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「レイクサイド マーダーケース」の青山真治監督が、「Helpless」「EUREKA ユリイカ」に続く“北九州サーガ”の集大成として撮り上げた人間ドラマ。北九州の小さな運送会社を舞台に、そこに暮らす男女の人間模様と、偶然の再会を果たした母と息子の愛憎の行方を描く。北九州の港。中国からの密航者を手引きしていた健次は、船内で父を亡くした少年アチュンを自分の家に連れ帰る。そこには、かつて世話を託された友人の妹で知的障害者のユリも一緒に暮らしていた。一方その頃、若戸大橋のたもとにある間宮運送には、かつてバスジャック事件の被害に遭った梢が身を寄せていた…。
製作年: |
2007年 |
---|---|
製作国: |
日本 |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
136分 | 1:ドルビーデジタル/ステレオ/日本語 |
|
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
SJ10491D | 2008年02月27日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
9枚 | 0人 | 1人 |
収録時間:
136分
字幕:
音声:
1:ドルビーデジタル/ステレオ/日本語
レイティング:
記番:
SJ10491D
レンタル開始日:
2008年02月27日
在庫枚数
9枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
1人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
136分 | 1:ドルビーデジタル/ステレオ/日本語 |
|
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
SJ10491D | 2008年02月27日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
9枚 | 0人 | 1人 |
収録時間:
136分
字幕:
音声:
1:ドルビーデジタル/ステレオ/日本語
レイティング:
記番:
SJ10491D
レンタル開始日:
2008年02月27日
在庫枚数
9枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
1人
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家族で楽しめる作品ではありません。
そして、観て何かのためになる、または勉強になる、そして誰もが面白いと感じる娯楽作品でもありません。シナリオがあってないような不必要な場面と会話と演出で構成された、浅野忠信・オダギリジョー・宮崎あおいが出ている割には、一部の限られた映画ファンのために作られた超マイナー作品と言った方が良いかも知れません。
冒頭のシーンから、物語は中国からの密航で父を失った孤児(アーチュン)と、密航船を手引きする闇組織に席を置く浅野忠信(ケンジ)との触れ合いを通して描かれてゆくのだろうかと思ったら、それがそうではなく、脇道を沿れ、浅野忠信の継母が商う運送会社『雨宮運送』が舞台になるかと思いきや、支離滅裂な話が延々と続いて行くだけ。
不愉快なシーンも多く、登場人物が複雑で頭の中で整理するのが疲れるほど。
私は、この映画に二時間を割くよりは、別の日本映画を観た方が有意義かもとも感じました。聞き取りにくい台詞に、字幕の必要性も感じます。(この映画には字幕はありません)
シチュエーションの面白さは物語としての断片としてのパーツを、一つ一つ磨くことから始まるような気がするのですが、研磨した気配が全くない、金属片が荒立った部品を組み立てて作られた欠陥商品(映画)ように思えてしまうのです。その金属片の粗雑さが好きな人には好まれるかも知れませんが、それを並べて一括りに“芸術性”としてしまうのは、ちょっと危険すぎるような気もします。
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※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
開始30分ぐらいか、「間宮運送」の社屋の全容が現れるあたりからがぜん、面白くなった。
主人公の健次(浅野忠信)は、「ユリイカ」の役所広司のように、自分も壮絶な心傷体験をもちながら、弱者を労り保護し教育する倫理的で優しい人物。友人の障害のある妹を引き取ったうえ、中国からの密航者の子どもまで自宅に連れ帰り、日本語を教えたりしている。
間宮運送の社長(中村嘉葎雄)もそういうタイプの善人で、免許を取り上げられた元医者とか、ヤクザに追われる多重債務者とか、ワケありの人間ばかりを雇って住まわせている。この会社はアウトローのアジールのごとき雰囲気があり、これだけでも“人情喜劇”ができそうだ。「ユリイカ」の異様な緊張感から一転、シャボン玉がふわふわ飛ぶのが似合うゆとり感があった。
でも、突出した人物なり異常な事態なりが、日常生活の表層にふだんは隠されている、人間実存の本質を暴き出すというのが、青山真治の北九州シリーズの意図らしい。単なるヒューマンドラマには終わらない、切り立った部分も隠し持っている。
捨てられた健次の屈折と憎悪も見どころではあったが、間宮運送にはもっと突出した人間がいた。社長夫人で、実は昔健次を捨てて出奔した母でもある千代子(石田えり)である。
復讐心をたぎらせて健次が訪ねてくれば、何事もなかったかのように同居させる。間宮との間の息子、勇介(高良健吾)と健次の「異父兄弟」が“カインとアベル”状態になってもまったく動じない。生き残った者が子孫を残せばそれでいいのである。自己中心的というのとは少し違う、まるでDNAの呼びかけにそのまま従っているかのような異様さだった。こういう母親像は独創的だ。
深刻な飢餓に見舞われたアフリカで、乏しい食料を、母親は生き残れる可能性の高い子どもに優先的に与えるという記事を、以前読んだことがある。千代子のしたことはそれに似ているのか。命をつないでいくために、母親の取る選択は決して甘くない。
千代子はそんな、破壊も内に含んだ生命の豊饒を体現する、すさまじい「母性」の持ち主だった。夫も息子たちも呑み込んで食らいつくし、間宮一族の血脈が続いていくための糧にしてしまう。「ユリイカ」の沢井や、健次や田宮社長ら男たちが示す、善意や思いやりや教育的配慮などをはるかに飛び越えた領域を、千代子は示している。
生と死がくり返される生命の輪廻というか、「この世に偶然はなく」「会うべき人に出会い」「起こるべき事が起こる」という宿命論というべき世界観か、この映画が気配で示すのは、そんな怖ろしくもあり懐かしい世界であるようにも感じた。間宮運送の社屋は、生命の混沌を司る地母神の鎮座する神殿ではなかったか。
男はみな、この地母神の捧げ物にすぎない。
「ユリイカ」の梢が成長して間宮運送の社員になっていた。石田えりが太古の母権制社会の地母神ならば、宮崎あおいは、歴史が父権制に移行した後の、より洗練された母性、聖母マリアである。
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九州弁+ぼそぼそしゃべり=音量調整が困難となる。ある特定の人の声だけはよくとおるが音量を上げると突然祭りのざわめきが最大限に入りあわてて低くする。それの繰り返しであった。
ではこの映画は台詞を聞かなくて流した方がよいのか?いや台詞のなかに登場人物の関係を明らかにする重要なものがあり決して
映像だけで理解できるものではない。
設定はおもしろいし石田,浅野は見ごたえがあるがどこか独善的だ。この映画を見てると全共闘華やかなりし頃の「なんとか
解放区」だの「連帯を求め孤立を恐れず」といった言葉を思い出す。そのころのフォーク・ソングが反戦歌や反体制のメッセージ
ソングが中心でそれがだんだん内向き、内省的になっていったがこの映画は家族という内向きのテーマを扱いながらどこか反体制的それも全共闘ぽい。
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もったいない。これだけのキャストを揃えておきながら。残念。
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【Helpless】【EUREKA】に続く北九州サーガの3作目ですが、これ単独でも楽しめる内容だと思います。
子どもの時に母親に捨てられて、ヤクザの友人の知的障害の妹と同居しながら人身売買みたいな仕事をしている主人公。
ビョーンビョーンとどこかの国の民族楽器のような印象的な音楽が流れる中、中国人の子どもを連れ帰ることになるところから物語が始まります。
代行運転の仕事をしてる最中に自分を捨てた母親を見つけて、間宮運送という会社で寝食を共にすることになる。そこの社員たちはそれぞれワケありで互いに詮索せずに干渉しない。
どこかファンタジーな会社であるけども暖かいぬくもりを感じられる世界。それはオダギリジョーさん演じる社員と主人公がサンゴ礁の高台で磁石の針がグルグル回っているところからして違う世界のおうな面白さ。
リアルさは置かれているせいか、子どもがさらわれて社員も怪我をしても誰も心配しなかったりと、展開が強引なところがあったり気になってしまいますが。どうやらこの世界はリアルと違うらしい。
けれど「この世に偶然はない。逢う人には逢うべくして逢うのだ」という台詞が出てくるので青山作品的リアルなドラマでもあるのかなと思いました。
そして主人公は母親に復讐を果たすためにあることをするクライマックス。そこでもなお笑顔で接してくる母親。石田えりさんが不気味すぎです。
映画は巨大なシャボン玉が浮遊しはじけて、見上げた人たちに水がかかる。この時の水を浴びるのが全員男。どこか暖かく優しいエンディング。あの水は母親の羊水なのかな、と思うエンディングでした。
ただ惜しむべくは浅野忠信さんがボソボソ喋って何を言ってるのかわからず、恋人と長く話すところや梢ちゃんと話すところで復讐とはと話しているのだとシナリオを読んでやっとわかりました。
そして田宮運送の人たちがたくさん出てくる割には描かれないので、200分くらいで全員を描いてくか。130分を主人公と母親をもっと深く描いたほうが個人的には好きでした。
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サッド ヴァケイション
入力内容に誤りがあります。
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ユーザーレビュー:39件
投稿日
2008/02/29
レビュアー
夢みるゆめ家族で楽しめる作品ではありません。
そして、観て何かのためになる、または勉強になる、そして誰もが面白いと感じる娯楽作品でもありません。シナリオがあってないような不必要な場面と会話と演出で構成された、浅野忠信・オダギリジョー・宮崎あおいが出ている割には、一部の限られた映画ファンのために作られた超マイナー作品と言った方が良いかも知れません。
冒頭のシーンから、物語は中国からの密航で父を失った孤児(アーチュン)と、密航船を手引きする闇組織に席を置く浅野忠信(ケンジ)との触れ合いを通して描かれてゆくのだろうかと思ったら、それがそうではなく、脇道を沿れ、浅野忠信の継母が商う運送会社『雨宮運送』が舞台になるかと思いきや、支離滅裂な話が延々と続いて行くだけ。
不愉快なシーンも多く、登場人物が複雑で頭の中で整理するのが疲れるほど。
私は、この映画に二時間を割くよりは、別の日本映画を観た方が有意義かもとも感じました。聞き取りにくい台詞に、字幕の必要性も感じます。(この映画には字幕はありません)
シチュエーションの面白さは物語としての断片としてのパーツを、一つ一つ磨くことから始まるような気がするのですが、研磨した気配が全くない、金属片が荒立った部品を組み立てて作られた欠陥商品(映画)ように思えてしまうのです。その金属片の粗雑さが好きな人には好まれるかも知れませんが、それを並べて一括りに“芸術性”としてしまうのは、ちょっと危険すぎるような気もします。
投稿日
2011/02/10
レビュアー
港のマリー※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
開始30分ぐらいか、「間宮運送」の社屋の全容が現れるあたりからがぜん、面白くなった。
主人公の健次(浅野忠信)は、「ユリイカ」の役所広司のように、自分も壮絶な心傷体験をもちながら、弱者を労り保護し教育する倫理的で優しい人物。友人の障害のある妹を引き取ったうえ、中国からの密航者の子どもまで自宅に連れ帰り、日本語を教えたりしている。
間宮運送の社長(中村嘉葎雄)もそういうタイプの善人で、免許を取り上げられた元医者とか、ヤクザに追われる多重債務者とか、ワケありの人間ばかりを雇って住まわせている。この会社はアウトローのアジールのごとき雰囲気があり、これだけでも“人情喜劇”ができそうだ。「ユリイカ」の異様な緊張感から一転、シャボン玉がふわふわ飛ぶのが似合うゆとり感があった。
でも、突出した人物なり異常な事態なりが、日常生活の表層にふだんは隠されている、人間実存の本質を暴き出すというのが、青山真治の北九州シリーズの意図らしい。単なるヒューマンドラマには終わらない、切り立った部分も隠し持っている。
捨てられた健次の屈折と憎悪も見どころではあったが、間宮運送にはもっと突出した人間がいた。社長夫人で、実は昔健次を捨てて出奔した母でもある千代子(石田えり)である。
復讐心をたぎらせて健次が訪ねてくれば、何事もなかったかのように同居させる。間宮との間の息子、勇介(高良健吾)と健次の「異父兄弟」が“カインとアベル”状態になってもまったく動じない。生き残った者が子孫を残せばそれでいいのである。自己中心的というのとは少し違う、まるでDNAの呼びかけにそのまま従っているかのような異様さだった。こういう母親像は独創的だ。
深刻な飢餓に見舞われたアフリカで、乏しい食料を、母親は生き残れる可能性の高い子どもに優先的に与えるという記事を、以前読んだことがある。千代子のしたことはそれに似ているのか。命をつないでいくために、母親の取る選択は決して甘くない。
千代子はそんな、破壊も内に含んだ生命の豊饒を体現する、すさまじい「母性」の持ち主だった。夫も息子たちも呑み込んで食らいつくし、間宮一族の血脈が続いていくための糧にしてしまう。「ユリイカ」の沢井や、健次や田宮社長ら男たちが示す、善意や思いやりや教育的配慮などをはるかに飛び越えた領域を、千代子は示している。
生と死がくり返される生命の輪廻というか、「この世に偶然はなく」「会うべき人に出会い」「起こるべき事が起こる」という宿命論というべき世界観か、この映画が気配で示すのは、そんな怖ろしくもあり懐かしい世界であるようにも感じた。間宮運送の社屋は、生命の混沌を司る地母神の鎮座する神殿ではなかったか。
男はみな、この地母神の捧げ物にすぎない。
「ユリイカ」の梢が成長して間宮運送の社員になっていた。石田えりが太古の母権制社会の地母神ならば、宮崎あおいは、歴史が父権制に移行した後の、より洗練された母性、聖母マリアである。
投稿日
2008/03/26
レビュアー
casey25九州弁+ぼそぼそしゃべり=音量調整が困難となる。ある特定の人の声だけはよくとおるが音量を上げると突然祭りのざわめきが最大限に入りあわてて低くする。それの繰り返しであった。
ではこの映画は台詞を聞かなくて流した方がよいのか?いや台詞のなかに登場人物の関係を明らかにする重要なものがあり決して
映像だけで理解できるものではない。
設定はおもしろいし石田,浅野は見ごたえがあるがどこか独善的だ。この映画を見てると全共闘華やかなりし頃の「なんとか
解放区」だの「連帯を求め孤立を恐れず」といった言葉を思い出す。そのころのフォーク・ソングが反戦歌や反体制のメッセージ
ソングが中心でそれがだんだん内向き、内省的になっていったがこの映画は家族という内向きのテーマを扱いながらどこか反体制的それも全共闘ぽい。
投稿日
2015/03/04
レビュアー
片山刑事※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
【Helpless】【EUREKA】に続く北九州サーガの3作目ですが、これ単独でも楽しめる内容だと思います。
子どもの時に母親に捨てられて、ヤクザの友人の知的障害の妹と同居しながら人身売買みたいな仕事をしている主人公。
ビョーンビョーンとどこかの国の民族楽器のような印象的な音楽が流れる中、中国人の子どもを連れ帰ることになるところから物語が始まります。
代行運転の仕事をしてる最中に自分を捨てた母親を見つけて、間宮運送という会社で寝食を共にすることになる。そこの社員たちはそれぞれワケありで互いに詮索せずに干渉しない。
どこかファンタジーな会社であるけども暖かいぬくもりを感じられる世界。それはオダギリジョーさん演じる社員と主人公がサンゴ礁の高台で磁石の針がグルグル回っているところからして違う世界のおうな面白さ。
リアルさは置かれているせいか、子どもがさらわれて社員も怪我をしても誰も心配しなかったりと、展開が強引なところがあったり気になってしまいますが。どうやらこの世界はリアルと違うらしい。
けれど「この世に偶然はない。逢う人には逢うべくして逢うのだ」という台詞が出てくるので青山作品的リアルなドラマでもあるのかなと思いました。
そして主人公は母親に復讐を果たすためにあることをするクライマックス。そこでもなお笑顔で接してくる母親。石田えりさんが不気味すぎです。
映画は巨大なシャボン玉が浮遊しはじけて、見上げた人たちに水がかかる。この時の水を浴びるのが全員男。どこか暖かく優しいエンディング。あの水は母親の羊水なのかな、と思うエンディングでした。
ただ惜しむべくは浅野忠信さんがボソボソ喋って何を言ってるのかわからず、恋人と長く話すところや梢ちゃんと話すところで復讐とはと話しているのだとシナリオを読んでやっとわかりました。
そして田宮運送の人たちがたくさん出てくる割には描かれないので、200分くらいで全員を描いてくか。130分を主人公と母親をもっと深く描いたほうが個人的には好きでした。