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ブレードランナー ファイナル・カット

ブレードランナー ファイナル・カットの画像・ジャケット写真

ブレードランナー ファイナル・カット / ハリソン・フォード

全体の平均評価点:(5点満点)

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「ブレードランナー ファイナル・カット」 の解説・あらすじ・ストーリー

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解説・ストーリー

リアルでダークな終末観を提示した近未来像でカルト的な人気を博したリドリー・スコット監督によるSF映画の金字塔「ブレードランナー」。これまでにもいくつかのバージョンが存在した同作だが、本作「ファイナル・カット」は、製作25周年となる2007年、これを記念してリドリー・スコット監督が自ら新たに再編集したバージョン。同年のヴェネチア国際映画祭でワールドプレミアが行われ、大きな話題を集めた。日本でもDVD発売に先立ち、劇場公開が実現。植民惑星から4体の人造人間=レプリカントが脱走した。彼らの捕獲を依頼された“ブレードランナー”デッカードは、地球に潜入したレプリカントたちを追うが…。

「ブレードランナー ファイナル・カット」 の作品情報

作品情報

製作年:

2007年

製作国:

アメリカ

原題:

DANGEROUS DAYS: MAKING BLADE RUNNER

「ブレードランナー ファイナル・カット」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ

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モスキート・コースト

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ユーザーレビュー:66件

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1〜 5件 / 全66件

この映画のどこが好きなのかを自問してみる。

投稿日:2008/07/20 レビュアー:JUCE

 見た当初はやはりそのビジュアルに魅了された。その圧倒的なビジュアルのセンスやインパクトがその後の映画に与えた影響を観てもこの映画のビジュアルは優れていると言えます。でも私をはじめ多くの人が魅了される理由としては不足です。
 そこでファイナルカットを観ながら、この映画のどこが魅力的なのかを私なりに検証してみました。
 まずはビジュアルの続きでいうと、「光と影」。「光と影」に関してはこれまでも優れた作品は沢山ありました。しかしこの作品が少し違うのは光は絶えず動いていると言うこと。「光」が動くと言うことは当然「影」も動きます。この「光と影」が移ろい、絶えず立場を入れ替えるというビジュアルはこの作品の持つ本質と大きく結びついていることが分かります。
 
 登場人物。「光と影」は登場人物そのものにも当てはまります。画一的なヒーロー像やヒール像では無く、それぞれが様々な側面をあわせもつ人物達。特に主人公のデッカード(ハリソン・フォード)のヒーローらしからぬ事。腕利きと言う割にはNEXUS6型にはまったく歯が立たず、いつもボコボコにやられる。かろうじて仕留めたのは女性のレプリ、しかも一人は背後から、もう一人もかろうじてという具合。逆にレプリカントのボス、ロイ(ルトガー・ハウアー)の格好良いこと。どちらかと言うとこちらの方がヒーローっぽいのです。原作者のディックはこうした設定はお気に召さなかったようで、レプリカントは悪であるという設定にして欲しかったそうです。私自身はこの曖昧かつ複雑な人物設定が物語りにリアリティを与えていると思います。人物像に関しては観客がそれぞれの人物の背景を想像する余地を与えてくれています。良く議論の持ち上がるデッカード=レプリカント説もそうしたうちのひとつだと言えるでしょう。
 デッカードとロイ、この2人のハードボイルドな生き様がたまらなく渋いのです。そのハードボイルドさはアクションとして描かれるのでは無く、存在からにじみ出る雰囲気で描写されています。

 そして最大のポイントが近未来社会のディティールのこだわりでしょう。この映画ではこうしたディティールについて映画の中で説明されることはほとんどありません。しかし良く(何度も)観ているとそのディティールの細かさには驚かされます。しかもそれまでSFで描かれてきた明るい未来社会では無く、国境のボーダーレス化による混沌、持てるものは空を飛ぶ車に乗り、摩天楼に暮らし、持たざるものは酸性雨が降りしきる地面で這いつくばりながら生活するというヒエラルキー社会。そして温暖化による動植物の減少を科学技術でかろうじて補うと言う、今の地球で遠くない未来に起こりそうなリアリティなど。過剰な説明を排除しながらもブレードランナーが描く近未来の世界観が揺ぎ無い形で構築されています。こうしたディティールを持った世界だからこそそれぞれの登場人物の個性もリアリティを持って生きてくるのでしょう。

 最後に映画のテーマ。「人間とは?」「生命の尊厳とは?」という哲学的とも言える問いかけが作品全体を通して投げかけられています。

 一本の映画でこれだけ議論や解釈が加えられ研究されている映画も古典を含めそう多くは無いのではないでしょうか。そんな作品に私がこれ以上どうのこうのというのも野暮ですのでこのあたりで(と言っても長文になってしまいました)。

このレビューは気に入りましたか? 27人の会員が気に入ったと投稿しています

愛しき友よ!新宿でこの映画を観た26年前を私は決して忘れない!!

投稿日:2008/06/16 レビュアー:夢みるゆめ

「今度来るブレードランナー、凄いらしいぜ。皆で映画、観に行かないか?」と私に声をかけてくれたのは、同じサークルの男の子でした。こうして、新宿の『ミラノ座』辺りに、男女五人ほどで観に行ったのが、もう26年も前の話です。

当時は、現在のようなCGの技術は殆どなく(『トロン』では使われましたが)、ミニチュアやフィルム合成による初代『スター・ウォーズ』然としたSFXで作られていましたから、どのように作られたのかを大画面で探りたいという気持ちもありました。
しかし、この映画を観終わった後の正直な感想は、あまりにも先鋭的で物語も画面も暗すぎたため、全員が理解不明のまま不満げに首を傾げて映画館を出てきたのを憶えています。事実、この映画は余りの不評のため、上映が打ち切られる事態ともなりました。

その後、当時の映画仲間と顔を合わせる機会は極端に少なくなりましたが、映画学校のクラスメイトの数人は映画監督となり、数人は脚本家として、現在もさほど目立った仕事ではありませんが、トータルに仕事をこなしている様子を拝見しています。
『ブレードランナー』を観終わった後に、喫茶店でしばし映画談義をした後に、級友の男の子がこんな言葉を発して解散したのを思い出します。
「なあ、皆、どんなに落ちぶれてもさ、映画を創る立場でいようぜ。絶対に『評論家』にだけはなるな!あいつらは映画を作りたくても作れない可愛そうな連中なんだからさ!映画を沢山観て映画監督になれるなら、『映画評論家』は巨匠になれるゼ。小説を誰よりも読んだ人間が作家になれるんだったら、『文芸評論家』は文豪になれますって!」
たとえ『映画評論家』にはなってはいなくとも、現在の私が“そのような”レビューをこうして書いたりしていることを知ったら、彼はどう思うのかなと、時折頭を過ぎります。

考えてみれば、映画やテレビ業界へと着実に進出して行ったいわゆる『勝ち組』には、一つの共通点がありました。それは、皆の輪の中では決して『映画批評』を交わすことはせずに、好きな映画を模倣しつつも、学生時代から黙々と台本書き(脚本執筆)をし、自主映画を作っていた人たちでした。
彼ら彼女らは、映画を“批評する立場”よりも、辛辣でも“批評される立場”にいることの方が、絶対的に自らが幸せであることを、知っていたのかも知れません。おそらく、小説家になれる人間にも、これと同じようなことが言えるような気がします。

話を『ブレードランナー』に戻しますと、当時はまるで意味が解らなかった映画にも関わらず、今回で何度か同じ物語に目を通している眼力も備わったためか、リドリー・スコット監督は、アンドロイドと人間の“生と愛”の形を“ポエム(詩)”として描きたかったのだろうかな、と推測することができたような気がします。
物語は特異でも、そのカットやシーンは、さすがに詩的な構図と映像美を感じました。
『2001年宇宙の旅』と同じように、65oフィルムでSFX部分を撮影し、35oフィルムと合成しているその色彩は、相変わらず荒を感じさせないすばらしい出来になっています。
ただ一点、現在この映画を観ていて、とても不思議に思うことは、舞台となる2019年の地球には、空飛ぶ自動車はあっても、携帯電話はないんですよね。それほどまでに現代社会の中での携帯電話の進化は画期的だったのかも知れません。
単純なんですが、そんなことを、今回の鑑賞で感じました。劇場公開版と、今回の『ファイナル・カット』との違いは、アクションシーンよりも会話部分が若干増えたような気がしています。それだけ、人間ドラマの部分の成長を感じたような気がします。

この映画は大作にも関わらず、公開当時『サウンドトラック』が発売されなかったことが、静かな話題となりましたね。後に、ファンからの要望が余りにも強く、急遽、新たに録音用のオーケストラを編成することもなく、オリジナルテープから制作された『OST』が発売されましたが、それは私が持っているコレクションの中でも、とても大切な一枚として今も大切に保存し、時折聴いています。そして、この『サントラ』を耳にする度に、あの頃の想いも蘇ってきます。
『評論家』だけにはならない・・・!とにかく製作する立場でいたい・・・!
勝ち組の友人ほどには直接的に映像製作には関わっていませんが、私も自らの職場で今も、必死に製作者でいようとする気持ちだけは、持ち続けています。

「いやあ、映画って本当にいいもんですね」の名言を遺した『映画評論家』の水野晴郎さんだって、最後には製作者側に立っていたではありませんか!
撮影中の怪我がもとで、命を短くしたと聞いていますが、それほどまでに映画を愛した水野さんの、人を薫陶する魅力と力に敬意を払うと共に、心よりの御冥福をお祈りしたいと思います。

このレビューは気に入りましたか? 23人の会員が気に入ったと投稿しています

雨の中の涙のように。

投稿日:2008/04/26 レビュアー:spider

オリジナル公開から25年、リドリースコットがオリジナルネガを修復、新たなデジタル処理を施したリマスター版で、サウンドも再編集され、本人曰く「ブレードランナーの理解者に、最も熱心なファンのために。」

同時に「クロニクル」としてレンタル開始される「オリジナル劇場版」(1982)、「インターナショナル劇場版」(1982)、「ディレクターズカット版」(1992)と見比べてみるのも一興。(特にオリジナル版は今回初DVD化なので、これまでディレクターカット版しか見たことがなかった人にはかえって新鮮かもしれません。)

この作品に関しては、私より詳しい方はいくらでもいらっしゃるでしょうから詳しくは触れませんが、リマスターされたこともあって、光と影の織り成す映像は信じられないほど美しく、ヴァンゲリスの音楽に彩られたノワールの世界にどっぷり浸ることができるでしょう。

ああそれにしても、ロイ・バティを演じるルトガーハウアーの何と完璧なことか。「炎に包まれて天使たちは落ちてきた。」ブレイクの詩篇を口ずさみながら地上に降り立った彼は、自らの不完全な肉体を直させるため、創造主たる遺伝子工学の神と対峙しようとする。一方、デッカードは「人間に似て非なる者」を狩る立場として登場するが、彼らのアイデンティティーを追及するうちに、いつの間にか自らのアイデンティティーを自問せざるを得ない状況に追い込まれていく。

「死ぬ時だ(time to die.)」中盤、レオンがデッカードに対して吐く台詞と、ロイが最後につぶやく同じ台詞は全く異なる意味を伴って私たちにつきつけられる。

「おまえたち人間には信じられないものを俺は見てきた…。」追う者と追われる者、人間とそうでない者の境界線はもはや滲んで見えない。この物語の勝利者は誰か、果たして勝利者はいるのか。私は何者なのか、あなたは何者なのか。ロイの問いかけは、傍観者であるはずの私たち(観客)にも向けられている。

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ディスタンス ネタバレ

投稿日:2009/07/17 レビュアー:ビンス

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

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好きな人がいて、アタックしてフラれて・・・
もう一回チャレンジして、でもまたフラれて・・・
それでも諦めきれずにアタックして・・・
忘れる事が出来ずにアタックして・・・
でもこの想いは届かなくて・・・
忘れる事ができなくて・・・
諦めきれない・・・
いつしかこの距離が「二人の距離」なのかもと思いはじめ・・・
片想いの距離。
それがボクと「ブレードランナー」の距離。
この関係が、距離が縮まることはないのだろうか・・・
想いが届かないから、ずっと忘れられないのか・・・

そんなこんなで「ブレードランナー」鑑賞は今回で6回目。
初のファイナルカット版鑑賞です。
どんなに必死にアタックしても、逆にクールに迫っても中々「ブレードランナー」は微笑んではくれません。
でも、だからこそボクは「ブレードランナー」観続けるのか・・・
いつか両想いになれることを夢見て・・・
それが叶わぬ願いだと知りながら・・・

最初から違和感。
その正体は暫くわからなかったけど、ファイナルカット版は「ナレーション」がないんですね。
だから街の息遣いが凄くよく伝わります。
BGMもほとんどないので観てるこちらが街に溶け込んでいく。
この街並みのトータルバランスがとても優れていて好きです。
臭いまで伝わってきそうなほどに混沌としながら調和がとれている。
退廃的なムード。
人々の顔色。
ジェイソンマスクの踊り子。
気だるいネオン。
降り続く雨。
雨はとても印象的。
そして一番キョーレツなのが巨大電光掲示板のゲイシャガール。
完璧なまでに息苦しいです。

これぞ自己主張のヤングの肩パット。
ダリルの衣装。
ルトガーの存在感。
どれも今観ると、以前よりステキに見える。
で、ハリソン・フォードはアクションに向いてないと思いません?
動きにしまりがないと言うか、小手先感バリバリというか。
あんま才能ないと思う。
これは「スターウォーズ」の頃から感じていたこと・・・
あとデッカードのレプリカント(ショーン・ヤング・・・レプリカントたちの名前全部忘れてしまいました・・・)に対する物言いがちょっとキモイ・・・言葉を強要するのがイヤだ・・・・

レプリカントたちは何故にすぐデッカードを殺さないのだろう?
タメを作るからギリギリのところで逆転されてしまう。
でもレプリカント(ルトガー)だけは殺そうと思っていないように感じました。彼は死期を悟り、「殺したい」から「聴いて欲しい」に変わったような気がします。

デッカードら「ブレードランナー」は何故質問しただけでレプリカントだと見破れる?
デッカードが見た「ユニコーン」の夢とラストの折り紙のユニコーンとの関連は?
それが何故「デッカードはレプリカント?」に繋がるのか?
もひとつ・・・冒頭でデッカードは「何を4つ」頼んだのだろう?
などなど数々の疑問を残しながら僕の6度目のアタックは幕。
それでも今までで一番距離が縮まったかな・・・・

このレビューは気に入りましたか? 14人の会員が気に入ったと投稿しています

有名作だけど・・・。んー・・・・なんかピンと来ません(泣

投稿日:2010/07/09 レビュアー:MM3

これも、名前だけは知っていたが、なんとなく観ていなかった。

最近はいろんなジャンルを観ているのでトライしてみました。

古い映画ですが、近未来の都市の全体像は
今観ても全然古さを感じなかった。
地上目線だとヘンな日本語交じりの看板やらが
やたら出てきて、???と思いましたが、
映像自体は最近の映画と比べても遜色ない感じがした。

ですが、お話自体はよくわからず。

宇宙の植民地(?)の人造人間が脱走し地球へ潜入、
それを捕まえるべく奔走するブレードランナー
ということらしいですが・・・。

ところどころ「ちょっとした」アクションや
痛々しい描写なんかもあり映像的なメリハリはあったんですが、
どうもお話が単調なのか、わかりづらいのか・・・
途中から睡魔との闘いに(泣

無難に楽しめるSF系かと思ってたんですが
思いのほかハマりませんでした。

リドリースコット監督作は
けっこう好きなのが多かったのだけど、
これはちょっと好みではありませんでした。

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ブレードランナー ファイナル・カット

ユーザーレビュー

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この映画のどこが好きなのかを自問してみる。

投稿日

2008/07/20

レビュアー

JUCE

 見た当初はやはりそのビジュアルに魅了された。その圧倒的なビジュアルのセンスやインパクトがその後の映画に与えた影響を観てもこの映画のビジュアルは優れていると言えます。でも私をはじめ多くの人が魅了される理由としては不足です。
 そこでファイナルカットを観ながら、この映画のどこが魅力的なのかを私なりに検証してみました。
 まずはビジュアルの続きでいうと、「光と影」。「光と影」に関してはこれまでも優れた作品は沢山ありました。しかしこの作品が少し違うのは光は絶えず動いていると言うこと。「光」が動くと言うことは当然「影」も動きます。この「光と影」が移ろい、絶えず立場を入れ替えるというビジュアルはこの作品の持つ本質と大きく結びついていることが分かります。
 
 登場人物。「光と影」は登場人物そのものにも当てはまります。画一的なヒーロー像やヒール像では無く、それぞれが様々な側面をあわせもつ人物達。特に主人公のデッカード(ハリソン・フォード)のヒーローらしからぬ事。腕利きと言う割にはNEXUS6型にはまったく歯が立たず、いつもボコボコにやられる。かろうじて仕留めたのは女性のレプリ、しかも一人は背後から、もう一人もかろうじてという具合。逆にレプリカントのボス、ロイ(ルトガー・ハウアー)の格好良いこと。どちらかと言うとこちらの方がヒーローっぽいのです。原作者のディックはこうした設定はお気に召さなかったようで、レプリカントは悪であるという設定にして欲しかったそうです。私自身はこの曖昧かつ複雑な人物設定が物語りにリアリティを与えていると思います。人物像に関しては観客がそれぞれの人物の背景を想像する余地を与えてくれています。良く議論の持ち上がるデッカード=レプリカント説もそうしたうちのひとつだと言えるでしょう。
 デッカードとロイ、この2人のハードボイルドな生き様がたまらなく渋いのです。そのハードボイルドさはアクションとして描かれるのでは無く、存在からにじみ出る雰囲気で描写されています。

 そして最大のポイントが近未来社会のディティールのこだわりでしょう。この映画ではこうしたディティールについて映画の中で説明されることはほとんどありません。しかし良く(何度も)観ているとそのディティールの細かさには驚かされます。しかもそれまでSFで描かれてきた明るい未来社会では無く、国境のボーダーレス化による混沌、持てるものは空を飛ぶ車に乗り、摩天楼に暮らし、持たざるものは酸性雨が降りしきる地面で這いつくばりながら生活するというヒエラルキー社会。そして温暖化による動植物の減少を科学技術でかろうじて補うと言う、今の地球で遠くない未来に起こりそうなリアリティなど。過剰な説明を排除しながらもブレードランナーが描く近未来の世界観が揺ぎ無い形で構築されています。こうしたディティールを持った世界だからこそそれぞれの登場人物の個性もリアリティを持って生きてくるのでしょう。

 最後に映画のテーマ。「人間とは?」「生命の尊厳とは?」という哲学的とも言える問いかけが作品全体を通して投げかけられています。

 一本の映画でこれだけ議論や解釈が加えられ研究されている映画も古典を含めそう多くは無いのではないでしょうか。そんな作品に私がこれ以上どうのこうのというのも野暮ですのでこのあたりで(と言っても長文になってしまいました)。

愛しき友よ!新宿でこの映画を観た26年前を私は決して忘れない!!

投稿日

2008/06/16

レビュアー

夢みるゆめ

「今度来るブレードランナー、凄いらしいぜ。皆で映画、観に行かないか?」と私に声をかけてくれたのは、同じサークルの男の子でした。こうして、新宿の『ミラノ座』辺りに、男女五人ほどで観に行ったのが、もう26年も前の話です。

当時は、現在のようなCGの技術は殆どなく(『トロン』では使われましたが)、ミニチュアやフィルム合成による初代『スター・ウォーズ』然としたSFXで作られていましたから、どのように作られたのかを大画面で探りたいという気持ちもありました。
しかし、この映画を観終わった後の正直な感想は、あまりにも先鋭的で物語も画面も暗すぎたため、全員が理解不明のまま不満げに首を傾げて映画館を出てきたのを憶えています。事実、この映画は余りの不評のため、上映が打ち切られる事態ともなりました。

その後、当時の映画仲間と顔を合わせる機会は極端に少なくなりましたが、映画学校のクラスメイトの数人は映画監督となり、数人は脚本家として、現在もさほど目立った仕事ではありませんが、トータルに仕事をこなしている様子を拝見しています。
『ブレードランナー』を観終わった後に、喫茶店でしばし映画談義をした後に、級友の男の子がこんな言葉を発して解散したのを思い出します。
「なあ、皆、どんなに落ちぶれてもさ、映画を創る立場でいようぜ。絶対に『評論家』にだけはなるな!あいつらは映画を作りたくても作れない可愛そうな連中なんだからさ!映画を沢山観て映画監督になれるなら、『映画評論家』は巨匠になれるゼ。小説を誰よりも読んだ人間が作家になれるんだったら、『文芸評論家』は文豪になれますって!」
たとえ『映画評論家』にはなってはいなくとも、現在の私が“そのような”レビューをこうして書いたりしていることを知ったら、彼はどう思うのかなと、時折頭を過ぎります。

考えてみれば、映画やテレビ業界へと着実に進出して行ったいわゆる『勝ち組』には、一つの共通点がありました。それは、皆の輪の中では決して『映画批評』を交わすことはせずに、好きな映画を模倣しつつも、学生時代から黙々と台本書き(脚本執筆)をし、自主映画を作っていた人たちでした。
彼ら彼女らは、映画を“批評する立場”よりも、辛辣でも“批評される立場”にいることの方が、絶対的に自らが幸せであることを、知っていたのかも知れません。おそらく、小説家になれる人間にも、これと同じようなことが言えるような気がします。

話を『ブレードランナー』に戻しますと、当時はまるで意味が解らなかった映画にも関わらず、今回で何度か同じ物語に目を通している眼力も備わったためか、リドリー・スコット監督は、アンドロイドと人間の“生と愛”の形を“ポエム(詩)”として描きたかったのだろうかな、と推測することができたような気がします。
物語は特異でも、そのカットやシーンは、さすがに詩的な構図と映像美を感じました。
『2001年宇宙の旅』と同じように、65oフィルムでSFX部分を撮影し、35oフィルムと合成しているその色彩は、相変わらず荒を感じさせないすばらしい出来になっています。
ただ一点、現在この映画を観ていて、とても不思議に思うことは、舞台となる2019年の地球には、空飛ぶ自動車はあっても、携帯電話はないんですよね。それほどまでに現代社会の中での携帯電話の進化は画期的だったのかも知れません。
単純なんですが、そんなことを、今回の鑑賞で感じました。劇場公開版と、今回の『ファイナル・カット』との違いは、アクションシーンよりも会話部分が若干増えたような気がしています。それだけ、人間ドラマの部分の成長を感じたような気がします。

この映画は大作にも関わらず、公開当時『サウンドトラック』が発売されなかったことが、静かな話題となりましたね。後に、ファンからの要望が余りにも強く、急遽、新たに録音用のオーケストラを編成することもなく、オリジナルテープから制作された『OST』が発売されましたが、それは私が持っているコレクションの中でも、とても大切な一枚として今も大切に保存し、時折聴いています。そして、この『サントラ』を耳にする度に、あの頃の想いも蘇ってきます。
『評論家』だけにはならない・・・!とにかく製作する立場でいたい・・・!
勝ち組の友人ほどには直接的に映像製作には関わっていませんが、私も自らの職場で今も、必死に製作者でいようとする気持ちだけは、持ち続けています。

「いやあ、映画って本当にいいもんですね」の名言を遺した『映画評論家』の水野晴郎さんだって、最後には製作者側に立っていたではありませんか!
撮影中の怪我がもとで、命を短くしたと聞いていますが、それほどまでに映画を愛した水野さんの、人を薫陶する魅力と力に敬意を払うと共に、心よりの御冥福をお祈りしたいと思います。

雨の中の涙のように。

投稿日

2008/04/26

レビュアー

spider

オリジナル公開から25年、リドリースコットがオリジナルネガを修復、新たなデジタル処理を施したリマスター版で、サウンドも再編集され、本人曰く「ブレードランナーの理解者に、最も熱心なファンのために。」

同時に「クロニクル」としてレンタル開始される「オリジナル劇場版」(1982)、「インターナショナル劇場版」(1982)、「ディレクターズカット版」(1992)と見比べてみるのも一興。(特にオリジナル版は今回初DVD化なので、これまでディレクターカット版しか見たことがなかった人にはかえって新鮮かもしれません。)

この作品に関しては、私より詳しい方はいくらでもいらっしゃるでしょうから詳しくは触れませんが、リマスターされたこともあって、光と影の織り成す映像は信じられないほど美しく、ヴァンゲリスの音楽に彩られたノワールの世界にどっぷり浸ることができるでしょう。

ああそれにしても、ロイ・バティを演じるルトガーハウアーの何と完璧なことか。「炎に包まれて天使たちは落ちてきた。」ブレイクの詩篇を口ずさみながら地上に降り立った彼は、自らの不完全な肉体を直させるため、創造主たる遺伝子工学の神と対峙しようとする。一方、デッカードは「人間に似て非なる者」を狩る立場として登場するが、彼らのアイデンティティーを追及するうちに、いつの間にか自らのアイデンティティーを自問せざるを得ない状況に追い込まれていく。

「死ぬ時だ(time to die.)」中盤、レオンがデッカードに対して吐く台詞と、ロイが最後につぶやく同じ台詞は全く異なる意味を伴って私たちにつきつけられる。

「おまえたち人間には信じられないものを俺は見てきた…。」追う者と追われる者、人間とそうでない者の境界線はもはや滲んで見えない。この物語の勝利者は誰か、果たして勝利者はいるのか。私は何者なのか、あなたは何者なのか。ロイの問いかけは、傍観者であるはずの私たち(観客)にも向けられている。

ディスタンス

投稿日

2009/07/17

レビュアー

ビンス

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好きな人がいて、アタックしてフラれて・・・
もう一回チャレンジして、でもまたフラれて・・・
それでも諦めきれずにアタックして・・・
忘れる事が出来ずにアタックして・・・
でもこの想いは届かなくて・・・
忘れる事ができなくて・・・
諦めきれない・・・
いつしかこの距離が「二人の距離」なのかもと思いはじめ・・・
片想いの距離。
それがボクと「ブレードランナー」の距離。
この関係が、距離が縮まることはないのだろうか・・・
想いが届かないから、ずっと忘れられないのか・・・

そんなこんなで「ブレードランナー」鑑賞は今回で6回目。
初のファイナルカット版鑑賞です。
どんなに必死にアタックしても、逆にクールに迫っても中々「ブレードランナー」は微笑んではくれません。
でも、だからこそボクは「ブレードランナー」観続けるのか・・・
いつか両想いになれることを夢見て・・・
それが叶わぬ願いだと知りながら・・・

最初から違和感。
その正体は暫くわからなかったけど、ファイナルカット版は「ナレーション」がないんですね。
だから街の息遣いが凄くよく伝わります。
BGMもほとんどないので観てるこちらが街に溶け込んでいく。
この街並みのトータルバランスがとても優れていて好きです。
臭いまで伝わってきそうなほどに混沌としながら調和がとれている。
退廃的なムード。
人々の顔色。
ジェイソンマスクの踊り子。
気だるいネオン。
降り続く雨。
雨はとても印象的。
そして一番キョーレツなのが巨大電光掲示板のゲイシャガール。
完璧なまでに息苦しいです。

これぞ自己主張のヤングの肩パット。
ダリルの衣装。
ルトガーの存在感。
どれも今観ると、以前よりステキに見える。
で、ハリソン・フォードはアクションに向いてないと思いません?
動きにしまりがないと言うか、小手先感バリバリというか。
あんま才能ないと思う。
これは「スターウォーズ」の頃から感じていたこと・・・
あとデッカードのレプリカント(ショーン・ヤング・・・レプリカントたちの名前全部忘れてしまいました・・・)に対する物言いがちょっとキモイ・・・言葉を強要するのがイヤだ・・・・

レプリカントたちは何故にすぐデッカードを殺さないのだろう?
タメを作るからギリギリのところで逆転されてしまう。
でもレプリカント(ルトガー)だけは殺そうと思っていないように感じました。彼は死期を悟り、「殺したい」から「聴いて欲しい」に変わったような気がします。

デッカードら「ブレードランナー」は何故質問しただけでレプリカントだと見破れる?
デッカードが見た「ユニコーン」の夢とラストの折り紙のユニコーンとの関連は?
それが何故「デッカードはレプリカント?」に繋がるのか?
もひとつ・・・冒頭でデッカードは「何を4つ」頼んだのだろう?
などなど数々の疑問を残しながら僕の6度目のアタックは幕。
それでも今までで一番距離が縮まったかな・・・・

有名作だけど・・・。んー・・・・なんかピンと来ません(泣

投稿日

2010/07/09

レビュアー

MM3

これも、名前だけは知っていたが、なんとなく観ていなかった。

最近はいろんなジャンルを観ているのでトライしてみました。

古い映画ですが、近未来の都市の全体像は
今観ても全然古さを感じなかった。
地上目線だとヘンな日本語交じりの看板やらが
やたら出てきて、???と思いましたが、
映像自体は最近の映画と比べても遜色ない感じがした。

ですが、お話自体はよくわからず。

宇宙の植民地(?)の人造人間が脱走し地球へ潜入、
それを捕まえるべく奔走するブレードランナー
ということらしいですが・・・。

ところどころ「ちょっとした」アクションや
痛々しい描写なんかもあり映像的なメリハリはあったんですが、
どうもお話が単調なのか、わかりづらいのか・・・
途中から睡魔との闘いに(泣

無難に楽しめるSF系かと思ってたんですが
思いのほかハマりませんでした。

リドリースコット監督作は
けっこう好きなのが多かったのだけど、
これはちょっと好みではありませんでした。

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