こちらの作品もおすすめ
こちらの作品もおすすめ
恋人に振られたばかりの女と、会社のなかで行き詰まりを感じている映画宣伝マン。偶然知り合った二人は友だちのような関係に。しかし女は元恋人にストーカーまがいの行いをし、男は会社を辞職し共に傷ついた心を抱えていく。でも恋人同士になるわけもなく、ふたりの周囲でゆっくりと時間が流れ、刻々と状態は変化して行く。自分の居場所を求めて歩く二人を軽やかに描いた不思議な感覚を与えてくれる作品。尚、『シェイディー・グローヴ』とは「影のある森」と言う意味。
製作年: |
1999年 |
---|---|
製作国: |
日本 |
原題: |
SHADY GROVE |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
99分 | ||
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
THD10491 | 2002年10月01日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
6枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
99分
字幕:
音声:
レイティング:
記番:
THD10491
レンタル開始日:
2002年10月01日
在庫枚数
6枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
0人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
99分 | ||
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
THD10491 | 2002年10月01日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
6枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
99分
字幕:
音声:
レイティング:
記番:
THD10491
レンタル開始日:
2002年10月01日
在庫枚数
6枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
0人
入力内容に誤りがあります。
内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。
この作品に関するあなたの感想や意見を書いてみませんか?
悪くはないんだけど、青山真治にはどうも「文学」臭さを感じてしまって本気でのめり込むことはできない。それは青山真治が小説「ユリイカ」で三島由紀夫賞を取ったからでも、中上健二を題材にしたドキュメンタリーを撮影しているからでもなく、映画の作り方がどうも文学的なのだ。「ユリイカ」でもそうだったがクライマックスないしはそれに相当するシーンで「主張」が声高に叫ばれる。映画で何かを主張してはいけないなどと言うつもりはいのだけれど、主張するための道具に映画を使うことには賛成はできない。さすがに、青山真治も映画を道具とまでは思っていないだろうが、「映画」として何かを語らしめようとしているようには思えないのだ。
このレビューは気に入りましたか? 10人の会員が気に入ったと投稿しています
自己中心的な3人が交わりクロスすることで、それぞれの人生の妥協(折り合い)を見つけ出す物語ですね。「冷たい血」のモチーフの形を変え、恋愛ドラマの甘味や森という幻想に映画も折り合いを見いだします。
個人的な趣味としては、剥き出しの泥臭さというか自主制作的な臭いの漂う「冷たい血」よりも、やはりプロらしい本作のような形作られた表面を持つ作品の方が好きなんですが、あまり良い出来とは思えませんでした。浮遊感・幻想を表面の味とするなら、まだまだその醍醐味に魅力が足りないんですよね。この森も非常にちんけな印象がありますし、日本の森を撮るしかない予算ではこの程度が限界なんでしょうか。
一時期のテレビのトレンディードラマのような設定に対して、交わらない恋愛劇という発想は面白いと思いますが、それを醸し出す演出にもっと切れを求めてしまいます。
まあしかしハードボイルドな作風から、一転してこんなアイデアを思いつき、こういう作品を撮ってしまうことには面白さを感じますねぇ。
このレビューは気に入りましたか? 5人の会員が気に入ったと投稿しています
人間はみんな自分の居場所を探し続けてる。そう感じさせられた映画でした。
コウノは仕事に、リカは恋愛に異常に固執し、自らの居場所を見い出そうとしたのは間違いなのかどうなのかはよくわからないけれど、結局自分を納得させる何かが必要だったのではないでしょうか。2人はそれから解き放たれていった。現代社会を生きる中で、何かに染まる事は多かれ少なかれ必要な事なのかもしれない。それを「普通」と考えるか「虚しい」と考えるかは人それぞれだと思いました。
このレビューは気に入りましたか? 5人の会員が気に入ったと投稿しています
ふわふわと宙を漂うかの物語です。そこかしこに教訓めいたセリフがあり、意図的なユーモアの挿入や音楽の面白さで気を惹いたりして、これらは鑑賞者をさまよわせるのを狙いとしたのか、現実をオブラートで包みこんだのかと戸惑うばかり。物語が転機を迎える場面で、主題をイメージさせる森の画を挿入することで、しっかり舵を取り向き直させようとしているのですが。
女の行為は至って単純で直情的。彼女は自分をふった男を執拗に追うのですが、それは男を愛したからではなく自分が好きだから。自分の存在を男に投影しただけだったと思います。
宣伝マンの男は自分を表現することに悩んでおり、世界から隔たりを感じていたところ、目一杯自己主張をする女と出会い、その表現力を欲しただけで、お返しとして愛を与えただけだったのではと感じてしまいした。
物語で示されるのは、与える者と受け取る者の授受関係のみで、男と女の関係も突き詰めればそうなるのかもしれませんが、本作ではきっかけのみをはっきりと示し、その後の男女の気持ちの揺れを“森の影”という共同のイメージで想像させようとしたのかもしれません。しかし森は林にしか見えず、その影は癒しを与える場ではなく想像に翳りをもたらす曖昧としかならず、観る者を2人に繋ぐ映像には届かなかったと思いました。
しかし音楽の使い方は面白く、それは「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」ではやりたい放題に遺憾なく発揮されてましたし、本作もまた面白くはあり最後まで観終えることはできるのですが、俳優・音・映像の交わりをナレーションで結び付けているようであり、特に映像に力が不足していると思えてしまい、そのため感心する作品とはなれませんでした。★3.3個。
このレビューは気に入りましたか? 3人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
僕のなかで青山真治監督の最高傑作は『ユリイカ』であり、また、世間で言われている代表作も『ユリイカ』であることも間違いないと思う。でも、『シェイディー・グローヴ』という作品もまた、傑作だと思った。『ユリイカ』をのぞけば青山真治監督の最高傑作だと思った。
『シェイディー・グローヴ』はおそらく『冷たい血』の延長上にある映画だと思う。『冷たい血』を僕はあまり好きにはなれなかった。あの映画はとても泥臭い感じがした。ひとつの趣味の話として、僕は泥臭い映画があまり好きではないような気がする。『冷たい血』がたとえば村上龍だったら、『シェイディー・グローヴ』は村上春樹に近いような気がした。だから僕はとても安らかな気持ちで見ることができたし、同時に不思議なわだかまりのようなものが残ることになった。でも、それはこの映画を否定したいから言っているんじゃない。僕は、ただ、肯定したいだけです。
この映画は、映像の映画ではなく、音の映画だと思う。「音」というのは、たとえば、主人公を演じるARATAのつぶやきだったり、挿入される不可思議な音楽だったり、する。
「音」というものを映画のなかで前面に押しだすのは、たぶん、難しい。青山真治は『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』でそういうことをやろうと思ったのかもしれないけれど、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』は僕から見れば、失敗した作品だった。つまらないと言いたいわけじゃない。あれは愛しい失敗作品だと思う。
現代に存在する「映画」という環境で、音に真っ向から向かうのは難しい。だから、僕は『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』よりも『嫌われ松子の一生』のほうが好きだと思ってしまう。『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』は失敗したけれど、『嫌われ松子』はにんまりと笑って成功した。
青山真治は『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』の6年前に『シェイディー・グローヴ』を撮っていた。『シェイディー・グローヴ』を撮ったあとに『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』を撮る必要はないとつい思ってしまうけれど、でも、やっぱり『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』には僕の感じることのできなかった何かがあったのかもしれない。
『シェイディー・グローヴ』には、いきなり哲学を語りだす警備員のおじいさんがでてきた。それは、まるでゴダールの『男と女のいる舗道』みたいだった。僕はこういう映画が好きなんだとあらためて知れた。
このレビューは気に入りましたか? 3人の会員が気に入ったと投稿しています
シェイディー・グローヴ
入力内容に誤りがあります。
内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。
ユーザーレビュー:30件
投稿日
2006/01/06
レビュアー
parole悪くはないんだけど、青山真治にはどうも「文学」臭さを感じてしまって本気でのめり込むことはできない。それは青山真治が小説「ユリイカ」で三島由紀夫賞を取ったからでも、中上健二を題材にしたドキュメンタリーを撮影しているからでもなく、映画の作り方がどうも文学的なのだ。「ユリイカ」でもそうだったがクライマックスないしはそれに相当するシーンで「主張」が声高に叫ばれる。映画で何かを主張してはいけないなどと言うつもりはいのだけれど、主張するための道具に映画を使うことには賛成はできない。さすがに、青山真治も映画を道具とまでは思っていないだろうが、「映画」として何かを語らしめようとしているようには思えないのだ。
投稿日
2008/06/10
レビュアー
ケチケチ自己中心的な3人が交わりクロスすることで、それぞれの人生の妥協(折り合い)を見つけ出す物語ですね。「冷たい血」のモチーフの形を変え、恋愛ドラマの甘味や森という幻想に映画も折り合いを見いだします。
個人的な趣味としては、剥き出しの泥臭さというか自主制作的な臭いの漂う「冷たい血」よりも、やはりプロらしい本作のような形作られた表面を持つ作品の方が好きなんですが、あまり良い出来とは思えませんでした。浮遊感・幻想を表面の味とするなら、まだまだその醍醐味に魅力が足りないんですよね。この森も非常にちんけな印象がありますし、日本の森を撮るしかない予算ではこの程度が限界なんでしょうか。
一時期のテレビのトレンディードラマのような設定に対して、交わらない恋愛劇という発想は面白いと思いますが、それを醸し出す演出にもっと切れを求めてしまいます。
まあしかしハードボイルドな作風から、一転してこんなアイデアを思いつき、こういう作品を撮ってしまうことには面白さを感じますねぇ。
投稿日
2003/02/13
レビュアー
マミ人間はみんな自分の居場所を探し続けてる。そう感じさせられた映画でした。
コウノは仕事に、リカは恋愛に異常に固執し、自らの居場所を見い出そうとしたのは間違いなのかどうなのかはよくわからないけれど、結局自分を納得させる何かが必要だったのではないでしょうか。2人はそれから解き放たれていった。現代社会を生きる中で、何かに染まる事は多かれ少なかれ必要な事なのかもしれない。それを「普通」と考えるか「虚しい」と考えるかは人それぞれだと思いました。
投稿日
2008/12/01
レビュアー
ひろぼうふわふわと宙を漂うかの物語です。そこかしこに教訓めいたセリフがあり、意図的なユーモアの挿入や音楽の面白さで気を惹いたりして、これらは鑑賞者をさまよわせるのを狙いとしたのか、現実をオブラートで包みこんだのかと戸惑うばかり。物語が転機を迎える場面で、主題をイメージさせる森の画を挿入することで、しっかり舵を取り向き直させようとしているのですが。
女の行為は至って単純で直情的。彼女は自分をふった男を執拗に追うのですが、それは男を愛したからではなく自分が好きだから。自分の存在を男に投影しただけだったと思います。
宣伝マンの男は自分を表現することに悩んでおり、世界から隔たりを感じていたところ、目一杯自己主張をする女と出会い、その表現力を欲しただけで、お返しとして愛を与えただけだったのではと感じてしまいした。
物語で示されるのは、与える者と受け取る者の授受関係のみで、男と女の関係も突き詰めればそうなるのかもしれませんが、本作ではきっかけのみをはっきりと示し、その後の男女の気持ちの揺れを“森の影”という共同のイメージで想像させようとしたのかもしれません。しかし森は林にしか見えず、その影は癒しを与える場ではなく想像に翳りをもたらす曖昧としかならず、観る者を2人に繋ぐ映像には届かなかったと思いました。
しかし音楽の使い方は面白く、それは「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」ではやりたい放題に遺憾なく発揮されてましたし、本作もまた面白くはあり最後まで観終えることはできるのですが、俳優・音・映像の交わりをナレーションで結び付けているようであり、特に映像に力が不足していると思えてしまい、そのため感心する作品とはなれませんでした。★3.3個。
投稿日
2008/02/13
レビュアー
ぷーてぃうぃ※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
僕のなかで青山真治監督の最高傑作は『ユリイカ』であり、また、世間で言われている代表作も『ユリイカ』であることも間違いないと思う。でも、『シェイディー・グローヴ』という作品もまた、傑作だと思った。『ユリイカ』をのぞけば青山真治監督の最高傑作だと思った。
『シェイディー・グローヴ』はおそらく『冷たい血』の延長上にある映画だと思う。『冷たい血』を僕はあまり好きにはなれなかった。あの映画はとても泥臭い感じがした。ひとつの趣味の話として、僕は泥臭い映画があまり好きではないような気がする。『冷たい血』がたとえば村上龍だったら、『シェイディー・グローヴ』は村上春樹に近いような気がした。だから僕はとても安らかな気持ちで見ることができたし、同時に不思議なわだかまりのようなものが残ることになった。でも、それはこの映画を否定したいから言っているんじゃない。僕は、ただ、肯定したいだけです。
この映画は、映像の映画ではなく、音の映画だと思う。「音」というのは、たとえば、主人公を演じるARATAのつぶやきだったり、挿入される不可思議な音楽だったり、する。
「音」というものを映画のなかで前面に押しだすのは、たぶん、難しい。青山真治は『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』でそういうことをやろうと思ったのかもしれないけれど、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』は僕から見れば、失敗した作品だった。つまらないと言いたいわけじゃない。あれは愛しい失敗作品だと思う。
現代に存在する「映画」という環境で、音に真っ向から向かうのは難しい。だから、僕は『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』よりも『嫌われ松子の一生』のほうが好きだと思ってしまう。『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』は失敗したけれど、『嫌われ松子』はにんまりと笑って成功した。
青山真治は『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』の6年前に『シェイディー・グローヴ』を撮っていた。『シェイディー・グローヴ』を撮ったあとに『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』を撮る必要はないとつい思ってしまうけれど、でも、やっぱり『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』には僕の感じることのできなかった何かがあったのかもしれない。
『シェイディー・グローヴ』には、いきなり哲学を語りだす警備員のおじいさんがでてきた。それは、まるでゴダールの『男と女のいる舗道』みたいだった。僕はこういう映画が好きなんだとあらためて知れた。