ダウト 〜あるカトリック学校で〜

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ダウト 〜あるカトリック学校で〜 / メリル・ストリープ
全体の平均評価点:
(5点満点)

92

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「ダウト 〜あるカトリック学校で〜」 の解説・あらすじ・ストーリー

2004年に初演された劇作家ジョン・パトリック・シャンリィのトニー賞、ピュリッツァー賞ダブル受賞の名作戯曲『ダウト 疑いをめぐる寓話』を、シャンリィ自らメガフォンをとり、実力派俳優陣の豪華競演で映画化した心理ドラマ。60年代のカトリック学校を舞台に、少年に対する性的虐待の疑いを掛けられた進歩的な男性聖職者と、心証のみで彼を執拗なまでに追いつめていく厳格な女性校長の息詰まる言葉の攻防がスリリングに展開していく。主演は「プラダを着た悪魔」のメリル・ストリープと「カポーティ」のフィリップ・シーモア・ホフマン、共演にエイミー・アダムス、ヴィオラ・デイヴィス。

「ダウト 〜あるカトリック学校で〜」 の作品情報

製作年: 2008年
製作国: アメリカ
原題: DOUBT

「ダウト 〜あるカトリック学校で〜」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ

ダウト 〜あるカトリック学校で〜の詳細

  • 旧作
収録時間: 字幕: 音声:
103分 日本語・英語 1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/英語
2:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/日本語
レイティング: 記番: レンタル開始日:
VWDR3845 2009年08月19日
在庫枚数 1位登録者: 2位登録者:
29枚 0人 2人

【Blu-ray】ダウト 〜あるカトリック学校で〜(ブルーレイ)の詳細

  • 旧作
収録時間: 字幕: 音声:
103分 日本語・英語・日本語吹替え用字幕 1:DTS-HD Master Audio/5.1chサラウンド/英語
2:DTS-HD Master Audio/5.1chサラウンド/日本語
レイティング: 記番: レンタル開始日:
VWBR1070*B 2009年08月19日
在庫枚数 1位登録者: 2位登録者:
16枚 0人 0人

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校長と神父のせりふの応酬に凍りつく

投稿日:2009/08/10 レビュアー:ミルクチョコ

トニー賞とピューリッツアー賞に輝くジョン・シャンレー監督が自身の舞台劇を映画化したものだそうです。
1964年NY。主要人物は3人の聖職者。進歩派のフリン神父(フィリップ・シーモアホフマン)と古い価値観から逃れられない厳格な校長アロイシス(メリル・ストリープ)。そしてピュアな新人教師(エイミー・アダムス)。
いじめを受けている黒人の男子生徒に執拗に優しい神父に対して、新人教師は、確たる証拠もないまま性的関係を疑い出す。その話を聞いた校長は、疑惑を募らせ、証拠もないまま彼の存在をも排除すべく異様な執念を募らせていくという話です。

1964年という時代からすると、ケネディ大統領暗殺や、公民権運動のなど、激動の時代です。この黒人の生徒というのも、当時の時代を反映していたのかもしれません。
一つの疑惑を巡って、反目しあう校長メリル・ストリーブと神父フィリップ・シーモアホフマン。校長の恐ろしいほどまでの思い込みは、執拗なほどです。しかし、校長の思い込みを否定しつつもはっきりとしたことを述べない神父に対して、彼女の疑心暗鬼の状態を深めていくのは、分からなくもないです。

舞台劇だけに、膨大なせりふが飛び交い、 この対照的な二人が激しく論ずるシーンは最大の見所です。
今作のテーマは、タイトルどおり「疑い」です。
真実とも、全く事実無根の出来事とも言いかねない状況の中で、その微妙なニュアンスが醸し出され、見事です。
そして、メリル・ストリープVS黒人生徒の母を演じるヴィオラ・デーヴィスの歩きながら話すシーンは切なかったです。ヴィオラのメリルを一瞬食ったとも思わせる演技は涙腺を刺激されました。

これは、事実を暴くという目的ではなく、疑惑を持つという恐ろしさを描き、そしてそこで抱いた疑いが確信と変わっていく不可解な人間の心理を描いたのではないでしょうか?
相手の立場に立つという思いやりもなく、密室のセリフ劇は、1本の糸がピーンと張りめぐらされ、それが最後まで続くのは凄いのですが、真実のありどころに、ため息をついてしまいました。確信が持てないときには、どうするのか?ということを考えさせられました。

「魔法にかけられて」のエイミー・アダムスが若くて、真っ直ぐな故に神父を疑わず、信じようとするけれども、心の中では揺れる姿が素晴らしかったです。

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「疑惑」はあくまでも「疑惑」ネタバレ

投稿日:2009/09/21 レビュアー:MonPetit

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この作品は真実がわからないままエンディングを迎える。
謎が解き明かされないのだ。
だが、これはたぶん正解。明かされてしまえばタイトルが意味をなさなくなる。
限りなく真実に近かろうが、確信めいてようが、それはあくまでも「疑惑」なの
だということだ。問題はその定義である。さらにこの定義に対する解釈の
ひとつが描かれていると言っていい。

立場が違えば疑惑の意味も変わる。
真実自体に意味があるのか。
真実は常に正しくまた他のことを正しい方へ導いてくれるのか。
確信をもてる疑惑は真実と呼べるのか。そもそも確信とは?

・・・難しい、確かに疑惑だ。そもそも真実とは?

思想的な思いは巡るのだが、校長に追い詰められた神父が具体的な事象を
言えば校長はあの場面では満足したのだろう。が、それが真実ではなく「疑惑」
のままであることを一番知っているのも校長であったはず。
もちろん、神父も理解しているが、彼は彼なりに消化している。
しかし、校長は消化できないままいつも悩み考えている。
それがエンディングの涙につながるのだろう。

システージェイムズという人間が出てくるのだが、彼女のセリフや行動が
カトリック学校という閉ざされがちな世界との橋渡しをやっている。
エンドロールをみると実在の女性ってことでしょうか。

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疑惑から確信へネタバレ

投稿日:2009/08/05 レビュアー:パープルローズ

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1960年代、ブロンクスのあるカトリック学校。
まるで鉄のように厳格な校長、シスター・アロイシス(メリル・ストリープ)は、あるひとつの疑惑を抱きはじめる。
それはフリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)が、学校で唯一の黒人男子生徒と「不適切な関係」を持っているのではないか?という疑惑。
新米教師シスター・ジェームス(エイミー・アダムス)の目撃談以外には何の証拠もないまま、その疑惑はシスター・アロイシスの中で次第にふくらんでゆき、それは根拠のない確信へと変わってゆく。

テーマはずばり911以後のアメリカ社会の不寛容。
それを1960年代に置き換えて書かれた戯曲の作者が、自ら監督としてメガホンをとっているそうです。
とにかく、俳優たちの息のつまるような緊迫した演技合戦がみもの。
しかし元が舞台だけに、映画的なおもしろさには欠けるような気もしたのですが、花ちゃんが書いておられる、根拠のない噂話を羽根枕にたとえたシーンはよかったです。

60年代のカトリック学校の実情も興味深かった。
シスターたちの質素で静かな食事風景とは対照的な、神父たちのどこか世俗的な食事風景。
そして、カトリック学校が、シスターたちにとっては一種の老人ホームのようなものだったということ。
あれほどフリン神父には不寛容なシスター・アロイシスも、年老いて目が見えなくなったシスターには寛容なのは、自分の行く末を見るからなのでしょうか。

さて、フリン神父の性的虐待は本当にあったのか?
見る人の解釈によって大きく変わりそうですし、見直してみればまた考えが変わるかもしれません。ゆっくり見直してみたい作品です。

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真実の行方ネタバレ

投稿日:2011/04/02 レビュアー:Maru

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最後の最後まで解明されないまま
ラストを迎えますが、真実がわからないのに
人を疑う事や人を攻める事がいかに愚かな事かを
問い質しているかのような作品だと思います。


立証できない「疑いの心」は
結局は、自分の身にも降りかかってくる
という事なのではないでしょうか?

最後は、「自分のやりたかった事はいったいなんだったんだろう?」と
自分自身にも疑いを持ってしまう。


考えさせらる作品ですね。

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濃密な人間ドラマ。 主要4キャストの競演が見もの。ネタバレ

投稿日:2009/09/07 レビュアー:ロキュータス

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ジョン・パトリック・シャンリー。
『月の輝く夜に』というシェール、ニコラス・ケイジ主演の、ニューヨークを舞台にしたおもしろい映画で、その年のアカデミー脚本賞を獲りましたが、その受賞挨拶が印象に残っています。
たしか「今までぼくをぶん殴ってきた人と、ぼくがぶん殴ってきた、すべての人に感謝します。」
本作はそんな彼の、ピュリッツァー賞とトニー賞を受賞した戯曲の映画化で、自ら脚色と監督をしています。

戯曲では登場人物は4人だけということなのですが、すでに他のレビュアーの方が書いておられる通り、映画での主要4キャストは4人ともアカデミー賞にノミネートされました。
この演技競演がすばらしい。

まず何といってもシスター・アロイシス役のメリル・ストリープ。
はまりすぎと言えるほどはまり役。
目尻のしわが人物の年輪を感じさせ、内面の痛み、悲しみ、葛藤を演じさせたら、やはりスゴイと思います。

それに対して一歩も引かず、今や貫禄を感じさせるのが、フリン神父役のフィリップ・シーモア・ホフマン。

シャイで純真で、まっすぐな人柄ながら、最初にフリン神父に対して疑惑を抱く、シスター・ジェイムスを演じるのが、エイミー・アダムス。

そして、フリン神父が”目をかけている”黒人少年の母親役の、ヴィオラ・デイビス。
(監督、キャストがこの映画を語る特典映像もぜひごらんください)

(以下 より重大なネタばれ)
この映画、実話ではないようですが、ブロンクスのカトリック系の中学、学校でただ一人の黒人生徒といった舞台設定は監督自身の少年期を基にしていますし、シスター・ジェイムスという名前のシスターは実在して、監督の教師でした。
また長年にわたる複数の聖職者たちによる少年への淫行が明らかになって、近年アメリカのカトリック教徒を揺るがす大スキャンダルになったことも、この話にリアリティを与えているといえます。

物語は1つのカトリック系の学校で起きた、「閉じた争いごと」で、濃密なぶつかり合いですが、おどろおどろしさはなく、静かに淡々と進みます。
結末も観る人により受け止め方が違うでしょうし、メリル・ストリープや監督自身がいうように、批評家泣かせだと思います。

シスター・アロイシスは規則にやかましく不寛容で、旧態依然とした人物であり、フリン神父がもともと嫌いだから、疑惑に囚われてしまったのでしょうか?
それとも、いや彼女の持つ疑惑はほんとうに当たっているのではないでしょうか?  

フリン神父は”不適切な行為”をしていないと言えるでしょうか? 
あるいは黒人少年をかばって優しくしていただけでしょうか?

シスター・ジェイムズがフリン神父の釈明を簡単に受け入れるのは、きれいごとで終わらせたいだけとはいえないのでしょうか?

監督が特典映像で言うように、フリン神父の別れの場面で、なぜ黒人少年の母親は息子と隣同士に座らないのでしょうか?
真実は「藪の中」ですね。

これは人を疑うことの愚かしさ、いやらしさを描いた映画というより、信じるとは何かを問う映画だと思います。

証拠もなく推測だけでDoubt(疑い)を持つことは、思い込みに過ぎないとも言え、「疑惑」を持つ魂は孤独です。

では「疑う」の反対の、「信じる」の根拠は何なのでしょうか?
神を信じる、他人を信じる、そして自分自身を信じる、というその根拠は何なのか?
信じたい魂は孤独ではないのか?

シスター・アロイシスの最後の嘆きは、それを問うているように思えました。

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