ベルナのしっぽ

ベルナのしっぽの画像・ジャケット写真

ベルナのしっぽ / 白石美帆

全体の平均評価点:(5点満点)

16

全体の平均評価点:

DVD

ジャンル :

「ベルナのしっぽ」 の解説・あらすじ・ストーリー

DVD

解説・ストーリー

 郡司ななえの同名ノンフィクションを映画化したヒューマン・ドラマ。突然の病で視力を失った女性が、盲導犬とのふれあいを通して絶望の淵から立ち上がり成長していく姿を綴る。昭和56年5月、24歳で視力を失ってしまった元永しずくは、ベルナという名の盲導犬と対面する。しずくとベルナの新しい生活が始まる。しずくは、ベルナの力を借りて、同じく目の不自由な夫・隆一と2人で自分たちの子どもを育てたいと決意していた。しかし、盲導犬に対する理解が薄かったこの時代、しずくとベルナには、周囲の無知や偏見がもたらす様々な困難が待ち受けていた。

「ベルナのしっぽ」 の作品情報

作品情報

製作年: 2005年
製作国: 日本

「ベルナのしっぽ」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ

キャスト・スタッフ

脚本: 鈴木智鈴木智
原作: 郡司ななえ
撮影: 釘宮慎治
音楽: 和田貴史

関連作品

関連作品

夫のカノジョ

早咲きの花

HOTMAN 2

私の人生なのに

ユーザーレビュー:16件

入力内容に誤りがあります。

内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。

  • 入力内容に誤りがあります。

この作品に関するあなたの感想や意見を書いてみませんか?

1〜 5件 / 全16件

当たり前の、ありがたさ ネタバレ

投稿日:2008/01/27 レビュアー:masamune

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

レビューを表示する

原作者の郡司ななえさんは、執筆と平行して「ベルナのお話会」と言う講演を900回以上行なわれたそうです。今でこそ、盲導犬を受け入れるファースト・フード店も増えましたけど、私達の意識を考えた時に、盲導犬と出会った昭和56年と今で、健常者の理解も高まったのか?。

悪戯に啓蒙を誇張する福祉映画。障がい者(障害者の表記は改めるべき)と動物を組合わせた、お涙頂戴映画。盲導犬の現状を訴える教育映画、本作は何れにも該当しません。
陥り易い説教めいた演出は一切無く、あるのは自然な姿と、それを優しく包み込む人々の温かい眼差し・・・それだけ。
盲導犬が障がい者の「目」と成るだけでなく、未来への希望すら与えた事も教えてくれます。

白石美帆の演技も悪くない。目が見えない難役を、映画初主演と思えないナチュラルな演技は印象的でした。
ポジティブな白石美帆と対照的に、夫役の田辺誠一の抑えた演技も良かった。彼の全てを受け入れる穏やかな心情に、ベルナが絡んで、抜群のチームワークを見せてくれます。
情感溢れる演出手腕を発揮した山口監督は、長編初監督との事ですが、ニュートラルな作劇は秀逸でした。

評論家目線で見れば、起伏の少ない展開に物足り無さを感じるかもしれません。しかし誇張を排した演出は、よくある啓蒙映画と一線を画して、「普通」の本当の意味も代弁してると思うのです。
普通に暮らせる幸せを、普通に描く事で、当たり前の事は、実は難しい事なのだとベルナは教えてくれるのです。

静かで優しい映画、お薦めです。

このレビューは気に入りましたか? 15人の会員が気に入ったと投稿しています

全盲夫婦の本音の会話を、もっと聴きたかったです!

投稿日:2008/03/01 レビュアー:夢みるゆめ

物語は、全盲同士の夫婦が、当時としてはまだまだ珍しかった盲導犬(アイメイトのベルナ)を協会から借り受け、やがて主人公の元永しずく(白石美帆)が出産を経験し、その子供が成長して、後に盲導犬・ベルナと別れるまでの話が綴られています。
時代背景は、今でこそ、電車やバスで盲導犬を目にする機会が多くなった現在とは比べ物にならないほどに、盲導犬の存在自体が少なかった昭和56年から始まっていますが、盲導犬を連れた主人公のしずくへ向けられる好奇の目が、観客の私たちの心にまで、鋭く突き刺さってくる感覚を受けました。それだけ主人公に感情移入して見入っていました。

テレビドラマではちょっと意地悪な役が多かった白石美帆の演技がとても清潔で、共感を覚えます。
確かに、この手の物語では王道をゆく、展開の全てが既に見えてしまう、悪く言えば“お涙頂戴”映画なのですが、それでもこのような映画は私自身好きで、ついつい子供たちも含め、多くの方々に観て貰いたいと、声を大にして叫びたい気持で一杯でした。

ただ、幾つか気になったことがありました。一つは、映画の尺数の問題かも知れませんが、全盲の夫婦の、もっと奥深い悩みや本音を聴きたかったということ。何も全盲の人に限ったことではありませんが、世に生きる男女は言葉の積み重ねによって愛し、結ばれ、夫婦として生長してゆくものだと思います。
盲導犬を受け入れる時、子供を産むとき、ベルナが盲導犬として既に引退の危機にあった時、そして夫が病気になった時・・・。それぞれの節々で、この夫婦の人間としての叫びや本音を台詞にして欲しかったような気がします。それだけに台本が甘く下手に感じました。

それと、最近、町中でよく目にする光景ですが、ベビーカーを押して、スーパーやデパートなどの狭い通路に入って来ては、他人の通行も考えずに、平然と通路をふさいだり、母親同士長話をしている自己中心的な母親たちをみかけるのですが、この主人公のしずくにも、そんな“自己中”な我が儘さを、レストランに堂々と盲導犬を連れて入ってゆくその姿に感じたのは、私だけでしょうか。少子化世界だから、子供を持つ親を大目に見てよ!盲導犬だから、税金を払っているのだから対等に扱って!ということでは決してないと思います。
本来ならば、入口で断られたのなら、なぜに入れないかを支配人と協議した上で、偏見を取り除き利用することが大切なのであって、入ってから居座る的な、映画の中でのしずく行動は、世の中に盲導犬を観たことがない人が多かった時代なら尚更、理解しがたい行動に思えてしまったのですが・・・。

物語全体としては出来の良い作品だとは思うのですが、そんな描写や会話の少なさが、底の浅い作品にしてしまったような気がします。小説よりも更に深い何かを、映像としてこの映画に盛り込むべきだったのではないでしょうか。

このレビューは気に入りましたか? 10人の会員が気に入ったと投稿しています

生きるということ

投稿日:2009/01/15 レビュアー:kazupon

頑張る気持ちさえあれば
ひとは、一人でも生きられる?

しずくと、夫の隆一は共に目が不自由だった。
そんな二人が、誰の手も借りずに
子供を産んで育てていくと言い出せば、
親でなくても、ついつい言いたくなってしまうだろう。
「子育てっていうのはね、そんな生やさしいものじゃないのよ。どれだけ覚悟と責任が必要か……」

挑戦的にさえ見えるしずくの生き方。
それとは対照的に、
世間に自然と溶け込んで生きようとする隆一。

どちらがいいか?なんて愚問だ。
それぞれに、生き易いように生きたらいい。

物語の舞台は、昭和50年代の半ば。
盲導犬もまだ一般的に認知されておらず、
しずくが経験したように
盲導犬を連れて電車に乗ることも
喫茶店やレストランへの入店も拒否されるような
時代だった。
現代になっても、私は盲導犬を見かける機会もないが、
世の中はペットブームで
ペット同伴を許される店が増えてきている。
どなたかが指摘されていたように
「需要」こそが受け入れの条件になるのかもしれない。
(寂しいことに・・・)

この作品で、盲導犬に対する無知や偏見が
少しでも理解に変わってくれたなら・・・と、
願わずにはいられない。

盲導犬が、アイメイトとしてどれほど厳しく訓練され、
自分の身を犠牲にしてでも、主人を守りきる覚悟を持っているか。
踏み切り待ちの際のエピソードが、
それをよく物語ってくれている。

身体や精神に不自由さを持っているのは、
障害者と呼ばれる人たちだけではない。
怪我をした人、妊婦、お年寄り・・・
ほんの少しの思いやりや
親切に甘える心のゆとりがあれば
肩肘張らずに生きていけるような気がする。
それは、
自分以外のひとに優しくできない苛立ちや
誰かに助けて欲しいと願っている
今の私の気持ちのせいかも知れない。

だから、白い杖の男性に「そこ、水溜りですよ」と声をかけ
「ありがとう」と微笑んでもらえたのが嬉しかったし、
スーパーの駐車場で
「そのカート、私が使わせてもらいます」と持って行ってくれたひとに
「ありがとうございます」と素直に言えて嬉しかったのだと思う。

盲導犬の啓蒙や
盲導犬との感動のエピソードだけではなく、
私にもっと色々な事を考えさせ、気づかせてくれた作品。


このレビューは気に入りましたか? 4人の会員が気に入ったと投稿しています

障害需要とは

投稿日:2008/06/01 レビュアー:ゴマフ

 この作品のテーマは、「需要」ではないかと思います。失明という機能上の障害から生じてくる建築デザイナーとしての失職、行動の制限、親や周囲からの偏見と過度な関渉、そして障害を持つことによって自身の中に沸き起こってくるであろう不安や様々な思い等に対して主人候・しずくがどのような葛藤を持ち、それらをどのように受け留め、消化し、具体的に行動化し、そして和解していくのか、そのプロセスが、とても自然な形で丁寧に描かれていると思いました。
 いうまでもなくこの作品は、「障害需要」という特異な状態を取りあげたものではありますが、失職、離別、死別等何らかの「喪失体験」は、形こそ違えど全ての人が遭遇し得るものです。そのような人生の岐路に立つ時、だれもがしずくが味わったような失望、焦燥感等の思いに苛まれるものではないかと思います。また、「障害需要」とは、障害を有する当事者のみに課せられるものではなく、障害者の周囲を取り巻く全ての人が考え、社会側からも歩み寄らねばならない、より環境的な問題でもあろうかと思います。そのような近隣の人々に対するしずくの働きかけや、彼らの抵抗感、あるいは変化も自然に描かれていると思います。このように考えた時この作品は、全ての人にとって見る価値のあるより普遍的な内容と解することができるのではないかと思います。
 さて、私もまた元永しずく(=現作者の群司ななえ氏)と同様に視覚障害、全盲の者です。とはいえ、十歳未満の失明、男性、未婚、盲導犬未使用、そしてなによりも彼女が困難と直面せねばならなかった時代よりも、より障害者への理解が広がってきた十年程後に生きていることなど、異なる状態にあり、彼女と完全に同一の立場から感想は述べられませんが、私なりに感じたところを以下記したいと思います。
 より生き易くなるように世間と折り合いをつけていこうと心がける隆一に対して、同等であることは当然の権利とかなり気張って生きていこうとするしずく。このような、幼少期に失明した夫・隆一と、成人してから失明したしずくの障害者感の違いがよく描かれているように思います。特にそれは、電燈のスイッチのオン・オフの確認に象徴されているように思います。入室時に必ず手さぐりで点灯の有無を確認することが身についている隆一に対して、しずくはいまだ習慣化されておらず、心が乱れた時等にしばしば忘れてしまう。光覚のない2人にとって電燈は、実質的には不必要なものです。ではなぜ電燈を着けるのか。おそらく隆一は、生きていくためには、自分から健常者に生活習慣を合わせていくようにと幼少の頃から強くしつけられてきたのではないかと思います。それに対してしずくにとっての点燈行為は、これまでは暗くなったからつけるといった普通のことであり、灯りを要しなくなった今は、意識しなければ必要性も忘れてしまうようなものではないかと思います。しずくにとっての点燈行為の意味は、強いていえば見えていた日に対する単なる執着に基づくもののように思われます。
 しずくの執着は他にも、壁に張られた絵、あげもの料理、出産、育児等様々な場面に観察することができると思います。執着は時として実質を欠いたり、十分な吟味のないまま思いのみが先行してしまい空回りしたり、周囲と摩擦を生じたりしかねない一貫性のなさ、不安定さ、危険性を有しているものと思います。そのような彼女の危うさもよく描かれています。しかしそのような執着があったからこそ、彼女はベルナと出会い、隆太を産み、更には盲導犬が社会に認知される素地を作ってきた。そして今なおその努力を続けているのではないかと思います。
 「需要」とは、単に自身の置かれている状況、環境を漫然と受け留めるだけのものではなく、その状況においてどのように自身を律し、行動するかということにもかかっているのではないかと思います。
 盲導犬は、当初はセントバーナードのような頑強な犬が用いられていましたが、社会に受け入れられるよう愛らしいラブラドルが使用されるようになったと聞きます。この作品を通じて多くの人が、盲導犬に対しての理解をより深めていただければ幸いと思います。
 本作品には副音声解説が入れられており、私のような全盲の者にとっては場面を理解する上で大変に助かりました。これからもこのようなDVDが多く製作されることを期待したいと思います。

このレビューは気に入りましたか? 3人の会員が気に入ったと投稿しています

地味ですが良い作品。。。

投稿日:2008/02/24 レビュアー:キャップ

この作品は実話をベースに作られています。だから、それぞれのエピソードも全て作者である郡司ななえさんが体験してきたことなのでしょう。
一生懸命働く盲導犬に対する心無い行い。実際にやった人がいるかと思うと、心が痛みます。

そんな嫌なことや、盲導犬に対する世間の認知度の低さから来る様々な障害を乗り越え、前に突き進んでいく主人公しずくの生き方に心打たれました。自分がもし失明するということになったとき、あれほどまで強く生きることが出来るでしょうか。もっともっと頑張らなくちゃと、力をもらったような気がします。

主演の白石美帆さん、実年齢よりかなり高い年代まで頑張って演じていました。田辺誠一さん、こういうまっすぐな役も出来るんですね。どうも癖のある役の印象が強いです。子役の中村咲哉くん。なかなか印象深い演技をしていました。この子、シムソンズにも出ていたんですが、ここでもキーになる役を好演していました。このまま伸びたら、いい俳優さんになるかもしれません。
そして何より盲導犬役のワンちゃん。あれだけの感情表現をしてしまうのですからすごいですね。

このレビューは気に入りましたか? 3人の会員が気に入ったと投稿しています

1〜 5件 / 全16件

ベルナのしっぽ

ユーザーレビュー

入力内容に誤りがあります。

内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。

  • 入力内容に誤りがあります。

ユーザーレビュー:16件

当たり前の、ありがたさ

投稿日

2008/01/27

レビュアー

masamune

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

レビューを表示する

原作者の郡司ななえさんは、執筆と平行して「ベルナのお話会」と言う講演を900回以上行なわれたそうです。今でこそ、盲導犬を受け入れるファースト・フード店も増えましたけど、私達の意識を考えた時に、盲導犬と出会った昭和56年と今で、健常者の理解も高まったのか?。

悪戯に啓蒙を誇張する福祉映画。障がい者(障害者の表記は改めるべき)と動物を組合わせた、お涙頂戴映画。盲導犬の現状を訴える教育映画、本作は何れにも該当しません。
陥り易い説教めいた演出は一切無く、あるのは自然な姿と、それを優しく包み込む人々の温かい眼差し・・・それだけ。
盲導犬が障がい者の「目」と成るだけでなく、未来への希望すら与えた事も教えてくれます。

白石美帆の演技も悪くない。目が見えない難役を、映画初主演と思えないナチュラルな演技は印象的でした。
ポジティブな白石美帆と対照的に、夫役の田辺誠一の抑えた演技も良かった。彼の全てを受け入れる穏やかな心情に、ベルナが絡んで、抜群のチームワークを見せてくれます。
情感溢れる演出手腕を発揮した山口監督は、長編初監督との事ですが、ニュートラルな作劇は秀逸でした。

評論家目線で見れば、起伏の少ない展開に物足り無さを感じるかもしれません。しかし誇張を排した演出は、よくある啓蒙映画と一線を画して、「普通」の本当の意味も代弁してると思うのです。
普通に暮らせる幸せを、普通に描く事で、当たり前の事は、実は難しい事なのだとベルナは教えてくれるのです。

静かで優しい映画、お薦めです。

全盲夫婦の本音の会話を、もっと聴きたかったです!

投稿日

2008/03/01

レビュアー

夢みるゆめ

物語は、全盲同士の夫婦が、当時としてはまだまだ珍しかった盲導犬(アイメイトのベルナ)を協会から借り受け、やがて主人公の元永しずく(白石美帆)が出産を経験し、その子供が成長して、後に盲導犬・ベルナと別れるまでの話が綴られています。
時代背景は、今でこそ、電車やバスで盲導犬を目にする機会が多くなった現在とは比べ物にならないほどに、盲導犬の存在自体が少なかった昭和56年から始まっていますが、盲導犬を連れた主人公のしずくへ向けられる好奇の目が、観客の私たちの心にまで、鋭く突き刺さってくる感覚を受けました。それだけ主人公に感情移入して見入っていました。

テレビドラマではちょっと意地悪な役が多かった白石美帆の演技がとても清潔で、共感を覚えます。
確かに、この手の物語では王道をゆく、展開の全てが既に見えてしまう、悪く言えば“お涙頂戴”映画なのですが、それでもこのような映画は私自身好きで、ついつい子供たちも含め、多くの方々に観て貰いたいと、声を大にして叫びたい気持で一杯でした。

ただ、幾つか気になったことがありました。一つは、映画の尺数の問題かも知れませんが、全盲の夫婦の、もっと奥深い悩みや本音を聴きたかったということ。何も全盲の人に限ったことではありませんが、世に生きる男女は言葉の積み重ねによって愛し、結ばれ、夫婦として生長してゆくものだと思います。
盲導犬を受け入れる時、子供を産むとき、ベルナが盲導犬として既に引退の危機にあった時、そして夫が病気になった時・・・。それぞれの節々で、この夫婦の人間としての叫びや本音を台詞にして欲しかったような気がします。それだけに台本が甘く下手に感じました。

それと、最近、町中でよく目にする光景ですが、ベビーカーを押して、スーパーやデパートなどの狭い通路に入って来ては、他人の通行も考えずに、平然と通路をふさいだり、母親同士長話をしている自己中心的な母親たちをみかけるのですが、この主人公のしずくにも、そんな“自己中”な我が儘さを、レストランに堂々と盲導犬を連れて入ってゆくその姿に感じたのは、私だけでしょうか。少子化世界だから、子供を持つ親を大目に見てよ!盲導犬だから、税金を払っているのだから対等に扱って!ということでは決してないと思います。
本来ならば、入口で断られたのなら、なぜに入れないかを支配人と協議した上で、偏見を取り除き利用することが大切なのであって、入ってから居座る的な、映画の中でのしずく行動は、世の中に盲導犬を観たことがない人が多かった時代なら尚更、理解しがたい行動に思えてしまったのですが・・・。

物語全体としては出来の良い作品だとは思うのですが、そんな描写や会話の少なさが、底の浅い作品にしてしまったような気がします。小説よりも更に深い何かを、映像としてこの映画に盛り込むべきだったのではないでしょうか。

生きるということ

投稿日

2009/01/15

レビュアー

kazupon

頑張る気持ちさえあれば
ひとは、一人でも生きられる?

しずくと、夫の隆一は共に目が不自由だった。
そんな二人が、誰の手も借りずに
子供を産んで育てていくと言い出せば、
親でなくても、ついつい言いたくなってしまうだろう。
「子育てっていうのはね、そんな生やさしいものじゃないのよ。どれだけ覚悟と責任が必要か……」

挑戦的にさえ見えるしずくの生き方。
それとは対照的に、
世間に自然と溶け込んで生きようとする隆一。

どちらがいいか?なんて愚問だ。
それぞれに、生き易いように生きたらいい。

物語の舞台は、昭和50年代の半ば。
盲導犬もまだ一般的に認知されておらず、
しずくが経験したように
盲導犬を連れて電車に乗ることも
喫茶店やレストランへの入店も拒否されるような
時代だった。
現代になっても、私は盲導犬を見かける機会もないが、
世の中はペットブームで
ペット同伴を許される店が増えてきている。
どなたかが指摘されていたように
「需要」こそが受け入れの条件になるのかもしれない。
(寂しいことに・・・)

この作品で、盲導犬に対する無知や偏見が
少しでも理解に変わってくれたなら・・・と、
願わずにはいられない。

盲導犬が、アイメイトとしてどれほど厳しく訓練され、
自分の身を犠牲にしてでも、主人を守りきる覚悟を持っているか。
踏み切り待ちの際のエピソードが、
それをよく物語ってくれている。

身体や精神に不自由さを持っているのは、
障害者と呼ばれる人たちだけではない。
怪我をした人、妊婦、お年寄り・・・
ほんの少しの思いやりや
親切に甘える心のゆとりがあれば
肩肘張らずに生きていけるような気がする。
それは、
自分以外のひとに優しくできない苛立ちや
誰かに助けて欲しいと願っている
今の私の気持ちのせいかも知れない。

だから、白い杖の男性に「そこ、水溜りですよ」と声をかけ
「ありがとう」と微笑んでもらえたのが嬉しかったし、
スーパーの駐車場で
「そのカート、私が使わせてもらいます」と持って行ってくれたひとに
「ありがとうございます」と素直に言えて嬉しかったのだと思う。

盲導犬の啓蒙や
盲導犬との感動のエピソードだけではなく、
私にもっと色々な事を考えさせ、気づかせてくれた作品。


障害需要とは

投稿日

2008/06/01

レビュアー

ゴマフ

 この作品のテーマは、「需要」ではないかと思います。失明という機能上の障害から生じてくる建築デザイナーとしての失職、行動の制限、親や周囲からの偏見と過度な関渉、そして障害を持つことによって自身の中に沸き起こってくるであろう不安や様々な思い等に対して主人候・しずくがどのような葛藤を持ち、それらをどのように受け留め、消化し、具体的に行動化し、そして和解していくのか、そのプロセスが、とても自然な形で丁寧に描かれていると思いました。
 いうまでもなくこの作品は、「障害需要」という特異な状態を取りあげたものではありますが、失職、離別、死別等何らかの「喪失体験」は、形こそ違えど全ての人が遭遇し得るものです。そのような人生の岐路に立つ時、だれもがしずくが味わったような失望、焦燥感等の思いに苛まれるものではないかと思います。また、「障害需要」とは、障害を有する当事者のみに課せられるものではなく、障害者の周囲を取り巻く全ての人が考え、社会側からも歩み寄らねばならない、より環境的な問題でもあろうかと思います。そのような近隣の人々に対するしずくの働きかけや、彼らの抵抗感、あるいは変化も自然に描かれていると思います。このように考えた時この作品は、全ての人にとって見る価値のあるより普遍的な内容と解することができるのではないかと思います。
 さて、私もまた元永しずく(=現作者の群司ななえ氏)と同様に視覚障害、全盲の者です。とはいえ、十歳未満の失明、男性、未婚、盲導犬未使用、そしてなによりも彼女が困難と直面せねばならなかった時代よりも、より障害者への理解が広がってきた十年程後に生きていることなど、異なる状態にあり、彼女と完全に同一の立場から感想は述べられませんが、私なりに感じたところを以下記したいと思います。
 より生き易くなるように世間と折り合いをつけていこうと心がける隆一に対して、同等であることは当然の権利とかなり気張って生きていこうとするしずく。このような、幼少期に失明した夫・隆一と、成人してから失明したしずくの障害者感の違いがよく描かれているように思います。特にそれは、電燈のスイッチのオン・オフの確認に象徴されているように思います。入室時に必ず手さぐりで点灯の有無を確認することが身についている隆一に対して、しずくはいまだ習慣化されておらず、心が乱れた時等にしばしば忘れてしまう。光覚のない2人にとって電燈は、実質的には不必要なものです。ではなぜ電燈を着けるのか。おそらく隆一は、生きていくためには、自分から健常者に生活習慣を合わせていくようにと幼少の頃から強くしつけられてきたのではないかと思います。それに対してしずくにとっての点燈行為は、これまでは暗くなったからつけるといった普通のことであり、灯りを要しなくなった今は、意識しなければ必要性も忘れてしまうようなものではないかと思います。しずくにとっての点燈行為の意味は、強いていえば見えていた日に対する単なる執着に基づくもののように思われます。
 しずくの執着は他にも、壁に張られた絵、あげもの料理、出産、育児等様々な場面に観察することができると思います。執着は時として実質を欠いたり、十分な吟味のないまま思いのみが先行してしまい空回りしたり、周囲と摩擦を生じたりしかねない一貫性のなさ、不安定さ、危険性を有しているものと思います。そのような彼女の危うさもよく描かれています。しかしそのような執着があったからこそ、彼女はベルナと出会い、隆太を産み、更には盲導犬が社会に認知される素地を作ってきた。そして今なおその努力を続けているのではないかと思います。
 「需要」とは、単に自身の置かれている状況、環境を漫然と受け留めるだけのものではなく、その状況においてどのように自身を律し、行動するかということにもかかっているのではないかと思います。
 盲導犬は、当初はセントバーナードのような頑強な犬が用いられていましたが、社会に受け入れられるよう愛らしいラブラドルが使用されるようになったと聞きます。この作品を通じて多くの人が、盲導犬に対しての理解をより深めていただければ幸いと思います。
 本作品には副音声解説が入れられており、私のような全盲の者にとっては場面を理解する上で大変に助かりました。これからもこのようなDVDが多く製作されることを期待したいと思います。

地味ですが良い作品。。。

投稿日

2008/02/24

レビュアー

キャップ

この作品は実話をベースに作られています。だから、それぞれのエピソードも全て作者である郡司ななえさんが体験してきたことなのでしょう。
一生懸命働く盲導犬に対する心無い行い。実際にやった人がいるかと思うと、心が痛みます。

そんな嫌なことや、盲導犬に対する世間の認知度の低さから来る様々な障害を乗り越え、前に突き進んでいく主人公しずくの生き方に心打たれました。自分がもし失明するということになったとき、あれほどまで強く生きることが出来るでしょうか。もっともっと頑張らなくちゃと、力をもらったような気がします。

主演の白石美帆さん、実年齢よりかなり高い年代まで頑張って演じていました。田辺誠一さん、こういうまっすぐな役も出来るんですね。どうも癖のある役の印象が強いです。子役の中村咲哉くん。なかなか印象深い演技をしていました。この子、シムソンズにも出ていたんですが、ここでもキーになる役を好演していました。このまま伸びたら、いい俳優さんになるかもしれません。
そして何より盲導犬役のワンちゃん。あれだけの感情表現をしてしまうのですからすごいですね。

1〜 5件 / 全16件