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カメラマンのトーマスは、夜の公園で逢い引きしているカップルを盗み撮りした。やがて男の方が姿を消したあと、女の方がトーマスのもとにやってきてネガを要求する。代償として女のヌードを撮らせてもらい、別のネガを渡して本物を現像した時、そこには女の逢い引き相手だった男性の死体が写っていた…。アントニオーニがイギリスに渡って作り上げた異色作。サスペンス・スリラーを思わせる前半から、次第に不条理劇の様相を呈してくる後半まで、現実と虚構の境界線を見据えるアントニオーニの筆致が冴え渡る。
製作年: |
1966年 |
---|---|
製作国: |
イギリス/イタリア |
原題: |
BLOWUP |
受賞記録: |
1967年 カンヌ国際映画祭 パルム・ドール |
監督: |
ミケランジェロ・アントニオーニ |
---|---|
製作: |
カルロ・ポンディ |
出演: |
デビッド・ヘミングス 、 フェルシカ 、 バネッサ・レッドグレーブ 、 サラ・マイルズ 、 ジェーン・バーキン |
脚本: |
トニーノ・グエッラ 、 ミケランジェロ・アントニオーニ 、 トニーノ・グエッラ 、 エドワード・ボンド |
原作: |
ジュリオ・コルタザール |
音楽: |
ハービー・ハンコック |
カメラマンのトーマスは、夜の公園で逢い引きしているカップルを盗み撮りした。やがて男の方が姿を消したあと、女の方がトーマスのもとにやってきてネガを要求する。代償として女のヌードを撮らせてもらい、別のネガを渡して本物を現像した時、そこには女の逢い引き相手だった男性の死体が写っていた…。アントニオーニがイギリスに渡って作り上げた異色作。サスペンス・スリラーを思わせる前半から、次第に不条理劇の様相を呈してくる後半まで、現実と虚構の境界線を見据えるアントニオーニの筆致が冴え渡る。
製作年: |
1966年 |
---|---|
製作国: |
イギリス/イタリア |
原題: |
BLOWUP |
受賞記録: |
1967年 カンヌ国際映画祭 パルム・ドール |
監督: |
ミケランジェロ・アントニオーニ |
---|---|
製作: |
カルロ・ポンディ |
出演: |
デビッド・ヘミングス 、 フェルシカ 、 バネッサ・レッドグレーブ 、 サラ・マイルズ 、 ジェーン・バーキン |
脚本: |
トニーノ・グエッラ 、 ミケランジェロ・アントニオーニ 、 トニーノ・グエッラ 、 エドワード・ボンド |
---|---|
原作: |
ジュリオ・コルタザール |
音楽: |
ハービー・ハンコック |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
111分 | 日本語・英語・スペイン語・ポルトガル語・中国語・タイ語・ハングル語・インドネシア語・音声解説用字幕 | 1:ドルビーデジタル/モノラル/英語 2:ドルビーデジタル/モノラル/ポルトガル語 3:ドルビーデジタル//(音声解説) 4:ドルビーデジタル//(ミュージック・サウンドトラック) |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
DLR50015 | 2004年04月28日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
5枚 | 1人 | 1人 |
収録時間:
111分
字幕:
日本語・英語・スペイン語・ポルトガル語・中国語・タイ語・ハングル語・インドネシア語・音声解説用字幕
音声:
1:ドルビーデジタル/モノラル/英語
2:ドルビーデジタル/モノラル/ポルトガル語
3:ドルビーデジタル//(音声解説)
4:ドルビーデジタル//(ミュージック・サウンドトラック)
レイティング:
記番:
DLR50015
レンタル開始日:
2004年04月28日
在庫枚数
5枚
1位登録者:
1人
2位登録者:
1人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
111分 | 日本語・英語・スペイン語・ポルトガル語・中国語・タイ語・ハングル語・インドネシア語・音声解説用字幕 | 1:ドルビーデジタル/モノラル/英語 2:ドルビーデジタル/モノラル/ポルトガル語 3:ドルビーデジタル//(音声解説) 4:ドルビーデジタル//(ミュージック・サウンドトラック) |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
DLR50015 | 2004年04月28日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
5枚 | 1人 | 1人 |
収録時間:
111分
字幕:
日本語・英語・スペイン語・ポルトガル語・中国語・タイ語・ハングル語・インドネシア語・音声解説用字幕
音声:
1:ドルビーデジタル/モノラル/英語
2:ドルビーデジタル/モノラル/ポルトガル語
3:ドルビーデジタル//(音声解説)
4:ドルビーデジタル//(ミュージック・サウンドトラック)
レイティング:
記番:
DLR50015
レンタル開始日:
2004年04月28日
在庫枚数
5枚
1位登録者:
1人
2位登録者:
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ちょいと疲れ気分な時は、退屈だけど
夢心地に陥りそうですが、
よく見れば、とってもよく出来た
夢のようなミステリアスな映画なのだ。
モデルや女の人たちのファッションが
興味深い。
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主人公のカメラマンの行動を通じていろいろ面白い問題提起がなされている映画。
@存在論として
在るから見えるのか、見えるから在るのか。存在が先か意識が先なのか。公園の死体は実際在ったのだろうか。カメラマンの幻覚ではないと誰が断言できよう。写真を引き伸ばせば白と黒の粒子が混在する混沌の世界が広がるだけ。何かが「在る」と機械が示してくれるわけではない。カメラマンの意識が「在る」と判断するのだ。では在るものはすべて意識に浮かぶ幻か、感覚の束か、いや、それも違うと堂々巡りをする。
A認識論として
数枚の写真という情報の断片をつなぎ合わせることで、果たして起きた事象の真の姿=事実に迫れるのか。写真に映った、女の視線、藪の銃口、死体らしきものから殺人と断じたカメラマンの認識ははたして正しかったのか。彼の推論を誰も信じないし確かめる術もない。あの写真自体、壊れたプロペラや引きちぎられたギターのヘッド同様、全体から遊離して意味をなくした破片にすぎないのかもしれない。そのうちそれも消えてしまった。事実(真実)を認識するとはどういうことなのか。そもそもそれは可能なのか。
B芸術論として
生業であるファッション写真を蔑んで芸術的なドキュメント写真に手を出すカメラマンも、実は金儲けに目がない俗物だ。資本の手からは逃れられない現代芸術家への厳しい批判。それは当然自己批判でもあるのだろう。
芸術に付きものの「解釈」へのシニカルな批判も面白い。引きちぎられたギターのヘッドもライブハウスのファンにはお宝だが、路上に捨て置かれれば誰も目を向けない。「解釈」も「評価」も実に恣意的でいい加減なもの。
以上に付け加えて、私はラストのパントマイム集団によるボールのないテニスのシーンに着目し、政治的な含意を読み取る。
パントマイム集団によるテニス、あれは「裸の王様」のエピソードと相通じるのではないか。暗黙の了解のうちに、ないボールをあるものとし、虚構のゲーム、虚構の観客を演じるあの集団、王様が裸であるのに裸ではないと自らを偽る民衆と同じだ。
ないものをあるとするより、あること、あったことをないとするケースははるかに多いだろう。
現場検証で得た事実と容疑者の「自供」が食い違っていても、一同で事実をないことにすることができる。
わたしたちは暗黙のうちに皆で一緒に、あるものをないとし、ないものをあると、自らに都合のよい嘘の世界を作り上げているのではないか、何か政治的な意図を持って。
などと思わされてしまった。
「さすらい」から9年、アントニオー二はずいぶんおしゃれに垢抜けたなというのが第一印象。この映画がすごいのは深遠な問いかけをたまらないほどスタイリッシュに、気負いなくやってのけているところだろう。
60年代のファッションを楽しむためにだけ見てもいい。
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ユーザーレビュー:35件
投稿日
2004/09/30
レビュアー
ドロン※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
ちょいと疲れ気分な時は、退屈だけど
夢心地に陥りそうですが、
よく見れば、とってもよく出来た
夢のようなミステリアスな映画なのだ。
モデルや女の人たちのファッションが
興味深い。
投稿日
2009/06/28
レビュアー
港のマリー※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
主人公のカメラマンの行動を通じていろいろ面白い問題提起がなされている映画。
@存在論として
在るから見えるのか、見えるから在るのか。存在が先か意識が先なのか。公園の死体は実際在ったのだろうか。カメラマンの幻覚ではないと誰が断言できよう。写真を引き伸ばせば白と黒の粒子が混在する混沌の世界が広がるだけ。何かが「在る」と機械が示してくれるわけではない。カメラマンの意識が「在る」と判断するのだ。では在るものはすべて意識に浮かぶ幻か、感覚の束か、いや、それも違うと堂々巡りをする。
A認識論として
数枚の写真という情報の断片をつなぎ合わせることで、果たして起きた事象の真の姿=事実に迫れるのか。写真に映った、女の視線、藪の銃口、死体らしきものから殺人と断じたカメラマンの認識ははたして正しかったのか。彼の推論を誰も信じないし確かめる術もない。あの写真自体、壊れたプロペラや引きちぎられたギターのヘッド同様、全体から遊離して意味をなくした破片にすぎないのかもしれない。そのうちそれも消えてしまった。事実(真実)を認識するとはどういうことなのか。そもそもそれは可能なのか。
B芸術論として
生業であるファッション写真を蔑んで芸術的なドキュメント写真に手を出すカメラマンも、実は金儲けに目がない俗物だ。資本の手からは逃れられない現代芸術家への厳しい批判。それは当然自己批判でもあるのだろう。
芸術に付きものの「解釈」へのシニカルな批判も面白い。引きちぎられたギターのヘッドもライブハウスのファンにはお宝だが、路上に捨て置かれれば誰も目を向けない。「解釈」も「評価」も実に恣意的でいい加減なもの。
以上に付け加えて、私はラストのパントマイム集団によるボールのないテニスのシーンに着目し、政治的な含意を読み取る。
パントマイム集団によるテニス、あれは「裸の王様」のエピソードと相通じるのではないか。暗黙の了解のうちに、ないボールをあるものとし、虚構のゲーム、虚構の観客を演じるあの集団、王様が裸であるのに裸ではないと自らを偽る民衆と同じだ。
ないものをあるとするより、あること、あったことをないとするケースははるかに多いだろう。
現場検証で得た事実と容疑者の「自供」が食い違っていても、一同で事実をないことにすることができる。
わたしたちは暗黙のうちに皆で一緒に、あるものをないとし、ないものをあると、自らに都合のよい嘘の世界を作り上げているのではないか、何か政治的な意図を持って。
などと思わされてしまった。
「さすらい」から9年、アントニオー二はずいぶんおしゃれに垢抜けたなというのが第一印象。この映画がすごいのは深遠な問いかけをたまらないほどスタイリッシュに、気負いなくやってのけているところだろう。
60年代のファッションを楽しむためにだけ見てもいい。
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