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ロシアを代表する映像作家アレクサンドル・ソクーロフ監督が、昭和天皇ヒロヒトに焦点を当て、敗戦直前からマッカーサーとの会見を経て人間宣言を決断するまでを静謐なタッチで描く。1945年8月。疎開した皇后や皇太子らとも離れ、地下の待避壕か唯一残った研究所での生活を送る天皇。敗戦が決定的となる中、御前会議では陸軍大臣が本土決戦の用意あり、と息巻く。それに対して国民に平和を、と願う天皇は降伏を示唆する。空襲の悪夢にうなされ、皇后と皇太子の写真を優しく見つめる天皇。やがて、連合国占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーとの会見の日がやってくる…。
製作年: |
2005年 |
---|---|
製作国: |
ロシア/イタリア/フランス/スイス |
原題: |
SOLNTSE/LE SOLEIL/THE SUN |
ロシアを代表する映像作家アレクサンドル・ソクーロフ監督が、昭和天皇ヒロヒトに焦点を当て、敗戦直前からマッカーサーとの会見を経て人間宣言を決断するまでを静謐なタッチで描く。1945年8月。疎開した皇后や皇太子らとも離れ、地下の待避壕か唯一残った研究所での生活を送る天皇。敗戦が決定的となる中、御前会議では陸軍大臣が本土決戦の用意あり、と息巻く。それに対して国民に平和を、と願う天皇は降伏を示唆する。空襲の悪夢にうなされ、皇后と皇太子の写真を優しく見つめる天皇。やがて、連合国占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーとの会見の日がやってくる…。
製作年: |
2005年 |
---|---|
製作国: |
ロシア/イタリア/フランス/スイス |
原題: |
SOLNTSE/LE SOLEIL/THE SUN |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
115分 | 日本語 | 1:ドルビーデジタル/ステレオ/日・英 |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
KWX321 | 2007年03月23日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
15枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
115分
字幕:
日本語
音声:
1:ドルビーデジタル/ステレオ/日・英
レイティング:
記番:
KWX321
レンタル開始日:
2007年03月23日
在庫枚数
15枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
0人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
115分 | 日本語 | 1:ドルビーデジタル/ステレオ/日・英 |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
KWX321 | 2007年03月23日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
15枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
115分
字幕:
日本語
音声:
1:ドルビーデジタル/ステレオ/日・英
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記番:
KWX321
レンタル開始日:
2007年03月23日
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15枚
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じつは人間なのだが、魔法で変えられた蛙が、美女のキスで魔法を解かれ、もとの王子にもどる。『太陽』はそんな類のお伽噺である。現人神と祀られた男が、神格をすててただの人間へなろうという。
魔法を解いたのはだれか。マッカーサーとも、皇后ともいえる。あるいはじぶんじしん。だがそれは、かれの内面の決断ではない。あるささいな身ぶりである。「わたしはもう神ではない。わたしはこの運命を拒絶した」といった大仰なセリフに意味はない。むしろそのとき宙に突きだされ手の、浮遊するがごとき、羽ばたきを予感したような、なにかが「開かれる」かのようなアクションのほうに、あるというなら意味があろう。
かれはみずから扉を開けない。開けるのはつねに侍従たちだ。かれは扉の向こうで奉られる。扉を開けられ、礼をうけて現れるもの、それが天皇である。ときに扉の隙間から覗き見られる、そういう存在なのだ。
かれは掌をもてあます。なにかを持つのではなく、嗅いでみる。なにかが臭う。触るもはごく限られている。清潔なはずである。だが名づけようのない異臭がする。掌じたいの匂いなのか。掌とはなんだろう。なんのためにあるのだろう。なまずのひげとどうちがうのだ。ぱくぱく。そんな自問に囚われた男がじしんの手、掌で扉をあけてみる。じぶんで開けて、扉の向こうへ出向いてみる。掌でさまざまなものを触り、持ってみる。葉巻やチョコレートの匂いに染まりはじめた掌には、かつての異臭はしない。
そんな掌の冒険が、終局、皇后のベールのついたトーク帽を髪(神)から解くささやかな身ぶりへゆきつく。掌は触り、握る。その解き放つ触発で目にみえぬ微粒で雑多な匂いにまみれる。これが神格否定の人間化への、ソクーロフの唯物論的解釈である。人間化宣言を録音した技師の自決という事実でそれが躓こうという瞬間、こんどは皇后の手が、扉の向こう、息子たちのまつほうへと天皇を連れ去る。ようするにこれはメロドラマなのだ。
むろん『太陽』はフィクションである。事実は鷹揚にあつかわれる。ときに事実に反しもしている。
たとえば一九四五年八月の、ポツダム宣言受諾にいたる二度の御前会議、そこでの天皇による二度の聖断(意志の表明)は極力曖昧模糊とされる。映画での敗戦間際の御前会議は、さらに同年六月における戦争継続を取り決めたそれを大枠につかっている。四年前の対英米開戦決定にいたる会議での天皇の発言、明治天皇の御製歌の引用をも混ぜあわている。いうまでもなく『太陽』の御前会議は完全な虚構である。
占領する連合国主力たる米軍や総司令長官マッカーサーの、天皇にたいする無礼の強調もおなじく意図されたものだ。これにより天皇の児戯あふれるイノセントぶりがきわだつわけだが、その会見内容もむろん空想の産物である。事実はここでも、天皇はマッカーサーにたいして聖断を告げたというべきだ。(2)
緑あふれる楽園のごとき宮城からひとつ橋をわたれば、空襲の大惨禍と人心の荒廃で灰色一色という、あまりに凡庸な風景対比も事実ではない。アメリカは戦後統治をふまえ権力中枢、皇居周辺部への空襲はさけた。会見におもむく天皇は黙示録的風景に瞳を撃たれることはなかったし、それを初めてみたのでもなかった。
むろんこういった史実をもって映画を批判したいのではない。もとよりソークロフは事実に関心がない。かれじしんがそう表明している。ラストで唐突につきつけられる、「人間宣言」を録音した技師の自決というエピソードがそうだ。これは二重の虚構である。
はじめて録音された天皇の肉声=玉音(3)とは、一九四五年八月十五日正午ラジオ放送された、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍びという文言の「終戦の詔勅」である。敗戦を境に自決したひとがおもに軍人にいたのは事実だが、録音技師がそうしたという記録はない。そもそも「人間宣言」は翌四六年元旦、占領軍の意向をうけた(起草は英文)詔勅であり、録音などされなかった。これを衝撃として自決した国民はひとりもいなかった。禁忌されたのではなく、もはや関心を呼ばなかった。みな戦後という突風に吹かれていいた。この宣言じたいは、天皇の戦争責任をめぐる対外向け、極東裁判への工作というべきものだった。現人神がただの人間になるというこのロマンスは、とうじ外国で大反響となった。(4)
そういう意味では、この映画は外国人が撮るにふさわしい題材なのだ。外国人には、とうじの日本の、行く末をみずから決定不能な、自壊するしかない混迷した権力機構に興味があろうはずがない。そこで繰りひろげられた天皇の超法規的な政治的パフォーマンスなど、なおさらというべきだ。ソクーロフもまた、そうである。(失礼ながら、以下はコメント活用)
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※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
ただしこの映画は、ストーリーを楽しむ映画ではありません。
昭和天皇とは一体どういう人間だったのか、
それのみを丹念に描いた映画なのです。
その意味ではアイドルのDVDなんかに近いものがあり、
劇的な展開を期待すると肩透かしをくらうでしょう。
イッセー尾形ファンの人は見逃せない作品だと思います。
いろいろな日本人を演じてきたイッセー尾形が、
ついに天皇を演じるとは。
マッカーサーに葉巻をもらうシーンや
桃井かおり演じる皇后とのシーンは、
とにかく観てくださいとしかいえない凄さです。
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内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。
ユーザーレビュー:102件
投稿日
2009/04/22
レビュアー
kobarou※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
じつは人間なのだが、魔法で変えられた蛙が、美女のキスで魔法を解かれ、もとの王子にもどる。『太陽』はそんな類のお伽噺である。現人神と祀られた男が、神格をすててただの人間へなろうという。
魔法を解いたのはだれか。マッカーサーとも、皇后ともいえる。あるいはじぶんじしん。だがそれは、かれの内面の決断ではない。あるささいな身ぶりである。「わたしはもう神ではない。わたしはこの運命を拒絶した」といった大仰なセリフに意味はない。むしろそのとき宙に突きだされ手の、浮遊するがごとき、羽ばたきを予感したような、なにかが「開かれる」かのようなアクションのほうに、あるというなら意味があろう。
かれはみずから扉を開けない。開けるのはつねに侍従たちだ。かれは扉の向こうで奉られる。扉を開けられ、礼をうけて現れるもの、それが天皇である。ときに扉の隙間から覗き見られる、そういう存在なのだ。
かれは掌をもてあます。なにかを持つのではなく、嗅いでみる。なにかが臭う。触るもはごく限られている。清潔なはずである。だが名づけようのない異臭がする。掌じたいの匂いなのか。掌とはなんだろう。なんのためにあるのだろう。なまずのひげとどうちがうのだ。ぱくぱく。そんな自問に囚われた男がじしんの手、掌で扉をあけてみる。じぶんで開けて、扉の向こうへ出向いてみる。掌でさまざまなものを触り、持ってみる。葉巻やチョコレートの匂いに染まりはじめた掌には、かつての異臭はしない。
そんな掌の冒険が、終局、皇后のベールのついたトーク帽を髪(神)から解くささやかな身ぶりへゆきつく。掌は触り、握る。その解き放つ触発で目にみえぬ微粒で雑多な匂いにまみれる。これが神格否定の人間化への、ソクーロフの唯物論的解釈である。人間化宣言を録音した技師の自決という事実でそれが躓こうという瞬間、こんどは皇后の手が、扉の向こう、息子たちのまつほうへと天皇を連れ去る。ようするにこれはメロドラマなのだ。
むろん『太陽』はフィクションである。事実は鷹揚にあつかわれる。ときに事実に反しもしている。
たとえば一九四五年八月の、ポツダム宣言受諾にいたる二度の御前会議、そこでの天皇による二度の聖断(意志の表明)は極力曖昧模糊とされる。映画での敗戦間際の御前会議は、さらに同年六月における戦争継続を取り決めたそれを大枠につかっている。四年前の対英米開戦決定にいたる会議での天皇の発言、明治天皇の御製歌の引用をも混ぜあわている。いうまでもなく『太陽』の御前会議は完全な虚構である。
占領する連合国主力たる米軍や総司令長官マッカーサーの、天皇にたいする無礼の強調もおなじく意図されたものだ。これにより天皇の児戯あふれるイノセントぶりがきわだつわけだが、その会見内容もむろん空想の産物である。事実はここでも、天皇はマッカーサーにたいして聖断を告げたというべきだ。(2)
緑あふれる楽園のごとき宮城からひとつ橋をわたれば、空襲の大惨禍と人心の荒廃で灰色一色という、あまりに凡庸な風景対比も事実ではない。アメリカは戦後統治をふまえ権力中枢、皇居周辺部への空襲はさけた。会見におもむく天皇は黙示録的風景に瞳を撃たれることはなかったし、それを初めてみたのでもなかった。
むろんこういった史実をもって映画を批判したいのではない。もとよりソークロフは事実に関心がない。かれじしんがそう表明している。ラストで唐突につきつけられる、「人間宣言」を録音した技師の自決というエピソードがそうだ。これは二重の虚構である。
はじめて録音された天皇の肉声=玉音(3)とは、一九四五年八月十五日正午ラジオ放送された、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍びという文言の「終戦の詔勅」である。敗戦を境に自決したひとがおもに軍人にいたのは事実だが、録音技師がそうしたという記録はない。そもそも「人間宣言」は翌四六年元旦、占領軍の意向をうけた(起草は英文)詔勅であり、録音などされなかった。これを衝撃として自決した国民はひとりもいなかった。禁忌されたのではなく、もはや関心を呼ばなかった。みな戦後という突風に吹かれていいた。この宣言じたいは、天皇の戦争責任をめぐる対外向け、極東裁判への工作というべきものだった。現人神がただの人間になるというこのロマンスは、とうじ外国で大反響となった。(4)
そういう意味では、この映画は外国人が撮るにふさわしい題材なのだ。外国人には、とうじの日本の、行く末をみずから決定不能な、自壊するしかない混迷した権力機構に興味があろうはずがない。そこで繰りひろげられた天皇の超法規的な政治的パフォーマンスなど、なおさらというべきだ。ソクーロフもまた、そうである。(失礼ながら、以下はコメント活用)
投稿日
2009/02/21
レビュアー
"※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
ただしこの映画は、ストーリーを楽しむ映画ではありません。
昭和天皇とは一体どういう人間だったのか、
それのみを丹念に描いた映画なのです。
その意味ではアイドルのDVDなんかに近いものがあり、
劇的な展開を期待すると肩透かしをくらうでしょう。
イッセー尾形ファンの人は見逃せない作品だと思います。
いろいろな日本人を演じてきたイッセー尾形が、
ついに天皇を演じるとは。
マッカーサーに葉巻をもらうシーンや
桃井かおり演じる皇后とのシーンは、
とにかく観てくださいとしかいえない凄さです。
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