ラスト、コーション

ラスト、コーションの画像・ジャケット写真

ラスト、コーション / トニー・レオン

全体の平均評価点:(5点満点)

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全体の平均評価点:

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映画賞受賞作品

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「ラスト、コーション」 の解説・あらすじ・ストーリー

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映画賞受賞作品

解説・ストーリー

「ブロークバック・マウンテン」のアン・リー監督が、一人の女スパイの愛の葛藤を描く官能サスペンス。日本軍占領下の上海と香港を舞台に、図らずも抗日運動に身を投じたヒロインが、祖国の裏切り者の男を暗殺すべく、色仕掛けで接近していく中で展開していく男と女のギリギリの心理戦がスリリングに綴られていく。1942年、日本軍占領下の上海。ごく普通の女子大生チアチーは、抗日運動に心血を注ぐクァンに秘かな恋心を抱き、彼と行動を共にする中で次第に感化されていく。やがてチアチーは、日本の傀儡政府に協力する特務機関のリーダー、イーに近づき暗殺する危険な任務を与えられるが…。

「ラスト、コーション」 の作品情報

作品情報

製作年: 2007年
製作国: アメリカ/中国/台湾/香港
原題: LUST, CAUTION/色・戒
受賞記録: 2007年 ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞

「ラスト、コーション」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ

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ユーザーレビュー:159件

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1〜 5件 / 全159件

★★★★★ 壮絶なる愛の形に私はひれ伏す ネタバレ

投稿日:2008/07/27 レビュアー:ガラリーナ

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美しく着飾るのも、女らしくあるのも、引いては仲間たちの謀議の上で好きでもない男に処女を奪われるのも、全てはイーを誘惑するため。そんなワンがいつしかイーを愛したとて、何の不思議があろう。もう少しで手に入れられたものがするりと逃げ去ったことで、彼女の心はますますイーの元へ飛ぶ。イーを追いかけ、イーに求められる女を演じることが彼女の人生そのもの。イーとの愛を全うしなければ、ワンという女の人生もまた完結しない。何というつらい、そして報われぬ運命。しかし、嘘とまやかしで塗り固められた2人の関係の中に真実の愛が煌めく。それはまた、煌めいた途端、2人を地獄に突き落とすものでもあるのだ。

まるで、相手をいたぶるような激しいセックス。常に命を狙われ、誰にも心を許さない男、イーは、そのような方法でしか女を愛することができない。いや、イーは、女を愛撫することができないと言った方が正しいか。その柔肌を優しく撫でることも、乳房にそっと唇を重ねることもできはしない。己に溜まったよどんだ沈殿物を掃き出すかのように、女の体にぶちまける。あらゆる体位を尽くして結合しているその瞬間だけ、イーは生を実感する。そんなイーがワンの歌に胸を打たれ、彼女の手をそっと握る。初めての愛撫。愛の始まり。しかし、それは決して成就せぬ愛。


セックスシーンへの挑戦を含めアン・リー、渾身の一作。台詞の少ない脚本、巧みな心理描写、見事な上海の街の再現。全てにおいて、完璧。158分があっと言う間に過ぎた。シックでエレガントなチャイナドレスにも目を奪われたし、日本人街の違和感のなさにも舌を巻く。そして、主演のふたり、新人女優タン・ウェイとトニー・レオンの存在も圧倒的。恐ろしいほどに目で語る。目を見ていれば、心の内まで読めるよう。タン・ウェイの体当たりの演技は、今後の彼女の中国における生活が無事滞りなく送れるのかといらぬ心配をしてしまうほど。しかし、映画初挑戦でこの演技は実に天晴れ。そして、今回もトニー・レオン、フェロモン全開。一貫して冷たい男なのに、常に哀愁漂う。本心を見せぬミステリアスな雰囲気に惹かれない女などいまい。シーツのしわをなぞるラストシーンが未だに目に焼き付いている。また、結局は、ワン頼みという運動仲間たちの狡さも巧みに表現されているのもいい。そして気に入ったのが麻雀のシーン。退廃のムード漂う。「ポン」や「チー」と言う夫人たちの台詞がやけにエロティックに聞こえた。

なぜ、ワンは最後にあのような行動に出たのだろうか。引き金は、あのまばゆいばかりに美しい指輪ではないだろうか。中国語で指輪は「指戒」。「戒」とは、「誓い」。イーはワンに愛を誓ったのだ。もはや、ワンはその愛に嘘で塗り固められた姿で応えることはできなかった。そして、仲間の侮蔑と恨みを一身に背負いながら地獄に堕ちることを自ら望んだ。その壮絶な生き様を、私は心底羨ましいと思った。

長年私の中で変わることのなかった、男と女の情念を描いたBEST3「愛のコリーダ」、「愛の嵐」、「ラスト・タンゴ・インパリ」を初めて揺るがした作品。傑作です。


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スパイ映画ではなく 一人の女性のドラマ ネタバレ

投稿日:2008/08/28 レビュアー:ミルクチョコ

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「lust」は、「色」「欲」「caution」は、「戒め」だそうです。
1940年代、戦火を避け、中国本土から香港に集団移住した女学生のワン(タン・ウェイ)は、親友の誘いで大学の演劇部に入部。
そこで、抗日派の学生クァンと出会い、彼に想いを寄せるようになり、愛国思想に傾倒していく。
やがて、演劇部の仲間は、日本の傀儡政権の諜報機関の要人、イー(トニー・レオン)の暗殺を計画。
自らスパイに志願したワンは、貿易商夫人に成りすまし、イーの動向を探るべく、彼に接近を試みるのですが、一人の女性のドラマとしても充分楽しめました。
この映画の醸しだす世界は、スパイ映画というよりは、愛の物語のようです。
最初は、正体がバレるか否かハラハラとしながら観ていましたが、いつ暗殺を試みるのか?という期待とは裏腹に、最初のベッドシーンで、私の期待はあっけなく消え去りました。

麻雀のシーンでも、手馴れたマダムと混じるといかにも幼く見え、グラスに口紅を残す飲み方は、いかにも洗練されていない女性。どう見ても、貿易商夫人とは思えません。こんなあどけなさを残すワンに、イーが騙されたとは、思えません。

回を重ねる毎に、激しさを増して、これでもかという程に体を繋ぎ合わせながらも、超えてはならないと心に戒め、一線の間で、揺れ動く様子が見事に描かれていたと思います。
しかし、最初は暴力的な求め方が私にはSか?Mか?なんて思ってしまいましたが、体を重ねることによって、言葉はなくとも、沈黙のうちに会話し、こんな風にしか愛せない哀れな男なんだと、彼の人生の深淵を覗いたような気持ちになってしまいました。
多分彼は、これでもワンに心を開いた証拠なのでしょう。誰にも心を開くことの出来ない男の哀しみを垣間見たような気がしました。
こんなDV的な愛し方でも、ワンに会うたびに愛おしさが募っていったのでしょう。
それにしても、任務のために愛してもいない男から女にされたワンは、愛してもいないイーによって性の悦びを知り、純粋な少女が妖艶な女になってしまったワンの人生って・・・何だったのでしょうね?

前半の大学生のスパイごっこといい、ラストの展開といい、ちょっとリアリティなさすぎです。多分これは、自己の中での色と戒についてのバランスを描いた話なのだと思います。



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4日後にもう一度見て、評価が激変 ネタバレ

投稿日:2009/01/16 レビュアー:ロキュータス

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(重大なネタばれ 必ず一度映画を見てからお読みください)
映画館で見逃し、今回が初めての視聴。
かなり期待していたし、途中までは期待通りよかったが、セックス・シーンになってから感じた大きな違和感をひきずったまま見終わった。エロくなく中途半端な作品、ヒロインはがんばっているが可愛過ぎてミス・キャストではないかという印象。
しかし何か釈然としない。自分はセックス・シーンに囚われすぎているのではないか、又、途中からベルトルッチ作品など他の映画と比較しながら見てしまったという反省もあり、4日後もう一度改めて見た。 自分でもおどろくほど評価は一変した。

セックスシーンについて、最初に見たとき思ったのは、「同志」との不毛な処女喪失に対比して、また裏切りをさせるほどなら、相当魅惑的なものであるはず。なのに、全然そうではなく、ただ生々しく感じるのはどうしてか、でした。
もう一度見ると、二人とも何と悲しい表情をしていることでしょう。 視線の交差は避けられ、エクスタシーの解放がないように描かれているのです。ありのままの姿を出し合うセックスにおいてすら、現実 (特にヒロインは暗殺のための偽装という影) をひきずっているように思いました。
これは不完全燃焼、不毛の極致と思います。 その後彼女は車の中、書斎、料亭などで互いの孤独を知るうちに少しずつ情愛を感じていったのではないでしょうか。

観念的な説明で恐縮ですが、この映画が特にヒロインに表しているのは、「虚構」の中の「真実」と「現実」をとりまく「虚偽」の対立と、逆転といえます。
宝石店でのクライマックス、彼女は彼の愛を真実と感じ、自らの愛ももはや虚構ではなく真実だと気づいて「逃げて」と言ってしまいます。
その言葉は魔法を解く呪文の如く、虚構の存在にすぎないマイ夫人の世界を破壊します。残ったのはもはや幻となった真実の愛と、虚偽に呪縛された現実でした。イーも職務においては私情を出せず鬼を演じ、家庭には職務の苦痛を持ち込めず良き夫をふたたび演じざるを得なくなりました。
そして、あのセックス・シーンも虚構の設定が破壊されたことで、意味が変わり、もはや取り戻せない逢瀬、肌のぬくもりになったんだと考えた時、時限装置が働いたかのように、万感の思いがぼくを襲ってきました。
クライマックスでの、すべてを犠牲にすることによってしか証明できなかった、ヒロインのイノセンスはとても美しく、切なく、悲しい。
したがってこの映画はエロさではなく、傷ついた末のイノセンスを見るものではないだろうか。
だからタン・ウェイはミス・キャストなどではない。そもそも同性のイー夫人に可愛がられて、イーに近づけたのだから、フェロモンむんむんの肉感的な女優ではだめと思う。
チアチーは無垢から虚構の積み重ねで傷つき汚れますが、マイ夫人になりきったとき、ふたたびイノセンスとなります。それを彼女は見事に演じました。

さらに、アン・リーが大胆なのは、セックス・シーンよりも、反語的演出です。
深い悲しみを、号泣ではなく、笑顔や何事もないかのような表現で表す。
戦時を描く映画だが、みだらに人の死を描きません。 死に行く人は必ず生きているときをきちんと描きます。 唯一直接の殺害も暴力のカタルシスがなく、後味の悪いもの。また何の罪もない犠牲者も見せず、被害者感情を露出させる涙のカタルシスもない。 暗殺の指令者も加害者でもあり被害者でもある。 最も緊迫するはずの道路封鎖はどこかのどかでさえある!  虐殺、拷問などは台詞などで暗示されるのみ。目に見えるシーンはおだやかに表され、何も映し出してないところにこそ、激しいものがあると暗示される。 行間から読み取るしかない。
CGなどでいかにも本物らしく極限状態を再現した映画はたしかにすごい。でもどんなに本物らしくしても実際の戦争はそんなものじゃないでしょう。 それにそんな映画を見終わって、ぼくなどは平和な日常に帰れて安心することもたしかなのです。
イーがイー夫人に客には何もなかったといいなさいと告げるように、アン・リーは私たちにこの映画では戦争を何も描いてませんよと言っているかのようです。
そうした演出方法には賛否両論あるでしょう。でも、現実のまがまがしさと、心の奥に隠された痛み、感情を表している、たくらみに満ちた非凡な映画だと、ぼくは思うのです。  「芝居は現実そのもの。観客は痛みを理解したのよ」という何気ない台詞が後からじわじわと来ました。

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瞳の奥にあるもの ネタバレ

投稿日:2009/10/29 レビュアー:双子ママ

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この作品は何カ月も前に見ておきながら、なかなかレビューがまとまらずほっておいたものです。
いい加減片づけなくちゃ!と思い、書き始めたものの・・・まとまるかどうか・・・

幾多の素晴らしいレビューにひかれて映画を見てみてみましたが、
どうしても私にはイントロダクションにもある「一人の女スパイの愛の葛藤を描く官能サスペンス」だとは勿論のこと、
ヒロインのチアチーが本当の「愛」を知っていたようにも、
暗殺したい相手であるイーのことを本当に愛していたようにも感じられませんでした。
(いくら映画にはいろいろなうけとり方をしていいのだとわかってはいても、様々なレビューが「愛」を大前提のように書かれているのに対し、ここまで真逆だと自分の感性に疑いを持ってしまっていたのですが、Bokensdorfさんのレビューを読んで、少しばかりホッとしました)

他のレビューアーの方もふれられているように私もこの映画を見ながら
「愛のコリーダ」をふと思い出しました。
それは単に情事のシーンが多いからではなく、トニーレオンの瞳からです。
情事にふけっていても、のめりこんでもなお払いのけることのできない死の影。
見開いた瞳の奥にあるものは何なのか。何を見据えているのか。

虚無という言葉ではかたづけられないほど深くて暗い感情。
情事を重ねれば重ねるほど、死の淵にひきずりこまれるような感覚。
恨まれ、命が狙われていることも知りながら、死におびえる日々。
そんな男が体を重ねることにより、得たものとは?
生そのものか。
絶望的な死そのものか。
情事の最中すら、
目を閉じず、いつも目を開いて相手を見ている。
そのまなざしが忘れられない。

快楽の高みにのぼりつめればのぼりつめるほど、落ちていく。
死に近づきつつも、まぎれもなく生を感じる「愛のコリーダ」とはまったく違うのです。

「愛のコリーダ」で感じるのは女と男そのもの。
女には匂い立つばかりに女そのものを、
ほとばしるような女の情念と色気を感じました。

だがこの「ラスト、コーション」のチアチーには私は女を感じなかったのです。
憧れていた先輩を追って活動に身を投じたものの、自分の明確な意思があったわけではない。
どの場面でも感じていたはずだ。
「自分は本当は何がしたいのか?」
自分の存在は何なんだろうか?
人に望まれるがまま、頼まれるがまま、
ただ流されつづけた彼女の人生。
彼女は自分の存在意義を見つけることも居場所すらなかったのだと思う。


男の弱さを知ることはできてもいつ愛を知ることができたというのか。
女は愛により少女から女へと変わる。
私には「愛なんてしらないわ」という彼女の叫びが聞こえるようだった。

それではイーは?
男は女を愛してしまったのだろう。
命が擦り減っていくような厳しい現実の中で、彼女の存在だけが唯一の安堵。
男は心休まる場所に弱い。

もっと
最後まで冷徹な男でいるべきだったのだ。
私はずっと疑っていた。
指輪をプレゼントすると見せかけて、彼女を試しているのではないかと。
チアチーも疑っていただろう。
だからその指輪が本当の愛情から来るものだと知った時、この男は殺せないと思ったのだ。だから逃げてと言った。


人を愛せるというのは一種の弱さだ。
彼の弱さを知った時、この人の命を自分が握っているのだと感じた時、今までは自分の方が殺されるかもしれない立場にいたと思っていたが、本当は自分の方が強い立場にいることを知る。

彼の命を握るのは自分だ。
殺したくないと、本当に自分を愛してくれた人の存在を消したくないと思う気持ち。
ここに初めて彼女の存在意義があったのだと思う。


最後の最後にやっと自分を見据えることができた彼女の瞳はあんなにも落ち着き、澄んでいたのに対し、彼の瞳は・・・
最後の最後に愛という弱さをさらした彼の瞳の奥にはまたもや死よりも暗くて深い光をたたえ続けるのだろうか・・・

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テーマソングは’なみだの操’??

投稿日:2008/10/07 レビュアー:ムーミンママ

ガラリーナさんの素晴らしいレビューの前には
どんなレビューを書いても・・・と思いつつ。

壮絶な女の生き様。
少女だったチアチーが愛に生き、愛に死する・・・
タン・ウェイのまさに体当たりの演技です。

哀しく切ないラストに大感動を・・・
と言いたいところなのですが、何故か私の頭をかすめたのは
笑っちゃうんですけど’女の操’と言う死語とも言えるような単語。
どこからきた言葉かというと・・・
殿様キングスの’なみだの操’という古い演歌。
私より若い方はおそらくこんな古い歌はご存じないでしょうね。
いや、同年代の方でもあやしいものです。
子供の頃によく父が歌っていたので私は知っていたのですが
もちろん、すっかり忘れていたと思ってました。
でも、この「ラスト、コーション」を見終わった途端に
頭の中で曲が流れ出したんです。
ちなみに歌詞はこちら↓
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/Namida
_no_Misao.htm

チアチーの人生の分岐点は、やはり好きでもない男に
彼女の処女を捧げてしまったところでしょう。
あの相手が好意を寄せていたクァンだったら・・・
全く違った人生が待っていたに違いないと思います。

失うものなど何もなくなったチアチーは愛に生きるより他に
道がなかったのでしょう。
それがたとえ偽りの愛、嘘から始まった愛だとしても・・・

ラスト、コーションのラストは最後のというLastという単語かと思ったら違うんですね。
Lust・・・肉欲の・・というような意味のようです。

タイトル通りの激しいセックス描写。
死を警戒し、誰も信じない彼の人生そのものとも言えるような
支配的で攻撃的なセックス。

あまりの激しさに照れてしまって正面から見据えられずに
私は演歌の世界に逃げてしまったのかもしれませんね。

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1〜 5件 / 全159件

ラスト、コーション

ユーザーレビュー

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ユーザーレビュー:159件

★★★★★ 壮絶なる愛の形に私はひれ伏す

投稿日

2008/07/27

レビュアー

ガラリーナ

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美しく着飾るのも、女らしくあるのも、引いては仲間たちの謀議の上で好きでもない男に処女を奪われるのも、全てはイーを誘惑するため。そんなワンがいつしかイーを愛したとて、何の不思議があろう。もう少しで手に入れられたものがするりと逃げ去ったことで、彼女の心はますますイーの元へ飛ぶ。イーを追いかけ、イーに求められる女を演じることが彼女の人生そのもの。イーとの愛を全うしなければ、ワンという女の人生もまた完結しない。何というつらい、そして報われぬ運命。しかし、嘘とまやかしで塗り固められた2人の関係の中に真実の愛が煌めく。それはまた、煌めいた途端、2人を地獄に突き落とすものでもあるのだ。

まるで、相手をいたぶるような激しいセックス。常に命を狙われ、誰にも心を許さない男、イーは、そのような方法でしか女を愛することができない。いや、イーは、女を愛撫することができないと言った方が正しいか。その柔肌を優しく撫でることも、乳房にそっと唇を重ねることもできはしない。己に溜まったよどんだ沈殿物を掃き出すかのように、女の体にぶちまける。あらゆる体位を尽くして結合しているその瞬間だけ、イーは生を実感する。そんなイーがワンの歌に胸を打たれ、彼女の手をそっと握る。初めての愛撫。愛の始まり。しかし、それは決して成就せぬ愛。


セックスシーンへの挑戦を含めアン・リー、渾身の一作。台詞の少ない脚本、巧みな心理描写、見事な上海の街の再現。全てにおいて、完璧。158分があっと言う間に過ぎた。シックでエレガントなチャイナドレスにも目を奪われたし、日本人街の違和感のなさにも舌を巻く。そして、主演のふたり、新人女優タン・ウェイとトニー・レオンの存在も圧倒的。恐ろしいほどに目で語る。目を見ていれば、心の内まで読めるよう。タン・ウェイの体当たりの演技は、今後の彼女の中国における生活が無事滞りなく送れるのかといらぬ心配をしてしまうほど。しかし、映画初挑戦でこの演技は実に天晴れ。そして、今回もトニー・レオン、フェロモン全開。一貫して冷たい男なのに、常に哀愁漂う。本心を見せぬミステリアスな雰囲気に惹かれない女などいまい。シーツのしわをなぞるラストシーンが未だに目に焼き付いている。また、結局は、ワン頼みという運動仲間たちの狡さも巧みに表現されているのもいい。そして気に入ったのが麻雀のシーン。退廃のムード漂う。「ポン」や「チー」と言う夫人たちの台詞がやけにエロティックに聞こえた。

なぜ、ワンは最後にあのような行動に出たのだろうか。引き金は、あのまばゆいばかりに美しい指輪ではないだろうか。中国語で指輪は「指戒」。「戒」とは、「誓い」。イーはワンに愛を誓ったのだ。もはや、ワンはその愛に嘘で塗り固められた姿で応えることはできなかった。そして、仲間の侮蔑と恨みを一身に背負いながら地獄に堕ちることを自ら望んだ。その壮絶な生き様を、私は心底羨ましいと思った。

長年私の中で変わることのなかった、男と女の情念を描いたBEST3「愛のコリーダ」、「愛の嵐」、「ラスト・タンゴ・インパリ」を初めて揺るがした作品。傑作です。


スパイ映画ではなく 一人の女性のドラマ

投稿日

2008/08/28

レビュアー

ミルクチョコ

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「lust」は、「色」「欲」「caution」は、「戒め」だそうです。
1940年代、戦火を避け、中国本土から香港に集団移住した女学生のワン(タン・ウェイ)は、親友の誘いで大学の演劇部に入部。
そこで、抗日派の学生クァンと出会い、彼に想いを寄せるようになり、愛国思想に傾倒していく。
やがて、演劇部の仲間は、日本の傀儡政権の諜報機関の要人、イー(トニー・レオン)の暗殺を計画。
自らスパイに志願したワンは、貿易商夫人に成りすまし、イーの動向を探るべく、彼に接近を試みるのですが、一人の女性のドラマとしても充分楽しめました。
この映画の醸しだす世界は、スパイ映画というよりは、愛の物語のようです。
最初は、正体がバレるか否かハラハラとしながら観ていましたが、いつ暗殺を試みるのか?という期待とは裏腹に、最初のベッドシーンで、私の期待はあっけなく消え去りました。

麻雀のシーンでも、手馴れたマダムと混じるといかにも幼く見え、グラスに口紅を残す飲み方は、いかにも洗練されていない女性。どう見ても、貿易商夫人とは思えません。こんなあどけなさを残すワンに、イーが騙されたとは、思えません。

回を重ねる毎に、激しさを増して、これでもかという程に体を繋ぎ合わせながらも、超えてはならないと心に戒め、一線の間で、揺れ動く様子が見事に描かれていたと思います。
しかし、最初は暴力的な求め方が私にはSか?Mか?なんて思ってしまいましたが、体を重ねることによって、言葉はなくとも、沈黙のうちに会話し、こんな風にしか愛せない哀れな男なんだと、彼の人生の深淵を覗いたような気持ちになってしまいました。
多分彼は、これでもワンに心を開いた証拠なのでしょう。誰にも心を開くことの出来ない男の哀しみを垣間見たような気がしました。
こんなDV的な愛し方でも、ワンに会うたびに愛おしさが募っていったのでしょう。
それにしても、任務のために愛してもいない男から女にされたワンは、愛してもいないイーによって性の悦びを知り、純粋な少女が妖艶な女になってしまったワンの人生って・・・何だったのでしょうね?

前半の大学生のスパイごっこといい、ラストの展開といい、ちょっとリアリティなさすぎです。多分これは、自己の中での色と戒についてのバランスを描いた話なのだと思います。



4日後にもう一度見て、評価が激変

投稿日

2009/01/16

レビュアー

ロキュータス

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(重大なネタばれ 必ず一度映画を見てからお読みください)
映画館で見逃し、今回が初めての視聴。
かなり期待していたし、途中までは期待通りよかったが、セックス・シーンになってから感じた大きな違和感をひきずったまま見終わった。エロくなく中途半端な作品、ヒロインはがんばっているが可愛過ぎてミス・キャストではないかという印象。
しかし何か釈然としない。自分はセックス・シーンに囚われすぎているのではないか、又、途中からベルトルッチ作品など他の映画と比較しながら見てしまったという反省もあり、4日後もう一度改めて見た。 自分でもおどろくほど評価は一変した。

セックスシーンについて、最初に見たとき思ったのは、「同志」との不毛な処女喪失に対比して、また裏切りをさせるほどなら、相当魅惑的なものであるはず。なのに、全然そうではなく、ただ生々しく感じるのはどうしてか、でした。
もう一度見ると、二人とも何と悲しい表情をしていることでしょう。 視線の交差は避けられ、エクスタシーの解放がないように描かれているのです。ありのままの姿を出し合うセックスにおいてすら、現実 (特にヒロインは暗殺のための偽装という影) をひきずっているように思いました。
これは不完全燃焼、不毛の極致と思います。 その後彼女は車の中、書斎、料亭などで互いの孤独を知るうちに少しずつ情愛を感じていったのではないでしょうか。

観念的な説明で恐縮ですが、この映画が特にヒロインに表しているのは、「虚構」の中の「真実」と「現実」をとりまく「虚偽」の対立と、逆転といえます。
宝石店でのクライマックス、彼女は彼の愛を真実と感じ、自らの愛ももはや虚構ではなく真実だと気づいて「逃げて」と言ってしまいます。
その言葉は魔法を解く呪文の如く、虚構の存在にすぎないマイ夫人の世界を破壊します。残ったのはもはや幻となった真実の愛と、虚偽に呪縛された現実でした。イーも職務においては私情を出せず鬼を演じ、家庭には職務の苦痛を持ち込めず良き夫をふたたび演じざるを得なくなりました。
そして、あのセックス・シーンも虚構の設定が破壊されたことで、意味が変わり、もはや取り戻せない逢瀬、肌のぬくもりになったんだと考えた時、時限装置が働いたかのように、万感の思いがぼくを襲ってきました。
クライマックスでの、すべてを犠牲にすることによってしか証明できなかった、ヒロインのイノセンスはとても美しく、切なく、悲しい。
したがってこの映画はエロさではなく、傷ついた末のイノセンスを見るものではないだろうか。
だからタン・ウェイはミス・キャストなどではない。そもそも同性のイー夫人に可愛がられて、イーに近づけたのだから、フェロモンむんむんの肉感的な女優ではだめと思う。
チアチーは無垢から虚構の積み重ねで傷つき汚れますが、マイ夫人になりきったとき、ふたたびイノセンスとなります。それを彼女は見事に演じました。

さらに、アン・リーが大胆なのは、セックス・シーンよりも、反語的演出です。
深い悲しみを、号泣ではなく、笑顔や何事もないかのような表現で表す。
戦時を描く映画だが、みだらに人の死を描きません。 死に行く人は必ず生きているときをきちんと描きます。 唯一直接の殺害も暴力のカタルシスがなく、後味の悪いもの。また何の罪もない犠牲者も見せず、被害者感情を露出させる涙のカタルシスもない。 暗殺の指令者も加害者でもあり被害者でもある。 最も緊迫するはずの道路封鎖はどこかのどかでさえある!  虐殺、拷問などは台詞などで暗示されるのみ。目に見えるシーンはおだやかに表され、何も映し出してないところにこそ、激しいものがあると暗示される。 行間から読み取るしかない。
CGなどでいかにも本物らしく極限状態を再現した映画はたしかにすごい。でもどんなに本物らしくしても実際の戦争はそんなものじゃないでしょう。 それにそんな映画を見終わって、ぼくなどは平和な日常に帰れて安心することもたしかなのです。
イーがイー夫人に客には何もなかったといいなさいと告げるように、アン・リーは私たちにこの映画では戦争を何も描いてませんよと言っているかのようです。
そうした演出方法には賛否両論あるでしょう。でも、現実のまがまがしさと、心の奥に隠された痛み、感情を表している、たくらみに満ちた非凡な映画だと、ぼくは思うのです。  「芝居は現実そのもの。観客は痛みを理解したのよ」という何気ない台詞が後からじわじわと来ました。

瞳の奥にあるもの

投稿日

2009/10/29

レビュアー

双子ママ

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

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この作品は何カ月も前に見ておきながら、なかなかレビューがまとまらずほっておいたものです。
いい加減片づけなくちゃ!と思い、書き始めたものの・・・まとまるかどうか・・・

幾多の素晴らしいレビューにひかれて映画を見てみてみましたが、
どうしても私にはイントロダクションにもある「一人の女スパイの愛の葛藤を描く官能サスペンス」だとは勿論のこと、
ヒロインのチアチーが本当の「愛」を知っていたようにも、
暗殺したい相手であるイーのことを本当に愛していたようにも感じられませんでした。
(いくら映画にはいろいろなうけとり方をしていいのだとわかってはいても、様々なレビューが「愛」を大前提のように書かれているのに対し、ここまで真逆だと自分の感性に疑いを持ってしまっていたのですが、Bokensdorfさんのレビューを読んで、少しばかりホッとしました)

他のレビューアーの方もふれられているように私もこの映画を見ながら
「愛のコリーダ」をふと思い出しました。
それは単に情事のシーンが多いからではなく、トニーレオンの瞳からです。
情事にふけっていても、のめりこんでもなお払いのけることのできない死の影。
見開いた瞳の奥にあるものは何なのか。何を見据えているのか。

虚無という言葉ではかたづけられないほど深くて暗い感情。
情事を重ねれば重ねるほど、死の淵にひきずりこまれるような感覚。
恨まれ、命が狙われていることも知りながら、死におびえる日々。
そんな男が体を重ねることにより、得たものとは?
生そのものか。
絶望的な死そのものか。
情事の最中すら、
目を閉じず、いつも目を開いて相手を見ている。
そのまなざしが忘れられない。

快楽の高みにのぼりつめればのぼりつめるほど、落ちていく。
死に近づきつつも、まぎれもなく生を感じる「愛のコリーダ」とはまったく違うのです。

「愛のコリーダ」で感じるのは女と男そのもの。
女には匂い立つばかりに女そのものを、
ほとばしるような女の情念と色気を感じました。

だがこの「ラスト、コーション」のチアチーには私は女を感じなかったのです。
憧れていた先輩を追って活動に身を投じたものの、自分の明確な意思があったわけではない。
どの場面でも感じていたはずだ。
「自分は本当は何がしたいのか?」
自分の存在は何なんだろうか?
人に望まれるがまま、頼まれるがまま、
ただ流されつづけた彼女の人生。
彼女は自分の存在意義を見つけることも居場所すらなかったのだと思う。


男の弱さを知ることはできてもいつ愛を知ることができたというのか。
女は愛により少女から女へと変わる。
私には「愛なんてしらないわ」という彼女の叫びが聞こえるようだった。

それではイーは?
男は女を愛してしまったのだろう。
命が擦り減っていくような厳しい現実の中で、彼女の存在だけが唯一の安堵。
男は心休まる場所に弱い。

もっと
最後まで冷徹な男でいるべきだったのだ。
私はずっと疑っていた。
指輪をプレゼントすると見せかけて、彼女を試しているのではないかと。
チアチーも疑っていただろう。
だからその指輪が本当の愛情から来るものだと知った時、この男は殺せないと思ったのだ。だから逃げてと言った。


人を愛せるというのは一種の弱さだ。
彼の弱さを知った時、この人の命を自分が握っているのだと感じた時、今までは自分の方が殺されるかもしれない立場にいたと思っていたが、本当は自分の方が強い立場にいることを知る。

彼の命を握るのは自分だ。
殺したくないと、本当に自分を愛してくれた人の存在を消したくないと思う気持ち。
ここに初めて彼女の存在意義があったのだと思う。


最後の最後にやっと自分を見据えることができた彼女の瞳はあんなにも落ち着き、澄んでいたのに対し、彼の瞳は・・・
最後の最後に愛という弱さをさらした彼の瞳の奥にはまたもや死よりも暗くて深い光をたたえ続けるのだろうか・・・

テーマソングは’なみだの操’??

投稿日

2008/10/07

レビュアー

ムーミンママ

ガラリーナさんの素晴らしいレビューの前には
どんなレビューを書いても・・・と思いつつ。

壮絶な女の生き様。
少女だったチアチーが愛に生き、愛に死する・・・
タン・ウェイのまさに体当たりの演技です。

哀しく切ないラストに大感動を・・・
と言いたいところなのですが、何故か私の頭をかすめたのは
笑っちゃうんですけど’女の操’と言う死語とも言えるような単語。
どこからきた言葉かというと・・・
殿様キングスの’なみだの操’という古い演歌。
私より若い方はおそらくこんな古い歌はご存じないでしょうね。
いや、同年代の方でもあやしいものです。
子供の頃によく父が歌っていたので私は知っていたのですが
もちろん、すっかり忘れていたと思ってました。
でも、この「ラスト、コーション」を見終わった途端に
頭の中で曲が流れ出したんです。
ちなみに歌詞はこちら↓
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/Namida
_no_Misao.htm

チアチーの人生の分岐点は、やはり好きでもない男に
彼女の処女を捧げてしまったところでしょう。
あの相手が好意を寄せていたクァンだったら・・・
全く違った人生が待っていたに違いないと思います。

失うものなど何もなくなったチアチーは愛に生きるより他に
道がなかったのでしょう。
それがたとえ偽りの愛、嘘から始まった愛だとしても・・・

ラスト、コーションのラストは最後のというLastという単語かと思ったら違うんですね。
Lust・・・肉欲の・・というような意味のようです。

タイトル通りの激しいセックス描写。
死を警戒し、誰も信じない彼の人生そのものとも言えるような
支配的で攻撃的なセックス。

あまりの激しさに照れてしまって正面から見据えられずに
私は演歌の世界に逃げてしまったのかもしれませんね。

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