしてあって、要するに、設定やストーリーのあり得なさについてはご容赦ねということなのでしょう。ご丁寧に、作中の食物や衣装や靴等はすべて架空で実際のものとは何の関係もない、現実に似たものがあったとしても偶然にすぎませんと、架空だということを具体的に長々と強調してあるのがとても面白い。こんな長文の断り書きを見るのは、初めてかも。

　歌手になることを夢みるアン・カーターは、歳の離れた兄マーチンを頼って列車でニューヨークに向かっている。下着商人を、高名な作曲家ジェラードだと勘違いして、さっそく彼にジェラードの曲を歌ってみせる。アンは、本格的な歌曲の歌い方で、もうこの時点でとんでもなく美しいソプラノ。誰が聴いてもプロの歌手にすぐスカウトされそうな美声なので、歌手志望で苦労するという設定がもうあり得なさそうと感じてしまう。

　ニューヨークの高層ビルのペントハウスに兄マーチンを訪ねると、お金持ちだと思っていた兄はその家の執事として働いており、兄からすぐに田舎に帰れと言われてしまう。しかも、偶然にもそこはアンが崇拝している作曲家ジェラード邸で、ジェラードが彼女を新しいメイドだと勘違いしたことから、兄と一緒にそこで働くことになる。アンは何とかジェラードに自分の歌を聴いてもらおうとするのだが…。

　健気でチャーミング、溌溂としたアンを演じるディアナ・ダービンの独壇場で、彼女に会う人会う人すべてが彼女に魅了されてしまいます、という展開。凝ったデザインの衣装も素敵で、カラーでないのが残念。彼女がフルコーラスでたっぷりと歌って聴かせる歌の数々が本当に素晴らしい。クライマックスでは、オペラ『ツゥーランドット』のテノールのための有名なアリア「誰も寝てはならぬ」をソプラノにアレンジして、オペラ歌手さながらに熱唱しています。

　終盤、兄のマーチンが妹の歌の才能を自分のために利用しようと奸計をめぐらすのが、作品のロマンティックな雰囲気を少々損なっているように思います。だから何となく唐突で中途半端な終わり方に感じられて、ロマンスを盛り上げるにはむしろマイナスだったような気がします。