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台風の接近とともに言いようのない感情の高ぶりを見せ騒乱状態に陥る中学生たちの姿を瑞々しく描き出した青春映画の傑作。監督は「セーラー服と機関銃」「ションベン・ライダー」の相米慎二。東京近郊の地方都市。私立中学校のプールに夜、5人の生徒たちが泳ぎにやってくる。彼女たちは先に来ていた男子生徒に気づき、イタズラをするが度が過ぎて溺死寸前の状態に追い込んでしまう。翌朝、ニュースでは台風の接近を告げていた。以来、生徒たちの間で徐々に何かが狂い始めていくようだった……。
台風の接近とともに言いようのない感情の高ぶりを見せ騒乱状態に陥る中学生たちの姿を瑞々しく描き出した青春映画の傑作。監督は「セーラー服と機関銃」「ションベン・ライダー」の相米慎二。東京近郊の地方都市。私立中学校のプールに夜、5人の生徒たちが泳ぎにやってくる。彼女たちは先に来ていた男子生徒に気づき、イタズラをするが度が過ぎて溺死寸前の状態に追い込んでしまう。翌朝、ニュースでは台風の接近を告げていた。以来、生徒たちの間で徐々に何かが狂い始めていくようだった……。
製作年: |
1985年 |
---|---|
製作国: |
日本 |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
115分 | 1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語 |
|
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
GNBR7436 | 2006年04月21日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
23枚 | 0人 | 1人 |
収録時間:
115分
字幕:
音声:
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
レイティング:
記番:
GNBR7436
レンタル開始日:
2006年04月21日
在庫枚数
23枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
1人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
115分 | 1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語 |
|
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
GNBR7436 | 2006年04月21日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
23枚 | 0人 | 1人 |
収録時間:
115分
字幕:
音声:
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
レイティング:
記番:
GNBR7436
レンタル開始日:
2006年04月21日
在庫枚数
23枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
1人
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※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
非常に不謹慎な話ですが、私と家内は台風がけっこう好きなのです。まだ子供が産まれる前は、台風が上陸しそうだと聞くとワクワクして、
「視察しなくちゃ」
などと言いながら、西湘バイパスを走ったりしたものです。(昨年の台風で一部崩壊しました。お〜、こわ)
「台風、来ないかなあ」
と呟く理恵(工藤夕貴)の気持ちはよ〜くわかるのです。
わけのわからないことに一生懸命になれるのは、若さの特権なのかもしれません。
私のように年齢を重ね、分別が付いてくると(あなたに分別なんてモノはないでしょ!」と、かみさんがほざきますが・・・)本作の少年少女のように、そこにあることだけに刹那的に一喜一憂できなくなってしまうのです。その訳の分からないバイテリティーを相米監督は「台風」になぞらえたのでしょう。
たぶん、当初から興行的な成功は望むべくもない作品ですが、角川が薬師丸ひろ子を売り出したいがためだけに依頼して、それを受けてその通りに作ってしまった「セーラー服と機関銃」でのヒットに対する自己批判と言うか、
「本来、自分が作りたい映画の方向性はこれなんだ」
と言うような意志が感じられます。まあ、ディレカンという組織があったればこその作品でしょうが、蓮実先生曰く、
「伊丹十三などよりも、はるかに才能がある」
人ですから、若くして他界することがなければ、どれだけ魅力的な映画を作ってくれただろうと、残念な思いを強くしますね。
行き場のない、というか自分にさえその正体や処理の仕方がわからないティーン・エイジャーのある意味暴力的な葛藤を、否定もせず、肯定もせずさらりと見せる演出は、やたらと
「ほら、かわいそうでしょ?ほら、感動するでしょう?」
とあざとく泣かせようとする監督達に見習わせたいものです。そんな描写の中で、「もしも明日が」と言う、決して泣けるようなものではない歌が、何故かもの悲しく、切なく心に沁みてくるのです。
映画の中に歌詞のある歌を使うことは、諸刃の剣と言いましょうか、非常に難しいと思うのですが、この「もしも明日が」と言い、たぶん当時は、まだそんなに売れていなかったバービーボーイズと言い、映画の質感と情感を高めていて、とても上手い使い方だと思えます。
迷走する若者には、反発する対象と言うべき仮想敵が必要です。多くの場合、それが仕事にかまけて家庭を顧みない両親であったり、愛人を作ってめったに家に返ってこない父親だったりするのですが、本作では少年少女の家庭がほとんど描かれません。その変わりに仮想敵になるのが、三浦友和演じるダメ教師なのですが、これがなかなか良い味を出してます。「赤いシリーズ」で売れっ子にはなったものの、世間の評価は大根役者(事実、大根役者だったと思いますが)で、その後は「山口百恵の夫」と言うイメージでしか見られなかったことへの怒りからなのか、なんとか脱皮したいと言う意気込みがあるようです。
最近「オールウェイズ三丁目の夕日」や「転々」等で、
「大根だと思っていたら、年取って良い味を出すようになったねえ」
とかみさんと話していたのですが、相変わらず大根ではあるのですが、この映画にはそのルーツが見えるような気がします。ダメ男をやらせたら右に出る者は居なくなりましたね(笑)
「あなたには絶対なりません!」
と宣言した三上が、その答えてしてなのかは別として、死を選んだ理由はどうでも良いのですが(この作品において、その理由はさほど重要ではないと思います)彼が、あの容姿で何故モテモテだったのかが、最大の疑問です(彼がもてるのなら、私はハーレムを築けたはずだと思うのです・・)
このレビューは気に入りましたか? 14人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
女子中学生の自慰、好きな女の子にやけどさせレイプ寸前まで追いかけ回す男子生徒、暴風雨の中の裸踊り、そして物思いにふける男子生徒の自殺、とまあ、実に衝撃的な内容のオンパレード。ところが、相米慎二監督は、それを衝撃的な演出では決して描かず、実に淡々と、子供たちを突き放した視線で捉えている。そこが私はこの作品のすばらしいところだと思っている。
いいかげんな大人を代表する先生役を三浦友和が好演。すでに、この頃から先生に希望なんか見いだしてないんだな、というのが実によくわかる。それにしてもこの役、ほんといいね。甘いマスクで一見人の良さそうなお兄さんに見えるだけに、ちょっとイヤな奴を演じるとすごいハマる。現在、いろんな邦画に出てるけど、この作品から今の三浦友和的味わいが出てるんだね。
さて、中学生の狂気を描く、ということでは、私は岩井俊二監督の「リリィ・シュシュのすべて」を思い出さずにはいられない。私は、「リリィ・シュシュのすべて」という映画が好きではない。なぜ、こんなにも「リリィ・シュシュのすべて」が嫌いなんだろう、と思っていたのだが、今回「台風クラブ」を改めて見てその理由がわかったような気がした。それは作り手である大人の視点である。
もちろん、映画の感じ方は人それぞれだからいろいろあるんだろうけれども、私は「リリィ・シュシュ」を見て、「子供におもねる大人」を感じ取ったんだと思う。今どきの子供はこんなに闇を抱えている、かわいそうでしょ?それをボクはとても理解しているんだ、と岩井監督は言っているような気がして仕方ならない。しかし、「台風クラブ」の相米監督は、彼らが抱える狂気には距離を取って、あくまでも大人の冷静な視点でとらえている。
確かに現代の子供たちは過酷な現実を生きている。しかし、1985年の作品でも取り出されているモチーフは、今とほとんど変わらないのだ。まあ、「リリィ・シュシュ」のメインテーマは「いじめ」なので、暗くなるのはしょうがないとしても、そこには未来も希望もない。それを大人が発信して何になると言うのだ。「台風クラブ」のラストシーン、水だまりで埋まった校舎を見て主人公の工藤夕貴は「なんてきれい」とつぶやく。彼女はボーイフレンドが自殺したことを知らない。しかし、このラストシーンが象徴する彼らの未来は、決して暗闇なんかではない。大人は子供たちに現実のつらさを教えることはあっても、決して希望がないなんて、突きつけてはいけないと私は思うのだ。
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※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
台風が来ることにハシャグような気持ちになることも、思春期の若者の危うさというものも、昔からのことではありますが、それでもこの作品を観ての印象として、1985年(もう25年も前 !!)という時代性、登場人物の世代というものを、ぼくは感じてしまいます。
当時の表現では「新人類」、いまアラフォーとなっている人たちが生きた、その時は社会の意識が急激に変わった時代だったと思います。(その上の世代としてぼくも同時代を生きてきました。)
1985年。
「Japan as No.1」で始まった80年代、日米経済摩擦が起こるほどの輸出攻勢、「一億総中流化」「飽食の時代」などと言われ、85年のプラザ合意からこのあとバブルへと進むわけで、「モノを作り売る」ことから「カネがカネを生む」時代が露になってきて、この年には豊田商事事件が起こり、メディアが見つめる中で殺人が起きました。 ロス疑惑もこの頃。
きわどい歌詞があった所で山口百恵やピンク・レディ、キャンディースの70年代にはアイドルは文字通り偶像で無垢なものという「神話」があったと思いますが、80年代の若者たちの感性はもはやクールなものとなって、『スチュワーデス物語』なんてクサさにツッコミを入れて楽しむことを覚えてしまいました。
ファンの側も偶像のネタばれを承知の時代。
おニャン子クラブという、秋元康のあからさまなアイドル・ビジネスが展開されるのも85年。
日航の「逆噴射」が82年、映画『逆噴射家族』が84年、そして85年はジャンボ機墜落「ダッチロール」の年。
なによりビデオの普及でアダルト・ビデオの隆盛が始まるのが、この85年頃から。 日本社会の性意識、ハードルが決定的に変わってしまった時期と思います。
そうした時代状況が感受性豊かな思春期の若者に影響がないわけがない、と思います。
これ以前の時期の、思春期の若者を描くドラマでは、若者たちの葛藤があり、反抗したり教えられたりする相手として親や教師ら大人が出てきて、もまれるうちに成長して社会の一員となっていくのですが、この作品では何も言わない寺田農以外に親は出てこないし、学校にも校長や教頭や他の教師たちが出てきません。
ドキュメンタリーのような撮り方ですが、実はシュールな作品です。
三浦友和(山口百恵の作品の相手役であり私生活でも結婚した、アイドルの持つ神話を実体化させた存在)が演じるのはシラケきった人生を送るダメ教師で、「15年も経てば俺になる」と言って三上を絶望させる。
尾美としのり(叙情的な青春を描いた作品を撮り続けた大林宣彦監督の代表作とも言える『転校生』に主演)が演じるのは、家出したが東京で出会う、「家出した女子中学生を自分の部屋に引きとめようとする男」。
そしてキーパーソンの三上を演じた三上祐一は鶴見慎吾(金八先生の第1シーズンで、15歳の父親が、親や教師、クラスメートらまわりに支えられて生きていくのを演じた)の実弟、という思い込みのはげしいぼくの妄想を掻き立てる、従来の青春ドラマの「神話」を否定するかのようなキャスティング。
従来の青春ドラマの描写では、子ども、特に「少女」は処女性とともに純真さ、無垢であることが多かった。
それはイメージで女の子たちを縛ることにもなるので、自慰や同性愛など性愛を持つ存在としては描くだけなら性のめざめ、「解放」ということもいえるでしょうが、このドラマでは自由によって純粋さ、無垢さを「喪失」させらてしまっていることも、描いていると思います。
オープニングで、悪ふざけから危うく同級生を死なせてしまいそうになるのは「少女」たち。
少女の背中にタバコを入れたり、レイプしようとする清水の狂気はショッキングですが、七転八倒する美智子を見て笑ったり、ただのんびりとあおいでいる「少女」たちの描写は恐ろしい。
この映画に流れる感情のベースは「倦怠」であり、そう呼ぶには幼すぎますが「頽廃」的なシラケ、冷笑ですね。 そうした自分たちの気分に抵抗するかのように「生」を求め、狂気の暴走をしていっている、と思います。
映画の前半は観ていて不愉快なだけでしたが、後半からはそんな彼らがイタイタしく、いとおしく感じました。
くりかえし使われる歌は、わらべの『もしも明日が・・・』で、思い出されるのは、ニャンニャン事件。
その「少女」アイドルの一人(『積み木くずし』にも主演)がベッドの上でタバコを吸っている写真が写真週刊誌に発表された。 それがただの芸能スキャンダル以上の後味の悪さを残したのは、その写真を提供したのが元彼氏で、その後自殺したことであり、大人が子どものした過ちに乗っかって子どもの人生を破壊したことだった、と思います。
この歌の歌詞、そして「失われた無垢」という意味での、なんと皮肉な使われ方でしょうか。
(つづく)
このレビューは気に入りましたか? 7人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
折りしも今日は台風4号接近のニュースが流れ続けている土曜の午後。
不穏な突風や降り続く雨、何となく心がざわつく。
なんとタイムリーな作品の届いたこと。
中学3年生の思春期特有のざわざわした気分。気圧前線や漠然とした不安に煽られ渦はどんどん大きくなる。
ちょっと特異な状況が描かれているが、ありえなくもないと思わされる。
多かれ少なかれ自分にも確実にあった一時期だ。
実は何を隠そうプールで泳ぐ中学3年生は夜中でもなく、男の子もいたぶらなかったが紛れもなく私も似た思い出があってドッキリ。(皆さん引かないで!)
台風のように去ってしまえば跡形も無いものでも、大きな傷跡が残ることもあるだろう。それが主人公三上のラストであり、それぞれの台風だった。
最初から最後まで見識ある態度だった三上君の「皆さんに捧げる教え」はあまりに唐突で説得力が無かった。映画はショッキングな幕切れを得られるが、んーー?だ。そしてちょっと長い。
私的にはそれほど無責任には思わなかったけど三浦友和は生徒から糾弾されるダメ男を好演していた。
このレビューは気に入りましたか? 7人の会員が気に入ったと投稿しています
入力内容に誤りがあります。
内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。
ユーザーレビュー:27件
投稿日
2008/06/04
レビュアー
こんちゃん※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
非常に不謹慎な話ですが、私と家内は台風がけっこう好きなのです。まだ子供が産まれる前は、台風が上陸しそうだと聞くとワクワクして、
「視察しなくちゃ」
などと言いながら、西湘バイパスを走ったりしたものです。(昨年の台風で一部崩壊しました。お〜、こわ)
「台風、来ないかなあ」
と呟く理恵(工藤夕貴)の気持ちはよ〜くわかるのです。
わけのわからないことに一生懸命になれるのは、若さの特権なのかもしれません。
私のように年齢を重ね、分別が付いてくると(あなたに分別なんてモノはないでしょ!」と、かみさんがほざきますが・・・)本作の少年少女のように、そこにあることだけに刹那的に一喜一憂できなくなってしまうのです。その訳の分からないバイテリティーを相米監督は「台風」になぞらえたのでしょう。
たぶん、当初から興行的な成功は望むべくもない作品ですが、角川が薬師丸ひろ子を売り出したいがためだけに依頼して、それを受けてその通りに作ってしまった「セーラー服と機関銃」でのヒットに対する自己批判と言うか、
「本来、自分が作りたい映画の方向性はこれなんだ」
と言うような意志が感じられます。まあ、ディレカンという組織があったればこその作品でしょうが、蓮実先生曰く、
「伊丹十三などよりも、はるかに才能がある」
人ですから、若くして他界することがなければ、どれだけ魅力的な映画を作ってくれただろうと、残念な思いを強くしますね。
行き場のない、というか自分にさえその正体や処理の仕方がわからないティーン・エイジャーのある意味暴力的な葛藤を、否定もせず、肯定もせずさらりと見せる演出は、やたらと
「ほら、かわいそうでしょ?ほら、感動するでしょう?」
とあざとく泣かせようとする監督達に見習わせたいものです。そんな描写の中で、「もしも明日が」と言う、決して泣けるようなものではない歌が、何故かもの悲しく、切なく心に沁みてくるのです。
映画の中に歌詞のある歌を使うことは、諸刃の剣と言いましょうか、非常に難しいと思うのですが、この「もしも明日が」と言い、たぶん当時は、まだそんなに売れていなかったバービーボーイズと言い、映画の質感と情感を高めていて、とても上手い使い方だと思えます。
迷走する若者には、反発する対象と言うべき仮想敵が必要です。多くの場合、それが仕事にかまけて家庭を顧みない両親であったり、愛人を作ってめったに家に返ってこない父親だったりするのですが、本作では少年少女の家庭がほとんど描かれません。その変わりに仮想敵になるのが、三浦友和演じるダメ教師なのですが、これがなかなか良い味を出してます。「赤いシリーズ」で売れっ子にはなったものの、世間の評価は大根役者(事実、大根役者だったと思いますが)で、その後は「山口百恵の夫」と言うイメージでしか見られなかったことへの怒りからなのか、なんとか脱皮したいと言う意気込みがあるようです。
最近「オールウェイズ三丁目の夕日」や「転々」等で、
「大根だと思っていたら、年取って良い味を出すようになったねえ」
とかみさんと話していたのですが、相変わらず大根ではあるのですが、この映画にはそのルーツが見えるような気がします。ダメ男をやらせたら右に出る者は居なくなりましたね(笑)
「あなたには絶対なりません!」
と宣言した三上が、その答えてしてなのかは別として、死を選んだ理由はどうでも良いのですが(この作品において、その理由はさほど重要ではないと思います)彼が、あの容姿で何故モテモテだったのかが、最大の疑問です(彼がもてるのなら、私はハーレムを築けたはずだと思うのです・・)
投稿日
2006/11/27
レビュアー
ガラリーナ※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
女子中学生の自慰、好きな女の子にやけどさせレイプ寸前まで追いかけ回す男子生徒、暴風雨の中の裸踊り、そして物思いにふける男子生徒の自殺、とまあ、実に衝撃的な内容のオンパレード。ところが、相米慎二監督は、それを衝撃的な演出では決して描かず、実に淡々と、子供たちを突き放した視線で捉えている。そこが私はこの作品のすばらしいところだと思っている。
いいかげんな大人を代表する先生役を三浦友和が好演。すでに、この頃から先生に希望なんか見いだしてないんだな、というのが実によくわかる。それにしてもこの役、ほんといいね。甘いマスクで一見人の良さそうなお兄さんに見えるだけに、ちょっとイヤな奴を演じるとすごいハマる。現在、いろんな邦画に出てるけど、この作品から今の三浦友和的味わいが出てるんだね。
さて、中学生の狂気を描く、ということでは、私は岩井俊二監督の「リリィ・シュシュのすべて」を思い出さずにはいられない。私は、「リリィ・シュシュのすべて」という映画が好きではない。なぜ、こんなにも「リリィ・シュシュのすべて」が嫌いなんだろう、と思っていたのだが、今回「台風クラブ」を改めて見てその理由がわかったような気がした。それは作り手である大人の視点である。
もちろん、映画の感じ方は人それぞれだからいろいろあるんだろうけれども、私は「リリィ・シュシュ」を見て、「子供におもねる大人」を感じ取ったんだと思う。今どきの子供はこんなに闇を抱えている、かわいそうでしょ?それをボクはとても理解しているんだ、と岩井監督は言っているような気がして仕方ならない。しかし、「台風クラブ」の相米監督は、彼らが抱える狂気には距離を取って、あくまでも大人の冷静な視点でとらえている。
確かに現代の子供たちは過酷な現実を生きている。しかし、1985年の作品でも取り出されているモチーフは、今とほとんど変わらないのだ。まあ、「リリィ・シュシュ」のメインテーマは「いじめ」なので、暗くなるのはしょうがないとしても、そこには未来も希望もない。それを大人が発信して何になると言うのだ。「台風クラブ」のラストシーン、水だまりで埋まった校舎を見て主人公の工藤夕貴は「なんてきれい」とつぶやく。彼女はボーイフレンドが自殺したことを知らない。しかし、このラストシーンが象徴する彼らの未来は、決して暗闇なんかではない。大人は子供たちに現実のつらさを教えることはあっても、決して希望がないなんて、突きつけてはいけないと私は思うのだ。
投稿日
2010/03/26
レビュアー
ロキュータス※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
台風が来ることにハシャグような気持ちになることも、思春期の若者の危うさというものも、昔からのことではありますが、それでもこの作品を観ての印象として、1985年(もう25年も前 !!)という時代性、登場人物の世代というものを、ぼくは感じてしまいます。
当時の表現では「新人類」、いまアラフォーとなっている人たちが生きた、その時は社会の意識が急激に変わった時代だったと思います。(その上の世代としてぼくも同時代を生きてきました。)
1985年。
「Japan as No.1」で始まった80年代、日米経済摩擦が起こるほどの輸出攻勢、「一億総中流化」「飽食の時代」などと言われ、85年のプラザ合意からこのあとバブルへと進むわけで、「モノを作り売る」ことから「カネがカネを生む」時代が露になってきて、この年には豊田商事事件が起こり、メディアが見つめる中で殺人が起きました。 ロス疑惑もこの頃。
きわどい歌詞があった所で山口百恵やピンク・レディ、キャンディースの70年代にはアイドルは文字通り偶像で無垢なものという「神話」があったと思いますが、80年代の若者たちの感性はもはやクールなものとなって、『スチュワーデス物語』なんてクサさにツッコミを入れて楽しむことを覚えてしまいました。
ファンの側も偶像のネタばれを承知の時代。
おニャン子クラブという、秋元康のあからさまなアイドル・ビジネスが展開されるのも85年。
日航の「逆噴射」が82年、映画『逆噴射家族』が84年、そして85年はジャンボ機墜落「ダッチロール」の年。
なによりビデオの普及でアダルト・ビデオの隆盛が始まるのが、この85年頃から。 日本社会の性意識、ハードルが決定的に変わってしまった時期と思います。
そうした時代状況が感受性豊かな思春期の若者に影響がないわけがない、と思います。
これ以前の時期の、思春期の若者を描くドラマでは、若者たちの葛藤があり、反抗したり教えられたりする相手として親や教師ら大人が出てきて、もまれるうちに成長して社会の一員となっていくのですが、この作品では何も言わない寺田農以外に親は出てこないし、学校にも校長や教頭や他の教師たちが出てきません。
ドキュメンタリーのような撮り方ですが、実はシュールな作品です。
三浦友和(山口百恵の作品の相手役であり私生活でも結婚した、アイドルの持つ神話を実体化させた存在)が演じるのはシラケきった人生を送るダメ教師で、「15年も経てば俺になる」と言って三上を絶望させる。
尾美としのり(叙情的な青春を描いた作品を撮り続けた大林宣彦監督の代表作とも言える『転校生』に主演)が演じるのは、家出したが東京で出会う、「家出した女子中学生を自分の部屋に引きとめようとする男」。
そしてキーパーソンの三上を演じた三上祐一は鶴見慎吾(金八先生の第1シーズンで、15歳の父親が、親や教師、クラスメートらまわりに支えられて生きていくのを演じた)の実弟、という思い込みのはげしいぼくの妄想を掻き立てる、従来の青春ドラマの「神話」を否定するかのようなキャスティング。
従来の青春ドラマの描写では、子ども、特に「少女」は処女性とともに純真さ、無垢であることが多かった。
それはイメージで女の子たちを縛ることにもなるので、自慰や同性愛など性愛を持つ存在としては描くだけなら性のめざめ、「解放」ということもいえるでしょうが、このドラマでは自由によって純粋さ、無垢さを「喪失」させらてしまっていることも、描いていると思います。
オープニングで、悪ふざけから危うく同級生を死なせてしまいそうになるのは「少女」たち。
少女の背中にタバコを入れたり、レイプしようとする清水の狂気はショッキングですが、七転八倒する美智子を見て笑ったり、ただのんびりとあおいでいる「少女」たちの描写は恐ろしい。
この映画に流れる感情のベースは「倦怠」であり、そう呼ぶには幼すぎますが「頽廃」的なシラケ、冷笑ですね。 そうした自分たちの気分に抵抗するかのように「生」を求め、狂気の暴走をしていっている、と思います。
映画の前半は観ていて不愉快なだけでしたが、後半からはそんな彼らがイタイタしく、いとおしく感じました。
くりかえし使われる歌は、わらべの『もしも明日が・・・』で、思い出されるのは、ニャンニャン事件。
その「少女」アイドルの一人(『積み木くずし』にも主演)がベッドの上でタバコを吸っている写真が写真週刊誌に発表された。 それがただの芸能スキャンダル以上の後味の悪さを残したのは、その写真を提供したのが元彼氏で、その後自殺したことであり、大人が子どものした過ちに乗っかって子どもの人生を破壊したことだった、と思います。
この歌の歌詞、そして「失われた無垢」という意味での、なんと皮肉な使われ方でしょうか。
(つづく)
投稿日
2007/07/14
レビュアー
花ちゃん※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
折りしも今日は台風4号接近のニュースが流れ続けている土曜の午後。
不穏な突風や降り続く雨、何となく心がざわつく。
なんとタイムリーな作品の届いたこと。
中学3年生の思春期特有のざわざわした気分。気圧前線や漠然とした不安に煽られ渦はどんどん大きくなる。
ちょっと特異な状況が描かれているが、ありえなくもないと思わされる。
多かれ少なかれ自分にも確実にあった一時期だ。
実は何を隠そうプールで泳ぐ中学3年生は夜中でもなく、男の子もいたぶらなかったが紛れもなく私も似た思い出があってドッキリ。(皆さん引かないで!)
台風のように去ってしまえば跡形も無いものでも、大きな傷跡が残ることもあるだろう。それが主人公三上のラストであり、それぞれの台風だった。
最初から最後まで見識ある態度だった三上君の「皆さんに捧げる教え」はあまりに唐突で説得力が無かった。映画はショッキングな幕切れを得られるが、んーー?だ。そしてちょっと長い。
私的にはそれほど無責任には思わなかったけど三浦友和は生徒から糾弾されるダメ男を好演していた。
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