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バベル / ブラッド・ピット

バベル /アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

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DVD

映画賞受賞作品

旧作

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解説・ストーリー

 「アモーレス・ペロス」「21グラム」の俊英アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が、旧約聖書の“バベルの塔”をモチーフに描き出す衝撃のヒューマン・ドラマ。モロッコ、アメリカ、メキシコ、日本、それぞれの場所で孤独な魂どうしが織りなす愛と哀しみ、再生への希望の物語が同時並行で鮮やかに綴られていく。日本から役所広司とともに参加した菊地凛子が各国の映画賞レースを賑わせ日本でも大きな話題となる。

作品情報

製作年:

2006年

製作国:

メキシコ

原題:

BABEL

受賞記録:

2006年 アカデミー賞 作曲賞
2006年 カンヌ国際映画祭 監督賞
2006年 ゴールデン・グローブ 作品賞(ドラマ)

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「バベル」 の解説・あらすじ・ストーリー

解説・ストーリー

 「アモーレス・ペロス」「21グラム」の俊英アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が、旧約聖書の“バベルの塔”をモチーフに描き出す衝撃のヒューマン・ドラマ。モロッコ、アメリカ、メキシコ、日本、それぞれの場所で孤独な魂どうしが織りなす愛と哀しみ、再生への希望の物語が同時並行で鮮やかに綴られていく。日本から役所広司とともに参加した菊地凛子が各国の映画賞レースを賑わせ日本でも大きな話題となる。

「バベル」 の作品情報

作品情報

製作年:

2006年

製作国:

メキシコ

原題:

BABEL

受賞記録:

2006年 アカデミー賞 作曲賞
2006年 カンヌ国際映画祭 監督賞
2006年 ゴールデン・グローブ 作品賞(ドラマ)

「バベル」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ

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6〜 10件 / 全412件

奥深い世界を楽しむ ネタバレ

投稿日:2007/10/06 レビュアー:ミルクチョコ

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

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タイトルのバベルは、旧約聖書のバベルの塔のエピソードをモチーフにしていて、人間たちは、神に近づこうと天まで届く塔を築く。人間たちの傲慢さに腹を立てた神が、彼らを意思疎通できなくなるようバラバラな言語にして懲らしめたことから由来するらしい・・・

映画バベルは、その物語を現代に置き換えたような設定になっていて、タイトルにふさわしい。
この映画に登場する人々の心は、見事なまでにバラバラで、この状況こそがまさにバベルなのかも知れません。

この映画の構成は、3カ国で、それぞれ進行するドラマを交互に描いていく群像劇。そして、これらの物語の背景が、すべて細い糸で繋がっているところが面白い。
どの家族もそれぞれ、かけがえのない人が、重傷を負ったり、過去に失ってしまったことがある。
この作品には、真に悪意のある人が、全く出てこないところも、この映画の魅力の一つでしょうか?
発端となるモロッコの事件も、山羊飼いの兄弟の過ちから起こります。

ブラッドとケイトの夫婦も、過去の事件から受けた傷が回復せず、離婚の危機にある。それを修復するべく出かけたモロッコの旅も、ケイトは、夫に対する苛立ちを隠せない。
そんなケイトも、重傷を負って錯乱した時、看病してくれた現地の女性が、鎮痛剤代わりにくれたアヘンを、素直に受け取り、吸うことができるようになる。
そして、必死の看病をするブラッドに、自らの身を委ね、過去の間違いを詫びる夫を許し、和解のキスをする・・・

ブラッド夫婦の子供たちが留守を預かる乳母にメキシコに連れていかれ、国境越えに、失敗し、炎天下の砂漠をさ迷い、瀕死状態になった女の子の横顔が、ケイトの横顔と重なってしまいました。
しかし、救いは、メキシコ人の乳母と、ブラッド夫婦に付き添うモロッコ人ガイド。彼らは、人種も異なり、言語も異なるのに、子供たちと、ブラッド夫妻と心から通じることができていました。悲劇の最中にもこんなホットする思いやりの出会いがあるから、優しくなれるのでしょうね。

そして、ちょっと異質な日本人のエピソードが気になります。
聴覚障害者であるチエコは、人とコミュニケーションが取りにくい。同年代の男の子にナンパされた時も、彼女が障害者だと分かった途端に、嘲笑を浴びる様は、見ていて胸が痛みます。
あまりに、奇怪な行動をとるのは、戸惑ってしまいますが、その奥底にある理由を知った時、涙せずにはいられませんでした。


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菊地凛子・・・日本のパートが傑出している ネタバレ

投稿日:2007/09/30 レビュアー:parole

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

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DISCASの『21g』のレビューでイニャリトゥに関し「策士策に溺れる?」と疑問符を提示したが、その虞が的中してしまった作品だった。複数の物語を一つの事件を核として、時制を錯綜させながら描く手法はこれまでの作品と同様なのだが、これまでは極めて限定された地域の出来事が対象であったのに対し本作ではその範囲を地球レベルまで広げており、故に多くの点で無理が出てしまっている。さらに相互の連関性も非常に薄く一発の銃が全てを巻き起こしたとする物語の骨子には説得性や納得性が余り感じられない。むしろ全くの関連性を持たせずに複数の物語を並行的に描く手法の方がある種の重層性を演出することが出来るはずなのに、相互の繋がりが軸になってしまっているためそのためのその「言い訳」を執拗に聞かされている気分になってしまった。

しかしながらでは作品そのものに否定的な感想を抱いたのかというと話しは全く逆で、上記のような致命的な瑕疵を抱え込んでいるにも関わらずイニャリトゥの最高傑作と呼べるほど優れた作品だったと思う。何故か。菊池稟子のパート、いや日本を舞台としたパートが作品の核の根本的な失策を補って余りあるほど素晴らしかったからだ。

聾唖者の少女の孤独感という設定だけで他のパートとは大きく異なる具体性と切実さを持っているが、日本のパートはその設定に頼るだけではない確かで心を深くえぐるような演出が成されている。聾唖者つまり語れないことを最大限に生かしながら、その役柄を演じる菊池稟子も言葉で明示的に語らないのはもちろんのこと、根本的に語ることができない哀しみというものを表面的な悲しさの演技として表出しておらず、逆に鈍さを纏った鋭利な視線が観る者の心に刺さってくる。さらには彼女の父親役である役所広司も、彼女と心を交錯させる刑事役である二階堂智もこの語らないことを見事に演じており、これらが要素が臨界まで高まった日本のパートのラストシークエンス、すなわちテレビのコマーシャルでも流れていた坂本龍一の楽曲『美貌の青空』をBGMとした稟子と父親の和解のシークエンスにおいては大きく落涙させられてしまった。無言で抱き合う二人のアップ(バストショット)からカメラは大きくズームバックして都心の夜を捉えるショットでこのシークエンスは終わるのだが、心のすれ違いを「気をつけて」と言う慎ましい言葉で娘に投げかけた父親の心情や、明らかにされることはない稟子から刑事に送った手紙に対する送った者側と受け取った側との心情などがその間に大きく心を去来し、汲めども尽きに涙となって結実したのだ。

このパートの素晴らしさは決して日本びいきによるものではなく、劇場パンフでもイニャリトゥを始めとする多くの関係者が菊池稟子の演技を大きく称えていることや彼女がアカデミー賞の助演女優賞にノミネートされたことからも明かだろう。しかし、繰り返し言うが日本のパートの素晴らしさは、彼女の演技の秀逸さによるものだけではなく、役所広司ら彼女を支える役者達の演技(稟子の友人役を演じた、恐らくは本文の聾唖者の少女もまた素晴らしかった)やそして何よりもイニャリトゥの演出力の賜だと思う。

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眼力の菊池凛子 ネタバレ

投稿日:2008/01/05 レビュアー:kazupon

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この作品では何の因果か、一発の銃弾がきっかけになり、モロッコ、アメリカ、メキシコ、日本の人々が、思いがけないところで繋がっているのを知らされた。
モロッコ人の男が銃を売ったりしなければ、山羊飼いの兄弟が銃を手にすることも、
事件を起こす事もなかったのに・・・
スーザンが銃弾に倒れる事がなければ、アメリアが世話をしている子供達を連れ出すことも、危険にさらすこともなかったのに・・・
アメリアが子供と一緒に泊まっていたら、サンチャゴが酔って車を運転することもなかったのに・・・
そして、ヤスジローがモロッコ人に銃をやっていなければ!
何と言う不思議な連鎖。
「風が吹けば、桶屋が儲かる」ではないが、世の中めぐり巡って何処かで繋がっているということだろうか。

神の怒りに触れ、言葉を分かたれた人間達。
言語は無数にあり、異なった言語を話す者たちのコミュニケーションは、たしかに容易ではない。
かと言って、言葉が通じ合えばお互いを理解できるのか?
そして、相手の言葉がわからなければ、私達はつながりを持つ事ができないのだろうか?
神が言語を分けてしまったが、人間はコミュニケーションの手段を身に着けてきた。
異なった言葉を理解し覚えようともしたし、身体のふれ合いで癒し、つながりを持った。
目の不自由な者は音で理解し、耳が不自由な者は、文字や手話などを伝達の手段としてきた。
親子、兄弟、夫婦、友人、隣人。
人と人のつながりは様々だが、お互いを理解するには、言葉にも増して理解しようとする気持ちと、伝えようと言う意思、愛情、努力、そして真正面から向き合う事が必要だと感じた。
この「真正面から向き合う」という事に思いが至ったのは、このレビューを書き始めてからだった。
菊池凛子の理解しがたい行動や、あの力強い眼差しが何を訴えようとしているのか、そもそも東京の菊池凛子のシーンは必要だったのか?と疑問に感じていたのだ。

話は横道に逸れるが、
数年前、私は身障者センターでボランティアをしていた事がある。
パッチワークの先生の助手として、針に糸を通したり、先生の説明を筆記などで伝えるお手伝いだった。
肢体が不自由な人も、目が不自由な人も、耳が不自由な人もいたが、それぞれにおしゃべりをしながら作業を楽しんでいた。
そんな中に、口話と手話での会話が弾み、少しも作業のはかどらない彼女がいたのだ。
まだまだ理解の足りなかった私は、筆談で「口だけではなく、手も動かしてね」とメモを渡してしまった。(その時の彼女の、ガッカリしたような表情といったら!)
作品の中でチエコもやっていたように、相手が話す口の動きを読み取り会話するのが口話。ゆっくりなら、かなり理解できるようだ。
耳が聞こえる者にとっては、おしゃべりをしながら、手も一緒に動かす事は可能だけれど、手話も口話も、相手と向き合ってちゃんと見ていなければ、会話も何も成立しないのだった。
チエコは、自分の方を向かせたくて、あんな過激な方法をとったのかも知れない。
手話を使う彼女に、声をかけてきた男たちはビビリ、面倒くさがる。
手話を理解する男には、思わず心を許してしまう。
言葉で繋がることが出来ないなら、せめて身体で・・・
あの刑事や父に抱きしめられて、チエコの孤独と愛への渇きは、少しでも癒されることはできただろうか?
地球の離れた場所でスーザンとリチャードの夫婦は、逃げてきたものに二人で立ち向かっていく絆はできただろうか?

無理やりなこじつけで、わかった振りを装ってみたが、やはり難解でスッキリしない後味。
それでも、一見の価値はあるかと・・・


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せめて、語り合おう。拳を振り上げるのでは無く ネタバレ

投稿日:2007/12/04 レビュアー:ひろぼう

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バベルの塔は神の怒りにより粉砕されたのですが、映画「バベル」の登場人物達は、自らの怠惰の報いにより打ちのめされるのです。

アメリカ、モロッコ、メキシコ、そして日本。各家族に共通するのは、自らの思いを伝える努力を怠った事だと思います。その象徴、核心的に描かれているのが日本のパートであり、その為嫌悪感を持たれる方がいるのかも知れませんが、チエコの行為は、語らず(語れず)に、肉体(安易な手段)で他者の関心を保とう(阻害者から逃れよう)とする、姑息で安楽な行いを、否定される事にあります。
アメリカ人の夫婦は幼い子供を亡くした事の重責から逃れようとし、その過去を否定する事で悲しみから逃げようとする。
モロッコ人の親子は興味本位で買った銃により、他者を傷付けた事実を受け止められずに逃げようとする。
メキシコ人の一族はそれぞれの身勝手な思いが、やがて破綻し暴走し逃げ延びようとする。
逃げる前に、せめて語り合えば、その、振り上げられた拳は打ち下ろされなかったのでは、と思いました。

神の怒りにより言語を分かたれた人類は、その意思を伝えることすら怠る愚かな生き物になり下がってしまったのでしょうか。でも、言語を覚える前のただの生き物であった人は、抱きしめ合うことだけで全てを許容出来るという遺伝子を、心の片隅にでも覚えていたのかと、ラストシーンでは思いました。

本作には、過去の作品での、真夏の太陽に照らされ汗と体臭が沸き立つような生臭い描写が一皮剥けて、どこか乾いた感じを覚えましたし、そのため殺伐としたドラスティックな雰囲気が強調された様にも思えます。
時系列を重複するのは、登場人物の思いを隠し、徐々にストーリーの展開に合わせてその心情を顕在化する事により、観る者を作品の世界観に引き込む手法であり、本作で完成されたかの思いが強まります。

話題ばかりが先行し、出演者のビッグネームに期待感を持って鑑賞すると、確かに辛く、気持ちが滅入る内容ではありますが、私達には語る言葉が有り語る意思が有るのですから、この狂った世界を正すには語り合う必要があり、それが出来なければ心から抱きしめ合おうと、本作が訴えているように感じました。

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解釈を委ねるズルイ映画

投稿日:2007/10/26 レビュアー:もっち

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6〜 10件 / 全412件

ユーザーレビュー

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ユーザーレビュー:412件

奥深い世界を楽しむ

投稿日

2007/10/06

レビュアー

ミルクチョコ

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タイトルのバベルは、旧約聖書のバベルの塔のエピソードをモチーフにしていて、人間たちは、神に近づこうと天まで届く塔を築く。人間たちの傲慢さに腹を立てた神が、彼らを意思疎通できなくなるようバラバラな言語にして懲らしめたことから由来するらしい・・・

映画バベルは、その物語を現代に置き換えたような設定になっていて、タイトルにふさわしい。
この映画に登場する人々の心は、見事なまでにバラバラで、この状況こそがまさにバベルなのかも知れません。

この映画の構成は、3カ国で、それぞれ進行するドラマを交互に描いていく群像劇。そして、これらの物語の背景が、すべて細い糸で繋がっているところが面白い。
どの家族もそれぞれ、かけがえのない人が、重傷を負ったり、過去に失ってしまったことがある。
この作品には、真に悪意のある人が、全く出てこないところも、この映画の魅力の一つでしょうか?
発端となるモロッコの事件も、山羊飼いの兄弟の過ちから起こります。

ブラッドとケイトの夫婦も、過去の事件から受けた傷が回復せず、離婚の危機にある。それを修復するべく出かけたモロッコの旅も、ケイトは、夫に対する苛立ちを隠せない。
そんなケイトも、重傷を負って錯乱した時、看病してくれた現地の女性が、鎮痛剤代わりにくれたアヘンを、素直に受け取り、吸うことができるようになる。
そして、必死の看病をするブラッドに、自らの身を委ね、過去の間違いを詫びる夫を許し、和解のキスをする・・・

ブラッド夫婦の子供たちが留守を預かる乳母にメキシコに連れていかれ、国境越えに、失敗し、炎天下の砂漠をさ迷い、瀕死状態になった女の子の横顔が、ケイトの横顔と重なってしまいました。
しかし、救いは、メキシコ人の乳母と、ブラッド夫婦に付き添うモロッコ人ガイド。彼らは、人種も異なり、言語も異なるのに、子供たちと、ブラッド夫妻と心から通じることができていました。悲劇の最中にもこんなホットする思いやりの出会いがあるから、優しくなれるのでしょうね。

そして、ちょっと異質な日本人のエピソードが気になります。
聴覚障害者であるチエコは、人とコミュニケーションが取りにくい。同年代の男の子にナンパされた時も、彼女が障害者だと分かった途端に、嘲笑を浴びる様は、見ていて胸が痛みます。
あまりに、奇怪な行動をとるのは、戸惑ってしまいますが、その奥底にある理由を知った時、涙せずにはいられませんでした。


菊地凛子・・・日本のパートが傑出している

投稿日

2007/09/30

レビュアー

parole

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DISCASの『21g』のレビューでイニャリトゥに関し「策士策に溺れる?」と疑問符を提示したが、その虞が的中してしまった作品だった。複数の物語を一つの事件を核として、時制を錯綜させながら描く手法はこれまでの作品と同様なのだが、これまでは極めて限定された地域の出来事が対象であったのに対し本作ではその範囲を地球レベルまで広げており、故に多くの点で無理が出てしまっている。さらに相互の連関性も非常に薄く一発の銃が全てを巻き起こしたとする物語の骨子には説得性や納得性が余り感じられない。むしろ全くの関連性を持たせずに複数の物語を並行的に描く手法の方がある種の重層性を演出することが出来るはずなのに、相互の繋がりが軸になってしまっているためそのためのその「言い訳」を執拗に聞かされている気分になってしまった。

しかしながらでは作品そのものに否定的な感想を抱いたのかというと話しは全く逆で、上記のような致命的な瑕疵を抱え込んでいるにも関わらずイニャリトゥの最高傑作と呼べるほど優れた作品だったと思う。何故か。菊池稟子のパート、いや日本を舞台としたパートが作品の核の根本的な失策を補って余りあるほど素晴らしかったからだ。

聾唖者の少女の孤独感という設定だけで他のパートとは大きく異なる具体性と切実さを持っているが、日本のパートはその設定に頼るだけではない確かで心を深くえぐるような演出が成されている。聾唖者つまり語れないことを最大限に生かしながら、その役柄を演じる菊池稟子も言葉で明示的に語らないのはもちろんのこと、根本的に語ることができない哀しみというものを表面的な悲しさの演技として表出しておらず、逆に鈍さを纏った鋭利な視線が観る者の心に刺さってくる。さらには彼女の父親役である役所広司も、彼女と心を交錯させる刑事役である二階堂智もこの語らないことを見事に演じており、これらが要素が臨界まで高まった日本のパートのラストシークエンス、すなわちテレビのコマーシャルでも流れていた坂本龍一の楽曲『美貌の青空』をBGMとした稟子と父親の和解のシークエンスにおいては大きく落涙させられてしまった。無言で抱き合う二人のアップ(バストショット)からカメラは大きくズームバックして都心の夜を捉えるショットでこのシークエンスは終わるのだが、心のすれ違いを「気をつけて」と言う慎ましい言葉で娘に投げかけた父親の心情や、明らかにされることはない稟子から刑事に送った手紙に対する送った者側と受け取った側との心情などがその間に大きく心を去来し、汲めども尽きに涙となって結実したのだ。

このパートの素晴らしさは決して日本びいきによるものではなく、劇場パンフでもイニャリトゥを始めとする多くの関係者が菊池稟子の演技を大きく称えていることや彼女がアカデミー賞の助演女優賞にノミネートされたことからも明かだろう。しかし、繰り返し言うが日本のパートの素晴らしさは、彼女の演技の秀逸さによるものだけではなく、役所広司ら彼女を支える役者達の演技(稟子の友人役を演じた、恐らくは本文の聾唖者の少女もまた素晴らしかった)やそして何よりもイニャリトゥの演出力の賜だと思う。

眼力の菊池凛子

投稿日

2008/01/05

レビュアー

kazupon

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この作品では何の因果か、一発の銃弾がきっかけになり、モロッコ、アメリカ、メキシコ、日本の人々が、思いがけないところで繋がっているのを知らされた。
モロッコ人の男が銃を売ったりしなければ、山羊飼いの兄弟が銃を手にすることも、
事件を起こす事もなかったのに・・・
スーザンが銃弾に倒れる事がなければ、アメリアが世話をしている子供達を連れ出すことも、危険にさらすこともなかったのに・・・
アメリアが子供と一緒に泊まっていたら、サンチャゴが酔って車を運転することもなかったのに・・・
そして、ヤスジローがモロッコ人に銃をやっていなければ!
何と言う不思議な連鎖。
「風が吹けば、桶屋が儲かる」ではないが、世の中めぐり巡って何処かで繋がっているということだろうか。

神の怒りに触れ、言葉を分かたれた人間達。
言語は無数にあり、異なった言語を話す者たちのコミュニケーションは、たしかに容易ではない。
かと言って、言葉が通じ合えばお互いを理解できるのか?
そして、相手の言葉がわからなければ、私達はつながりを持つ事ができないのだろうか?
神が言語を分けてしまったが、人間はコミュニケーションの手段を身に着けてきた。
異なった言葉を理解し覚えようともしたし、身体のふれ合いで癒し、つながりを持った。
目の不自由な者は音で理解し、耳が不自由な者は、文字や手話などを伝達の手段としてきた。
親子、兄弟、夫婦、友人、隣人。
人と人のつながりは様々だが、お互いを理解するには、言葉にも増して理解しようとする気持ちと、伝えようと言う意思、愛情、努力、そして真正面から向き合う事が必要だと感じた。
この「真正面から向き合う」という事に思いが至ったのは、このレビューを書き始めてからだった。
菊池凛子の理解しがたい行動や、あの力強い眼差しが何を訴えようとしているのか、そもそも東京の菊池凛子のシーンは必要だったのか?と疑問に感じていたのだ。

話は横道に逸れるが、
数年前、私は身障者センターでボランティアをしていた事がある。
パッチワークの先生の助手として、針に糸を通したり、先生の説明を筆記などで伝えるお手伝いだった。
肢体が不自由な人も、目が不自由な人も、耳が不自由な人もいたが、それぞれにおしゃべりをしながら作業を楽しんでいた。
そんな中に、口話と手話での会話が弾み、少しも作業のはかどらない彼女がいたのだ。
まだまだ理解の足りなかった私は、筆談で「口だけではなく、手も動かしてね」とメモを渡してしまった。(その時の彼女の、ガッカリしたような表情といったら!)
作品の中でチエコもやっていたように、相手が話す口の動きを読み取り会話するのが口話。ゆっくりなら、かなり理解できるようだ。
耳が聞こえる者にとっては、おしゃべりをしながら、手も一緒に動かす事は可能だけれど、手話も口話も、相手と向き合ってちゃんと見ていなければ、会話も何も成立しないのだった。
チエコは、自分の方を向かせたくて、あんな過激な方法をとったのかも知れない。
手話を使う彼女に、声をかけてきた男たちはビビリ、面倒くさがる。
手話を理解する男には、思わず心を許してしまう。
言葉で繋がることが出来ないなら、せめて身体で・・・
あの刑事や父に抱きしめられて、チエコの孤独と愛への渇きは、少しでも癒されることはできただろうか?
地球の離れた場所でスーザンとリチャードの夫婦は、逃げてきたものに二人で立ち向かっていく絆はできただろうか?

無理やりなこじつけで、わかった振りを装ってみたが、やはり難解でスッキリしない後味。
それでも、一見の価値はあるかと・・・


せめて、語り合おう。拳を振り上げるのでは無く

投稿日

2007/12/04

レビュアー

ひろぼう

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バベルの塔は神の怒りにより粉砕されたのですが、映画「バベル」の登場人物達は、自らの怠惰の報いにより打ちのめされるのです。

アメリカ、モロッコ、メキシコ、そして日本。各家族に共通するのは、自らの思いを伝える努力を怠った事だと思います。その象徴、核心的に描かれているのが日本のパートであり、その為嫌悪感を持たれる方がいるのかも知れませんが、チエコの行為は、語らず(語れず)に、肉体(安易な手段)で他者の関心を保とう(阻害者から逃れよう)とする、姑息で安楽な行いを、否定される事にあります。
アメリカ人の夫婦は幼い子供を亡くした事の重責から逃れようとし、その過去を否定する事で悲しみから逃げようとする。
モロッコ人の親子は興味本位で買った銃により、他者を傷付けた事実を受け止められずに逃げようとする。
メキシコ人の一族はそれぞれの身勝手な思いが、やがて破綻し暴走し逃げ延びようとする。
逃げる前に、せめて語り合えば、その、振り上げられた拳は打ち下ろされなかったのでは、と思いました。

神の怒りにより言語を分かたれた人類は、その意思を伝えることすら怠る愚かな生き物になり下がってしまったのでしょうか。でも、言語を覚える前のただの生き物であった人は、抱きしめ合うことだけで全てを許容出来るという遺伝子を、心の片隅にでも覚えていたのかと、ラストシーンでは思いました。

本作には、過去の作品での、真夏の太陽に照らされ汗と体臭が沸き立つような生臭い描写が一皮剥けて、どこか乾いた感じを覚えましたし、そのため殺伐としたドラスティックな雰囲気が強調された様にも思えます。
時系列を重複するのは、登場人物の思いを隠し、徐々にストーリーの展開に合わせてその心情を顕在化する事により、観る者を作品の世界観に引き込む手法であり、本作で完成されたかの思いが強まります。

話題ばかりが先行し、出演者のビッグネームに期待感を持って鑑賞すると、確かに辛く、気持ちが滅入る内容ではありますが、私達には語る言葉が有り語る意思が有るのですから、この狂った世界を正すには語り合う必要があり、それが出来なければ心から抱きしめ合おうと、本作が訴えているように感じました。

解釈を委ねるズルイ映画

投稿日

2007/10/26

レビュアー

もっち

6〜 10件 / 全412件

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    月額2,052円税込
    • 「新作・準新作」が定額で月8枚レンタルできる!※1借り放題付き※2
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  • 宅配レンタル 定額4プラン
    月額1,026円税込
    • DVD/CDが定額で月4枚レンタルできる!※1
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  • 都度課金 プラン
    無料会員 月額0円税込 ※都度レンタル時の費用は発生します
    • 月額無料で単品レンタルを楽しみたい方におすすめ!
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※1 無料お試し期間中の「新作」レンタルは対象外です。

※2 借り放題はDVD「旧作」、CD「新作・準新作・旧作」が対象です。

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