女が階段を上る時 / 高峰秀子
女が階段を上る時
/成瀬巳喜男
平均評価点:
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全体の平均評価点: (5点満点)
(20)
解説・ストーリー
高峰秀子扮する女主人を軸に華やかな街に蠢く人々の虚実を綴ったドラマ。銀座のバーで雇われマダムとして働く未亡人・圭子は、自分の下から独立したユリに上客を取られ、資金繰りに奔走する。
高峰秀子扮する女主人を軸に華やかな街に蠢く人々の虚実を綴ったドラマ。銀座のバーで雇われマダムとして働く未亡人・圭子は、自分の下から独立したユリに上客を取られ、資金繰りに奔走する。
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「女が階段を上る時」 の解説・あらすじ・ストーリー
解説・ストーリー
高峰秀子扮する女主人を軸に華やかな街に蠢く人々の虚実を綴ったドラマ。銀座のバーで雇われマダムとして働く未亡人・圭子は、自分の下から独立したユリに上客を取られ、資金繰りに奔走する。
「女が階段を上る時」 の作品情報
「女が階段を上る時」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
女が階段を上る時の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
111分 |
日本語 |
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語 2:ドルビーデジタル/3.0ch/日本語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
TDV15235R |
2005年08月19日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
1枚
|
1人
|
1人
|
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
2:ドルビーデジタル/3.0ch/日本語
女が階段を上る時の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
111分 |
日本語 |
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語 2:ドルビーデジタル/3.0ch/日本語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
TDV15235R |
2005年08月19日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
1枚
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1人
|
1人
|
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
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ユーザーレビュー:20件
私も頑張ろう!
投稿日:2007/11/26
レビュアー:ひきむすび
高級な住まい 美しい衣装に 漂わせる香水
あなただけが本命という その場限りの本気
男を虜にしようとする 女の演出。
所帯を持とう 店を持ってみないか
女を独占しようとする男たちの駆け引き。
それは狡猾さでも 悲しい自己満足でもなく
そのとき限りの願望の成就なんでしょうね。
ところがその場を一歩離れれば 1人の家庭人であったり
売上の低迷に窮するただの女であったりするところに物語は広がります。
雇われママとして昇りつめる20代は過ぎ 30歳の彼女は一つの壁にぶち当たる。
女としての旬を過ぎた危機感なんですね。
良きパトロンを見つけ自分の店を持つか 良人となる人を見つけて身を固めるか
今までの形をひとつ越えなくてはならない恐れがあるんです。
自分ひとりで精一杯というのに現実は放っておいてはくれない。
ひときわ可愛がっていた後輩さえも虎視眈々とチャンスを窺っている。
そんな若い子に向ける嫉妬と同情の視線。安らぎを求めて崩れゆく瞬間。
画面の隅々から人物像が見えるような説得力。とても見ごたえのある作品です。
女が階段を上るとき ひときわ気持ちが引き締まる瞬間の圭子がとてもいい。
媚びることのない素の顔。雑念を捨てて勝負に向かう顔。
晴れやかさはないのに 「私も頑張ろう」と思わせてくれる作品でした。
成瀬監督作品を初めてご覧になる方
特に女性にお勧めしたい作品です。
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17人の会員が気に入ったと投稿しています
“ヤルセナキオ”の本領発揮
ここに出てくる男たちは皆、鬱陶しい人達ばかり
強欲で、優柔不断で、スケベで、嘘つきで・・・
そして主人公、圭子は、どこか少しプライドが高い
売り上げが落ちたとオーナーに責められ、無理して飲んでいるお酒で身体を壊し、家で静養していれば家族からお金の無心
もう八方塞がり、弱り目に祟り目
そんな時、男の優しい一言、香水1本でホロッとしてしまい、あれだけ「女は一度許したらあとは転がり堕ちるだけという」と戒めていたものが堰を切ったように崩れ落ちてしまう。
結局、女というのは弱いもの、独りでどうしようもない時には誰かに頼りたくなるものなのか
この人こそ!と惚れた相手に身を任せたものの、やっぱり直ぐに梯子を外される
散々に泣いた後、藤崎から渡された株券を本人の目の前で、奥さんに返すあたりに、女の意地とプライドが見えた。
そしてまた、もと居た場所に戻らざるを得ない。
「冬の風が当たれば当たるほど、新しい芽を育てていかなければならない」というナレーションと、トントンと一気に階段を駆け上がり、「いらっしゃいませ」の笑顔は非常に切ない。
この映画の衣装は高峰秀子さんが担当されているらしい。
ご本人の着物は「普段にも着られるように」とセリフにもあるように華美に走らず、シックでセンスが良い。前あわせを浅く着付けて玄人っぽく見せているところも注目して欲しい。
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11人の会員が気に入ったと投稿しています
前向きな遣る瀬なさ
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
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脇役専門の女優として全盛期の邦画界を縁の下の力持ちとして支え続けた杉浦春子には、私の知る限りただ一つだけ主演を務めた作品がある。成瀬巳喜男監督の1954年の作品『晩菊』がそれで、その容貌と言い観客が彼女に期待している演技や役柄と言いヒロインという言葉とは似つかわしくないもののため、この作品においても主演とは言うものの決して綺麗どころではない汚れ役を見事に演じている。
元芸者の杉浦は今ではその時に得た金を元手に金貸しをしながら悠々自適の生活をしているのだが、突如かつて只一人本当に愛し結婚まで夢見た男(上原謙)からの連絡が入る。軍服を着こなした若かりし頃の写真を眺めながらまるで少女のように上原を待つ杉浦だったが、実際に訪れてきたのは若い頃の精彩さがなくなったうらぶれた中年だった。それでも若い恋心を忘れることができない杉浦はかいがいしく彼に酌をするのだが、次第に金策のために彼女の元を訪れたことが分かり始め十年(以上)の恋もいっぺんに冷めてしまい、後はいかに早く追い出すかの算段に頭をやなませる・・・。
物語の核心となる部分だけを抜き出せば上記のようになるのだが、このプロットを読んで実際に作品を観たいと感じる人は余りいないだろう。いや、この部分に限らずとも全体を何とも言えぬ「いやらしさ」が貫く、『放浪記』の原作者でもある林芙美子らしいドロドロとした感触がつきまとう作品となっている。だが、実際に作品を観ると守銭奴という言葉が思い浮かんでしまうような杉浦が朗報に浮き足立つ様も、男の本性を見据えてまた冷徹な姿に戻る様もいずれも「女」を強く意識させ、ある種の爽やかささえ感じさせるものになっているのだ。
成瀬と並び女を描かせたら天下一品と言われた溝口は、『雪婦人絵図』にしても『赤線地帯』にしても、ドロドロとしたムードの中で女にまつわるそのドロドロさを執拗に描いており、それはそれで非常に感慨深く価値あるものなのだが、成瀬の作品に感じられるような爽やかさを感じることはできない。
成瀬作品の特質はこの何とも言えぬ爽やかさにあると言い切るのは暴論であり独断に過ぎないだろうが、『女が階段を上る時』のような捉えどころの少ない作品に接すると、やはりあっさり感こそが成瀬作品の醍醐味だと言いたくなってしまう。
夜の女に一般的な意味合いにおける爽やかさは似合わないし、本作で主役を演じる高峰秀子の役柄も演技も爽やかさよりは水商売に生きる女性の厳しさやもの悲しさこそ感じられるはずなのだ。でも、タイトルにもなっている高峰が階段を上る姿を目にし、ジャケットでも使われている途中で振り返る様に遭遇すると、厳しい世界に生きる女性の泣き言や恨み言より、哀愁と呼ぶにふさわしい涼風のようなものを感じてしまう。
もちろん成瀬作品の全てが爽やかさこそが特質であると言うつもりはない。代表作と言われることが多い『浮雲』を筆頭に『乱れる』や『乱れ雲』などのメロドラマや『女の中にいる他人』のようなサスペンスには溝口に勝とも劣らない厳しさや激しさを強く感じる。しかし、『浮雲』や『女の中にいる他人』こそこのような暗鬱なムードが全編を覆ってはいるが『乱れる』や『乱れ雲』はクライマックスに至るまでは他の作品同様の「小市民劇」が延々と繰り広げられているし、『秋立ちぬ』のようなジュブナイルとすら言い得る爽やかさに纏われた作品を思うと、やはり成瀬の一番の取り柄は爽やかさにあると思いたくなってしまう。
いや、爽やかさなどと言う漠然とした言葉を使うからよく分からなくなるだけなのであって、明るい哀愁などという論理的に不整合な「造語」で比喩した方が適しているのかもしれない。成瀬が生前に付けられたあだ名「ヤルセナキオ」から言葉を拝借して前向きな遣る瀬なさなんて言葉も良いかもしれない。
リナさんが本作について「晴れやかさはないのに「私も頑張ろう」と思わせてくれる作品」と評されているのも、こんな成瀬の特質故のことではないだろうか?
このレビューは気に入りましたか?
10人の会員が気に入ったと投稿しています
人生の厳しさを思い知った後 女が見せるプライドと覚悟
( ネタばれあり )
監督は『 浮雲 』など、女性映画の名手として知られる、ヤルセナキオこと成瀬巳喜男。
脚本は、『 野良犬 』でデビューし、この年も『 隠し砦の三悪人 』を書いた黒澤明の脚本チームの一人として知られる菊島隆三。 その初プロデュース作品でもあります。
圭子を演じる高峰秀子は木下恵介と成瀬巳喜男作品の主演が多く、名コンビと言われますが、役柄のバリエーションの豊かさには目を見張ります。 何を演じても同じという映画スターがいる一方で、演技派と言えますね。 『 二十四の瞳 』の大石先生を演じたのと同じ人とは思えません。
子役から大成した稀有な大女優ですし、「 わたしの渡世日記 」などの名エッセイでもしられますが、女優引退後は本人の強い意志でメディア露出がほとんどなかったので、その死のメディアの扱いは静かなものでした。
でも若い世代が知らないだけで、この方こそ国民的大女優だったのですね。
ほとんどが故人となった往年の名優たちが見られて嬉しいですが、やはり皆さんと同じ感想で、昔の人はしっかりしているというか老けてますね。
母親役の賀原夏子は実際の年齢は高峰秀子より3歳上なだけだし、息子役の織田政雄など一回りも年上なのですから、気の毒なくらいです。(^^;)
それにしても、この作品に出てくる男どものだらしなさ、トホホぶりといったら・・・・。
いかにもギラギラしていやらしい小澤栄太郎、中村雁治郎はもとより、意外な加東大介( 姉の沢村貞子も出演してます )、ウラオモテのある多々良純。 だらしない弱い兄の織田政雄。
森雅之( 作家有島武郎の長男にあたります )はダンディーで男の色気があり、また若い仲代達矢は精悍でハンサムですが、みごとに馬脚を現してしまいます。 見てくれと本性の落差の描写が何とも。
女性映画の古典的な特徴とは「ヒロインが人生の意味を発見するところ」と言えます。
しっかりしているようで借金まみれで自滅してしまうユリ(淡路恵子)と、軽くてただ調子がいい現代っ子に見える純子( 団令子 )の実はたくましい、したたかさとのコントラスト。
かつて寝たこともある小松(仲代達矢)が売り込みに失敗して出て行った後、肘をついていたカウンターを厄払いするようにしかし笑顔のまま拭く純子はコワイ女ですね。
水商売の荒波でさまざまな試練にあった圭子がラストで見せる笑顔は、自分だけを信じて生きていく矜持と覚悟を表していて見事です。
( ykk1976さんの映画会第49回レビュー)
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7人の会員が気に入ったと投稿しています
女が階段を降りる時。
投稿日:2014/10/15
レビュアー:ぴよさん
「夜の街」に漂う男と女の物語…となれば、いかようにも複雑な物語に出来るだろうし、また成瀬
ならば、いかようにも叙情的に描けたろう。しかしここでは、拍子抜けするほどに「つるりとした」
物語が流れていく。黛敏郎の繰り返されるフレーズ(成瀬映画らしからぬ)は、また同じことが
繰り返されるだけ、というような諦念を感じさせる。
実際に、夜の街の物語の現実を見知っていたであろう菊島や成瀬が、見知ったこと以上でも
以下でもないドラマを描いてみせている。それはもちろん「付け加えないことに意味を持たせる」
という意図なのだろう。
階段が物語の象徴とするならば、階段を登って始まるママ・圭子の「上下移動のドラマ」を意識
せずにはいられない。(これがエレベーター移動だと、そんな意識は生まれない)
圭子が階段を上がることは、俗世間から異空間への移動だ。意識も変わり、価値観も変わる。
男も女も仮面を変えて、あるオキテの上で遊ぶ。大人のままごと空間。
上下を意識するというならば、男(客)はひとまず上に置かれる。ホステスは、便宜上、上に置い
た男を値踏みし、自分の位置取りをその下か上かに決める。男もまた、自分のステータスを誇示し
つつ、少しでも上位に自分を置こうとする。ポジションが変われば、ゲームのルールも変わるのだ。
だが圭子はひとり、自分の位置を固定している。男によって位置を変えず、男に変えさせる。
…いや、「させる」のではなく、ただ自分をキープし続けているだけなのだ。
小松(仲代)は、その意固地とも言える姿に憧れる。周りの女が位置取りを都合よく変えること
に辟易しているから…いや、自分がそうだから。相手によってポリシーをたやすく曲げてしまう、
自分のどうしようもなさへの嫌悪だ。彼は、階段の上から降りられないという悲しみの中にいる。
階段を下りた位置、その最もプライベートな場所に無遠慮に立ち入る郷田(鴈治郎)の嫌らしさ。
また、階段を下りた平和に見える場所に巧妙に誘い込もうとする、関根(加東大介)の手口。
男たちは、女を階段から下ろして自分のものにしようとする。
そして水が低きに流れるように、抗いがたい流れが生まれる。菊島と成瀬は、およそ考えられる
試練の全てを、圭子に負わせる。そこまで都合よく並べちゃっては喜劇じゃないか、というほどに。
(ああ、これはもしかすると喜劇なのかもしれない。笑いの無い、悲しい喜劇)
抗いようのない流れによって、圭子は自分を低きに置かざるを得なくなる、まさにおままごとの
ような安易さで。小松の落胆はいかばかりだったろう。おそらく唯一、不動だと信じていたものが、
やすやすと変わってしまったのだから。
だから、この物語の本当のタイトルは、「女が階段を降りる時」だと思う。ドラマは、圭子が階段を
降りる度に動いている。そして序盤、圭子が階段の途中で足を止めるシーンがある。これからの
行く末を思って、一瞬だけ躊躇し立ち止まるのだ。 そこに生まれる、言い様の無い色気。
男という馬鹿な生き物は、そんな一瞬を見たくて、女を追い求め続けるのかもしれない。
(ykk1976さんの映画会・第49回)
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6人の会員が気に入ったと投稿しています
ユーザーレビュー
私も頑張ろう!
投稿日
2007/11/26
レビュアー
ひきむすび
高級な住まい 美しい衣装に 漂わせる香水
あなただけが本命という その場限りの本気
男を虜にしようとする 女の演出。
所帯を持とう 店を持ってみないか
女を独占しようとする男たちの駆け引き。
それは狡猾さでも 悲しい自己満足でもなく
そのとき限りの願望の成就なんでしょうね。
ところがその場を一歩離れれば 1人の家庭人であったり
売上の低迷に窮するただの女であったりするところに物語は広がります。
雇われママとして昇りつめる20代は過ぎ 30歳の彼女は一つの壁にぶち当たる。
女としての旬を過ぎた危機感なんですね。
良きパトロンを見つけ自分の店を持つか 良人となる人を見つけて身を固めるか
今までの形をひとつ越えなくてはならない恐れがあるんです。
自分ひとりで精一杯というのに現実は放っておいてはくれない。
ひときわ可愛がっていた後輩さえも虎視眈々とチャンスを窺っている。
そんな若い子に向ける嫉妬と同情の視線。安らぎを求めて崩れゆく瞬間。
画面の隅々から人物像が見えるような説得力。とても見ごたえのある作品です。
女が階段を上るとき ひときわ気持ちが引き締まる瞬間の圭子がとてもいい。
媚びることのない素の顔。雑念を捨てて勝負に向かう顔。
晴れやかさはないのに 「私も頑張ろう」と思わせてくれる作品でした。
成瀬監督作品を初めてご覧になる方
特に女性にお勧めしたい作品です。
“ヤルセナキオ”の本領発揮
投稿日
2007/11/14
レビュアー
おうち大好き
ここに出てくる男たちは皆、鬱陶しい人達ばかり
強欲で、優柔不断で、スケベで、嘘つきで・・・
そして主人公、圭子は、どこか少しプライドが高い
売り上げが落ちたとオーナーに責められ、無理して飲んでいるお酒で身体を壊し、家で静養していれば家族からお金の無心
もう八方塞がり、弱り目に祟り目
そんな時、男の優しい一言、香水1本でホロッとしてしまい、あれだけ「女は一度許したらあとは転がり堕ちるだけという」と戒めていたものが堰を切ったように崩れ落ちてしまう。
結局、女というのは弱いもの、独りでどうしようもない時には誰かに頼りたくなるものなのか
この人こそ!と惚れた相手に身を任せたものの、やっぱり直ぐに梯子を外される
散々に泣いた後、藤崎から渡された株券を本人の目の前で、奥さんに返すあたりに、女の意地とプライドが見えた。
そしてまた、もと居た場所に戻らざるを得ない。
「冬の風が当たれば当たるほど、新しい芽を育てていかなければならない」というナレーションと、トントンと一気に階段を駆け上がり、「いらっしゃいませ」の笑顔は非常に切ない。
この映画の衣装は高峰秀子さんが担当されているらしい。
ご本人の着物は「普段にも着られるように」とセリフにもあるように華美に走らず、シックでセンスが良い。前あわせを浅く着付けて玄人っぽく見せているところも注目して欲しい。
前向きな遣る瀬なさ
投稿日
2008/02/14
レビュアー
parole
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
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脇役専門の女優として全盛期の邦画界を縁の下の力持ちとして支え続けた杉浦春子には、私の知る限りただ一つだけ主演を務めた作品がある。成瀬巳喜男監督の1954年の作品『晩菊』がそれで、その容貌と言い観客が彼女に期待している演技や役柄と言いヒロインという言葉とは似つかわしくないもののため、この作品においても主演とは言うものの決して綺麗どころではない汚れ役を見事に演じている。
元芸者の杉浦は今ではその時に得た金を元手に金貸しをしながら悠々自適の生活をしているのだが、突如かつて只一人本当に愛し結婚まで夢見た男(上原謙)からの連絡が入る。軍服を着こなした若かりし頃の写真を眺めながらまるで少女のように上原を待つ杉浦だったが、実際に訪れてきたのは若い頃の精彩さがなくなったうらぶれた中年だった。それでも若い恋心を忘れることができない杉浦はかいがいしく彼に酌をするのだが、次第に金策のために彼女の元を訪れたことが分かり始め十年(以上)の恋もいっぺんに冷めてしまい、後はいかに早く追い出すかの算段に頭をやなませる・・・。
物語の核心となる部分だけを抜き出せば上記のようになるのだが、このプロットを読んで実際に作品を観たいと感じる人は余りいないだろう。いや、この部分に限らずとも全体を何とも言えぬ「いやらしさ」が貫く、『放浪記』の原作者でもある林芙美子らしいドロドロとした感触がつきまとう作品となっている。だが、実際に作品を観ると守銭奴という言葉が思い浮かんでしまうような杉浦が朗報に浮き足立つ様も、男の本性を見据えてまた冷徹な姿に戻る様もいずれも「女」を強く意識させ、ある種の爽やかささえ感じさせるものになっているのだ。
成瀬と並び女を描かせたら天下一品と言われた溝口は、『雪婦人絵図』にしても『赤線地帯』にしても、ドロドロとしたムードの中で女にまつわるそのドロドロさを執拗に描いており、それはそれで非常に感慨深く価値あるものなのだが、成瀬の作品に感じられるような爽やかさを感じることはできない。
成瀬作品の特質はこの何とも言えぬ爽やかさにあると言い切るのは暴論であり独断に過ぎないだろうが、『女が階段を上る時』のような捉えどころの少ない作品に接すると、やはりあっさり感こそが成瀬作品の醍醐味だと言いたくなってしまう。
夜の女に一般的な意味合いにおける爽やかさは似合わないし、本作で主役を演じる高峰秀子の役柄も演技も爽やかさよりは水商売に生きる女性の厳しさやもの悲しさこそ感じられるはずなのだ。でも、タイトルにもなっている高峰が階段を上る姿を目にし、ジャケットでも使われている途中で振り返る様に遭遇すると、厳しい世界に生きる女性の泣き言や恨み言より、哀愁と呼ぶにふさわしい涼風のようなものを感じてしまう。
もちろん成瀬作品の全てが爽やかさこそが特質であると言うつもりはない。代表作と言われることが多い『浮雲』を筆頭に『乱れる』や『乱れ雲』などのメロドラマや『女の中にいる他人』のようなサスペンスには溝口に勝とも劣らない厳しさや激しさを強く感じる。しかし、『浮雲』や『女の中にいる他人』こそこのような暗鬱なムードが全編を覆ってはいるが『乱れる』や『乱れ雲』はクライマックスに至るまでは他の作品同様の「小市民劇」が延々と繰り広げられているし、『秋立ちぬ』のようなジュブナイルとすら言い得る爽やかさに纏われた作品を思うと、やはり成瀬の一番の取り柄は爽やかさにあると思いたくなってしまう。
いや、爽やかさなどと言う漠然とした言葉を使うからよく分からなくなるだけなのであって、明るい哀愁などという論理的に不整合な「造語」で比喩した方が適しているのかもしれない。成瀬が生前に付けられたあだ名「ヤルセナキオ」から言葉を拝借して前向きな遣る瀬なさなんて言葉も良いかもしれない。
リナさんが本作について「晴れやかさはないのに「私も頑張ろう」と思わせてくれる作品」と評されているのも、こんな成瀬の特質故のことではないだろうか?
人生の厳しさを思い知った後 女が見せるプライドと覚悟
投稿日
2014/10/15
レビュアー
ロキュータス
( ネタばれあり )
監督は『 浮雲 』など、女性映画の名手として知られる、ヤルセナキオこと成瀬巳喜男。
脚本は、『 野良犬 』でデビューし、この年も『 隠し砦の三悪人 』を書いた黒澤明の脚本チームの一人として知られる菊島隆三。 その初プロデュース作品でもあります。
圭子を演じる高峰秀子は木下恵介と成瀬巳喜男作品の主演が多く、名コンビと言われますが、役柄のバリエーションの豊かさには目を見張ります。 何を演じても同じという映画スターがいる一方で、演技派と言えますね。 『 二十四の瞳 』の大石先生を演じたのと同じ人とは思えません。
子役から大成した稀有な大女優ですし、「 わたしの渡世日記 」などの名エッセイでもしられますが、女優引退後は本人の強い意志でメディア露出がほとんどなかったので、その死のメディアの扱いは静かなものでした。
でも若い世代が知らないだけで、この方こそ国民的大女優だったのですね。
ほとんどが故人となった往年の名優たちが見られて嬉しいですが、やはり皆さんと同じ感想で、昔の人はしっかりしているというか老けてますね。
母親役の賀原夏子は実際の年齢は高峰秀子より3歳上なだけだし、息子役の織田政雄など一回りも年上なのですから、気の毒なくらいです。(^^;)
それにしても、この作品に出てくる男どものだらしなさ、トホホぶりといったら・・・・。
いかにもギラギラしていやらしい小澤栄太郎、中村雁治郎はもとより、意外な加東大介( 姉の沢村貞子も出演してます )、ウラオモテのある多々良純。 だらしない弱い兄の織田政雄。
森雅之( 作家有島武郎の長男にあたります )はダンディーで男の色気があり、また若い仲代達矢は精悍でハンサムですが、みごとに馬脚を現してしまいます。 見てくれと本性の落差の描写が何とも。
女性映画の古典的な特徴とは「ヒロインが人生の意味を発見するところ」と言えます。
しっかりしているようで借金まみれで自滅してしまうユリ(淡路恵子)と、軽くてただ調子がいい現代っ子に見える純子( 団令子 )の実はたくましい、したたかさとのコントラスト。
かつて寝たこともある小松(仲代達矢)が売り込みに失敗して出て行った後、肘をついていたカウンターを厄払いするようにしかし笑顔のまま拭く純子はコワイ女ですね。
水商売の荒波でさまざまな試練にあった圭子がラストで見せる笑顔は、自分だけを信じて生きていく矜持と覚悟を表していて見事です。
( ykk1976さんの映画会第49回レビュー)
女が階段を降りる時。
投稿日
2014/10/15
レビュアー
ぴよさん
「夜の街」に漂う男と女の物語…となれば、いかようにも複雑な物語に出来るだろうし、また成瀬
ならば、いかようにも叙情的に描けたろう。しかしここでは、拍子抜けするほどに「つるりとした」
物語が流れていく。黛敏郎の繰り返されるフレーズ(成瀬映画らしからぬ)は、また同じことが
繰り返されるだけ、というような諦念を感じさせる。
実際に、夜の街の物語の現実を見知っていたであろう菊島や成瀬が、見知ったこと以上でも
以下でもないドラマを描いてみせている。それはもちろん「付け加えないことに意味を持たせる」
という意図なのだろう。
階段が物語の象徴とするならば、階段を登って始まるママ・圭子の「上下移動のドラマ」を意識
せずにはいられない。(これがエレベーター移動だと、そんな意識は生まれない)
圭子が階段を上がることは、俗世間から異空間への移動だ。意識も変わり、価値観も変わる。
男も女も仮面を変えて、あるオキテの上で遊ぶ。大人のままごと空間。
上下を意識するというならば、男(客)はひとまず上に置かれる。ホステスは、便宜上、上に置い
た男を値踏みし、自分の位置取りをその下か上かに決める。男もまた、自分のステータスを誇示し
つつ、少しでも上位に自分を置こうとする。ポジションが変われば、ゲームのルールも変わるのだ。
だが圭子はひとり、自分の位置を固定している。男によって位置を変えず、男に変えさせる。
…いや、「させる」のではなく、ただ自分をキープし続けているだけなのだ。
小松(仲代)は、その意固地とも言える姿に憧れる。周りの女が位置取りを都合よく変えること
に辟易しているから…いや、自分がそうだから。相手によってポリシーをたやすく曲げてしまう、
自分のどうしようもなさへの嫌悪だ。彼は、階段の上から降りられないという悲しみの中にいる。
階段を下りた位置、その最もプライベートな場所に無遠慮に立ち入る郷田(鴈治郎)の嫌らしさ。
また、階段を下りた平和に見える場所に巧妙に誘い込もうとする、関根(加東大介)の手口。
男たちは、女を階段から下ろして自分のものにしようとする。
そして水が低きに流れるように、抗いがたい流れが生まれる。菊島と成瀬は、およそ考えられる
試練の全てを、圭子に負わせる。そこまで都合よく並べちゃっては喜劇じゃないか、というほどに。
(ああ、これはもしかすると喜劇なのかもしれない。笑いの無い、悲しい喜劇)
抗いようのない流れによって、圭子は自分を低きに置かざるを得なくなる、まさにおままごとの
ような安易さで。小松の落胆はいかばかりだったろう。おそらく唯一、不動だと信じていたものが、
やすやすと変わってしまったのだから。
だから、この物語の本当のタイトルは、「女が階段を降りる時」だと思う。ドラマは、圭子が階段を
降りる度に動いている。そして序盤、圭子が階段の途中で足を止めるシーンがある。これからの
行く末を思って、一瞬だけ躊躇し立ち止まるのだ。 そこに生まれる、言い様の無い色気。
男という馬鹿な生き物は、そんな一瞬を見たくて、女を追い求め続けるのかもしれない。
(ykk1976さんの映画会・第49回)
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- ※本キャンペーンの無料お試しの対象者は、次の@ABのいずれかに該当する方に限ります。
- @「TSUTAYA DISCAS」の定額プラン(定額プランの種類は問いません。以下同じ)の利用開始時に「無料お試し」を利用したことがない方
- A2022年10月2日以前に「TSUTAYA DISCAS」の定額プランの利用を終了された方であって、2022年10月3日以降、「TSUTAYA DISCAS」の定額プランを利用していない方
- B上記@Aのほか、当社が不定期で実施する期間限定キャンペーンにおいて、キャンペーン開始時に、当社が定める参加条件を満たした方
- 無料お試し期間中(14日間)、新作はレンタル対象外です。(但し、上記Bの対象者に限り、新作もレンタル対象となる場合があります)
- 無料お試し期間終了後、登録プラン料金で自動更新となります。
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※1 無料お試し期間中の「新作」レンタルは対象外です。
女が階段を上る時