真昼の決闘 / ゲーリー・クーパー
真昼の決闘
/フレッド・ジンネマン
平均評価点:
予告編を検索
全体の平均評価点: (5点満点)
(28)
解説・ストーリー
1870年、ハドリービルという西部の小さな町。結婚式を挙げたばかりの保安官ウィルの元に、かつて逮捕した無法者の帰還の知らせが入る。様々な思いの末、彼らとの対決を決意するウィルだったが、戦いに否定的な新妻エミーは一人町を去ろうと駅へ向かう。ウィルは協力者を求めて、炎暑の町を歩き回るが、臆病で利己的な住民たちはその門を閉ざす。やがて正午となり、駅に列車が到着、エミーが乗り込むと同時に、ウィルへの復讐を誓う無法者が降り立った……。
1870年、ハドリービルという西部の小さな町。結婚式を挙げたばかりの保安官ウィルの元に、かつて逮捕した無法者の帰還の知らせが入る。様々な思いの末、彼らとの対決を決意するウィルだったが、戦いに否定的な新妻エミーは一人町を去ろうと駅へ向かう。ウィルは協力者を求めて、炎暑の町を歩き回るが、臆病で利己的な住民たちはその門を閉ざす。やがて正午となり、駅に列車が到着、エミーが乗り込むと同時に、ウィルへの復讐を誓う無法者が降り立った……。
もっと見る▼
新規登録で
「定額レンタル4」月額1,026円(税込)を
14日間無料お試し!※
- ※本キャンペーンの無料お試しの対象者は、次の@ABのいずれかに該当する方に限ります。
- @「TSUTAYA DISCAS」の定額プラン(定額プランの種類は問いません。以下同じ)の利用開始時に「無料お試し」を利用したことがない方
- A2022年10月2日以前に「TSUTAYA DISCAS」の定額プランの利用を終了された方であって、2022年10月3日以降、「TSUTAYA DISCAS」の定額プランを利用していない方
- B上記@Aのほか、当社が不定期で実施する期間限定キャンペーンにおいて、キャンペーン開始時に、当社が定める参加条件を満たした方
- 無料お試し期間中(14日間)、新作はレンタル対象外です。(但し、上記Bの対象者に限り、新作もレンタル対象となる場合があります)
- 無料お試し期間終了後、登録プラン料金で自動更新となります。
「真昼の決闘」 の解説・あらすじ・ストーリー
解説・ストーリー
1870年、ハドリービルという西部の小さな町。結婚式を挙げたばかりの保安官ウィルの元に、かつて逮捕した無法者の帰還の知らせが入る。様々な思いの末、彼らとの対決を決意するウィルだったが、戦いに否定的な新妻エミーは一人町を去ろうと駅へ向かう。ウィルは協力者を求めて、炎暑の町を歩き回るが、臆病で利己的な住民たちはその門を閉ざす。やがて正午となり、駅に列車が到着、エミーが乗り込むと同時に、ウィルへの復讐を誓う無法者が降り立った……。
「真昼の決闘」 の作品情報
「真昼の決闘」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
真昼の決闘の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
85分 |
日本語 |
1:ドルビーデジタル/モノラル/英語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
TCDR4042 |
2005年06月21日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
2枚
|
0人
|
1人
|
真昼の決闘の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
85分 |
日本語 |
1:ドルビーデジタル/モノラル/英語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
TCDR4042 |
2005年06月21日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
2枚
|
0人
|
1人
|
TSUTAYAだから可能な圧倒的作品数!!
洋画・邦画
約35,500
タイトル以上
国内ドラマも一部含まれております
※2022年2月 現在のタイトル数
新規登録で
「定額レンタル4」月額1,026円(税込)を
14日間無料お試し!※
- ※本キャンペーンの無料お試しの対象者は、次の@ABのいずれかに該当する方に限ります。
- @「TSUTAYA DISCAS」の定額プラン(定額プランの種類は問いません。以下同じ)の利用開始時に「無料お試し」を利用したことがない方
- A2022年10月2日以前に「TSUTAYA DISCAS」の定額プランの利用を終了された方であって、2022年10月3日以降、「TSUTAYA DISCAS」の定額プランを利用していない方
- B上記@Aのほか、当社が不定期で実施する期間限定キャンペーンにおいて、キャンペーン開始時に、当社が定める参加条件を満たした方
- 無料お試し期間中(14日間)、新作はレンタル対象外です。(但し、上記Bの対象者に限り、新作もレンタル対象となる場合があります)
- 無料お試し期間終了後、登録プラン料金で自動更新となります。
ユーザーレビュー:28件
オールドファンにはたまらない西部劇
投稿日:2016/10/07
レビュアー:趣味は洋画
オールドファンにはたまらない西部劇で、「真昼の決闘」を観ずして西部劇を語るなかれ...とよくいわれたもの。
だが、「自分の道義的責任を果たすためには、たった一人になっても戦わなくてはならない」というテーマと、保安官を助けようとしない日和見的な市民に対する厳しい批判が交錯し、公開当時から何やら政治的思惑に踊らされてきた映画であることも事実。
日曜の午前10時40分から正午までの、1時間20分の間に展開する白昼の決闘の顛末を、徹底したリアリズムで描いた西部劇だ。
1870年、西部ハドリーヴィルの町で結婚式を挙げたばかりの保安官ウィル・ケイン(ゲイリー・クーパー)のもとに、彼がかつて逮捕した無法者が保釈となり、正午の列車で町に着くという知らせが届く。無法者は4人で、ウィルを殺そうとしていた。
ウィルは彼らと戦うため、町の人に助勢を求めるが、誰も力になってくれない。
覚悟をきめた彼は遺言状を書き、たった一人で真昼の決闘に向かった...
何といっても俳優陣がみな個性的。
アンチ・ヒーローの中年保安官を演じたG・クーパーは、41年「ヨーク軍曹」に続く2度目のアカデミー主演男優賞を受賞。天下の二枚目の老残ぶりは、その渋さと相まって印象深い。
だが彼に批判的な勢力があったのも有名な話で、ジョン・ウェインやハワード・ホークス監督らは、‘保安官が市民に助けを求めるなんて冗談じゃない。あんな腰抜け保安官はアメリカの面汚しだ!」
...今の米紙を賑わしている誰かのコメントかとさえ思ってしまう(笑)...
クーパーの新妻エミイ役はグレイス・ケリー。西部劇に咲く名花そのものだが、本作では無法者に銃を向ける気丈な女性を演じている。
本作のスチール写真で、G・クーパーと向き合っている男。
彼はロイド・ブリッジスで、ジェフ・ブリッジス、ボー・ブリッジス兄弟の実父である。
腕はいいが精神的に未熟な保安官助手を演じている。
(94年「ブローン・アウェイ/復讐の序曲」で、ジェフ・ブリッジスと父子共演を果たしている)
そのL・ブリッジスと同棲しているメキシコ女ヘレンを演じているのが、ケティ・フラド。
西部劇では‘酒場女’に扮してよく登場する。
主人公を狙う4人の無法者。
本作デビューで、後に西部劇の大スターとなるリー・ヴァン・クリーフをはじめ、アイアン・マクドナルド、シェブ・ウーリー、ロバート・J・ウィルクと、曲者揃い。
そのほかにも、町長役のトーマス・ミッチェルや、留置場の酔っ払いを演じたジャック・イーラムなど、往年の脇役スター勢ぞろい。
政治的理由絡みで賛否両論ある映画だが、これだけの名優がそろい、フレッド・ジンネマン監督に、製作がスタンリー・クレイマー、音楽がディミトリ・ティオムキンとくれば、冒頭に述べたように、やはり「オールドファンにはたまらない西部劇」...となるのだ。
このレビューは気に入りましたか?
3人の会員が気に入ったと投稿しています
白昼のオデッセイ
子供の頃に見たまま、忘れていた映画でした。
作家の村上春樹氏がエルサルム賞を受けたとき。内外からの反対の中、空港に向かう直前まで何度も繰り返し見た映画だと「雑文集」に書いてあるのを読み、もう一度見てみました。
子供の時は、なぜ町の人たちは協力しないのだろう、保安官がやられたら、悪党に町を荒らされ、自分たちだって殺されるかもしれないのにと感じたことを思い出しました。
今回、見直してみると、冷たかった町の人々に寛容になっている自分に気付きます。
そして、改めてこの映画は、西部劇のフォーマットでも、最後の決闘シーンでケリがつくような勧善懲悪モノの単純な西部劇ではなく、本格的な群像劇、対話劇だと気付きました。一つのオデッセイです。
よく当時の赤狩りや、それを傍観していた周囲に対する批判だったといわれますが、それも納得のいく一つの説明でしょう。
町の群衆は、拡大すれば国民、大衆と解釈できるし、民主主義の主である民衆も、一人ひとりに分断すれば、火弱く、小ずるく、利己的なものだともいえます。
民衆の身勝手さ(あるいはしたたかさ)を告発していると取っても間違いではないでしょう。
以前はそういう民衆を悪漢から守り、平和で繁栄した町を築いたのに、今度は誰も力を貸そうとしない。正義の守護者である判事こそが真っ先に逃げ出し、行く先々で体よく断られたり、嫌われたり、教会のディスカッションでは、何も言えない牧師や、事を保安官一人の私怨事に矮小化して追い払おうとする小金持ち達に失望します。
新婚ほやほやの妻は、親兄弟を凶弾で亡くしてからは非暴力主義のクエーカー教徒で、夫を説得できないと知ると立ち去ろうとします。
でも、夫が決闘をやめて自分を追いかけて来るかも知れないと期待もしているのです。
もう一人、過去に関係のあったらしいメキシコ人の女性は、そんな町に愛想を尽かし去っていきます。
誰にも助けてもらえず、ふらふらと炎天下を歩いている保安官の前を、その過去の女性と未来の女性を乗せた馬車が通り過ぎるシーンでぶっ飛びました。
町の仲間から孤立し、孤独ではあってもまだ怒りという甘えを抱えていた保安官の前に、一瞬で絶望という追い打ちをかけられ、彼は立ちすくむのです。
この1シーンだけで、私はこの映画を名画だと断言できます。
最早、失うものがなくなった保安官は、遺書をしたため、助人を申し出る少年を帰し、飲んだくれを釈放し、決闘の用意をします。
闘ってみれば、心がけの悪い悪党仲間と、ムショ帰りで腕がなまっている悪党相手の撃ち合いは格好良くもなく、あっさりと終わります。
結果が出れば「よかった、よかった」とあふれ出す群衆。
彼らはもし保安官が殺されても悪党にすり寄っていっただろうと容易に想像がつきます。
そして、あの中の一人は自分なのです。
僅か80分前には祝福を受けていた町の人々に、憎悪と軽蔑とバッジを投げ捨て、町を去っていく保安官夫婦。
後味の悪さから嫌いになる方がいても不思議ではありません。
しかし、ここまで人間の本質に迫ったドラマを、アメリカの理想(幻想)を刷り込む娯楽装置である西部劇映画に潜ませて見せた手腕は本当に凄い。
一級の文芸作品といってもいい見事な名画です。
このレビューは気に入りましたか?
3人の会員が気に入ったと投稿しています
連帯を求めて孤立を恐れず。
投稿日:2008/09/29
レビュアー:港のマリー
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
レビューを表示する
いや、驚きました!西部劇だからエンターテイメントだと思ったのは浅はかでした。もちろん正午という一点に向けてぐいぐいと緊迫感を高めお約束の銃撃戦もきちんと見せてくれます。しかしもっと深遠なテーマがこの映画にはありました。「民主主義のパラドックス(逆説)」とでも言うべきもの。
正義の法に守られた安心して暮らせる町を「みんなで」つくろう、というのが民主主義的統治のスローガン。が、この「みんなで」がくせものです。無法者が釈放されて帰ってくるとわかっても町の誰も保安官ゲーリー・クーパーに協力しようとはしません。逆に復讐の相手はあんたなんだから出て行ってくれと、町に平和をもたらしたかつての功績を忘れて追い出そうとする始末。刻々と時の迫るなか、協力者を求めて歩き回り結局孤立を深めるだけの彼の姿は痛々しかった。教会でのディスカッションも見応えがありました。北部の投資を呼び込むために決闘騒ぎはやめてくれというもっともらしい理屈も、利己主義と傍観的態度においては、棺桶作って高みの見物をきめこむ輩と同じだと痛感しました。このあたりの批判の視線の厳しさに、自分のことを見透かされたようで狼狽したりして。娯楽映画でここまでやるのかと唸ってしまった、妥協のないきまじめな大衆批判でした。
正午、保安官はたった一人、四人の無法者を相手に決闘に臨みます。正直なところ、最後の最後には一人、二人の協力者が現れるだろう期待していたのですが、甘くはなかった。(細君は別にして)無法な暴力から町を守るために彼はたった一人体を張ります。その孤独が気高い。民主主義的な統治というのは利己主義や傍観的態度を乗り越えた、勇気ある有徳の個人が実は支えているのだ、「みんな」ではなくと、感じ入ってしまいました。みんなのための制度を孤立を恐れぬ、あるいは孤立せざるを得ぬ個人が支えているという逆説。もちろんそうでない民主主義論もありますが。
クエーカー教徒の妻、グレース・ケリーが教義を破って夫を助けるために銃を撃つという設定がまた重い。素直に喜べない何かが残りました。無法者を倒した後、隠れていた住民たちが立ち尽くす保安官夫妻に向かってが押し寄せてきます。おそらく口々に喝采の声を上げているのでしょう。その面々を怒りの表情で見やりながら保安官バッチを投げ捨てて妻を伴い去っていくゲーリー・クーパー。このラストにも怨念とでも言うべき怒りがたぎっておりました。久々に私に「レビュアーズ・ハイ」をもたらした一作。
このレビューは気に入りましたか?
3人の会員が気に入ったと投稿しています
イーストウッドに影響を与えた作品?
投稿日:2007/09/17
レビュアー:せきやん
1回目はジョンウェイン作品の後で、
2回目はイーストウッド作品の後で観ました。
1回目の感想・・・
ジョンウェイン演じる保安官との対極。
保安官も所詮人間である、自己保身に走る人間・社会の冷たさ。
刻々と近づく正午に緊迫感を感じました。
2回目の感想・・・
リー・バン・クリーフ(『夕陽のガンマン』等)出てるじゃん!若い!
イーストウッドの作品との比較
法と正義と暴力、復讐
決闘シーンで誰かが、主人公を助けます。
(『荒野の用心棒』『ペイルライダー』)
棺桶(『荒野の用心棒』)
『荒野のストレンジャー』はこの作品のアンチテーゼでしょうね。
なぜ、ゲイリークーパーが住民に助けを求めたのか?理由がわかります。
決闘シーンは『ペイルライダー』の方が面白い。
決闘シーンをどちらの側から見せるかで、印象が違います。
イーストウッドのネチコサ(執着、復讐心)を再認識します。
相手を倒した後、頭に止めの一発を打ち込む。
(『ペイルライダー』『許されざる者』『ダーティハリー』など)
ジョンウェインはたぶん『捜索者』だけだったかな?
最後にバッジを捨てるシーン(『ダーティハリー』)
時間との戦い(『トゥルークライム』)
イーストウッドに影響を与えたと思われる本作品はやはり名作なんでしょうね。
このレビューは気に入りましたか?
3人の会員が気に入ったと投稿しています
「ハイ・ヌーン」 1対4の正午の孤独
冒頭から、主題曲が流れます。この映画、全く無駄がありません。時計と同時進行です。
「真昼の決闘」(1952、米国、白黒、85分)。
監督は、「地上より永遠に」(1953)、「ジュリア」(1977)のフレッド・ジンネマン(1907〜1997)」。脚本のカール・フォアマン(1914〜1983)は、当時の米国の「赤狩り」対象になり本作完成後に英国へ亡命。監督は、映画に政治的意図はないと述べました。
1870年、西部の町「ハドリーヴィル」、日曜午前、保安官「ウィル・ケイン」(ゲイリー・クーパー)は「エミイ」(グレイス・ケリー)と結婚した。このあと「ウィル」は退職、夫妻は他の町に行く予定だったが、電報が届く。彼が5年前逮捕した、ならず者「フランク・ミラー」(イアン・マクドナルド)が汽車で正午に町に着き、既に町にいる弟「ベン」(シエブ・ウーリー)、仲間「ジャック・コルビー」(リー・ヴァン・クリーフ)、「ジム・ピアース」(ロバート・ウィルク)と4人で、殺しに来るという。午前10時40分、「ウィル」は外した保安官バッジを再び胸につける。二人は正午に着くその汽車で町を去ろうとしていたのだが……。保安官補「ハーヴェイ・ベル」(ロイド・ブリッジス)は決闘に反対するが気が弱い。「エミイ」は身を隠して汽車に乗ろうと懇願したが、「ウィル」には矜持があった。「エミイ」は自分だけ正午の汽車に乗ることにした。一方、「ウィル」は酒場、教会を訪れ、二人の親友に助力を頼んだが、すべて断られる。教会にいた政治家は事態を全く理解せず、演説を始める。皆が、1対4の決闘に尻尾を丸めた。
正午、汽車から「ミラー」が降り、「エミイ」が乗った。銃声が一度。「エミイ」は汽車から降り、決闘現場へ走る。1対4の闘いは無理なのである。二人を殺しても、残り二人に撃たれる。「エミイ」の機転が利く。最初から、協力していればいいのに──と思う自分はきっと馬鹿なのでしょう。決闘は終わり、隠れていた町民が集まる中を馬車は去った。
リー・ヴァン・クリーフのデビュー作です。「夕陽のガンマン」(1965)の準主役まで13年。凶悪な鋭い目をしているのに、仕種が柔らかないのが後年の印象につながります。
このレビューは気に入りましたか?
2人の会員が気に入ったと投稿しています
ユーザーレビュー
オールドファンにはたまらない西部劇
投稿日
2016/10/07
レビュアー
趣味は洋画
オールドファンにはたまらない西部劇で、「真昼の決闘」を観ずして西部劇を語るなかれ...とよくいわれたもの。
だが、「自分の道義的責任を果たすためには、たった一人になっても戦わなくてはならない」というテーマと、保安官を助けようとしない日和見的な市民に対する厳しい批判が交錯し、公開当時から何やら政治的思惑に踊らされてきた映画であることも事実。
日曜の午前10時40分から正午までの、1時間20分の間に展開する白昼の決闘の顛末を、徹底したリアリズムで描いた西部劇だ。
1870年、西部ハドリーヴィルの町で結婚式を挙げたばかりの保安官ウィル・ケイン(ゲイリー・クーパー)のもとに、彼がかつて逮捕した無法者が保釈となり、正午の列車で町に着くという知らせが届く。無法者は4人で、ウィルを殺そうとしていた。
ウィルは彼らと戦うため、町の人に助勢を求めるが、誰も力になってくれない。
覚悟をきめた彼は遺言状を書き、たった一人で真昼の決闘に向かった...
何といっても俳優陣がみな個性的。
アンチ・ヒーローの中年保安官を演じたG・クーパーは、41年「ヨーク軍曹」に続く2度目のアカデミー主演男優賞を受賞。天下の二枚目の老残ぶりは、その渋さと相まって印象深い。
だが彼に批判的な勢力があったのも有名な話で、ジョン・ウェインやハワード・ホークス監督らは、‘保安官が市民に助けを求めるなんて冗談じゃない。あんな腰抜け保安官はアメリカの面汚しだ!」
...今の米紙を賑わしている誰かのコメントかとさえ思ってしまう(笑)...
クーパーの新妻エミイ役はグレイス・ケリー。西部劇に咲く名花そのものだが、本作では無法者に銃を向ける気丈な女性を演じている。
本作のスチール写真で、G・クーパーと向き合っている男。
彼はロイド・ブリッジスで、ジェフ・ブリッジス、ボー・ブリッジス兄弟の実父である。
腕はいいが精神的に未熟な保安官助手を演じている。
(94年「ブローン・アウェイ/復讐の序曲」で、ジェフ・ブリッジスと父子共演を果たしている)
そのL・ブリッジスと同棲しているメキシコ女ヘレンを演じているのが、ケティ・フラド。
西部劇では‘酒場女’に扮してよく登場する。
主人公を狙う4人の無法者。
本作デビューで、後に西部劇の大スターとなるリー・ヴァン・クリーフをはじめ、アイアン・マクドナルド、シェブ・ウーリー、ロバート・J・ウィルクと、曲者揃い。
そのほかにも、町長役のトーマス・ミッチェルや、留置場の酔っ払いを演じたジャック・イーラムなど、往年の脇役スター勢ぞろい。
政治的理由絡みで賛否両論ある映画だが、これだけの名優がそろい、フレッド・ジンネマン監督に、製作がスタンリー・クレイマー、音楽がディミトリ・ティオムキンとくれば、冒頭に述べたように、やはり「オールドファンにはたまらない西部劇」...となるのだ。
白昼のオデッセイ
投稿日
2011/02/17
レビュアー
ムーン
子供の頃に見たまま、忘れていた映画でした。
作家の村上春樹氏がエルサルム賞を受けたとき。内外からの反対の中、空港に向かう直前まで何度も繰り返し見た映画だと「雑文集」に書いてあるのを読み、もう一度見てみました。
子供の時は、なぜ町の人たちは協力しないのだろう、保安官がやられたら、悪党に町を荒らされ、自分たちだって殺されるかもしれないのにと感じたことを思い出しました。
今回、見直してみると、冷たかった町の人々に寛容になっている自分に気付きます。
そして、改めてこの映画は、西部劇のフォーマットでも、最後の決闘シーンでケリがつくような勧善懲悪モノの単純な西部劇ではなく、本格的な群像劇、対話劇だと気付きました。一つのオデッセイです。
よく当時の赤狩りや、それを傍観していた周囲に対する批判だったといわれますが、それも納得のいく一つの説明でしょう。
町の群衆は、拡大すれば国民、大衆と解釈できるし、民主主義の主である民衆も、一人ひとりに分断すれば、火弱く、小ずるく、利己的なものだともいえます。
民衆の身勝手さ(あるいはしたたかさ)を告発していると取っても間違いではないでしょう。
以前はそういう民衆を悪漢から守り、平和で繁栄した町を築いたのに、今度は誰も力を貸そうとしない。正義の守護者である判事こそが真っ先に逃げ出し、行く先々で体よく断られたり、嫌われたり、教会のディスカッションでは、何も言えない牧師や、事を保安官一人の私怨事に矮小化して追い払おうとする小金持ち達に失望します。
新婚ほやほやの妻は、親兄弟を凶弾で亡くしてからは非暴力主義のクエーカー教徒で、夫を説得できないと知ると立ち去ろうとします。
でも、夫が決闘をやめて自分を追いかけて来るかも知れないと期待もしているのです。
もう一人、過去に関係のあったらしいメキシコ人の女性は、そんな町に愛想を尽かし去っていきます。
誰にも助けてもらえず、ふらふらと炎天下を歩いている保安官の前を、その過去の女性と未来の女性を乗せた馬車が通り過ぎるシーンでぶっ飛びました。
町の仲間から孤立し、孤独ではあってもまだ怒りという甘えを抱えていた保安官の前に、一瞬で絶望という追い打ちをかけられ、彼は立ちすくむのです。
この1シーンだけで、私はこの映画を名画だと断言できます。
最早、失うものがなくなった保安官は、遺書をしたため、助人を申し出る少年を帰し、飲んだくれを釈放し、決闘の用意をします。
闘ってみれば、心がけの悪い悪党仲間と、ムショ帰りで腕がなまっている悪党相手の撃ち合いは格好良くもなく、あっさりと終わります。
結果が出れば「よかった、よかった」とあふれ出す群衆。
彼らはもし保安官が殺されても悪党にすり寄っていっただろうと容易に想像がつきます。
そして、あの中の一人は自分なのです。
僅か80分前には祝福を受けていた町の人々に、憎悪と軽蔑とバッジを投げ捨て、町を去っていく保安官夫婦。
後味の悪さから嫌いになる方がいても不思議ではありません。
しかし、ここまで人間の本質に迫ったドラマを、アメリカの理想(幻想)を刷り込む娯楽装置である西部劇映画に潜ませて見せた手腕は本当に凄い。
一級の文芸作品といってもいい見事な名画です。
連帯を求めて孤立を恐れず。
投稿日
2008/09/29
レビュアー
港のマリー
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
レビューを表示する
いや、驚きました!西部劇だからエンターテイメントだと思ったのは浅はかでした。もちろん正午という一点に向けてぐいぐいと緊迫感を高めお約束の銃撃戦もきちんと見せてくれます。しかしもっと深遠なテーマがこの映画にはありました。「民主主義のパラドックス(逆説)」とでも言うべきもの。
正義の法に守られた安心して暮らせる町を「みんなで」つくろう、というのが民主主義的統治のスローガン。が、この「みんなで」がくせものです。無法者が釈放されて帰ってくるとわかっても町の誰も保安官ゲーリー・クーパーに協力しようとはしません。逆に復讐の相手はあんたなんだから出て行ってくれと、町に平和をもたらしたかつての功績を忘れて追い出そうとする始末。刻々と時の迫るなか、協力者を求めて歩き回り結局孤立を深めるだけの彼の姿は痛々しかった。教会でのディスカッションも見応えがありました。北部の投資を呼び込むために決闘騒ぎはやめてくれというもっともらしい理屈も、利己主義と傍観的態度においては、棺桶作って高みの見物をきめこむ輩と同じだと痛感しました。このあたりの批判の視線の厳しさに、自分のことを見透かされたようで狼狽したりして。娯楽映画でここまでやるのかと唸ってしまった、妥協のないきまじめな大衆批判でした。
正午、保安官はたった一人、四人の無法者を相手に決闘に臨みます。正直なところ、最後の最後には一人、二人の協力者が現れるだろう期待していたのですが、甘くはなかった。(細君は別にして)無法な暴力から町を守るために彼はたった一人体を張ります。その孤独が気高い。民主主義的な統治というのは利己主義や傍観的態度を乗り越えた、勇気ある有徳の個人が実は支えているのだ、「みんな」ではなくと、感じ入ってしまいました。みんなのための制度を孤立を恐れぬ、あるいは孤立せざるを得ぬ個人が支えているという逆説。もちろんそうでない民主主義論もありますが。
クエーカー教徒の妻、グレース・ケリーが教義を破って夫を助けるために銃を撃つという設定がまた重い。素直に喜べない何かが残りました。無法者を倒した後、隠れていた住民たちが立ち尽くす保安官夫妻に向かってが押し寄せてきます。おそらく口々に喝采の声を上げているのでしょう。その面々を怒りの表情で見やりながら保安官バッチを投げ捨てて妻を伴い去っていくゲーリー・クーパー。このラストにも怨念とでも言うべき怒りがたぎっておりました。久々に私に「レビュアーズ・ハイ」をもたらした一作。
イーストウッドに影響を与えた作品?
投稿日
2007/09/17
レビュアー
せきやん
1回目はジョンウェイン作品の後で、
2回目はイーストウッド作品の後で観ました。
1回目の感想・・・
ジョンウェイン演じる保安官との対極。
保安官も所詮人間である、自己保身に走る人間・社会の冷たさ。
刻々と近づく正午に緊迫感を感じました。
2回目の感想・・・
リー・バン・クリーフ(『夕陽のガンマン』等)出てるじゃん!若い!
イーストウッドの作品との比較
法と正義と暴力、復讐
決闘シーンで誰かが、主人公を助けます。
(『荒野の用心棒』『ペイルライダー』)
棺桶(『荒野の用心棒』)
『荒野のストレンジャー』はこの作品のアンチテーゼでしょうね。
なぜ、ゲイリークーパーが住民に助けを求めたのか?理由がわかります。
決闘シーンは『ペイルライダー』の方が面白い。
決闘シーンをどちらの側から見せるかで、印象が違います。
イーストウッドのネチコサ(執着、復讐心)を再認識します。
相手を倒した後、頭に止めの一発を打ち込む。
(『ペイルライダー』『許されざる者』『ダーティハリー』など)
ジョンウェインはたぶん『捜索者』だけだったかな?
最後にバッジを捨てるシーン(『ダーティハリー』)
時間との戦い(『トゥルークライム』)
イーストウッドに影響を与えたと思われる本作品はやはり名作なんでしょうね。
「ハイ・ヌーン」 1対4の正午の孤独
投稿日
2022/01/12
レビュアー
ちゅく
冒頭から、主題曲が流れます。この映画、全く無駄がありません。時計と同時進行です。
「真昼の決闘」(1952、米国、白黒、85分)。
監督は、「地上より永遠に」(1953)、「ジュリア」(1977)のフレッド・ジンネマン(1907〜1997)」。脚本のカール・フォアマン(1914〜1983)は、当時の米国の「赤狩り」対象になり本作完成後に英国へ亡命。監督は、映画に政治的意図はないと述べました。
1870年、西部の町「ハドリーヴィル」、日曜午前、保安官「ウィル・ケイン」(ゲイリー・クーパー)は「エミイ」(グレイス・ケリー)と結婚した。このあと「ウィル」は退職、夫妻は他の町に行く予定だったが、電報が届く。彼が5年前逮捕した、ならず者「フランク・ミラー」(イアン・マクドナルド)が汽車で正午に町に着き、既に町にいる弟「ベン」(シエブ・ウーリー)、仲間「ジャック・コルビー」(リー・ヴァン・クリーフ)、「ジム・ピアース」(ロバート・ウィルク)と4人で、殺しに来るという。午前10時40分、「ウィル」は外した保安官バッジを再び胸につける。二人は正午に着くその汽車で町を去ろうとしていたのだが……。保安官補「ハーヴェイ・ベル」(ロイド・ブリッジス)は決闘に反対するが気が弱い。「エミイ」は身を隠して汽車に乗ろうと懇願したが、「ウィル」には矜持があった。「エミイ」は自分だけ正午の汽車に乗ることにした。一方、「ウィル」は酒場、教会を訪れ、二人の親友に助力を頼んだが、すべて断られる。教会にいた政治家は事態を全く理解せず、演説を始める。皆が、1対4の決闘に尻尾を丸めた。
正午、汽車から「ミラー」が降り、「エミイ」が乗った。銃声が一度。「エミイ」は汽車から降り、決闘現場へ走る。1対4の闘いは無理なのである。二人を殺しても、残り二人に撃たれる。「エミイ」の機転が利く。最初から、協力していればいいのに──と思う自分はきっと馬鹿なのでしょう。決闘は終わり、隠れていた町民が集まる中を馬車は去った。
リー・ヴァン・クリーフのデビュー作です。「夕陽のガンマン」(1965)の準主役まで13年。凶悪な鋭い目をしているのに、仕種が柔らかないのが後年の印象につながります。
新規登録で
「定額レンタル4」月額1,026円(税込)を
14日間無料お試し!※
- ※本キャンペーンの無料お試しの対象者は、次の@ABのいずれかに該当する方に限ります。
- @「TSUTAYA DISCAS」の定額プラン(定額プランの種類は問いません。以下同じ)の利用開始時に「無料お試し」を利用したことがない方
- A2022年10月2日以前に「TSUTAYA DISCAS」の定額プランの利用を終了された方であって、2022年10月3日以降、「TSUTAYA DISCAS」の定額プランを利用していない方
- B上記@Aのほか、当社が不定期で実施する期間限定キャンペーンにおいて、キャンペーン開始時に、当社が定める参加条件を満たした方
- 無料お試し期間中(14日間)、新作はレンタル対象外です。(但し、上記Bの対象者に限り、新作もレンタル対象となる場合があります)
- 無料お試し期間終了後、登録プラン料金で自動更新となります。
ご利用の流れ
@ 会員登録
申し込みフォームへ記入したら登録完了!
A 作品をレンタル
借りたい作品をリストアップするだけ!
発送可能な商品を自宅にお届けします。
B ポストに返却
商品をポストに投函すればOK!
各プランはこちら
-
- 宅配レンタル 定額8プラン

-
- 「新作・準新作」が定額で月8枚レンタルできる!※1借り放題付き※2
- 新規登録する
-
- 宅配レンタル 定額4プラン

-
- 新規登録する
-
- 都度課金 プラン

-
- 新規登録する
※1 無料お試し期間中の「新作」レンタルは対象外です。
※2 借り放題はDVD「旧作」、CD「新作・準新作・旧作」が対象です。
真昼の決闘