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ビートたけしが北野武名義で初監督を果した記念的作品。当初、ビートたけし主演、深作欣二監督で進められていた企画だったが、スケジュールが折り合わずたけしがメガフォンをとることになった。暴力的な異端刑事の我妻が麻薬組織の真相を探る為、組織や殺し屋たちと繰り広げる闘いを描く。北野はこの初監督作品ですでに、この後描かれる作品の持つ虚無的な暴力描写を確立。北野作品の軌跡を追う上でも重要な作品。
ビートたけしが北野武名義で初監督を果した記念的作品。当初、ビートたけし主演、深作欣二監督で進められていた企画だったが、スケジュールが折り合わずたけしがメガフォンをとることになった。暴力的な異端刑事の我妻が麻薬組織の真相を探る為、組織や殺し屋たちと繰り広げる闘いを描く。北野はこの初監督作品ですでに、この後描かれる作品の持つ虚無的な暴力描写を確立。北野作品の軌跡を追う上でも重要な作品。
製作年: |
1989年 |
---|---|
製作国: |
日本 |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
103分 | 1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語 |
|
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
BCDR1420 | 2006年03月24日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
23枚 | 26人 | 19人 |
収録時間:
103分
字幕:
音声:
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
レイティング:
記番:
BCDR1420
レンタル開始日:
2006年03月24日
在庫枚数
23枚
1位登録者:
26人
2位登録者:
19人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
103分 | 1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語 |
|
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
BCDR1420 | 2006年03月24日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
23枚 | 26人 | 19人 |
収録時間:
103分
字幕:
音声:
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
レイティング:
記番:
BCDR1420
レンタル開始日:
2006年03月24日
在庫枚数
23枚
1位登録者:
26人
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19人
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その後、奥山は異業種にいる才能に目をつけて映画界に引っ張り込む事に挑戦する。その代表格は当時お笑い芸人として人気絶頂だったビートたけしだ。「その男、凶暴につき」は遂に目標としていた深作欣二と組む事を目指した作品だった。奥山「ようやくそれを出来る所までオレが来たので、今度はどうやって深作欣二作品をやるか」
深作とたけしに声を掛けて京都の料亭で会う事になった。奥山が企画を説明するのだが、しかし二人が全く話さない。場所を深作が定宿にしている旅館に移動する事になった。奥山「深作さん、なぜか「右近」(宿名)に一歩足を踏み入れた瞬間から異様に元気になって、そこから調子が出てきて、たけしさんも乗ってきて、やっと話が弾み出したんです。たけしさんに後日聞いたら、えらい緊張してたんですって。深作さんに対してある種のリスペクトがあったわけです」
深作は「戦場のメリークリスマス」について話しだして「オレだったらこう撮った」と。対して、たけしが大島渚について話しだして話が弾みだしたそうだ。ところが、その後たけしが世間を驚かせた「FRIDAY」襲撃事件を起こしてしまう。この時、吉本興業の幹部から、たけしの代役として当時は東京に進出したばかりのダウンタウンの松本人志で、やらせてもらえないかという話もあったそうだ。しかし松本は乗り気じゃなかった様で話は流れた。結局、深作は監督を降りた。どうしても奥山は深作とやりたかったが又挫折である。(二人が組むのはこの後の「いつかギラギラする日」まで持ち越しになった)
すると、たけしが「オレが監督をやりますよ」と言いだした。奥山は彼に賭けてみる事にした。これが大正解だった。二人は「3-4x」「ソナチネ」までは組んだ。しかし、松竹はこのテのジャンルの作品に当時は否定的だった。
その後、松竹の幹部にまでなった奥山は思わぬ「男はつらいよ」にも絡む事になった。彼はこのシリーズに頼ってばかりいる松竹に否定的だったからだ。この時は後藤久美子がマドンナの「ぼくの伯父さん」である。
渥美清についても述べている。奥山「渥美さんとは1回だけキャンペーンで同行した事がありました。新幹線でやくざがマスクをしている渥美さんにしつこく絡んでくるトラブルがあったんだけど、その時も渥美さんがその相手のところに行って、耳元でコチョコチョと何か言って、戻ってきて「もう大丈夫だから。悪いね、あなたにも嫌な思いさせて」と。静かだけど、凄い迫力だった。相手はそれでガラッと態度が豹変したんです。降りる時なんか直立不動で挨拶してました。何を呟いたのかは教えてもらえませんでした。かっこいいなと思いました」
1998年1月、松竹の社長で奥山の親父と、専務だった奥山本人は役員会で解任を決議された。「独断専行」がその理由だった。時代の寵児だった奥山はアッという間に引きずり降ろされ、マスコミの大バッシングに晒される。この時、彼に激励の手紙を送ってきたのが深作欣二、菅原文太、美輪明宏、中村勘九郎だそうだ。(深作と文太の手紙は縮小版だが実物の写真がこの本に掲載されている)当時、彼の味方だと思っていた幹部や社員の中には、裏でこっそり寝返っていたりしたのもいたそうだ。この言葉が印象的だ。
奥山「でもね、手のひらを返した人間は、その後、いとも簡単にまた切られるわけですよ。これは歴史が証明しています。心底の信頼は出来ず、邪魔だから、そうやって切られてく。一緒について辞めた人間は、みんなそれなりに幸せにしているんだけど、その裏切った連中が今度は「会社に裏切られた」ってオレのところに来たこともありました。そのお粗末さは何だか悲しかったです」
樹木希林との思い出も述べている。奥山「振り返ってみると、本当によくしてくれました。実験的に作った作品でも、チームオクヤマが関わっているものに対してはどんな映画でも「脚本はこんな感じで」って話を持っていくと「ああ、脚本は読まなくてもいいわ、後で読んでおくから置いておいて」って言ってくれて。そして現場へ来るとホンをちゃんと読んでいて、自分なりの小道具も自前で持って来る。それで勝手にやって勝手に帰る。そういうふうに何でも受け入れてくれる人だった」
それでも晩年、かなり体調が悪くなって最後の力を振り絞って動いていたそうだ。最後の方は「ホンがつまんないから」って断る事もあった。「私はホンがつまらないと思っちゃったらもうテコでも動けない。残された時間は、面白いホンのためにしか使えない」彼女が最後に「万引き家族」「日日是好日」を選んだのが理解出来る。
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ユーザーレビュー:36件
投稿日
2024/05/21
レビュアー
CCR※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
その後、奥山は異業種にいる才能に目をつけて映画界に引っ張り込む事に挑戦する。その代表格は当時お笑い芸人として人気絶頂だったビートたけしだ。「その男、凶暴につき」は遂に目標としていた深作欣二と組む事を目指した作品だった。奥山「ようやくそれを出来る所までオレが来たので、今度はどうやって深作欣二作品をやるか」
深作とたけしに声を掛けて京都の料亭で会う事になった。奥山が企画を説明するのだが、しかし二人が全く話さない。場所を深作が定宿にしている旅館に移動する事になった。奥山「深作さん、なぜか「右近」(宿名)に一歩足を踏み入れた瞬間から異様に元気になって、そこから調子が出てきて、たけしさんも乗ってきて、やっと話が弾み出したんです。たけしさんに後日聞いたら、えらい緊張してたんですって。深作さんに対してある種のリスペクトがあったわけです」
深作は「戦場のメリークリスマス」について話しだして「オレだったらこう撮った」と。対して、たけしが大島渚について話しだして話が弾みだしたそうだ。ところが、その後たけしが世間を驚かせた「FRIDAY」襲撃事件を起こしてしまう。この時、吉本興業の幹部から、たけしの代役として当時は東京に進出したばかりのダウンタウンの松本人志で、やらせてもらえないかという話もあったそうだ。しかし松本は乗り気じゃなかった様で話は流れた。結局、深作は監督を降りた。どうしても奥山は深作とやりたかったが又挫折である。(二人が組むのはこの後の「いつかギラギラする日」まで持ち越しになった)
すると、たけしが「オレが監督をやりますよ」と言いだした。奥山は彼に賭けてみる事にした。これが大正解だった。二人は「3-4x」「ソナチネ」までは組んだ。しかし、松竹はこのテのジャンルの作品に当時は否定的だった。
その後、松竹の幹部にまでなった奥山は思わぬ「男はつらいよ」にも絡む事になった。彼はこのシリーズに頼ってばかりいる松竹に否定的だったからだ。この時は後藤久美子がマドンナの「ぼくの伯父さん」である。
渥美清についても述べている。奥山「渥美さんとは1回だけキャンペーンで同行した事がありました。新幹線でやくざがマスクをしている渥美さんにしつこく絡んでくるトラブルがあったんだけど、その時も渥美さんがその相手のところに行って、耳元でコチョコチョと何か言って、戻ってきて「もう大丈夫だから。悪いね、あなたにも嫌な思いさせて」と。静かだけど、凄い迫力だった。相手はそれでガラッと態度が豹変したんです。降りる時なんか直立不動で挨拶してました。何を呟いたのかは教えてもらえませんでした。かっこいいなと思いました」
1998年1月、松竹の社長で奥山の親父と、専務だった奥山本人は役員会で解任を決議された。「独断専行」がその理由だった。時代の寵児だった奥山はアッという間に引きずり降ろされ、マスコミの大バッシングに晒される。この時、彼に激励の手紙を送ってきたのが深作欣二、菅原文太、美輪明宏、中村勘九郎だそうだ。(深作と文太の手紙は縮小版だが実物の写真がこの本に掲載されている)当時、彼の味方だと思っていた幹部や社員の中には、裏でこっそり寝返っていたりしたのもいたそうだ。この言葉が印象的だ。
奥山「でもね、手のひらを返した人間は、その後、いとも簡単にまた切られるわけですよ。これは歴史が証明しています。心底の信頼は出来ず、邪魔だから、そうやって切られてく。一緒について辞めた人間は、みんなそれなりに幸せにしているんだけど、その裏切った連中が今度は「会社に裏切られた」ってオレのところに来たこともありました。そのお粗末さは何だか悲しかったです」
樹木希林との思い出も述べている。奥山「振り返ってみると、本当によくしてくれました。実験的に作った作品でも、チームオクヤマが関わっているものに対してはどんな映画でも「脚本はこんな感じで」って話を持っていくと「ああ、脚本は読まなくてもいいわ、後で読んでおくから置いておいて」って言ってくれて。そして現場へ来るとホンをちゃんと読んでいて、自分なりの小道具も自前で持って来る。それで勝手にやって勝手に帰る。そういうふうに何でも受け入れてくれる人だった」
それでも晩年、かなり体調が悪くなって最後の力を振り絞って動いていたそうだ。最後の方は「ホンがつまんないから」って断る事もあった。「私はホンがつまらないと思っちゃったらもうテコでも動けない。残された時間は、面白いホンのためにしか使えない」彼女が最後に「万引き家族」「日日是好日」を選んだのが理解出来る。
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