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顔を白く塗り、横浜の街角に立ち続ける老婆。戦後50年間、娼婦としての生き方を貫き、“ハマのメリーさん”と呼ばれた彼女は、95年冬、忽然と姿を消した。弱冠30歳の中村高寛監督が、そんな伝説の女性の半生を追った感動ドキュメンタリー。
顔を白く塗り、横浜の街角に立ち続ける老婆。戦後50年間、娼婦としての生き方を貫き、“ハマのメリーさん”と呼ばれた彼女は、95年冬、忽然と姿を消した。弱冠30歳の中村高寛監督が、そんな伝説の女性の半生を追った感動ドキュメンタリー。
製作年: |
2005年 |
---|---|
製作国: |
日本 |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
92分 | 1:ドルビーデジタル/ステレオ/日本語 |
|
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
REDV00575W | 2007年02月14日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
11枚 | 1人 | 0人 |
収録時間:
92分
字幕:
音声:
1:ドルビーデジタル/ステレオ/日本語
レイティング:
記番:
REDV00575W
レンタル開始日:
2007年02月14日
在庫枚数
11枚
1位登録者:
1人
2位登録者:
0人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
92分 | 1:ドルビーデジタル/ステレオ/日本語 |
|
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
REDV00575W | 2007年02月14日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
11枚 | 1人 | 0人 |
収録時間:
92分
字幕:
音声:
1:ドルビーデジタル/ステレオ/日本語
レイティング:
記番:
REDV00575W
レンタル開始日:
2007年02月14日
在庫枚数
11枚
1位登録者:
1人
2位登録者:
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横浜育ちと言うことで、特別な感慨を持つのかも知れませんが、彼女の数奇な人生の一部をかいま見ることで、ますます我が横浜が好きになりました。
ラヴァ様が「ありがとう」のレビューの中で、こんちゃんは助平じじいなどと褒めて下さる(?)ものだから、お尻がこそばゆい。
「いや〜、とてもとても。ラヴァ様にはかないませぬ。まだまだ足下の爪の垢にすら届かんですよ」
とお返ししたいですな。
この作品は、横浜ニューテアトルでかかったときにやっと観たのですが、当初新宿で公開されて、
「なんで?何で横浜じゃないの?」
と思ったものです。ニューテアトルに順番待ちの行列ができるなんて、久しく見たことがなかったので、その関心の高さに嬉しくもありました。
彼女に関わった人たちの回顧録というようなものなので、メリーさん本人の映像はごくわずかです。彼女が何を思い、横浜で暮らしていたのかはうかがい知ることはできませんが、伊勢佐木町と共に生きたと言うことは、まざまざと浮かび上がって来ました。登場して、語ってくれる方は、ほとんどが俳優さんではないので、聞き取りにくかったりするのですが、それもまた作品の味というような気分にさせてくれます。
私が、伊勢佐木町で遊ぶようになった頃には、メリーさんはよく見かけたものの一線は退いていて、自分で客を取ることは無かったようです。女の子(韓国人や中国人が多かったみたいです)を客にあてがって小遣い銭を稼いでいたようですが、
「本当に気に入った客は、自分が相手にする」
という、まことしやかな噂が流れていました。当時、50は遙かに越えていたと思うので嘘臭いなとは思いましたが、そんな都市伝説になってしまうのも、彼女が地元横浜に根付いていたからなのでしょう。
彼女を取り巻く人たちも、白塗りの彼女が歩いている風景が横浜である。というかのように好意的に接していました。
私の母が一時、松坂屋に勤めていたのですが、松坂屋にパンを一つとか買いに来ては、大きな買い物袋を持っていったそうです。お店の人も彼女に
「大きな袋が欲しいの」
と言われれば、快くあげていたし、本当かどうかは知りませんが、彼女専用の外商部員がいたらしいです。(それほど高額な買い物もしないのに)
横浜に縁する人にとっては、ヨコハマメリーさんは特別な存在でしたけど、そうではない人にも彼女のことを知ってもらえて、この作品を高く評価してもらえるのは、横浜という街を評価してもらえるような、自分のことを褒められるような感覚があります。
ちなみにラヴァ様のヨコハマは平山三紀だそうですが、私の妹は美紀という名前で、平山家に嫁いだので、平山美紀であります。
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映画芸術のベスト10ワーストが出て ほぼ去年の映画の評価は出揃ったな この映画も案外いい評価かな そんな中 荒井晴彦はこれじゃあ ただメリーさんとゆう人が居ましたってだけの映画じゃないかって ある意味あたってること言ってます
もうメリーさんが可哀想で俺なんかだめ こうゆう映画 なんだけど くるりんさんがネタバレしちゃってるから しょうがないから言うけど 最後に故郷の養老院で生活してるメリーさんが出てきて軽く驚いちゃったのね その素顔のメリーさんはどこか品のある風情でインタヴューなど応じないんだけど それなりに晩年は幸福だったのか84歳で亡くなってるのね 俺ちょっとほっとしてとっても良かった しかし映画としては違和感が残るね このメリーさんの脱神話化ってなんなのだろう
田中登の「実録・阿部定」か中島貞夫の阿部定ものかどっちか忘れたけど 最後にやはり橋の上で本物の阿部定が出てくるシーンがあってこれにもびっくりしたんだけど それは映画を相対化するとともに重い実質のようを与えていたと思う そうゆうラストとは違っている
メリーさんはただの記号なのだろうか 平行してシャンソン歌手のおかまの人やその他の人の死が挿入されるとき メリーさんのお話は背景にのいてしまうし そうなるとメリーさんをめぐる物語とゆうより 失われた者への愛惜 それをも超えてヨコハマ=横浜 半分外国の基地の町へのレクィエムに感じてしまう のだが それはヨコハマ=横浜の過去と現在の何を描きたいのかが曖昧になってしまっているような印象を受けないだろうか
なによりも 戦後日本がメリーさんのような人々をうち捨てていった歴史の現実を描くべくであろう主題が どこかずれてしまったと感ずるのは俺だけだろうか ドキュメンタリーとしてはなかなか面白くてお勧めだが そんな問題も観る方は御一考していただきたい
ビューチフルなお話ね〜え 俺のヨコハマは平山三紀だ
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白塗りの顔に隠れた素顔、人を寄せ付けない異様な出で立ちはメリーさんにとっての心の鎧だったのでしょうね。ラストシークエンスでは、鎧を外した彼女の素顔が伺えますが、甲高い声と共に見せる笑顔もまた彼女の鎧に違いないと思います。
本作はその鎧を剥ぐ映画ではなく、メリーさんが存在した横浜の一時代を描き、生きる力強さを描写していますが、ちょっと待てよという曖昧さを感じてしまいます。
メリーさんの鎧を剥がさない分、彼女を知る人たちのインタビューで彼女の外郭を形作り、鎧に隠された中身をシャンソン歌手・永登元次郎に重ね合わせることで垣間見せていますが、"見せないこと"による神秘性によって、美化し、神話化しすぎてはいないでしょうか。
監督は公式ページ(http://www.cine-tre.com/yokohamamary/)で、
「「メリーさん」を通した「ヨコハマ」の一時代と、そこに生きた人たちを、ただひとつの現象として撮っただけだと思っている。しかし、その現象のなかにこそ、誰もがもつ、普遍的な人の営み、感情、人生が如実にあらわれるのではないだろうか。」
と語っていますが、だとすれば、横浜の一時代をもっと掘り下げるべきではないかと思うのです。「パンパンという職業があった。その中にメリーという娼婦がいた。」という語りならば分かるんだけど、「メリーという白塗りの娼婦がいた。その町は」と言う語りですから、メリーに重ね合わせるべきものは永登元次郎ではなく、その時代の娼婦であり横浜の町なんじゃないでしょうか。またその先には、時代が生み出した彼女たちを排除していった横浜の町もあるんじゃないだろうか。
ドキュメンタリーとしての構成の上手さもあると思うし、映画に関係した三人の死とメリーさんの死も重なり、神話化したメリーさんを"かわいそう"と感じさせはするんだけど、どこか日本映画がよく作る、ただただ感傷的な戦争映画と似通っているところもあり、曖昧さが否めない作品だと思います。
この構成で行くならば、少々心苦しいところはあるけれど、メリーさんの鎧に隠された彼女の素顔を追うのは必須だったと思います。これでは「メリーさんがいた」というだけで、彼女の周辺をいくら描いてみたところで、感傷的な作品にしかならないと思います。
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ユーザーレビュー:40件
投稿日
2007/06/18
レビュアー
こんちゃん※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
横浜育ちと言うことで、特別な感慨を持つのかも知れませんが、彼女の数奇な人生の一部をかいま見ることで、ますます我が横浜が好きになりました。
ラヴァ様が「ありがとう」のレビューの中で、こんちゃんは助平じじいなどと褒めて下さる(?)ものだから、お尻がこそばゆい。
「いや〜、とてもとても。ラヴァ様にはかないませぬ。まだまだ足下の爪の垢にすら届かんですよ」
とお返ししたいですな。
この作品は、横浜ニューテアトルでかかったときにやっと観たのですが、当初新宿で公開されて、
「なんで?何で横浜じゃないの?」
と思ったものです。ニューテアトルに順番待ちの行列ができるなんて、久しく見たことがなかったので、その関心の高さに嬉しくもありました。
彼女に関わった人たちの回顧録というようなものなので、メリーさん本人の映像はごくわずかです。彼女が何を思い、横浜で暮らしていたのかはうかがい知ることはできませんが、伊勢佐木町と共に生きたと言うことは、まざまざと浮かび上がって来ました。登場して、語ってくれる方は、ほとんどが俳優さんではないので、聞き取りにくかったりするのですが、それもまた作品の味というような気分にさせてくれます。
私が、伊勢佐木町で遊ぶようになった頃には、メリーさんはよく見かけたものの一線は退いていて、自分で客を取ることは無かったようです。女の子(韓国人や中国人が多かったみたいです)を客にあてがって小遣い銭を稼いでいたようですが、
「本当に気に入った客は、自分が相手にする」
という、まことしやかな噂が流れていました。当時、50は遙かに越えていたと思うので嘘臭いなとは思いましたが、そんな都市伝説になってしまうのも、彼女が地元横浜に根付いていたからなのでしょう。
彼女を取り巻く人たちも、白塗りの彼女が歩いている風景が横浜である。というかのように好意的に接していました。
私の母が一時、松坂屋に勤めていたのですが、松坂屋にパンを一つとか買いに来ては、大きな買い物袋を持っていったそうです。お店の人も彼女に
「大きな袋が欲しいの」
と言われれば、快くあげていたし、本当かどうかは知りませんが、彼女専用の外商部員がいたらしいです。(それほど高額な買い物もしないのに)
横浜に縁する人にとっては、ヨコハマメリーさんは特別な存在でしたけど、そうではない人にも彼女のことを知ってもらえて、この作品を高く評価してもらえるのは、横浜という街を評価してもらえるような、自分のことを褒められるような感覚があります。
ちなみにラヴァ様のヨコハマは平山三紀だそうですが、私の妹は美紀という名前で、平山家に嫁いだので、平山美紀であります。
投稿日
2007/02/20
レビュアー
裸足のラヴァース※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
映画芸術のベスト10ワーストが出て ほぼ去年の映画の評価は出揃ったな この映画も案外いい評価かな そんな中 荒井晴彦はこれじゃあ ただメリーさんとゆう人が居ましたってだけの映画じゃないかって ある意味あたってること言ってます
もうメリーさんが可哀想で俺なんかだめ こうゆう映画 なんだけど くるりんさんがネタバレしちゃってるから しょうがないから言うけど 最後に故郷の養老院で生活してるメリーさんが出てきて軽く驚いちゃったのね その素顔のメリーさんはどこか品のある風情でインタヴューなど応じないんだけど それなりに晩年は幸福だったのか84歳で亡くなってるのね 俺ちょっとほっとしてとっても良かった しかし映画としては違和感が残るね このメリーさんの脱神話化ってなんなのだろう
田中登の「実録・阿部定」か中島貞夫の阿部定ものかどっちか忘れたけど 最後にやはり橋の上で本物の阿部定が出てくるシーンがあってこれにもびっくりしたんだけど それは映画を相対化するとともに重い実質のようを与えていたと思う そうゆうラストとは違っている
メリーさんはただの記号なのだろうか 平行してシャンソン歌手のおかまの人やその他の人の死が挿入されるとき メリーさんのお話は背景にのいてしまうし そうなるとメリーさんをめぐる物語とゆうより 失われた者への愛惜 それをも超えてヨコハマ=横浜 半分外国の基地の町へのレクィエムに感じてしまう のだが それはヨコハマ=横浜の過去と現在の何を描きたいのかが曖昧になってしまっているような印象を受けないだろうか
なによりも 戦後日本がメリーさんのような人々をうち捨てていった歴史の現実を描くべくであろう主題が どこかずれてしまったと感ずるのは俺だけだろうか ドキュメンタリーとしてはなかなか面白くてお勧めだが そんな問題も観る方は御一考していただきたい
ビューチフルなお話ね〜え 俺のヨコハマは平山三紀だ
投稿日
2007/06/25
レビュアー
ケチケチ※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
白塗りの顔に隠れた素顔、人を寄せ付けない異様な出で立ちはメリーさんにとっての心の鎧だったのでしょうね。ラストシークエンスでは、鎧を外した彼女の素顔が伺えますが、甲高い声と共に見せる笑顔もまた彼女の鎧に違いないと思います。
本作はその鎧を剥ぐ映画ではなく、メリーさんが存在した横浜の一時代を描き、生きる力強さを描写していますが、ちょっと待てよという曖昧さを感じてしまいます。
メリーさんの鎧を剥がさない分、彼女を知る人たちのインタビューで彼女の外郭を形作り、鎧に隠された中身をシャンソン歌手・永登元次郎に重ね合わせることで垣間見せていますが、"見せないこと"による神秘性によって、美化し、神話化しすぎてはいないでしょうか。
監督は公式ページ(http://www.cine-tre.com/yokohamamary/)で、
「「メリーさん」を通した「ヨコハマ」の一時代と、そこに生きた人たちを、ただひとつの現象として撮っただけだと思っている。しかし、その現象のなかにこそ、誰もがもつ、普遍的な人の営み、感情、人生が如実にあらわれるのではないだろうか。」
と語っていますが、だとすれば、横浜の一時代をもっと掘り下げるべきではないかと思うのです。「パンパンという職業があった。その中にメリーという娼婦がいた。」という語りならば分かるんだけど、「メリーという白塗りの娼婦がいた。その町は」と言う語りですから、メリーに重ね合わせるべきものは永登元次郎ではなく、その時代の娼婦であり横浜の町なんじゃないでしょうか。またその先には、時代が生み出した彼女たちを排除していった横浜の町もあるんじゃないだろうか。
ドキュメンタリーとしての構成の上手さもあると思うし、映画に関係した三人の死とメリーさんの死も重なり、神話化したメリーさんを"かわいそう"と感じさせはするんだけど、どこか日本映画がよく作る、ただただ感傷的な戦争映画と似通っているところもあり、曖昧さが否めない作品だと思います。
この構成で行くならば、少々心苦しいところはあるけれど、メリーさんの鎧に隠された彼女の素顔を追うのは必須だったと思います。これでは「メリーさんがいた」というだけで、彼女の周辺をいくら描いてみたところで、感傷的な作品にしかならないと思います。
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ヨコハマメリー