彼岸花

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彼岸花 / 有馬稲子

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「彼岸花」 の解説・あらすじ・ストーリー

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解説・ストーリー

世界中の名監督に影響を与えた小津安二郎監督が初のカラー作品に挑戦したホームドラマ。娘が自分の相談なしに結婚の約束をしていたと知った平山は激怒し、2人の結婚に断固として反対を始める。そんな彼の下に、娘の友人が縁談に関する相談に現れる。

「彼岸花」 の作品情報

作品情報

製作年: 1958年
製作国: 日本

「彼岸花」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ

関連作品

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雨月物語

死闘の伝説

まむしの兄弟 恐喝三億円

青春の証明

ユーザーレビュー:16件

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1〜 5件 / 全16件

色遣い ネタバレ

投稿日:2007/01/10 レビュアー:ケチケチ

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

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「彼岸花」のタイトルが表すがごとく、赤の色遣いが印象的です。
茶の間の赤いヤカン、着物の裾からチラチラ見える赤、これらは単に物理的な彩りとしての色彩ではなく、若い世代、娘を象徴しているかのようです。
また、田中絹代が使うラジオにも赤が使われていますので、単に娘というよりは、"嫁ぐ"という共通点を持った女性そのものなのかもしれません。

物語的にも、妻と娘二人という家庭で、佐分利信演じる父はただ一人の男性。この作品の主題となる埋めることの出来ない世代の断絶をよりいっそう際だたせる性の違い。我が家も娘三人に妻という、私以外はすべて女性の家族なのですが、何とはなしに疎外感のような物を感じる寂しさがあったりもするのです。(この物語の登場人物に言わせると、男が盛んだったと言われちゃうかな。(^^;))

また、小津作品独特の"台詞の引っかかり"や正面からの切り返しがいつもにも増して際だつ作品です。佐分利信や田中絹代の演技も非常に押さえた淡々としたもので棒読み的な違和感さえ感じるのですが、ここに浪花千栄子、山本富士子といった異質な演技とでもいった彩りが加わることで、中心となる登場人物の日常性がより際だちます。単にコミカルさを漂わすストーリーテラーとしての役割だけではなく、作品全体の調和をもたらす登場人物による色遣いではないでしょうか。

そして、この作品はparole さんも触れられているラストシークエンスが絶対的な重みを持って迫ってきます。娘に和解という態度を示してやりたいとう気持ちと、いかんともしがたい世代の差。口ずさむ歌をかき消すように鉄橋を渡る列車の音が響き、時間が過ぎ去るがごとく列車は走り去ってゆきます。時代の移り変わりとそれに取り残されたような疎外感。父にとっては自らの人生の秋の訪れを噛み締める車中だったに違いありません。ちょうど秋の初めに咲く「彼岸花」。走り去る列車を見つめながら娘たちの艶やかな"赤"が思い起こされ、艶やかな赤とは対照的に「彼岸花」の寂しさを感じるラストシークエンスです。

娘を持つ父としての共感もあるんだろうけど、震えが来るほどのラスト、そしてしばらく余韻を噛み締めざるを得ないラストシーンでした。遠い昔に見た時にはそれほど印象に残っていないんだけど、私もこの秋の訪れに近づきつつある年代なのかもしれません。
5段階評価は5。

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映画史上最も美しい列車シーンの一つ ネタバレ

投稿日:2006/12/15 レビュアー:parole

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本作はHiroXさんが丁寧にご説明されているとおり、父と娘もしくは世代間の「断絶(深い溝)」をこそテーマとした作品と言えるでしょう。頑固親父の佐分利信と新しい世代の自由な恋愛に生きる有馬稲子を軸としながら、似たような関係性にある山本富士子と桑野みゆきの母娘、世代的には佐分利信と同じでありながら有馬稲子(的な生き方)に理解を示す有馬稲子の母である田中絹代や狂言師的な役割を担う浪花千栄子、さらには佐分利信と同世代の中村伸郎や北龍二、有馬稲子と同世代の佐田啓二や高橋貞二が絡みながらやや錯綜とした感もある物語を構成していきます。ただし、「断絶」がテーマとは言うものの、作品のトーンは後期小津作品の、特にカラー化以降の特徴とも言えるコミカルでアップテンポなものですから、重苦しさを感じることなく軽妙な市民劇として楽しむことができるでしょう。

しかし、そのトーンや味わいは、本作をそれがあるが故に際立たせているとさえ言えるラストシークエンスで一変します。ネタバレになりますので具体的な説明は避けますが、列車内の光景を舞台とした佐分利信の一人芝居はテーマである「断絶」に対する回答、すなわち「和解」と提示したものと言えるでしょう。が、ここでここで提示されるトーンの転調は、やはりラスト部分で大きくトーンを変えそれが大きな感動を呼び起こす『お茶漬けの味』のような爽やかなものではなく、「和解」と言うより「諦念」と言う言葉の方が似合う、悲壮感さえ感じさせるものです。

表面的に見れば、一連の物語に終結をもたらすエピソードを語り継ぐためだけのシーンに感じられるかもしれませんが、私は『東京物語』において走り征く列車を外側から眺める香川京子のシーンと対になっているとさえ感じられる、奥行きと深み、そして凄みさえ感じられる素晴らしいシーンだと思いました。世界で初めての映画作品の一つがリュミエール兄弟の『シオタ駅への列車の到着』であったことからもわかるように、列車自体が極めて映画的な素材なのですが、本作におけるラストシーンは成瀬巳喜男の『流れる』のラスト近くと並ぶ、最も美しく感動的な列車を題材としたシーンだと思いました。

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『だがちょっと時代がずれてるぞ。』(三上)

投稿日:2004/11/21 レビュアー:HiroX

この作品での小津の主要な試みは、いわゆるジェネレーションギャップの諸相を表出させてみせることだろう。お互いが、あからさまに言葉や論理をぶつけて、議論を戦わせると、本質をつかみ損ねがちな、この種の問題を、いかに血のかよった人間の営みとして描くかということに、作者の苦心がそそがれている。

平山とその娘の主張にどのような差異があるかなどは、さほど重要ではない。作者は、娘が結婚をめぐって父親に反対するという「行為」そのものを通して、そこに横たわる深い溝の存在を予感させようとしている。あるいは、谷口が直談判まがいに平山への面会を企てるという「行為」において。このあたりは、映画という表現の特権であって、セリフにもあるような、「封建的」や「自由恋愛」といった文言で言ってしまうとたちまち実態からズレて、薄ら寒いカンネン論の闇に陥ることを見事に回避している。

言うまでもなく、平山が気に食わないのは、谷口個人ではない。平山は、面子のうえでは、父としての好意から進めてきた縁談に冷や水を浴びせかけられ、娘と谷口の結婚の約束に反対しつつ、心の奥では、時代の変化を拒絶しないではいられない古い自分自身に苛立ち、どうしようもないでいる。しかしまた、周囲から、うまくまるめこまれるかたちで事後承認していくことに、本心ではやぶさかではないとも思っている。ここら辺が、日本的というべきか、おもしろいところだ。

『だがちょっと時代がずれてるぞ。』と断って、中学の同窓会で三上が正行の詩吟を始めると、皆、感に堪えないといった顔で耳を澄ます。次第に心がひとつになって、ある時代精神の共有が完了するが、それは、また同時に、彼らが新しい時代から取り残されつつあることをしみじみと自覚させるものだった。

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有馬稲子vs山本富士子

投稿日:2007/02/04 レビュアー:かふう

そろそろうちの娘の嫁入り先を考えねば、と思った矢先に突然娘の恋人と称する求婚者が現れ、へそを曲げた父。
まあ、何にも知らされてなくていきなり「お嬢さんをください」なんて言われたら動揺するのもわかるけど。
人の娘の恋愛結婚については鷹揚なのに、自分の娘に対しては断固反対を表明する父親の勝手さが、滑稽だけれど心中察するものがある。
このあたりの男性心理の機微を語るのは小津の十八番というか、後年は語ることにかなり意欲的な気がするのだが、自身の経験と重ねている部分があるのだろうか。

山本富士子の登場が一服の清涼剤のようで、かわゆらしい京都弁をまくしたてて一気に場面を陽気に盛り上げてくれるのには感心した。
少し陰のある有馬稲子と並ぶと陰と陽の対比が効いていて、いずれ劣らぬ美女二人の個性の違いがわかって面白い。
私がもし男だったら断然山本富士子派だけど。

それにしてもタイトルがなぜ「彼岸花」なのか。
「秋刀魚の味」もそうだが、色々な憶測がとびそうな謎めいたタイトルである。

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興行的配慮でしょうね、これは

投稿日:2010/08/28 レビュアー:zeta2

評価13点 脚本★★★☆ カメラ★★★☆ 演技★★★☆
      興趣★★☆☆ 推奨度★★☆☆

う〜ん、何と言ったらいいのか。
映画はよくできていると思う。キネマ旬報ベストテン第3位というのもいい。でも、私は不満だ。
初めてのカラー映画、興行上失敗は許されない。このあとの作品「お早よう」でもそうだが、お得意のホームドラマを手堅くこなすことで、小津は明らかに守りに入っている。
この映画の題名「彼岸花」からして、妥協の産物であるように思う。これはおそらく、「赤色」を意味するだけだ。撮影の厚田雄春がカラーフィルムを選ぶにあたって、赤の発色がいいとしてドイツのメーカーのものを採用したそうだが、その意味合いがあるのではないか。劇中頻繁に登場する赤色のホーローポット、ラジオ、朱塗りのお椀。映画が興行収入の上に成り立つ以上、これも仕方ないのかもしれないが。
浅川マキが歌う「悲しい恋なら何の色〜♪、真っ赤な港の彼岸花〜♪」少し悲しい。

いまをときめく山本富士子をわざわざ大映から招いて、初のカラー映画に華を添える。同じように31年、32年生まれのスター有馬稲子、久我美子を揃え、戦中世代の父親との意識のずれを描く映画だ。
小津独特のペーソス、ユーモアもふんだんにちりばめられている。田中絹代のアシスタントぶりも、時代の変遷をよく踏まえていて好演だ。
主人公は父親役の佐分利信である。あえて結婚式の状況をすべてカットし、佐分利信のうっ屈した思いに焦点をあてる脚本も成功している。

しかし、戦後まもない49年に「晩春」で描いた、原節子と笠智衆の父娘における結婚をめぐる緊張感はここにはない。
佐分利信がこだわるのは、結婚話に父親である自分が蚊帳の外に置かれているということだけであり、娘の幸せにとっていちばん大事なのは、資産、家柄などの将来を保証する物質的な担保なのか、それとも愛情なのかという問いに答えを出しているわけではない。
佐分利信が物わかりのいい父親から封建的な父に急変するのも、脚本上の要請にすぎない。
世代のずれを描くならば、本来若い世代にもっとスポットをあてなければならないはずだ。

もちろん「晩春」から8年が過ぎ、個人主義が若い人たちに根付き始めてはいるだろう。
それでも、たとえば久我美子と佐田啓二のカップルが、相も変わらず父親の世代と同じ価値観を共有していることは確かである(それは団塊の世代まで受け継がれていく)。そのカップルの関係さえも、小津は省略する。
そして「時代は変わったんだなあ」という父親世代の慨嘆のみを前面に押し出す。旧制中学時代の仲間による合唱、笠智衆が披露する楠正成!の詩吟。それはそれで私は充分楽しめた。
でも、小津さん、ほんとにこれで満足?
そう私は言いたかった。

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1〜 5件 / 全16件

彼岸花

ユーザーレビュー

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ユーザーレビュー:16件

色遣い

投稿日

2007/01/10

レビュアー

ケチケチ

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

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「彼岸花」のタイトルが表すがごとく、赤の色遣いが印象的です。
茶の間の赤いヤカン、着物の裾からチラチラ見える赤、これらは単に物理的な彩りとしての色彩ではなく、若い世代、娘を象徴しているかのようです。
また、田中絹代が使うラジオにも赤が使われていますので、単に娘というよりは、"嫁ぐ"という共通点を持った女性そのものなのかもしれません。

物語的にも、妻と娘二人という家庭で、佐分利信演じる父はただ一人の男性。この作品の主題となる埋めることの出来ない世代の断絶をよりいっそう際だたせる性の違い。我が家も娘三人に妻という、私以外はすべて女性の家族なのですが、何とはなしに疎外感のような物を感じる寂しさがあったりもするのです。(この物語の登場人物に言わせると、男が盛んだったと言われちゃうかな。(^^;))

また、小津作品独特の"台詞の引っかかり"や正面からの切り返しがいつもにも増して際だつ作品です。佐分利信や田中絹代の演技も非常に押さえた淡々としたもので棒読み的な違和感さえ感じるのですが、ここに浪花千栄子、山本富士子といった異質な演技とでもいった彩りが加わることで、中心となる登場人物の日常性がより際だちます。単にコミカルさを漂わすストーリーテラーとしての役割だけではなく、作品全体の調和をもたらす登場人物による色遣いではないでしょうか。

そして、この作品はparole さんも触れられているラストシークエンスが絶対的な重みを持って迫ってきます。娘に和解という態度を示してやりたいとう気持ちと、いかんともしがたい世代の差。口ずさむ歌をかき消すように鉄橋を渡る列車の音が響き、時間が過ぎ去るがごとく列車は走り去ってゆきます。時代の移り変わりとそれに取り残されたような疎外感。父にとっては自らの人生の秋の訪れを噛み締める車中だったに違いありません。ちょうど秋の初めに咲く「彼岸花」。走り去る列車を見つめながら娘たちの艶やかな"赤"が思い起こされ、艶やかな赤とは対照的に「彼岸花」の寂しさを感じるラストシークエンスです。

娘を持つ父としての共感もあるんだろうけど、震えが来るほどのラスト、そしてしばらく余韻を噛み締めざるを得ないラストシーンでした。遠い昔に見た時にはそれほど印象に残っていないんだけど、私もこの秋の訪れに近づきつつある年代なのかもしれません。
5段階評価は5。

映画史上最も美しい列車シーンの一つ

投稿日

2006/12/15

レビュアー

parole

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本作はHiroXさんが丁寧にご説明されているとおり、父と娘もしくは世代間の「断絶(深い溝)」をこそテーマとした作品と言えるでしょう。頑固親父の佐分利信と新しい世代の自由な恋愛に生きる有馬稲子を軸としながら、似たような関係性にある山本富士子と桑野みゆきの母娘、世代的には佐分利信と同じでありながら有馬稲子(的な生き方)に理解を示す有馬稲子の母である田中絹代や狂言師的な役割を担う浪花千栄子、さらには佐分利信と同世代の中村伸郎や北龍二、有馬稲子と同世代の佐田啓二や高橋貞二が絡みながらやや錯綜とした感もある物語を構成していきます。ただし、「断絶」がテーマとは言うものの、作品のトーンは後期小津作品の、特にカラー化以降の特徴とも言えるコミカルでアップテンポなものですから、重苦しさを感じることなく軽妙な市民劇として楽しむことができるでしょう。

しかし、そのトーンや味わいは、本作をそれがあるが故に際立たせているとさえ言えるラストシークエンスで一変します。ネタバレになりますので具体的な説明は避けますが、列車内の光景を舞台とした佐分利信の一人芝居はテーマである「断絶」に対する回答、すなわち「和解」と提示したものと言えるでしょう。が、ここでここで提示されるトーンの転調は、やはりラスト部分で大きくトーンを変えそれが大きな感動を呼び起こす『お茶漬けの味』のような爽やかなものではなく、「和解」と言うより「諦念」と言う言葉の方が似合う、悲壮感さえ感じさせるものです。

表面的に見れば、一連の物語に終結をもたらすエピソードを語り継ぐためだけのシーンに感じられるかもしれませんが、私は『東京物語』において走り征く列車を外側から眺める香川京子のシーンと対になっているとさえ感じられる、奥行きと深み、そして凄みさえ感じられる素晴らしいシーンだと思いました。世界で初めての映画作品の一つがリュミエール兄弟の『シオタ駅への列車の到着』であったことからもわかるように、列車自体が極めて映画的な素材なのですが、本作におけるラストシーンは成瀬巳喜男の『流れる』のラスト近くと並ぶ、最も美しく感動的な列車を題材としたシーンだと思いました。

『だがちょっと時代がずれてるぞ。』(三上)

投稿日

2004/11/21

レビュアー

HiroX

この作品での小津の主要な試みは、いわゆるジェネレーションギャップの諸相を表出させてみせることだろう。お互いが、あからさまに言葉や論理をぶつけて、議論を戦わせると、本質をつかみ損ねがちな、この種の問題を、いかに血のかよった人間の営みとして描くかということに、作者の苦心がそそがれている。

平山とその娘の主張にどのような差異があるかなどは、さほど重要ではない。作者は、娘が結婚をめぐって父親に反対するという「行為」そのものを通して、そこに横たわる深い溝の存在を予感させようとしている。あるいは、谷口が直談判まがいに平山への面会を企てるという「行為」において。このあたりは、映画という表現の特権であって、セリフにもあるような、「封建的」や「自由恋愛」といった文言で言ってしまうとたちまち実態からズレて、薄ら寒いカンネン論の闇に陥ることを見事に回避している。

言うまでもなく、平山が気に食わないのは、谷口個人ではない。平山は、面子のうえでは、父としての好意から進めてきた縁談に冷や水を浴びせかけられ、娘と谷口の結婚の約束に反対しつつ、心の奥では、時代の変化を拒絶しないではいられない古い自分自身に苛立ち、どうしようもないでいる。しかしまた、周囲から、うまくまるめこまれるかたちで事後承認していくことに、本心ではやぶさかではないとも思っている。ここら辺が、日本的というべきか、おもしろいところだ。

『だがちょっと時代がずれてるぞ。』と断って、中学の同窓会で三上が正行の詩吟を始めると、皆、感に堪えないといった顔で耳を澄ます。次第に心がひとつになって、ある時代精神の共有が完了するが、それは、また同時に、彼らが新しい時代から取り残されつつあることをしみじみと自覚させるものだった。

有馬稲子vs山本富士子

投稿日

2007/02/04

レビュアー

かふう

そろそろうちの娘の嫁入り先を考えねば、と思った矢先に突然娘の恋人と称する求婚者が現れ、へそを曲げた父。
まあ、何にも知らされてなくていきなり「お嬢さんをください」なんて言われたら動揺するのもわかるけど。
人の娘の恋愛結婚については鷹揚なのに、自分の娘に対しては断固反対を表明する父親の勝手さが、滑稽だけれど心中察するものがある。
このあたりの男性心理の機微を語るのは小津の十八番というか、後年は語ることにかなり意欲的な気がするのだが、自身の経験と重ねている部分があるのだろうか。

山本富士子の登場が一服の清涼剤のようで、かわゆらしい京都弁をまくしたてて一気に場面を陽気に盛り上げてくれるのには感心した。
少し陰のある有馬稲子と並ぶと陰と陽の対比が効いていて、いずれ劣らぬ美女二人の個性の違いがわかって面白い。
私がもし男だったら断然山本富士子派だけど。

それにしてもタイトルがなぜ「彼岸花」なのか。
「秋刀魚の味」もそうだが、色々な憶測がとびそうな謎めいたタイトルである。

興行的配慮でしょうね、これは

投稿日

2010/08/28

レビュアー

zeta2

評価13点 脚本★★★☆ カメラ★★★☆ 演技★★★☆
      興趣★★☆☆ 推奨度★★☆☆

う〜ん、何と言ったらいいのか。
映画はよくできていると思う。キネマ旬報ベストテン第3位というのもいい。でも、私は不満だ。
初めてのカラー映画、興行上失敗は許されない。このあとの作品「お早よう」でもそうだが、お得意のホームドラマを手堅くこなすことで、小津は明らかに守りに入っている。
この映画の題名「彼岸花」からして、妥協の産物であるように思う。これはおそらく、「赤色」を意味するだけだ。撮影の厚田雄春がカラーフィルムを選ぶにあたって、赤の発色がいいとしてドイツのメーカーのものを採用したそうだが、その意味合いがあるのではないか。劇中頻繁に登場する赤色のホーローポット、ラジオ、朱塗りのお椀。映画が興行収入の上に成り立つ以上、これも仕方ないのかもしれないが。
浅川マキが歌う「悲しい恋なら何の色〜♪、真っ赤な港の彼岸花〜♪」少し悲しい。

いまをときめく山本富士子をわざわざ大映から招いて、初のカラー映画に華を添える。同じように31年、32年生まれのスター有馬稲子、久我美子を揃え、戦中世代の父親との意識のずれを描く映画だ。
小津独特のペーソス、ユーモアもふんだんにちりばめられている。田中絹代のアシスタントぶりも、時代の変遷をよく踏まえていて好演だ。
主人公は父親役の佐分利信である。あえて結婚式の状況をすべてカットし、佐分利信のうっ屈した思いに焦点をあてる脚本も成功している。

しかし、戦後まもない49年に「晩春」で描いた、原節子と笠智衆の父娘における結婚をめぐる緊張感はここにはない。
佐分利信がこだわるのは、結婚話に父親である自分が蚊帳の外に置かれているということだけであり、娘の幸せにとっていちばん大事なのは、資産、家柄などの将来を保証する物質的な担保なのか、それとも愛情なのかという問いに答えを出しているわけではない。
佐分利信が物わかりのいい父親から封建的な父に急変するのも、脚本上の要請にすぎない。
世代のずれを描くならば、本来若い世代にもっとスポットをあてなければならないはずだ。

もちろん「晩春」から8年が過ぎ、個人主義が若い人たちに根付き始めてはいるだろう。
それでも、たとえば久我美子と佐田啓二のカップルが、相も変わらず父親の世代と同じ価値観を共有していることは確かである(それは団塊の世代まで受け継がれていく)。そのカップルの関係さえも、小津は省略する。
そして「時代は変わったんだなあ」という父親世代の慨嘆のみを前面に押し出す。旧制中学時代の仲間による合唱、笠智衆が披露する楠正成!の詩吟。それはそれで私は充分楽しめた。
でも、小津さん、ほんとにこれで満足?
そう私は言いたかった。

1〜 5件 / 全16件