羅生門 / 京マチ子
全体の平均評価点: (5点満点)
(91)
解説・ストーリー
芥川龍之介の短編「藪の中」をもとに映像化。都にほど近い山中で、貴族の女性と供回りの侍が山賊に襲われた。そして侍は死亡、事件は検非違使によって吟味される事になった。だが山賊と貴族の女性の言い分は真っ向から対立する。検非違使は霊媒師の口寄せによって侍の霊を呼び出し証言を得るが、その言葉もまた、二人の言い分とは異なっていた……。ヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した、黒澤明の出世作。
芥川龍之介の短編「藪の中」をもとに映像化。都にほど近い山中で、貴族の女性と供回りの侍が山賊に襲われた。そして侍は死亡、事件は検非違使によって吟味される事になった。だが山賊と貴族の女性の言い分は真っ向から対立する。検非違使は霊媒師の口寄せによって侍の霊を呼び出し証言を得るが、その言葉もまた、二人の言い分とは異なっていた……。ヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した、黒澤明の出世作。
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「羅生門」 の解説・あらすじ・ストーリー
解説・ストーリー
芥川龍之介の短編「藪の中」をもとに映像化。都にほど近い山中で、貴族の女性と供回りの侍が山賊に襲われた。そして侍は死亡、事件は検非違使によって吟味される事になった。だが山賊と貴族の女性の言い分は真っ向から対立する。検非違使は霊媒師の口寄せによって侍の霊を呼び出し証言を得るが、その言葉もまた、二人の言い分とは異なっていた……。ヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した、黒澤明の出世作。
「羅生門」 の作品情報
「羅生門」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
羅生門の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
88分 |
|
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
DABR0031 |
2004年05月28日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
4枚
|
2人
|
2人
|
羅生門の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
88分 |
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1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
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レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
DABR0031 |
2004年05月28日
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在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
4枚
|
2人
|
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ユーザーレビュー:91件
描かれなかった真実
強姦事件とその後の殺人事件を描いた映画。
この映画は人間不信をテーマとしているので、事件の当事者3名と目撃者1名がウソを言うというところだけを描いており、実際に何が起きたのかについては語らない。そこがつまらないのだが、いろいろ考えてみて、一応の解答をだした。
まず、4人の証言に共通している部分を抜き出してみよう。
1,山賊は侍を縄で縛りあげた。
2.その後、侍の妻を強姦した。
3.女は強姦されてイッてしまった。
4.侍はそのことで妻を責めた。
5.侍の刀と妻の短刀が行方不明。
巫女の口を借りた侍の霊の証言では「思いあまって自分で自分に刺した短刀をだれかが引き抜いた」となっている。が、その話が出ると目撃者の志村喬が興奮して「ウソだ! 侍は剣で刺されたんだ」と言う。短刀を盗んだ志村がこの部分に反応するのは、その短刀を抜き取って盗んだ本人だからであろう。だとすると、侍は短刀で刺されたことになり、山賊とへっぴり腰でたちまわった話はすべてウソとなる。あのへっぴり腰の様子は気の小さい志村の話を再現したということなのだろう。志村の証言では、両者の戦いはほぼ互角だったが、だんだんと侍のほうが優勢になった。が、侍の刀が木の株に刺さって抜けなくなったので、そのスキを突いて山賊が侍を仕留めた・・となっている。しかし、あの戦いの前に山賊は侍を縛りあげており、この点は全員の証言に共通しているわけだから、再度戦ったら両者ともへっぴり腰で侍のほうがやや優勢だったなんてことはないはず。
で、侍の死因が短刀によるとしているのは、侍本人の証言とその妻の証言である。あと、全員の話に共通しているのは、強姦された女はそのときにイッたということと、夫である侍はそのことを咎めたということである。
4人の話に共通してる部分が事実だったとすると、おそらく、侍は縛られた状態で女に刺されたのだろう。女もそのようなことを匂わせる証言をしている。動機は、山賊に犯されてついイッってしまったのを夫が口汚く咎め、志村の証言に出てくるような「売女」とか「芦毛(馬)のほうが惜しい」というような発言があり、女はこれに逆上して犯行におよんだ・・ということだろう。で、女は犯行を隠蔽するために侍の縄を切り、何があったのかわからないようにした。
だとすると、他の証言もツジツマがあう。夫は妻に刺されたっていうのでは侍としてカッコウがつかないから自分で刺したとウソを言った。山賊は実はそのときはすでに立ち去っていてその場にはいなかったのに、これもカッコウつけたいからオレが正々堂々戦ってバッサリ斬ったんだと言った。志村喬は冒頭から「わからん」と言いつづけていたのは、事件の真相ではなく、なんで妻が夫を刺したのかの心情がわからなかったのだろう。志村には6人の子があり、妻もいて、もうひとり赤ん坊を拾ってもいいわいと思ったということは貧乏ながらも夫婦円万なのであろう。だから夫を殺す妻の心理がショックだったのだ。
この解釈にも穴があるかもしれません。もし発見されたらコメントお願いします。
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物語が映像についていけない。
投稿日:2011/10/01
レビュアー:港のマリー
エンディングの捨て子のエピソードは余計でしょう。
これまでの流れを断ち切り、無理やり希望を持たせようとするかのようで不自然に思えました。
「人を信じよう」との連呼もどこか虚ろです。黒澤明の「ヒューマニズム病」とでもいうべき、とってつけたような説教調のつまらなさが既にあるのを感じました。
羅生門を出た志村喬が、あたりに人がいないかきょろきょろ見回しながら、抱いた赤子を道ばたに捨てるところで幕にしますね、わたしなら。
早足で遠ざかる後ろ姿に赤ん坊のアップ、空を舞うカラスの群れで、完とか。
…などと、妄想させるほど力にあふれた映画でした。得体のしれないエネルギーが画面にほとばしっています。
芥川の原作「藪の中」と「羅生門」を読み返してみたのですが、なぜ黒澤がこれに注目したのか、不思議なほど映画とは異なる印象を受けました。
ひ弱な肉体で鋭すぎる知性を辛うじて支えている知識人の、懐疑と焦燥と憂愁を繊細極まりないことばで綴った原作と、画面に踊る三船敏郎の、大地を蹴り、大空に伸び上がるはつらつとした生命力の爆発とは大違い。
芥川的な人物像は森雅之が体現しているわけですが、三船に比べると印象は薄いですね。
朽ちかけた羅生門の堂々とした造形、内部の空間の広がり、激しく降りしきる雨さえ力強く、荒廃と荒涼のうちに力が秘められているような冒頭の場面。
一転、山中の事件の回想場面は、きらきらとした木漏れ日、吹き抜ける風、舞う土埃と、自然の息吹に満ちています。
この自然のなかでの、三船と森の、チャンバラ映画の型を完全に無視した死闘は、ひたすら生きようとする人間のエネルギーそのものでした。
検非違使のお白州での証言の場面も、中央に思い切って大きく人物を配した力強さ。
なんというか、ひとは、死んだ人間ですら、事実を自分に都合のよいようにねじ曲げて嘘をつき、なけなしの自尊心を守るいじましい生きもの、真実なんかどこにある?信じられるものなどあるのか?という芥川由来のテーマに、映像のパワーが似合っていない。それが魅力でもあります。
このパワーの収束先として無理やり最後に希望を設定したのでしょうか。1950年という戦争の荒廃から立ち直ろうとする時代の影響もあったのかもしれません。
黒澤映画では女優はあまり魅力的ではありませんが、「蜘蛛の巣城」の山田五十鈴は例外、ここでの京マチ子も激高するばかりでいまひとつ。ちなみに男二人を戦わせる魔性の女ぶりを見せつける場面は原作にはありません。
でも今回再読して気付いたのですが、芥川にも女性不信があったんでしょうか、盗賊に手籠めにされてその気になる妻に絶望する夫の心境を、巫女の口を借りてまで綿々と語らせています。
それを受けて映画でも、盗賊、多襄丸(三船敏郎)に口説かれる京マチ子の表情を「これまで見たことがないほど恍惚としていた」と夫、森雅之に言わせています。このあたりの森雅之はうまいです。
芥川の抑制した表現の背後にある情念を、黒澤は読み取って、映画という表現のなかで解放したのかもしれません。
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明暗が美しすぎる
投稿日:2010/12/06
レビュアー:chue
一つのインシデントを多元的に解釈する試みを1950年の時点で実現していた日本映画の深さに頭が下がります。
事実の解釈、善悪と愛憎の境、さまざまな局面にゆらぎを起こすシナリオはもちろん素晴らしいのですが、ここでは黒澤の光の使い方に一番驚きました。特に白洲のシーン、手前を影で遮り、奥に連座する他の登場人物に一杯に光を当てることで、不思議な迫力を画面に出しています。実相寺昭雄あたり、このあたりの光の使い方の影響を受けているように思いました。他にも、藪の中での日向、日陰の使い方、人を映さないときの光の使い方、全てに意味があります。
終わらせ方を含め、ストーリーに好き嫌いはあるかもしれませんが、映画表現としては絶対に見ておくべき作品だと思いました。
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製作過程も藪の中。
投稿日:2007/09/15
レビュアー:シニソーヤ
「藪の中」の元元ネタの「今昔物語」は訳文を読んで拍子抜けするお話だと思いました。芥川龍ノ介が発表した当時、日本に徐々に探偵小説が輸入され出したときで、天才作家は原文の「今昔物語」を読んで英文のビアスの手法やら読んで、元ネタをこねくり回して、全く新しいパズルを文壇に提出しました。当時は物議をかもし出したそうです。あーでもない。こーでもない。って解決編をいろんな人たちが出し合っては話題にしたそうです。
映画「羅生門」を初めて見たとき、これはきっとクロサワの解決編チャレンジだ!と思いました。
後に制作秘話を読みました。事実はこうです。脚本家になる前の橋本忍さんが「藪の中」を「雌雄」というタイトルで脚本化して、黒沢監督に持って行きました。「うーん。映画にするには短いなあ」「じゃあ、ボツですか」「うーん。しばらく預からせてよ」あきらめて橋本さんが帰って行くと、数日後、監督から呼び出しを受けました。「尺は合わせたんだけど、なんだか映画なんないんだよ。地味だし、どうしたらいいのか?」「大丈夫です。なんとか出来ますよ」橋本さんは本当はなんにも解決策を考えず、男気で引き受けたそうです。考え付いたのが「羅生門」を持ってくるアイディアでした。世界を震撼させる脚本はそうして世に出たそうです。
封切り当時の日本の批評は〈ヒューマニズムが唐突すぎる〉という辛い評論が多かったそうです。ぼくもピンときませんでしたが、アメリカの評論は、キャメラワークが素晴らしい。京マチ子が美しい。(個人的には怖かった)という意見が多かったそうです。
ドフトエフスキーやこの映画を考えると裁判劇は進化しているような進化していないような。アンブローズ・ピアスだけを考えると戦争が天才を作り出したのかなあと思います。その天才を読んだ天才が名作を世に送り出しているようです。
ぼくにとっては見れば見るほどおもしろくなる初めての映画です。「殺人」「戦火の勇気」「処女の泉」「去年マリエンバードで」などを見てはどこをどう継承、あるいは進化させているのかを見るのは映画を見る感覚より、パズルをこねくり回す楽しみに近いようです。
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たいしたことはない。
名作と言われているがたいしたことはなかった。実にストーリー展開が遅い。あの程度なら60分の短編で充分。古いから仕方がないかもしれないが、映像に奥行きがない。音声が悪い。山賊と侍の立ち回りシーンは嫌というほど長く退屈である。検非違使の吟味のシーンは正面からのみでメリハリがない。以上、非常に長く退屈に感じる映画だった。
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ユーザーレビュー
描かれなかった真実
投稿日
2020/08/07
レビュアー
勇光
強姦事件とその後の殺人事件を描いた映画。
この映画は人間不信をテーマとしているので、事件の当事者3名と目撃者1名がウソを言うというところだけを描いており、実際に何が起きたのかについては語らない。そこがつまらないのだが、いろいろ考えてみて、一応の解答をだした。
まず、4人の証言に共通している部分を抜き出してみよう。
1,山賊は侍を縄で縛りあげた。
2.その後、侍の妻を強姦した。
3.女は強姦されてイッてしまった。
4.侍はそのことで妻を責めた。
5.侍の刀と妻の短刀が行方不明。
巫女の口を借りた侍の霊の証言では「思いあまって自分で自分に刺した短刀をだれかが引き抜いた」となっている。が、その話が出ると目撃者の志村喬が興奮して「ウソだ! 侍は剣で刺されたんだ」と言う。短刀を盗んだ志村がこの部分に反応するのは、その短刀を抜き取って盗んだ本人だからであろう。だとすると、侍は短刀で刺されたことになり、山賊とへっぴり腰でたちまわった話はすべてウソとなる。あのへっぴり腰の様子は気の小さい志村の話を再現したということなのだろう。志村の証言では、両者の戦いはほぼ互角だったが、だんだんと侍のほうが優勢になった。が、侍の刀が木の株に刺さって抜けなくなったので、そのスキを突いて山賊が侍を仕留めた・・となっている。しかし、あの戦いの前に山賊は侍を縛りあげており、この点は全員の証言に共通しているわけだから、再度戦ったら両者ともへっぴり腰で侍のほうがやや優勢だったなんてことはないはず。
で、侍の死因が短刀によるとしているのは、侍本人の証言とその妻の証言である。あと、全員の話に共通しているのは、強姦された女はそのときにイッたということと、夫である侍はそのことを咎めたということである。
4人の話に共通してる部分が事実だったとすると、おそらく、侍は縛られた状態で女に刺されたのだろう。女もそのようなことを匂わせる証言をしている。動機は、山賊に犯されてついイッってしまったのを夫が口汚く咎め、志村の証言に出てくるような「売女」とか「芦毛(馬)のほうが惜しい」というような発言があり、女はこれに逆上して犯行におよんだ・・ということだろう。で、女は犯行を隠蔽するために侍の縄を切り、何があったのかわからないようにした。
だとすると、他の証言もツジツマがあう。夫は妻に刺されたっていうのでは侍としてカッコウがつかないから自分で刺したとウソを言った。山賊は実はそのときはすでに立ち去っていてその場にはいなかったのに、これもカッコウつけたいからオレが正々堂々戦ってバッサリ斬ったんだと言った。志村喬は冒頭から「わからん」と言いつづけていたのは、事件の真相ではなく、なんで妻が夫を刺したのかの心情がわからなかったのだろう。志村には6人の子があり、妻もいて、もうひとり赤ん坊を拾ってもいいわいと思ったということは貧乏ながらも夫婦円万なのであろう。だから夫を殺す妻の心理がショックだったのだ。
この解釈にも穴があるかもしれません。もし発見されたらコメントお願いします。
物語が映像についていけない。
投稿日
2011/10/01
レビュアー
港のマリー
エンディングの捨て子のエピソードは余計でしょう。
これまでの流れを断ち切り、無理やり希望を持たせようとするかのようで不自然に思えました。
「人を信じよう」との連呼もどこか虚ろです。黒澤明の「ヒューマニズム病」とでもいうべき、とってつけたような説教調のつまらなさが既にあるのを感じました。
羅生門を出た志村喬が、あたりに人がいないかきょろきょろ見回しながら、抱いた赤子を道ばたに捨てるところで幕にしますね、わたしなら。
早足で遠ざかる後ろ姿に赤ん坊のアップ、空を舞うカラスの群れで、完とか。
…などと、妄想させるほど力にあふれた映画でした。得体のしれないエネルギーが画面にほとばしっています。
芥川の原作「藪の中」と「羅生門」を読み返してみたのですが、なぜ黒澤がこれに注目したのか、不思議なほど映画とは異なる印象を受けました。
ひ弱な肉体で鋭すぎる知性を辛うじて支えている知識人の、懐疑と焦燥と憂愁を繊細極まりないことばで綴った原作と、画面に踊る三船敏郎の、大地を蹴り、大空に伸び上がるはつらつとした生命力の爆発とは大違い。
芥川的な人物像は森雅之が体現しているわけですが、三船に比べると印象は薄いですね。
朽ちかけた羅生門の堂々とした造形、内部の空間の広がり、激しく降りしきる雨さえ力強く、荒廃と荒涼のうちに力が秘められているような冒頭の場面。
一転、山中の事件の回想場面は、きらきらとした木漏れ日、吹き抜ける風、舞う土埃と、自然の息吹に満ちています。
この自然のなかでの、三船と森の、チャンバラ映画の型を完全に無視した死闘は、ひたすら生きようとする人間のエネルギーそのものでした。
検非違使のお白州での証言の場面も、中央に思い切って大きく人物を配した力強さ。
なんというか、ひとは、死んだ人間ですら、事実を自分に都合のよいようにねじ曲げて嘘をつき、なけなしの自尊心を守るいじましい生きもの、真実なんかどこにある?信じられるものなどあるのか?という芥川由来のテーマに、映像のパワーが似合っていない。それが魅力でもあります。
このパワーの収束先として無理やり最後に希望を設定したのでしょうか。1950年という戦争の荒廃から立ち直ろうとする時代の影響もあったのかもしれません。
黒澤映画では女優はあまり魅力的ではありませんが、「蜘蛛の巣城」の山田五十鈴は例外、ここでの京マチ子も激高するばかりでいまひとつ。ちなみに男二人を戦わせる魔性の女ぶりを見せつける場面は原作にはありません。
でも今回再読して気付いたのですが、芥川にも女性不信があったんでしょうか、盗賊に手籠めにされてその気になる妻に絶望する夫の心境を、巫女の口を借りてまで綿々と語らせています。
それを受けて映画でも、盗賊、多襄丸(三船敏郎)に口説かれる京マチ子の表情を「これまで見たことがないほど恍惚としていた」と夫、森雅之に言わせています。このあたりの森雅之はうまいです。
芥川の抑制した表現の背後にある情念を、黒澤は読み取って、映画という表現のなかで解放したのかもしれません。
明暗が美しすぎる
投稿日
2010/12/06
レビュアー
chue
一つのインシデントを多元的に解釈する試みを1950年の時点で実現していた日本映画の深さに頭が下がります。
事実の解釈、善悪と愛憎の境、さまざまな局面にゆらぎを起こすシナリオはもちろん素晴らしいのですが、ここでは黒澤の光の使い方に一番驚きました。特に白洲のシーン、手前を影で遮り、奥に連座する他の登場人物に一杯に光を当てることで、不思議な迫力を画面に出しています。実相寺昭雄あたり、このあたりの光の使い方の影響を受けているように思いました。他にも、藪の中での日向、日陰の使い方、人を映さないときの光の使い方、全てに意味があります。
終わらせ方を含め、ストーリーに好き嫌いはあるかもしれませんが、映画表現としては絶対に見ておくべき作品だと思いました。
製作過程も藪の中。
投稿日
2007/09/15
レビュアー
シニソーヤ
「藪の中」の元元ネタの「今昔物語」は訳文を読んで拍子抜けするお話だと思いました。芥川龍ノ介が発表した当時、日本に徐々に探偵小説が輸入され出したときで、天才作家は原文の「今昔物語」を読んで英文のビアスの手法やら読んで、元ネタをこねくり回して、全く新しいパズルを文壇に提出しました。当時は物議をかもし出したそうです。あーでもない。こーでもない。って解決編をいろんな人たちが出し合っては話題にしたそうです。
映画「羅生門」を初めて見たとき、これはきっとクロサワの解決編チャレンジだ!と思いました。
後に制作秘話を読みました。事実はこうです。脚本家になる前の橋本忍さんが「藪の中」を「雌雄」というタイトルで脚本化して、黒沢監督に持って行きました。「うーん。映画にするには短いなあ」「じゃあ、ボツですか」「うーん。しばらく預からせてよ」あきらめて橋本さんが帰って行くと、数日後、監督から呼び出しを受けました。「尺は合わせたんだけど、なんだか映画なんないんだよ。地味だし、どうしたらいいのか?」「大丈夫です。なんとか出来ますよ」橋本さんは本当はなんにも解決策を考えず、男気で引き受けたそうです。考え付いたのが「羅生門」を持ってくるアイディアでした。世界を震撼させる脚本はそうして世に出たそうです。
封切り当時の日本の批評は〈ヒューマニズムが唐突すぎる〉という辛い評論が多かったそうです。ぼくもピンときませんでしたが、アメリカの評論は、キャメラワークが素晴らしい。京マチ子が美しい。(個人的には怖かった)という意見が多かったそうです。
ドフトエフスキーやこの映画を考えると裁判劇は進化しているような進化していないような。アンブローズ・ピアスだけを考えると戦争が天才を作り出したのかなあと思います。その天才を読んだ天才が名作を世に送り出しているようです。
ぼくにとっては見れば見るほどおもしろくなる初めての映画です。「殺人」「戦火の勇気」「処女の泉」「去年マリエンバードで」などを見てはどこをどう継承、あるいは進化させているのかを見るのは映画を見る感覚より、パズルをこねくり回す楽しみに近いようです。
たいしたことはない。
投稿日
2005/11/19
レビュアー
ブラックドッグ
名作と言われているがたいしたことはなかった。実にストーリー展開が遅い。あの程度なら60分の短編で充分。古いから仕方がないかもしれないが、映像に奥行きがない。音声が悪い。山賊と侍の立ち回りシーンは嫌というほど長く退屈である。検非違使の吟味のシーンは正面からのみでメリハリがない。以上、非常に長く退屈に感じる映画だった。
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