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ブルジョワ階級の、一般階級とは異なる価値観で生きる奇妙な日常をシニカルに描いたドラマ。某国の駐仏大使とその友人一行が、セネシャルの屋敷を訪れる。そして、客人とホストという関係を無視し、彼らは互いに自分の好きなように行動し始める。そこには、他人との接点を持たない、奇形ともいえる人間関係があった……。
製作年: |
1972年 |
---|---|
製作国: |
フランス |
原題: |
LE CHARME DISCRET DE LA BOURGEOISIE/THE |
受賞記録: |
1972年 アカデミー賞 外国語映画賞 |
監督: |
ルイス・ブニュエル |
---|---|
製作: |
セルジュ・シルベルマン 、 セルジュ・シルベルマン |
出演: |
ジャン・ピエール・カッセル 、 デルフィーヌ・セーリグ 、 フェルナンド・レイ 、 ポール・フランクール 、 ステファーヌ・オードラン 、 ジュリアン・ベルトー 、 ミシェル・ピコリ 、 アドリアーナ・アスティ 、 ビュル・オジェ 、 デルフィーヌ・セイリグ 、 デルフィーヌ・セイリング |
脚本: |
ジャン・クロード・カリエール 、 ルイス・ブニュエル |
撮影: |
エドモン・リシャール |
ブルジョワ階級の、一般階級とは異なる価値観で生きる奇妙な日常をシニカルに描いたドラマ。某国の駐仏大使とその友人一行が、セネシャルの屋敷を訪れる。そして、客人とホストという関係を無視し、彼らは互いに自分の好きなように行動し始める。そこには、他人との接点を持たない、奇形ともいえる人間関係があった……。
製作年: |
1972年 |
---|---|
製作国: |
フランス |
原題: |
LE CHARME DISCRET DE LA BOURGEOISIE/THE |
受賞記録: |
1972年 アカデミー賞 外国語映画賞 |
監督: |
ルイス・ブニュエル |
---|---|
製作: |
セルジュ・シルベルマン 、 セルジュ・シルベルマン |
出演: |
ジャン・ピエール・カッセル 、 デルフィーヌ・セーリグ 、 フェルナンド・レイ 、 ポール・フランクール 、 ステファーヌ・オードラン 、 ジュリアン・ベルトー 、 ミシェル・ピコリ 、 アドリアーナ・アスティ 、 ビュル・オジェ 、 デルフィーヌ・セイリグ 、 デルフィーヌ・セイリング |
脚本: |
ジャン・クロード・カリエール 、 ルイス・ブニュエル |
---|---|
撮影: |
エドモン・リシャール |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
97分 | 日本語ポルトガル | 1:ドルビーデジタル/モノラル/フランス語 2:ドルビーデジタル/モノラル/ポルトガル |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
GNBR1927 | 2009年10月23日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
12枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
97分
字幕:
日本語ポルトガル
音声:
1:ドルビーデジタル/モノラル/フランス語
2:ドルビーデジタル/モノラル/ポルトガル
レイティング:
記番:
GNBR1927
レンタル開始日:
2009年10月23日
在庫枚数
12枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
0人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
97分 | 日本語ポルトガル | 1:ドルビーデジタル/モノラル/フランス語 2:ドルビーデジタル/モノラル/ポルトガル |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
GNBR1927 | 2009年10月23日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
12枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
97分
字幕:
日本語ポルトガル
音声:
1:ドルビーデジタル/モノラル/フランス語
2:ドルビーデジタル/モノラル/ポルトガル
レイティング:
記番:
GNBR1927
レンタル開始日:
2009年10月23日
在庫枚数
12枚
1位登録者:
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2位登録者:
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例によってイントロダクションは別の映画の話を書いているような、本作とはほとんど関係のない解説を寄せています。この『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』は、某国大使や資本家など富裕な男女が誘いあって会食しようとするのですが、そのたびにおかしなハプニングが起こって、ついに彼らは食べ物にありつけない。そんな出来事が何度も繰り返されるだけという、おかしな映画です。コメディとして、とても面白い作品です。
日本ではブルジョワという言葉が左系から広がったせいか、否定的なイメージがついて回りますが、高校の世界史教科書にもあるように、もともとの意味は違いました(ご関心あれば検索してみてください)。ブニュエルも『小間使いの日記』のときのようなシニカルな目線、社会的・階級的な視線はもう持っていません。
邦題はなかなか巧みだと思いますが、原題を直訳すると「ブルジョワジーの慎ましやかな魅力」です。ずいぶん印象が違ってきませんか? もちろん皮肉に読むことはできますが、映画は金持ちの爛れた内実を暴く、なんていう気負いは少しもないのです。ただ、では「慎ましやかな魅力」とは何なのかと考えてもよく分からないのです(笑)。
おかしな出来事や、ヘンな闖入者によって会食が流れてしまう、その素っ頓狂な成り行きが可笑しくて、いつもくすくす笑わせてくれるのが、映画の大きな魅力です。
たとえば――入ったレストランが××の真っ最中だったなんてのは、たぶんドリフのコントに引用されているくらいベタですが、とてもおかしいです。あるいは、デルフィーヌ・セイリグ、ビュル・オジェ、ステファーヌ・オードランという、魅力的な三人がカフェに入ると、なかなかハンサムな軍人が近づいてくる場面。男は三人に色目を使うのかと思ったら、「自分の幼少期がいかに悲惨だったか」を話して去っていく。しかも話はほんとうに悲惨なので場の雰囲気が気まずくなってしまう。気を取り直して飲み物を注文しようとすると、客が入り過ぎてお茶もコーヒーも全部売り切れで、水しかないという。……。ここ、僕はすごく可笑しかったです。
映画が進むと、次第に登場人物たちの夢が連鎖して混じりはじめるのも面白いです。しかも、どうしてそんな夢を観たのかとか、現実と夢との境目とか、別に考える気にならないんですね。これはたぶん、中身に大して意味はなく、イメージを反復することにこそ狙いであり、魅力となっているからではないかと思います。
何度か出てくる、「六人の男女が長い一本道を歩き続ける場面」は、この映画でもっとも有名で、もっとも魅力的な瞬間を形作っているのですが、なまなかな解釈は不毛な気がします(この作品以降のブニュエル晩年の三作は、あまり解釈の意味がないことを感じさせます)。
なかなか会食という目的を達成できない彼らが、ひたすらどこかに向かって歩いている、でも必死というより、諦めのようなものを感じさせる。その姿そのものが面白いし、感動的であると思いました。85点。
このレビューは気に入りましたか? 14人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
実に魅力的なコメディで、きらきら輝く宝石が散りばめられたドレスを着たご婦人と教養があり会話も楽しい紳士方との軽やかな身ごなしのダンスを見ているようで、少しお酒を召されたのか足取りが怪しくなり人にぶつかったり椅子につまづいたりし始めた紳士淑女の様を、こっそり覗き見てくすくす笑ってしまう愉しさに溢れていました。
セレブなどという珍妙な呼び方ではなく、ブルジョワジーと呼ばれる3組の富裕層の暮らしを面白おかしく描いた作品です。
ブルジョワジーはよほど会食が好きなのか、彼等はいつもディナーに客を招き合うのですが、その度に闖入者が現れたり珍事件が発生しと、食事が無事に終わることがないのです。そこでは、日にちを間違えたことを言い合ったり欲情に溺れた主催者が客をほったらかしにしたりと人付き合いに無頓着で、運転手や使用人を庶民として小馬鹿にするセリフもあったりしますが、ゲストに招かれた家が劇場に変身して観客の庶民から失笑されたり、常に警察やテロに脅えて過ごす姿には、尊大な厭らしさではない、子供じみた我がままやゆとりを持つ人の上品を感じるのでした。
手を変え品を変え繰り返される笑いは、時に夢オチもあり、表現はシュールでありブラックにもなり、実に人間的な可笑しさを見せてくれるのでした。
登場人物の誰かが政治的な発言をしようとすると急に大音響でセリフが聞こえなくなったり、軍人のエピソードには必ず死が絡んだり、牧師の行動の顛末には、少しシニカルな社会的視線を覚えたりしました。
そして度々挿入される、果てしない道を闊歩する6人。この長い一本道は何処に向かうのか、そこでは何が待ち受けているのか、ひるむことなく疲れも知らず歩き続ける姿は、浮世離れした彼等の自由気儘な生き方で、永遠に踊り続けるロンドなのでしょうかと、つい考えてしまいました。★4+
このレビューは気に入りましたか? 8人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
昨日見たコクトーの「オルフェの遺言」がアマチュアの作品に思えてきた。
優雅でありながら暴力的で、皮肉な笑いで誘いながらえもいわれぬ恐怖に突き落とす。一見悠然とした映画の運びのうちで、まろやかに熟成された悪意、とくにブルジョワジーだけに向けられているものではない、が日常の虚飾を切り裂き虚無の底を顕わにする。
富と地位と教養と暇のある上流階級の人々にとって社交は嗜み、というか仕事そのもの。ドレスアップをして午餐、晩餐と招いたり招かれたりの日常。ところがミランダ国(南米にあるらしい仮想の国)大使とその友人夫婦たち、総勢6名は会食をしようとテーブルを囲むたびになにかと邪魔が入り、結局食事にありつけない。そのシーンが何度(おおよそ8回か)も反復される。最初は約束の日取りを間違え、レストランに入れば店主が急死しており通夜の最中、次はホスト夫妻が突然、食欲とは別の欲望に駆られてお客を放っておいたりと、まあ笑っていられる。
が、ブルジョワジーの美しい奥様がたがカフェでお茶もコーヒーも切らせておりますと言われるあたりから、妙なことになってくる。
カフェにいた軍人の青年が、楽しくお茶なんて気分を吹き飛ばす身の上話を始める。青白い幽霊と血まみれの死者が登場しこの映画の底にあるのは「死」だったんだと気付かせる。青年はその後も死者と交流した話を聞かせ、その頃から食事を妨げる事態がより大がかりな不条理なものにに変わっていく。軍隊が闖入するは警官たちが踏み込むはと。と同時にブルジョワジーたちの見る夢のシーンがひんぱんに映画に登場する。食堂が突然、観客の見つめる舞台に変わってさらし者にされたり、銃で撃ったり撃たれたりの悪夢である。警察署長の見た夢に出てきたデモ隊に殺された刑事の幽霊も怖かった。その前の刑事が行うピアノの拷問とゴキブリの映像にも思わず目をつむったが。
後半はどこまでが夢でどこまでが現実なのか、混沌としてわからない。おまけに夢の中でさらに他人が夢を見ているなんて状況も出現して迷路に迷い込んだようだ。これ見よがしの幽霊以外超現実的なものは画面に登場しないのになにかがおかしい。食事の妨害がくり返される度に世界が歪みねじ曲がり壊されていく。まさに反復によってもたらされたシュールレアリズム体験だった。
こちらも何度も挿入されラストシーンにもなった6人が横に並んで舗装もされていない田園の一本道を歩く場面、私は特典映像のドキュメンタリーの解説に全面的に同意し、あの道は死に続く道だと解釈する。堕落したブルジョワジーは滅びゆく運命にあると狭く政治的にとらえるのではなく、人間すべての逃れられない運命を暗示したのであると考える。ブルジョワジーの退廃ぶりはひどいものだが、労働者もテロリストも頼りにはならないぜと言わんばかりにブニュエルの描き方は投げやりだった。救ってくれるはずの司祭がああいうことをするのでは宗教もなんの役に立たない。人間は結局死に向かう一本道を満たされぬ欲求を抱いてイライラしながら、苦虫を噛みつぶしたような顔で歩き続けるしかないのだ、歩き続けよとのブニュエルのぶれないニヒリズム宣言ではないのか。
フェリーニの道とは正反対だけれど、そちらを歩かなければならない人生もある。
このレビューは気に入りましたか? 5人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
とても好きなシーン。
駐仏大使が友人の妻とベッドインしようとすると人妻いわく。
「まだ治ってないの」
「手はきれいじゃないか」
「体の方はまだなの、見たらびっくりするわよ」
こんなこといわれたら、たいていの男はしりごみするのに、大使はやおら抗生物質らしきものを口にほうりこむと、なおも続行しようとする。そのとき、あろうことかダンナがタイミングよく現れるのだが、それも追い出すと事の続きを強引に始めようとする。
いかにも好色なブニュエルの見そうな夢だ。
食べたいのに食べれない、したいのにできない、逃げたいのに逃げられないという夢の論理で構築されたこのすてきにシュールな建築物の迷路を頭をぶつけながらさまようのは楽しい。
ところでキリスト教の聖餐式というのは犠牲獣としてのキリストを食べることであるらしい。となると、いつまでたっても食事にありつけない六人のブルジョアたちにはそもそも聖なるものが欠落しているわけだ。
この世界をおおいつくすニヒリズムのなかで、エピキュリアンである現代人にとっては食事あるいは性的なことがらというのは快楽以外のなにものでもない。
六人の快楽主義者たちがいそいそと向かっていく先にはなにもありはしない。ニヒルな深淵と肉体の死が待ちかまえているだけだ。
このレビューは気に入りましたか? 4人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
会食が始まろうとしたその時カーテンが開かれそこは舞台の上だった、観客のブーイングが沸きあがる、すごすご舞台から退場する登場人物たち、額に冷や汗を浮かべてこの悪夢から目を覚ます、こんな悪夢身に覚えがあります、何度も。
食事にもお茶にも水もありつけない、悪夢に遮られる睡眠、なんだかんだと邪魔がはいって満たされない男女関係のどこがブルジョワジーなんだか、可哀相な人たち、ブルジョワジーには程遠いけど可哀相なところはわたしのこと?と思う人も多いかしら、あっ思わないですか、失礼しました。
けしからんサイドビジネスで大金を手にする繋がりで仲良くしてるだけの男女6人が、一本道の先に目的地があるわけでもないのに死者の陰り(****も出ます)もなんのそのひたすら歩くその姿の、なんとノンシャラン!
メッセージにもならないただのニュアンスとして、こんな感じでいこうよという老境の身の肩から荷物を降ろしたようなほっとするノンシャラン!ですがよふかしさん同様感動しました。
(よふかしさんのレビュータイトル、ちょっとマネッコしました)
魅力的な不条理をたくさん詰め込んだ大変面白い作品でした。
このレビューは気に入りましたか? 4人の会員が気に入ったと投稿しています
入力内容に誤りがあります。
内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。
ユーザーレビュー:11件
投稿日
2009/10/12
レビュアー
よふかし※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
例によってイントロダクションは別の映画の話を書いているような、本作とはほとんど関係のない解説を寄せています。この『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』は、某国大使や資本家など富裕な男女が誘いあって会食しようとするのですが、そのたびにおかしなハプニングが起こって、ついに彼らは食べ物にありつけない。そんな出来事が何度も繰り返されるだけという、おかしな映画です。コメディとして、とても面白い作品です。
日本ではブルジョワという言葉が左系から広がったせいか、否定的なイメージがついて回りますが、高校の世界史教科書にもあるように、もともとの意味は違いました(ご関心あれば検索してみてください)。ブニュエルも『小間使いの日記』のときのようなシニカルな目線、社会的・階級的な視線はもう持っていません。
邦題はなかなか巧みだと思いますが、原題を直訳すると「ブルジョワジーの慎ましやかな魅力」です。ずいぶん印象が違ってきませんか? もちろん皮肉に読むことはできますが、映画は金持ちの爛れた内実を暴く、なんていう気負いは少しもないのです。ただ、では「慎ましやかな魅力」とは何なのかと考えてもよく分からないのです(笑)。
おかしな出来事や、ヘンな闖入者によって会食が流れてしまう、その素っ頓狂な成り行きが可笑しくて、いつもくすくす笑わせてくれるのが、映画の大きな魅力です。
たとえば――入ったレストランが××の真っ最中だったなんてのは、たぶんドリフのコントに引用されているくらいベタですが、とてもおかしいです。あるいは、デルフィーヌ・セイリグ、ビュル・オジェ、ステファーヌ・オードランという、魅力的な三人がカフェに入ると、なかなかハンサムな軍人が近づいてくる場面。男は三人に色目を使うのかと思ったら、「自分の幼少期がいかに悲惨だったか」を話して去っていく。しかも話はほんとうに悲惨なので場の雰囲気が気まずくなってしまう。気を取り直して飲み物を注文しようとすると、客が入り過ぎてお茶もコーヒーも全部売り切れで、水しかないという。……。ここ、僕はすごく可笑しかったです。
映画が進むと、次第に登場人物たちの夢が連鎖して混じりはじめるのも面白いです。しかも、どうしてそんな夢を観たのかとか、現実と夢との境目とか、別に考える気にならないんですね。これはたぶん、中身に大して意味はなく、イメージを反復することにこそ狙いであり、魅力となっているからではないかと思います。
何度か出てくる、「六人の男女が長い一本道を歩き続ける場面」は、この映画でもっとも有名で、もっとも魅力的な瞬間を形作っているのですが、なまなかな解釈は不毛な気がします(この作品以降のブニュエル晩年の三作は、あまり解釈の意味がないことを感じさせます)。
なかなか会食という目的を達成できない彼らが、ひたすらどこかに向かって歩いている、でも必死というより、諦めのようなものを感じさせる。その姿そのものが面白いし、感動的であると思いました。85点。
投稿日
2009/12/16
レビュアー
ひろぼう※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
実に魅力的なコメディで、きらきら輝く宝石が散りばめられたドレスを着たご婦人と教養があり会話も楽しい紳士方との軽やかな身ごなしのダンスを見ているようで、少しお酒を召されたのか足取りが怪しくなり人にぶつかったり椅子につまづいたりし始めた紳士淑女の様を、こっそり覗き見てくすくす笑ってしまう愉しさに溢れていました。
セレブなどという珍妙な呼び方ではなく、ブルジョワジーと呼ばれる3組の富裕層の暮らしを面白おかしく描いた作品です。
ブルジョワジーはよほど会食が好きなのか、彼等はいつもディナーに客を招き合うのですが、その度に闖入者が現れたり珍事件が発生しと、食事が無事に終わることがないのです。そこでは、日にちを間違えたことを言い合ったり欲情に溺れた主催者が客をほったらかしにしたりと人付き合いに無頓着で、運転手や使用人を庶民として小馬鹿にするセリフもあったりしますが、ゲストに招かれた家が劇場に変身して観客の庶民から失笑されたり、常に警察やテロに脅えて過ごす姿には、尊大な厭らしさではない、子供じみた我がままやゆとりを持つ人の上品を感じるのでした。
手を変え品を変え繰り返される笑いは、時に夢オチもあり、表現はシュールでありブラックにもなり、実に人間的な可笑しさを見せてくれるのでした。
登場人物の誰かが政治的な発言をしようとすると急に大音響でセリフが聞こえなくなったり、軍人のエピソードには必ず死が絡んだり、牧師の行動の顛末には、少しシニカルな社会的視線を覚えたりしました。
そして度々挿入される、果てしない道を闊歩する6人。この長い一本道は何処に向かうのか、そこでは何が待ち受けているのか、ひるむことなく疲れも知らず歩き続ける姿は、浮世離れした彼等の自由気儘な生き方で、永遠に踊り続けるロンドなのでしょうかと、つい考えてしまいました。★4+
投稿日
2010/07/05
レビュアー
港のマリー※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
昨日見たコクトーの「オルフェの遺言」がアマチュアの作品に思えてきた。
優雅でありながら暴力的で、皮肉な笑いで誘いながらえもいわれぬ恐怖に突き落とす。一見悠然とした映画の運びのうちで、まろやかに熟成された悪意、とくにブルジョワジーだけに向けられているものではない、が日常の虚飾を切り裂き虚無の底を顕わにする。
富と地位と教養と暇のある上流階級の人々にとって社交は嗜み、というか仕事そのもの。ドレスアップをして午餐、晩餐と招いたり招かれたりの日常。ところがミランダ国(南米にあるらしい仮想の国)大使とその友人夫婦たち、総勢6名は会食をしようとテーブルを囲むたびになにかと邪魔が入り、結局食事にありつけない。そのシーンが何度(おおよそ8回か)も反復される。最初は約束の日取りを間違え、レストランに入れば店主が急死しており通夜の最中、次はホスト夫妻が突然、食欲とは別の欲望に駆られてお客を放っておいたりと、まあ笑っていられる。
が、ブルジョワジーの美しい奥様がたがカフェでお茶もコーヒーも切らせておりますと言われるあたりから、妙なことになってくる。
カフェにいた軍人の青年が、楽しくお茶なんて気分を吹き飛ばす身の上話を始める。青白い幽霊と血まみれの死者が登場しこの映画の底にあるのは「死」だったんだと気付かせる。青年はその後も死者と交流した話を聞かせ、その頃から食事を妨げる事態がより大がかりな不条理なものにに変わっていく。軍隊が闖入するは警官たちが踏み込むはと。と同時にブルジョワジーたちの見る夢のシーンがひんぱんに映画に登場する。食堂が突然、観客の見つめる舞台に変わってさらし者にされたり、銃で撃ったり撃たれたりの悪夢である。警察署長の見た夢に出てきたデモ隊に殺された刑事の幽霊も怖かった。その前の刑事が行うピアノの拷問とゴキブリの映像にも思わず目をつむったが。
後半はどこまでが夢でどこまでが現実なのか、混沌としてわからない。おまけに夢の中でさらに他人が夢を見ているなんて状況も出現して迷路に迷い込んだようだ。これ見よがしの幽霊以外超現実的なものは画面に登場しないのになにかがおかしい。食事の妨害がくり返される度に世界が歪みねじ曲がり壊されていく。まさに反復によってもたらされたシュールレアリズム体験だった。
こちらも何度も挿入されラストシーンにもなった6人が横に並んで舗装もされていない田園の一本道を歩く場面、私は特典映像のドキュメンタリーの解説に全面的に同意し、あの道は死に続く道だと解釈する。堕落したブルジョワジーは滅びゆく運命にあると狭く政治的にとらえるのではなく、人間すべての逃れられない運命を暗示したのであると考える。ブルジョワジーの退廃ぶりはひどいものだが、労働者もテロリストも頼りにはならないぜと言わんばかりにブニュエルの描き方は投げやりだった。救ってくれるはずの司祭がああいうことをするのでは宗教もなんの役に立たない。人間は結局死に向かう一本道を満たされぬ欲求を抱いてイライラしながら、苦虫を噛みつぶしたような顔で歩き続けるしかないのだ、歩き続けよとのブニュエルのぶれないニヒリズム宣言ではないのか。
フェリーニの道とは正反対だけれど、そちらを歩かなければならない人生もある。
投稿日
2010/08/07
レビュアー
J ランタン※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
とても好きなシーン。
駐仏大使が友人の妻とベッドインしようとすると人妻いわく。
「まだ治ってないの」
「手はきれいじゃないか」
「体の方はまだなの、見たらびっくりするわよ」
こんなこといわれたら、たいていの男はしりごみするのに、大使はやおら抗生物質らしきものを口にほうりこむと、なおも続行しようとする。そのとき、あろうことかダンナがタイミングよく現れるのだが、それも追い出すと事の続きを強引に始めようとする。
いかにも好色なブニュエルの見そうな夢だ。
食べたいのに食べれない、したいのにできない、逃げたいのに逃げられないという夢の論理で構築されたこのすてきにシュールな建築物の迷路を頭をぶつけながらさまようのは楽しい。
ところでキリスト教の聖餐式というのは犠牲獣としてのキリストを食べることであるらしい。となると、いつまでたっても食事にありつけない六人のブルジョアたちにはそもそも聖なるものが欠落しているわけだ。
この世界をおおいつくすニヒリズムのなかで、エピキュリアンである現代人にとっては食事あるいは性的なことがらというのは快楽以外のなにものでもない。
六人の快楽主義者たちがいそいそと向かっていく先にはなにもありはしない。ニヒルな深淵と肉体の死が待ちかまえているだけだ。
投稿日
2009/11/01
レビュアー
横浜のタマ※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
会食が始まろうとしたその時カーテンが開かれそこは舞台の上だった、観客のブーイングが沸きあがる、すごすご舞台から退場する登場人物たち、額に冷や汗を浮かべてこの悪夢から目を覚ます、こんな悪夢身に覚えがあります、何度も。
食事にもお茶にも水もありつけない、悪夢に遮られる睡眠、なんだかんだと邪魔がはいって満たされない男女関係のどこがブルジョワジーなんだか、可哀相な人たち、ブルジョワジーには程遠いけど可哀相なところはわたしのこと?と思う人も多いかしら、あっ思わないですか、失礼しました。
けしからんサイドビジネスで大金を手にする繋がりで仲良くしてるだけの男女6人が、一本道の先に目的地があるわけでもないのに死者の陰り(****も出ます)もなんのそのひたすら歩くその姿の、なんとノンシャラン!
メッセージにもならないただのニュアンスとして、こんな感じでいこうよという老境の身の肩から荷物を降ろしたようなほっとするノンシャラン!ですがよふかしさん同様感動しました。
(よふかしさんのレビュータイトル、ちょっとマネッコしました)
魅力的な不条理をたくさん詰め込んだ大変面白い作品でした。
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ブルジョワジーの秘かな愉しみ