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傘屋の娘ジュヌヴィエーブと工員の青年ギイの恋が、アルジェ戦争によって引き裂かれ、互いに愛し合いながらも、別々の道を歩くまでを描いた悲恋劇。台詞というものは無く、全編、歌によってストーリーが進行していく、という歌曲形式をとっている。
製作年: |
1963年 |
---|---|
製作国: |
フランス/ドイツ |
原題: |
LES PARAPLUIES DE CHERBOURG/THE UMBRELLA |
受賞記録: |
1964年 カンヌ国際映画祭 パルム・ドール |
傘屋の娘ジュヌヴィエーブと工員の青年ギイの恋が、アルジェ戦争によって引き裂かれ、互いに愛し合いながらも、別々の道を歩くまでを描いた悲恋劇。台詞というものは無く、全編、歌によってストーリーが進行していく、という歌曲形式をとっている。
製作年: |
1963年 |
---|---|
製作国: |
フランス/ドイツ |
原題: |
LES PARAPLUIES DE CHERBOURG/THE UMBRELLA |
受賞記録: |
1964年 カンヌ国際映画祭 パルム・ドール |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
91分 | 日本語 | 1:ドルビーデジタル/ステレオ/フランス語 |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
50DRJ20473 | 2009年07月17日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
46枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
91分
字幕:
日本語
音声:
1:ドルビーデジタル/ステレオ/フランス語
レイティング:
記番:
50DRJ20473
レンタル開始日:
2009年07月17日
在庫枚数
46枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
0人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
91分 | 日本語 | 1:ドルビーデジタル/ステレオ/フランス語 |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
50DRJ20473 | 2009年07月17日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
46枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
91分
字幕:
日本語
音声:
1:ドルビーデジタル/ステレオ/フランス語
レイティング:
記番:
50DRJ20473
レンタル開始日:
2009年07月17日
在庫枚数
46枚
1位登録者:
0人
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子供の時テレビで観て、忘れられない映画になった。お小遣いで買った最初のレコードが「シェルブールの雨傘」だった。今でも持っている。いつか行ってみたい、あの石畳の街へ。
それから35年。息子を連れてパリからシェルブールまで車で行きました。355Kmもあって、遠かった。あの雪の夜、ジュヌヴィエーヴもこの道を走ったんだな。これでもう人生、思い残す事は無い。息子よ、あとを頼むぞ…と思った。
この映画の前ではすべてのレビューが意味を失う。ドヌーヴが奇麗、衣装が可愛い、音楽が素晴らしい、ストーリーが、脚本が、色遣いが…。そんなものは観れば分かる。この映画は説明を許さない完全体の芸術作品であると私は書きたい。
あとはこの映画を愛し続けた私が明かすトリビア。
※ジュヌヴィエーヴはひどい女
これはトリビアじゃないんだけど、かなりの人が「ギーから便りがなくなってジュヌヴィエーヴは困って宝石商に乗り換えた」と思い込んでいるが、違う。私も子供のときは「ギーが三年間行方不明になったからジュヌヴィエーヴは宝石商と結婚したんだ」と思っていた。これは子供でも理解できる説明だ。しかし事実は違う。ギーは何度も手紙を書いて送ったのにジュヌヴィエーヴは返事を書かなかったのである。無視したのである。それじゃひどい女じゃないか!そんな馬鹿な!ひどい女なのである。だからこの映画は傑作なのである。
※ジャック・ドゥミの色彩へのこだわり
ギーに召集令状が来て、明日は別れという夜に二人でカフェでカクテルを前にして抱き合うシーンでは、二人のカクテルは、ジュヌヴィエーヴのは琥珀色、ギーのは黄色。それは画面に映っている店の内装の色と同じなのである。
ギーが出発する駅のプラットフォームを二人で並んで歩くシーンでは、ジュヌヴィエーヴがプラットホームに出たとたん、何の必要もないと思われるの に、唐突にコートのポケットから青いスカーフを取り出して胸のあたりに持っていく。この青はギーのシャツと同じ色だ。なるほど、監督は青い色が並んで歩く絵を撮りたかったのだ。(ドヌーヴがコートのポケットから青いスカーフを取り出すところは「監督に言われたとおりさっさとやらなきゃ」という初々しい表情が見られてとても可愛い。)
まだあるけど見つける楽しみを取っておく為にこのくらいにしておく。
※ラストシーン1
途中で男がドアを開けてガソリンは「superieur ou ordinaire?(上級か普通か)」と聞く。なんでこんなシーンを入れたのだろう? ジュヌヴィエーヴは「どっちでもいい」と答える。どちらか決めて、superieurですねと言われてやっと「ウイ」と答える。ああ、これはsuperieurがあっちの生活でordinaireがギーとの生活、どちらでも良かったけれど、他の人の力でsuperieurを選ぶことになった、というメタファーなのではないか。
※ラストシーン2
このデジタルリマスター版は字幕も書き直されていて、最後にジュヌヴィエーヴが「結婚以来 シェルブールに戻ったのは初めてよ」「田舎の義母の家へ娘を迎えに行ったの」「パリに帰るところよ」「回り道をして来たの」「会えるとは思わなかった」と言うシーンがあるが、ここは昔は『田舎』ではなく『アンジュー』と書かれていたような気がする。Anjouというのはノルマンディーの南西にあって、パリまでは高速道路A11号線一本道、300Kmくらいの距離にある。しかし、アンジューからシェルブールというノルマンディー半島の先っぽにある港町までは 370Km以上有り(しかも高速道路は今でも無い)、そこからパリまでは更に355Kmもあるのである。アンジュー〜シェルブール〜パリの行程は、二等辺三角形の長辺二辺を走ると思えばよろしい。
つまり、ここを「アンジュー」とセリフで言わせる事によって、土地勘のある人(フランス人)には「そんなの絶対に雪が降っている夜道をたまたま回り道して来る訳が無い。ジュヌヴィエーヴはギーに会うために、本当のさよならを言うために、わざわざやって来たんだ」と分かるようになっているのである。 新しい字幕が「田舎」と書いたのは悔やまれる。ドヌーヴが「アンジュー」と言うのを聞いて確かめてみて下さい。そして、涙して下さい。
私の生涯ナンバーワンの映画です。
このレビューは気に入りましたか? 22人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
シェルブールの傘屋の娘ジュヌヴィエーヴと
町の修理工場で働くギイの初々しい恋。
徴兵のまえに思いつめた二人は一線を越えてしまう。
日に日に新しい命を実感せざるを得ないジュヌヴィエーヴ
なのにギイからの便りは あまりに少ない。
愛と現実の前で揺れ動く女心
深く大きな愛を持つゆえに どこまでも引き裂かれた男の心
成就できなかった恋の物語。
**
ミシェル・ルグランの音楽の素晴らしさと
ドゥミの色彩の世界 ドヌーヴの美しさ この三拍子の極みですね。
一度ご覧になればこの楽曲の数々が浸透していることがわかると思うのですが
再見していて凄いと思うのは この映画の色彩感覚です。
ドアを開けるたびに色調の変わる。角度が変わるだけでも色が変わる。
どうやらこの色にはテーマがあることが分かります。
青はギイの色 青年らしい青臭さ 若々しい夢見る心
ピンクは初期のジュヌヴィエーヴとその母の色
女の子らしいお洒落心 でもどこか現実感のないふわふわとした心
緑は ギイの叔母の面倒を看てくれるマドレーヌの色
地に足のついた生活 現実感の色 茶色は混乱、波乱の色
そして、、赤は、、赤は女の色。この赤が問題なのです。
素敵な映画と思いながらも 100%好きと言えないのは
女の狡猾さ 浅はかな企み 愚かしさなど
マイナスな部分を感じて 悲しくなってしまうから。
それを差し引いても 魅力たっぷりなんですけどね。
個人的に好きなのはオープニングの美しさ。
ウエディングドレスと王冠を戴いたときのドヌーヴと
宝石商カサールの誠実そうな歌声。
ラストで映画の雰囲気がガラリと変わること でしょうか。
かなりクセがあります。
というのは端役のセリフまでメロディに乗せていることなんですね。
これを吉ととるか凶ととるかは運次第。どうぞお試しあれ。
このレビューは気に入りましたか? 20人の会員が気に入ったと投稿しています
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
他の方からも多数のご指摘がある通り、受け答えの返事に至るまでの全ての台詞が歌詞として歌われているある意味では完全なミュージカルです。台詞の多くが歌やダンスで彩られている作品は全盛期のハリウッド・ミュージカルを始めとして多数ありますが、ただ一つの例外もなく台詞の全てが歌曲となっている作品は私が知る限りこの作品だけです。この点だけを取っても話のネタとして観て損はない作品と言えるでしょう。
本作の監督であるジャック・ドゥミは、ゴダールやトリュフォーに代表されるヌーヴェルヴァーグと評された作家の一人でした。ただし、同じヌーヴェルヴァーグとは言ってもゴダールやリヴェットなどいわゆる芸術家肌の集まりであった左岸派に対し、ドゥミはドキュメンタリー作家のクリス・マルケル(『12モンキーズ』の元ネタとなった静止画だけで構成された『ラ・ジュテ』の監督)やルイ・マル、後にドゥミ夫人となるアニェス・ヴァルタなどが属していた右岸派の一員でしたので、いわゆるヌーヴェルヴァーグ作品の取っつきにくさが苦手な方でも、さほど・・・と言うか全く構えることなく観ることができる作品です。
いや、こんなもったいぶった説明をしなくても、nekoさんが書かれている通り、誰でも一度目耳にしたことがある著名なテーマ曲に乗せて、雨降る石畳の広場を原色の傘が行き来する様を真上から捉えたファーストシークエンスを目にしただけで、誰もがその美しさに釘付けになり画面に取り込まれていくだろうと思います。
ただし、こんな万人受けするファーストショットで始まる作品であるにもかかわらず、また台詞が全て詩になっているという独自の構成を持つ作品であるにもかかわらず、そしてミュージカルという形態、定石通りのメロドラマという構成にもかかわらず、この作品はハリウッド流のミュージカルとは一線を画したものとなっており、もしかしたら人によってはこの点が本作の敷居を高くしていると感じられるかもしれません。
その最たるものはYの3乗さんが「フランス映画らしい不条理な終わり方」と指摘された、後日談に相当するエピローグの部分でしょう。別にフランス映画が必ずしも不条理だとは思いませんが、本作のエンディングは確かに不条理と感じられるものなのですが、その不条理さにこそ実は本作の魅力があるのだと個人的には思っています。ああ、あのもの悲しいテーマ曲は雪降る夜のこのシークエンスのために作られたものなのだ、と。本作と並び称される『ロシュフォールの恋人たち』がハリウッド・ミュージカルのフォーマットに完全に沿った、ダンスと歌を売りにしたハッピーエンドものであるのに対し、本作は陰惨とでも形容しうるほど救いのない残酷さが際立っていますが、その落差の大きさからジャック・ドゥミには明確な意図を持って本作をこのエンディングをもって制作したことが推測されます。
かつてゴダールはドゥミが逝去した際に「みんなドゥミと彼の作品が好きだった」と献辞を捧げ、『シェルブールの雨傘』の全ての歌詞を、すなわち台詞全部を暗記した(それができるくらい何度も繰り返し観た)とうそぶいたそうですが、彼をしてそう言わしめるほどの作品であるとボクも思います。『ロシュフォールの恋人たち』は底抜けに楽しい作品でボクも大好きですが、二つの作品を並べて見ると逆に『シェルブールの雨傘』の特異性が浮かび上がってくるように思います。
このレビューは気に入りましたか? 13人の会員が気に入ったと投稿しています
入力内容に誤りがあります。
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ユーザーレビュー:57件
投稿日
2009/08/26
レビュアー
bokensdorf※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
子供の時テレビで観て、忘れられない映画になった。お小遣いで買った最初のレコードが「シェルブールの雨傘」だった。今でも持っている。いつか行ってみたい、あの石畳の街へ。
それから35年。息子を連れてパリからシェルブールまで車で行きました。355Kmもあって、遠かった。あの雪の夜、ジュヌヴィエーヴもこの道を走ったんだな。これでもう人生、思い残す事は無い。息子よ、あとを頼むぞ…と思った。
この映画の前ではすべてのレビューが意味を失う。ドヌーヴが奇麗、衣装が可愛い、音楽が素晴らしい、ストーリーが、脚本が、色遣いが…。そんなものは観れば分かる。この映画は説明を許さない完全体の芸術作品であると私は書きたい。
あとはこの映画を愛し続けた私が明かすトリビア。
※ジュヌヴィエーヴはひどい女
これはトリビアじゃないんだけど、かなりの人が「ギーから便りがなくなってジュヌヴィエーヴは困って宝石商に乗り換えた」と思い込んでいるが、違う。私も子供のときは「ギーが三年間行方不明になったからジュヌヴィエーヴは宝石商と結婚したんだ」と思っていた。これは子供でも理解できる説明だ。しかし事実は違う。ギーは何度も手紙を書いて送ったのにジュヌヴィエーヴは返事を書かなかったのである。無視したのである。それじゃひどい女じゃないか!そんな馬鹿な!ひどい女なのである。だからこの映画は傑作なのである。
※ジャック・ドゥミの色彩へのこだわり
ギーに召集令状が来て、明日は別れという夜に二人でカフェでカクテルを前にして抱き合うシーンでは、二人のカクテルは、ジュヌヴィエーヴのは琥珀色、ギーのは黄色。それは画面に映っている店の内装の色と同じなのである。
ギーが出発する駅のプラットフォームを二人で並んで歩くシーンでは、ジュヌヴィエーヴがプラットホームに出たとたん、何の必要もないと思われるの に、唐突にコートのポケットから青いスカーフを取り出して胸のあたりに持っていく。この青はギーのシャツと同じ色だ。なるほど、監督は青い色が並んで歩く絵を撮りたかったのだ。(ドヌーヴがコートのポケットから青いスカーフを取り出すところは「監督に言われたとおりさっさとやらなきゃ」という初々しい表情が見られてとても可愛い。)
まだあるけど見つける楽しみを取っておく為にこのくらいにしておく。
※ラストシーン1
途中で男がドアを開けてガソリンは「superieur ou ordinaire?(上級か普通か)」と聞く。なんでこんなシーンを入れたのだろう? ジュヌヴィエーヴは「どっちでもいい」と答える。どちらか決めて、superieurですねと言われてやっと「ウイ」と答える。ああ、これはsuperieurがあっちの生活でordinaireがギーとの生活、どちらでも良かったけれど、他の人の力でsuperieurを選ぶことになった、というメタファーなのではないか。
※ラストシーン2
このデジタルリマスター版は字幕も書き直されていて、最後にジュヌヴィエーヴが「結婚以来 シェルブールに戻ったのは初めてよ」「田舎の義母の家へ娘を迎えに行ったの」「パリに帰るところよ」「回り道をして来たの」「会えるとは思わなかった」と言うシーンがあるが、ここは昔は『田舎』ではなく『アンジュー』と書かれていたような気がする。Anjouというのはノルマンディーの南西にあって、パリまでは高速道路A11号線一本道、300Kmくらいの距離にある。しかし、アンジューからシェルブールというノルマンディー半島の先っぽにある港町までは 370Km以上有り(しかも高速道路は今でも無い)、そこからパリまでは更に355Kmもあるのである。アンジュー〜シェルブール〜パリの行程は、二等辺三角形の長辺二辺を走ると思えばよろしい。
つまり、ここを「アンジュー」とセリフで言わせる事によって、土地勘のある人(フランス人)には「そんなの絶対に雪が降っている夜道をたまたま回り道して来る訳が無い。ジュヌヴィエーヴはギーに会うために、本当のさよならを言うために、わざわざやって来たんだ」と分かるようになっているのである。 新しい字幕が「田舎」と書いたのは悔やまれる。ドヌーヴが「アンジュー」と言うのを聞いて確かめてみて下さい。そして、涙して下さい。
私の生涯ナンバーワンの映画です。
投稿日
2009/06/26
レビュアー
ひきむすび※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
シェルブールの傘屋の娘ジュヌヴィエーヴと
町の修理工場で働くギイの初々しい恋。
徴兵のまえに思いつめた二人は一線を越えてしまう。
日に日に新しい命を実感せざるを得ないジュヌヴィエーヴ
なのにギイからの便りは あまりに少ない。
愛と現実の前で揺れ動く女心
深く大きな愛を持つゆえに どこまでも引き裂かれた男の心
成就できなかった恋の物語。
**
ミシェル・ルグランの音楽の素晴らしさと
ドゥミの色彩の世界 ドヌーヴの美しさ この三拍子の極みですね。
一度ご覧になればこの楽曲の数々が浸透していることがわかると思うのですが
再見していて凄いと思うのは この映画の色彩感覚です。
ドアを開けるたびに色調の変わる。角度が変わるだけでも色が変わる。
どうやらこの色にはテーマがあることが分かります。
青はギイの色 青年らしい青臭さ 若々しい夢見る心
ピンクは初期のジュヌヴィエーヴとその母の色
女の子らしいお洒落心 でもどこか現実感のないふわふわとした心
緑は ギイの叔母の面倒を看てくれるマドレーヌの色
地に足のついた生活 現実感の色 茶色は混乱、波乱の色
そして、、赤は、、赤は女の色。この赤が問題なのです。
素敵な映画と思いながらも 100%好きと言えないのは
女の狡猾さ 浅はかな企み 愚かしさなど
マイナスな部分を感じて 悲しくなってしまうから。
それを差し引いても 魅力たっぷりなんですけどね。
個人的に好きなのはオープニングの美しさ。
ウエディングドレスと王冠を戴いたときのドヌーヴと
宝石商カサールの誠実そうな歌声。
ラストで映画の雰囲気がガラリと変わること でしょうか。
かなりクセがあります。
というのは端役のセリフまでメロディに乗せていることなんですね。
これを吉ととるか凶ととるかは運次第。どうぞお試しあれ。
投稿日
2009/08/12
レビュアー
parole※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
他の方からも多数のご指摘がある通り、受け答えの返事に至るまでの全ての台詞が歌詞として歌われているある意味では完全なミュージカルです。台詞の多くが歌やダンスで彩られている作品は全盛期のハリウッド・ミュージカルを始めとして多数ありますが、ただ一つの例外もなく台詞の全てが歌曲となっている作品は私が知る限りこの作品だけです。この点だけを取っても話のネタとして観て損はない作品と言えるでしょう。
本作の監督であるジャック・ドゥミは、ゴダールやトリュフォーに代表されるヌーヴェルヴァーグと評された作家の一人でした。ただし、同じヌーヴェルヴァーグとは言ってもゴダールやリヴェットなどいわゆる芸術家肌の集まりであった左岸派に対し、ドゥミはドキュメンタリー作家のクリス・マルケル(『12モンキーズ』の元ネタとなった静止画だけで構成された『ラ・ジュテ』の監督)やルイ・マル、後にドゥミ夫人となるアニェス・ヴァルタなどが属していた右岸派の一員でしたので、いわゆるヌーヴェルヴァーグ作品の取っつきにくさが苦手な方でも、さほど・・・と言うか全く構えることなく観ることができる作品です。
いや、こんなもったいぶった説明をしなくても、nekoさんが書かれている通り、誰でも一度目耳にしたことがある著名なテーマ曲に乗せて、雨降る石畳の広場を原色の傘が行き来する様を真上から捉えたファーストシークエンスを目にしただけで、誰もがその美しさに釘付けになり画面に取り込まれていくだろうと思います。
ただし、こんな万人受けするファーストショットで始まる作品であるにもかかわらず、また台詞が全て詩になっているという独自の構成を持つ作品であるにもかかわらず、そしてミュージカルという形態、定石通りのメロドラマという構成にもかかわらず、この作品はハリウッド流のミュージカルとは一線を画したものとなっており、もしかしたら人によってはこの点が本作の敷居を高くしていると感じられるかもしれません。
その最たるものはYの3乗さんが「フランス映画らしい不条理な終わり方」と指摘された、後日談に相当するエピローグの部分でしょう。別にフランス映画が必ずしも不条理だとは思いませんが、本作のエンディングは確かに不条理と感じられるものなのですが、その不条理さにこそ実は本作の魅力があるのだと個人的には思っています。ああ、あのもの悲しいテーマ曲は雪降る夜のこのシークエンスのために作られたものなのだ、と。本作と並び称される『ロシュフォールの恋人たち』がハリウッド・ミュージカルのフォーマットに完全に沿った、ダンスと歌を売りにしたハッピーエンドものであるのに対し、本作は陰惨とでも形容しうるほど救いのない残酷さが際立っていますが、その落差の大きさからジャック・ドゥミには明確な意図を持って本作をこのエンディングをもって制作したことが推測されます。
かつてゴダールはドゥミが逝去した際に「みんなドゥミと彼の作品が好きだった」と献辞を捧げ、『シェルブールの雨傘』の全ての歌詞を、すなわち台詞全部を暗記した(それができるくらい何度も繰り返し観た)とうそぶいたそうですが、彼をしてそう言わしめるほどの作品であるとボクも思います。『ロシュフォールの恋人たち』は底抜けに楽しい作品でボクも大好きですが、二つの作品を並べて見ると逆に『シェルブールの雨傘』の特異性が浮かび上がってくるように思います。
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シェルブールの雨傘