羅生門 / 京マチ子
全体の平均評価点: (5点満点)
(90)
解説・ストーリー
芥川龍之介の短編「藪の中」をもとに映像化。都にほど近い山中で、貴族の女性と供回りの侍が山賊に襲われた。そして侍は死亡、事件は検非違使によって吟味される事になった。だが山賊と貴族の女性の言い分は真っ向から対立する。検非違使は霊媒師の口寄せによって侍の霊を呼び出し証言を得るが、その言葉もまた、二人の言い分とは異なっていた……。ヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した、黒澤明の出世作。
芥川龍之介の短編「藪の中」をもとに映像化。都にほど近い山中で、貴族の女性と供回りの侍が山賊に襲われた。そして侍は死亡、事件は検非違使によって吟味される事になった。だが山賊と貴族の女性の言い分は真っ向から対立する。検非違使は霊媒師の口寄せによって侍の霊を呼び出し証言を得るが、その言葉もまた、二人の言い分とは異なっていた……。ヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した、黒澤明の出世作。
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「羅生門」 の解説・あらすじ・ストーリー
解説・ストーリー
芥川龍之介の短編「藪の中」をもとに映像化。都にほど近い山中で、貴族の女性と供回りの侍が山賊に襲われた。そして侍は死亡、事件は検非違使によって吟味される事になった。だが山賊と貴族の女性の言い分は真っ向から対立する。検非違使は霊媒師の口寄せによって侍の霊を呼び出し証言を得るが、その言葉もまた、二人の言い分とは異なっていた……。ヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した、黒澤明の出世作。
「羅生門」 の作品情報
「羅生門」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
羅生門の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
88分 |
|
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
DABR0031 |
2004年05月28日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
3枚
|
13人
|
4人
|
羅生門の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
88分 |
|
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
DABR0031 |
2004年05月28日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
3枚
|
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ユーザーレビュー:90件
難解
投稿日:2006/03/04
レビュアー:ベイトン
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
レビューを表示する
>貴族の女性と供回りの侍が山賊に襲われた。
実際には女性と侍は夫婦でした。3人の証言が真っ向から対立します。
「戦火の勇気」という作品があり、似たような物語設定です。その作品を観て感じた事、「嘘をつくことは、何かを守ろうとする事である」。だから、「嘘の本質が見極められれば、嘘の向こう側にあるものが見えてくるはず」と考えながら、この作品を観ました。でも難解でした。
3人とも「自分が侍を殺した(自害した)」と証言します。殺人の罪を着せられるリスクを負ってまで、守ろうとした事は何だったのでしょう。3人の証言を聴いていて、ある事に気付きました。山賊と侍は、お互いを1人の男として認め合っている。一方、女性と侍(夫婦)はお互いを非難する様な証言をする。この辺にポイントがあるのかと思いましたが・・・、自分では解りませんでした。
結局真相が明らかになるのですが・・・、やはり難解でした。何となく解るような気もするが、完全には理解できません。彼らが守りたかったのは、面子、体裁といった所でしょうか・・・。奥の深い作品です。
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8人の会員が気に入ったと投稿しています
黒澤監督の願い 「羅生門」レヴューその4・(くまげら)
知られた話ではあるが、当時伊丹万作監督に師事していた橋本忍が書いた「藪の中」を
元にした「雌雄」という脚本を黒澤明が気に入り、「短いのでもう少し長く」
と要望したところ、
「じゃ、『羅生門』を入れたらどうでしょう?」と即答したものの、橋本はそれが難題であることに気づく。
苦しんだ末、納得した原稿が出来ぬまま椎間板ヘルニアになり、バトンを受けた黒澤は、芥川の三者三様の証言に、「傍観者」による4つ目の証言(話)を追加、さらにまったく新しいエピソード(樵の赤子拾い)を書き加え、決定稿とした。
聞いてみれば「長さ」の問題らしかったのだが、しかしこれがまぁ、「羅生門」で良かった。
これが「トロッコ」だったら三船と京マチ子はトロッコに乗ってどこまでも行くし、
「蜘蛛の糸」だったら、血の池地獄に真っ逆さま、である。
芥川龍之介原作という事で、両者には同じく厭世的な絶望的空気が流れている。
しかしながら、同じ作品ではない。一本の映画にするにはどのように接合するべきなのか。
ちなみに原作「羅生門」は、
(地震や火事、飢饉などが続いて荒れた世の中、羅生門で死人の髪を抜く老婆を見て、
下人は「あらゆる悪に対する反感」が燃え上がってくる。しかしやがて、
「生きてゆくためには何をしても良い」と考え、老婆の着物を剥いで逃げる。
外にはただ黒洞々たる夜があるばかりである。)
読者を突き放して終わる。夢も希望もない。
「藪の中」で始まった素案が、なぜ「羅生門」というタイトルになったのか。
疑問だったのだが、映画を観てわかった。
映画は、「藪の中」を中心に置き、外周を羅生門で包むという中華まん状態、
いや「入れ子状態」になっている。
監督が付け足した第四の証言は、芥川が想像もしない(明朗活発さ)が描かれ、
芥川が表現したくとも出来なかった、つまり芥川自身がフタをしてしまった「人間の力」が描かれ、
戦後、無力感に苛まれ、鈍重な1歩を踏み出せずにいた負け犬たちに
かすかな希望を与えたのだ。なんという先見の明であろうか。
すなわち、「藪の中」は、もう「藪の中」ではなくなって、前進させたのが映画の力である。
「羅生門」がヴェネチア映画祭でグランプリに輝いた時、インタビューに答えた黒澤の言葉を聞いてみよう。
「僕が映画を作る上でのたったひとつのテーマは、人間を否定的に見ていても、最後は信ずるよりはしょうがない、そうでなければ生きてゆけないという事です。」
(「映画ファン1952年4月号」)
映画は人間を励まし元気づける。
黒澤は「羅生門」を人間不信のまま終わらせたくなかった。
精一杯演ずる画面の人物を見て、フツフツと沸く希望。
本なら、自分と本の世界だが、映画はより大きな世界を見せてくれる。
エンターティメントの仕事とその意義は、素晴らしいものだと、初めて黒澤の作品を
観た私はそう思った。
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7人の会員が気に入ったと投稿しています
音声はどうでしょう?
役者の演技が一種異様で迫力がありますね。よくいえば緊張感に溢れているし、悪くいえばガチガチに感じます。それも黒沢映画の醍醐味でしょうか。ストーリーが非常に巧く出来ていて、最後まで飽きさせないし、映像に非常な力があります。ただ、名画座で何度か見たときは、何度見ても登場人物たちが何を言っているのか、セリフが聞きづらくて分かりませんでした。テレビで見て初めて分かりました。DVDは実は借りていないのですが、今回は分かるように音声が加工されているのでしょうか。
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7人の会員が気に入ったと投稿しています
検証 「羅生門」レビューその3(byくまげら)
真砂のセリフA.
「どちらか一人死んでくれ。二人の男にハジをみせるのは死ぬよりつらい。
どちらにしろ生き残った男に連れ添いたい」
はいはい、真砂さん、「どちらにしろ?」
A男とB男で年収、学歴大差ないなら、選択肢としてどちらでもいいもアリですが。
A男(夫)なら地位あり金あり、ただし欲深い、もしかしてヘタ。
B男(多襄丸)なら、ドロボーの妻、まともな服なし、好色、充実したSEXライフ
天と地ほども違う人生なのに「どちらでもいい」とはあまりに安易。
何も考えていないか、トンズラするための時間稼ぎで言っただけでしょう。
(真砂のセリフB)夫へ
「あなたは私のハジをご覧になりました。こうなった以上、ひと思いに死ぬ覚悟です。
あなたもお死になすってください。」
お死になすってください、お死に?えっ!俺も死ぬの?
いくら丁寧語で言われたって、俺、死ぬ必要あるの?(実際死んじゃったけどね)
これは丁寧に言ってるけど「お前も死ねや!」という事ですね。
(真砂のセリフC)多襄丸へ
「ではどこへでも連れていってください。」
「あの人を殺してください!あの人が生きていてはあなたと一緒にいられない!」
うーむ、なんという自己中だ・・殺人教唆・・。あの人が生きていたらイヤだと。
そりゃぁ、夫も絶望して自害もしたくなりますわな。
そこかしこにリンクが埋め込まれた魔性の女センテンス、
これはクロサワ、女の本性をガッツリ見抜いていたのやもしれません!
という事で付け加えた第四の話は、それほどぶっ飛んだ話でもないという結論になりました。
ちなみに第四を「真相」と捉えている方もおりますが、それは構成上そう見えるだけで
正解だという訳ではないです。(最後の話だという点と、樵の視点が客観で傍観者だから。。)
それにしても本作の京マチ子の演技、体当たりですな。
ずいぶん泣きじゃくりの場面が長いが、女性とは言えあんなに長く泣いてられるもんじゃない。
よって「ウソ泣きだろ」と思われても仕方ない。
自分で、「このグシグシした芝居にうんざり」と言っちゃうのであった。
昔の映画にしては長いキスシーン。
ライオンのようなミフネにがっつり組み伏せられた京マチ子の白い指先は、
毒蜘蛛のようにミフネの背中にまとわりつく。
野外SEXかぁ・・気持ちいいかも(笑)
しかし夫も夫である。
「俺はまだこの時ほど美しい妻を見たことはない」
逃がした魚は大きいと言うが、手籠めにされたあとの妻を美しいと思うなど、結構な変態ではないか。
(余裕じゃのぉ〜)。
だいたいが、宝を隠してあるからとあんな距離を妻と馬を残してゆくなんて、危機管理が
できてない、愛情を疑う。反対にあの距離を多襄丸と手をつないで走った真砂。
夫はきっと「手つなぎ」なんかしてくれないタイプだろう。手だって性感帯なのだ。
多襄丸に惹かれるのも無理はない。真砂の貞操観念の責任ではないのである。
たとえ真実が見えない「藪の中」の状態であっても、女体は存在するだけで男を誘惑し、
そして破滅に追いやる。楚々とした平安女房が、SEXによって本性をむき出しにする話でもあった。
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真砂の豹変 「羅生門」レビューその2(byくまげら)
原作の「藪の中」は、当事者3人の矛盾する証言を同列において
「真相は藪の中」で終わらせている。(その引きずり感がいいのだ)
(判決が出たらそれで読者は思索を辞め、悪人と善人が確定する事になる)
ところが黒澤は、オリジナルとして「樵による第四の証言」(白州でないので証言ではなく話だが)と、「樵が捨て子を持ちかえる」というエピソードを付け加えた。
この樵の話が、黒澤の創作部分とは言え、私はイスから落ちるほど驚いた。
第四での真砂の言動は、「藪の中」の真砂のイメージとはまったく、かけ離れている。
これだ。↓
真砂は開き直って、『このグジグジしたお芝居にはウンザリなんだよ!』と絶叫する。
『私に死ねと言う前に、多襄丸をやっつけたらどうなんだい、小利口なだけの男ども、
女はね、何もかも忘れてきちがいみたいになれる男のものなんだ!』
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ・ハー。女菩薩、黄金バットに変身。
こ、こーんな事、平安時代の女房が言いますかね?
しかしながら、ありえないとしても、このセリフを聞いた時、実に気分は良かった。
制作は50年代でまだまだフェミニズムは台頭していない時代(上野千鶴子は生まれたばかりかな?)
よくぞ、言わせた、世界のクロサワ、
(「戦後ナントカと靴下は強くなった」、という言葉が生まれるのもまだまだ先だ。)
そのシーンの前に「こんな女、惜しくはない」「女は他愛ないもの」とコケにされ、
尻軽女のように言われ、あまつさえ蹴飛ばされる。
真砂は被害者なのに同情すらされなく、もしかしてクロサワは女性憎悪でもあるんかい?と思ったところだったのだ。
なるほど、なるほど。しかし私は、聞いて気持ちよくても、19歳の真砂がそういうキャラ
だとはどうしても思えぬ。クロサワが性格を読み間違っているのではないか?。
という事を検証したくて、もう一度、芥川の「藪の中」から真砂のセリフを抽出する作業にとりかかった。それほど多くはない。
真砂のセリフA.
「どちらか一人死んでくれ。二人の男にハジをみせるのは死ぬよりつらい。
どちらにしろ生き残った男に連れ添いたい」
そう言いつつ、トンズラした。
真砂から夫へ(真砂のセリフB)
「あなたは私のハジをご覧になりました。こうなった以上、ひと思いに死ぬ覚悟です。
あなたもお死になすってください。」
そう言ったあと夫のさげずんだ目に気を失う。夢うつつの内に夫をズブリと刺す。
そしてまた気を失った。
多襄丸へ(真砂のセリフC)
「ではどこへでも連れていってください。」
「あの人を殺してください!あの人が生きていてはあなたと一緒にいられない!」
その後蹴飛ばされたが、トンズラした。
原作ではこの3か所だけですね。
う〜む・・これは、わからなくなってきました・・。
もしかして私の読みが浅かった?
案外クロサワは、真砂の本質を見抜いていたのかもしれぬ。
すべてトンズラするための時間稼ぎだったのか。
(トンズラしない場合は、夢うつつで夫をグサリと刺してる訳ですからね。出来るかっ!)
さて、もう少し検証したいと思います。
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ユーザーレビュー
難解
投稿日
2006/03/04
レビュアー
ベイトン
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
レビューを表示する
>貴族の女性と供回りの侍が山賊に襲われた。
実際には女性と侍は夫婦でした。3人の証言が真っ向から対立します。
「戦火の勇気」という作品があり、似たような物語設定です。その作品を観て感じた事、「嘘をつくことは、何かを守ろうとする事である」。だから、「嘘の本質が見極められれば、嘘の向こう側にあるものが見えてくるはず」と考えながら、この作品を観ました。でも難解でした。
3人とも「自分が侍を殺した(自害した)」と証言します。殺人の罪を着せられるリスクを負ってまで、守ろうとした事は何だったのでしょう。3人の証言を聴いていて、ある事に気付きました。山賊と侍は、お互いを1人の男として認め合っている。一方、女性と侍(夫婦)はお互いを非難する様な証言をする。この辺にポイントがあるのかと思いましたが・・・、自分では解りませんでした。
結局真相が明らかになるのですが・・・、やはり難解でした。何となく解るような気もするが、完全には理解できません。彼らが守りたかったのは、面子、体裁といった所でしょうか・・・。奥の深い作品です。
黒澤監督の願い 「羅生門」レヴューその4・(くまげら)
投稿日
2020/08/30
レビュアー
くまげらの森
知られた話ではあるが、当時伊丹万作監督に師事していた橋本忍が書いた「藪の中」を
元にした「雌雄」という脚本を黒澤明が気に入り、「短いのでもう少し長く」
と要望したところ、
「じゃ、『羅生門』を入れたらどうでしょう?」と即答したものの、橋本はそれが難題であることに気づく。
苦しんだ末、納得した原稿が出来ぬまま椎間板ヘルニアになり、バトンを受けた黒澤は、芥川の三者三様の証言に、「傍観者」による4つ目の証言(話)を追加、さらにまったく新しいエピソード(樵の赤子拾い)を書き加え、決定稿とした。
聞いてみれば「長さ」の問題らしかったのだが、しかしこれがまぁ、「羅生門」で良かった。
これが「トロッコ」だったら三船と京マチ子はトロッコに乗ってどこまでも行くし、
「蜘蛛の糸」だったら、血の池地獄に真っ逆さま、である。
芥川龍之介原作という事で、両者には同じく厭世的な絶望的空気が流れている。
しかしながら、同じ作品ではない。一本の映画にするにはどのように接合するべきなのか。
ちなみに原作「羅生門」は、
(地震や火事、飢饉などが続いて荒れた世の中、羅生門で死人の髪を抜く老婆を見て、
下人は「あらゆる悪に対する反感」が燃え上がってくる。しかしやがて、
「生きてゆくためには何をしても良い」と考え、老婆の着物を剥いで逃げる。
外にはただ黒洞々たる夜があるばかりである。)
読者を突き放して終わる。夢も希望もない。
「藪の中」で始まった素案が、なぜ「羅生門」というタイトルになったのか。
疑問だったのだが、映画を観てわかった。
映画は、「藪の中」を中心に置き、外周を羅生門で包むという中華まん状態、
いや「入れ子状態」になっている。
監督が付け足した第四の証言は、芥川が想像もしない(明朗活発さ)が描かれ、
芥川が表現したくとも出来なかった、つまり芥川自身がフタをしてしまった「人間の力」が描かれ、
戦後、無力感に苛まれ、鈍重な1歩を踏み出せずにいた負け犬たちに
かすかな希望を与えたのだ。なんという先見の明であろうか。
すなわち、「藪の中」は、もう「藪の中」ではなくなって、前進させたのが映画の力である。
「羅生門」がヴェネチア映画祭でグランプリに輝いた時、インタビューに答えた黒澤の言葉を聞いてみよう。
「僕が映画を作る上でのたったひとつのテーマは、人間を否定的に見ていても、最後は信ずるよりはしょうがない、そうでなければ生きてゆけないという事です。」
(「映画ファン1952年4月号」)
映画は人間を励まし元気づける。
黒澤は「羅生門」を人間不信のまま終わらせたくなかった。
精一杯演ずる画面の人物を見て、フツフツと沸く希望。
本なら、自分と本の世界だが、映画はより大きな世界を見せてくれる。
エンターティメントの仕事とその意義は、素晴らしいものだと、初めて黒澤の作品を
観た私はそう思った。
音声はどうでしょう?
投稿日
2005/10/02
レビュアー
勝王
役者の演技が一種異様で迫力がありますね。よくいえば緊張感に溢れているし、悪くいえばガチガチに感じます。それも黒沢映画の醍醐味でしょうか。ストーリーが非常に巧く出来ていて、最後まで飽きさせないし、映像に非常な力があります。ただ、名画座で何度か見たときは、何度見ても登場人物たちが何を言っているのか、セリフが聞きづらくて分かりませんでした。テレビで見て初めて分かりました。DVDは実は借りていないのですが、今回は分かるように音声が加工されているのでしょうか。
検証 「羅生門」レビューその3(byくまげら)
投稿日
2020/08/29
レビュアー
くまげらの森
真砂のセリフA.
「どちらか一人死んでくれ。二人の男にハジをみせるのは死ぬよりつらい。
どちらにしろ生き残った男に連れ添いたい」
はいはい、真砂さん、「どちらにしろ?」
A男とB男で年収、学歴大差ないなら、選択肢としてどちらでもいいもアリですが。
A男(夫)なら地位あり金あり、ただし欲深い、もしかしてヘタ。
B男(多襄丸)なら、ドロボーの妻、まともな服なし、好色、充実したSEXライフ
天と地ほども違う人生なのに「どちらでもいい」とはあまりに安易。
何も考えていないか、トンズラするための時間稼ぎで言っただけでしょう。
(真砂のセリフB)夫へ
「あなたは私のハジをご覧になりました。こうなった以上、ひと思いに死ぬ覚悟です。
あなたもお死になすってください。」
お死になすってください、お死に?えっ!俺も死ぬの?
いくら丁寧語で言われたって、俺、死ぬ必要あるの?(実際死んじゃったけどね)
これは丁寧に言ってるけど「お前も死ねや!」という事ですね。
(真砂のセリフC)多襄丸へ
「ではどこへでも連れていってください。」
「あの人を殺してください!あの人が生きていてはあなたと一緒にいられない!」
うーむ、なんという自己中だ・・殺人教唆・・。あの人が生きていたらイヤだと。
そりゃぁ、夫も絶望して自害もしたくなりますわな。
そこかしこにリンクが埋め込まれた魔性の女センテンス、
これはクロサワ、女の本性をガッツリ見抜いていたのやもしれません!
という事で付け加えた第四の話は、それほどぶっ飛んだ話でもないという結論になりました。
ちなみに第四を「真相」と捉えている方もおりますが、それは構成上そう見えるだけで
正解だという訳ではないです。(最後の話だという点と、樵の視点が客観で傍観者だから。。)
それにしても本作の京マチ子の演技、体当たりですな。
ずいぶん泣きじゃくりの場面が長いが、女性とは言えあんなに長く泣いてられるもんじゃない。
よって「ウソ泣きだろ」と思われても仕方ない。
自分で、「このグシグシした芝居にうんざり」と言っちゃうのであった。
昔の映画にしては長いキスシーン。
ライオンのようなミフネにがっつり組み伏せられた京マチ子の白い指先は、
毒蜘蛛のようにミフネの背中にまとわりつく。
野外SEXかぁ・・気持ちいいかも(笑)
しかし夫も夫である。
「俺はまだこの時ほど美しい妻を見たことはない」
逃がした魚は大きいと言うが、手籠めにされたあとの妻を美しいと思うなど、結構な変態ではないか。
(余裕じゃのぉ〜)。
だいたいが、宝を隠してあるからとあんな距離を妻と馬を残してゆくなんて、危機管理が
できてない、愛情を疑う。反対にあの距離を多襄丸と手をつないで走った真砂。
夫はきっと「手つなぎ」なんかしてくれないタイプだろう。手だって性感帯なのだ。
多襄丸に惹かれるのも無理はない。真砂の貞操観念の責任ではないのである。
たとえ真実が見えない「藪の中」の状態であっても、女体は存在するだけで男を誘惑し、
そして破滅に追いやる。楚々とした平安女房が、SEXによって本性をむき出しにする話でもあった。
真砂の豹変 「羅生門」レビューその2(byくまげら)
投稿日
2020/08/28
レビュアー
くまげらの森
原作の「藪の中」は、当事者3人の矛盾する証言を同列において
「真相は藪の中」で終わらせている。(その引きずり感がいいのだ)
(判決が出たらそれで読者は思索を辞め、悪人と善人が確定する事になる)
ところが黒澤は、オリジナルとして「樵による第四の証言」(白州でないので証言ではなく話だが)と、「樵が捨て子を持ちかえる」というエピソードを付け加えた。
この樵の話が、黒澤の創作部分とは言え、私はイスから落ちるほど驚いた。
第四での真砂の言動は、「藪の中」の真砂のイメージとはまったく、かけ離れている。
これだ。↓
真砂は開き直って、『このグジグジしたお芝居にはウンザリなんだよ!』と絶叫する。
『私に死ねと言う前に、多襄丸をやっつけたらどうなんだい、小利口なだけの男ども、
女はね、何もかも忘れてきちがいみたいになれる男のものなんだ!』
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ・ハー。女菩薩、黄金バットに変身。
こ、こーんな事、平安時代の女房が言いますかね?
しかしながら、ありえないとしても、このセリフを聞いた時、実に気分は良かった。
制作は50年代でまだまだフェミニズムは台頭していない時代(上野千鶴子は生まれたばかりかな?)
よくぞ、言わせた、世界のクロサワ、
(「戦後ナントカと靴下は強くなった」、という言葉が生まれるのもまだまだ先だ。)
そのシーンの前に「こんな女、惜しくはない」「女は他愛ないもの」とコケにされ、
尻軽女のように言われ、あまつさえ蹴飛ばされる。
真砂は被害者なのに同情すらされなく、もしかしてクロサワは女性憎悪でもあるんかい?と思ったところだったのだ。
なるほど、なるほど。しかし私は、聞いて気持ちよくても、19歳の真砂がそういうキャラ
だとはどうしても思えぬ。クロサワが性格を読み間違っているのではないか?。
という事を検証したくて、もう一度、芥川の「藪の中」から真砂のセリフを抽出する作業にとりかかった。それほど多くはない。
真砂のセリフA.
「どちらか一人死んでくれ。二人の男にハジをみせるのは死ぬよりつらい。
どちらにしろ生き残った男に連れ添いたい」
そう言いつつ、トンズラした。
真砂から夫へ(真砂のセリフB)
「あなたは私のハジをご覧になりました。こうなった以上、ひと思いに死ぬ覚悟です。
あなたもお死になすってください。」
そう言ったあと夫のさげずんだ目に気を失う。夢うつつの内に夫をズブリと刺す。
そしてまた気を失った。
多襄丸へ(真砂のセリフC)
「ではどこへでも連れていってください。」
「あの人を殺してください!あの人が生きていてはあなたと一緒にいられない!」
その後蹴飛ばされたが、トンズラした。
原作ではこの3か所だけですね。
う〜む・・これは、わからなくなってきました・・。
もしかして私の読みが浅かった?
案外クロサワは、真砂の本質を見抜いていたのかもしれぬ。
すべてトンズラするための時間稼ぎだったのか。
(トンズラしない場合は、夢うつつで夫をグサリと刺してる訳ですからね。出来るかっ!)
さて、もう少し検証したいと思います。
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