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「メメント」「インソムニア」のクリストファー・ノーラン監督が新たな世界観で手掛けた「バットマン ビギンズ」の続編となるダーク・ヒーロー・アクション。クリスチャン・ベイルが引き続きバットマンに扮し、悪の黒幕“ジョーカー”と壮絶な死闘を繰り広げる。なお、そのジョーカーを圧倒的な存在感で怪演したヒース・レジャーは、2008年1月に28歳の若さで急逝した。ゴッサムシティでは、バットマンとゴードン警部補が手を組み、日々の犯罪に立ち向かっていた。だがそんな中、白塗りの顔に裂けた口の“ジョーカー”と名乗る正体不明の男が闇の世界で頭角を現わし、バットマンを嘲笑うかのごとく次々と凶悪事件を引き起こしていく。
製作年: |
2008年 |
---|---|
製作国: |
アメリカ |
原題: |
THE DARK KNIGHT |
受賞記録: |
2008年 ゴールデン・グローブ 助演男優賞 |
監督: |
クリストファー・ノーラン |
---|---|
製作: |
チャールズ ローヴェン 、 エマ トーマス 、 クリストファー・ノーラン |
製作総指揮: |
ベンジャミン・メルニカー 、 マイケル・E・ウスラン 、 ケヴィン・デラノイ 、 トーマス・タル |
出演: |
クリスチャン・ベール 、 ヒース・レジャー 、 アーロン・エッカート 、 ゲイリー・オールドマン 、 マイケル・ケイン 、 マギー・ギレンホール 、 モーガン・フリーマン 、 エリック・ロバーツ 、 クリスチャン・ベイル 、 マイケル・ケイン |
脚本: |
ジョナサン・ノーラン 、 クリストファー・ノーラン |
---|---|
撮影: |
ウォーリー・フィスター |
音楽: |
ジェームズ・ニュートン・ハワード 、 ハンス・ジマー 、 ジェームズ・ニュートン・ハワード 、 ハンス・ジマー |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
152分 | 日本語英語吹き替え用 | 1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/英語 2:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/日本語 |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
DLRY22495 | 2008年12月10日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
85枚 | 2人 | 4人 |
収録時間:
152分
字幕:
日本語英語吹き替え用
音声:
1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/英語
2:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/日本語
レイティング:
記番:
DLRY22495
レンタル開始日:
2008年12月10日
在庫枚数
85枚
1位登録者:
2人
2位登録者:
4人
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
152分 | 日本語・日本語吹替え用字幕・英語 | 1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/英語 2:DOLBY True HD/5.1chサラウンド/英語 3:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/日本語 |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
WBRY24753*B | 2008年12月10日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
35枚 | 1人 | 2人 |
収録時間:
152分
字幕:
日本語・日本語吹替え用字幕・英語
音声:
1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/英語
2:DOLBY True HD/5.1chサラウンド/英語
3:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/日本語
レイティング:
記番:
WBRY24753*B
レンタル開始日:
2008年12月10日
在庫枚数
35枚
1位登録者:
1人
2位登録者:
2人
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
152分 | 日本語英語吹き替え用 | 1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/英語 2:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/日本語 |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
DLRY22495 | 2008年12月10日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
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収録時間:
152分
字幕:
日本語英語吹き替え用
音声:
1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/英語
2:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/日本語
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記番:
DLRY22495
レンタル開始日:
2008年12月10日
在庫枚数
85枚
1位登録者:
2人
2位登録者:
4人
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
152分 | 日本語・日本語吹替え用字幕・英語 | 1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/英語 2:DOLBY True HD/5.1chサラウンド/英語 3:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/日本語 |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
WBRY24753*B | 2008年12月10日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
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収録時間:
152分
字幕:
日本語・日本語吹替え用字幕・英語
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1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/英語
2:DOLBY True HD/5.1chサラウンド/英語
3:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/日本語
レイティング:
記番:
WBRY24753*B
レンタル開始日:
2008年12月10日
在庫枚数
35枚
1位登録者:
1人
2位登録者:
2人
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アメコミヒーロー物が苦手だった私も納得した前作『バットマン・ビギンズ』。さらにこの『ダークヒーロー』はノワールさをパワーアップして登場。ヒース・レジャー演じるジョーカーとクリスチャン・ベイル演じる『バットマン』この二人が存在感がリアルに描かれています。
この映画が重厚になっているのはこの二人の対比が「ヒール vs ヒーロー」となっていないことだと思います。むしろ「ヒーロー」という意味ではジョーカーの方がヒーローなのです。もちろん正義のヒーローではありませんが。そのジョーカー演じる悪のヒーローに対する正義のヒーローはなんとバットマンではありません。正義のヒーローはアーロン・エッカート演じるエリート地方検事ハービー・デント。バットマンは法を破る存在で白日のもとで素顔をさらして歩ける存在では無くあくまでダークナイト(闇の騎士)なのです。さらに悪側においてもジョーカーもマフィア達のナイトとして登場した人物。いわばジョーカーとバットマンの戦いはナイト同士の代理戦争から始まったもの。その本質をジョーカーもバットマンもお互い深く認識し底辺では通ずるものを感じます。
その二人を決定的に隔てているのが「ルール」。ジョーカーは「ルール」というものを持たずその存在は「無邪気な悪」というべきもの。一方のバットマンは頑なに過酷なあるルールを自分に課しています。バットマンにとっては「ルール」=「法」ではありません。彼にとってのルールとは「正義」なのです。すなわちこの映画では「法」=「正義」では必ずしも無いということが随所に描かれています。
ではバットマンにとって「正義」とは何か。それはこの映画のキーワードというか全編を貫いて話の転換点にも使われているのですが「他人の生命を奪わない」ということです。その他のことに関しては必要とあれば倫理的な部分では許されなくても強い決意でのぞみます。バットマンとはそうした存在なのです。
この映画は「無邪気な超絶悪」vs.「鉄の正義」の物語。決してヒーロー物ではありません。『ダークナイト』というタイトルからも制作者側の強いメッセージを感じます。
スクリーンの中の空気に触れることが出来そうなリアルさが漂う存在感のある良い映画だと思います。
このレビューは気に入りましたか? 57人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
(エンディングについて触れていますのでご注意ください)
鑑賞後、なかなか考えがまとまりませんでした。それほど、作品のパワーに圧倒され、頭が真っ白になってしまったのです。よふかしさんが、「この作品に熱狂する人が、これが面白くないなんて映画が分からん奴だ的なことを言いがちでイヤです」と書かれていることに私も同意です。この虚無的な悪魔の所行に眉をひそめる人、エンタメとはもはや言えない暗いムードについていけない方も確かにおられるでしょう。ただ、この手の意見が噴出するのは、それだけの魔力を作品が持っているということ。ヒース演じるジョーカーは、受け手の心の隙間に入り、その全ての感情を支配してしまう、そんな魔力を間違いなく放っているのです。
ジョーカーを演じたことが、彼の死に何らかの影響を及ぼした、そう考えてもおかしくはないほど、狂気が宿っています。舌なめずりする仕草や独特のアクセントを加えた喋り方。彼が自ら創意工夫して、己の中から絞り出すようにこの役を作り上げたのでしょう。病院を爆破するシーンで、スイッチをまるでおもちゃのように扱う。あのコミカルさが却って生々しく、背筋が凍りました。そして、主演のクリスチャン・ベール。私にはヒースの引き立て役とは思えなかった。善が悪を呼び、悪が善を呼ぶ。そんな、世界観が構築できたのも、彼いればこそだったのではないでしょうか。そして、マイケル・ケイン、モーガン・フリーマン、ゲイリー・オールドマン。前回に引き続き、脇役のすばらしさは目を見張ります。こんなに脇が光っている作品って、ちょっと思い出せないですね。
個人的に興味深かったのは、物語の着地点です。抗うことのできない絶対悪に対してどう立ち向かっていくのか、というのは、911以降繰り返し語られてきました。ヒーローはいない。復讐してはならない。あまりにも同じテーマが多く、またどの作品も明確な答を出せないジレンマがそのまま表現されてしまった、そんなもどかしさを感じずにはおれません。ところが、「ダークナイト」では、しっかりと結論が出されます。しかも、アメリカ映画としては、驚くべき結論ではないでしょうか。闇の世界に生きる。サクリファイス、自己犠牲と言う精神。ゴッサム・シティが世界、バットマンがアメリカ、ジョーカーがテロリストと考えた場合、バットマンが選んだこの道をアメリカ人は一体どう受け止めただろうかと考えずにはいられないのです。
とにもかくにも、善悪の概念が揺れ動き、混沌とする様を描き出す脚本が秀逸。「トゥー・フェイス」の登場によって、「ジョーカー(悪)VSバットマン(善)」という単純な対立構造から、さらに深い世界観が生まれる中盤以降の展開は、ただ固唾を呑んでスクリーンを睨み続けました。また、バットモービルなどのハイテク装備や基地内の様子は、近未来的ではありますが、色彩も少なく、実に無機質な作りで、何と「謙虚」だろうと思わずにはいられません。一方、爆破シーンやカーチェイスの場面は、徹底的に迫力を追求し、とめどない破壊をイメージさせます。ハンス・ジマーの音楽は、同じく担当した「ワールド・エンド」のようなわかりやすい主旋律を持ったものではなく、どちらかと言うとBGMに徹しているかのようで、これが作品のイメージとどんぴしゃり合っています。全てを統括した、監督クリストファー・ノーランの才能にただただ驚くばかりです。総合芸術の極みと呼ぶべき作品ではないでしょうか。
このレビューは気に入りましたか? 31人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
撮影後急死したヒース・レジャヤーが真に鬼気迫る狂気のジョーカーを演じています。
正義の本質をテーマに重厚な物語が繰り広げられる本作。
たった一人で街の平和が守れるものなのか?
守られたとしても、法に頼らずに一個人が悪を退治する行為を社会は許して良いのか?など、
ジョーカーの仕掛けるゲームを通して、正義のヒーローという存在にまつわる「矛盾」を暴き出し、ちょっと考えさせられる内容でした。
舌を蛇のようにくねらせながら、独自の韻を踏んで語りかけるジョーカー。人の命を何とも思わず心を弄ぶ冷酷さと自らの危険をも顧みず、犯行を重ねる大胆さを兼ね備え、そのくせどこかひょうきんさも感じさせながら犯罪に手を染める彼は、妖しさと狂気とまるで人格が乗っ取られたかの如く、完全に憑依されたように感じてしまったほどです。
それに対して、バットマンは、苦渋の選択を迫られるのですが、その場面は、マスクをしているため、表情は見えないので、印象がちょっと弱くなりますが、本当に守りたいもののために、自ら汚れ役を買って出るという成長振りを見せてくれます。
さらに、今回のキーパーソンとなる地方検事ハーベイ・デント(アーロン・エッカート)は、ちょっと難しい役回りですが、ジョーカーの策略に嵌まって、復讐心から悪に染まってしまうという二面性を上手く描いているなぁと思いました。
正義が強ければ、強いほど悪も強まっていく。それを一人の人間に具現化したのが、ハーベイデントの二面性ということでしょうか。
今までにないヒーロー像に望んだのが本作です。
何しろ、バットマン自身が自らヒーローではないと宣言し、街の警察に追われるお尋ね者という辺りが驚きです。
ヒーローとしてちやほやされたい、注目を浴びたいそんなヒーロー像から、自分から脱却。本気で街にとって何がダメにすることなのか?を考えて汚名を被る。
ヒーローであったバットマンをそこまで追い込んだのは、ジョーカーが、その人間の悪の部分を引きずり出すことに命をかけ、自分の快楽のためにバットマンを生かして楽しもうとする恐ろしさを見せつけたからかもしれません。バットマンが最後の最後までも善と悪の狭間で悩み続け、たとえほんの一瞬でも敗北するという設定は、今までありえないことでした。
正義を貫くことの難しさ。いとも簡単に、闇に落ちてしまう人間の愚かさ、悪の魅力を全編に溢れていて、ヒーローもので、このブルーな感じは何なんでしょうね?
このレビューは気に入りましたか? 23人の会員が気に入ったと投稿しています
残酷で、厳しい映画だ。観客に一瞬たりとも楽をさせない。二元論的判断を否定され続け、息が詰まる様な緊張感で心が疲弊してゆく私たち観客。画面に映っている者は誇張され、「そのように見よ」と言わんばかりなのに、善も悪もどこか融け合ってレッテルを貼らせない。
絶対悪ジョーカーに絶対善バットマン? いや、ここでは「絶対」の冠は無意味なのだろう。悪とは何か?誰にとっての悪か? ジョーカーの成す悪に、目的は無い。彼が人を殺める時、自らの傷のエピソードを楽しげに話す。まるで悪を成すにあたって、忘れていた怒りを、そして「動機」を、無理やり思い出すかのように。彼にとって悪は悪では無く、ただの性質に他ならない。「単なる」レゾンデートルなのだ。
対するバットマン、そして検事デントには、正義を成すという、確たる目的がある…はずなのだが、その正義は揺らいでいる。ジョーカーや、他ならぬ市民によって揺らがされる。悪を滅する行為のうちに、善の一部が食いこんでいたり、別の悪意が仕込まれていたりするせいだ。彼らが「絶対善」だと思っているのは「相対善」に過ぎず、それは対象が絶対悪であるうちはいいが、そうでない対象には、力を失う。(相対悪の象徴はトゥー・フェイスだ)
映像は抑制が利いている。ドラマは派手派手で、人物はこれ以上無いほどにカリカチュアライズされた設定なのに、奇妙なリアル感が漂う。ゴッサムシティも単なる一都市として描写され、そこにバットマンさんが居ようが、ジョーカーさんが居ようが、風景の一つに見えてしまう。役者は誰も声を張り上げること無く、クローズアップされることも無い、全てを映画的に見せずに、だが見事なまでに映画として成立させている。
何より驚くべきは、脚本だと思う。一つのセンテンスで全てを語ることはせず、少しずつ言葉足らずにして、観る者に常に想像をさせる。観直してみても余分なセリフも足りないセリフも一切無い。演者達は台本を読み込んで、ゾクゾクしたのではないか。
この物語をメタファーとして解釈することは可能で、それを狙っていないことは無かろうと思う。
「善」は悪があってこそ、存在出来る。だから「善」になる為には「悪」を作り出すことをせねばならぬし、現実にそんな漫画の様な事(いや、漫画以下か)が堂々とまかり通っているの世の中だ。
現代アメリカの抱えたPTSDに一つの答えを提示した、と思わせもする。我が国はDARK KNIGHTであるべきだ、とバットマンの背中は語っているのか。
だが、私はそれも含めて「ワナ」なのではないかと思う。この映画には、いたる所にワナが仕掛けられている。「これはこうだ」と我々に判断させておいて、すぐにひっくり返してケタケタとあざ笑う。映画丸ごとがジョーカーの掌中にあるかのようだ。彼には矜持も気張りも無い。ただ子供の様に価値観を弄び、戯れるばかりなのだ。
このレビューは気に入りましたか? 21人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
「バットマンは好きじゃない」
と言うかみさんと観ました。
面白かったですねえ。ほとんど寝ませんでした(笑)全編通じて、寝ていたのは3分以内でしょう(威張ることじゃない・・・)
終わったときにかみさんに、
「面白かっただろ?」
と聞くと、
「今までのバットマンシリーズの中では一番面白いね。これ、バットマンじゃなくてジョーカー・ムービーでしょ」
との感想でした。それほどヒース・レジャーの演技はスゴイのです。醜い容姿で、残酷であるが故に美しいのです。
ジャック・ニコルソンが演じたジョーカーは、もう少しコミカルだったと思いますが、ヒースのジョーカーは残忍さが際立っていてインパクトが大きいです。時折はさむジョークでクスッとするからこそ、その残忍さがいや増していくのですね。
まあ、ジャック・ニコルソンは「シャイニング」を例に出すまでもなく、そこにいるだけで息苦しく感じさせるような狂気を演じられる、天才なので別格ですが、ヒースのジョーカーも決してひけを取っていないのです。(ジャックが演じたジョーカーを演じるというのはヒースにとって、スゴイプレッシャーであったろうと想像できます)
クリスチャン・ヴェール演ずるブルース・ウェインが端整な顔立ちで、上品さを漂わせるから、なおさらにヒースのジョーカーに凄みを感じます。
彼(ジョーカー)が語る口の裂け傷の訳は、語るたびに違い、それがホントなのか、すべて嘘なのかわかりません。それが、さながら「過去の無い男」と言うイメージを持たせてくれます。
「ダークナイト」と言うタイトルは暗黒の夜ではなく、暗黒の騎士なんだそうですけど、タイトルからバットマンをはずした意味は、そこにあるんじゃないでしょうかね。
アーロン・エッカート演じるハーヴェイ・デントのキャラも重要ですね。ジョーカーの企みに翻弄されるようにして、ダークサイドに落ちてしまうようですが、それが2フェイスで如実に見せつけられるんですね。彼の様子を見ていると、
「絶対的な善」も「絶対的な悪」も存在しない。ほんのちょっとしたきっかけで、どちらにも転ぶのだと言う想いを強くします。
そう思いながら観ると、バットマンすら「絶対的な善」では無いのだなと思います。彼が高層ビルの上から街を見下ろすシーンでは、なんだか空恐ろしい感覚に襲われます。
ああ、ゴードン警部補だけは、最後まで善を貫きましたか・・。しかし、今回本部長に出世した彼ですら、いつ、どんなきっかけで変節してしまわないとも限らないのです。
マギー・ギレンホールって美人ですか?なんかあか抜けない姉ちゃんに見えるんですけど(賀来千佳子のようです・・似てますよね)
クリストファー・ノーランは「プレステージ」での重苦しく息詰まる映像を進化させ、さらにアクションと、まるでジェイソン・ボーンシリーズのような素早いカット割を加味して、インパクトのある映像を作ってますね。
デビュー作「メメント」が最高傑作であり、徐々にメジャー化するにつれて没個性になっていたような気がしたのですが、この「ダークナイト」で突然変異とも言えるほどの進化を遂げたと言っていいと思います。「バットマン・ビギンズ」よりも数段凄みのある作品に仕上がっています。
これはヒース・レジャー効果なのでしょうか?
この作品が、今までのバットマンとも、スパイダーマン等のアメコミヒーローと一線を画するのは、生身の人間であるブルース・ウェインの葛藤があるからなのでしょう。超能力や圧倒的な身体能力があるわけではなく、パワースーツを開発したり、装甲車で1人自警団としてゴッサム・シティの平和を守ろうとしているのです。時には大けがをしながら・・・。
大金持ちの酔狂な趣味と言ってしまえばそれまでですが、その超法規的な行動は、法治国家の中では犯罪者と同じ分類にされてしまいます。彼が強大な力を発揮すれば、それに呼応するように更に強大な悪が現れてしまう。そんなジレンマが生身のブルース・ウェインを責めさいなむのでしょう。
ある意味、バットマンとジョーカーは表裏一体なのかも知れません。
いずれにしても、今年一二を争う出来の作品だと思います。
ローズさんが言っていた、
「死後にオスカー獲得」
あるかもしれませんねえ。
このレビューは気に入りましたか? 21人の会員が気に入ったと投稿しています
ダークナイト
入力内容に誤りがあります。
内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。
ユーザーレビュー:392件
投稿日
2009/01/10
レビュアー
JUCE アメコミヒーロー物が苦手だった私も納得した前作『バットマン・ビギンズ』。さらにこの『ダークヒーロー』はノワールさをパワーアップして登場。ヒース・レジャー演じるジョーカーとクリスチャン・ベイル演じる『バットマン』この二人が存在感がリアルに描かれています。
この映画が重厚になっているのはこの二人の対比が「ヒール vs ヒーロー」となっていないことだと思います。むしろ「ヒーロー」という意味ではジョーカーの方がヒーローなのです。もちろん正義のヒーローではありませんが。そのジョーカー演じる悪のヒーローに対する正義のヒーローはなんとバットマンではありません。正義のヒーローはアーロン・エッカート演じるエリート地方検事ハービー・デント。バットマンは法を破る存在で白日のもとで素顔をさらして歩ける存在では無くあくまでダークナイト(闇の騎士)なのです。さらに悪側においてもジョーカーもマフィア達のナイトとして登場した人物。いわばジョーカーとバットマンの戦いはナイト同士の代理戦争から始まったもの。その本質をジョーカーもバットマンもお互い深く認識し底辺では通ずるものを感じます。
その二人を決定的に隔てているのが「ルール」。ジョーカーは「ルール」というものを持たずその存在は「無邪気な悪」というべきもの。一方のバットマンは頑なに過酷なあるルールを自分に課しています。バットマンにとっては「ルール」=「法」ではありません。彼にとってのルールとは「正義」なのです。すなわちこの映画では「法」=「正義」では必ずしも無いということが随所に描かれています。
ではバットマンにとって「正義」とは何か。それはこの映画のキーワードというか全編を貫いて話の転換点にも使われているのですが「他人の生命を奪わない」ということです。その他のことに関しては必要とあれば倫理的な部分では許されなくても強い決意でのぞみます。バットマンとはそうした存在なのです。
この映画は「無邪気な超絶悪」vs.「鉄の正義」の物語。決してヒーロー物ではありません。『ダークナイト』というタイトルからも制作者側の強いメッセージを感じます。
スクリーンの中の空気に触れることが出来そうなリアルさが漂う存在感のある良い映画だと思います。
投稿日
2008/11/16
レビュアー
ガラリーナ※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
(エンディングについて触れていますのでご注意ください)
鑑賞後、なかなか考えがまとまりませんでした。それほど、作品のパワーに圧倒され、頭が真っ白になってしまったのです。よふかしさんが、「この作品に熱狂する人が、これが面白くないなんて映画が分からん奴だ的なことを言いがちでイヤです」と書かれていることに私も同意です。この虚無的な悪魔の所行に眉をひそめる人、エンタメとはもはや言えない暗いムードについていけない方も確かにおられるでしょう。ただ、この手の意見が噴出するのは、それだけの魔力を作品が持っているということ。ヒース演じるジョーカーは、受け手の心の隙間に入り、その全ての感情を支配してしまう、そんな魔力を間違いなく放っているのです。
ジョーカーを演じたことが、彼の死に何らかの影響を及ぼした、そう考えてもおかしくはないほど、狂気が宿っています。舌なめずりする仕草や独特のアクセントを加えた喋り方。彼が自ら創意工夫して、己の中から絞り出すようにこの役を作り上げたのでしょう。病院を爆破するシーンで、スイッチをまるでおもちゃのように扱う。あのコミカルさが却って生々しく、背筋が凍りました。そして、主演のクリスチャン・ベール。私にはヒースの引き立て役とは思えなかった。善が悪を呼び、悪が善を呼ぶ。そんな、世界観が構築できたのも、彼いればこそだったのではないでしょうか。そして、マイケル・ケイン、モーガン・フリーマン、ゲイリー・オールドマン。前回に引き続き、脇役のすばらしさは目を見張ります。こんなに脇が光っている作品って、ちょっと思い出せないですね。
個人的に興味深かったのは、物語の着地点です。抗うことのできない絶対悪に対してどう立ち向かっていくのか、というのは、911以降繰り返し語られてきました。ヒーローはいない。復讐してはならない。あまりにも同じテーマが多く、またどの作品も明確な答を出せないジレンマがそのまま表現されてしまった、そんなもどかしさを感じずにはおれません。ところが、「ダークナイト」では、しっかりと結論が出されます。しかも、アメリカ映画としては、驚くべき結論ではないでしょうか。闇の世界に生きる。サクリファイス、自己犠牲と言う精神。ゴッサム・シティが世界、バットマンがアメリカ、ジョーカーがテロリストと考えた場合、バットマンが選んだこの道をアメリカ人は一体どう受け止めただろうかと考えずにはいられないのです。
とにもかくにも、善悪の概念が揺れ動き、混沌とする様を描き出す脚本が秀逸。「トゥー・フェイス」の登場によって、「ジョーカー(悪)VSバットマン(善)」という単純な対立構造から、さらに深い世界観が生まれる中盤以降の展開は、ただ固唾を呑んでスクリーンを睨み続けました。また、バットモービルなどのハイテク装備や基地内の様子は、近未来的ではありますが、色彩も少なく、実に無機質な作りで、何と「謙虚」だろうと思わずにはいられません。一方、爆破シーンやカーチェイスの場面は、徹底的に迫力を追求し、とめどない破壊をイメージさせます。ハンス・ジマーの音楽は、同じく担当した「ワールド・エンド」のようなわかりやすい主旋律を持ったものではなく、どちらかと言うとBGMに徹しているかのようで、これが作品のイメージとどんぴしゃり合っています。全てを統括した、監督クリストファー・ノーランの才能にただただ驚くばかりです。総合芸術の極みと呼ぶべき作品ではないでしょうか。
投稿日
2008/12/08
レビュアー
ミルクチョコ※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
撮影後急死したヒース・レジャヤーが真に鬼気迫る狂気のジョーカーを演じています。
正義の本質をテーマに重厚な物語が繰り広げられる本作。
たった一人で街の平和が守れるものなのか?
守られたとしても、法に頼らずに一個人が悪を退治する行為を社会は許して良いのか?など、
ジョーカーの仕掛けるゲームを通して、正義のヒーローという存在にまつわる「矛盾」を暴き出し、ちょっと考えさせられる内容でした。
舌を蛇のようにくねらせながら、独自の韻を踏んで語りかけるジョーカー。人の命を何とも思わず心を弄ぶ冷酷さと自らの危険をも顧みず、犯行を重ねる大胆さを兼ね備え、そのくせどこかひょうきんさも感じさせながら犯罪に手を染める彼は、妖しさと狂気とまるで人格が乗っ取られたかの如く、完全に憑依されたように感じてしまったほどです。
それに対して、バットマンは、苦渋の選択を迫られるのですが、その場面は、マスクをしているため、表情は見えないので、印象がちょっと弱くなりますが、本当に守りたいもののために、自ら汚れ役を買って出るという成長振りを見せてくれます。
さらに、今回のキーパーソンとなる地方検事ハーベイ・デント(アーロン・エッカート)は、ちょっと難しい役回りですが、ジョーカーの策略に嵌まって、復讐心から悪に染まってしまうという二面性を上手く描いているなぁと思いました。
正義が強ければ、強いほど悪も強まっていく。それを一人の人間に具現化したのが、ハーベイデントの二面性ということでしょうか。
今までにないヒーロー像に望んだのが本作です。
何しろ、バットマン自身が自らヒーローではないと宣言し、街の警察に追われるお尋ね者という辺りが驚きです。
ヒーローとしてちやほやされたい、注目を浴びたいそんなヒーロー像から、自分から脱却。本気で街にとって何がダメにすることなのか?を考えて汚名を被る。
ヒーローであったバットマンをそこまで追い込んだのは、ジョーカーが、その人間の悪の部分を引きずり出すことに命をかけ、自分の快楽のためにバットマンを生かして楽しもうとする恐ろしさを見せつけたからかもしれません。バットマンが最後の最後までも善と悪の狭間で悩み続け、たとえほんの一瞬でも敗北するという設定は、今までありえないことでした。
正義を貫くことの難しさ。いとも簡単に、闇に落ちてしまう人間の愚かさ、悪の魅力を全編に溢れていて、ヒーローもので、このブルーな感じは何なんでしょうね?
投稿日
2008/12/16
レビュアー
ぴよさん
残酷で、厳しい映画だ。観客に一瞬たりとも楽をさせない。二元論的判断を否定され続け、息が詰まる様な緊張感で心が疲弊してゆく私たち観客。画面に映っている者は誇張され、「そのように見よ」と言わんばかりなのに、善も悪もどこか融け合ってレッテルを貼らせない。
絶対悪ジョーカーに絶対善バットマン? いや、ここでは「絶対」の冠は無意味なのだろう。悪とは何か?誰にとっての悪か? ジョーカーの成す悪に、目的は無い。彼が人を殺める時、自らの傷のエピソードを楽しげに話す。まるで悪を成すにあたって、忘れていた怒りを、そして「動機」を、無理やり思い出すかのように。彼にとって悪は悪では無く、ただの性質に他ならない。「単なる」レゾンデートルなのだ。
対するバットマン、そして検事デントには、正義を成すという、確たる目的がある…はずなのだが、その正義は揺らいでいる。ジョーカーや、他ならぬ市民によって揺らがされる。悪を滅する行為のうちに、善の一部が食いこんでいたり、別の悪意が仕込まれていたりするせいだ。彼らが「絶対善」だと思っているのは「相対善」に過ぎず、それは対象が絶対悪であるうちはいいが、そうでない対象には、力を失う。(相対悪の象徴はトゥー・フェイスだ)
映像は抑制が利いている。ドラマは派手派手で、人物はこれ以上無いほどにカリカチュアライズされた設定なのに、奇妙なリアル感が漂う。ゴッサムシティも単なる一都市として描写され、そこにバットマンさんが居ようが、ジョーカーさんが居ようが、風景の一つに見えてしまう。役者は誰も声を張り上げること無く、クローズアップされることも無い、全てを映画的に見せずに、だが見事なまでに映画として成立させている。
何より驚くべきは、脚本だと思う。一つのセンテンスで全てを語ることはせず、少しずつ言葉足らずにして、観る者に常に想像をさせる。観直してみても余分なセリフも足りないセリフも一切無い。演者達は台本を読み込んで、ゾクゾクしたのではないか。
この物語をメタファーとして解釈することは可能で、それを狙っていないことは無かろうと思う。
「善」は悪があってこそ、存在出来る。だから「善」になる為には「悪」を作り出すことをせねばならぬし、現実にそんな漫画の様な事(いや、漫画以下か)が堂々とまかり通っているの世の中だ。
現代アメリカの抱えたPTSDに一つの答えを提示した、と思わせもする。我が国はDARK KNIGHTであるべきだ、とバットマンの背中は語っているのか。
だが、私はそれも含めて「ワナ」なのではないかと思う。この映画には、いたる所にワナが仕掛けられている。「これはこうだ」と我々に判断させておいて、すぐにひっくり返してケタケタとあざ笑う。映画丸ごとがジョーカーの掌中にあるかのようだ。彼には矜持も気張りも無い。ただ子供の様に価値観を弄び、戯れるばかりなのだ。
投稿日
2008/11/01
レビュアー
こんちゃん※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
「バットマンは好きじゃない」
と言うかみさんと観ました。
面白かったですねえ。ほとんど寝ませんでした(笑)全編通じて、寝ていたのは3分以内でしょう(威張ることじゃない・・・)
終わったときにかみさんに、
「面白かっただろ?」
と聞くと、
「今までのバットマンシリーズの中では一番面白いね。これ、バットマンじゃなくてジョーカー・ムービーでしょ」
との感想でした。それほどヒース・レジャーの演技はスゴイのです。醜い容姿で、残酷であるが故に美しいのです。
ジャック・ニコルソンが演じたジョーカーは、もう少しコミカルだったと思いますが、ヒースのジョーカーは残忍さが際立っていてインパクトが大きいです。時折はさむジョークでクスッとするからこそ、その残忍さがいや増していくのですね。
まあ、ジャック・ニコルソンは「シャイニング」を例に出すまでもなく、そこにいるだけで息苦しく感じさせるような狂気を演じられる、天才なので別格ですが、ヒースのジョーカーも決してひけを取っていないのです。(ジャックが演じたジョーカーを演じるというのはヒースにとって、スゴイプレッシャーであったろうと想像できます)
クリスチャン・ヴェール演ずるブルース・ウェインが端整な顔立ちで、上品さを漂わせるから、なおさらにヒースのジョーカーに凄みを感じます。
彼(ジョーカー)が語る口の裂け傷の訳は、語るたびに違い、それがホントなのか、すべて嘘なのかわかりません。それが、さながら「過去の無い男」と言うイメージを持たせてくれます。
「ダークナイト」と言うタイトルは暗黒の夜ではなく、暗黒の騎士なんだそうですけど、タイトルからバットマンをはずした意味は、そこにあるんじゃないでしょうかね。
アーロン・エッカート演じるハーヴェイ・デントのキャラも重要ですね。ジョーカーの企みに翻弄されるようにして、ダークサイドに落ちてしまうようですが、それが2フェイスで如実に見せつけられるんですね。彼の様子を見ていると、
「絶対的な善」も「絶対的な悪」も存在しない。ほんのちょっとしたきっかけで、どちらにも転ぶのだと言う想いを強くします。
そう思いながら観ると、バットマンすら「絶対的な善」では無いのだなと思います。彼が高層ビルの上から街を見下ろすシーンでは、なんだか空恐ろしい感覚に襲われます。
ああ、ゴードン警部補だけは、最後まで善を貫きましたか・・。しかし、今回本部長に出世した彼ですら、いつ、どんなきっかけで変節してしまわないとも限らないのです。
マギー・ギレンホールって美人ですか?なんかあか抜けない姉ちゃんに見えるんですけど(賀来千佳子のようです・・似てますよね)
クリストファー・ノーランは「プレステージ」での重苦しく息詰まる映像を進化させ、さらにアクションと、まるでジェイソン・ボーンシリーズのような素早いカット割を加味して、インパクトのある映像を作ってますね。
デビュー作「メメント」が最高傑作であり、徐々にメジャー化するにつれて没個性になっていたような気がしたのですが、この「ダークナイト」で突然変異とも言えるほどの進化を遂げたと言っていいと思います。「バットマン・ビギンズ」よりも数段凄みのある作品に仕上がっています。
これはヒース・レジャー効果なのでしょうか?
この作品が、今までのバットマンとも、スパイダーマン等のアメコミヒーローと一線を画するのは、生身の人間であるブルース・ウェインの葛藤があるからなのでしょう。超能力や圧倒的な身体能力があるわけではなく、パワースーツを開発したり、装甲車で1人自警団としてゴッサム・シティの平和を守ろうとしているのです。時には大けがをしながら・・・。
大金持ちの酔狂な趣味と言ってしまえばそれまでですが、その超法規的な行動は、法治国家の中では犯罪者と同じ分類にされてしまいます。彼が強大な力を発揮すれば、それに呼応するように更に強大な悪が現れてしまう。そんなジレンマが生身のブルース・ウェインを責めさいなむのでしょう。
ある意味、バットマンとジョーカーは表裏一体なのかも知れません。
いずれにしても、今年一二を争う出来の作品だと思います。
ローズさんが言っていた、
「死後にオスカー獲得」
あるかもしれませんねえ。