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ジキル博士とハイド氏<コレクターズ・エディション>
ジキル博士とハイド氏<コレクターズ・エディション>
ジキル博士とハイド氏<コレクターズ・エディション> / フレデリック・マーチ
ジキル博士とハイド氏<コレクターズ・エディション>
/ルーベン・マムーリアン
平均評価点:
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全体の平均評価点: (5点満点)
(7)
解説・ストーリー
SIDE-A 1932年版:人間の凶悪な部分を薬で除去する研究を続ける若き医師、ジキル博士は研究に没頭し、婚約者マリエルとのデートもすっぽかすほどであった。そんな中、偶然研究とは逆の、人間の「善」の部分を除去する薬を発明し、強い好奇心に駆られて、服用してしまう。そうしてジキルの「善」の部分を取り去って産まれたハイドは「悪」の魅力にとりつかれて悪行の数々を繰りかえすのだった・・・。<BR>SIDE-B 1941年版:若き医師、ジキル博士は研究熱心で秀才の呼び声も高く、恩師チャールズ・エムリーの娘ビアトリクスとも婚約中の身であった。そんなジキルだったが、恩師の反対にもめげず、精神を「善」と「悪」とに分離させる研究に熱中しており、それを可能にさせる薬剤を作ることに成功したのである。あるきっかけからそれを飲んだジキルは、かつてないような荒々しい気持ちを感じ、また人相も全く変わってしまったのだった。
SIDE-A 1932年版:人間の凶悪な部分を薬で除去する研究を続ける若き医師、ジキル博士は研究に没頭し、婚約者マリエルとのデートもすっぽかすほどであった。そんな中、偶然研究とは逆の、人間の「善」の部分を除去する薬を発明し、強い好奇心に駆られて、服用してしまう。そうしてジキルの「善」の部分を取り去って産まれたハイドは「悪」の魅力にとりつかれて悪行の数々を繰りかえすのだった・・・。<BR>SIDE-B 1941年版:若き医師、ジキル博士は研究熱心で秀才の呼び声も高く、恩師チャールズ・エムリーの娘ビアトリクスとも婚約中の身であった。そんなジキルだったが、恩師の反対にもめげず、精神を「善」と「悪」とに分離させる研究に熱中しており、それを可能にさせる薬剤を作ることに成功したのである。あるきっかけからそれを飲んだジキルは、かつてないような荒々しい気持ちを感じ、また人相も全く変わってしまったのだった。
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「ジキル博士とハイド氏<コレクターズ・エディション>」 の解説・あらすじ・ストーリー
解説・ストーリー
SIDE-A 1932年版:人間の凶悪な部分を薬で除去する研究を続ける若き医師、ジキル博士は研究に没頭し、婚約者マリエルとのデートもすっぽかすほどであった。そんな中、偶然研究とは逆の、人間の「善」の部分を除去する薬を発明し、強い好奇心に駆られて、服用してしまう。そうしてジキルの「善」の部分を取り去って産まれたハイドは「悪」の魅力にとりつかれて悪行の数々を繰りかえすのだった・・・。<BR>SIDE-B 1941年版:若き医師、ジキル博士は研究熱心で秀才の呼び声も高く、恩師チャールズ・エムリーの娘ビアトリクスとも婚約中の身であった。そんなジキルだったが、恩師の反対にもめげず、精神を「善」と「悪」とに分離させる研究に熱中しており、それを可能にさせる薬剤を作ることに成功したのである。あるきっかけからそれを飲んだジキルは、かつてないような荒々しい気持ちを感じ、また人相も全く変わってしまったのだった。
「ジキル博士とハイド氏<コレクターズ・エディション>」 の作品情報
「ジキル博士とハイド氏<コレクターズ・エディション>」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
ジキル博士とハイド氏 コレクターズ・エディションの詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
209分 |
|
1:ドルビーデジタル/モノラル/英語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
DLR67056 |
2006年09月29日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
1枚
|
0人
|
0人
|
ジキル博士とハイド氏 コレクターズ・エディションの詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
209分 |
|
1:ドルビーデジタル/モノラル/英語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
DLR67056 |
2006年09月29日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
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ユーザーレビュー:7件
1932年版のリメイク作品
※B面1941年版
監督:ヴィクター・フレミング(1941年・米・113分・モノクロ)
原作:ロバート・ルイス・スティーブンソン『The Strange Case of Dr.Jekyll and Mr.Hide』
先日観た1932年版(ルーベン・マムーリアン監督)のリメイク。
私が子供の頃にテレビで観たのは、おそらく本作だろう。ジキルがハイドに変身した姿から、そのように思う。
1932年版での変身後のハイド氏の姿は原型を留めず、どちらかと言うと狼男を連想させる姿だった。
本作のハイド氏は、幾分ジキル博士という土台が見える気がする。
原作が同じなので、ストーリー(あらすじ)は殆ど同じだった。それでも、いくつかの相違点を挙げることは出来る。
先ず、ジキル博士の研究(持論)を発表する場が、大学の講堂から晩餐会の場に変更されている。
その晩餐会の席で、人間の持つ“善”と“悪”の二面性を説き、魂によって鎖で繋がれている二つを断ち切ることが出来れば“善”は解き放たれ高潔な人物になる。
そのようにジキル博士は言うのだが、その場にいた牧師から「それは神にお任せして、人為的に操作してはならないものだ」と諭される。
観ていて思ったことだが、ジキル博士は人間の“悪”の部分を切り捨て、“善”だけを残すことが出来ると信じて疑わなかったことが、悲劇(神への冒涜)の原因ではなかっただろうか。
ジキル博士の研究は、すでに動物実験から人体実験の段階まで来ていた。そして、我が身を実験台にしたのだ。
レビュー冒頭でも触れたが、ジキル博士からハイド氏への変身の様子が、大きな相違点だ。
過去作のように人間離れした変化ではなく、人格の変化に より重点が置かれていたと思う。
1932年版のレビューでは、酒場の女アイヴィーを自分の意のままにしようとして、結果的にはアイヴィーを苦しめ傷つけることになった経緯を書かなかった。
今思えば、そのシーンでのハイド氏の態度、また、それを認識しているジキル博士の内面の葛藤こそ、本作のテーマであった。
“善”の部分だけを残すはずが、“悪”の部分がのさばり、“悪”が人格を乗っ取ってしまうことの恐怖。
“悪”であるハイド氏を殺せば、必然的にジキル博士を殺すことになる。
人間の持つ二面性、あるいは多面性、複数の人格、その分離など、現代でも形を変えて小説や映画のテーマとして使われている。
つくづく、原作者(スティーブンソン)の発想と着眼に驚くばかりだ。
※このディスクについて。
裏・表の区別がつかないディスクだが、A面に1932年版、その裏側のB面に1942年版が収録されている。
他のレビュアーさんも仰っている様に、1枚で両方の見比べが出来ると言うスグレモノ。お得感に満足感。
「裸足のラヴァース」さんのレビューによると、
―この二本 編者は意識してない感じだけど 30年代には残っていた
サイレント映画の語り方が 40年代には消滅している
その比較として貴重な二本立てなのよ―
また、「趣味は洋画」さんの
―ジキルがハイドへと変身していく場面は、32年版のほうが強烈です―
これらのレビューを参考に、二作品を味わい楽しめた。(映画はいいなあ。)
コメント欄にて、キャストを紹介。
このレビューは気に入りましたか?
6人の会員が気に入ったと投稿しています
ホラーというよりは 怪奇映画でしょう
※A面1932年版
監督:ルーベン・マムーリアン(1932年・米・96分・モノクロ)
原作:ロバート・ルイス・スティーブンソン『The Strange Case of Dr.Jekyll and Mr.Hide』
子供の頃に観た記憶しかないので、それが本作だったのかは、判別がつかない。
覚えているのは、ジキル博士は善い人で、薬を飲むと悪いハイド氏に変わってしまうという事だけ。(子供時代の感想です。)
《ジキル博士の講義内容》
「人の魂について」
人間の精神は二つに分割可能で、一つは気高さを求めるタイプ。いわゆる“善の自己”
もう一つは、本能の赴くまま、やりたい放題の人生を謳歌するタイプ。“悪の自己”
この二つがせめぎ合うのが人間で、その二つは鎖で繋がれ、悪が抑制されている。
もし、この二つを切り離したなら、「善は自由となり、悪は解き放たれたことに満足し、無害となる筈である。
ちょっと何言っちゃってるの?意味、分かんない。
と、私は思う訳だけど、ジキル博士の自宅と繋がった研究室では、すでに“クスリ”は完成していて、ジキル博士は飲んでしまう。
端正な顔立ちのジキル博士(フレデリック・マーチ)の顔や手が黒ずんで毛深くなっていき、顔つきも姿勢も変化して行く。
やがて、そこに現れたのは、悪の精神を持ったハイド氏(フレデリック・マーチ/二役)だった。
この変化の過程は、1932年の技術としては相当頑張ったと思える。
私が「インビジブル(2000年)」でケヴィン・ベーコンが透明人間になっていく過程を観た時と同じように、多分、当時の観客もその変化していく様子を画面を凝視して観ていたのではないだろうか。
ただ、ハイド氏の顔が大写しになった時、鼻の孔を黒く塗りつぶしてあって、まるで北島三郎の真似をする時の芸人さんみたいで、複雑な気分。(笑)
スミマセン。脱線しました。
ジキル博士の講義のように、悪のハイド氏が開放されて無害になることはなく、次第にクスリを飲まなくてもハイド氏が出現するようになってしまう。
神の領域に手を出したことを後悔するジキル博士だったが、迎えた結末は悲惨だった。
人間の内にある“善”と“悪”を、ジキル博士とハイド氏という二つのキャラクターで描いたのは、すごく斬新なことだったと思う。
※このディスクは、A面に1932年版、B面に1341年版が収録されている。
なお、ジキル博士からハイド氏への変身シーンの種明かしの記事を見つけたので、コメント欄で紹介。
このレビューは気に入りましたか?
5人の会員が気に入ったと投稿しています
人間ノ心ハ、善ト悪デ出来テイマースというおとぎ話。
エンターテインメントソフト「成分解析」ふうに言えば人間の精神の50%は善でできていて、あとの50%は悪でできています、みたいな言い方を二元論と呼ぶ(のかな?)。
とするとジキルとハイドってのは二元論の申し子みたいだと言いたくなるけれど、よくよく考えると善と悪の二分法には、人間は究極の完璧さには到達できないという大前提が隠されてるんじゃないか? 絶対的なモノは神だけで、神ならぬ身の人間にはとうてい究極の善も絶対的な悪も実現できない。絶対者への帰依という感情はよくわかりませんが、たぶんそんなところから神に対してへりくだる気持ちも生まれるんでしょう?(そうやって寄りかかるモノがほしいから人類は神を発明したんだな、てなこと言うと大恥をかくかもしれないからやめておきましょう。聞かなかったことにしてください^^)
ハイドは悪のみを“抽出した”モノという設定だから、ジキルとハイドの関係が善と悪の対立になるのは、実は理屈に合いません。ジキルの人格は善か悪かだけでは計り知れない統合された内容を持っているはずだから(仮にジキルがいかなる悪とも無縁な清らかな男なら、薬を飲んでもハイドは“抽出”されないでしょ)
32年版は41年版に比べ、ジキルとハイド、善と悪の対照を際立たせようとしている。
41年版ではジキルの性格がやや曖昧になっているような気がする。ばりばりの善人ではないという点はうなずけるけど、そうだとすると逆にもっと曖昧で、ドロドロした感じの人間として描かれなければならなかったでしょうね。でも、観客にとってあまりにも予測不能なハイドにしてしまうとジキルの必要性がなくなって映画が壊れマス。
ジキルとハイドの変わりっぷりが与えるインパクトは32年版の方が強い。だからといって娯楽作品としてそっちの方が成功しているとも言い切れない。
そっちしか見られなかったら、このレビューのような遊びを私は思いつかなっただろうから。その意味で、両方を見ることはどちらか1本だけを見るよりも確かに面白い。
このディスクは両面に記録されてるので、取り扱いはちょっと慎重にしないといけません。
TSUTAYA DISCAS>レビュー広場>2008年6月30日 月曜日 午前3時12分
このレビューは気に入りましたか?
5人の会員が気に入ったと投稿しています
両方、一挙に観れる!
投稿日:2014/10/19
レビュアー:趣味は洋画
あまりにも有名なロバート・ルイス・スティーヴンソン原作の小説です。 これを映画化した作品が2本続けて観られるとは...さすがTSUTAYA DISCASさん、有難うございました。
「レンタル仮面」さんも書かれているように、この映画は32年版、41年版、どちらか1本観るだけよりも、両方観るほうがはるかに面白いです。
初作は1920年「狂へる悪魔」(ジョン・バリモア主演)だそうですが、同年に「ジキル博士とハイド氏」がアメリカ映画、ドイツ映画と2本製作されているようです。
この1932年版はその後に発表された作品で、フレデリック・マーチがジキル&ハイドに扮しています。 F・マーチといえば46年「我等の生涯の最良の年」で帰還兵の銀行員役を演じ、アカデミー主演男優賞を獲得しています。
つまり本作に続いてのオスカー受賞でした。ほかにも、共にウィリアム・ホールデンと共演した54年「重役室」、55年「トコリの橋」や、55年「必死の逃亡者」、56年「灰色の服を着た男」、64年「五月の七日間」、67年「太陽の中の対決」など、どれも作品の鍵を握る重要な役柄で登場しています。その彼が‘ハイド’を演じ、ギャップの大きさとイメージの変貌ぶりにも驚かされます。
変貌ぶりといえば、相手役のミリアム・ホプキンスですが、本作以外には61年「噂の二人」、66年「逃亡地帯」くらいしか見てませんので、30年以上経った彼女の‘変貌ぶり’(?)にもビックリでした。いい歳のとり方をされてますね。
1941年版は、これまた名優のスペンサー・トレイシーがジキル&ハイド役です。彼の出演作品はとても書ききれない数ですので省略させていただきますが、こちらのほうは、監督に注目です。
そう、39年「風と共に去りぬ」で監督賞受賞のヴィクター・フレミングです。 これまた‘ビックリ’で、風と共に..と本作はあまりにもジャンルが違いすぎますから...
又、キャストは41年版のほうが華やかで、相手役のイングリッド・バーグマンをはじめ、ラナ・ターナー、ドナルド・クリスプ、バートン・マクレインに加え、Sir・C・オーブリー・スミスまで登場させる充実ぶりです。
そしてもう一つ、「霧のロンドン」らしさも41年版のほうが圧倒的にいい。
96年「ジキル&ハイド」(スティーブン・フリアーズ監督)という作品もありますが、ジュリア・ロバーツ扮する家政婦の目から描いた一遍で、それはそれで楽しい作品もありますね。(ジキル&ハイドはジョン・マルコヴィッチ)
最後に、ジキルがハイドへと変身していく場面は、32年版のほうが強烈です。 いずれにしても‘遠い昔の、それこそ映画の世界’です。
このレビューは気に入りましたか?
2人の会員が気に入ったと投稿しています
一見の価値あり・面白い
32年版のジキル役とハイド役は別人が演じてると思ったら同じ役者だったので驚いた。CGもない時代に良く頑張ってるし面白い。41年版は役者が豪華になったのに32年版を越えられない。バーグマンの大袈裟な演技は笑える。ジギルとの初対面で誘惑するところはバーグマンの意外な性的魅力が堪能出来ます。
このレビューは気に入りましたか?
2人の会員が気に入ったと投稿しています
ユーザーレビュー
1932年版のリメイク作品
投稿日
2021/06/02
レビュアー
kazupon
※B面1941年版
監督:ヴィクター・フレミング(1941年・米・113分・モノクロ)
原作:ロバート・ルイス・スティーブンソン『The Strange Case of Dr.Jekyll and Mr.Hide』
先日観た1932年版(ルーベン・マムーリアン監督)のリメイク。
私が子供の頃にテレビで観たのは、おそらく本作だろう。ジキルがハイドに変身した姿から、そのように思う。
1932年版での変身後のハイド氏の姿は原型を留めず、どちらかと言うと狼男を連想させる姿だった。
本作のハイド氏は、幾分ジキル博士という土台が見える気がする。
原作が同じなので、ストーリー(あらすじ)は殆ど同じだった。それでも、いくつかの相違点を挙げることは出来る。
先ず、ジキル博士の研究(持論)を発表する場が、大学の講堂から晩餐会の場に変更されている。
その晩餐会の席で、人間の持つ“善”と“悪”の二面性を説き、魂によって鎖で繋がれている二つを断ち切ることが出来れば“善”は解き放たれ高潔な人物になる。
そのようにジキル博士は言うのだが、その場にいた牧師から「それは神にお任せして、人為的に操作してはならないものだ」と諭される。
観ていて思ったことだが、ジキル博士は人間の“悪”の部分を切り捨て、“善”だけを残すことが出来ると信じて疑わなかったことが、悲劇(神への冒涜)の原因ではなかっただろうか。
ジキル博士の研究は、すでに動物実験から人体実験の段階まで来ていた。そして、我が身を実験台にしたのだ。
レビュー冒頭でも触れたが、ジキル博士からハイド氏への変身の様子が、大きな相違点だ。
過去作のように人間離れした変化ではなく、人格の変化に より重点が置かれていたと思う。
1932年版のレビューでは、酒場の女アイヴィーを自分の意のままにしようとして、結果的にはアイヴィーを苦しめ傷つけることになった経緯を書かなかった。
今思えば、そのシーンでのハイド氏の態度、また、それを認識しているジキル博士の内面の葛藤こそ、本作のテーマであった。
“善”の部分だけを残すはずが、“悪”の部分がのさばり、“悪”が人格を乗っ取ってしまうことの恐怖。
“悪”であるハイド氏を殺せば、必然的にジキル博士を殺すことになる。
人間の持つ二面性、あるいは多面性、複数の人格、その分離など、現代でも形を変えて小説や映画のテーマとして使われている。
つくづく、原作者(スティーブンソン)の発想と着眼に驚くばかりだ。
※このディスクについて。
裏・表の区別がつかないディスクだが、A面に1932年版、その裏側のB面に1942年版が収録されている。
他のレビュアーさんも仰っている様に、1枚で両方の見比べが出来ると言うスグレモノ。お得感に満足感。
「裸足のラヴァース」さんのレビューによると、
―この二本 編者は意識してない感じだけど 30年代には残っていた
サイレント映画の語り方が 40年代には消滅している
その比較として貴重な二本立てなのよ―
また、「趣味は洋画」さんの
―ジキルがハイドへと変身していく場面は、32年版のほうが強烈です―
これらのレビューを参考に、二作品を味わい楽しめた。(映画はいいなあ。)
コメント欄にて、キャストを紹介。
ホラーというよりは 怪奇映画でしょう
投稿日
2021/06/01
レビュアー
kazupon
※A面1932年版
監督:ルーベン・マムーリアン(1932年・米・96分・モノクロ)
原作:ロバート・ルイス・スティーブンソン『The Strange Case of Dr.Jekyll and Mr.Hide』
子供の頃に観た記憶しかないので、それが本作だったのかは、判別がつかない。
覚えているのは、ジキル博士は善い人で、薬を飲むと悪いハイド氏に変わってしまうという事だけ。(子供時代の感想です。)
《ジキル博士の講義内容》
「人の魂について」
人間の精神は二つに分割可能で、一つは気高さを求めるタイプ。いわゆる“善の自己”
もう一つは、本能の赴くまま、やりたい放題の人生を謳歌するタイプ。“悪の自己”
この二つがせめぎ合うのが人間で、その二つは鎖で繋がれ、悪が抑制されている。
もし、この二つを切り離したなら、「善は自由となり、悪は解き放たれたことに満足し、無害となる筈である。
ちょっと何言っちゃってるの?意味、分かんない。
と、私は思う訳だけど、ジキル博士の自宅と繋がった研究室では、すでに“クスリ”は完成していて、ジキル博士は飲んでしまう。
端正な顔立ちのジキル博士(フレデリック・マーチ)の顔や手が黒ずんで毛深くなっていき、顔つきも姿勢も変化して行く。
やがて、そこに現れたのは、悪の精神を持ったハイド氏(フレデリック・マーチ/二役)だった。
この変化の過程は、1932年の技術としては相当頑張ったと思える。
私が「インビジブル(2000年)」でケヴィン・ベーコンが透明人間になっていく過程を観た時と同じように、多分、当時の観客もその変化していく様子を画面を凝視して観ていたのではないだろうか。
ただ、ハイド氏の顔が大写しになった時、鼻の孔を黒く塗りつぶしてあって、まるで北島三郎の真似をする時の芸人さんみたいで、複雑な気分。(笑)
スミマセン。脱線しました。
ジキル博士の講義のように、悪のハイド氏が開放されて無害になることはなく、次第にクスリを飲まなくてもハイド氏が出現するようになってしまう。
神の領域に手を出したことを後悔するジキル博士だったが、迎えた結末は悲惨だった。
人間の内にある“善”と“悪”を、ジキル博士とハイド氏という二つのキャラクターで描いたのは、すごく斬新なことだったと思う。
※このディスクは、A面に1932年版、B面に1341年版が収録されている。
なお、ジキル博士からハイド氏への変身シーンの種明かしの記事を見つけたので、コメント欄で紹介。
人間ノ心ハ、善ト悪デ出来テイマースというおとぎ話。
投稿日
2008/06/30
レビュアー
レンタル仮面
エンターテインメントソフト「成分解析」ふうに言えば人間の精神の50%は善でできていて、あとの50%は悪でできています、みたいな言い方を二元論と呼ぶ(のかな?)。
とするとジキルとハイドってのは二元論の申し子みたいだと言いたくなるけれど、よくよく考えると善と悪の二分法には、人間は究極の完璧さには到達できないという大前提が隠されてるんじゃないか? 絶対的なモノは神だけで、神ならぬ身の人間にはとうてい究極の善も絶対的な悪も実現できない。絶対者への帰依という感情はよくわかりませんが、たぶんそんなところから神に対してへりくだる気持ちも生まれるんでしょう?(そうやって寄りかかるモノがほしいから人類は神を発明したんだな、てなこと言うと大恥をかくかもしれないからやめておきましょう。聞かなかったことにしてください^^)
ハイドは悪のみを“抽出した”モノという設定だから、ジキルとハイドの関係が善と悪の対立になるのは、実は理屈に合いません。ジキルの人格は善か悪かだけでは計り知れない統合された内容を持っているはずだから(仮にジキルがいかなる悪とも無縁な清らかな男なら、薬を飲んでもハイドは“抽出”されないでしょ)
32年版は41年版に比べ、ジキルとハイド、善と悪の対照を際立たせようとしている。
41年版ではジキルの性格がやや曖昧になっているような気がする。ばりばりの善人ではないという点はうなずけるけど、そうだとすると逆にもっと曖昧で、ドロドロした感じの人間として描かれなければならなかったでしょうね。でも、観客にとってあまりにも予測不能なハイドにしてしまうとジキルの必要性がなくなって映画が壊れマス。
ジキルとハイドの変わりっぷりが与えるインパクトは32年版の方が強い。だからといって娯楽作品としてそっちの方が成功しているとも言い切れない。
そっちしか見られなかったら、このレビューのような遊びを私は思いつかなっただろうから。その意味で、両方を見ることはどちらか1本だけを見るよりも確かに面白い。
このディスクは両面に記録されてるので、取り扱いはちょっと慎重にしないといけません。
TSUTAYA DISCAS>レビュー広場>2008年6月30日 月曜日 午前3時12分
両方、一挙に観れる!
投稿日
2014/10/19
レビュアー
趣味は洋画
あまりにも有名なロバート・ルイス・スティーヴンソン原作の小説です。 これを映画化した作品が2本続けて観られるとは...さすがTSUTAYA DISCASさん、有難うございました。
「レンタル仮面」さんも書かれているように、この映画は32年版、41年版、どちらか1本観るだけよりも、両方観るほうがはるかに面白いです。
初作は1920年「狂へる悪魔」(ジョン・バリモア主演)だそうですが、同年に「ジキル博士とハイド氏」がアメリカ映画、ドイツ映画と2本製作されているようです。
この1932年版はその後に発表された作品で、フレデリック・マーチがジキル&ハイドに扮しています。 F・マーチといえば46年「我等の生涯の最良の年」で帰還兵の銀行員役を演じ、アカデミー主演男優賞を獲得しています。
つまり本作に続いてのオスカー受賞でした。ほかにも、共にウィリアム・ホールデンと共演した54年「重役室」、55年「トコリの橋」や、55年「必死の逃亡者」、56年「灰色の服を着た男」、64年「五月の七日間」、67年「太陽の中の対決」など、どれも作品の鍵を握る重要な役柄で登場しています。その彼が‘ハイド’を演じ、ギャップの大きさとイメージの変貌ぶりにも驚かされます。
変貌ぶりといえば、相手役のミリアム・ホプキンスですが、本作以外には61年「噂の二人」、66年「逃亡地帯」くらいしか見てませんので、30年以上経った彼女の‘変貌ぶり’(?)にもビックリでした。いい歳のとり方をされてますね。
1941年版は、これまた名優のスペンサー・トレイシーがジキル&ハイド役です。彼の出演作品はとても書ききれない数ですので省略させていただきますが、こちらのほうは、監督に注目です。
そう、39年「風と共に去りぬ」で監督賞受賞のヴィクター・フレミングです。 これまた‘ビックリ’で、風と共に..と本作はあまりにもジャンルが違いすぎますから...
又、キャストは41年版のほうが華やかで、相手役のイングリッド・バーグマンをはじめ、ラナ・ターナー、ドナルド・クリスプ、バートン・マクレインに加え、Sir・C・オーブリー・スミスまで登場させる充実ぶりです。
そしてもう一つ、「霧のロンドン」らしさも41年版のほうが圧倒的にいい。
96年「ジキル&ハイド」(スティーブン・フリアーズ監督)という作品もありますが、ジュリア・ロバーツ扮する家政婦の目から描いた一遍で、それはそれで楽しい作品もありますね。(ジキル&ハイドはジョン・マルコヴィッチ)
最後に、ジキルがハイドへと変身していく場面は、32年版のほうが強烈です。 いずれにしても‘遠い昔の、それこそ映画の世界’です。
一見の価値あり・面白い
投稿日
2007/03/12
レビュアー
留美子
32年版のジキル役とハイド役は別人が演じてると思ったら同じ役者だったので驚いた。CGもない時代に良く頑張ってるし面白い。41年版は役者が豪華になったのに32年版を越えられない。バーグマンの大袈裟な演技は笑える。ジギルとの初対面で誘惑するところはバーグマンの意外な性的魅力が堪能出来ます。
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- @「TSUTAYA DISCAS」の定額プラン(定額プランの種類は問いません。以下同じ)の利用開始時に「無料お試し」を利用したことがない方
- A2022年10月2日以前に「TSUTAYA DISCAS」の定額プランの利用を終了された方であって、2022年10月3日以降、「TSUTAYA DISCAS」の定額プランを利用していない方
- B上記@Aのほか、当社が不定期で実施する期間限定キャンペーンにおいて、キャンペーン開始時に、当社が定める参加条件を満たした方
- 無料お試し期間中(14日間)、新作はレンタル対象外です。(但し、上記Bの対象者に限り、新作もレンタル対象となる場合があります)
- 無料お試し期間終了後、登録プラン料金で自動更新となります。
ご利用の流れ
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※1 無料お試し期間中の「新作」レンタルは対象外です。
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