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京都である老人を助けた寅次郎。実はこの老人、陶芸家の大先生だった。老人の家のお手伝い・かがりと仲良くなった寅次郎は、彼女の失恋に同情するうちにいつしか心惹かれ、ふたりで鎌倉のあじさい寺へデートに出かけるが…。
京都である老人を助けた寅次郎。実はこの老人、陶芸家の大先生だった。老人の家のお手伝い・かがりと仲良くなった寅次郎は、彼女の失恋に同情するうちにいつしか心惹かれ、ふたりで鎌倉のあじさい寺へデートに出かけるが…。
製作年: |
1982年 |
---|---|
製作国: |
日本 |
シリーズ: |
男はつらいよ 【第1作】 |
---|
1〜 2件 / 全2件
京都である老人を助けた寅次郎。実はこの老人、陶芸家の大先生だった。老人の家のお手伝い・かがりと仲良くなった寅次郎は、彼女の失恋に同情するうちにいつしか心惹かれ、ふたりで鎌倉のあじさい寺へデートに出かけるが…。
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
110分 | 日本語 | 1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語 |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
DA9529 | 2004年11月25日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
7枚 | 0人 | 0人 |
国民的人気シリーズ「男はつらいよ」の第29弾がデジタルリマスター版で復活。京都で老人を助けた寅次郎。実は老人は陶芸家の巨匠だった。老人の家のお手伝い・かがりと仲良くなった寅次郎は、彼女の失恋に同情するうちにいつしか心惹かれ始める。
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
110分 | 日本語英語 | 1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語 2:ドルビーデジタル/モノラル/日(音声ガイド) |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
DB8529 | 2008年11月27日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
1枚 | 0人 | 1人 |
1〜 2件 / 全2件
DVD
1〜 2件 / 全2件
1〜 2件 / 全2件
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オープニングの夢には古典の中にアニメーション技術が使われ、本編中には「技術革新」とうい台詞も登場します。ちょっと調べてみただけでも、この年には、Canonの完全自動化カメラ、NEC PC-9801、SONYはCDを発売、寅さんのお馴染みの財布の中身であった500円札も500円硬貨の発行で過去のものとなる時代なんですね。移りゆく時代の中で、変遷を重ねながらも、核心の部分では変化をしない、そんな良さを伝える本作ではないかと思います。古の面影を残す京都や鎌倉がロケ地として選ばれているのも、移ろいゆく花の色が印象的なアジサイをモチーフとして選んでいるのも頷けるところです。
本作もそんなテーマに則して、核心の部分は変化しなくとも様々な変化が伺えます。タイトルバックに加えられた変化もそうですし、寅が柴又に戻りとらやでの一騒動の後再び旅立つという、シリーズが守ってきた構成も本作では崩しています。また満男(吉岡秀隆)に確固たる人格を与え、今までさくらが担ってきたクライマックス後の寅の心情を映し出す鏡として重要な役所を与えているのも大きな変化ですね。
しかしこの作品での最も大きな変化は、寅とマドンナとの間に「性」を絡めたところではないでしょうか。これが今まで以上にクローズアップされ、失恋の動機にも関与する事柄として扱われています。
マドンナ・かがり(いしだあゆみ)の登場シーンから素足がクローズアップされ、彼女の足がセックスシンボルとして演出される本作なんですね。かがりの性的な誘いを受け入れることが出来ない寅の描写は本作の見せ場ですし、セックスを描写することのない山田洋次の性に対する演出を見る見所でもあると思います。
さて物語の方は、丹後のかがりの家でマドンナから性的な誘いを受け、柴又に戻った寅は悶々とした恋煩いに陥ります。これはいつもの恋煩いじゃなく、満男を絡めて描かれるように、青少年の性に対するごとくな寅の感覚なんですね。寅の優しさを慕い、勇気を振り絞ってとらやを訪れたかがりもまた性を意識していますし、二人の間には気まずい雰囲気が漂います。かがりのデートの誘いに満男を伴って出かける寅は、性的な関係に陥ることを回避した、寅の性に対する戸惑いだと思います。
しかしこの行動がかがりに現実を見つめさせる事になるんですね。京都から丹後に掛けて、かがりは寅の優しさに対して「甘えてみよう」「出来るなら甘えてみたい」という感情を抱いていたと思います。それが性的な繋がりを求める気持ちになっていたと思いますが、ここでは寅の背後に存在する家族を見たんじゃないでしょうか。結婚という結びつきを考えれば、寅の優しさにすがるだけでは許されない、旅の空の夢の存在であるかのような寅と、家族を持ち実際に生きている寅とのギャップが、単に「甘えたい」という甘い感情だけでは許されない現実を呼び起こしのではないかと思うんですね。一方寅も、かがりの気持ちを察していながらも、彼女の家族を幸せになどすることが出来ない自分の甲斐性の無さを知っています。この現実に阻まれた感情が、お互いの今回の失恋ではないでしょうかね。
またこのストーリーも、ノーパン喫茶やテレクラという当時の性風俗を受けての事ではないでしょうかね。性を単なる男女の結びつきとしてしか捉えない事に対する、人生の中での性を見つめ直すという捉え方じゃないでしょうか。
さて作品の出来の方はいかがなものでしょう。変化できない虚しさが本作のクライマックスの感情です。ラストシーンではそれを受けて、陶芸家・加納(片岡仁左衛門)とテキヤの寅を描写し、自分の道を歩むことを讃えます。本作の物語を「寅を成長させ変化させる経験」と考えてまとめることも出来るのですが、逆説的な結びを成立させるには少々理屈っぽいですね。
また、かがりが寅に惚れるくだりも、寅の優しさに対するかがりの感情という描写がリアクションであったり台詞での説明という理屈なんですね。彼女の生い立ちを台詞で吐かせ、感傷的な音楽を乗せて観客に理解をさせても、「抱かれたい」と思う女心を深く描写することは出来ません。むしろ「浪花の恋の寅次郎」のマドンナと寅との出会いのシーンのように、説明的な要素など排除して感覚に訴え想像に委ねる描写の方が、かがりの感情を観客の想像として深く伝え得たんじゃないかと思います。
加納(片岡仁左衛門)の台詞に『こりゃ頭で考えているのとは違うんや。自然に生まれてくるのを待つのや。けどその自然がなかなか難しい。』といういうのがありますが、本作は非常に理知的な構成の映画だと思います。しかし本当に深く心に響くものを伝えるものは理屈では決してないんですね。クライマックスの運びは賞賛できるのですが、それ以外がまだまだ理屈っぽいと思える本作です。
60点。
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現、十五代目片岡仁左衛門のお父様である先々代十三代目仁左衛門が京都に暮らす陶芸の大家で、寅さんと加茂川の土手で不思議な縁を持つ加納先生を演じています。
この時の十三代目は重要無形文化(人間国宝)になられてから丁度10年過ぎた頃、十一代目松嶋屋の三男とされながら実は安田財閥(安田善三郎が実父)の血統を持ってるせいか、寅さんを誘ってあがった先斗町のお茶屋での飲み姿などは高貴な雰囲気を醸し出して絶妙ですね。
今回のマドンナは加納先生のもとで家事手伝いの下働きをしている「かがりさん(いしだあゆみ)」で、如何にも薄幸の女性という雰囲気。故あって寅さんと出会ってからほどなく、彼女は加納家を出て故郷の丹後へ帰ってしまいます。
案の定、寅さんは加納先生から頼まれて彼女の様子をたしかめる為に京都府伊根町のかがりが住む舟屋まで訪ねて行き、そこでかがりさんは旅に暮らす寅さんの「自由さ」への憧れから、しまいには寅さんへの「恋心」というか「思慕」に変えてしまうのですね。
耐える女性、かがりの口元から寅次郎へ向けてこぼれる「もう会えないのね」の台詞はバックに流れる哀愁を帯びたメロディーとともに強く記憶に残ります。きっと本作を好まれる方はこの旋律とかがりのイメージこみこみで☆4つ以上とすることでしょう。
サブタイトルの「あじさい」は後半、寅次郎、満男くん、かがりさんが訪れる鎌倉のお寺とも繋がっています。結末はごらんになってのお楽しみですが、惚れるのは得意なくせに、惚れられるのは相変わらず弱い寅次郎、僕は「なにやってんだよぉ・・・寅さん、かがりさんがあんまり可哀想じゃないか」とまた思っちゃいました。
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あじさいの恋と名付けられたこの作品。
オープニングは落語の「明雀」で始まります。
狩野一派の絵描きが、宿賃の代わりに襖に雀の絵を描く。
あまりにもリアルなその雀は、朝になると飛び立って、その宿は名物宿となって・・・これがオープニングです。
落語の方が正直おもしろいかなぁ。志ん朝の落語を聞いてから見るのも良いでしょう。
マドンナのいしだあゆみは日本を代表する「不幸な」女優です。
しっとりと、陶芸家のお手伝いとして演じられています。
笑えるのは、いしだあゆみ役と婚約している役が声優でも有名な、青年座の津嘉山さんであると言うこと。
津嘉山さんは何度も寅さんに出ております。
出番は決まってオープニング。
寅さんが「柴又」に帰る途中で必ず問題を起こす河原に災難を起こされる役で登場してます。例えば、絵描きで絵をめちゃくちゃにされるとか、陸上部の監督で・・・なんて。
そうやってみると、寅さんもさらにおもしろいでしょう?
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ユーザーレビュー:14件
投稿日
2007/11/30
レビュアー
ケチケチ※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
オープニングの夢には古典の中にアニメーション技術が使われ、本編中には「技術革新」とうい台詞も登場します。ちょっと調べてみただけでも、この年には、Canonの完全自動化カメラ、NEC PC-9801、SONYはCDを発売、寅さんのお馴染みの財布の中身であった500円札も500円硬貨の発行で過去のものとなる時代なんですね。移りゆく時代の中で、変遷を重ねながらも、核心の部分では変化をしない、そんな良さを伝える本作ではないかと思います。古の面影を残す京都や鎌倉がロケ地として選ばれているのも、移ろいゆく花の色が印象的なアジサイをモチーフとして選んでいるのも頷けるところです。
本作もそんなテーマに則して、核心の部分は変化しなくとも様々な変化が伺えます。タイトルバックに加えられた変化もそうですし、寅が柴又に戻りとらやでの一騒動の後再び旅立つという、シリーズが守ってきた構成も本作では崩しています。また満男(吉岡秀隆)に確固たる人格を与え、今までさくらが担ってきたクライマックス後の寅の心情を映し出す鏡として重要な役所を与えているのも大きな変化ですね。
しかしこの作品での最も大きな変化は、寅とマドンナとの間に「性」を絡めたところではないでしょうか。これが今まで以上にクローズアップされ、失恋の動機にも関与する事柄として扱われています。
マドンナ・かがり(いしだあゆみ)の登場シーンから素足がクローズアップされ、彼女の足がセックスシンボルとして演出される本作なんですね。かがりの性的な誘いを受け入れることが出来ない寅の描写は本作の見せ場ですし、セックスを描写することのない山田洋次の性に対する演出を見る見所でもあると思います。
さて物語の方は、丹後のかがりの家でマドンナから性的な誘いを受け、柴又に戻った寅は悶々とした恋煩いに陥ります。これはいつもの恋煩いじゃなく、満男を絡めて描かれるように、青少年の性に対するごとくな寅の感覚なんですね。寅の優しさを慕い、勇気を振り絞ってとらやを訪れたかがりもまた性を意識していますし、二人の間には気まずい雰囲気が漂います。かがりのデートの誘いに満男を伴って出かける寅は、性的な関係に陥ることを回避した、寅の性に対する戸惑いだと思います。
しかしこの行動がかがりに現実を見つめさせる事になるんですね。京都から丹後に掛けて、かがりは寅の優しさに対して「甘えてみよう」「出来るなら甘えてみたい」という感情を抱いていたと思います。それが性的な繋がりを求める気持ちになっていたと思いますが、ここでは寅の背後に存在する家族を見たんじゃないでしょうか。結婚という結びつきを考えれば、寅の優しさにすがるだけでは許されない、旅の空の夢の存在であるかのような寅と、家族を持ち実際に生きている寅とのギャップが、単に「甘えたい」という甘い感情だけでは許されない現実を呼び起こしのではないかと思うんですね。一方寅も、かがりの気持ちを察していながらも、彼女の家族を幸せになどすることが出来ない自分の甲斐性の無さを知っています。この現実に阻まれた感情が、お互いの今回の失恋ではないでしょうかね。
またこのストーリーも、ノーパン喫茶やテレクラという当時の性風俗を受けての事ではないでしょうかね。性を単なる男女の結びつきとしてしか捉えない事に対する、人生の中での性を見つめ直すという捉え方じゃないでしょうか。
さて作品の出来の方はいかがなものでしょう。変化できない虚しさが本作のクライマックスの感情です。ラストシーンではそれを受けて、陶芸家・加納(片岡仁左衛門)とテキヤの寅を描写し、自分の道を歩むことを讃えます。本作の物語を「寅を成長させ変化させる経験」と考えてまとめることも出来るのですが、逆説的な結びを成立させるには少々理屈っぽいですね。
また、かがりが寅に惚れるくだりも、寅の優しさに対するかがりの感情という描写がリアクションであったり台詞での説明という理屈なんですね。彼女の生い立ちを台詞で吐かせ、感傷的な音楽を乗せて観客に理解をさせても、「抱かれたい」と思う女心を深く描写することは出来ません。むしろ「浪花の恋の寅次郎」のマドンナと寅との出会いのシーンのように、説明的な要素など排除して感覚に訴え想像に委ねる描写の方が、かがりの感情を観客の想像として深く伝え得たんじゃないかと思います。
加納(片岡仁左衛門)の台詞に『こりゃ頭で考えているのとは違うんや。自然に生まれてくるのを待つのや。けどその自然がなかなか難しい。』といういうのがありますが、本作は非常に理知的な構成の映画だと思います。しかし本当に深く心に響くものを伝えるものは理屈では決してないんですね。クライマックスの運びは賞賛できるのですが、それ以外がまだまだ理屈っぽいと思える本作です。
60点。
投稿日
2007/01/31
レビュアー
KUBOCHIN※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
現、十五代目片岡仁左衛門のお父様である先々代十三代目仁左衛門が京都に暮らす陶芸の大家で、寅さんと加茂川の土手で不思議な縁を持つ加納先生を演じています。
この時の十三代目は重要無形文化(人間国宝)になられてから丁度10年過ぎた頃、十一代目松嶋屋の三男とされながら実は安田財閥(安田善三郎が実父)の血統を持ってるせいか、寅さんを誘ってあがった先斗町のお茶屋での飲み姿などは高貴な雰囲気を醸し出して絶妙ですね。
今回のマドンナは加納先生のもとで家事手伝いの下働きをしている「かがりさん(いしだあゆみ)」で、如何にも薄幸の女性という雰囲気。故あって寅さんと出会ってからほどなく、彼女は加納家を出て故郷の丹後へ帰ってしまいます。
案の定、寅さんは加納先生から頼まれて彼女の様子をたしかめる為に京都府伊根町のかがりが住む舟屋まで訪ねて行き、そこでかがりさんは旅に暮らす寅さんの「自由さ」への憧れから、しまいには寅さんへの「恋心」というか「思慕」に変えてしまうのですね。
耐える女性、かがりの口元から寅次郎へ向けてこぼれる「もう会えないのね」の台詞はバックに流れる哀愁を帯びたメロディーとともに強く記憶に残ります。きっと本作を好まれる方はこの旋律とかがりのイメージこみこみで☆4つ以上とすることでしょう。
サブタイトルの「あじさい」は後半、寅次郎、満男くん、かがりさんが訪れる鎌倉のお寺とも繋がっています。結末はごらんになってのお楽しみですが、惚れるのは得意なくせに、惚れられるのは相変わらず弱い寅次郎、僕は「なにやってんだよぉ・・・寅さん、かがりさんがあんまり可哀想じゃないか」とまた思っちゃいました。
投稿日
2006/09/02
レビュアー
ホワイト※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
あじさいの恋と名付けられたこの作品。
オープニングは落語の「明雀」で始まります。
狩野一派の絵描きが、宿賃の代わりに襖に雀の絵を描く。
あまりにもリアルなその雀は、朝になると飛び立って、その宿は名物宿となって・・・これがオープニングです。
落語の方が正直おもしろいかなぁ。志ん朝の落語を聞いてから見るのも良いでしょう。
マドンナのいしだあゆみは日本を代表する「不幸な」女優です。
しっとりと、陶芸家のお手伝いとして演じられています。
笑えるのは、いしだあゆみ役と婚約している役が声優でも有名な、青年座の津嘉山さんであると言うこと。
津嘉山さんは何度も寅さんに出ております。
出番は決まってオープニング。
寅さんが「柴又」に帰る途中で必ず問題を起こす河原に災難を起こされる役で登場してます。例えば、絵描きで絵をめちゃくちゃにされるとか、陸上部の監督で・・・なんて。
そうやってみると、寅さんもさらにおもしろいでしょう?
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男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 【第29作】