「私は貝になりたい」 の解説・あらすじ・ストーリー
BC級戦犯死刑囚の悲劇を描いた名作を、ドラマ『砂の器』などの演出を手掛けた福澤克雄監督、SMAPの中居正広主演でリメイク。本土防衛の部隊に召集された豊松は、上官から捕虜となったアメリカ兵の処刑を命じられ…。
「私は貝になりたい」 の作品情報
製作年: | 2008年 |
---|---|
製作国: | 日本 |
「私は貝になりたい」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
139分 | 日本語 | 日:ドルビーデジタル5.1ch/DTS5.1ch |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
GNBR1738 | 2009年06月03日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
13枚 | 1人 | 0人 |
収録時間:
139分
字幕:
日本語
音声:
日:ドルビーデジタル5.1ch/DTS5.1ch
レイティング:
記番:
GNBR1738
レンタル開始日:
2009年06月03日
在庫枚数
13枚
1位登録者:
1人
2位登録者:
0人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
139分 | 日本語 | 日:ドルビーデジタル5.1ch/DTS5.1ch |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
GNBR1738 | 2009年06月03日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
13枚 | 1人 | 0人 |
収録時間:
139分
字幕:
日本語
音声:
日:ドルビーデジタル5.1ch/DTS5.1ch
レイティング:
記番:
GNBR1738
レンタル開始日:
2009年06月03日
在庫枚数
13枚
1位登録者:
1人
2位登録者:
0人
入力内容に誤りがあります。
内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。
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与太話
半年ぶりのレビュー・・・いや12月に書いたものは取り敢えずの存在確認のようなものだったので実質的には一年ぶりのレビューであるにもかかわらず、のっけから私事で始めさせていただきます。
三ヶ月前に妻がガンで死去しました。10年前に乳ガンを患いその時には無事摘出できたものの、6年前に肺に転移し以降抗ガン剤治療を続けていました。しかし昨年の秋にとうとう投与できる抗ガン剤が底を尽き、それからというものあれよあれよという間に病魔が拡がり、4月の上旬に都内にあるガン専門病院のケア病棟で永眠しました。
内心はともかく最後まで気丈さと前向きな姿勢を失うことなく、生き続けることに文字通り懸命だった妻で、3月末にそれまでの自宅療養からいよいよ緩和ケア病棟に移る際にも、1月半ばまで勤め続けていた職場に復帰はもう少し先になる旨のメールを出していたほどでした。妻は医療関係に従事していましたから、緩和ケアというものが実態としてはどんなところか充分に知っていたにもかかわらず、です。
以前レビューでも触れたことがありますが、妻はSMAPの、中でも中居君のファンでした。単なるファンと言うよりはフリークとでも呼ぶほどの熱の入れようで、彼が出演しているテレビやラジオを欠かさず視聴するのはもちろんのこと、CDやDVDももちろんすべて所有し、家の中には彼やSMAPのポスターやグッズで溢れかえっていました(そして今時点でもその状態は変わってはいません)。コンサートが彼女(のようなフリーク達)にとっては一番のイベントだったらしく、行くか行かないかではなく何度行けるかどこに行くかが話題の中心であり、ボクも「カップルシート」や「初体験シート」の席を獲得するための山車として何度かコンサートに連れて行かれたことがあります。SMAP・・・に限らずジャニーズの面々のコンサートはともかく長いことが特徴で、SMAPの場合は短くても3時間半長ければ4時間にもなります。殆ど立ちっぱなしで取り立てて興味がない音楽に身体を揺らしながら長時間付き合うのはとてもしんどかったのですが、今となってはそれも良い思い出です。
そんな妻と観た、そしてその後今日に至るまでボク自身が最後に観た映画が中居君主演の『私は貝になりたい』でした。既に一人で歩くのが覚束なくなり始めていた妻と近場のシネコンに、もちろん公開初日に観に行きました。数年前から妻とは数ヶ月おきにこの映画館に主に妻のリクエストに応じて映画を観に行ったのですが、今にして思えばそれは妻なりの思惑が、思い出作りという意図があったんだろうと思います。
不幸にもこの作品がそんな思い出作りの最後の映画になってしまったのですが、作品自体は当然のことながら、二人の鑑賞後の気持ちも残念ながら不幸なものでした。ファンである妻がこの作品をべた褒めし、ボクがそれを頭から否定したからではありません。中居君に関してはありとあらゆることを無条件に受け入れる妻でさえも、鑑賞後の感想を素直に述べることがためらわれるほど痛ましい作品だったからです。ボクにしても激烈に批判する気にさえなれず「ダメだ、こりゃ」とかろうじて口にするのが精一杯だったのですが、それでも妻の、目には見えない身体の奥底にある病巣を突くような気持ちになってしまいました。
できれば最後に観た作品は例えば『フラガール』や『父親たちの星条旗』がそうであったそうに、二人して興奮した語り合えるようなものであったらよかったのにと思わないでもないのですが、あの時のムードが、病魔が進むと共に表情が乏しくなり口数も目に見えて減っていったその後の妻の様子と重なるようで、今となっては逆に強い印象として心に残っています。
この作品を、劇場ではもちろんのことDVDでも二度と観ることはないと思いますが、この映画を二人で観たという記憶だけはいつまでも心に鮮やかに残っていることでしょう。そんな映画の楽しみ方もそれはそれでよいのではないかと思っています。
このレビューは気に入りましたか? 36人の会員が気に入ったと投稿しています
主人公にムカムカと腹が立つ
久々の激辛レビューです。好きなごめんなさい。
妻がどうしてもというので一生に劇場に観にいった作品。映画の趣味が合わないのでいつも私が妥協してます。(←一緒に観にいきたくない)。
もともと期待はしていなかったものの、かなり辛いというか酷い映画だった。長い割りに観終わっても何を言いたかったのかも分からず、どうしてわざわざリメイクとしてこの作品を制することに意味があったのだろうか。(リメイクの背景についてはこんちゃんレビューが詳しいので割愛)そんな疑問が沸々と沸きます。
最後になって自分の家族やまわりの人などに対しての思いやりや感謝を述べることなく、ただただ自分の悲運ばかりを嘆くこの主人公に対しては全く共感できるどころか、不快さえ感じます。
美しい妻房江がいて、かわいい息子にも恵まれ、店も繁盛して、妻は自分のために東奔西走してくれる。こんな有難いことを感謝できない人間なんて・・・・最低だ。
編集も嫌味たっぷりです。 回想と髪の毛をカットしながら思いにふける仲間と仲居のシーンを挟むなどあまりにもウザったいし、効果的には流れを堰き止めるだけでなんら良いところ無し。過剰でみえみえの演出とオーバー目の演技、過剰な音楽、ご丁寧なセリフなど、飾りすぎてシャープさが感じられません。特に鼻に付くのは感情をオーバーに演技させる演出。全く興醒めです。
書いていると悪いところばかり上げてしまってますが、良いところは・・・、やっぱりないなぁ。あっ景色は良かったです(笑)。
夫婦愛を描きたかったのか、戦争の悲惨さ、あるいは戦争裁判の矛盾、それとも人間に生まれ変わりたくないという絶望にうちひしがれる男の姿を描きたいのか、どれかに軸足を置いて作品を構成したほうが良かったように思います。
時代の理不尽さに翻弄される男を描いたにしては、全く主人公に同情できずじまいでした。
長いだけでとても退屈な映画です。
このレビューは気に入りましたか? 26人の会員が気に入ったと投稿しています
何故か不条理さが伝わってこない作品です
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
1959年の「私は貝になりたい」の名台詞を残したリメイク版です。
終戦後、ある日突然戦犯容疑で逮捕され、軍事法廷の後絞首刑を言い渡されてしまうという不条理を描いた作品ですが、夫婦愛を全面に出したせいでしょうか?焦点がボケてしまったような印象です。
どうして、こんな良いおじさんが、こんな目に合わなきゃならないの?との疑問に中居君とその仲間たちに、違和感を感じてしまいました。
出演者が、中居君と鶴瓶さんじゃ、もうこれは話題性を狙った感じが全面に出てしまっています。さらには草薙君まで出てきてからは、もう仲間うちで楽しんで下さいという気持ちになってしまいました。
この手の作品は、もっと地味な役者さんを配してほしいと思います。そして演技で勝負してほしいと思います。
豊松という人は、調子の良いところもありですが、情に厚くて、家族思い、だから周りの人たちから人気があり、やっとの思いで始めた床屋に、行こうと人が集まってくる。
苦しいことをおくびにも出さずに、弱い人たちを助ける、そんな優しい一般人を何故?ということになるのですが、仲居君の演技が大げさすぎるのです。目を剥けば、足を引きずれば、倒れれば、演技じゃないと思います。何なのでしょうね?やはり内面から醸し出す雰囲気というか、背中に哀愁を感じないのです。
不条理に対する、主人公の抵抗にちっとも真剣味がないのです。
まぁ、それなりに頑張ってはいるとは思います。
ラストのモノローグでは、時代に翻弄された豊松の切々とした訴えに胸が締め付けられるのでしょうが。。。
このレビューは気に入りましたか? 13人の会員が気に入ったと投稿しています
脚本の改編で、焦点がぼやけた
基本的に一度書いた脚本は書き直さないと言う橋本忍が、唯一書き直したかった作品であって、50年の歳月を経て、新たに脚色を加えたと言うことです。
基本的なストーリーは、オリジナルと同じですが、前半に豊松とフサエのなれそめが追加され、刑が確定したあとにもフサエの減刑嘆願行脚が強調され、夫婦・家族という物をより強く描こうとしているようです。
おそらく、黒澤明から、
「おい、橋本よ。これじゃあ貝にはなれないんじゃないか?」
と言われたことが長年気にかかっていて(有名な話だそうです)豊松が、何故貝になりたいと綴ったのかという真意を描きたかったのでしょうが、その部分はどうやら成功しているとは言い難いようです。
確かに、
「なんて、ついてない人生」
と言いたくなるようなことですが、普通に考えれば、残していく妻子のことを考え、
「生まれ変わるとしたら、妻や子と、幸せな人生を」
と考えるでしょう。何故「貝になりたい」なのか・・・そこまで暗く深い絶望を感じたのか・・・。
それを、妻や子供との関わりを強く描くことによって、それでもなおかつ・・・と言う部分を描きたかったのかも知れませんが、観客としては、あんなに懸命に尽くしてくれる妻や、いたいけな子供たちを見ていても、「貝になりたい」と言う男・・・。教誨師に対して、
「何もいいことのない人生だった。苦労して苦労して、あっという間に34年」
と愚痴ばかりこぼして、残される妻や子のことを気にかけるでもない情けない男と感じられてしまうのです。
「私は貝になりたい」と言うタイトル、遺書があまりにも一人歩きしてしまい、変えるわけにはいかないことに橋本忍は苦労して、辻褄を合わせようと腐心したのでしょうが、改変は成功したとは言いづらいのでは無いかなと思いますねえ。
役者陣は、それなりに奮闘してます。丸刈りにして、かなりの減量もした中居正広は期待通りの演技を見せてくれてます。最後の方の鬼気迫る表情なんぞは、フランキー堺には出せなかったものでしょうし、歌の下手さもご愛敬(笑)矢野中将に歌を教えますが、君が教えちゃいかんでしょ(笑)
仲間由紀恵は悪くはないのですが(雪山を巡るシーンでは、私の右の方で一人で見ていたおっさんが嗚咽してましたし・・)いかんせん美しすぎます。
彼女の声でナレーションが入るとヤンクミに聞こえてしまいました(笑)
同房者を演じた草薙(出演していることを知らなかったので、かみさんと顔を見合わせて驚きました)や鶴瓶は、素晴らしいです。豊松の「チェンジ・ブロック」に我が事のように大喜びする鶴瓶の演技は、その後の展開を際立たせました。
そして、なんといっても矢野中将を演じた石坂浩二です。最初、誰だかわからないくらい顔が違うのですが(ずいぶん太ってます)自身の処刑にあたって、部下達の刑罰が過酷すぎる、減刑すべきであると主張し、米国の非人道行為を糾弾する様は、日本男児の気概を感じずには居られません(って、たぶんおっさん世代だけでしょうね。若い人にはわからんだろうなあ・・・)
映像的に素晴らしい物が多々見られます。四国の(ロケは島根だったりしますが)見事な四季を感じさせてくれますし、夕日を背にした巣鴨プリズンの見張り台とか監督の素晴らしい感性を感じるんですけど、いかんせんそのショットを使う必然性に乏しいのですねえ。
同じように、フサエが雪山を巡って減刑嘆願書に署名を貰うシーン。199人が200人になっても、大した差は無いのでしょうが、心に迫る物があったり、面会での子供たちの指とか、判決が次々と読み上げられる際の豊松の心の推移とか、米人看守の人間くささだとか感じ入るシーンも多々あるのに、それらの統一感が今ひとつ不足しているように感じるのですね。
(以下、コメント欄へ)
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お話にならない。駄作。
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
オリジナルは観ていないが、この内容であれば観終わったあとのレビューはありきた
りだとしても、「戦争はいけない。これはまるで冤罪でないのか!?命令に従っただ
けじゃないか!まして殺してないのに、酷い話だ」となるのかもしれないが、残念な
がら全くそうは思えなかったし、感動すら出来なかった。ずれまくった作品と言わざる
得ないのかな。中居正広と仲間由紀恵のシーンはあまりにも現代劇でとても戦時中
とは思えない、CG(なのか?)ともとれる風光明媚な景色も空回りだ。仲間由紀恵は
中居正広と絡んでないシーンであれば悪くないのだが、絡むと途端に???だ。
独房にいれらた時に草ナギ剛がいた時は思わず失笑してしまった。中居正広にはが
んばったと言ってあげたいけれどよそれは無理というもの。完全なるキャストミス。こ
れだけ感動しそうなシーンがいっぱいあるのにどれも響かないのだから駄作ってこと。
たらればは無しだと思うが、中居正広でなければ全然違っただろう。しかもこれは勝
手な思い込みだったのだが、「私は貝になりたい」っていうのは口を閉ざすって意味だ
と思ってたのだが、ああいう意味だったんですね。がっかり度が増しました。だったら
貝じゃなくてもいいんだよね、なんでもさ。とにかくお話にならない出来。しかもこれ
長いんですよね、最悪だ。
このレビューは気に入りましたか? 10人の会員が気に入ったと投稿しています
私は貝になりたい
(C)2008「私は貝になりたい」製作委員会 ※ジャケットデザインは変更になる場合がございます。
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ユーザーレビュー:82件
2009/07/31
半年ぶりのレビュー・・・いや12月に書いたものは取り敢えずの存在確認のようなものだったので実質的には一年ぶりのレビューであるにもかかわらず、のっけから私事で始めさせていただきます。
三ヶ月前に妻がガンで死去しました。10年前に乳ガンを患いその時には無事摘出できたものの、6年前に肺に転移し以降抗ガン剤治療を続けていました。しかし昨年の秋にとうとう投与できる抗ガン剤が底を尽き、それからというものあれよあれよという間に病魔が拡がり、4月の上旬に都内にあるガン専門病院のケア病棟で永眠しました。
内心はともかく最後まで気丈さと前向きな姿勢を失うことなく、生き続けることに文字通り懸命だった妻で、3月末にそれまでの自宅療養からいよいよ緩和ケア病棟に移る際にも、1月半ばまで勤め続けていた職場に復帰はもう少し先になる旨のメールを出していたほどでした。妻は医療関係に従事していましたから、緩和ケアというものが実態としてはどんなところか充分に知っていたにもかかわらず、です。
以前レビューでも触れたことがありますが、妻はSMAPの、中でも中居君のファンでした。単なるファンと言うよりはフリークとでも呼ぶほどの熱の入れようで、彼が出演しているテレビやラジオを欠かさず視聴するのはもちろんのこと、CDやDVDももちろんすべて所有し、家の中には彼やSMAPのポスターやグッズで溢れかえっていました(そして今時点でもその状態は変わってはいません)。コンサートが彼女(のようなフリーク達)にとっては一番のイベントだったらしく、行くか行かないかではなく何度行けるかどこに行くかが話題の中心であり、ボクも「カップルシート」や「初体験シート」の席を獲得するための山車として何度かコンサートに連れて行かれたことがあります。SMAP・・・に限らずジャニーズの面々のコンサートはともかく長いことが特徴で、SMAPの場合は短くても3時間半長ければ4時間にもなります。殆ど立ちっぱなしで取り立てて興味がない音楽に身体を揺らしながら長時間付き合うのはとてもしんどかったのですが、今となってはそれも良い思い出です。
そんな妻と観た、そしてその後今日に至るまでボク自身が最後に観た映画が中居君主演の『私は貝になりたい』でした。既に一人で歩くのが覚束なくなり始めていた妻と近場のシネコンに、もちろん公開初日に観に行きました。数年前から妻とは数ヶ月おきにこの映画館に主に妻のリクエストに応じて映画を観に行ったのですが、今にして思えばそれは妻なりの思惑が、思い出作りという意図があったんだろうと思います。
不幸にもこの作品がそんな思い出作りの最後の映画になってしまったのですが、作品自体は当然のことながら、二人の鑑賞後の気持ちも残念ながら不幸なものでした。ファンである妻がこの作品をべた褒めし、ボクがそれを頭から否定したからではありません。中居君に関してはありとあらゆることを無条件に受け入れる妻でさえも、鑑賞後の感想を素直に述べることがためらわれるほど痛ましい作品だったからです。ボクにしても激烈に批判する気にさえなれず「ダメだ、こりゃ」とかろうじて口にするのが精一杯だったのですが、それでも妻の、目には見えない身体の奥底にある病巣を突くような気持ちになってしまいました。
できれば最後に観た作品は例えば『フラガール』や『父親たちの星条旗』がそうであったそうに、二人して興奮した語り合えるようなものであったらよかったのにと思わないでもないのですが、あの時のムードが、病魔が進むと共に表情が乏しくなり口数も目に見えて減っていったその後の妻の様子と重なるようで、今となっては逆に強い印象として心に残っています。
この作品を、劇場ではもちろんのことDVDでも二度と観ることはないと思いますが、この映画を二人で観たという記憶だけはいつまでも心に鮮やかに残っていることでしょう。そんな映画の楽しみ方もそれはそれでよいのではないかと思っています。
2009/04/26
久々の激辛レビューです。好きなごめんなさい。
妻がどうしてもというので一生に劇場に観にいった作品。映画の趣味が合わないのでいつも私が妥協してます。(←一緒に観にいきたくない)。
もともと期待はしていなかったものの、かなり辛いというか酷い映画だった。長い割りに観終わっても何を言いたかったのかも分からず、どうしてわざわざリメイクとしてこの作品を制することに意味があったのだろうか。(リメイクの背景についてはこんちゃんレビューが詳しいので割愛)そんな疑問が沸々と沸きます。
最後になって自分の家族やまわりの人などに対しての思いやりや感謝を述べることなく、ただただ自分の悲運ばかりを嘆くこの主人公に対しては全く共感できるどころか、不快さえ感じます。
美しい妻房江がいて、かわいい息子にも恵まれ、店も繁盛して、妻は自分のために東奔西走してくれる。こんな有難いことを感謝できない人間なんて・・・・最低だ。
編集も嫌味たっぷりです。 回想と髪の毛をカットしながら思いにふける仲間と仲居のシーンを挟むなどあまりにもウザったいし、効果的には流れを堰き止めるだけでなんら良いところ無し。過剰でみえみえの演出とオーバー目の演技、過剰な音楽、ご丁寧なセリフなど、飾りすぎてシャープさが感じられません。特に鼻に付くのは感情をオーバーに演技させる演出。全く興醒めです。
書いていると悪いところばかり上げてしまってますが、良いところは・・・、やっぱりないなぁ。あっ景色は良かったです(笑)。
夫婦愛を描きたかったのか、戦争の悲惨さ、あるいは戦争裁判の矛盾、それとも人間に生まれ変わりたくないという絶望にうちひしがれる男の姿を描きたいのか、どれかに軸足を置いて作品を構成したほうが良かったように思います。
時代の理不尽さに翻弄される男を描いたにしては、全く主人公に同情できずじまいでした。
長いだけでとても退屈な映画です。
2009/05/15
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
1959年の「私は貝になりたい」の名台詞を残したリメイク版です。
終戦後、ある日突然戦犯容疑で逮捕され、軍事法廷の後絞首刑を言い渡されてしまうという不条理を描いた作品ですが、夫婦愛を全面に出したせいでしょうか?焦点がボケてしまったような印象です。
どうして、こんな良いおじさんが、こんな目に合わなきゃならないの?との疑問に中居君とその仲間たちに、違和感を感じてしまいました。
出演者が、中居君と鶴瓶さんじゃ、もうこれは話題性を狙った感じが全面に出てしまっています。さらには草薙君まで出てきてからは、もう仲間うちで楽しんで下さいという気持ちになってしまいました。
この手の作品は、もっと地味な役者さんを配してほしいと思います。そして演技で勝負してほしいと思います。
豊松という人は、調子の良いところもありですが、情に厚くて、家族思い、だから周りの人たちから人気があり、やっとの思いで始めた床屋に、行こうと人が集まってくる。
苦しいことをおくびにも出さずに、弱い人たちを助ける、そんな優しい一般人を何故?ということになるのですが、仲居君の演技が大げさすぎるのです。目を剥けば、足を引きずれば、倒れれば、演技じゃないと思います。何なのでしょうね?やはり内面から醸し出す雰囲気というか、背中に哀愁を感じないのです。
不条理に対する、主人公の抵抗にちっとも真剣味がないのです。
まぁ、それなりに頑張ってはいるとは思います。
ラストのモノローグでは、時代に翻弄された豊松の切々とした訴えに胸が締め付けられるのでしょうが。。。
2009/04/26
基本的に一度書いた脚本は書き直さないと言う橋本忍が、唯一書き直したかった作品であって、50年の歳月を経て、新たに脚色を加えたと言うことです。
基本的なストーリーは、オリジナルと同じですが、前半に豊松とフサエのなれそめが追加され、刑が確定したあとにもフサエの減刑嘆願行脚が強調され、夫婦・家族という物をより強く描こうとしているようです。
おそらく、黒澤明から、
「おい、橋本よ。これじゃあ貝にはなれないんじゃないか?」
と言われたことが長年気にかかっていて(有名な話だそうです)豊松が、何故貝になりたいと綴ったのかという真意を描きたかったのでしょうが、その部分はどうやら成功しているとは言い難いようです。
確かに、
「なんて、ついてない人生」
と言いたくなるようなことですが、普通に考えれば、残していく妻子のことを考え、
「生まれ変わるとしたら、妻や子と、幸せな人生を」
と考えるでしょう。何故「貝になりたい」なのか・・・そこまで暗く深い絶望を感じたのか・・・。
それを、妻や子供との関わりを強く描くことによって、それでもなおかつ・・・と言う部分を描きたかったのかも知れませんが、観客としては、あんなに懸命に尽くしてくれる妻や、いたいけな子供たちを見ていても、「貝になりたい」と言う男・・・。教誨師に対して、
「何もいいことのない人生だった。苦労して苦労して、あっという間に34年」
と愚痴ばかりこぼして、残される妻や子のことを気にかけるでもない情けない男と感じられてしまうのです。
「私は貝になりたい」と言うタイトル、遺書があまりにも一人歩きしてしまい、変えるわけにはいかないことに橋本忍は苦労して、辻褄を合わせようと腐心したのでしょうが、改変は成功したとは言いづらいのでは無いかなと思いますねえ。
役者陣は、それなりに奮闘してます。丸刈りにして、かなりの減量もした中居正広は期待通りの演技を見せてくれてます。最後の方の鬼気迫る表情なんぞは、フランキー堺には出せなかったものでしょうし、歌の下手さもご愛敬(笑)矢野中将に歌を教えますが、君が教えちゃいかんでしょ(笑)
仲間由紀恵は悪くはないのですが(雪山を巡るシーンでは、私の右の方で一人で見ていたおっさんが嗚咽してましたし・・)いかんせん美しすぎます。
彼女の声でナレーションが入るとヤンクミに聞こえてしまいました(笑)
同房者を演じた草薙(出演していることを知らなかったので、かみさんと顔を見合わせて驚きました)や鶴瓶は、素晴らしいです。豊松の「チェンジ・ブロック」に我が事のように大喜びする鶴瓶の演技は、その後の展開を際立たせました。
そして、なんといっても矢野中将を演じた石坂浩二です。最初、誰だかわからないくらい顔が違うのですが(ずいぶん太ってます)自身の処刑にあたって、部下達の刑罰が過酷すぎる、減刑すべきであると主張し、米国の非人道行為を糾弾する様は、日本男児の気概を感じずには居られません(って、たぶんおっさん世代だけでしょうね。若い人にはわからんだろうなあ・・・)
映像的に素晴らしい物が多々見られます。四国の(ロケは島根だったりしますが)見事な四季を感じさせてくれますし、夕日を背にした巣鴨プリズンの見張り台とか監督の素晴らしい感性を感じるんですけど、いかんせんそのショットを使う必然性に乏しいのですねえ。
同じように、フサエが雪山を巡って減刑嘆願書に署名を貰うシーン。199人が200人になっても、大した差は無いのでしょうが、心に迫る物があったり、面会での子供たちの指とか、判決が次々と読み上げられる際の豊松の心の推移とか、米人看守の人間くささだとか感じ入るシーンも多々あるのに、それらの統一感が今ひとつ不足しているように感じるのですね。
(以下、コメント欄へ)
2009/07/08
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
オリジナルは観ていないが、この内容であれば観終わったあとのレビューはありきた
りだとしても、「戦争はいけない。これはまるで冤罪でないのか!?命令に従っただ
けじゃないか!まして殺してないのに、酷い話だ」となるのかもしれないが、残念な
がら全くそうは思えなかったし、感動すら出来なかった。ずれまくった作品と言わざる
得ないのかな。中居正広と仲間由紀恵のシーンはあまりにも現代劇でとても戦時中
とは思えない、CG(なのか?)ともとれる風光明媚な景色も空回りだ。仲間由紀恵は
中居正広と絡んでないシーンであれば悪くないのだが、絡むと途端に???だ。
独房にいれらた時に草ナギ剛がいた時は思わず失笑してしまった。中居正広にはが
んばったと言ってあげたいけれどよそれは無理というもの。完全なるキャストミス。こ
れだけ感動しそうなシーンがいっぱいあるのにどれも響かないのだから駄作ってこと。
たらればは無しだと思うが、中居正広でなければ全然違っただろう。しかもこれは勝
手な思い込みだったのだが、「私は貝になりたい」っていうのは口を閉ざすって意味だ
と思ってたのだが、ああいう意味だったんですね。がっかり度が増しました。だったら
貝じゃなくてもいいんだよね、なんでもさ。とにかくお話にならない出来。しかもこれ
長いんですよね、最悪だ。