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第二次大戦中、名古屋への無差別爆撃を実行したB29搭乗の米兵を略式裁判で処刑し、戦後その罪を問われB級戦犯として裁かれた東海軍司令官・岡田資中将が、部下を守り、自らの誇りを懸けて挑んだ法廷での闘いと、それを見守る家族との愛と絆を描くドラマ。原作は大岡昇平のノンフィクション『ながい旅』。監督は「雨あがる」「博士の愛した数式」の小泉堯史。主演は藤田まこと、共演に富司純子。
製作年: |
2007年 |
---|---|
製作国: |
日本 |
監督: |
小泉堯史 |
---|---|
出演: |
藤田まこと 、 西村雅彦 、 蒼井優 、 近衛はな 、 加藤隆之 、 田中好子 、 富司純子 、 ロバート・レッサー 、 フレッド・マックィーン 、 リチャード・ニール[俳優] |
脚本: |
ロジャー・パルバース 、 小泉堯史 、 ロジャー・パルヴァース 、 ロジャー・パルバース |
---|---|
原作: |
大岡昇平 、 大岡昇平 |
撮影: |
上田正治 、 北澤弘之 |
音楽: |
加古隆 |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
110分 | 日本語日(聴覚障害者用)英語 | 1:ドルビーデジタル/ステレオ/日(一部英) 2:ドルビーデジタル/ステレオ/日(視覚障害者用) |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
ACBR10575 | 2008年08月08日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
11枚 | 1人 | 1人 |
収録時間:
110分
字幕:
日本語日(聴覚障害者用)英語
音声:
1:ドルビーデジタル/ステレオ/日(一部英)
2:ドルビーデジタル/ステレオ/日(視覚障害者用)
レイティング:
記番:
ACBR10575
レンタル開始日:
2008年08月08日
在庫枚数
11枚
1位登録者:
1人
2位登録者:
1人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
110分 | 日本語日(聴覚障害者用)英語 | 1:ドルビーデジタル/ステレオ/日(一部英) 2:ドルビーデジタル/ステレオ/日(視覚障害者用) |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
ACBR10575 | 2008年08月08日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
11枚 | 1人 | 1人 |
収録時間:
110分
字幕:
日本語日(聴覚障害者用)英語
音声:
1:ドルビーデジタル/ステレオ/日(一部英)
2:ドルビーデジタル/ステレオ/日(視覚障害者用)
レイティング:
記番:
ACBR10575
レンタル開始日:
2008年08月08日
在庫枚数
11枚
1位登録者:
1人
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約35,500
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第二次世界大戦後、元東海指令軍の岡田中将をはじめ、20名の元日本兵が、捕虜となった米兵を不当に処刑した罪に問われ、B級戦犯として裁判にかけられた話です。
この映画まで、私は岡田中将という人を全く知りませんでした。
彼の主張は一貫しています。
興味深いのは、彼が、米軍による都市爆撃を、国際戦時法規で違法と定めている無差別爆撃だと非難した人であるという事です。
裁く方も、裁かれる方も、無差別爆弾と、捕虜の扱いに、国際法に基づいて堂々と議論を交わした裁判が行われたことを、初めて知りました。
法廷の合間に、主人公が初孫を抱き上げるシーン。
その瞬間、法廷全体が和やかな雰囲気に包まれます。
対立する関係にあった国も、立場も、違う人たちなのに、裁判を通じていつの間にか芽生えていた、お互いの信頼関係。
それは、岡田中将の人柄に尽きると思います。
藤田まこと演じる岡田中将が終始落ち着いた表情でありながら、強い信念を持ち、彼の発する言葉に説得力が感じられます。
また、フェザーストン主任弁護士を演じたロバート・レッサーの素晴らしい演技と、岡田中将との法廷の最後の場面では、自然と涙が溢れてきました。
フェザーストン弁護士は、岡田中将に救いの言葉を向けた程です。
多分、彼の凛とした姿勢にリーダーの美学を感じたからではないでしょうか?
このレビューは気に入りましたか? 19人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
1937年にパブロ・ピカソによって制作された「ゲルニカ」は、
史上初めての都市無差別空爆を描き、スペイン内戦に翻弄され、ヨーロッパの戦火をさけ、1981年にようやく祖国であるスペインに返還される。
岡田資中将の裁判記録も戦後36年経っての公文書公開となった。
どちらも戦争という悪魔が産んだ悲惨な運命だと思う。
裁判中の中将の服装(開襟シャツに背広姿)は、スガモ・プリズンへの収監予告を受け、出発当日に家族と撮った記念写真に残っている。
この作品は不思議な作品で、何度も映画館に足を運び、アメリカ側に対して正々堂々と
論じる岡田資中将に会いに行きたくなってしまうのです。
そしてまた会うたびに、違う岡田資中将がそこに居るのです。
最初は、部下を庇い、アメリカに無差別爆撃を認めさせ、強く、潔く、全責任を独りで一身に背負う男の生き様を感じましたが、何回も見ていると、色々な角度から観ている自分に気付くのです。私は戦争未経験者ですが、軍事国家の教えは、大変厳しかったと思っています。
自分の“死”と直面し、退廷間際に「本望である」と妻に告げる場面は深く考えさせられるワンシーンです。やはり時代背景を考えさせられてしまいます。
軍人としての誇りなのか?最後まで無様な姿をさらけ出して、責任逃れをしようとする軍の在り方に対して、軍人とは最後までこう有るべきだと知らしめる為なのか?
家族への遺言の中に、奥様への慈しみ、優しさ、愛情。夫婦での老後の過ごし方。親より先に死んで逝く息子としての老母への思慮、配慮。
お子様達やお孫さんを思う気持ちを残されてるのが、胸に痛い程切ない・・・・
軍人としての最後は本当に満足であったのでしょうが、夫として、父親として、息子としての思いは・・・・私には、出発当日に家族と撮った記念写真が全てを物語っている様に思えてならないのです。
岡田資中将の佇まい、法廷での証言、心の動き、感情、家族へ向ける暖かい眼差し、部下への思いやり、英語での会話、どれひとつとっても、藤田まことさんは素晴らしく見事に演じられたと感激しました。
現代人が忘れつつある敬い、思いやり、助け合い、家族愛、それら全てが凝縮された有意義な作品に出会える事が出来たこの作品を、沢山の方々に観て頂きたいです。
この感想は「明日への遺言」公式ホームページにも記載させて頂いています。
このレビューは気に入りましたか? 15人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
皆さんおっしゃっているようにナレーションがねえ・・・。
予備知識無しに観始めたので、あのナレーションが流れた途端、
「え?これ、竹ノ内?何で・・・?」
と思ってしまいました。
富司純子が「夫の法戦」を語っているのですから、ナレーションも彼女でいいんでないかと・・・。でなければ、全く無名の役者か無機質な声のアナウンサーで。
ストーリー自体は、人の心に響く力があると思うのですが、展開がたるいので、
「別に映画にしなくても良かったんじゃ・・・」
と思ってしまいます。場面が収容所と法廷だけだからと言うことではなく(「十二人の怒れる男」は、同じ様なシチュエーションでも映画として秀逸ですよね)全体を流れる緊迫感という物が感じられません。
岡田中将を演じる藤田まことの演技によって、なんとか観られる物に仕上がってはいるものの、小泉堯史らしい全編を通じての統一感が無いのは何故なんでしょう?べっちさんの言うような「大人の事情」が働いたと言うことは充分考えられますねえ。
まあ、元々小泉堯史の映画って、志はわかるんだけど、余計な演出を入れたりしてそれを表現しきれないって印象なんですけどね。
戦争という行為が愚かで悲惨なことだなんて、んなこたあ小学生だって知ってるわけですよ。
その中で最前を尽くし、戦勝国による裁判という不公平な場においても信念を貫いた岡田中将は素晴らしいのでしょうが、正直なところ、
「だから、それがどうしたの?」
なんですよ。世の中の争い事のほとんど・・友達との諍い、夫婦喧嘩から国と国との戦争に至るまで、どちらかが100%悪いなんて言うことはあり得ないでしょ。どちらにも当然言い分があるわけですよ。戦争という異常な状態の元ではなおさらのことで、
「アメリカの無差別攻撃は国際法反だから、それに関わった兵士は戦犯である」
と言うのは、筋が通っているようにも思えますし、屁理屈とも取れます。
その論点に矛盾があるのは皆さんがおっしゃる通りです。正論だとしても、それが「人を殺す」と言う行為を正当化するための免罪符にはならんのです。
その戦争と言う愚かしい行為が何故起きたのか、回避する方法は無かったのかというところに思いを馳せないと、私たち戦争を知らない世代が、何故戦争を学ばなくてはいけないのかがわからなくなってしまうのです。戦争を体験した世代が、どんどん社会の中心から外れて、そのうち誰も居なくなってからでは正しく伝わらないかも知れないのです。
そういうところを描かず「戦争は悲惨で、あってはならないことだ」で思考が停止しているので、登場人物の葛藤も薄っぺらに映り、リアリティに欠けるんじゃないでしょうかね。岡田中将は高潔な人で、裁判が始まる前から覚悟が出来ているので、取り乱すこともないし堂々としてます。「私は貝になりたい」の加藤哲太郎のように躊躇や逡巡は無いのです。つまりドラマが生まれる要素が元々無いので、平板で地味〜な印象になってしまっているのです。
悪くはないと思うのですが、わざわざスクリーンで観なくて良かったというのも正直な思いです。
誰か、
「日本人だからこそ描けた戦争映画」
って、作ってくれませんかねえ・・・。
「オ〜ブジェクション!」
と叫ぶあんちゃんがスティーブ・マックイーンの息子ですか・・・。偉大なオヤジを持つと大変だ・・・・。
このレビューは気に入りましたか? 11人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
名古屋無差別空襲で撃墜されたB−29搭乗米兵を処刑した罪で、B級戦犯として絞首刑となった第13方面軍司令官兼東海軍司令官岡田資(たすく)中将の「法戦」を巡る秘話を描いたヒューマンドラマ。原作は大岡昇平の「ながい旅」で、部下を守りリーダーとして一人絞首刑になることを「本望である」と受け入れつつ、米軍の非人道的無差別爆撃が国際法違反であることを主張した、戦勝国による一方的な裁判と闘った男のノンフィクションである。映画化にあたり主演の藤田まことは、実在の人物を演じることに悩んだということだが、本作では見事岡田中将になりきったかのような名演技を魅せた。
本作は、軍事裁判を題材にし、岡田中将の法戦を描いたものではあるが、その内容の是非は主眼ではない。この世に生を受けた人間としてあるべき道の一つの実践例を示すものであり、岡田中将の人格や思想信条を正すものでもない。そこには岡田中将の人間としての尊厳、そして実践に対しての尊敬の念のみが存在する。人間の尊厳は、法や社会体制、さらには時の価値観に勝るものであり、移ろいゆく時代の流れの中においてでも、決して変わる事のない人間の原点である。本作において、人間としての尊厳を守ろうとする岡田中将に尊敬の念を感じることが出来れば、それで十分なのだろうと思う。本作において、たとえ製作者にそれ以上の企図がたとえあったとしても、その比重ははるかに低いものとなっている。
尊敬は信奉とは違う。決して彼の行動や言論をそのまま受け入れるというのではない。人間が存在する以上争いは絶えない。人間が人間を裁く以上完全なる公平は不可能である。善悪の二元論、唯物史観に毒された我々の視点で見れば、岡田中将の取った行動、軍事裁判そのものに対して、一つ一つの是非の論争があるだろう。しかし、人の価値観が多様である以上、結論付けること自体無理であり、法による線引きは人間の尊厳を包含することなどできはしない。
岡田中将は米軍の無差別爆撃を国際法違反と主張し、米兵殺害を米軍規定にある「報復」ではなく「処罰」と言い切る。彼が「法戦」と位置付けるこの裁判だが、彼自身多くの矛盾が存在することを感じていたであろう。国際法違反かどうか、軍規違反かどうかの論点は、裁判上重要な論点となるが、違反でなければ何でも良いのかという矛盾がある。名古屋空襲で多くの犠牲を出した国民の気持ちの代弁者として、戦時の軍人として責務を共有した責任者として、人として彼が背負うものは非常に大きい。裁判で勝てばいい、白黒がつけばいいというものではなく、それ以前に人として伝えるべき、信ずるべきものがあるのだ。命を賭してまっとうする姿に、人として尊敬の念を抱くのだ。
その対比には、平然と寝返る戦後法務局の元軍人、自己責任を回避しようとする軍幹部がある。戦後多くの国民が責任を回避し、他人に責任を押し付けてきた。戦争責任は個人に帰結するものではなく、世論を形成した国民全員で負うべきものではなかったか。生活が苦しいのも、社会が不安なのも、全て役所や政治家のせいにしてしまう、現代への警鐘のような気がした。
岡田中将の姿を理想の上司、リーダーと論じる声も聞こえる。だが、間違ってはいけないのは、この上司と部下の間には全幅の信頼がなければならない。上司の命令は絶対であり、上司は部下の行動に全責任を負う。もはや、個人主義が闊歩する現代において、我々には到底なしえない姿なのかもしれない。
映画としては、ややインパクトに欠ける。ノンフィクション母体ということもあるのだが、法廷シーンと収監シーンがほとんどで、面白みや娯楽性はかなり低い。随時、竹野内豊のナレーションで解説は入るが、軍事裁判の背景や国際法などの知識は最低限必要となる。そういう意味で、テレビドラマ的なチープさを感じてしまう。個人的には名古屋空襲や列車への機銃掃射シーンの映像があったほうが良かったかとも感じたが、あえてそういうシーンを入れないことで恣意的な感情を排除し、岡田中将の心に集中させたのだとすれば、それもありかとも思う。娯楽性を求める人にとっては、退屈に感じるだろう。
人はその場その場の立場環境で、多くのしがらみに縛られる。そのしがらみや法律、規範に縛られながらも、人は人としての尊厳を持って生きていかねばならない。現代社会では、法令や白黒をつけたがるマスコミ等の世論によって、監視型社会になりつつある。だが、その前に人としての尊厳を忘れてはいまいか、そう岡田中将が語っているように思えてならなかった。
このレビューは気に入りましたか? 8人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
毎年夏になると何故か“戦争映画”に目が向いてしまいます。
本作は,単純に“戦争映画”で片付けられるとは思いませんが,あの第二次世界大戦の悲劇が題材となっていることは間違いありません。
本作では,第二次大戦下の名古屋空襲の時,不時着した米兵を斬首した罪でB級戦犯とされ,絞首刑となった岡田資(たすく)中将の裁判の様子が描かれていますが,岡田中将は,本裁判で「責任はすべて司令官である自分にある」としながらも,一貫して「無差別爆撃をした米軍もまた国際法違反である」という主張を論理的に訴えた人物です。
裁判の中で岡田は,名古屋空襲は無差別爆撃であり,軍事施設への爆撃のみを認めたジュネーブ条約違反であると主張し,搭乗員たちは捕虜ではなく戦犯であるから処刑はやむをえないと断じ,さらには,無差別攻撃を行った責任はたとえ直接爆撃したわけではない無線員であっても負わねばならない,それは連帯責任であるからと述べ,バーネット検察官から「操縦士でも爆撃手でもない,単なる無線士であっても戦争犯罪人だと言うのか? 基地で搭乗を命じられて彼が拒否できるとでも?」と追及されますが,岡田は「確かにそうだが,それでも空襲は搭乗員全員が有機体となって行われたことだから」と反論します。
しかし,この主張と「斬首の指令を下したのは自分であり,責任はすべて自分にある」と強調して斬首を実行した部下の命を救おうとしたことは矛盾した論理といえるかもしれませんね。
本作は,大岡昇平原作の「ながい旅」に感銘を受けた小泉尭監督が,15年の歳月をかけてあたため,満を辞して映画化されました。岡田資の誇り高く生きる姿に込められたメッセージはまさに次世代への“遺言”とも言える作品です。
ちなみにバーネット主席検察官を演じたのはスティーブ・マックイーンの息子さんです。いかついところがよく似ていますね。
おまけ1:富司純子さんの憂いのある微笑がとても素敵でした。彼女がらみでもう1本「待合室」という作品をお奨めします。これも泣けますよ。
おまけ2:戦争責任はいったい誰にあるのか? で思い出した韓国映画に「華麗なる休暇」があります。1980年の光州事件が題材となっています。未だ日本ではDVD化されていませんので,どこかで放送されたらチェックしてみてください。チョッと唸りました。
このレビューは気に入りましたか? 7人の会員が気に入ったと投稿しています
入力内容に誤りがあります。
内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。
ユーザーレビュー:62件
投稿日
2008/07/19
レビュアー
ミルクチョコ※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
第二次世界大戦後、元東海指令軍の岡田中将をはじめ、20名の元日本兵が、捕虜となった米兵を不当に処刑した罪に問われ、B級戦犯として裁判にかけられた話です。
この映画まで、私は岡田中将という人を全く知りませんでした。
彼の主張は一貫しています。
興味深いのは、彼が、米軍による都市爆撃を、国際戦時法規で違法と定めている無差別爆撃だと非難した人であるという事です。
裁く方も、裁かれる方も、無差別爆弾と、捕虜の扱いに、国際法に基づいて堂々と議論を交わした裁判が行われたことを、初めて知りました。
法廷の合間に、主人公が初孫を抱き上げるシーン。
その瞬間、法廷全体が和やかな雰囲気に包まれます。
対立する関係にあった国も、立場も、違う人たちなのに、裁判を通じていつの間にか芽生えていた、お互いの信頼関係。
それは、岡田中将の人柄に尽きると思います。
藤田まこと演じる岡田中将が終始落ち着いた表情でありながら、強い信念を持ち、彼の発する言葉に説得力が感じられます。
また、フェザーストン主任弁護士を演じたロバート・レッサーの素晴らしい演技と、岡田中将との法廷の最後の場面では、自然と涙が溢れてきました。
フェザーストン弁護士は、岡田中将に救いの言葉を向けた程です。
多分、彼の凛とした姿勢にリーダーの美学を感じたからではないでしょうか?
投稿日
2008/06/30
レビュアー
みるく※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
1937年にパブロ・ピカソによって制作された「ゲルニカ」は、
史上初めての都市無差別空爆を描き、スペイン内戦に翻弄され、ヨーロッパの戦火をさけ、1981年にようやく祖国であるスペインに返還される。
岡田資中将の裁判記録も戦後36年経っての公文書公開となった。
どちらも戦争という悪魔が産んだ悲惨な運命だと思う。
裁判中の中将の服装(開襟シャツに背広姿)は、スガモ・プリズンへの収監予告を受け、出発当日に家族と撮った記念写真に残っている。
この作品は不思議な作品で、何度も映画館に足を運び、アメリカ側に対して正々堂々と
論じる岡田資中将に会いに行きたくなってしまうのです。
そしてまた会うたびに、違う岡田資中将がそこに居るのです。
最初は、部下を庇い、アメリカに無差別爆撃を認めさせ、強く、潔く、全責任を独りで一身に背負う男の生き様を感じましたが、何回も見ていると、色々な角度から観ている自分に気付くのです。私は戦争未経験者ですが、軍事国家の教えは、大変厳しかったと思っています。
自分の“死”と直面し、退廷間際に「本望である」と妻に告げる場面は深く考えさせられるワンシーンです。やはり時代背景を考えさせられてしまいます。
軍人としての誇りなのか?最後まで無様な姿をさらけ出して、責任逃れをしようとする軍の在り方に対して、軍人とは最後までこう有るべきだと知らしめる為なのか?
家族への遺言の中に、奥様への慈しみ、優しさ、愛情。夫婦での老後の過ごし方。親より先に死んで逝く息子としての老母への思慮、配慮。
お子様達やお孫さんを思う気持ちを残されてるのが、胸に痛い程切ない・・・・
軍人としての最後は本当に満足であったのでしょうが、夫として、父親として、息子としての思いは・・・・私には、出発当日に家族と撮った記念写真が全てを物語っている様に思えてならないのです。
岡田資中将の佇まい、法廷での証言、心の動き、感情、家族へ向ける暖かい眼差し、部下への思いやり、英語での会話、どれひとつとっても、藤田まことさんは素晴らしく見事に演じられたと感激しました。
現代人が忘れつつある敬い、思いやり、助け合い、家族愛、それら全てが凝縮された有意義な作品に出会える事が出来たこの作品を、沢山の方々に観て頂きたいです。
この感想は「明日への遺言」公式ホームページにも記載させて頂いています。
投稿日
2008/08/30
レビュアー
こんちゃん※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
皆さんおっしゃっているようにナレーションがねえ・・・。
予備知識無しに観始めたので、あのナレーションが流れた途端、
「え?これ、竹ノ内?何で・・・?」
と思ってしまいました。
富司純子が「夫の法戦」を語っているのですから、ナレーションも彼女でいいんでないかと・・・。でなければ、全く無名の役者か無機質な声のアナウンサーで。
ストーリー自体は、人の心に響く力があると思うのですが、展開がたるいので、
「別に映画にしなくても良かったんじゃ・・・」
と思ってしまいます。場面が収容所と法廷だけだからと言うことではなく(「十二人の怒れる男」は、同じ様なシチュエーションでも映画として秀逸ですよね)全体を流れる緊迫感という物が感じられません。
岡田中将を演じる藤田まことの演技によって、なんとか観られる物に仕上がってはいるものの、小泉堯史らしい全編を通じての統一感が無いのは何故なんでしょう?べっちさんの言うような「大人の事情」が働いたと言うことは充分考えられますねえ。
まあ、元々小泉堯史の映画って、志はわかるんだけど、余計な演出を入れたりしてそれを表現しきれないって印象なんですけどね。
戦争という行為が愚かで悲惨なことだなんて、んなこたあ小学生だって知ってるわけですよ。
その中で最前を尽くし、戦勝国による裁判という不公平な場においても信念を貫いた岡田中将は素晴らしいのでしょうが、正直なところ、
「だから、それがどうしたの?」
なんですよ。世の中の争い事のほとんど・・友達との諍い、夫婦喧嘩から国と国との戦争に至るまで、どちらかが100%悪いなんて言うことはあり得ないでしょ。どちらにも当然言い分があるわけですよ。戦争という異常な状態の元ではなおさらのことで、
「アメリカの無差別攻撃は国際法反だから、それに関わった兵士は戦犯である」
と言うのは、筋が通っているようにも思えますし、屁理屈とも取れます。
その論点に矛盾があるのは皆さんがおっしゃる通りです。正論だとしても、それが「人を殺す」と言う行為を正当化するための免罪符にはならんのです。
その戦争と言う愚かしい行為が何故起きたのか、回避する方法は無かったのかというところに思いを馳せないと、私たち戦争を知らない世代が、何故戦争を学ばなくてはいけないのかがわからなくなってしまうのです。戦争を体験した世代が、どんどん社会の中心から外れて、そのうち誰も居なくなってからでは正しく伝わらないかも知れないのです。
そういうところを描かず「戦争は悲惨で、あってはならないことだ」で思考が停止しているので、登場人物の葛藤も薄っぺらに映り、リアリティに欠けるんじゃないでしょうかね。岡田中将は高潔な人で、裁判が始まる前から覚悟が出来ているので、取り乱すこともないし堂々としてます。「私は貝になりたい」の加藤哲太郎のように躊躇や逡巡は無いのです。つまりドラマが生まれる要素が元々無いので、平板で地味〜な印象になってしまっているのです。
悪くはないと思うのですが、わざわざスクリーンで観なくて良かったというのも正直な思いです。
誰か、
「日本人だからこそ描けた戦争映画」
って、作ってくれませんかねえ・・・。
「オ〜ブジェクション!」
と叫ぶあんちゃんがスティーブ・マックイーンの息子ですか・・・。偉大なオヤジを持つと大変だ・・・・。
投稿日
2008/07/25
レビュアー
カポーン※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
名古屋無差別空襲で撃墜されたB−29搭乗米兵を処刑した罪で、B級戦犯として絞首刑となった第13方面軍司令官兼東海軍司令官岡田資(たすく)中将の「法戦」を巡る秘話を描いたヒューマンドラマ。原作は大岡昇平の「ながい旅」で、部下を守りリーダーとして一人絞首刑になることを「本望である」と受け入れつつ、米軍の非人道的無差別爆撃が国際法違反であることを主張した、戦勝国による一方的な裁判と闘った男のノンフィクションである。映画化にあたり主演の藤田まことは、実在の人物を演じることに悩んだということだが、本作では見事岡田中将になりきったかのような名演技を魅せた。
本作は、軍事裁判を題材にし、岡田中将の法戦を描いたものではあるが、その内容の是非は主眼ではない。この世に生を受けた人間としてあるべき道の一つの実践例を示すものであり、岡田中将の人格や思想信条を正すものでもない。そこには岡田中将の人間としての尊厳、そして実践に対しての尊敬の念のみが存在する。人間の尊厳は、法や社会体制、さらには時の価値観に勝るものであり、移ろいゆく時代の流れの中においてでも、決して変わる事のない人間の原点である。本作において、人間としての尊厳を守ろうとする岡田中将に尊敬の念を感じることが出来れば、それで十分なのだろうと思う。本作において、たとえ製作者にそれ以上の企図がたとえあったとしても、その比重ははるかに低いものとなっている。
尊敬は信奉とは違う。決して彼の行動や言論をそのまま受け入れるというのではない。人間が存在する以上争いは絶えない。人間が人間を裁く以上完全なる公平は不可能である。善悪の二元論、唯物史観に毒された我々の視点で見れば、岡田中将の取った行動、軍事裁判そのものに対して、一つ一つの是非の論争があるだろう。しかし、人の価値観が多様である以上、結論付けること自体無理であり、法による線引きは人間の尊厳を包含することなどできはしない。
岡田中将は米軍の無差別爆撃を国際法違反と主張し、米兵殺害を米軍規定にある「報復」ではなく「処罰」と言い切る。彼が「法戦」と位置付けるこの裁判だが、彼自身多くの矛盾が存在することを感じていたであろう。国際法違反かどうか、軍規違反かどうかの論点は、裁判上重要な論点となるが、違反でなければ何でも良いのかという矛盾がある。名古屋空襲で多くの犠牲を出した国民の気持ちの代弁者として、戦時の軍人として責務を共有した責任者として、人として彼が背負うものは非常に大きい。裁判で勝てばいい、白黒がつけばいいというものではなく、それ以前に人として伝えるべき、信ずるべきものがあるのだ。命を賭してまっとうする姿に、人として尊敬の念を抱くのだ。
その対比には、平然と寝返る戦後法務局の元軍人、自己責任を回避しようとする軍幹部がある。戦後多くの国民が責任を回避し、他人に責任を押し付けてきた。戦争責任は個人に帰結するものではなく、世論を形成した国民全員で負うべきものではなかったか。生活が苦しいのも、社会が不安なのも、全て役所や政治家のせいにしてしまう、現代への警鐘のような気がした。
岡田中将の姿を理想の上司、リーダーと論じる声も聞こえる。だが、間違ってはいけないのは、この上司と部下の間には全幅の信頼がなければならない。上司の命令は絶対であり、上司は部下の行動に全責任を負う。もはや、個人主義が闊歩する現代において、我々には到底なしえない姿なのかもしれない。
映画としては、ややインパクトに欠ける。ノンフィクション母体ということもあるのだが、法廷シーンと収監シーンがほとんどで、面白みや娯楽性はかなり低い。随時、竹野内豊のナレーションで解説は入るが、軍事裁判の背景や国際法などの知識は最低限必要となる。そういう意味で、テレビドラマ的なチープさを感じてしまう。個人的には名古屋空襲や列車への機銃掃射シーンの映像があったほうが良かったかとも感じたが、あえてそういうシーンを入れないことで恣意的な感情を排除し、岡田中将の心に集中させたのだとすれば、それもありかとも思う。娯楽性を求める人にとっては、退屈に感じるだろう。
人はその場その場の立場環境で、多くのしがらみに縛られる。そのしがらみや法律、規範に縛られながらも、人は人としての尊厳を持って生きていかねばならない。現代社会では、法令や白黒をつけたがるマスコミ等の世論によって、監視型社会になりつつある。だが、その前に人としての尊厳を忘れてはいまいか、そう岡田中将が語っているように思えてならなかった。
投稿日
2008/07/22
レビュアー
サランヘ※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
毎年夏になると何故か“戦争映画”に目が向いてしまいます。
本作は,単純に“戦争映画”で片付けられるとは思いませんが,あの第二次世界大戦の悲劇が題材となっていることは間違いありません。
本作では,第二次大戦下の名古屋空襲の時,不時着した米兵を斬首した罪でB級戦犯とされ,絞首刑となった岡田資(たすく)中将の裁判の様子が描かれていますが,岡田中将は,本裁判で「責任はすべて司令官である自分にある」としながらも,一貫して「無差別爆撃をした米軍もまた国際法違反である」という主張を論理的に訴えた人物です。
裁判の中で岡田は,名古屋空襲は無差別爆撃であり,軍事施設への爆撃のみを認めたジュネーブ条約違反であると主張し,搭乗員たちは捕虜ではなく戦犯であるから処刑はやむをえないと断じ,さらには,無差別攻撃を行った責任はたとえ直接爆撃したわけではない無線員であっても負わねばならない,それは連帯責任であるからと述べ,バーネット検察官から「操縦士でも爆撃手でもない,単なる無線士であっても戦争犯罪人だと言うのか? 基地で搭乗を命じられて彼が拒否できるとでも?」と追及されますが,岡田は「確かにそうだが,それでも空襲は搭乗員全員が有機体となって行われたことだから」と反論します。
しかし,この主張と「斬首の指令を下したのは自分であり,責任はすべて自分にある」と強調して斬首を実行した部下の命を救おうとしたことは矛盾した論理といえるかもしれませんね。
本作は,大岡昇平原作の「ながい旅」に感銘を受けた小泉尭監督が,15年の歳月をかけてあたため,満を辞して映画化されました。岡田資の誇り高く生きる姿に込められたメッセージはまさに次世代への“遺言”とも言える作品です。
ちなみにバーネット主席検察官を演じたのはスティーブ・マックイーンの息子さんです。いかついところがよく似ていますね。
おまけ1:富司純子さんの憂いのある微笑がとても素敵でした。彼女がらみでもう1本「待合室」という作品をお奨めします。これも泣けますよ。
おまけ2:戦争責任はいったい誰にあるのか? で思い出した韓国映画に「華麗なる休暇」があります。1980年の光州事件が題材となっています。未だ日本ではDVD化されていませんので,どこかで放送されたらチェックしてみてください。チョッと唸りました。
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明日への遺言