ひどい邦題です。内容を偽ってます。おなじくラングの、フィルム・ノワールの名作と賞賛される『暗黒街の弾痕』も原題はYou Only Live Once、一度きりの生とか愛とも訳されてますが、原題のポエジーはどこへやらの邦題です。じっさい映画も、命がけの、したがってじつに大甘のロマンスです。善意あふれて夢みるお嬢さん然としたシルビア・シドニーが、前科者フォンダの更正を愛情とないまぜにして、やがて善とか夢を捨てさる、犯罪をくりかえすにいたる逃避行のなかで、ほんとうの絆をしる、懸命なる一度っきりの愛を生きる。大不況下の厳しい世間にしいられた転落で、困憊しぼろぼろになりながらも可憐さは捨てないシドニー(の瞳)がいいわけですが、まあ大好きな映画じゃないんで、『復讐は「彼女」に任せろ』にもどります。「彼女」と訂正すべき、わたしがラングで一番好きな映画です。
彼女、グロリア・グレアムは肩で風切るギャングの情婦、ヒールをはいたドレスでソファーに寝っ転がって、金のかかる高級な猫ってかんじで登場します。彼女はラジオの小粋なラテンのリズムで、腰をこまかにふったステップを自然にふむ快楽的な女です(『脱出』のラストのクールに悪戯げなバコールをふとおもいだします)。強面の男たちのまえでは、能天気にサーカスの「猛獣遣い」の物まねをしてみせたりする。鏡があればけして素通りなどしません。じぶんの美しさ、愛らしさをたえず確認する。そのためには金がかかって当然。じぶんの見てくれを磨くことにかまけておつむはからっぽ、そんな典型的女です。むろんこのカタログな空っぽの美しさがいいんですが、しかし、ただそうでないことはやがてわかる。妻を殺され復讐を誓う元刑事との邂逅で、その男気を理解しつつも、男の訊問をたくみにはぐらかすのです。やがてそんな知恵、というか好奇心がわざわいして、キレやすい猛獣の情夫に腹いせのお仕置きをうけてしまう。コーヒーポットの熱したそれを顔半分に浴びせかけられてしまうのです。美貌の左半面を絆創膏でおおうはめになってしまう。一生右の美貌と左の醜悪をおって生きなければならない。あるいは用済みの美としてギャングたちに始末されるか。その彼女を元刑事が保護することになり、その説得をうけ、醜くくても生きてこそよねなどと気分転換をしてみせ、愛のようなものを芽生えさせるわけですが、彼女の本質は憐憫なんかごめんな、プライドのような甲羅をもった自己愛の塊です。すばやく事態をみぬいて、元刑事というしがらみゆえに法外の復讐へつっぱしれない鈍重な男をさしおいて、彼女はキーポイントの強請り女を容赦なく射殺し、そしてトドメとばかりに、元情夫の顔へ熱したコーヒーをぶちかけるのです。「俺」である元刑事は遅れてその事態を収拾するだけ。 一見おつむの弱い、じぶんの美を磨くことだけにしか欲望しない女が、その美に修復不可能な傷をおわされることで、じぶんのプライドをかけて、事件の急所を見抜いていっきに行動する。命とひきかえの復讐につっぱしる。彼女は元刑事に抱かれ死んでゆきますが、裸の片目から涙をこぼして孤独に、ひとりっきりの死をむかえます。ここにもyou only live onceが圧倒的に輝く。
この半面絆創膏の美はあきらかに、マッドサイエンティストたるラングの嗜好があるわけですが、グロリア・グレアムの指向でもあるのです。グレアムについてはコリンスキーさんの『孤独な場所で』レビューが端的に語っておりますが、そのみごとな色情ぶりにつけくわえるなら、当時ハリウッドでも一二の「整形魔」であったそうです。絆創膏の人工美は、女優グレアムの自画像なんだと賞賛しておきましよう。 とどうじに、第二次戦間期、ハリウッド一の人気を誇った女優ベロニカ・レイク(『奥さまは魔女』が素晴らしい)は、チャンドラーが脚本に参加した『ブルー・ダリア』等のフィルム・ノワールで典型的なファム・ファタールを演じたそうですが、その右目だけをアイパッチのようなボリュームでかくした、ちょっと隻眼流なヘアースタイルは、とうじの婦女子に流行、軍需工場でのライン作業での事故につながると社会問題にまでなりました。フィルム・ノワールの暗さは、国策である電力節約に端をはっしたそうですが、レイクの美を継承したグロリア・グレアムの隻眼流の人工美は、アメリカ映画史のしられざる交差点、隠された沸点というべき、原題どおりのThe Big Heatなんです。
ひどい邦題です。内容を偽ってます。おなじくラングの、フィルム・ノワールの名作と賞賛される『暗黒街の弾痕』も原題はYou Only Live Once、一度きりの生とか愛とも訳されてますが、原題のポエジーはどこへやらの邦題です。じっさい映画も、命がけの、したがってじつに大甘のロマンスです。善意あふれて夢みるお嬢さん然としたシルビア・シドニーが、前科者フォンダの更正を愛情とないまぜにして、やがて善とか夢を捨てさる、犯罪をくりかえすにいたる逃避行のなかで、ほんとうの絆をしる、懸命なる一度っきりの愛を生きる。大不況下の厳しい世間にしいられた転落で、困憊しぼろぼろになりながらも可憐さは捨てないシドニー(の瞳)がいいわけですが、まあ大好きな映画じゃないんで、『復讐は「彼女」に任せろ』にもどります。「彼女」と訂正すべき、わたしがラングで一番好きな映画です。
彼女、グロリア・グレアムは肩で風切るギャングの情婦、ヒールをはいたドレスでソファーに寝っ転がって、金のかかる高級な猫ってかんじで登場します。彼女はラジオの小粋なラテンのリズムで、腰をこまかにふったステップを自然にふむ快楽的な女です(『脱出』のラストのクールに悪戯げなバコールをふとおもいだします)。強面の男たちのまえでは、能天気にサーカスの「猛獣遣い」の物まねをしてみせたりする。鏡があればけして素通りなどしません。じぶんの美しさ、愛らしさをたえず確認する。そのためには金がかかって当然。じぶんの見てくれを磨くことにかまけておつむはからっぽ、そんな典型的女です。むろんこのカタログな空っぽの美しさがいいんですが、しかし、ただそうでないことはやがてわかる。妻を殺され復讐を誓う元刑事との邂逅で、その男気を理解しつつも、男の訊問をたくみにはぐらかすのです。やがてそんな知恵、というか好奇心がわざわいして、キレやすい猛獣の情夫に腹いせのお仕置きをうけてしまう。コーヒーポットの熱したそれを顔半分に浴びせかけられてしまうのです。美貌の左半面を絆創膏でおおうはめになってしまう。一生右の美貌と左の醜悪をおって生きなければならない。あるいは用済みの美としてギャングたちに始末されるか。その彼女を元刑事が保護することになり、その説得をうけ、醜くくても生きてこそよねなどと気分転換をしてみせ、愛のようなものを芽生えさせるわけですが、彼女の本質は憐憫なんかごめんな、プライドのような甲羅をもった自己愛の塊です。すばやく事態をみぬいて、元刑事というしがらみゆえに法外の復讐へつっぱしれない鈍重な男をさしおいて、彼女はキーポイントの強請り女を容赦なく射殺し、そしてトドメとばかりに、元情夫の顔へ熱したコーヒーをぶちかけるのです。「俺」である元刑事は遅れてその事態を収拾するだけ。 一見おつむの弱い、じぶんの美を磨くことだけにしか欲望しない女が、その美に修復不可能な傷をおわされることで、じぶんのプライドをかけて、事件の急所を見抜いていっきに行動する。命とひきかえの復讐につっぱしる。彼女は元刑事に抱かれ死んでゆきますが、裸の片目から涙をこぼして孤独に、ひとりっきりの死をむかえます。ここにもyou only live onceが圧倒的に輝く。
この半面絆創膏の美はあきらかに、マッドサイエンティストたるラングの嗜好があるわけですが、グロリア・グレアムの指向でもあるのです。グレアムについてはコリンスキーさんの『孤独な場所で』レビューが端的に語っておりますが、そのみごとな色情ぶりにつけくわえるなら、当時ハリウッドでも一二の「整形魔」であったそうです。絆創膏の人工美は、女優グレアムの自画像なんだと賞賛しておきましよう。 とどうじに、第二次戦間期、ハリウッド一の人気を誇った女優ベロニカ・レイク(『奥さまは魔女』が素晴らしい)は、チャンドラーが脚本に参加した『ブルー・ダリア』等のフィルム・ノワールで典型的なファム・ファタールを演じたそうですが、その右目だけをアイパッチのようなボリュームでかくした、ちょっと隻眼流なヘアースタイルは、とうじの婦女子に流行、軍需工場でのライン作業での事故につながると社会問題にまでなりました。フィルム・ノワールの暗さは、国策である電力節約に端をはっしたそうですが、レイクの美を継承したグロリア・グレアムの隻眼流の人工美は、アメリカ映画史のしられざる交差点、隠された沸点というべき、原題どおりのThe Big Heatなんです。