赤線地帯 / 京マチ子
全体の平均評価点: (5点満点)
(24)
解説・ストーリー
芝木好子の短編『洲崎の女』をもとに、成沢昌茂が脚色し溝口健二が監督した。溝口にとってはこれが最後の監督作品となった。撮影を宮川一夫、音楽を黛敏郎が担当。<BR> 赤線地帯にある特殊飲食店「夢の里」の主人は、国会に上程されている売春禁止法案が可決されたら売春婦はみな投獄されると、女たちを慌てさせる。より江はなじみ客と結婚するが、夫婦生活が破綻し舞い戻ってきた。一人息子のために働くゆめ子だったが、その息子から縁を切られ発狂してしまった。やすみは自分に貢いでくれた客に殺されかけた。ラジオが売春禁止法案の否決を伝えると、「夢の里」は再び客の呼び込みを始めた。そしてそこには、店を辞めたやすみに代わり、下働きだったしず子の姿があった。
芝木好子の短編『洲崎の女』をもとに、成沢昌茂が脚色し溝口健二が監督した。溝口にとってはこれが最後の監督作品となった。撮影を宮川一夫、音楽を黛敏郎が担当。<BR> 赤線地帯にある特殊飲食店「夢の里」の主人は、国会に上程されている売春禁止法案が可決されたら売春婦はみな投獄されると、女たちを慌てさせる。より江はなじみ客と結婚するが、夫婦生活が破綻し舞い戻ってきた。一人息子のために働くゆめ子だったが、その息子から縁を切られ発狂してしまった。やすみは自分に貢いでくれた客に殺されかけた。ラジオが売春禁止法案の否決を伝えると、「夢の里」は再び客の呼び込みを始めた。そしてそこには、店を辞めたやすみに代わり、下働きだったしず子の姿があった。
もっと見る▼
新規登録で
「定額レンタル4」月額1,026円(税込)を
14日間無料お試し!※
- 無料お試し期間中『新作』はレンタル対象外です。
新作をレンタルする方法はこちら
- ※本キャンペーンの無料お試しの対象者は、次の@ABのいずれかに該当する方に限ります。
- @「TSUTAYA DISCAS」の定額プラン(定額プランの種類は問いません。以下同じ)の利用開始時に「無料お試し」を利用したことがない方
- A2022年10月2日以前に「TSUTAYA DISCAS」の定額プランの利用を終了された方であって、2022年10月3日以降、「TSUTAYA DISCAS」の定額プランを利用していない方
- B上記@Aのほか、当社が不定期で実施する期間限定キャンペーンにおいて、キャンペーン開始時に、当社が定める参加条件を満たした方
- 無料お試し期間中(14日間)、新作はレンタル対象外です。(但し、上記Bの対象者に限り、新作もレンタル対象となる場合があります)
- 無料お試し期間終了後、登録プラン料金で自動更新となります。
「赤線地帯」 の解説・あらすじ・ストーリー
解説・ストーリー
芝木好子の短編『洲崎の女』をもとに、成沢昌茂が脚色し溝口健二が監督した。溝口にとってはこれが最後の監督作品となった。撮影を宮川一夫、音楽を黛敏郎が担当。<BR> 赤線地帯にある特殊飲食店「夢の里」の主人は、国会に上程されている売春禁止法案が可決されたら売春婦はみな投獄されると、女たちを慌てさせる。より江はなじみ客と結婚するが、夫婦生活が破綻し舞い戻ってきた。一人息子のために働くゆめ子だったが、その息子から縁を切られ発狂してしまった。やすみは自分に貢いでくれた客に殺されかけた。ラジオが売春禁止法案の否決を伝えると、「夢の里」は再び客の呼び込みを始めた。そしてそこには、店を辞めたやすみに代わり、下働きだったしず子の姿があった。
「赤線地帯」 の作品情報
「赤線地帯」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
赤線地帯の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
85分 |
|
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
DABR0384 |
2007年03月23日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
13枚
|
0人
|
1人
|
赤線地帯の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
85分 |
|
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
DABR0384 |
2007年03月23日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
13枚
|
0人
|
1人
|
TSUTAYAだから可能な圧倒的作品数!!
洋画・邦画
約35,500
タイトル以上
国内ドラマも一部含まれております
※2022年2月 現在のタイトル数
新規登録で
「定額レンタル4」月額1,026円(税込)を
14日間無料お試し!※
- 無料お試し期間中『新作』はレンタル対象外です。
新作をレンタルする方法はこちら
- ※本キャンペーンの無料お試しの対象者は、次の@ABのいずれかに該当する方に限ります。
- @「TSUTAYA DISCAS」の定額プラン(定額プランの種類は問いません。以下同じ)の利用開始時に「無料お試し」を利用したことがない方
- A2022年10月2日以前に「TSUTAYA DISCAS」の定額プランの利用を終了された方であって、2022年10月3日以降、「TSUTAYA DISCAS」の定額プランを利用していない方
- B上記@Aのほか、当社が不定期で実施する期間限定キャンペーンにおいて、キャンペーン開始時に、当社が定める参加条件を満たした方
- 無料お試し期間中(14日間)、新作はレンタル対象外です。(但し、上記Bの対象者に限り、新作もレンタル対象となる場合があります)
- 無料お試し期間終了後、登録プラン料金で自動更新となります。
ユーザーレビュー:24件
溝口健二のもう一つの頂点
『赤線地帯』は『新・平気物語』の一年後に製作された作品なのだが、全く別の時期のもしくは別な作家の作品と感じられるほど両者には相違と距離がある。
溝口は小津や成瀬とは異なり、生存時に世界的な名声を得ることができ、また黒澤とは異なり名声が製作環境の良さと直結していた時代の人であるため、『新・平気物語』はその権勢の中で予算等の成約にも余り縛られることなく製作された作品なのだと思う。いや、むしろ溝口の名を世界に広めそれを元に世界市場への進出を狙っていた永田ラッパの強い意志の元に、欧米受けの良い歴史物を題材とした大作を作らされていたというのが実態なのかもしれない。
一方、遺作となった『赤線地帯』は一転して室内セットで制作されたものとなっており、撮影環境のみならず作風も戦前やサイレント期の作品にも共通する落ち着いたもので、その落差に驚きとある種の感銘を感じた。現代物は海外では受けないと思われていたため本作は映画祭のコンペに出展すらされなかったのだが、作品の出来自体は圧倒的に『赤線地帯』の方が良いのだ。
『赤線地帯』は『新・平気物語』と同じ作家が一年違いで撮影したとは思えないほど異なった感触と質の作品で、個人的には溝口作品の一つの極点とすら言い得るほどだと思う。特に、奥の構図の効果的な利用などは戦前の作品においてはそれほど顕著では無かったため、(私見によれば)溝口の独自性と本質的な良さが最も良く現れている戦前の作風には留まらない良さも出ていると感じる。
しかし、小津の『秋刀魚の味』にしても、成瀬の『乱れ雲』にしても、溝口の『赤線地帯』にしても、巨匠と言い得る作家は皆優れた、傑出したと言いうる遺作を残しているし、木下恵介にしても実質的な遺作と言い得る『この子を残して』は名作とえるだろう。『まあだだよ』しか残せなかった黒澤明が手放しで巨匠とは呼べないことがこんなことからも実証されてしまう(もちろんこれは非論理的な暴論だが)。
このレビューは気に入りましたか?
19人の会員が気に入ったと投稿しています
女とストッキングが強くならざるを得なかった時代
投稿日:2008/01/20
レビュアー:こんちゃん
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
レビューを表示する
溝口作品は、きちんとそれと知って観るのは初めてなのです(知らずに観ているかも知れませんが)
ラヴァ様、パロさん、ケチケチさんとDISCASの御大方が、口をそろえて、
「小津、溝口、成瀬は素晴らしい」
とおっしゃるのですが、どうも喰わず嫌いな私だったのです。
いや、これは素晴らしいです。確かに傑作ですね。
登場人物(女性)たちが、皆強くしたたかで、キャラが立っています。
赤線が無くなった年の制作だと言うことですが、特に説明的な描写が無くても、当時の時代背景がよくわかります。「萌の朱雀」に続けて観たので、
「映画は、こうやって観客にわからせてくれなくちゃ」
と思ってしまいましたね。
私は当然、赤線があった頃は知りませんし(生まれてない)この年になるまで風俗というものに行ったことがありません。お金を払って、そういうことをイタしたことは無いのです。ソープ好きの(私たちの年代では、トルコと行った方がピンと来るのですが)友人が言うには、
「あれは、ちゃんと金を払う価値がある」
と言います。最近のファッションマッサージとかの風俗はダメなのだそうです。
興味が無いわけではないのですが、結局行ったことが無いのです。そういう女性は、仕事としてやっているわけですから良いのでしょうが(それが悪いことだとも思いませんし)どうも、そういう行為にお金を払うというのが、失礼な気がするのですね。(詭弁だ〜!じゃ、タダでならやるのかと言うと・・・う〜ん、困った。今はもう枯れ果てたので、タダでもやらんですね・・・)
でも、もしこの当時に生きていたら、「夢の里」に入り浸ったかも知れません。(京マチ子も若尾文子も綺麗だよな〜。あの悪魔のような女は米倉涼子あたりでは演じきれないでしょ)やすみにしても、ゆめ子、よりえ、ミッキーにしても、それぞれ事情があって、こういう世界に身を沈めていても、ある意味生き生きとしているように感じられます。
実際にこうだったのかは別として、非常にリアリティを感じられる作りなのです。実際にそうであることも、実際にはそうではないことも含めて、さもありなんと思わせるのが、映画におけるリアリティだと言うことを考えても、溝口健二はすごいですね。
色々なことを考えさせられるのですが、決して説教臭くはないのです。主義主張だの、テーマ、メッセージなんてものを声高に叫ぶわけでもありません。でも、観る者の胸に突き刺さり、引きつけて離さないものがあります。
音楽は黛敏郎なんですか。物語冒頭から入る、
「ぴゅい〜ん」
と言う、「ゲゲゲの鬼太郎」で、妖怪が登場する時のような音が、妙に違和感が有るんですけど、こんなSEは当時でも異色だったんでしょうね。(SF映画なんかで、よく使われたテルミンかな・・・?)
物語そのものがまるで怪談のようでもあり、観客の心をささくれ立たせるという意味では効果的だと思いますけど、ちょっとなじめなかったかな・・・。
しかし、傑作であることには間違いはないですね。「雨月物語」や「噂の女」も観なくちゃ。あ。成瀬美喜男、小津安二郎もか・・・ますます時間が無くなるなあ・・・・。
このレビューは気に入りましたか?
17人の会員が気に入ったと投稿しています
私のとって初めての溝口作品
この作品が遺作になったとのことですが、これを機に、さかのぼって観てみたいと思いました。
冒頭から度々流れるヒュ〜〜というお化けが出てくる時に定番で使われるような電子音。
現代劇には凡そ不釣合いな効果音が観客の胸をざわつかせる。
同時に冬の木枯らしにも似ているような・・・
舞台は赤線地帯にある「夢の里」。
夢とは名ばかりの世の中の吹き溜まりのような場所。
そこで体を張って稼ぐ女たち
誰が主役ということはなく、満遍なくそこにいる娼婦たちにスポットが当てられている。
歯切れがよくテンポよい話はこびで、白黒映像ながら今観ても少しも古さを感じさせない。
お金の為に身を売る女性は悲壮感が漂いながらどこか逞しくさえ映る。
それにひきかえ登場してくる男たちが何となく情けない。
結核を患い働くところもなく女房に養ってもらっている身の上なのに「こんなことをするのはクズだ」とほざく男、会社の金を横領し娼婦に貢ぐ男、商売がうまく立ち行かなくなり夜逃げする男、世間体を気にして母親を捨てる男、女衒のようなことをしている男、その他枚挙に遑がないくらい登場します。
それは女性たちを強く見せる為の意図的な演出でしょう。
こんな男たちがいるから私たちは泣いている暇なんてないんだわと暗に言わせているような気がしてしかたありません。
この作品は昭和31年のものですが、この年からさかのぼること5年前に小津監督の「麦秋」が上映されています。あのお気楽なオールドミスの娘の嫁入り先を案じる上流社会のお話とこの作品のように観ているだけで気持ちが落ち込むようなお話は、当時の日本の表裏を鑑みるには余りにも落差が激しいのです。
売春防止法が施行された後、このような娼婦たちはどうなっていったんでしょうか?そんなことも考えてしまいました。
このレビューは気に入りましたか?
13人の会員が気に入ったと投稿しています
「夢の里」で見る“夢”とは
監督:溝口健二(1956年・85分)
原作:芝木妙子『洲崎の女』より
奇妙な音のテーマ音楽(黛敏郎)に、冒頭からザワザワした雰囲気を感じます。
戦後10年が過ぎて、売春禁止法案が審議されている頃のこと。
いわゆる赤線地帯と呼ばれていた地域にある「夢の里」で働く女たちの物語です。
「赤線は合法、青線は非合法」と聞いたことがあり、本作鑑賞後に調べてみました。(Wikipedia)
店の形態としては“特殊飲食店”だそうで、
売春行為を許容、黙認する区域を地図に赤い線で囲ったことから赤線地帯と呼ばれたようです。
特殊飲食店の営業許可なしに、一般飲食店の許可のまま売春行為をさせていた区域を青い線で囲んだことから、青線地帯と呼んだのだとか。
さて、「夢の里」に話を戻します。
所轄署の警官が来て、何やら売春禁止法案が話題になっています。
此処で働く女たちの中には、「仕事がなくなったらどうしよう」と困り顔の者もいます。
「夢の里」の主人は、「政治の手が行き届かないところを俺が補っているんだ」と、
まるで自分が女たちの味方の様な言い方です。
女将は、「吉原は、ここで300年続いているんだ。」と、
必要だから存続しているのだと言いたげです。
元手は、女の体一つ。
「自分のものを自分で売って、何がいけないんだい!?」
病気で働けない夫と幼子を養うために、
田舎に残して来た息子と又一緒に住むために、
あるいは家庭や母を顧みなかった父親への反発。
女たちの一人一人に、娼婦にならざるを得なかった事情はあるけれど、
腹をくくった女の逞しさが、そこにはありました。
今日を生きるために、必死で自分を奮い立たせるしかなかったのです。
しかし、女房に体を売らせておきながら、娼婦を人間のクズ扱いする夫。
嫁にと望んでおきながら、実はただ働きの使用人扱いで、「夢の里」の方が働いただけ自分の金になると逃げかえって来た女。
久しぶりに会った息子には「汚い!」と罵られ、縁を切られた母親。
彼女たちが稼いだお金で生活し、ご飯を食べ、育ててもらったのに、一体どの口が言ってるのかと同情したくなります。
しかし、彼女たちには、そんな同情も屈辱に感じることでしょう。
女性を描いた作品と言えば、真っ先に名前が挙がる溝口健二。
女性の持って生まれた“性(さが)”や、
時代や世の中に翻弄されながらも逞しく生きた女性の生き様を、綺麗事ではなく見せてくれます。
『雨月物語』『山椒大夫』の時代と、現代という時代の違いはあっても、
どこかに共通点が見られるのは、そこに普遍的な“女性の本質”のようなものを溝口監督が感じ取っているからでしょう。
女性も、溝口健二が描く女性像の一人に自分を重ね合わせて観るのかも知れません。
このレビューは気に入りましたか?
9人の会員が気に入ったと投稿しています
心優しいニッポンの放蕩者たち
投稿日:2008/09/03
レビュアー:港のマリー
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
レビューを表示する
「クイルズ」に影響されてサドの著作を読んでしまい、ルイス・ブルュエルの暴力性をはらんだ映画に興奮し、すっかり「荒ぶる魂」たちに蹂躙されている(たんに気持ちが荒んでいるだけかも)昨今、この巨匠の遺作が今までとは違った様相で見えてきました。遊郭が舞台なのにエロティックさがさほど感じられず、通ってくる男たちにも欲望をたぎらせているという覇気がない。「特殊飲食店」に勤務する従業員、経営者、出入り業者、客らの織りなす「職場ドラマ」かと思えるほどの淡泊さがどこか物足りなく映りました。
そういえば映画やドラマの遊郭ものはせんなき事情で辛い境遇に身を落とした女たちが健気に生き、客は彼女たちの秘めた心の純真さを愛するというパターンが多い。歓楽の限りを尽くしてやるぞと放蕩精神に燃える男に性のプロフェッショナルである娼婦たちが力の限り応える、遊郭は性のコロシアムだ、なんて設定あまり知りません。(アダルト分野では違うのでしょうが)
「赤線地帯」でもこのパターンが踏襲され娼婦たちの苦境が丁寧に描かれます。木暮実千代は大変な迫力でしたし、若尾文子の冷たい美しさには絶句しました。客たちはこれもパターンどおり、性の快楽という視点は遠ざけられ、サロン「夢の里」に擬似恋愛と擬似家庭を求めて通ってくるようです。欲望の充足より癒やしなんですね。擬似恋愛を本物と勘違いして騒動を起こす愚かな男も登場します。唯一スリリングだったのは京マチ子扮するミッキーが連れ戻しにきた父親、この父は放蕩三昧で母を死に追いやったらしい、に「ウチと遊んでいけ!」と叫ぶ場面でした。もちろん父親は青くなって退散します。背徳の快楽をほのめかして逆にミッキーの傷ついた心の純粋さを浮かび上がらせる、サド侯爵に見せてやりたい見事な技でした。総じてニッポンでは、娼婦と言えどもまじめで健気で、そこに通い詰める男たちも心優しく折り目正しい。神を恐れぬ異国の放蕩者とは違うのだと、誇りたいような、ひ弱さを嘆きたいような・・。
このレビューは気に入りましたか?
9人の会員が気に入ったと投稿しています
ユーザーレビュー
溝口健二のもう一つの頂点
投稿日
2007/03/23
レビュアー
parole
『赤線地帯』は『新・平気物語』の一年後に製作された作品なのだが、全く別の時期のもしくは別な作家の作品と感じられるほど両者には相違と距離がある。
溝口は小津や成瀬とは異なり、生存時に世界的な名声を得ることができ、また黒澤とは異なり名声が製作環境の良さと直結していた時代の人であるため、『新・平気物語』はその権勢の中で予算等の成約にも余り縛られることなく製作された作品なのだと思う。いや、むしろ溝口の名を世界に広めそれを元に世界市場への進出を狙っていた永田ラッパの強い意志の元に、欧米受けの良い歴史物を題材とした大作を作らされていたというのが実態なのかもしれない。
一方、遺作となった『赤線地帯』は一転して室内セットで制作されたものとなっており、撮影環境のみならず作風も戦前やサイレント期の作品にも共通する落ち着いたもので、その落差に驚きとある種の感銘を感じた。現代物は海外では受けないと思われていたため本作は映画祭のコンペに出展すらされなかったのだが、作品の出来自体は圧倒的に『赤線地帯』の方が良いのだ。
『赤線地帯』は『新・平気物語』と同じ作家が一年違いで撮影したとは思えないほど異なった感触と質の作品で、個人的には溝口作品の一つの極点とすら言い得るほどだと思う。特に、奥の構図の効果的な利用などは戦前の作品においてはそれほど顕著では無かったため、(私見によれば)溝口の独自性と本質的な良さが最も良く現れている戦前の作風には留まらない良さも出ていると感じる。
しかし、小津の『秋刀魚の味』にしても、成瀬の『乱れ雲』にしても、溝口の『赤線地帯』にしても、巨匠と言い得る作家は皆優れた、傑出したと言いうる遺作を残しているし、木下恵介にしても実質的な遺作と言い得る『この子を残して』は名作とえるだろう。『まあだだよ』しか残せなかった黒澤明が手放しで巨匠とは呼べないことがこんなことからも実証されてしまう(もちろんこれは非論理的な暴論だが)。
女とストッキングが強くならざるを得なかった時代
投稿日
2008/01/20
レビュアー
こんちゃん
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
レビューを表示する
溝口作品は、きちんとそれと知って観るのは初めてなのです(知らずに観ているかも知れませんが)
ラヴァ様、パロさん、ケチケチさんとDISCASの御大方が、口をそろえて、
「小津、溝口、成瀬は素晴らしい」
とおっしゃるのですが、どうも喰わず嫌いな私だったのです。
いや、これは素晴らしいです。確かに傑作ですね。
登場人物(女性)たちが、皆強くしたたかで、キャラが立っています。
赤線が無くなった年の制作だと言うことですが、特に説明的な描写が無くても、当時の時代背景がよくわかります。「萌の朱雀」に続けて観たので、
「映画は、こうやって観客にわからせてくれなくちゃ」
と思ってしまいましたね。
私は当然、赤線があった頃は知りませんし(生まれてない)この年になるまで風俗というものに行ったことがありません。お金を払って、そういうことをイタしたことは無いのです。ソープ好きの(私たちの年代では、トルコと行った方がピンと来るのですが)友人が言うには、
「あれは、ちゃんと金を払う価値がある」
と言います。最近のファッションマッサージとかの風俗はダメなのだそうです。
興味が無いわけではないのですが、結局行ったことが無いのです。そういう女性は、仕事としてやっているわけですから良いのでしょうが(それが悪いことだとも思いませんし)どうも、そういう行為にお金を払うというのが、失礼な気がするのですね。(詭弁だ〜!じゃ、タダでならやるのかと言うと・・・う〜ん、困った。今はもう枯れ果てたので、タダでもやらんですね・・・)
でも、もしこの当時に生きていたら、「夢の里」に入り浸ったかも知れません。(京マチ子も若尾文子も綺麗だよな〜。あの悪魔のような女は米倉涼子あたりでは演じきれないでしょ)やすみにしても、ゆめ子、よりえ、ミッキーにしても、それぞれ事情があって、こういう世界に身を沈めていても、ある意味生き生きとしているように感じられます。
実際にこうだったのかは別として、非常にリアリティを感じられる作りなのです。実際にそうであることも、実際にはそうではないことも含めて、さもありなんと思わせるのが、映画におけるリアリティだと言うことを考えても、溝口健二はすごいですね。
色々なことを考えさせられるのですが、決して説教臭くはないのです。主義主張だの、テーマ、メッセージなんてものを声高に叫ぶわけでもありません。でも、観る者の胸に突き刺さり、引きつけて離さないものがあります。
音楽は黛敏郎なんですか。物語冒頭から入る、
「ぴゅい〜ん」
と言う、「ゲゲゲの鬼太郎」で、妖怪が登場する時のような音が、妙に違和感が有るんですけど、こんなSEは当時でも異色だったんでしょうね。(SF映画なんかで、よく使われたテルミンかな・・・?)
物語そのものがまるで怪談のようでもあり、観客の心をささくれ立たせるという意味では効果的だと思いますけど、ちょっとなじめなかったかな・・・。
しかし、傑作であることには間違いはないですね。「雨月物語」や「噂の女」も観なくちゃ。あ。成瀬美喜男、小津安二郎もか・・・ますます時間が無くなるなあ・・・・。
私のとって初めての溝口作品
投稿日
2007/07/26
レビュアー
おうち大好き
この作品が遺作になったとのことですが、これを機に、さかのぼって観てみたいと思いました。
冒頭から度々流れるヒュ〜〜というお化けが出てくる時に定番で使われるような電子音。
現代劇には凡そ不釣合いな効果音が観客の胸をざわつかせる。
同時に冬の木枯らしにも似ているような・・・
舞台は赤線地帯にある「夢の里」。
夢とは名ばかりの世の中の吹き溜まりのような場所。
そこで体を張って稼ぐ女たち
誰が主役ということはなく、満遍なくそこにいる娼婦たちにスポットが当てられている。
歯切れがよくテンポよい話はこびで、白黒映像ながら今観ても少しも古さを感じさせない。
お金の為に身を売る女性は悲壮感が漂いながらどこか逞しくさえ映る。
それにひきかえ登場してくる男たちが何となく情けない。
結核を患い働くところもなく女房に養ってもらっている身の上なのに「こんなことをするのはクズだ」とほざく男、会社の金を横領し娼婦に貢ぐ男、商売がうまく立ち行かなくなり夜逃げする男、世間体を気にして母親を捨てる男、女衒のようなことをしている男、その他枚挙に遑がないくらい登場します。
それは女性たちを強く見せる為の意図的な演出でしょう。
こんな男たちがいるから私たちは泣いている暇なんてないんだわと暗に言わせているような気がしてしかたありません。
この作品は昭和31年のものですが、この年からさかのぼること5年前に小津監督の「麦秋」が上映されています。あのお気楽なオールドミスの娘の嫁入り先を案じる上流社会のお話とこの作品のように観ているだけで気持ちが落ち込むようなお話は、当時の日本の表裏を鑑みるには余りにも落差が激しいのです。
売春防止法が施行された後、このような娼婦たちはどうなっていったんでしょうか?そんなことも考えてしまいました。
「夢の里」で見る“夢”とは
投稿日
2019/07/18
レビュアー
kazupon
監督:溝口健二(1956年・85分)
原作:芝木妙子『洲崎の女』より
奇妙な音のテーマ音楽(黛敏郎)に、冒頭からザワザワした雰囲気を感じます。
戦後10年が過ぎて、売春禁止法案が審議されている頃のこと。
いわゆる赤線地帯と呼ばれていた地域にある「夢の里」で働く女たちの物語です。
「赤線は合法、青線は非合法」と聞いたことがあり、本作鑑賞後に調べてみました。(Wikipedia)
店の形態としては“特殊飲食店”だそうで、
売春行為を許容、黙認する区域を地図に赤い線で囲ったことから赤線地帯と呼ばれたようです。
特殊飲食店の営業許可なしに、一般飲食店の許可のまま売春行為をさせていた区域を青い線で囲んだことから、青線地帯と呼んだのだとか。
さて、「夢の里」に話を戻します。
所轄署の警官が来て、何やら売春禁止法案が話題になっています。
此処で働く女たちの中には、「仕事がなくなったらどうしよう」と困り顔の者もいます。
「夢の里」の主人は、「政治の手が行き届かないところを俺が補っているんだ」と、
まるで自分が女たちの味方の様な言い方です。
女将は、「吉原は、ここで300年続いているんだ。」と、
必要だから存続しているのだと言いたげです。
元手は、女の体一つ。
「自分のものを自分で売って、何がいけないんだい!?」
病気で働けない夫と幼子を養うために、
田舎に残して来た息子と又一緒に住むために、
あるいは家庭や母を顧みなかった父親への反発。
女たちの一人一人に、娼婦にならざるを得なかった事情はあるけれど、
腹をくくった女の逞しさが、そこにはありました。
今日を生きるために、必死で自分を奮い立たせるしかなかったのです。
しかし、女房に体を売らせておきながら、娼婦を人間のクズ扱いする夫。
嫁にと望んでおきながら、実はただ働きの使用人扱いで、「夢の里」の方が働いただけ自分の金になると逃げかえって来た女。
久しぶりに会った息子には「汚い!」と罵られ、縁を切られた母親。
彼女たちが稼いだお金で生活し、ご飯を食べ、育ててもらったのに、一体どの口が言ってるのかと同情したくなります。
しかし、彼女たちには、そんな同情も屈辱に感じることでしょう。
女性を描いた作品と言えば、真っ先に名前が挙がる溝口健二。
女性の持って生まれた“性(さが)”や、
時代や世の中に翻弄されながらも逞しく生きた女性の生き様を、綺麗事ではなく見せてくれます。
『雨月物語』『山椒大夫』の時代と、現代という時代の違いはあっても、
どこかに共通点が見られるのは、そこに普遍的な“女性の本質”のようなものを溝口監督が感じ取っているからでしょう。
女性も、溝口健二が描く女性像の一人に自分を重ね合わせて観るのかも知れません。
心優しいニッポンの放蕩者たち
投稿日
2008/09/03
レビュアー
港のマリー
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
レビューを表示する
「クイルズ」に影響されてサドの著作を読んでしまい、ルイス・ブルュエルの暴力性をはらんだ映画に興奮し、すっかり「荒ぶる魂」たちに蹂躙されている(たんに気持ちが荒んでいるだけかも)昨今、この巨匠の遺作が今までとは違った様相で見えてきました。遊郭が舞台なのにエロティックさがさほど感じられず、通ってくる男たちにも欲望をたぎらせているという覇気がない。「特殊飲食店」に勤務する従業員、経営者、出入り業者、客らの織りなす「職場ドラマ」かと思えるほどの淡泊さがどこか物足りなく映りました。
そういえば映画やドラマの遊郭ものはせんなき事情で辛い境遇に身を落とした女たちが健気に生き、客は彼女たちの秘めた心の純真さを愛するというパターンが多い。歓楽の限りを尽くしてやるぞと放蕩精神に燃える男に性のプロフェッショナルである娼婦たちが力の限り応える、遊郭は性のコロシアムだ、なんて設定あまり知りません。(アダルト分野では違うのでしょうが)
「赤線地帯」でもこのパターンが踏襲され娼婦たちの苦境が丁寧に描かれます。木暮実千代は大変な迫力でしたし、若尾文子の冷たい美しさには絶句しました。客たちはこれもパターンどおり、性の快楽という視点は遠ざけられ、サロン「夢の里」に擬似恋愛と擬似家庭を求めて通ってくるようです。欲望の充足より癒やしなんですね。擬似恋愛を本物と勘違いして騒動を起こす愚かな男も登場します。唯一スリリングだったのは京マチ子扮するミッキーが連れ戻しにきた父親、この父は放蕩三昧で母を死に追いやったらしい、に「ウチと遊んでいけ!」と叫ぶ場面でした。もちろん父親は青くなって退散します。背徳の快楽をほのめかして逆にミッキーの傷ついた心の純粋さを浮かび上がらせる、サド侯爵に見せてやりたい見事な技でした。総じてニッポンでは、娼婦と言えどもまじめで健気で、そこに通い詰める男たちも心優しく折り目正しい。神を恐れぬ異国の放蕩者とは違うのだと、誇りたいような、ひ弱さを嘆きたいような・・。
新規登録で
「定額レンタル4」月額1,026円(税込)を
14日間無料お試し!※
- 無料お試し期間中『新作』はレンタル対象外です。
新作をレンタルする方法はこちら
- ※本キャンペーンの無料お試しの対象者は、次の@ABのいずれかに該当する方に限ります。
- @「TSUTAYA DISCAS」の定額プラン(定額プランの種類は問いません。以下同じ)の利用開始時に「無料お試し」を利用したことがない方
- A2022年10月2日以前に「TSUTAYA DISCAS」の定額プランの利用を終了された方であって、2022年10月3日以降、「TSUTAYA DISCAS」の定額プランを利用していない方
- B上記@Aのほか、当社が不定期で実施する期間限定キャンペーンにおいて、キャンペーン開始時に、当社が定める参加条件を満たした方
- 無料お試し期間中(14日間)、新作はレンタル対象外です。(但し、上記Bの対象者に限り、新作もレンタル対象となる場合があります)
- 無料お試し期間終了後、登録プラン料金で自動更新となります。
ご利用の流れ
@ 会員登録
申し込みフォームへ記入したら登録完了!
A 作品をレンタル
借りたい作品をリストアップするだけ!
発送可能な商品を自宅にお届けします。
B ポストに返却
商品をポストに投函すればOK!
各プランはこちら
※1 無料お試し期間中の「新作」レンタルは対象外です。
赤線地帯