おおかみこどもの雨と雪

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おおかみこどもの雨と雪 / 宮崎あおい
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「おおかみこどもの雨と雪」 の解説・あらすじ・ストーリー

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解説・ストーリー

「時をかける少女」「サマーウォーズ」の細田守監督が贈るファミリー・ファンタジー・アニメ。“おおかみおとこ”を父に持つ2人の“おおかみこども”とその母親の絆と成長を美しい自然の風景をバックに丁寧な筆致で描き出す。声の出演は宮崎あおい、大沢たかお、菅原文太。“おおかみおとこ”と恋に落ちた大学生の花は、やがて人間とおおかみの2つの顔を持つ“おおかみこども”、姉の“雪”と弟の“雨”を生む。そして雪と雨が人前でおおかみにならないよう注意しながら、家族は都会の片隅でひっそりと、しかし幸せに暮らしていた。そんなある日、突然の悲劇が一家を襲う。花は、雪と雨を人目につきにくい田舎で育てるため、山あいの寒村に移住することを決意するが…。

「おおかみこどもの雨と雪」 の作品情報

作品情報

製作年: 2012年
製作国: 日本

「おおかみこどもの雨と雪」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ

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16〜 20件 / 全163件

余りにアホくさい

投稿日:2013/03/17 レビュアー:かず

良かったのは美術だけ。 余りにもアホくさい。
一体、どうやって生活してるんだ? 税金は? いなくなった息子の事をどう説明する?
いきなり田舎での農業って・・・(苦笑)。 そんなに甘いもんじゃないぜ!

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都合良すぎる展開にげんなり。

投稿日:2013/02/25 レビュアー:(●(人)●)

何か全体的に都合良すぎて萎えましたね。

素敵な物語ですけど、あまりに出来すぎていると嫌悪感が生まれる。

こうだからこうなんだよ、だからこうなった・・・
ほら・・・ここで感動して!そう!次はこうね・・・みたいな・・・

監督の作ったピタゴラスイッチを見せられている感じがしました。

確かに楽しめたけれど、用意されたおもちゃで遊んだのではなく、
遊び方をひたすら説明されて、遊べずに帰る時間になった気持ちです。

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そして母になる。 そして母を知る。

投稿日:2015/07/01 レビュアー:ロキュータス

過去に宮崎駿とはいろいろな経緯もあり、ポスト宮崎駿と目されることに抵抗を示す細田守だが、それでも、本作がどういう作品なのかを考える時、やはり『 となりのトトロ 』や『 もののけ姫 』との対比が理解に有効でしょう。

( かなりネタばれあり )

『 となりのトトロ 』は全能感の映画。
母親が病気で死ぬかもしれない不安を抱きながらも、サツキとメイは両親から愛されていることを疑いもしないだろう。
「歩こう 歩こう 私は元気 」と自己肯定であり、都会から田舎に引っ越してきても、カンタのおばあちゃんをはじめ村の人たちにすんなり受け入れられているし、自然にも、不思議な世界のトトロや猫バスたちにも、サツキとメイは周囲の愛情に包まれている。

一方で、本作は無力感から始まる物語です。
花はいつも笑顔だが、それは「とりあえずでも、無理やりにでも、笑顔でいればつらいことや苦しいこともたいてい乗り越えられる」と、父から言われたから。
部屋の写真には父とこどもだった花しか映っていない。 では母親はどこに?

死別の可能性もあるが、ともかく母親の愛情を知らず、残された父親を失うまいと「愛される条件」に過剰適応した孤独なアダルト・チルドレンが花であると思わます。
父親の葬儀でさえ笑っていたが、それは不謹慎なのではなく、痛ましいこと、つらいことなのだとオオカミ男はわかってくれたのだろう。
韮崎老人も、花の笑顔が不自然なことであることを見抜いていました。
周りからの防壁である「作り笑い」なのか、喜びをあらわす「心からの笑顔」なのか、花だけでなく登場人物の笑顔の意味は、本作を観ていくポイントの一つ。

細密でリアルな背景に対比して登場人物の「 影なし作画 」は細田守の特徴の一つだが、見やすくするためだけなく、影のなさは、現実の虚構性を表しているように思います。
冒頭の大学の床など鏡のように映る花の姿は、建物のピカピカぶりを強調して、人間の影の薄さを表しているように思います。
影のあるシーンは本来のありのままの姿に近い。
どのシーンで、登場人物に影が映り、映らないかも本作を観ていくポイントの一つ。

 
トトロは昭和20年代後半の設定。 まだテレビがなく、昭和31年がサブカル元年とする説に立つなら、子どもたちは空き地や自然の中、少ない玩具や物質の中で、他人にじかに触れ、自分たちで工夫して遊んでいましたし、想像力を働かしていました。

対比して現代の子どもたちの生活の中で、仮想空間の占める比重はとてつもなく大きい。
テレビからさらにビデオ、ゲーム、ネット、携帯など、産業化システム化された仮想空間の中で、他人と直接接することなく遊ぶことができるようになり、ファンタジーとは消費されるコンテンツの一種を意味することが一般的になってしまいました。
そうした製品化されたファンタジーは、子どもたちの想像力を損ねるのではないか ?
最近の宮崎駿が強調し、他に原恵一などのアニメ作家が言う、現在ファンタジー作品を作ることの意味と矛盾に対する問題意識はそこにあります。 

仮想空間の消費者として感じる「全能感」と、現実に立ち返って感じる「無力感」のギャップの中で私たちは生きているのではないか。
本来のファンタジーの末裔である狼男と現実である花の関係、その間に生まれた雪と雨が抱える問題を通じては、今の私たちの姿を描こうとしているのが本作と感じます。

泣きわめき散らかす幼児というのは人間になりきれてなくて半ば動物であり、ひどい言い方ですが、ガキと畜生は自分とは関係ない迷惑な代物であると、都会のシーンでこの母子は思われています。
花と雪・雨母子の三人とも嘔吐シーンがあり、人間として生きづらい現実を三人が生きていることを表しています


( つづく)

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なんかなぁ……

投稿日:2013/12/26 レビュアー:TOMY

親になったことがないから……と言われてしまえばそれまでだけど、なんかいまいちでした。
子どもは好きだし、親のような気持ちになってウルウルっとくる場面もなくはないけれど、
どうも、この母親である花の異様さが気になって……
個人的に無責任な妊娠をする人が理解できないこともある。
(子どもできる立場は、もう子供じゃない)
とても好きな人ができて、その人の子を産めたという喜びも苦労も、描かれるので理解はできる。
人間の子どもでさえ怪獣みたいなものなのに、狼に変身してしまうから人前に連れだせない、
一番不安であるはずの、子どもの体調不良の際に病院に連れ込むのを迷う、と、その大変さは見せてくれるのだけど。

でも、それ言っちゃおしまいだけど、経済的な部分や体力的な部分で、あまりにもリアリティがなく……
まぁアニメだからね……
女性一人で山奥の廃屋を住めるようにするとか、
経済的に不安だから畑をつくるとか、
貯金で暮らしているとか、
む、難しいのでは……

親になるのは大変なことです。
花ちゃんみたいになれなくて当然だと思う。
ていうか、人間だもの、無理です。
こんな、いつもニコニコしていて、「何もしてあげてない」と言ってしまう親のほうが、やっぱり異様に思えてしまった。
慈愛も、自立しようとする子どもにとっては、押しつけがましく感じられることもあるのかもしれない。

雨と雪が小さい頃のシーンはかわいいし、
風景、それぞれの成長、その後の生き方の選択など、
ストーリーの中で観続られる要素はあるのだけれど、
こんな女神さまのような母親を描いてあることに、どうも違和感が残るのでした。
思えば、子ども向けの童話も、こういう理想が描かれていることは多いし、道徳教育的なのかもしれませんが。

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別れても好きな人

投稿日:2013/04/18 レビュアー:ひろぼう

丸っこくて柔らかい、線が細く陰影の無いキャラクターは、どこをどう見ても今風、平成のあっけらかんとした絵柄。なのに、ストーリーは至って昭和なんですね。
なので、これにギャップを感じたら違和感から気味悪ささえ覚えるし、気にせずに馴染めたら作品が語りたかったことに近づけもする、両極端な作品と思いました。

主人公の花が“おおかみこども”を持つまでが、まんま昭和。『神田川』が非常にマッチする生活描写。出会った頃の2人が待ち合わせるのは銭湯の前ではなく喫茶店前(純喫茶?)だったり、コップに活けた野草が飾られる部屋で、共に食べるご飯は「2度づけ禁止」ではなく決してできない串揚げだったりする。明治の「三歩下がってついてくる」からやや脱却はしたが、しとやかで従順が尊ばれた昭和の女性理想像がここに再現されているのでは。“おおかみこども”を持って寒村に引っ越してからも、花は自給自足を試み、必要以上に欲しがらず子育てに勤しみます。あのひとの思い出を胸に。ここらの自然描写や農村の人々のキャラ設定や反応も、全てが極めて昭和です。花とこどもたちが雪山転がって叫ぶところなんて、ありえへんやろなくらいストレートな「アルプスの少女」的な昭和の感情表現だと思いました。

しかし昭和は、戦争で何もかも失って、失ったものを再建する時代だったと思えば、泥臭くても辛気臭く惨めったらしくても、だいじなものを大切にした時代だったのでしょう(同じ昭和でも末期はやや違いますが)。これは今、震災を経験し結婚する人たちが増えた、平成の時代にも似通った感情が芽生えてきています。

人がなくしたくないものをなくした時の感情を泥臭く、なくしたものが残したものを大事にする姿もまた泥臭く、の花の姿を、好きなのに分かれてしまった人を未練たらたら歌った演歌のように描写した作品です。
それなのに、その泥臭さを平成のあっけらかんとした絵柄で作っています。
それが、平成であろうが昭和であろうが、大切なものを大事にしたいという気持ちはいつの時代でも同じなんだと気づかせてくれました。
それは、人であろうとおおかみであろうとも同じだということにも。
生きる、ということの大切さを。

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おおかみこどもの雨と雪

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余りにアホくさい

投稿日

2013/03/17

レビュアー

かず

良かったのは美術だけ。 余りにもアホくさい。
一体、どうやって生活してるんだ? 税金は? いなくなった息子の事をどう説明する?
いきなり田舎での農業って・・・(苦笑)。 そんなに甘いもんじゃないぜ!

都合良すぎる展開にげんなり。

投稿日

2013/02/25

レビュアー

(●(人)●)

何か全体的に都合良すぎて萎えましたね。

素敵な物語ですけど、あまりに出来すぎていると嫌悪感が生まれる。

こうだからこうなんだよ、だからこうなった・・・
ほら・・・ここで感動して!そう!次はこうね・・・みたいな・・・

監督の作ったピタゴラスイッチを見せられている感じがしました。

確かに楽しめたけれど、用意されたおもちゃで遊んだのではなく、
遊び方をひたすら説明されて、遊べずに帰る時間になった気持ちです。

そして母になる。 そして母を知る。

投稿日

2015/07/01

レビュアー

ロキュータス

過去に宮崎駿とはいろいろな経緯もあり、ポスト宮崎駿と目されることに抵抗を示す細田守だが、それでも、本作がどういう作品なのかを考える時、やはり『 となりのトトロ 』や『 もののけ姫 』との対比が理解に有効でしょう。

( かなりネタばれあり )

『 となりのトトロ 』は全能感の映画。
母親が病気で死ぬかもしれない不安を抱きながらも、サツキとメイは両親から愛されていることを疑いもしないだろう。
「歩こう 歩こう 私は元気 」と自己肯定であり、都会から田舎に引っ越してきても、カンタのおばあちゃんをはじめ村の人たちにすんなり受け入れられているし、自然にも、不思議な世界のトトロや猫バスたちにも、サツキとメイは周囲の愛情に包まれている。

一方で、本作は無力感から始まる物語です。
花はいつも笑顔だが、それは「とりあえずでも、無理やりにでも、笑顔でいればつらいことや苦しいこともたいてい乗り越えられる」と、父から言われたから。
部屋の写真には父とこどもだった花しか映っていない。 では母親はどこに?

死別の可能性もあるが、ともかく母親の愛情を知らず、残された父親を失うまいと「愛される条件」に過剰適応した孤独なアダルト・チルドレンが花であると思わます。
父親の葬儀でさえ笑っていたが、それは不謹慎なのではなく、痛ましいこと、つらいことなのだとオオカミ男はわかってくれたのだろう。
韮崎老人も、花の笑顔が不自然なことであることを見抜いていました。
周りからの防壁である「作り笑い」なのか、喜びをあらわす「心からの笑顔」なのか、花だけでなく登場人物の笑顔の意味は、本作を観ていくポイントの一つ。

細密でリアルな背景に対比して登場人物の「 影なし作画 」は細田守の特徴の一つだが、見やすくするためだけなく、影のなさは、現実の虚構性を表しているように思います。
冒頭の大学の床など鏡のように映る花の姿は、建物のピカピカぶりを強調して、人間の影の薄さを表しているように思います。
影のあるシーンは本来のありのままの姿に近い。
どのシーンで、登場人物に影が映り、映らないかも本作を観ていくポイントの一つ。

 
トトロは昭和20年代後半の設定。 まだテレビがなく、昭和31年がサブカル元年とする説に立つなら、子どもたちは空き地や自然の中、少ない玩具や物質の中で、他人にじかに触れ、自分たちで工夫して遊んでいましたし、想像力を働かしていました。

対比して現代の子どもたちの生活の中で、仮想空間の占める比重はとてつもなく大きい。
テレビからさらにビデオ、ゲーム、ネット、携帯など、産業化システム化された仮想空間の中で、他人と直接接することなく遊ぶことができるようになり、ファンタジーとは消費されるコンテンツの一種を意味することが一般的になってしまいました。
そうした製品化されたファンタジーは、子どもたちの想像力を損ねるのではないか ?
最近の宮崎駿が強調し、他に原恵一などのアニメ作家が言う、現在ファンタジー作品を作ることの意味と矛盾に対する問題意識はそこにあります。 

仮想空間の消費者として感じる「全能感」と、現実に立ち返って感じる「無力感」のギャップの中で私たちは生きているのではないか。
本来のファンタジーの末裔である狼男と現実である花の関係、その間に生まれた雪と雨が抱える問題を通じては、今の私たちの姿を描こうとしているのが本作と感じます。

泣きわめき散らかす幼児というのは人間になりきれてなくて半ば動物であり、ひどい言い方ですが、ガキと畜生は自分とは関係ない迷惑な代物であると、都会のシーンでこの母子は思われています。
花と雪・雨母子の三人とも嘔吐シーンがあり、人間として生きづらい現実を三人が生きていることを表しています


( つづく)

なんかなぁ……

投稿日

2013/12/26

レビュアー

TOMY

親になったことがないから……と言われてしまえばそれまでだけど、なんかいまいちでした。
子どもは好きだし、親のような気持ちになってウルウルっとくる場面もなくはないけれど、
どうも、この母親である花の異様さが気になって……
個人的に無責任な妊娠をする人が理解できないこともある。
(子どもできる立場は、もう子供じゃない)
とても好きな人ができて、その人の子を産めたという喜びも苦労も、描かれるので理解はできる。
人間の子どもでさえ怪獣みたいなものなのに、狼に変身してしまうから人前に連れだせない、
一番不安であるはずの、子どもの体調不良の際に病院に連れ込むのを迷う、と、その大変さは見せてくれるのだけど。

でも、それ言っちゃおしまいだけど、経済的な部分や体力的な部分で、あまりにもリアリティがなく……
まぁアニメだからね……
女性一人で山奥の廃屋を住めるようにするとか、
経済的に不安だから畑をつくるとか、
貯金で暮らしているとか、
む、難しいのでは……

親になるのは大変なことです。
花ちゃんみたいになれなくて当然だと思う。
ていうか、人間だもの、無理です。
こんな、いつもニコニコしていて、「何もしてあげてない」と言ってしまう親のほうが、やっぱり異様に思えてしまった。
慈愛も、自立しようとする子どもにとっては、押しつけがましく感じられることもあるのかもしれない。

雨と雪が小さい頃のシーンはかわいいし、
風景、それぞれの成長、その後の生き方の選択など、
ストーリーの中で観続られる要素はあるのだけれど、
こんな女神さまのような母親を描いてあることに、どうも違和感が残るのでした。
思えば、子ども向けの童話も、こういう理想が描かれていることは多いし、道徳教育的なのかもしれませんが。

別れても好きな人

投稿日

2013/04/18

レビュアー

ひろぼう

丸っこくて柔らかい、線が細く陰影の無いキャラクターは、どこをどう見ても今風、平成のあっけらかんとした絵柄。なのに、ストーリーは至って昭和なんですね。
なので、これにギャップを感じたら違和感から気味悪ささえ覚えるし、気にせずに馴染めたら作品が語りたかったことに近づけもする、両極端な作品と思いました。

主人公の花が“おおかみこども”を持つまでが、まんま昭和。『神田川』が非常にマッチする生活描写。出会った頃の2人が待ち合わせるのは銭湯の前ではなく喫茶店前(純喫茶?)だったり、コップに活けた野草が飾られる部屋で、共に食べるご飯は「2度づけ禁止」ではなく決してできない串揚げだったりする。明治の「三歩下がってついてくる」からやや脱却はしたが、しとやかで従順が尊ばれた昭和の女性理想像がここに再現されているのでは。“おおかみこども”を持って寒村に引っ越してからも、花は自給自足を試み、必要以上に欲しがらず子育てに勤しみます。あのひとの思い出を胸に。ここらの自然描写や農村の人々のキャラ設定や反応も、全てが極めて昭和です。花とこどもたちが雪山転がって叫ぶところなんて、ありえへんやろなくらいストレートな「アルプスの少女」的な昭和の感情表現だと思いました。

しかし昭和は、戦争で何もかも失って、失ったものを再建する時代だったと思えば、泥臭くても辛気臭く惨めったらしくても、だいじなものを大切にした時代だったのでしょう(同じ昭和でも末期はやや違いますが)。これは今、震災を経験し結婚する人たちが増えた、平成の時代にも似通った感情が芽生えてきています。

人がなくしたくないものをなくした時の感情を泥臭く、なくしたものが残したものを大事にする姿もまた泥臭く、の花の姿を、好きなのに分かれてしまった人を未練たらたら歌った演歌のように描写した作品です。
それなのに、その泥臭さを平成のあっけらかんとした絵柄で作っています。
それが、平成であろうが昭和であろうが、大切なものを大事にしたいという気持ちはいつの時代でも同じなんだと気づかせてくれました。
それは、人であろうとおおかみであろうとも同じだということにも。
生きる、ということの大切さを。

16〜 20件 / 全163件