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ポーランドのダンチッヒを舞台に3歳で自らの成長を止めた少年オスカルの視点で、1927年から1945年の激動の時代を描いた異色の大力作。ブリキの太鼓を叩き、奇声を発しガラスを割るという不思議な力も身につけたオスカル、従兄との不倫を続ける母、臆病者の父、画面は時代が産んだ奇異なキャラクターとグロテスクな描写に溢れ、その毒気たるや凄まじいばかりのものである。
製作年: |
1979年 |
---|---|
製作国: |
西ドイツ/フランス/ポーランド |
原題: |
DIE BLECHTROMMEL/TIN DRUM/DE TAMBOUR |
受賞記録: |
1979年 アカデミー賞 外国語映画賞
1979年 カンヌ国際映画祭 パルム・ドール 1980年 LA批評家協会賞 外国映画賞 |
監督: |
フォルカー・シュレンドルフ |
---|---|
製作: |
フランク・ザイツ 、 アナトール・ドーマン |
出演: |
ダーヴィット・ベネント 、 マリオ・アドルフ 、 アンゲラ・ヴィンクラ 、 ハインツ・ベネント 、 ダニエル・オルブリフスキー 、 オットー・ザンダー 、 シャルル・アズナブール 、 カタリナ・タルバッハ 、 ダーヴィット・ベネント 、 ハインツ・ベネント |
脚本: |
ジャン・クロード・カリエール 、 フォルカー・シュレンドルフ |
原作: |
ギュンター・グラス 、 ギュンター・グラス |
撮影: |
イゴール・ルター 、 イゴール・ルター |
音楽: |
モーリス・ジャール |
ポーランドのダンチッヒを舞台に3歳で自らの成長を止めた少年オスカルの視点で、1927年から1945年の激動の時代を描いた異色の大力作。ブリキの太鼓を叩き、奇声を発しガラスを割るという不思議な力も身につけたオスカル、従兄との不倫を続ける母、臆病者の父、画面は時代が産んだ奇異なキャラクターとグロテスクな描写に溢れ、その毒気たるや凄まじいばかりのものである。
製作年: |
1979年 |
---|---|
製作国: |
西ドイツ/フランス/ポーランド |
原題: |
DIE BLECHTROMMEL/TIN DRUM/DE TAMBOUR |
受賞記録: |
1979年 アカデミー賞 外国語映画賞
1979年 カンヌ国際映画祭 パルム・ドール 1980年 LA批評家協会賞 外国映画賞 |
監督: |
フォルカー・シュレンドルフ |
---|---|
製作: |
フランク・ザイツ 、 アナトール・ドーマン |
出演: |
ダーヴィット・ベネント 、 マリオ・アドルフ 、 アンゲラ・ヴィンクラ 、 ハインツ・ベネント 、 ダニエル・オルブリフスキー 、 オットー・ザンダー 、 シャルル・アズナブール 、 カタリナ・タルバッハ 、 ダーヴィット・ベネント 、 ハインツ・ベネント |
脚本: |
ジャン・クロード・カリエール 、 フォルカー・シュレンドルフ |
---|---|
原作: |
ギュンター・グラス 、 ギュンター・グラス |
撮影: |
イゴール・ルター 、 イゴール・ルター |
音楽: |
モーリス・ジャール |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
142分 | 日本語 | 1:ドルビーデジタル/モノラル/ドイツ語 |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
47DRT20110 | 2005年07月29日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
5枚 | 0人 | 1人 |
収録時間:
142分
字幕:
日本語
音声:
1:ドルビーデジタル/モノラル/ドイツ語
レイティング:
記番:
47DRT20110
レンタル開始日:
2005年07月29日
在庫枚数
5枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
1人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
142分 | 日本語 | 1:ドルビーデジタル/モノラル/ドイツ語 |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
47DRT20110 | 2005年07月29日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
5枚 | 0人 | 1人 |
収録時間:
142分
字幕:
日本語
音声:
1:ドルビーデジタル/モノラル/ドイツ語
レイティング:
記番:
47DRT20110
レンタル開始日:
2005年07月29日
在庫枚数
5枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
1人
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公開当時は世界中で大きな話題になりドイツ映画界の年間全興収の3割以上を稼ぎ出したらしい。あの「地獄の黙示録」と対等に賞を分け合う程だったらしい。
でも私には合わなかった・・。第二次世界大戦前後のドイツ・ポーランド・ユダヤ人等々が雑居している街の「日常」や主人公に全く感情移入できず・・。
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1927年ダンツィヒ生まれの作家ギュンター・グラスの自伝的小説、「ブリキの太鼓」の映画化である。生まれる前に既に意思を持ち、3歳で自ら成長を止め大人の繰り広げる愚劣な世界を冷ややかに見つめる特異な「子ども」を語り手にする奇想天外な発想、執拗なグロテスク描写、感情移入どころか嫌悪感をかき立てる醜怪な人間ばかりの登場、などはすべてグラスに負っている。原作のほうがグロテスクへの偏執度ははるかに高い。映画はこれでも配慮している。それでも生理的に耐え難いと非難する人は多い。
主人公オスカルの物語は3代前に遡る。母のアグネスを祖母が受胎したのはスカートの中にかくまった放火魔コリヤイチェクの仕業である。広大なじゃがいも畑の真ん中、4枚のスカートをはぐって現れる放火魔はずり落ちたズボンをしきりに直している。黒い笑いの最初の一撃。そのアグネスは従兄弟のヤンと恋仲であるにもかかわらずドイツ人マツェラートと結婚しその後ずっと不倫を続けている。どちらがオスカルの父親であるか、実は定かではない。ダンツィヒは多民族都市でドイツ人、ポーランド人、カシュバイ人、そしてユダヤ人が混在している。祖母は少数民族のカシュバイ人のアイデンティティを持ち続けるが、ヤンはポーランド人として生きアグネスはドイツとポーランドの間で揺れる。飛び入りでユダヤ人のおもちゃ屋マルクスには、一緒にイギリスへ渡りましょうなどと告白されもする。恋も愚行も民族問題がらみ、いやでもインターナショナルにならざるを得ないヨーロッパの事情を、自己陶酔で過去を振り返りがちな日本とつい比較してしまった。
さて異形の子どもオスカルの悪魔のようにシニカルなまなざしがとらえるのは、1927年から1945年までのダンツィヒの運命である。日本で言えば、金融恐慌、山東出兵からファシズム台頭、戦争拡大、敗戦まで。ドイツは言うまでもなくナチスの台頭と隆盛と破滅までの時代。その時代の庶民をグラスは、そして映画は徹底的に愚かで滑稽で下劣でげすなものとして描く。「地獄に堕ちた勇者ども」が上流階級の美的ナチズム批判なら、これはナチズムを支えた一般庶民の下劣さへの言及である。どこかでドイツ版自虐史観という感想を読んだが、「自虐」などという感傷は一片もないとわたしは思う。オスカルという語り手の独創性がそんなものは寄せ付けないのだ。
あの時代、ナチスの熱に浮かされた時代は、馬の首の腐肉の中で蠢く鰻のような、生の魚を鬼気迫る表情で食べ続けるアグネスのような狂気に満ちたおぞましい時代であり、オスカルの声で割れた医院の診療室のガラス瓶から流れ出すホルマリン漬けのは虫類や両生類やヒトの胎児の標本のような、封印されていた不気味なものが一斉に流れ出した時代だったのである。
オスカルを大国に蹂躙されて未成熟なポーランドの象徴とする見方があることも、ひ弱な「民主主義」の象徴と捉える向きがあることも知っている。が、私はオスカル自身もナチスとその支配下の民衆の姿ではないかと、感じている。シニカルでありながら幼児的で偏執的で周囲の者に死をもたらすを悪魔性を持つ特異の存在、彼は人類史上初めて登場した支配体制全体主義(ファシズム)そのもののエッセンスではないのか。
最初は拒絶した映画も二度見ると、ただし鰻のシーンは飛ばして、愚かさの悲しみみたいなものがわかってきた。行きがかりで郵便局蜂起に付き合わされたヤンの最後は哀しい。小人症のペプラ氏の気品と知性には圧倒される。希望と言えるほどではないが、時代がいかに変わろうと大地にへばりつき、大きなスカートの下に男を匿ってやるカシュバイ人の祖母の存在には安心する。
人生の終わりに親衛隊員であった過去を告白したグラスを、称えこそすれ責める資格は日本人にはないんじゃないかと思う。戦前軍部に協力したことを墓場には持って行けない恥として、裁いてくれと告白する文学者も、そうでない人も日本には皆無ではないとしても極々少数派。そんなことをすればドイツとは逆の意味で白い目で見られる。精神のありようの違いをここにも感じる。
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1899年、ポーランドのダンツィヒ。
荒野にいたアンナは、敵兵から逃げて来た男をスカートの中に匿い、これが元で、アンナは女の子を産みます。
成長した女の子は、結婚はするものの、従兄弟のヤンと不倫し、主人公のオスカルを産みます。
3歳のオスカルは、そんな堕落した大人達を目の当たりにして、嫌気がさしたのか、大人の世界を拒絶するあまりに、自らの成長を止めます。太鼓をたたいて、奇妙な叫び声をあげると、ガラスが粉々に割れるという特殊な能力が身につきます。
映画はオスカルの視点から、大人の世界、時代の動きを見つめます。成長することを拒否したオスカルを通して腐敗し、堕落する人間、忍び寄る戦火の恐れをグロテスクな表現を多用することで、寓意的に描いているので、一見そんなに強烈には感じないのですが、実は、やることなすこと、醜い大人達への復讐と、愚かしい行動への嘲弄なのだと想います。
醜悪な現実と、醜悪な人間によって、生きられざるを得なくなった時、哀しさと愚かさに怒りが溢れていますが、彼が成長すると受け止めた時、それが一体どんな意味を持つのか?
私は、彼も醜い大人になることを決意したのだと思います。
ラスト、立ち去るものと、残るもの、そこも皮肉めいていて、良かったです。
このレビューは気に入りましたか? 13人の会員が気に入ったと投稿しています
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ユーザーレビュー:42件
投稿日
2010/07/05
レビュアー
ホヨマックス※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
公開当時は世界中で大きな話題になりドイツ映画界の年間全興収の3割以上を稼ぎ出したらしい。あの「地獄の黙示録」と対等に賞を分け合う程だったらしい。
でも私には合わなかった・・。第二次世界大戦前後のドイツ・ポーランド・ユダヤ人等々が雑居している街の「日常」や主人公に全く感情移入できず・・。
投稿日
2009/03/16
レビュアー
港のマリー※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
1927年ダンツィヒ生まれの作家ギュンター・グラスの自伝的小説、「ブリキの太鼓」の映画化である。生まれる前に既に意思を持ち、3歳で自ら成長を止め大人の繰り広げる愚劣な世界を冷ややかに見つめる特異な「子ども」を語り手にする奇想天外な発想、執拗なグロテスク描写、感情移入どころか嫌悪感をかき立てる醜怪な人間ばかりの登場、などはすべてグラスに負っている。原作のほうがグロテスクへの偏執度ははるかに高い。映画はこれでも配慮している。それでも生理的に耐え難いと非難する人は多い。
主人公オスカルの物語は3代前に遡る。母のアグネスを祖母が受胎したのはスカートの中にかくまった放火魔コリヤイチェクの仕業である。広大なじゃがいも畑の真ん中、4枚のスカートをはぐって現れる放火魔はずり落ちたズボンをしきりに直している。黒い笑いの最初の一撃。そのアグネスは従兄弟のヤンと恋仲であるにもかかわらずドイツ人マツェラートと結婚しその後ずっと不倫を続けている。どちらがオスカルの父親であるか、実は定かではない。ダンツィヒは多民族都市でドイツ人、ポーランド人、カシュバイ人、そしてユダヤ人が混在している。祖母は少数民族のカシュバイ人のアイデンティティを持ち続けるが、ヤンはポーランド人として生きアグネスはドイツとポーランドの間で揺れる。飛び入りでユダヤ人のおもちゃ屋マルクスには、一緒にイギリスへ渡りましょうなどと告白されもする。恋も愚行も民族問題がらみ、いやでもインターナショナルにならざるを得ないヨーロッパの事情を、自己陶酔で過去を振り返りがちな日本とつい比較してしまった。
さて異形の子どもオスカルの悪魔のようにシニカルなまなざしがとらえるのは、1927年から1945年までのダンツィヒの運命である。日本で言えば、金融恐慌、山東出兵からファシズム台頭、戦争拡大、敗戦まで。ドイツは言うまでもなくナチスの台頭と隆盛と破滅までの時代。その時代の庶民をグラスは、そして映画は徹底的に愚かで滑稽で下劣でげすなものとして描く。「地獄に堕ちた勇者ども」が上流階級の美的ナチズム批判なら、これはナチズムを支えた一般庶民の下劣さへの言及である。どこかでドイツ版自虐史観という感想を読んだが、「自虐」などという感傷は一片もないとわたしは思う。オスカルという語り手の独創性がそんなものは寄せ付けないのだ。
あの時代、ナチスの熱に浮かされた時代は、馬の首の腐肉の中で蠢く鰻のような、生の魚を鬼気迫る表情で食べ続けるアグネスのような狂気に満ちたおぞましい時代であり、オスカルの声で割れた医院の診療室のガラス瓶から流れ出すホルマリン漬けのは虫類や両生類やヒトの胎児の標本のような、封印されていた不気味なものが一斉に流れ出した時代だったのである。
オスカルを大国に蹂躙されて未成熟なポーランドの象徴とする見方があることも、ひ弱な「民主主義」の象徴と捉える向きがあることも知っている。が、私はオスカル自身もナチスとその支配下の民衆の姿ではないかと、感じている。シニカルでありながら幼児的で偏執的で周囲の者に死をもたらすを悪魔性を持つ特異の存在、彼は人類史上初めて登場した支配体制全体主義(ファシズム)そのもののエッセンスではないのか。
最初は拒絶した映画も二度見ると、ただし鰻のシーンは飛ばして、愚かさの悲しみみたいなものがわかってきた。行きがかりで郵便局蜂起に付き合わされたヤンの最後は哀しい。小人症のペプラ氏の気品と知性には圧倒される。希望と言えるほどではないが、時代がいかに変わろうと大地にへばりつき、大きなスカートの下に男を匿ってやるカシュバイ人の祖母の存在には安心する。
人生の終わりに親衛隊員であった過去を告白したグラスを、称えこそすれ責める資格は日本人にはないんじゃないかと思う。戦前軍部に協力したことを墓場には持って行けない恥として、裁いてくれと告白する文学者も、そうでない人も日本には皆無ではないとしても極々少数派。そんなことをすればドイツとは逆の意味で白い目で見られる。精神のありようの違いをここにも感じる。
投稿日
2010/03/05
レビュアー
ミルクチョコ※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
1899年、ポーランドのダンツィヒ。
荒野にいたアンナは、敵兵から逃げて来た男をスカートの中に匿い、これが元で、アンナは女の子を産みます。
成長した女の子は、結婚はするものの、従兄弟のヤンと不倫し、主人公のオスカルを産みます。
3歳のオスカルは、そんな堕落した大人達を目の当たりにして、嫌気がさしたのか、大人の世界を拒絶するあまりに、自らの成長を止めます。太鼓をたたいて、奇妙な叫び声をあげると、ガラスが粉々に割れるという特殊な能力が身につきます。
映画はオスカルの視点から、大人の世界、時代の動きを見つめます。成長することを拒否したオスカルを通して腐敗し、堕落する人間、忍び寄る戦火の恐れをグロテスクな表現を多用することで、寓意的に描いているので、一見そんなに強烈には感じないのですが、実は、やることなすこと、醜い大人達への復讐と、愚かしい行動への嘲弄なのだと想います。
醜悪な現実と、醜悪な人間によって、生きられざるを得なくなった時、哀しさと愚かさに怒りが溢れていますが、彼が成長すると受け止めた時、それが一体どんな意味を持つのか?
私は、彼も醜い大人になることを決意したのだと思います。
ラスト、立ち去るものと、残るもの、そこも皮肉めいていて、良かったです。
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ブリキの太鼓