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S・キューブリックが「シャイニング」以来、久々にメガホンを取った作品で、G・ハスフォードの原作を基にベトナム戦争の狂気を描く。徴兵された若者が、次第に戦闘マシーンとして人間性を失っていく様を冷徹な視点で追っている。
製作年: |
1987年 |
---|---|
製作国: |
アメリカ |
原題: |
FULL METAL JACKET |
監督: |
スタンリー・キューブリック |
---|---|
製作: |
スタンリー・キューブリック |
製作総指揮: |
ヤン・ハーラン |
出演: |
マシュー・モディン 、 アダム・ボールドウィン 、 ヴィンセント・ドノフリオ 、 リー・アーメイ 、 ドリアン・ヘアウッド 、 アーリス・ハワード 、 エド・オロス 、 ジョン・デーリー 、 R・リー・アーメイ 、 ドリアン・ヘアウッド |
脚本: |
マイケル・ハー 、 グスタフ・ハスフォード 、 スタンリー・キューブリック 、 マイケル・ハー 、 グスタフ・ハスフォード |
---|---|
原作: |
グスタフ・ハスフォード 、 グスタフ・ハスフォード |
撮影: |
ダグラス・ミルサム |
音楽: |
アビゲイル・ミード |
1〜 2件 / 全2件
S・キューブリックが「シャイニング」以来、久々にメガホンを取った作品で’・ハスフォードの原作を基にベトナム戦争の狂気を描く。徴兵された若者が、次第に戦闘マシーンとして人間性を失っていく様を冷徹な視点で追っている。
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
117分 | 日本語・英語 | 1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/英語 |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
DLR21154 | 2002年12月13日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
5枚 | 0人 | 0人 |
S・キューブリックが「シャイニング」以来、久々にメガホンを取った作品で、G・ハスフォードの原作を基にベトナム戦争の狂気を描く。徴兵された若者が、次第に戦闘マシーンとして人間性を失っていく様を冷徹な視点で追っている。
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
117分 | 1:ドルビーデジタル//英語 2:ドルビーデジタル//ポルトガル 3:ドルビーデジタル//英(解説) |
|
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
DLRY18470 | 2008年07月09日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
12枚 | 0人 | 0人 |
1〜 2件 / 全2件
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
117分 | 日本語・英語・北京語 | 1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/英語 2:リニアPCM/5.1chサラウンド/英語 3:ドルビーデジタル//英語/(音声解説) |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
WBRY18627*B | 2009年11月17日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
11枚 | 1人 | 0人 |
収録時間:
117分
字幕:
日本語・英語・北京語
音声:
1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/英語
2:リニアPCM/5.1chサラウンド/英語
3:ドルビーデジタル//英語/(音声解説)
レイティング:
記番:
WBRY18627*B
レンタル開始日:
2009年11月17日
在庫枚数
11枚
1位登録者:
1人
2位登録者:
0人
1〜 2件 / 全2件
1〜 2件 / 全2件
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
117分 | 日本語・英語・北京語 | 1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/英語 2:リニアPCM/5.1chサラウンド/英語 3:ドルビーデジタル//英語/(音声解説) |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
WBRY18627*B | 2009年11月17日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
11枚 | 1人 | 0人 |
収録時間:
117分
字幕:
日本語・英語・北京語
音声:
1:ドルビーデジタル/5.1chサラウンド/英語
2:リニアPCM/5.1chサラウンド/英語
3:ドルビーデジタル//英語/(音声解説)
レイティング:
記番:
WBRY18627*B
レンタル開始日:
2009年11月17日
在庫枚数
11枚
1位登録者:
1人
2位登録者:
0人
約35,500
タイトル以上
国内ドラマも一部含まれております
約5,400
タイトル以上
約9,200
タイトル以上
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約250,000
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※2022年2月 現在のタイトル数
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物語は訓練と実戦の2部構成の態を取るが、今回の再鑑賞で思ったことが、実戦の2部は訓練の1部の具象化で、1部で新兵を鍛え上げる描写はそっくりそのまま2部へと具体的に受け継がれているということ。過酷な訓練はより過酷な実戦に、ランニング中の猥歌は行軍のミッキーマウスマーチへと、狙撃に関するうんちくさえも1部で披露されていてそのままの修羅場が2部の終盤で展開されるのだった。1部でのじっくりと精神を痛めつける暴力性は、余分が削ぎ落とされ純粋な凶暴性へと昇華され、2部の静かなるも熱を帯びた暴力描写へと受け継がれる。
「海兵隊には殺人マシーンは必要ない、よく訓練され死と恐怖を忘れた兵士を望む」とは1部での主人公の独白。普通の青年が頭を丸刈りにされ名を奪われあだ名で呼ばれ自尊心をなくすまでに汚い言葉を浴びせられ、生死の極限を体験して、真の海兵隊員になるまでを描いた作品。
新兵訓練には、軍規を叩き込み上官の命令に疑問を挟まず実行する素養を作るためと、兵士の条件にかなわない者のふるい落としの機能がある。もともと人が持つ太古の狩猟本能と集団性を、軍隊の機能を維持するための特化した訓練を行うことで、その本能を持たない者を同時に排除できるという非常に効率的な方法。ここで新兵は形だけを作られ、銃を持たされ戦地へと、真の兵士になるためには足りないものを自ら探せと放り出されるのだった。
戦場はまさしく混沌のるつぼと化す。見てくれだけの兵士たちが自分に足りないものを探し求めて、兵士の流儀で、破壊することで見つかると手当たり次第に引っ掻き回すから。教官は兵士になるための何かを埋めるために別の何かを抜き取ってくれたが、その空っぽを埋める何かは自分で探さなくてはならない。街を壊し“敵”を倒しはするが、その骸からは何も見つからない。
ある日男は“人”を殺す。人を人と認めたうえで殺したことが、男に真の兵士の条件を授ける。死と、そこから生まれる恐怖を目の当たりにし、それらを「もう恐れることない」と独白する男は、ようやく真の兵士になり戦争の本質を悟るのだろう。
『平時に人を殺せば殺人鬼だが戦争で人を殺せば英雄』とは戦争映画でよく語られるテーマ。しかし本作の主題はこれではなく高度にシステマティックな軍隊の機能を明らかにすることなのだろう。戦争の非道さ残虐性はリアルな描写による副産物でしかない。
人を兵士へと生まれ変わらせる過程を如実に写し取る物語は非人道的な行為を嘆くヒューマニズムを感じさせはするが、本作でもキューブリックは、結果ではなく過程、プロセスの緻密な再現を重視したように感じる。1部ではお手本として物語の予行演習の機能も持たせ、混沌たる2部への備えを鑑賞者に作らせる。2部でで形を変え繰り返されるのは分かり易い具体的な行動。そして理路整然と導き出されるは冷徹な結果。
人を人思わぬ冷徹なシステムは、同様に冷徹な目で切り取るのがふさわしいのだろう。無駄の一切ない硬質な画像は魂の温度を感じさせはしないが、作家の冷徹なまなざしに潜む熱さは感じ取ることができる。
しかし、訓練でひたすら叩き込まれた習性に逆らいミッキーマウスマーチの行軍で兵士たちの幕を閉じるのは、キューブリックからの、真の兵士へと捧ぐ哀れの手向けなのかもしれない。★4+
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「支配」と「狂気」
キューブリック監督の作品にはこの二つの言葉が通奏低音のように横たわる。
「時計仕掛けのオレンジ」に登場した、ナチスを思わせる更生施設の教官が、更に洗練と残酷さを増して、マシンガンのように吐き出す罵詈雑言の、ボキャブラリーの豊富さに圧倒させられる。
スカトロジーと性的な悪口雑言にも、優れた詩人並み想像力が必要なのだ。
羞恥心をはぎ取られ、信仰心をたたき壊され、理性を浸食し、ただ生存することと、そのために心を麻痺させ、殺人への抵抗をなくす苛酷な訓練と言葉。
人を狂気に陥れるのは、肉体の苦痛ではなく言葉の力である、と言ったのはフロイトだったろうか。
「人を殺すのは、銃ではなく、銃を撃つ人間の心の方だ。」
「「動く標的」、パレード中のケネディを狙撃した(とされる)オズワルドは海兵隊出身だった。それこそが海兵隊の訓練の賜物(たまもの)だ」
起きてる間中、鬼軍曹から常に吐かれるダーティーワードの中に、時々、戦争の真実や軍隊という存在の異常さを垣間見せる。
運動神経が鈍く、ことあるごとに吊るし上げられる「微笑みデブ」ことレナードは、射撃の才能を見いだされるが、卒業間際に精神のキャパシティが崩壊し、「フルメタルジャケット」(完全被甲弾)で鬼教官を射殺し、自分も自殺する。
後半に出てくる、狙撃手のような役目を拒否したとも取れる。
以前、何かの映画のセリフで、「狙撃手は見つかると捕虜になれない、その前に、仲間を殺された兵たちによって、恨まれ殺されてしまうからだ。」を思い出した。
彼は、もし卒業して海兵隊に入っても、さらに周りから蔑まれ、敵からは蛇蝎のように嫌われる苛酷な役を与えられる可能性が高かったのだ。
後半、「戦場」
ベトナムに限らない。今ならイラクやアフガン。いや、古来から戦場とはこういうものだろう。
戦場が日常になってしまえば、戦闘時以外は、前線にまでパン助が来たり、ブルース・リーの真似をするヒッタクリも横行する。
むしろそこは悪意と憎悪が渦巻くが、混沌ではない。
戦場は、ただの肉弾戦のリングではない、頭脳戦、心理戦、情報戦、つまりは総力戦である。当たり前だ。
だから、そこには狂気ではなくセオリーがある。
敵の習慣を知ったつもりで、油断しているところを基地を奇襲される。
悪意の象徴ともいえる、焼け跡に残されるブービートラップ。
そもそも、地雷にしろボーイスカウトにしろ戦争が産んだ悪意と陰険さの鬼っ子。
地雷は、踏んだ者を殺ろすのではなく、身体障害者にして、ケアをする労力を増して、総体的に戦力や国力を衰弱させる兵器である。
「スカウト」とは「偵察」「斥候」の意である。
戦争で親を失い、基地の周辺で物乞いしている孤児たちを集め、斥候隊の更に前線に散りばめ、囮(おとり)や地雷対策に使うのが本来のボーイスカウトの語義である。
だから、戦場では、黒人の斥候兵が狙撃されても、あわてて助けにいかないのが正解なのだ。
狙撃手は指揮官なら殺傷するが、下級兵士は致命傷を与えず、助けを求める声を上げさせ、救援に来る者を更に狙撃し、兵力を減少させるのが役目の一つ。
上官を失った下級兵士たちは、血気にはやって突撃するが、本来なら利口な狙撃手はその前に姿をくらます。
おそらく、ここに留まれ、と狙撃手の少女は命令を受けたのだろう。使い捨てだ。
米兵に囲まれ「自分を殺せ」と英語で言う瀕死の少女は、苦しさからではなく、輪姦されるのを恐れたのだ。
はじめて顔のある敵を射殺するジョーカーの後味の悪さは、逆に彼女の苦しみを救う行為でもあった。
それが戦場のセオリーなのだ。
このレビューは気に入りましたか? 4人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
ベトナム戦争真っ盛りのアメリカ軍海兵隊新兵を主人公に、異常なまでの海兵隊精神教育、ベトナム戦争の狂気を描いた社会派のアクション&ヒューマンドラマ。G・ハスフォードの原作をスタンリー・キューブリックが監督した作品で、スタンリー・キューブリックと言えば、「博士の異常な愛情」など、緻密な精神変化を得意としたサスペンス監督というイメージが強いが、本作は特に健常な精神の持ち主がいかに異常な精神に破壊されていくかをとことん追求した完成度の高い映画となっている。
ベトナム戦争物と言えば、プラトーンなど精神的異常性もさることながら、激しい戦闘シーンなどアクション性が高いイメージがあるが、本作は密林や沼地などの環境的リアリティをほとんど用いずに、戦闘という非日常がもたらす兵士の精神崩壊を前面に出すことで、ベトナム戦争を描いている。精神崩壊する過程を、特に前半部分では海兵隊特有の壮絶で卑猥な軍隊隠語(字幕の日本語も理解不能なほどひどいものだ)を多用して描いているため、強烈なインパクトで、見る人によってはかなりの嫌悪感を覚えるかも知れない。これだけ強烈な強迫観念を植え付ける戦争映画はそうはないだろう。
何だかんだと言っても、本作の魅力?はやっぱり海兵隊の軍隊隠語で(笑)、冒頭から新兵養成所での教官軍曹の発する言葉(字幕)は「このスキン小僧」「まるでそびえ立つクソ」「オフェラ豚」「おまん娘」など、良くもまあ考えたものだと驚くくらいの連射である。また、主役級の一人はデブでにやついた顔つきから「ほほえみ豚」と名付けられるなど、愛着とまではいかないが、何だか微笑ましい。
ただし、これらはジョークやお笑いネタとしてあるのではなく、実際の海兵隊では近いものがあるらしい。アメリカ軍の中でも海兵隊は特に結束力が強いことで知られ、肉体的にも精神的にもタフ=冷徹になっていくことが求められるのだ。それをクリアした者たちだけが共有できる「仲間」意識こそが最強の軍隊を形成しうるのだ。
だが、その強靱な殺戮マシーンを形成する背景には、人間性の崩壊、欠落、排除といったマイナスの部分も存在する。本作はその部分を強烈に追求している。
その精神的苦悩を表現するのは先にあげた「ほほえみ豚」のパイルと報道班員となるジョーカーだ。劣等生だったパイルは強烈なしごきの上で強靱な殺人マシーンと化すが、精神はそれを超越して殺人鬼に達してしまう。一方、ジョーカーは胸にはピース(平和)バッジ、ヘルメットには「BORN TO KILL」の文字を刻むなど、海兵隊員としては不可思議な出で立ちだが、敵兵を殺すという勇敢で強靱な精神を持ちつつ、戦争に懐疑的な部分も残す、といった精神の葛藤を表現している。
また本作では、戦場における兵士の殺人とはどんな思いなのか、ということを痛烈に考えさせる。殺人に喜びを感じているのか、戦友を救うための義務感か。どちらも多少はあるのだろうが、明確な答えはないのだろう。戦場とは窮鼠のようなものであり、本能的な怒りによって強く支配されているものであり、戦っている本人達自身がそれをわかっていないし、明確な答えがないから常にその葛藤に苦しんでいる。だからこそ、精神的な崩壊をきたすのだ。
本作は、戦争を肯定も否定もしていない(と思う)。戦闘は狂気であり、狂気でなければ戦闘はできない。「クソ地獄だ!」兵士の言葉が耳に響く。
映画に登場する兵器類は海兵隊のヘリコプター(シコルスキー H-34)と戦車(M41軽戦車ウォーカー・ブルドック)。エンディングの音楽はローリングストーンズの「PAINT IT BLACK」が用いられている。同時期制作のTVドラマ「グッドラック・サイゴン(tour of duty)」を彷彿とさせる。
このレビューは気に入りましたか? 4人の会員が気に入ったと投稿しています
入力内容に誤りがあります。
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ユーザーレビュー:134件
投稿日
2010/11/23
レビュアー
ひろぼう※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
物語は訓練と実戦の2部構成の態を取るが、今回の再鑑賞で思ったことが、実戦の2部は訓練の1部の具象化で、1部で新兵を鍛え上げる描写はそっくりそのまま2部へと具体的に受け継がれているということ。過酷な訓練はより過酷な実戦に、ランニング中の猥歌は行軍のミッキーマウスマーチへと、狙撃に関するうんちくさえも1部で披露されていてそのままの修羅場が2部の終盤で展開されるのだった。1部でのじっくりと精神を痛めつける暴力性は、余分が削ぎ落とされ純粋な凶暴性へと昇華され、2部の静かなるも熱を帯びた暴力描写へと受け継がれる。
「海兵隊には殺人マシーンは必要ない、よく訓練され死と恐怖を忘れた兵士を望む」とは1部での主人公の独白。普通の青年が頭を丸刈りにされ名を奪われあだ名で呼ばれ自尊心をなくすまでに汚い言葉を浴びせられ、生死の極限を体験して、真の海兵隊員になるまでを描いた作品。
新兵訓練には、軍規を叩き込み上官の命令に疑問を挟まず実行する素養を作るためと、兵士の条件にかなわない者のふるい落としの機能がある。もともと人が持つ太古の狩猟本能と集団性を、軍隊の機能を維持するための特化した訓練を行うことで、その本能を持たない者を同時に排除できるという非常に効率的な方法。ここで新兵は形だけを作られ、銃を持たされ戦地へと、真の兵士になるためには足りないものを自ら探せと放り出されるのだった。
戦場はまさしく混沌のるつぼと化す。見てくれだけの兵士たちが自分に足りないものを探し求めて、兵士の流儀で、破壊することで見つかると手当たり次第に引っ掻き回すから。教官は兵士になるための何かを埋めるために別の何かを抜き取ってくれたが、その空っぽを埋める何かは自分で探さなくてはならない。街を壊し“敵”を倒しはするが、その骸からは何も見つからない。
ある日男は“人”を殺す。人を人と認めたうえで殺したことが、男に真の兵士の条件を授ける。死と、そこから生まれる恐怖を目の当たりにし、それらを「もう恐れることない」と独白する男は、ようやく真の兵士になり戦争の本質を悟るのだろう。
『平時に人を殺せば殺人鬼だが戦争で人を殺せば英雄』とは戦争映画でよく語られるテーマ。しかし本作の主題はこれではなく高度にシステマティックな軍隊の機能を明らかにすることなのだろう。戦争の非道さ残虐性はリアルな描写による副産物でしかない。
人を兵士へと生まれ変わらせる過程を如実に写し取る物語は非人道的な行為を嘆くヒューマニズムを感じさせはするが、本作でもキューブリックは、結果ではなく過程、プロセスの緻密な再現を重視したように感じる。1部ではお手本として物語の予行演習の機能も持たせ、混沌たる2部への備えを鑑賞者に作らせる。2部でで形を変え繰り返されるのは分かり易い具体的な行動。そして理路整然と導き出されるは冷徹な結果。
人を人思わぬ冷徹なシステムは、同様に冷徹な目で切り取るのがふさわしいのだろう。無駄の一切ない硬質な画像は魂の温度を感じさせはしないが、作家の冷徹なまなざしに潜む熱さは感じ取ることができる。
しかし、訓練でひたすら叩き込まれた習性に逆らいミッキーマウスマーチの行軍で兵士たちの幕を閉じるのは、キューブリックからの、真の兵士へと捧ぐ哀れの手向けなのかもしれない。★4+
投稿日
2010/04/17
レビュアー
ムーン※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
「支配」と「狂気」
キューブリック監督の作品にはこの二つの言葉が通奏低音のように横たわる。
「時計仕掛けのオレンジ」に登場した、ナチスを思わせる更生施設の教官が、更に洗練と残酷さを増して、マシンガンのように吐き出す罵詈雑言の、ボキャブラリーの豊富さに圧倒させられる。
スカトロジーと性的な悪口雑言にも、優れた詩人並み想像力が必要なのだ。
羞恥心をはぎ取られ、信仰心をたたき壊され、理性を浸食し、ただ生存することと、そのために心を麻痺させ、殺人への抵抗をなくす苛酷な訓練と言葉。
人を狂気に陥れるのは、肉体の苦痛ではなく言葉の力である、と言ったのはフロイトだったろうか。
「人を殺すのは、銃ではなく、銃を撃つ人間の心の方だ。」
「「動く標的」、パレード中のケネディを狙撃した(とされる)オズワルドは海兵隊出身だった。それこそが海兵隊の訓練の賜物(たまもの)だ」
起きてる間中、鬼軍曹から常に吐かれるダーティーワードの中に、時々、戦争の真実や軍隊という存在の異常さを垣間見せる。
運動神経が鈍く、ことあるごとに吊るし上げられる「微笑みデブ」ことレナードは、射撃の才能を見いだされるが、卒業間際に精神のキャパシティが崩壊し、「フルメタルジャケット」(完全被甲弾)で鬼教官を射殺し、自分も自殺する。
後半に出てくる、狙撃手のような役目を拒否したとも取れる。
以前、何かの映画のセリフで、「狙撃手は見つかると捕虜になれない、その前に、仲間を殺された兵たちによって、恨まれ殺されてしまうからだ。」を思い出した。
彼は、もし卒業して海兵隊に入っても、さらに周りから蔑まれ、敵からは蛇蝎のように嫌われる苛酷な役を与えられる可能性が高かったのだ。
後半、「戦場」
ベトナムに限らない。今ならイラクやアフガン。いや、古来から戦場とはこういうものだろう。
戦場が日常になってしまえば、戦闘時以外は、前線にまでパン助が来たり、ブルース・リーの真似をするヒッタクリも横行する。
むしろそこは悪意と憎悪が渦巻くが、混沌ではない。
戦場は、ただの肉弾戦のリングではない、頭脳戦、心理戦、情報戦、つまりは総力戦である。当たり前だ。
だから、そこには狂気ではなくセオリーがある。
敵の習慣を知ったつもりで、油断しているところを基地を奇襲される。
悪意の象徴ともいえる、焼け跡に残されるブービートラップ。
そもそも、地雷にしろボーイスカウトにしろ戦争が産んだ悪意と陰険さの鬼っ子。
地雷は、踏んだ者を殺ろすのではなく、身体障害者にして、ケアをする労力を増して、総体的に戦力や国力を衰弱させる兵器である。
「スカウト」とは「偵察」「斥候」の意である。
戦争で親を失い、基地の周辺で物乞いしている孤児たちを集め、斥候隊の更に前線に散りばめ、囮(おとり)や地雷対策に使うのが本来のボーイスカウトの語義である。
だから、戦場では、黒人の斥候兵が狙撃されても、あわてて助けにいかないのが正解なのだ。
狙撃手は指揮官なら殺傷するが、下級兵士は致命傷を与えず、助けを求める声を上げさせ、救援に来る者を更に狙撃し、兵力を減少させるのが役目の一つ。
上官を失った下級兵士たちは、血気にはやって突撃するが、本来なら利口な狙撃手はその前に姿をくらます。
おそらく、ここに留まれ、と狙撃手の少女は命令を受けたのだろう。使い捨てだ。
米兵に囲まれ「自分を殺せ」と英語で言う瀕死の少女は、苦しさからではなく、輪姦されるのを恐れたのだ。
はじめて顔のある敵を射殺するジョーカーの後味の悪さは、逆に彼女の苦しみを救う行為でもあった。
それが戦場のセオリーなのだ。
投稿日
2009/01/06
レビュアー
カポーン※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
ベトナム戦争真っ盛りのアメリカ軍海兵隊新兵を主人公に、異常なまでの海兵隊精神教育、ベトナム戦争の狂気を描いた社会派のアクション&ヒューマンドラマ。G・ハスフォードの原作をスタンリー・キューブリックが監督した作品で、スタンリー・キューブリックと言えば、「博士の異常な愛情」など、緻密な精神変化を得意としたサスペンス監督というイメージが強いが、本作は特に健常な精神の持ち主がいかに異常な精神に破壊されていくかをとことん追求した完成度の高い映画となっている。
ベトナム戦争物と言えば、プラトーンなど精神的異常性もさることながら、激しい戦闘シーンなどアクション性が高いイメージがあるが、本作は密林や沼地などの環境的リアリティをほとんど用いずに、戦闘という非日常がもたらす兵士の精神崩壊を前面に出すことで、ベトナム戦争を描いている。精神崩壊する過程を、特に前半部分では海兵隊特有の壮絶で卑猥な軍隊隠語(字幕の日本語も理解不能なほどひどいものだ)を多用して描いているため、強烈なインパクトで、見る人によってはかなりの嫌悪感を覚えるかも知れない。これだけ強烈な強迫観念を植え付ける戦争映画はそうはないだろう。
何だかんだと言っても、本作の魅力?はやっぱり海兵隊の軍隊隠語で(笑)、冒頭から新兵養成所での教官軍曹の発する言葉(字幕)は「このスキン小僧」「まるでそびえ立つクソ」「オフェラ豚」「おまん娘」など、良くもまあ考えたものだと驚くくらいの連射である。また、主役級の一人はデブでにやついた顔つきから「ほほえみ豚」と名付けられるなど、愛着とまではいかないが、何だか微笑ましい。
ただし、これらはジョークやお笑いネタとしてあるのではなく、実際の海兵隊では近いものがあるらしい。アメリカ軍の中でも海兵隊は特に結束力が強いことで知られ、肉体的にも精神的にもタフ=冷徹になっていくことが求められるのだ。それをクリアした者たちだけが共有できる「仲間」意識こそが最強の軍隊を形成しうるのだ。
だが、その強靱な殺戮マシーンを形成する背景には、人間性の崩壊、欠落、排除といったマイナスの部分も存在する。本作はその部分を強烈に追求している。
その精神的苦悩を表現するのは先にあげた「ほほえみ豚」のパイルと報道班員となるジョーカーだ。劣等生だったパイルは強烈なしごきの上で強靱な殺人マシーンと化すが、精神はそれを超越して殺人鬼に達してしまう。一方、ジョーカーは胸にはピース(平和)バッジ、ヘルメットには「BORN TO KILL」の文字を刻むなど、海兵隊員としては不可思議な出で立ちだが、敵兵を殺すという勇敢で強靱な精神を持ちつつ、戦争に懐疑的な部分も残す、といった精神の葛藤を表現している。
また本作では、戦場における兵士の殺人とはどんな思いなのか、ということを痛烈に考えさせる。殺人に喜びを感じているのか、戦友を救うための義務感か。どちらも多少はあるのだろうが、明確な答えはないのだろう。戦場とは窮鼠のようなものであり、本能的な怒りによって強く支配されているものであり、戦っている本人達自身がそれをわかっていないし、明確な答えがないから常にその葛藤に苦しんでいる。だからこそ、精神的な崩壊をきたすのだ。
本作は、戦争を肯定も否定もしていない(と思う)。戦闘は狂気であり、狂気でなければ戦闘はできない。「クソ地獄だ!」兵士の言葉が耳に響く。
映画に登場する兵器類は海兵隊のヘリコプター(シコルスキー H-34)と戦車(M41軽戦車ウォーカー・ブルドック)。エンディングの音楽はローリングストーンズの「PAINT IT BLACK」が用いられている。同時期制作のTVドラマ「グッドラック・サイゴン(tour of duty)」を彷彿とさせる。
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フルメタル・ジャケット